かわいそうなやくざ
天野組の本部は豪勢な日本家屋だった。
車から降りた二人は屋敷の前に立つ。
「油島先生。どうやって忍び込むんですか?」
「やだな、半藤先生。正面突破に決まってるじゃないですか」
くたびれた格安ブランドのスーツを着た豚之介は、本部前に立っていたイタリア製スーツに黄色いペイズリー柄の赤いシャツを中に着た男に命令する。
「【開けろ】」
ぱちんと指を弾くと男は苦悶の表情を浮かべ、脂汗を流しながら抵抗する。
「ふ、ふざけるな……殺すぞ」
男がしている金のネックレスが、じゃらりと音を立てた。
金は重量感があるが、ついている石は天然物にしてはきれいすぎるし、大きすぎる。人工のものだろう。
つまりネックレスも偽物。命をかけるほどのギャラは貰っていなそうだ。
だがそんなことは関係ない。こいつらも敵だ。
「残念ながら、私はあんたらを殺しに来たんですよ。【開けろ】」
「て、てめえ……ヤクザなめてると……てめえの……親も子どもも殺す……絶対に殺す」
男は最後まで抵抗をするが、結局は門を開けてしまう。
すると最期の力を振り絞って男は短刀を抜く。
「ヤクザ……なめてんじゃねえぞ。ここは通さねえ!」
「そりゃ楽しみ。はい、【切腹】」
豚之介は容赦なく断罪する。男は短刀を持ちかえる。
「な、や、やめ、やめろおおおおおおッ!」
男は腹を突き刺すとぷつりと意識が途絶えた。
豚之介は笑顔を崩すことなく男に近寄る。
傷は筋肉で止まっている。命に別状はない。
「やはり自殺強要は精神が焼き切れるようですね。でもこれでしばらくは悪いこともできないし、まあいいっか。さあ中に入りましょう半藤先生」
「ひどい男ですね」
思わず沙樹の口から非難するような言葉が漏れ出た。
「たまにはそういうのもいいでしょう」
この男に人間の心はあるのだろうか? いや、これ自体は義憤からの行動だ。だがあまりに容赦がない。普通の人間の精神で耐えられるのだろうか?
沙樹は豚之介を怖いと思った。だが同時にその暴虐的な内面、暴力性に胸が高鳴るのを感じた。豚之介は安心感を与えてくれる男ではない。だがスリルを与えてくれる男なのだ。
中に入ると武装した男たちが銃を向けた。
「【仲間を撃て】」
ぱちん。豚之介が指を弾いたと同時にヤクザが同士討ちをはじめた。
火薬の光と、炸裂音。血しぶきが飛んだ。
「なるほど、これは大丈夫なのか……なにが違うのかな? 半藤先生は安全なところで少し待っててください」
「油島先生、危険です」
「大丈夫ですよーっと」
沙樹が見守る中、豚之介はその中を悠々と歩いて行く。
余裕のあまりワーグナーの鼻歌まで歌っている。その豚之介のほほを銃弾がかすめ、血が飛び出す。だが豚之介は表情すら変えない。その姿はまるで悪魔。いや死神そのものだった。
豚之介が指を弾くたびに人の悲鳴がどこかで上がる。
血の花が咲き、悲鳴という楽器が奏でる狂気の調が至る所で鳴り響く。
豚之介のすぐ近くに立っていた男が、弾に当たり血を噴き出して倒れた。
とうとう数人が残る。その数人も銃弾を受けて動けなくなっていた。
「ふんふーんふーん♪ ふふふ、ふんふんふーん♪ はい、【その場で山手線】」
生き残った男たちは傷ついた身体を這って集まり、絶望に沈んだ目で合体する。不気味なオブジェクトが完成すると豚之介は興味を失い、一瞥しただけで屋敷に上がり込む。
沙樹は豚之介についていく。障子を開け組長を探す。
スーツはあちこち裂け、顔には弾がかすめた傷から血が流れている。
だが致命傷は一つもない。だからと言って笑っていられる傷ではない。それなのに豚之介は笑っていた。
まさにその姿は死神だった。
豚之介はふすまを開けていく。すると大きな部屋に出た。掛け軸が飾ってある部屋の奥には、和服の老人があぐらをかいていた。
天野の父親と言うには年を取り過ぎている。だがその目は飢えた狼のものだった。
精一杯の貫禄というやつだろう。
「あんたぁ、いったい……なにもんだ?」
「阿屏我王学園の教師ですよ。天野くんのお家に家庭訪問に来ました」
冴えない中年男にからかわれたと感じたのか、老人は顔を真っ赤にする。
実際、豚之介は圧倒的格下である相手を弄んでいた。それほどまでに豚之介の怒りは深かったのだ。
「バカにしてるのかてめえ!」
天野組長は日本刀に手をかけた。
「【動くな】」
天野組長は指ひとつ動かせない。背中に冷たいものが滴った。目の前の男を敵に回してしまった。それは人生最大の失敗だった。もう自分は終わるのだと天野は瞬時に理解した。
その証拠に豚之介は作り物の笑いを顔に貼り付けていた。
たった今、銃弾の雨あられをくぐり抜けてきたというのにだ。
天野は長い俠客としての人生でこんないかれた男を見たことがなかった。
豚之介はヘラヘラとした声を出す。
「困るんですよ天野さん。うちの生徒を人身売買されちゃ」
豚之介はぱちんと天野の鼻を指で弾いた。
見た目はただの意地悪に見えたが、ゴツッと迫力のある音がして天野は涙を流しながら鼻を押さえた。
「ふ、ふがああああああッ! わ、ワシはせがれのやったことなど知らん!」
この期に及んで天野は嘘をついた。いくらせがれのしわざでも、これだけ悪質な企みを知らないはずがない。
天野がせがれにやらせたのだ。
だが豚之介にとってはどうでもよかった。もう天野は終わりなのだ。
「知らないじゃすまないんですよ。すみませんが今日でこの組、たたんでもらいます」
「お、おい。ワシの知り合いには議員先生もいるんだぞ! それに、うちの組がなくなれば外国からマフィアが……」
ゴチャゴチャと老人は言い訳する。だが豚之介はそれをバッサリと切った。
「うるせえな。てめえはやりすぎたんだよ。いいから死ね。【海老反りからの一人連結】」
ぱちんと指を鳴らすと老人は海老反りした。バキバキと背骨から筋肉が剥がれ落ちる音がする。
老人は海老反りになりながらも、さらに身体を反る。そして最期とばかりに首を反らせる。パキンと壊れる音がした。
それでも老人は反ることを止めない。最期に魔性の凶器と口腔を連結すると、白目を剥いて停止した。
「なるほど、結果が簡単に予測できないなら、自殺強要すらも可能か」
豚之介は、実験動物でも見るような目で哀れな彫像を一瞥した。するといつもの作り笑いになる。
「半藤先生。終わりましたよ。警察は?」
「すでに呼びました。来る前に終わらせてしまったようですけどね」
豚之介は老人に一瞥もくれず。部屋を後にする。
「油島先生……あなたは天使ですか? それとも……悪魔?」
沙樹は正体を確かめずにいられなかった。
豚之介はまともではない。ヤクザより何倍もクレイジーだ。人間を人間とも思っていない。
今は正義の側だ。でも、もし敵に回ったら……。
確かに暴走する能力者にはミサイルの使用まで許されている。
だが……はたして油島豚之介をミサイル程度で止めることができるのか?
沙樹がそんなことを考えているとは知らず、豚之介は「んー?」と考える。
「ただの教師ですけど?」
豚之介の答えは簡潔だった。沙樹はキョトンとした。
遠くでパトカーのサイレンの音が鳴った。




