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断片的短編談  作者: トレイン
2/2

弍:或るスフィンクスの独白

今日もまたひとり、愚かな旅人がこの地を訪れる。水分など疾うの昔に忘れ果て、あらゆる生物を拒絶する砂塵の大地。日光は尚も全てを焼き尽くし、木陰に囲まれたオアシスすらも乾涸びていく。かような過酷極まる地にて、両手両足を灼熱の砂に埋め続ける私は、人頭をもたげ、ただひたすらに、背後の三角錐を守っている。

この世の凡ての叡智、真理、そして謎の集積する、神秘の建造物。

それは、ピラミッド。

幻想的なまでに数学的なその威容は、ひとえにそれが、この世界を創造せし神の所有物であることを示す。

故に私は、日差し灼けゆく白昼も、陰り凍てつく黒夜にも、神の御前にたどり着くに足る人間を見定め、見極め、あるいは見限るために、その資格を問う。無論、彼の知を測ることによって。ひいては、謎を提示することによって。


その旅人は、黒染めの衣服を身に纏い、威風堂々たる様子で、私の眼下の砂を踏んだ。

目元には何やらガラスのようなものを装着している。また、余程遠方から来たのか、旅人の肌の色や風体はおよそこの地の人間には似ない。目元のガラスの奥にある瞳は細く、これもやはり、ギョロリとした大きな瞳でこちらを覗いてくる、概ねの旅人とは様相を異にするものであった。昔に訪ねてきたアレクサンドロスの軍の者に、このような見た目の者があった気がしないでもない。

しかし、私にとって、問題は容姿でも、あるいは人種でもなかった。私がこの慧眼を以って評価するべきは、ひとえにその者の智慧のみ。

か細い雲間が晴れ、陽光が旅人の顔に照射する。刹那、彼の装着しているガラスの装飾具が、妖しく反射した。


「旅人よ。汝、この先に進み、神の御前に立つ権利を賜りたくば、我が問いに答えよ」


私は、厳然と言葉を投げる。多くの旅人がそうするように、この者にも一瞬の戸惑いが見えた。しかし、旅人は衣服の首元あたりを両手で勢いよく引っ張り、大きく音を立てると、私に向き直って柔和な笑みを浮かべ


「ハイ、承知致しました!問い、ですか!いや私ですね、学生時代に謎解きに凝っていた時期がありまして、そういうことについては多少の自信があるんですよ!いやぁ、流行りましてねぇ。あの時期のテレビは、ゴールデンタイムなんかは特にですけど、クイズ、クイズ、クイズ!と来まして!いや私も最初は鼻白んでいたんですが、あるときから興味が出てきてしまって。それで、次々と難問を解いていく出演者に負けじと、一生懸命勉強したものですよ!いえ、そのせいで単位を落とした科目があったというのは、ここだけの内緒の話ですがね?

いや、それにしてもエジプトは熱いですね!私、生まれも育ちも東京なもんでして、そりゃあ夏場の暑さにはホットアイランド現象なんてのもあって苦しめられましたが、いや、ここは別格ですね。旦那、こんな熱くて仕方のない所で、そんなに涼しい顔をされてるんじゃ、こっちは堪りませんよ!こういうのって、やっぱり生まれ育った土地柄っていうのも影響してくるんでしょうね。旦那、ご出身もこちらで?」


なんか凄い喋った。


なんだコイツ。


私が大いに戸惑い、虚空を見る振りをして現状把握をしていると、旅人は何とも不思議そうな顔をしてこちらを見上げてくる。

いや、クイッじゃなくて。何なんだその装飾品は。いや、クイッじゃなくて。


「汝、神の御前に進む権利を得たいのであれば、我が問いに答えよ」


私は同じ問いを繰り返した。砂に接した手、というか肉球の部分から、じわりと汗が滲み出ていた。旅人が『それさっき聞きましたけど』という顔をしている。それは私も解っている。


私もこの仕事に就いて長いが、これまでの問答では、私が完全に主導権を握っていたと思う。旅人は皆たじろぎ、畏れ、険しい顔を浮かべていた。


今日はしかし、なんか違う。

あまりに流暢に旅人が話すものだから「あ、ああ。うん。そう」とか、間抜けな相槌を打ちそうになった。威厳がどうにかなってしまう。本当に何なんだコイツは。


「旦那?」


旅人はへらへらとした薄笑いを浮かべながら、こちらに催促の声を掛けてくる。

ちょっと待て。今考えてるから。

大体、私はピラミッドを通過する権利を持つ人間を見定める、言わば検閲機関に過ぎないのだ。こういう臨機応変な対応が求められるシチュエーションは困る。マニュアルにないです神


「ちょっと旦那。もしかして、オタクも暑さにやられちゃいました?いや暑いですもんね!そうだそうだ、暑さで思い出したことがあるんですけどね?私、今年で8歳になる娘がいるんですが、この子がアイスが大好きで。年がら年中食べてやまないもんですから、『お腹を壊すぞ』なんて言って気休め程度に叱ってやるんです。でも、もう年頃なのかお父さんの言うことは聞いてくれなくて、嫁の所に言って『パパもずっとビール飲んでるのに』って泣きつくんですよ?いや、そんなこと言われちゃあ、我々中年は何も言えないじゃないですか!本当、最近の子は頭が良く回って困りますよ。これも時代なんですかねぇ」


待って、待って。

お前喋りすぎだろ。こっちはさっきの会話の処理で精一杯なんだよ。あと旦那って呼び方は何とかならないのか。スフィンクスだぞ。

旦那じゃないだろ絶対。


「な、汝……」

「あ、そうだ、問いに答えるんでしたね!失敬、ちょっと世間話が長くなってしまった」


お、おう。そうだよ。反省してくれてるみたいで良かったよ


「いや、こういうことありますよねぇ。会議室まで大の大人が集まって、実のある話が出来たのは滞在時間の30%にも充たない、みたいな。

つい楽しく話しちゃって、これも人間のサガなのかな、って、最近ではいっそ開き直ってますけど。ははは」


まただ!コイツ!

ええい、押し切ってしまおう。このままでは埒が明かない。私は仕事を全うするだけ。余計な話には付き合わない!元々こういうスタンスだった!


「では、問おう」

「ハイハイ!」


緊張感なくなる相槌やめろ


「朝は四本足、昼は二本足、夕方には三本足になる動物は、何だ。答えよ」

私は謎を提示した。ここだけはいつも通り出来た。勤務歴の賜物かもしれない。


「えー、朝は四本足……?」


旅人は顎に指をやり、眉根を寄せる。漆黒の上着が乾いた風に煽られ、中に着ている肌着?のような白い衣服に、汗が滲んでいるのが判った。


そう。これが見たかった。悩め、もっと悩め。

もっと早く強引にでも問い掛ければ良かった。

そうだ、コイツも命が掛かっているのだ。この問題に答えられなかった、資格なき者の末路……

すなわち、私の胃袋に収められるという結末を、何より恐怖して然るべきなのだ。


私は動かない表情の裏で、この男の未来を想像し、悦に入った。旅人は、娘がいると言った。しかし同情はしない。それが神の意向でもある。智慧なき者の種などどうでもいい。

この難問を解けた人間は、これまででもそう多くはない。そして、このお喋りな男に、それだけの智慧が備わっているとは、私は思わない。

せいぜい、終幕のときを引き延ばすように思案を続け、最後には『解らない』と、一言そう言うのだ。私は吸い込み慣れた砂混じりの空気を胸いっぱいに取り入れ、来るべき時を待った。


1分が経ち、私はいよいよ生唾を飲み、喉を湿らせる。見慣れぬ衣服も、容姿も、食前にあっては最高の調味料である。あとはただひとつ、言葉を待つだけーー


「え、人間ですよね?」


旅人は正解した。


ウッソ。


私は意表を衝かれ、刹那、沈黙する。


「いや、流石にそれはないか。すみません。今のナシで」

「え?」


思わず声が出た。だめだ。威厳キープ。

私は、この男の不可解な言動に眉を顰める。


正解は『人間』である。朝、すなわち幼児期には四本足。昼、すなわち成人してからは二本足。最後に夜、老成した後は、身体の衰えから杖をつくため、三本足……


正解なのだが。


「えー。なんだろう。え、もしかして、エジプト語とか関係ありますか?」

「……関係ない」


関係ない。折角正解したのに、この男はよくわからない方向に思考を進め始めている。エジプト語とか、正直私でもよく解らない。神から識字教育を受けていない。


これは、どうするべきだろう。一度正解した旅人ではあるが、その回答を撤回して、新たに回答しようとしている。この時点で正解しておくべきか、もう一度回答したところで不正解にしてしまうか、どうするべきなのか。


神、神、どうします?神!


テレパシーを送った。神に教えを請うのは何百年振りだろう。そういえば定期的にあるエジプト全神会議以来、顔も見てないな。


ズズ……ズ


パスが繋がった。


神!ちょっとトラブルがありまして


Z Z Z……


ダメだ寝てる!そうだ、神はこの百年は眠っているんだった。おのれクソ上司!


人事もいい加減異動しろ!焼け焦げるわ!


はああ。仕方ない。私ひとりで結論を出すしかないか。


「ええと、蛇とか?ほら、蛇のペニスって足みたいに見えるって言うじゃないですか」


知らん!そして違う!

回答したにもかかわらず、旅人は尚も思案顔で中空に目を向けている。お前チャンスが無限にあると思ってないか?


私は考えた。時間が経てば経つほど、『最初のやつが正解だ』とは言いづらくなる。それを言うなら今だ。

しかし一方で、このまま男のギブアップを待てば、何食わぬ顔で不正解の旨を告げ、胃袋を満たすことができる。

もちろん私とて安易に後者を選んでしまいたい。しかし、しかしだ。一度も正答することなく散るのであればともかく、この男は1分足らずで正解してしまっている。速さで言えば随一!

回答の撤回さえしなければ、その智慧を認め、神の御前(睡眠中)に通していたのは請け合い。それだけに、この男を騙すような真似をするのは誇りにもとるというか……


いや、何ということはない。やはり威厳が大事だ。目撃者はいないし、正解を知っているのは私だけなのだから、この男が食べられた所で私の罪を咎めるものは誰もいない!

そうだ。私は間違っていない。誇り高きピラミッドの番人としての役割は、生易しい公正さなどでは果たせない。威厳だ、威厳。それが最も大切なのだ。だから……


『今年で8歳になる娘がーー』


「……」

「ええと、砂……いや、生物だもんな。うーん」


「正解だ」


私は陰ながら嘆息した。何がしたいのだろう。

旅人は細い目を大きく開き、ガラス越しに私を見上げる。


数秒の沈黙ーー


「エッ、砂ですか?」

そして、旅人は素っ頓狂な声を出した。私は、多分に躊躇いつつ、声を出す。


「違う。貴様は既に正解している」

「?」

「最初に言ったであろう。『人間』と。

ーーあれが正解だ」

「はあーー?」


大仕事を終えた感慨で息を着こうとした私に、しかし男はすかさず不服そうな声を上げた


「いや、それはないですよ、旦那」

「え」


ない?ないとは何ぞ?何が?


「それって、『朝は幼児だから四本足で……』って言う、アレでしょう?」

「さ、左様だが」

「イヤーー!!それが答えですか!!何だよ、もうちょっとしっかりした謎掛けかと思ったのに。拍子抜けしちゃいましたよ」


と、旅人は右手に提げていた漆を塗ったように黒い鞄を砂地に下ろし、抗議するかのように両掌をこちらに向けた。


「あーあ。何だか損した気分だなぁ」

「……」


そして空いた両手を首の後ろに回し、青空を見上げる。上を向いたことで、尖らせた唇が際だっている。


待て。おかしい。旅人が喜ばない。


「旅人よ。これで汝はピラミッドに入る資格を得た。神の御前では、決して失礼のないように……」

「エッ?今ので?」

「……」


悪いか!と、ムキになって反駁しそうになった所を、一度深呼吸をする。


「そうだ。私の謎掛けに正しく答え、その智慧を示した者のみに、ピラミッドに入る資格は与えられる。そして汝にはその資格がある」

「エー……はあ、そうですか」


男は依然として何か納得いかないような面持ちである。納得できないのはこっちなんだが。


「ちなみに、答えられなかったらどうなっていたんですか?」

と、不意に男は、そんなことを尋ねてきた。


成る程。多くの旅人は私に問い掛けられることの意味を理解していたが、この男はそれを知らなかったのか。それで、あんなにナメた口をきいてきたのか。そうかそうか。ハッハッハ。


「喰われる!私に!」

とびきり恐怖を誘う声音で言ってやった。

私の威厳が回復した瞬間である。


「エエー!」

と、男は間抜けな声をあげる。目論見とは少し外れるが、まあそれなりに驚愕したということだろう。良かったな、命拾いして


「じゃあつまり、この問題に答えられなかった旅人を、旦那はムシャムシャ食べてしまったってことですか?」

「左様だ」

骨の髄までな。


「そりゃないですよ〜!」

「は?」

男があんまり軽い調子で言うので、私はついイラッとしてしまった。

そりゃないもクソもあるか。これは神の意向だ。智慧あるものだけがピラミッドに侵入できる。智慧なきものは私の餌。


「旅人よ。残酷に思えるかもしれぬが、これは仕方のないこと。智慧なき者は、神に見える資格を永久に失うのだ。その肉体ごとな」

「いや、だって。エー……」


私は、さっきから含みのある調子で男がものを言っているのに気付いていた。

いっそ正解としたことだ。この際、この男の言い分を聞いてやるのも、務めかもしれない。


「汝、何か言いたいことがあるのか」

私は寛大な心の持ち主だった。


「まあ、はい」

「言ってみよ」

ちょっと神様になった気分である。そうか、あのクソ上司はいつもこんな気分なのか。そりゃあ図に乗るわ。しかし悪くないな……


「これって、問題が悪いでしょう」

「……」


え?


「だってそうじゃないですか。朝、昼、晩って時間帯をちゃんと指定しておいて、蓋を開ければそれは全部比喩。1日を人生全部に置き換えて

考えるのだ、なんて言われても、そんな大局的な見方しながら生きてる人間なんてそうはいないでしょう?よしんばそんな発想に至っても、ねえ。幼児期、成人期、老年期って、朝、昼、晩を引き合いに出す割に時間比率が合ってない。夜が1番長いのに、これに対応する老年期はせいぜい20年もいいところですよ。それも、杖をつく年齢なんて、もっと短いんじゃないですか?」


私はロクロを回すような腕の動きをしながら、ことさら流暢に語る旅人を虚ろに見つめる。

何だコイツ。という感想は変わらないが、その意味合いは卑屈な方に向かっていた。


「大体、足が4本の幼児期は百歩譲っていいとして、それより後は乱暴が過ぎるでしょう。老年期に関しては、老人が全員杖をつくことが前提だなんて、これがまず酷すぎる。そんなことは個人差があるし、何なら今時、杖をつかずに一生を終える人の方が多いくらいだ。それに、『杖をついているから足が3本』ってコレ、突き抜けてどうかしてます。その理屈だとカツラは髪の毛の勘定に入れていいし、入れ歯だって誰が何と言おうとナチュラルボーン歯だってことになる。『足』に括弧付きで『なお、これは必ずしも生身である必要はない』くらいの注釈を入れてないと成立しませんよ」


すらすらと、台本を読むかのように反論する男のことを、私は最早、一介の旅人だとは思えなかった。このときほど、私は自らの選択の正しさを実感した瞬間はない。逆を言えば、私はほんの気の迷いのひとつでもすれば、今頃この男を腹中に収めていたのである。

その仮想は、ぞっとしない。そして何より、その場合、神の意向への反逆者は、他ならぬ私である。私は生まれて数百年、初めて自らの存在を呪いかけた。


「最後に、これはどの時期の人間にも言えることですが、必ず例外は存在します。成人期に事故か何かに遭って1本足の人もいれば、生まれつき病気で3本足の赤ちゃんだっている。そういうバリアフリーな配慮が出来ていない時点で、この問題は最早、悪問を通り越して炎上モンですよ。いや、この問題に正解できなくて旦那に食べられてきた旅人たちは本当に浮かばれませんね。この国の時効が何年かは知りませんが、これから方々遺族を訪ねて、刑事訴訟に持ち込んでやりたいくらいです。旦那、見損ないましたよ。そのライオンボディに付いた人頭は、ちゃんと中身も人脳ですか?」


「……」


そうまくしたてて、旅人は私を心底軽蔑したように一瞥すると、ピラミッドには行かず、砂漠の向こうに消えていった。


あとに残された私は、それを罰とするかのように、砂混じりの空気を貪り、少し眠った。


あれから一千と数百年。現在、私の周りには人工のロープが回され、多種多様な肌や髪の色をし、千差万別な衣服を纏った人々が、私の、そしてその背後に構え続ける神の寝床の写真を、持ち前の電子端末で撮影している。その中には、あの男と同じような服装をした男たちも多くいた。


あの旅人は、一体何だったのだろう。

あれ以来、私は旅人に問い掛けをするのを辞めた。男が去った後、10時間ほど泥のように眠り、そして誰もが寝静まった真夜中に、熟睡中の神を叩き起こした。

半泣きで支離滅裂なことを訴える私に、寝ぼけまなこの神は最初、困惑していた。

しかし、次第に私の言わんとすることの輪郭がはっきりしてくると、神は早いうちに事の全容を理解したようで

「それは確かに……」

と、神妙な顔で虚空を見つめていた。私はこのとき、初めて上司を尊敬した。


そして晴れて、私は門番職を降ろされた。正確には、墓泥棒を目論むような不埒な輩には実力行使の権限が与えられていたが、世が変わるにつれ、その役割も警察とやらに奪われた。


現在、私はただの古代美術である。その立場に不満を抱くこともあるが、こうして大勢の人間にやんわりと囲まれる在り方も悪くない。智慧のない人間のことは、相変わらず喰ってやりたくなるものの、その度にあの男の顔が思い浮かぶ。目元に装着していた装飾品はメガネと言い、衣服はスーツと呼ばれているのだと、今では自然と知っている。


『旦那に、人間の智慧のあるなしが判別できますかね?』

メガネをクイッ、とやりながら、煽るように言ってくるあの男の憎たらしい顔が、悠久を経て尚も浮かぶ。


その度に、私は息を整え、自らの失態を苦々しくも振り返るのだ。きっと永劫、私はこの身が朽ちるときまで、自戒し続けることだろう。


パシャパシャと、シャッターを切る音が聴こえる。随分と長い間、砂埃の音だけを聴いてきた私にとって、ここ数十年の間は、本当に充実したものに思えた。もしも私があのまま人間の智慧を測り、たったひとつの謎掛けによってその生死を裁き続けていたのならーー。

どうだろう。ここまで人間の世界は進めていただろうか?可能性を無為に切り取られ、廃れてしまってはいまいか。

まあ。それもまた、私に測れるようなものでもない。そう割り切って、私は動かない眼球を動かして、少し遠くを見る。


アイスを舐める少女が、こちらを興味深そうに見ていた。食い入るように私に熱中する少女に少しだけ気を良くしたが、同時に私は、彼女が右手に持っているアイスが、熱に当てられて溶けていく様を目撃した。

昔のようにペラペラと喋るわけにもいかず、ただその様子を眺める。すぐに少女もアイスの悲劇に気づき、そして唇を歪めた。


(泣かないな。偉いぞ)

いつの間にか、私は人間ひとりに感傷を覚えるようになっていた。


少女は殆ど棒だけになったアイスを握りしめて立ち尽くしている。すると、少し離れた所から母親と思しき人物が駆け寄ってきた。少女の白い靴にベチャリと着いたアイスの残骸をハンカチで拭いながら、少女に向かって何か言っている。その会話の内容までは解らないが、見るにつけ微笑ましい光景だった。


そして。


自分の足を拭く母親を気にするでもなく、少女

が不意に振り向いた。その先にはーー


(ああ)


不満げに、しかし半笑いで、母親もそちらを向く。少女は満面で笑っているようだった。


この暑さも厭わず、屈折することなく光が突き刺す、漆黒の衣装に身を包んでいる。

ガラスの装飾具が日光に反射し、()()表情までは窺えない。


動かない表情で、スフィンクスは笑った。

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