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3月 おかえし、やりなおし


 テストも無事に終わり、なんとか一年を乗りきった。……とりあえずは。

 伊藤先生から手渡された成績表を、自席で細目で覗き見て息をつく。

 クラス全員に成績表を配り終えた伊藤先生は、ざわつくクラスの生徒に対して前を向くように声をかけた。


「あっという間の一年でしたね。皆さんとこの教室で初めて顔合わせした時のことが、まるで昨日のことのようです」

「あっという間だったよね!」

「さびしいよ、タダちゃん先生!」


 この一年で見慣れた担任のやさしい笑顔に、教室の生徒が口々に言葉を返す。

 確かに。もう一年が終わるなんて信じらない。来年のクラス替え、どうなっちゃうんだろう。

 ちらりと窓際の席に視線を移す。白い頭が、姿勢正しく座っている。


「一年ありがとうございました。それで、えっと、クラスのみんなに、メッセージを書いてきてしまいました……。その、受け取ってください」


 そう言って、先生はわざわざ一人ひとりの席を回ってメッセージカードを手渡ししはじめた。

 もちろん私の前にもやって来て、はいどうぞと差し出される。

 受け取ったカードには、『五津木さんは、人とは違った目線を持っていますね。そんな貴女に、先生はずいぶんと助けられたと思います。来年もいろんな楽しいもの、嬉しいことを見つけられますように』と書いてあった。

 ……私って、そういう風に見えてるの?


「時間をとらせてごめんね。来年も、どうかよろしくお願いします。それじゃあさようなら」


 伊藤先生の頭がぺこりと下がって、一年最後の帰りのホームルームが終わった。

 普段ならみんなすぐに席を立ってしまうけれど、今日は名残惜しいのかほとんどの人が教室に残っている。かくいう私も、こたつの猫みたいに動きがたい。

 ……今日この教室を出たら、ここにはもう戻ってこないからだろうか。なんだかやり残したことがあるような心地がするのだ。


「ねぇ、ボブ子ちゃん」

「どうしたの、良ちゃん?」

「呼ばれてるよ」


 指をさされた方向には、教室の入り口に立っている二人組。

 輝く笑顔で大きく手を振っているサルシス君と、少しうつむき加減で控えめに手を上げている下前君だ。


「どうしたの、二人とも?」

「やぁ、五津木くん! 実は渡したいものがあってね!」

「……僕からも、これを」


 席を立って近づくと、サルシス君が白いリボンが目を引く袋を(うやうや)しく差し出した。隣の下前君もそっと花柄の包装紙で包まれたものを目の前に出してくる。

 ……今日、私の誕生日だったっけ? そんなつもりはなかったんだけど。

 首をかしげていると、察していない私に気づいたのか下前君が答えを教えてくれた。


「今日は、ホワイトデーだろう? 五津木さんからチョコレートをもらったから、お返しをと思ってだな」

「贈る言葉が長すぎるよ、学くん! こういうのは短く、簡単に、美しくがいいねぇ! というわけで五津木くん! いつもありがとう! これからもよろしくね! 今日もよい一日を!」

「……今日はもう半分以上終わってしまったけど、いいのか?」

「それじゃあ、明日も明後日も、すばらしい毎日を! というのはどうだろうね、学くん!」

「うん。……じゃあそういうことで、ありがとうございました」


 照れ隠しのように眼鏡に触れて顔を隠す下前君。それに対して不思議そうに首を傾げたかと思うと、にんまり笑ったサルシス君が軽く体当たりするように肩を寄せる。その衝撃に前につんのめってしまった下前君は、「やめたまえ!」と注意をする。

 いつもの調子の二人に、自然と笑いがこみあげてしまう。


「こちらこそありがとう。……そんなに気を遣わってもらわなくてもよかったのに」


 二人からそれぞれのお返しを受け取る。さすが二人というべきか、包装がとても凝っている。

 ……実は私、男の人からバレンタインデーのお返しを貰ったのは初めてだ。


「もらった気持ちにはボクの最大限で返したいからね! ボクのは、評判のお店で買ったキャラメルナッツだよ!」

「僕は、ハンドクリームを。……その、好みに合うかどうかはわからないが」

「一緒に選びに選び抜いたじゃないか! 自信をもちなよ、学くん!」

「わ、わざわざそういうことを言うな!」

「はははっ! 照れ屋さんだねぇ、学くん!」


 フォローされた学くんは、抗議をするように肘でサルシス君の脇腹を突く。しかし痛いというよりこそばゆかったのか、綺麗な金髪をぱさぱさと揺らして長い胴体を折り曲げている。

 あいかわらず仲良いなぁ。……二人は、中学からの付き合いだもんね。

 微笑ましく眺めていると、私の視線に気づいた下前君がきゅっと口を引き結ぶ。そしてくるりと背中を向けてしまった。


「とにかく! そういうことだ! 四月からも、よろしくしてくれたまえ! それじゃあさようなら!」

「あー、待っておくれ、学くん!」


 すたすたと速足で戻ってしまう下前君を追いかけようとして、途中で足を止めたサルシス君はくるりと振り返った。そして絵画から抜け出た住人のように静かに微笑んで、ちょいちょいと手招きをする。

 その美しい動作に合わせてそっと頭を近づけると、とっておきの秘密みたいに教えられた。


「今日、成績が返されただろう。また二位だったと学くんは落ち込んではいたけど……前ほど苦しそうじゃなかったんだ。そう見えただろう?」

「ああ、確かに。……ちょっと顔色は悪かったけど、元気にみえた。そうなんだ。よかった」

「うん。よかったよねぇ。……五津木くんのおかげなんだ。ありがとう」


 視線が合うと、青い瞳がきらきら輝いて私を照らしていた。私が見とれていると、サルシス君はぱちりとウィンクをする。


「じゃあ、ボクもいくよ。二年生になっても、仲良くしてほしいな!」

「あ、うん! ……大したことはできない、けど」

 

 すらりと長い脚でさっそうと去っていくでそのうしろ姿は、スポットライトを浴びたモデルだ。……いや、レッドカーペットの上を歩く王子様のほうがふさわしいかも。

 私は二人から貰ったお返しを抱え直して、教室に戻る。

 暖房の無い冷えた廊下から教室に入ると、温かくてほっとする。ふうっと息をついて机の上に二つの袋を置いたところで、白い影が目の前に立った。……顔を上げる前から、なんとなく正体がわかって息が止まる。

 おそるおそる顔を上げると、八十君の赤い目とぱっちりと視線が結ばれた。


「や、八十君? どうしたの?」

「……五津木さんにお願いがあります。お時間よろしいですか?」


 瞬間的にからからに乾いた喉から、ひっくり返った声が飛び出してしまった。はっと手で自分の口を覆ったけれど、まったく気にしない八十君から淡々とした声がかけられる。

 ……なんとなく悔しく思いながら大丈夫だと頷くと、ついてきてくださいと告げられる。


「えっと、どこに?」

「遠くはありません。校内です」

「あ、そう、なんだ」


 それではと歩き始める八十君。迷いのない足取りで廊下へと出る彼の背中を慌てて追いかけた。

 なんだろう。なにかあったっけ? なにかしたっけ?

 問いかけたいけれど、しわひとつない整った背中にかける言葉が見つからない。

 八十君は一階に降りて、部室棟へとつながる渡り廊下を進んでいる。かと思ったら、部室棟の中には入らずに、棟の壁に沿うように回り込み始めた。


「えっと、八十君、目的地ってーーくしゅん」

「……ああ。申し訳ありません」


 外の風にさらされてくしゃみをすると、ずっと振り返らずに進んでいた八十君が足を止めた。

 そして体を反転させて、私の隣に立つ。


「外が寒いのを失念していました。私が風避けになるので、五津木さんは壁側を歩いてください」

「あ、うん。ありがとう」

「見せたいものは、すぐそこにあります」

「見せたいもの?」

「はい。少し時期が早いですが」


そして八十君が足を止めたのは、用務員さんが通る用の裏口扉。部室棟には用務員さんが使う掃除用具などを保管する部屋があるのだ。もちろん、鍵がかかっているので一般生徒は通れない。

 そもそもここは、よっぽどのことがない限り生徒は歩かないしね。


「あれを、見てほしかったんです」

「……あれって、扉?」

「いえ。その上です」


 首をかしげる私に、八十君がその陶器のような指先で示してくれた。

 裏口扉の上には、石造りの(ひさし)がついている。その下になにかの塊がついている。あれは、鳥の巣?


「巣、だよね」

「はい。用務員の方にお尋ねしたところ、去年つばめがやって来て、あの巣を作ったらしいのです」

「へぇ、そうなんだ」


 感心して、もう一度つばめの巣に目をやってみる。からっぽになっているのが、少し寂しい。


「でも、こんな人が通るところでも巣って作るんだね」

「いえ。お尋ねした用務員さんによると、つばめを脅かさないように一定期間ここの扉を使わないようにしたそうです。遠回りして、校舎の中に入って道具を取りに行ったとおっしゃってました」

「そうなんだ。そのときのつばめの巣、見てみたかったなぁ」

「……もう少し暖かくなれば、見れるかもしれません。同じ巣に戻ってくるつばめもいるようですし。4月になってから、五津木さんを連れてきたいと思っていました」

「そうなの?」


 だけど今は3月だ。冷たい風が吹く空は、あと少し春から遠い。

 口を開いて、また閉じて、もう一度ためらうように八十君は口を開いた。


「春がいいと思っていました。以前に、つばめの巣を探そうと約束していましたから」

「……うん。夏休みだったよね」


 覚えている。でも、私はそれを霧のように、風が吹けば薄まって消えるものだと思っていた。

 乾燥した目をぱちぱちとまばたかせていると、隣で八十君が言葉を続けた。


「ですが、今日はお返しの日ですから。私は何も持っていませんから、せめてなにかと考えて思いついたのが、これでした」

「え、ちょっと、待って」

「はい」


 素直に私の言葉に頷く、八十君。

 お返しの日って、ホワイトデーのこと? でも私、渡せてないよね? もしかして、たくさんチョコレートを渡され過ぎて、誰にもらっているのか、よく覚えてないのかな? ……誰かと、間違えられているのかな?


「ホワイトデーだからって、こと、だよね?」

「そうですね。それがきっかけですね」

「私……あげてない、はず、だけど」

「はい。そうですね」


 震える声で聞いた私に、八十君は不思議そうに首をかしげながら返事をした。その言葉に、私の方が不思議になってしまう。


「あれ? じゃあ、どうして?」

「ホワイトデーは、元々とくになにもするつもりがありませんでした。うちの者にも、返す必要はないと言われましたから」

「まぁ、あれだけの量のお返しは大変だろうし……」


 そういえば確かに、八十君は今日誰にもなにかをお返しをするような素振りを見せていない。

 いや、でも、じゃあ、私はなんで。


「ですが先ほど、五津木さんがお返しを渡されているのを見て、私もなにかお返ししたいと感じました。だからです」

「お返しって、何の?」

「……五津木さんとは、この一年でいろんな話をしました。私は、その時に……そう、ですね。……あの、すみません、言葉にできません。けれど、あなたに返すなにかを探したいと。そう思えるものを、私は感じたのだと思います」

「そんな、そんなの……」


 言葉につまった。

 私も、言葉見つからない。いつもそうだ。八十君を見ていると、言葉がどこかへ隠れてしまう。

 だけど伝えなきゃ。私、私はーー


「ありがとう。うれしい」

「はい。どういたしまして。……また、つばめの巣を見に来ましょう」

「うん」


 ここは寒いからと、そのあとすぐに自分達の教室に戻ることにした。教室まで戻る道を並んで歩いている間、なにも話すこともできずにお互い黙ったままだった。

 いつか、遠くない未来で、八十君への伝える言葉を見つけられるだろうか。


「……あれ?」


 教室の自分机の前に立って、違和感に気づいた。

 私はサルシス君と学君からのお返し、二つを置いておいたはずだ。それが三つになっている。

 誰か、間違えて置いたのかな?

 持ち主の名前がわかるものはないかと探してみると、小さなメッセージカードがついていた。


『ボブ子さんへ』


 メッセージカードを読んで、慌てて廊下の外まで出てみるがそれらしい姿は見当たらない。

 啓太先輩が机の上に残していったお返しは、かわいいうさぎの人形が付いたキーホルダーだった。


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