25.勇者、村長と墓参りへ行く
新商品を開発した、一週間後。
その夜。ルーシーの部屋にて、緊急の会議が開かれていた。
「このままだと非常にまずいです」
ベッドに座るのは、子供と見まがうほどの小柄な女性、水色髪のハーフエルフ、ルーシーだ。
彼女の眉間にはしわが寄っている。
「まずい……? どういうことだ?」
ベッドには俺とルーシーとが座っている。彼女は風呂上がりなのか、薄いパジャマで、頭にタオルを巻いている。
「あの女のせいで客足が減ってます」
ルーシーがさっそく問題点を挙げる。
「あの女って?」
「……あの黒髪の女ですよ」
「ああ、キリコな」
憎々しげにルーシーがつぶやく。
「あんちくしょうのせいで、人が思うように集まりません」
がってむ! とルーシーが悪態をつく。
「いったいどういうことだ? キリコが何かしているのか?」
「……まあ、実際に見てもらった方がいいでしょう」
ちらりとルーシーが時計を見やる。そろそろ夜の九時になろうとしていた。
「ついてきてください」
俺はルーシーとともに部屋を出る。
その前にばさ、と髪の毛からバスタオルが落ちた。柑橘系のシャンプーの甘いにおいがしてちょっとどきっとした。
やってきたのは宿の食堂だ。
「かんぱーい!!」「もういっぱーい!」「杯を乾かすとかいてかんぱーい!」
冒険者たちが、食堂で酒を飲んでいる。夕食の時間は過ぎたが、その後酒を飲んで、一日の疲れを癒やしていた。
母さんは調理場から酒を持って、あちこちテーブルを回っている。
「ナナさーん! こっちにも酒-!」「酒ついかでー!」「ナナさんこっちで一緒に酒飲もうよ-!」
がやがやと騒がしく、食堂では冒険者たちが飲んでいる。
俺とルーシーは食堂の入り口で、中の様子を見ていた。
「いつもの光景じゃないか」
「いえ、そろそろ来ますよ」
すると……。
はなまる亭の出入り口のドアが、ばん! と開いた。
そこにいたのは黒髪長身の女性だった。
「キリコ……?」
キリコがかつかつかつ、と食堂へと近づいてくる。
入り口にいる俺たちをちらり、と見やると、そのまま食堂へ入る。
「お?」「なんだきれいなねーちゃんがやってきたぞー!」「お酌してくれるのかー?」
と、そのときだった。
キリコは右手を前にさしだす。
すると右手が光り、
「ぶべっ!」「ぶぶぶっ!」「ぶぼっ!」
右手から勢いよく、無数の水の玉が射出される。
その水玉が冒険者たちの顔にぶつかる。
さっきまで上機嫌に騒いでいた冒険者たちの雰囲気が一転して、しんと静まりかえった。
「静かにしなさい」
キリコの声が、静寂に響き渡る。
「今何時だと思ってるのかしら? 夜の九時よ」
キリコが時計を指さして言う。
「あまり騒がないでちょうだい。あなたたちの声は宿の外まで聞こえてるのよ」
冒険者たちが「す、すまねえ」「うるさくしてごめんよ」と謝る。
キリコがふぅと吐息をはくと、
「あなたたち自由業の方たちが騒ぐのは勝手よ。けどそのせいで村人にまで迷惑をかけるのはどうなのかしら? 彼らに申し訳ないと思わない?」
すると冒険者たちが「た、たしかに」「めんぼくねえ」と謝る。
「謝罪は結構。すぐに解散なさい。私からは以上よ」
そう言うと、キリコはきびすを返し、その場を後にする。
ルーシーがギリギリギリ……と歯がみしながら、キリコを見やる。
「なにか?」
「……普通に営業妨害なんですけど?」
ばちばち! とルーシーとキリコの視線がぶつかり合う。
「妨害行為をしているのは冒険者たちのほうでしょう。ここは村の中なの。村には生活している人たちがいるの。ここの人たちが騒ぐと村人にまで迷惑がかかるのは事実でしょう」
「そ、それはそうですけど……だからってあんなやりかたしたら、お客さんは……」
ルーシーとキリコが口げんかしている様を、冒険者たちがじっと見てる。
しまった……とルーシーが口を押さえるが、
「い、いやルーシーちゃん」「おれたちが悪かったよ」「ああ。今日はもう寝るね」
といって、申し訳なさそうに頭を下げると、客たちが酒場を出て行く。
「ああ……。収入が……。酒代が……くぅ!」
彼らの晩酌代は、貴重な収入源だ。それが二十一時という宵の入りで切り上げられてしまった。
当然、収入はそのぶん減る。
あっという間に酒場はガランとしてしまった。
いつの間にかキリコもいなくなっていた。
食堂で、ルーシーが歯がみする。
「……チクショウ」
最初は小さく。
「ドチクショウ!」
次に大きく、ルーシーが吠える。
「あ゛ーーーー! なんなんですかあの女ぁ!」
ルーシーがくわっと目を開いて大声を出す。
「あの女のせいでこちとら商売あがったりですよ! アイテムショップは撤去! 二十一時に酒場は閉店! しかもあの口うるさい女がいるのが嫌だからって、宿を利用しない人も結構いるんですよ!」
ルーシーが怒り狂いながら説明してくれる。
「お、落ち着けルーシー。どうどう……」
興奮する彼女の肩に手を置いて気を静める俺。
ややあって落ち着いたルーシーが、食堂を出て、自分の部屋に戻る。
ルーシーの部屋へやってきて、ベッドにどがっとすわるエルフ少女。
「しかもあの女。見ればわかりますが、冒険者に対してくっそ冷たいんです。宿の場所を聞かれたら知らないとか言うんですよ。知ってるくせに!」
この村の祖先は、迫害されて逃げてきた人たちだ。だから排他的な気質がこの村にはある。
その顕著な例がキリコだ。
なにせ彼女は、この村の代表とも言えるような人間なのである。
「夜の酒場だけじゃなくて、今から村に入って宿を利用しようとする冒険者に対しても、追い返すようなマネをするんですよ」
「そこまでするのか、あいつ……」
村人は基本的に自分から冒険者に話しかけようとしない。
しかしキリコは、自ら進んで冒険者に絡み、村から追い出そうとしているらしい。
「あのちくしょうめ! いったい我々に何の恨みがあってそんなことするんですか! あーーーーーもうっ、やってらんねー!」
ルーシーはベッドにダイブして、横になる。
「もう寝ます! 対策会議は明日です! おやすみ!」
「ああ、おやすみ……」
俺は電気を消して外に出る。
まだ二十二時にもなってなかった。
寝るのには早いが……しかしやることもないので寝るとしよう。
「しかしあのルーシーがあそこまで怒り狂ってるって……。そうとう状況が切迫してるんだろうか」
確かに客数は減っている気がする。
本館は比較的毎日埋まるが……別館のあきが結構目立つ。
客が減っているのは、さっきみたいに、キリコが冒険者たちを追い出そうとしたり、酒場でのああいうふうな態度を取るせいで、それを不快に思った客が出て行ってしまうからだろう。
俺は、宿の人間ではあるが、同時に村人でもある。ルーシーほど、キリコを目の敵にできない。
俺はため息をついて、寝室へと向かうのだった。
☆
翌日。
早朝。
その日俺は目がさえてしまい、五時前には起きてしまった。
二度寝しようとしても無理だった。暇だったのでダンジョンへ、素材や食材集めへと向かった。
宿を出て村の入り口へと向かう。
大通りには誰もいない。夜と同様、しん……と静まりかえっている。
ただ別にこれは、みんなが眠っているからではない。村のみんなが、出払っているからである。
村の人たちの主な仕事は林業、と農業だ。どちらも外での肉体労働。
日が出てない今ぐらいの時間には、もうとっくに仕事を始めているのだ。特に真夏の今はすぐに暑くなるからな。
みんな三時とかには起きて働きに出ている。
なのでまあ、この姿のままダンジョンへ行っても、誰にも会うことはないだろう。
村のみんなが帰ってくるのは七時とかだしな。今は五時で、ダンジョンに行ってかえって一時間もかからないし。
そう思って俺は、外見を変える薬を飲まずに、ダンジョンへと向かった。
ダンジョンで牛型モンスターや鉱物をドロップするモンスターを狩ること一時間。
俺はダンジョンを出て、さて帰ろうとした……そのときだった。
「ユート君?」
女性の、凜とした声がした。
その声の主は知っている。まずいと思った。なぜなら相手が知り合い……というか顔なじみだからだ。
「き、キリコさん……」
ダンジョンの出入り口にいる俺。目の前の、村へ続く道に……その人、キリコはいた。
「えっと……これは、その……」
まずいところを見られてしまった。
こんな朝っぱらから、ダンジョンの前にいて、いったい何をしているのかと言われたら困る。
高い身長のキリコは、そのまますっ、すっ、と美しい所作で、俺の前まで歩いてくる。
その美しいかんばせを、俺は見上げる。美しさと気高さが同居した、美と恐怖の入り交じったような存在がキリコという女性だ。
眉間にしわを寄せたキリコが、俺に言う。
「挨拶」
「へ?」
「だから、挨拶。朝ひとにあったら、まずは挨拶。常識ではなくて?」
俺は慌てて「お、おはようございます、村長」
と、俺はこの村の村長である、キリコ・シジマにあいさつした。
キリコはキッ……! と俺をにらむ。
俺の体が、知らず体がすくむ。な、なんだろう?
「……村長というの、やめてくれないかしら」
「え、あ、ああ……。うん、ごめんなさい。キリコさん」
言い直す。するとキリコが少し口元を緩ませるが、すぐにキッといつものにらんでいるのか、怒ってるのかわからない表情へ戻る。
「あと敬語も結構。あなたは村の人間。村人は私にとって家族のようなもの。あなたは母親に敬語を使うの?」
「いえ……使わないで、」「敬語」「使わない……よ」
キリコがうん、と納得したようにうなずく。
俺は改めてあいさつをする。
「おはよう、キリコ」
「おはよう、ユート君」
キリコが、俺を見て、微笑をたたえて、そういった。
「…………」
すぐにキリコが、元の表情へと戻る。じっ、とキリコが俺のことをにらんできた。
「な、なに?」
「汗をかいてるわ。動かないで」
キリコはしゃがみ込むと、懐からハンカチを取り出す。
ふわりと大人の女性の、甘いにおいが鼻腔をくすぐる。俺の額の汗を、ちょんちょん、とキリコがぬぐってくれた。
「暑い日に帽子もかぶらず外出するのは自殺行為よ。次からは帽子をかぶって外出なさい。それと汗を拭くもの、そして水。そうしないと倒れてしまうわ」
淡々とキリコが、俺に注意事項を述べてくる。ただそれは別に怒ってるのではなかった。俺の身を案じてのこと……だろう。
しかし顔つきが、常にナチュラルに怒ってるように、眉間にしわが寄ってるため怖い。
「き、気をつけます……」
するとキリコの柳眉が逆立つ。俺なんか怒らせることした「敬語」「あ、ごめん……」
汗を拭き終えると、キリコがハンカチを懐に戻す。しゃがんだときにかかった前髪を、耳にかけながら、立ち上がる。
「ユート君。こんな朝からここで何を……」
と、キリコが、俺が恐れていた質問をしてきたのだが。
「まさか……あなたも?」
とか、なんとか言う。
「へ?」「あなたも【イサミ】さんのお墓の掃除へ行こうとしていたのかしら?」
俺は少しフリーズしかける。だが好都合だ乗っかれと頭の中の冷静な部分がささやいてきたので、「そうだよ!」と答えた。
「…………」
俺の返答を聞いたキリコの顔が、緩んだ。
微笑……というレベルじゃない。口元をつりあげて、目尻を落とし、ぱぁっと花が咲いたような笑顔になる。
「そう、偉いわね。あの人ににて、あなたはとても優しい子に育ったわ。ほんと、あの人そっくり……」
俺に笑顔を向けるキリコ。
だがそれは、俺に、というより、俺の【面影】に向けて笑いかけているように、俺には思えた。
「性格もそうだけど、顔も、ほんと、あの人にそっくりに……」
キリコがスッ……っと俺に手を伸ばしてくる。ひんやりとした手が、俺の顔をなでる。
慈しむような視線と手つきに、くらくらしそうになる。
「…………」
キリコの顔が近づいてくる。口紅の引かれたきれいな唇が近づく。
吐息が顔にかかる。心なしか熱を帯びているように思えた。異様な雰囲気を感じて俺は、
「き、キリコ?」「…………。ごめんなさい。ぼうっとしていたわ」
すっ……とキリコが顔を離して立ち上がる。
「では、行きましょうか」
すっ……とキリコが長い腕を伸ばしてくる。
「行くってどこに?」
「……お墓の清掃でしょう?」
そうだった。
「……まさか違うの? ではなぜこんな朝からこの場所へ?」
と疑念を向けてきたので、俺は「行きます! 行きましょうキリコさん!」
といって、キリコの手を取る。
彼女は「敬語」と注意してきたけど、微笑を浮かべて、俺の手を握り返してくる。
こうして、俺はキリコとともに、お墓へと向かうのだった。
☆
この世界で人間として生きている以上、【終わり】の瞬間は等しく訪れる。
生きていればいずれ死ぬ。そして死者は、この村では木の棺に入れられ火葬され、遺骨は地面に掘って埋めることになっていた。
この村のご先祖様が転移者、つまりルーシーと同じ【チキュウ】、それも【ニホン】という場所出身だったからだろう、埋葬の方法もそこに準じてるようだ。
墓はダンジョンを中心点にして、村のちょうど反対側にあった。
だからダンジョンのそばにいた=墓へ行く途中と、キリコは解釈してくれたのだ。
森の中を歩いていると、木々の開けた場所に出る。
そこは大きな湖があって、その周りに、石が地面にいくつも突き刺さっている。
この石ひとつひとつが墓石であり、その下に村で死んでいった人間が埋められている。
「…………」
キリコはまず、湖のそばの見晴らしのいい場所にたっていた墓石の前に立つ。
墓の近くにあったバケツを持って、湖から水を汲んで、適当に墓石にバシャッ! とかける。
「行きましょう」
「あ、ああ……」
俺はキリコとともに移動する。
今度は湖から離れた場所、開けた場所の、隅っこのほう。
周りに墓石が何一つないそこへと、やってくる。
「……おはよう、イサミさん」
微笑をたたえて、キリコが墓石に声をかける。
「今日はユート君と一緒なの。彼が手伝ってくれるそうよ。あなたに似てとっても優しい子に育ったわ」
バケツを置いて、しゃがみ込む。
キリコはまず、墓石の周りに生えている雑草を抜いていく。
俺もキリコと一緒に雑草を抜く。ある程度抜き終わって、もういいかと腰を上げようとした。
するとキリコがキッ……! とにらんでくる。
「ど、どうした?」
「駄目よ」
ふるふる、とキリコが首を振るう。
「駄目って?」
「まだ雑草が残っているわ」
すっ……と指をさすキリコ。
「確かに残ってはいるけど、どうせそのうちまた生えてくるんだから……」
「いけないわユート君。それは怠慢よ」
キリコが俺の目をまっすぐ見て言う。
「何も完璧を求めてるのではないわ。手を抜くなと言っているの」
「それって……同じ意味じゃないのか?」
「全然違うわ。どうでもいいやという甘い考えは魂を腐らせクズにするの」
クズと来ましたか……。
「私はイサミさんの息子であるあなたに、クズになってほしくない。だから手を抜くなと言っているの」
そう……イサミとは、俺の父さんの名前だ。
イサミ・ハルマート。
この墓は父さんの墓だ。
ちなみにさっき適当に水をぶっかけていたのは、キリコの両親の墓である。
「天国にいるイサミさんに、ユート君がクズになっている姿を見せたくないの。だからつらくても雑草取りを頑張りましょう」
キリコからは有無を言わさない圧を感じた。
「わ、わかった」
俺はしゃがみ込んで、あたりに雑草が1本もなくなるまで、草を抜き続けた。
ややあって草がなくなった後は、墓石をぼろ布で丁寧に拭いていく。
これも一切の妥協を許してくれなかった。少しでもホコリがあれば「ユート君、ここまだ拭いてないわ」といい、
「ここにも」「ここも」「こんなところにも」といって、墓石を全体的に、ぴっかぴかになるまでふかされた。
さっき両親の墓に水ぶっかけただけで終わったのと、大違いの丁寧さだった。
ややあって墓石をきれいに磨き終えた後、「及第点ね」と頷いていった。
これでまだ及第点なのか……と俺はキリコの執念深さに戦慄した。
「さてお供え物を……しまったわ。持ってくるの忘れてしまった」
どうしましょう……とキリコが困っていた。
俺はこっそりとアイテムボックスから革袋を取り出す。
「あの、キリコさん。これとかどう?」
そう言って俺は、革袋から牛乳瓶を取り出す。
「……これは、あの女の宿で売ってる、商品かしら?」
キリコの機嫌がとたんに悪くなる。
あの女とは、母さんのことだ。俺はキリコがなぜだか母さんのことを目の敵にしていることを、知っている。
「うん。でも冷たくてすごい美味しいからさ。父さんも喜ぶと思うよ」
「…………。そうね」
牛乳瓶を、キリコが墓の前に置く。
そしてしゃがんで、目を閉じると、手を合わせる。
「……イサミさん。今日もいい天気よ。あなたは晴れた日が好きだったわね。私も晴れの日が好きなのよ」
とキリコは目を閉じながら、空の彼方にいる父さんに向かって近況を報告している。
「……最近村に来る人が増えてきたわ。それに付随して村の雰囲気が悪くなっているの。けど大丈夫よ。村の風紀は私が正しているから。安心して」
村長であるキリコの言葉は、そのまま、俺たちの頭痛の種でもある。
村長が厳しく村を見張っているせいで……いや、今は墓前だ。あまり他人の悪口はしないでおこう。
「それでね、イサミさん。今日はユート君もお墓の掃除の手伝いをしてくれたのよ。本当にこの子はあなたに似てやさしくていい子よ」
キリコが俺を引き合いに出してくる。優しいとか言われて気恥ずかしい。
キリコはその後も村での出来事を父さんに報告した後、
「……また近いうちに来るわ。またね、イサミさん」
そう言って立ち上がる。
「ごめんなさいね、ユート君。待たせちゃって」
「いや、別に。気にすんな」
「そう。暑い中待たせたのに、気にするなと言ってくれるのね。気の使い方とか、本当にイサミさんそっくり」
にこりと笑みを浮かべて、キリコが俺の頭をいい子いい子となでてくる。
あまり子供扱いしないでほしいが……しかしキリコから見たら、俺は一〇歳のガキだったなと思い出す。
「さて、帰りましょうか」
「ああ。あ、その前に」
キリコは汗をかいていた。俺は袋から牛乳瓶を取り出して手渡す。
「1本どう、キリコさん」
「………………あの女の作ったものは、口にしたくないのだけれど」
くしゃっ、と美しい顔を、キリコは不快にゆがめるが、
「でもそうね、ユート君がくれたものですもの。ありがたく頂戴しましょう」
キリコは牛乳瓶を受け取ってくれた。
「…………。飲み方はどうすればいいの?」
「蓋をこう、指で押すんだ」
「こうかしら? ……きゃっ」
勢いがありすぎたのだろう。ぐぐっと蓋を力強く押したため、白濁とした液が、キリコのきれいな顔にかかる。
「べたべたね。けど……んっ、甘いわ」
言うまでもないが卑猥なニュアンスはいっさいない。キリコが顔にかかった牛乳をぺろりとなめただけだ。
「これはなに? 牛の乳のようだけれど、果実のように甘いわ」
俺はルーシー考案の新商品の説明をする。
「これはフルーツ牛乳って言うんだ。牛の乳に果実の汁を混ぜてる」
「そう。んっ。甘いわ」
こくこく……とキリコがのどを鳴らして飲む。両手で瓶をつかんで、ちびちびと飲んでいるのが、なんだか小動物っぽくてかわいらしかった。
「何か?」
「いや、なんでもないよ」
「そう」
フルーツ牛乳を、気づけばキリコは、一気に飲み干していた。
「…………」
俺を、というか俺の持っていた革袋を、じいっと見つめている。心なしか物欲しそうにしていた。
「まだおかわりあるぞ?」
「……そう。じゃあ、もう一本いただこうかしら」
ふいっと顔をそらしながら、俺からフルーツ牛乳を受け取るキリコ。
よほど気に入ったのか、その後ももう一本飲んで、合計で三本も飲み干してしまった。
「……不思議。ミルクの口当たりのよさと、果実の甘酸っぱさが渾然一体となって、とても不思議な味になっているわ」
「美味いだろ?」
「……そうね。端的に言えば」
からになった瓶を回収する俺。
「良ければ宿でいっぱい売ってるし、たまに飲み来たら……」「それは結構」
弛緩していた雰囲気が、いっきにぴしりと引き締まる。
彼女からは、表面的でなく、体全体から、拒否拒絶の意思がにじみ出ていた。
「私は用がなければ、あの女の店になんて、足を運ぶつもりは毛頭ないわ」
そこには意固地さ……というか、確固たる意思があった。
絶対にいやだという、鋼の意思があった。言葉に重みも、堅さもあった。
「なあ、キリコさん。まだ母さんのこと、嫌いなのか?」
「…………。ごめんなさい。あなたのお母さんなのに」
キリコは俺の問いに答えずに、ごめんと謝ってきた。それは何よりの、肯定の意思表示だった。
「……私から奪ったあの女を、好きになれるわけがないわ」
ぎり……と歯がみしてキリコが言う。
その表情には普段の厳しさはなく、純粋な憎悪の念が浮かんでいた。
母さんが、いったい何を奪ったというのか。
何を奪われたら、ここまでキリコは、母さんを目の敵にするのだろうか……?
「それに最近はあの商人もあの女の宿にいるのよね」
「ああ、ルーシーのことか」
「あの商人とも私、好きになれないわ」
「そりゃまたどうして?」
「なんというか、相手のことを気にもとめず、自分のしたいことを押しつけてこようとしてくるところが好きになれないの。そう思わない、ユート君?」
「いや、まあ、そうっすね……」
同族嫌悪という言葉が脳裏でダンスを踊っていたのだが、無視することにした。
「……長くなってしまったわね。そろそろ帰りましょうか」
空を見上げれば、すっかり朝日が昇っていた。そろそろ朝の仕込みをする時間だ。
俺は頷くと、キリコが手を伸ばしてくる。
俺は彼女の手を握り返して、村へと戻るのだった。
お疲れ様です。
次回から村人、というか村長さんをなんとかしようと動いていきます。
その中で主人公やナナミの過去をかけていけたらなと思ってます。
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ではまた。




