6-1 痛苦 のち 狂嗤
「ぐ、グァッ!」
ヘルメットの中に、口から逆流した胃酸の酸っぱい匂いと一欠け摘まんだチョコの甘い香りが混じり合いながら広がる。
膝から崩れるようになりながらも、今“狙撃された”ばかりの身体を強引に動かし、近くの給水場のコンクリート製の陰に転がり込んだ。
ごろごろと転がるコンクリートの地面に赤い筋が走る。
「う、撃たれたっ!?く、くそ、完璧読まれてたってことか?」
音からすれば都合3発。
内2発が着弾。
ぎり、と歯ぎしりをする「騎士」は盾で体を隠し、今の状況を確認する。
殺気を感じて身を捩ったのは野性的な直感である。
胴に当たった1発は、特殊部隊装備の防弾性能と本人の反射神経で身を捩ったことで幸いにも、肋骨周辺に薄くヒビが入った程度のダメージで済んでいた。
もちろん、それは内臓への深刻なダメージがないというだけの話で、ずきずきと絶え間なく響くような痛みが茂を襲っている。
ただ、それよりも深刻なのは、もう1発の方であった。
右足大腿部、そこのプレートが薄い個所へと、弾がめり込んでいる。
「いちち……。へへ、こりゃキッついな」
右手でぎゅ、と強く押さえた箇所から、だくだくと血が溢れている。
最悪なことに、どうやら弾が貫通することなくそこにまだ残っているようであった。
「削られてる、ってわかってるんだが。仕方ない、「ヒール」!」
ぽわ、と負傷箇所を強く押さえたそこから淡く光が零れる。
めりめりと肉が盛り上がるのにつれ、弾が傷口を擦りながらゆっくりと外へと出てくる。
「……ふっ、く!ぐぉ、ぉぉぉ……っ!」
ぎりぎりぎり、と歯ぎしりの音が頭蓋を通して耳へと届く。
傷を治すだけならばそういった痛みはないのであるが、本来存在しない異物が治療箇所にあった場合は別である。
その異物が、外へと押し出される過程で、傷ついた場所をそっくりそのままなぞって外へと排出されるわけで。
今回の場合、弾が“鮮度抜群、ただ今ダメージ負いたて!”といわんばかりの場所をゆっくりと余すところなく擦りあげていくわけだ。
はっきり言って拷問の一種に近い。
それは、口を閉ざさねば悲鳴の一つも上げたくなるものである。
かちゃん……。
給水用の排水口へと真っ赤に染まった弾が転がり出て、小さく音を立てる。
すぐに対応したことで流出は最小限となってはいるが、「ヒール」ではなくなった血液は復帰しない。
軽く血を失い、血の気のうせた感のある乾いた唇を舌でなめる。
胃酸の不快な酸味がまだ口の中に残っていた。
(……やべえ、な。どうする?こっから)
3階から飛び出してとにかく近くの黒装束からぶっ飛ばすというシンプルなプランで突っ込んだわけだが、完全にそれを見透かされている。
「気配察知:小」で周りを確認する限り、未だ生徒・教職員が安全区域まで逃げ延びられている感じではなく、さらに言えば黒装束の奴らがどうやら集まり始めているようであった。
単身で攻めるわけでなく、集団で面制圧を目指しているのだろう。
「ちょっと、様子を見ようにも、と」
軽く給水場へと飛び込んだときに散乱したバケツを手に取る。
徐にそれを真上へと放り投げると。
タァァン!
ガララン!!
先程まで元気だった2-Aとマジック書きされていたバケツ君が、2●Aとど真ん中に大穴を開ける大胆なイメチェンをしていらっしゃる次第だ。
「ここに釘付け、ってわけか。コスいことしてくるもんだわ、全く」
はぁ、とため息を吐く茂。
だが、ここを乗り切らねばならないのである。
つい数日前までの、今日の夕飯何食おうか、と悩んでいた生活を懐かしく思う、そんな夜だった。
「現実逃避してる暇は、ないって、……おお?」
ピィィィィィッ!!
強く良く響く指笛の音が耳に飛び込んでくる。
音の先を見ると、校舎につながるボイラー室の重厚な扉の向こうから、女子生徒が顔を出している。
しかも一人ではなく、一番前に陣取るのは「聖女」白石深雪であった。
指笛を鳴らしたのはその横に屈んでいる「聖騎士」堀田里奈だ。
無機質なヘルメットであっても、顔の向きは解る。
それが自分たちを向いたところで大きく手を振る彼女たち。
「そこまで来いってのか?無茶言うぜ、お前ら……」
おそらく彼女たちも捕まらずにどうにか逃げおおせていたのであろう、表情にさほど拘束されていたような強い疲労感などを感じない。
(行けるか、どうか。あそこまで駆け抜けて3秒弱。……射角からすると、2、3発食らうかもしれんし)
ふと腰に触れると、あるものが手に触れる。
この場所で使う予定ではなかったもので、補充できない備品。
そして数は3個。
(今が使い時。……使わずにゲームオーバーってのもアホだしな。賭けてみるか)
ゲームとかでも手に入れたアイテムを使わずにあとあとまで取っておくタイプの茂としては、もったいない精神が働いてしまう。
だが、ここは現実でリトライは当然、不可能。
ならば出し惜しみするのは下策である。
(ははは!ここでも、貧乏性が出るってのが情けないんだけどな)
自虐的な感傷のこもった笑いがメットの中で零れる。
だが、一か八かをもう少し割のいい賭けにするためのいかさまアイテムを使う時だ。
(上手いこといってくれよ!)
そう決意して茂は腰からそれを外した。
「何とかこちらまで、来てっ!」
幾分焦ったような声色で独白するのは里奈である。
彼女は元々「聖騎士」なぞというものであった為、茂がこうもいいように状況に流されているのにいらだっていた。
窓から飛び出したところを撃たれた瞬間に、なぜ避けることができなかったのか。
すぐに逃げるというプランを取れなかったのか、と。
だが、すぐにその考えが浅はかだと忸怩たる思いに陥った。
(そうか、あの人。そういうことが“できる”ところまでは行っていないんだ)
そこに思い至るまで、幾分かの時間を要したのである。
彼もできて当然と、思い込んでいたことが実は全く違うのだということに。
それについて話をされていて、実際に見ている他の4人と違い、伝え聞くだけの里奈では認識に誤差があった。
要はチート満載の彼女たち「勇者」側であれば難なくこの状況を切り抜けられるのだが、「一般兵士」止まりの杉山茂ではそのハードルが高すぎるのだ。
天才を凡人が理解できないように。
凡人の上限を天才も理解することは容易ではない。
だからこそ、彼はみっともなく無様に見える。
いつもいつも一生懸命必死に足掻いている。
足掻いて足掻いて足掻きぬいて、そしていつも。
どうやってかいつも必ず彼女たちの足元までは辿り着いてきていた。
だから、今回もきっとそこまで来ていると思い込んでいたのだ。
カカァン!
「光速の騎士」が右手を振る。
その手から地面を這うように放られた、ダークグリーンの缶状のそれが地面に転がり、音を立てた。
その瞬間、その缶から激しく煙が吹き上がる。
「煙幕!?」
周囲を見ている深雪が叫ぶや否や、煙の向こうにいた「騎士」の姿が動く。
だが、事態を理解した狙撃手たちが、一斉に手に持った得物に命を吹き込む。
タタタタァァン!!
煙幕の中目掛けて乱射する。
目測だけでどこに当たるかを計算せずに只々、運任せで一斉に。
「ひぃぃっ!!」
ボイラー室の奥で、蹲った小柄な少女が頭を抱え悲鳴を上げた。
髪をアップにした黒縁のメガネとマスク姿の島上愛結という吹奏楽部の少女だった。
少し風邪気味で咳がでて部活を早々に抜けて帰るところにこの事件に巻き込まれたとのことで、偶然出くわした里奈と深雪が保護して隠れていたわけだ。
あまり荒事に慣れている様子でもなく(というか普通の学生が慣れているわけがないのだが)、事件発生から常にびくびくとしていた。
そこにこの銃撃戦。
彼女からすればたまったものではないだろう。
ドサァァァッ!!
突進してきた勢いのまま、ボイラー室の厚い扉の中に「騎士」が地面を土ぼこりを立てながら転がり込んできた。
「だ、大丈夫ですか!?」
それに駆け寄る深雪と里奈。
「ああ、とりあえずはな」
おそらく飛び込んでくるまでの間に銃弾がかすめたかしたのであろう、彼の右腕から新しく鮮血が右手の指先までを染め上げていた。
「止血をします」
「いや、いい」
近寄ってきた里奈を怪我をしていない側の手で押しとどめると、そのまま彼女たちを見る事無く、蹲ったままの島上愛結へと歩を進める。
なぜかその様子がどこか切羽詰った雰囲気を感じる。
「あの、「騎士」さん?」
里奈が不思議そうにその行為を眺める中、「騎士」が急に全力で動いた。
蹲る無防備な少女へとその真っ赤になった手を伸ばし、襟首を掴む。
「なっ!!?」
里奈と深雪の驚愕の声が揃う中、血に染まるその右手で可憐な少女を持ち上げ、油の染みた壁へとその少女をどんっと叩きつけた。
「けはっ!」
衝撃で少女が苦しげに息を吐き出した。
その時、メガネが床に落ち、顔を捩ったことでマスクも宙を舞う。
血に染まった右手で押し付けられた手が銀嶺学院の制服の襟元を汚している。
傍から見れば、それは狂った男が可憐な少女に暴行を働こうとしている瞬間以外の何物でもない。
当然そんな暴挙を「聖女」と「聖騎士」が許すはずもなく。
「何をしているんですか!?杉山さん!すぐに島上さんをはなしてください!!!」
鮮血の「騎士」に縋りつき、その腕を離そうとする里奈を余所に、当の「騎士」は優しさのかけらもない口調で、磔の少女に語りかける。
「島上、か。ふざけてるのか、お前?」
「ふざけて?杉山さん?」
怒気すら感じるその口調に、縋りついていた里奈が一歩下がる。
両手に「騎士」から溢れた血が染みついていた。
「……うふふふふふ!!あっはっはっは!!!!!」
気でも狂ったのか、と言わんばかりの哄笑が島上愛結という名の少女から発せられる。
その狂気に、深雪と里奈がぞっとする。
無害と信じていた少女が、そうではない、そうではないと、今、気づいたのだ。
一しきり笑い、それが終わるとそむけていた顔を真っ直ぐ「光速の騎士」へと向けた。
「ふふ、“あの時”言ったじゃない?しっかり場を準備するって?」
「おお、そうだな。だから、来てやった。来てやったぞ?」
にっこりと歯を剥いて全力の笑顔で少女は微笑む。
島上愛結という名の無害な少女の皮を被った、その少女。
血にまみれた頬をニマニマとしているのが腹立たしさを際出させる。
その笑い顔は、一目で特徴的な八重歯を持った、以前あの公園で見たあの少女のものだった。
マユミ・ガルシア。鮮血の中、嗤う。




