10月 文化祭/少しぼやけた先のこと
ほんのついさっき、落ち込んでいた子がもう笑っている。
妹はピョンピョンと跳ねるように歩きながら、まるで当然のように隣の人と手を繋いでいた。
「お腹すいた! なにか食べよう!」
「……食べ物のお店ですか。一つに気になっているお店があるのですが」
機嫌良くつないだ手をぶんぶん大きく振りながら歩いていくセミ子に、されるがままつないだ手を揺らしてくれている八十君。きまぐれなセミの言葉にも律儀に付き合ってくれて、文化祭パンフレットを見ながら真剣にお店を吟味してくれている。
顔を熟したりんごのように染めているセミ子に複雑な気持ちになりながら、私は八十君が差し出して見せてくれているパンフレットのページを見た。
「テニス部が出しているバクダン焼きのお店? 私も行きたかったんだ。ちょうど良ちゃんがこの時間はお店番してるはずだし」
「バクダン焼き? ……それってなんですか?」
聞きなれない言葉を不思議そうに復唱したセミ子は、八十君の方を上目遣いで見ながら尋ねる。
妹の疑問に答えようと口を開きかけていた私は思わず口をへの字にする。口元に手を当てて小首をかしげるなんてかわいこぶる妹、初めて見たわ……。
「バクダン焼きとは見た目は大きなたこ焼きのようなものであるらしいです。中身はたこではなく、チーズや明太子や卵などの様々な食材が入っているようですね。……私も実際に食べたことが無いのでどんな味なのかはわかりませんが、気になります」
無表情ながらも、パンフレットをじぃっと見つめる姿はいかにも興味津々といった様子。前から思ってたけど、八十君って好奇心旺盛だよね。変な味のジュースとか、新商品とか好きなのかな。
好きなメニューばかり頼むタイプのセミ子は得体の知れない食べ物に少し抵抗があるみたいだったけど、八十君がせっかく勧めてくれたんだからと私が言うとためらいながらも頷いてくれた。
テニス部のバクダン焼きは、グラウンド脇の簡易テントで出しているみたいだった。大勢の人が行き交う道をはぐれないようにセミ子の右手を私が、左手を八十君が握って歩いていく。
それなりに並んでいるバクダン焼きの店の列に一番後ろに立つと、セミが落ち着きなそうに前を覗き見てどんな食べ物なのか観察しようとしている。
「ほら、セミ子。あんまり列からはみ出さないの」
「だって気になるんだもん。……お姉ちゃん、食べきれなかったらセミの分も食べてね」
「はいはい、わかりました」
ちょっぴりまだ不安そうなセミ子の背中を押してちゃんと並ばせていると、テニスウェアの上からエプロンを着ている店員もといテニス部員がだらっとした足取りやってきた。そしてだるーんとした態度で、それと同じぐらい間延びしただるだる口調で唐突に注文を取り始める。
「らっしゃーせ。お待たせしてさーせん。先にちゅーもんいただきゃーす」
「え、ええっと、セミ子はプレーンのバクダン焼きを一つと、私が辛口を一つ。八十君はもう決まってる?」
「和風だしを一つお願いします」
「はいはいはーい」
注文を頼むとそのテニス部員はこくりこくりこくりと注文の数と同じだけうなずく。メモもとってないけど、大丈夫なのかな?
ちょっと不安になっていると、よく通る声を響かせながら別の人がやってきた。
「ちょっと先輩! 注文に行ったくせに、伝票もペンも持って行かないとは何事ですか!」
「はいはいさーせん。……今年入ってきた一年が、最近マジえんりょない件について」
「何か言いましたか?」
「言ったけどめんどくさいから言わなかったということで、よろ。あとは頼れる後輩がなんとかしてちょ」
「ああ、もう! サボらないでください!」
後輩の嘆く声もスルーしてひらひら手を振りながらお店じゃない方向へ去っていくテニス部員。
その姿に大きくため息をついてこちらに向き直ったのは、ポニーテールを今日も揺らす良ちゃんだった。
「ごめんね、なってない先輩で。せっかく来てくれたのに……」
「気にしないで。えっと、もう一回注文言った方がいいかな?」
「うん。ごめんね、もう一回お願いできるかな」
伝票とメモをしっかりと手に握っている良ちゃんにもう一度同じことを繰り返す。
それをしっかりとメモした良ちゃんは、改めて私の方をじぃっと見る。そしてにんまりと笑った顔に、思わず後ずさる。
「え、なに?」
「ちょっと思うところがあって~。こちらがボブ子ちゃんの妹さんかな?」
「うん、瀬見子っていうの」
「そっか。はじめまして、瀬見子ちゃん。私はお姉ちゃんの友達の良です。よろしくね」
「はじめまして、お姉ちゃんがいつもお世話になっています」
ちょっぴり腰を曲げて挨拶をする良ちゃんに、私の横から興味津々で眺めていたセミ子も愛想良く自己紹介をする。うんうんと微笑まし気に頷いたかと思うと、良ちゃんはさらにその奥にいる八十君にも遠慮がちに視線を向ける。
「その、練絹君も、うちのお店に来てくれて、ありがとうございます」
「お礼を言われるほどのことではありませんが、どういたしまして」
律儀にぺこりと頭を下げる八十君に、良ちゃんも慌ててぺこんと頭を下げる。
それからすすっと私に身を寄せるとからかい口調でこっそりとささやかれた。
「遠くから見た時、一瞬家族に見えたよ。妹さんと練絹君とボブ子ちゃんの三人」
「……え」
呆然と良ちゃんを見返すと、にやっと笑って良ちゃんはそのままお店の方へと戻っていってしまう。
何か言い返さなきゃと思うけどあまりの衝撃に頭が回らないまま、良ちゃんの背中は声をかけられないほど遠ざかってしまった。
ぱくぱくと鯉のように口を開け閉めしている私に、八十君が透明な表情をこちらに向けてきた。
「いかがしましたか、五津木さん」
「な、なんでもないよ! なんにも!」
「……お姉ちゃん、あんまり変なことしないでよね」
さっきの良ちゃんの言葉なんて言えるわけが無くて、なんでもないとただ繰り返す。それに何の疑問も持たずに八十君は頷いてくれたけど、妹は訝し気な顔をしてこちらを見上げてくる。
列は少しずつ進んでいるけれど順番まではまだ時間がかかりそう。逃げ出したいのに逃げ出せない。
落ち着かなくてきょろきょろと視線を動かしていると、人混みの中で黒いローブの人が目立っているのを発見した。あれもどこかのお店の出し物かな、なんて考えているとその人が近づいてきてとうとう私の前に立った。
「お困りですね?」
「えっ、はい。って、え?」
「お困りですね?」
「……その声、イトちゃん?」
黒いローブの下で口元が笑ったかと思うと、顔が上がってにやりと良ちゃんと同じような顔で笑うイトちゃんがはっきりと見えた。
「どうも。通りすがりの占い同好会です。お店の待ち時間の間、ちょっと占ってみませんか。これがたったの50円!」
「え、占いってそんな気軽にできるの」
「気軽にやったもんがち。水晶玉はここにあるよ」
イトちゃんの手の中で揺らされている水晶玉は、ただのガラス玉にしかみえない。こんなミステリアスの欠片も怪しさもない青空の下で占いってやるんだ……。
微妙な気持ちで眺めていると、ぐいぐいと横から腕を引っ張られた。見るとセミが目を輝かせてイトちゃんの方を見つめていた。
「私、占ってほしい!」
「あれ、ボブ子ちゃんの妹さんかな?」
「瀬見子です! 小学生です! 恋愛運を占ってください!」
「なるほどなるほど。女の子にとって恋愛運は大事だもんね。もちろん占ってあげる」
イトちゃんはそう言ってガラスの玉を両手で包んで目の高さにまで持ち上げた。そして何かを透かすように目を細めている。
「ふむふむ。わかりました……。セミ子ちゃんは今、恋に恋している状態ね。たくさんの男の子と恋愛はするけれど、本当の恋を見つけるのはもうちょっと先かも。でも心配しないで。セミ子ちゃんは恋を掴める人だから、これだと思う運命の人とちゃんと結ばれるはずだよ」
「そうなんだ!」
真剣な口調でそれらしいことを述べるイトちゃんと、素直にうなずくセミ子。
……セミは朝の占いも欠かさずにテレビでチェックするけど、私はあんまりそういうの信じてないからなぁ。
ぼんやりと二人の様子を見ていると、セミ子が100円分の文化祭チケットを取り出した。
「じゃあ、これ代金です!」
「あ、セミ子ちゃん。占いは50円だよ」
「いえ、お姉ちゃんの分の恋愛運も占って欲しいんです。占ってあげてください」
関係ないと思っていたら、急に話を振られて驚いてしまった。えっとセミ子の方を見ると、なぜか得意そうな顔をしている。そしてこれまた意味不明なことに、セミは八十君の方にも話を振った。
「練絹さんも気になりますよね! 占った方がいいですよね!」
「……そうですね」
興味深そうにゆっくりと肯定の言葉を口にする八十君に、心臓がどきりと跳ね上がる。
八十君はいまだにセミと繋いでいるのとは反対の手で、ポケットから文化祭チケット50円分を取り出した。
「私も占ってほしいと思いました。これでお願いできますか」
「あ、恐縮です」
イトちゃんは畏まって両手でチケットを受け取る。
……一瞬、八十君も私の恋愛運が気になるのかと思った。びっくりした。
「じゃあ二人分だね。どっちから占おうか」
「わ、私はあとでいいよ。練絹君が先にどうぞ」
「そうですか。それではお願いします」
まっすぐと向けられた八十君の赤い瞳にイトちゃんは一瞬気圧されたようにうっと呻いた。気持ちを落ち着けるように深呼吸したかと思うと、イトちゃんはさっきと同じように水晶玉を目の高さまで持ち上げた。
「えっと、練絹君はどんなことを占って欲しいですか?」
「特に希望は無かったのですが、それでは、今日の運勢で」
「今日の運勢でいいんですか? ……じゃあ、それで」
もう一日の半分の終わってしまったけれど、今日の運勢を聞く八十君。何かを占ってほしいというより、占いというものを経験したいって感じみたい。
イトちゃんはちょっと戸惑ったみたいだけど、八十君の注文を了承して占い始めた。
「練絹君の今日の運勢は――最高です。いろんな新しいことを経験して、これからの糧になるでしょう。さらには待ち人に会えるかも。出会いは大切にしてください」
「待ち人、ですか」
八十君がぱちぱちと瞬きをしながら、イトちゃんが言った気になる言葉をなぞる。
とんと隣のセミ子が私の腰のあたりを突くけど、「待ち人」という言葉が気になってそれどころじゃない。いや、ただの占いなんだから深い意味なんて無いんだろうけど。
靴先でグラウンドの砂を突いていると、「じゃあ次はボブ子ちゃんの番ね」と声をかけられた。恋愛運なんて、どうでもいいはずなんだけど。
「うーん、ボブ子ちゃんの恋愛運は複雑ですね。がんばれば最高の結末を手に入れられるけど、一歩間違えればショックな出来事が起きてしまうかも。周りの事をよく見てね。あんまり背伸びしないのが吉で、ありのままの自分を受け入れてもらおう」
「え」
だけどイトちゃんの占い結果に動揺する自分もいた。
複雑って、どういうことなんだろう。つまり悪いってことなのかな? いや、でも、この占いが当たるというわけでも無いし。
もやもやしていると、いつのまにかすっかり進んでいた列の先頭に来ていて次のお客様として呼ばれてしまった。
「じゃあ私はこれで。そこらへんふらふら歩いて占ってるから、気になったら探してみてね~」
ひらひらと手を振るイトちゃんに手を振り返して、私達はカウンターへとバクダン焼きを受け取りに行く。
「お待たせいたしました。バクダン焼きのプレーンと辛口と和風だしの三つです」
ポニーテールがよく似合っている女の先輩がにこやかに紙パックに入ったバクダン焼きを手渡してくれた。受け取った手のひらがほんのりと熱くて、ふわっとソースの良い匂いが立ち上っている。
三人分の代金のチケットを渡して、どこかで座って食べようということになった。
「ちょっと行儀が悪いけど、あそこの花壇のへりに座って食べようか。ちょうど陰もあるし」
この日のために設置されたベンチはどこも人で埋まっていて、三人並べる場所はありそうにない。
土が服につかないように手で払ってから、三人並んで腰かけた。
「あ、これおいしい! おいしいよ、お姉ちゃん!」
「良かったわね」
食べる前はあんなに警戒していた癖に、一口食べたかと思うと嬉しそうにソースを口横にくっつけて報告してくる。
ちらりと八十くんを見ると、美しい所作でバクダン焼きを一口大に箸で切り分けながら食べていた。切ることもせずそのまま箸で持ち上げてかぶりついて食べていた私は、一端姿勢を正した。
ここからは屋外ライブのステージがよく見える。屋外ライブステージは、事前に文化祭委員会に申し込みをした有志が一芸を発表する場だ。いまも二人組の女の子がアイドルの歌を流しながらダンスを踊っている。
ちょうどダンスが終わって次の出場者、というところでステージ周りがざわついた。なにか司会の人が慌てているみたいだけどどうしたんだろう、と思ったところで客席から誰かがステージへと飛び乗った。その人はステージ中央に設置されたマイクスタンドに近づくと一言。
「ゲリラライブだぜ! みんな、お待たせ!」
日差しと同じくらい明るい声で、ステージを見つめる人に手を振りながらそう宣言した。そして音楽もかけず、アカペラで歌い始める。
……遠すぎて顔がわからないけど、聞いたことのある声のような。
「すみません、五津木さん。少し離れます、あとで戻ります」
いつのまにか食べ終わっていたバクダン焼きの紙パックを花壇の上に放り出して、八十君はステージの方へと駆け出してしまう。授業以外で初めて、急いでいる姿を見た。
「……ゲリラライブだめ? なんで? 怒られる? 怒られるのはだめだな! え、逃げるの?」
思ったよりも上手だったアカペラの歌が中途半端なところで止まった。誰と話しているのかは分からないけれど、間の抜けた会話がマイク越しに響いてくる。ステージにいる誰かはそのままステージから飛び下りて消えてしまった。
そして八十君も消えてしまった。
彼が戻ってきたのは短いようで長い五分後。いつも同じ歩幅と調子で歩く八十君がどこか頼りない足取りでとろとろと戻ってきた。
「占いって、すごいですね」
ぽつりと呟いた八十君の言葉に、食べ物の味が一瞬でわからなくなってしまった。
文化祭は、まだ続く。
文化祭編はあともう1話続きます。




