5-1 泡沫 のち 瞬光
――――???――――
ぱくぱくと大きく口を開いて、目の前の子どもが何かをこちらに話しかけている。
子ども?
いや、確かに子どもだ。
少し背伸びした外行きのお仕着せに逆に着られている格好の子ども。
たとえ、顔が能面のようになっていて、口元以外はぼやけた乳白色で覆われていたとしても。
そうだ、子どもで正しいはずだ。
あのお仕着せの服は、猛とお揃いで祖父に買ってもらったものだ。
小学校の低学年くらいまでの家族写真で、よく見た服。
それを着ているのだから、この目の前の奴は子どもで間違いないはずだ。
その目の前の子どもが、大きく両手を振りながら、さらに何かをぱくぱくとこちらへと叫んでいる。
だが、何を言っているのか。
そう感じた瞬間に、ぐいと子どもの前に体が引っ張られていく。
息遣いすら感じられるほどの近くに来た。
だが、必死に何かを叫ぶ子どもの声は聞こえない。
聞こえない。
聞こえない。
さらに近づく。
声を聴こうとその子どもの顔を見る。
乳白色のぼやけた顔。
だが、顔にズームが寄る。
その瞬間、顔の靄が晴れる。
顔全体がずるりと露わになると、その頭部全てが瞳だった。
瞳、瞳だ。
どこかで、どこかで見た。
人の物ではない、独特な虹彩を見せるそれ。
そう、その瞳が鏡のように、覗き込んでいる自分を映す。
そう、映し出されたその瞳に映る自分の姿。
自分のその姿は、まるで…………。
「え?」
霞がかった頭を振って状況を認識する。
目の前にあるのは間違いなく、現実だと。
不確かな夢のような、だが現実ではないといえるのに現実感も確かにある夢のような幻視。
急にその状況から醒めた途端、そのディテールがぼろぼろと崩れていく。
何か、とても大切な、何かが零れ落ちていく。
『どうしましたか?』
耳元のインカムから通信が入る。
不思議そうな顔をした門倉が、こちらへと視線を向ける。
「あ、その。なんかちょっと寝入ったちゃったみたいで」
『?いえ、先程まで普通にしておられたと思いますが』
「……そう、ですか?」
『ええ、お渡ししたものの使い方をレクチャーしていたでしょう?』
アイテムボックスの中には確かに先程まで話を聞いていた品々をひとまとめにしたものが入っている。
そうだ、確かにそのはずだ。
レクチャーされた内容についても一切抜け落ちる事無く覚えている。
ならば、先程の夢はなんだったのか?
(?あれ、なんの夢を見てたんだっけ?うん?)
周りを見渡すと、小さな窓。
そこから外を覗くと空一面に星屑のカーテンが広がっていた。
空気が澄んで、見事なくらいに美しい夜空。
なんと都会ではあまり目にすることのないような、ミルキーウェイまでうっすらとではあるが見えるではないか。
今日の朝みた天気予報の気象予報士さんによれば、移動性高気圧がどうちゃらこうちゃらで、まあ非常に良い天気が明後日まで続くらしい。
その予報通り、見事に雲一つない綺麗な星空が視界一面に広がっていた。
そしてその間にも消えていく何か。
何かが消えることで同じく不安感や焦燥感も消えていく。
(……気、張りすぎてるのかな。疲れてるってのは確かだし。あー。なんつーか、こういう状況じゃなかったら、きっとすごい感動したんだろうなー)
とはいえ、それを見ている者の気持ちが同じく晴れ晴れとしているかどうかというのは、全く別問題なわけで。
カーキ色一色の毛布に体を包んで、できる限り外と接触を拒絶するような姿勢の塊がはぁとため息を吐く。
こういう美しい光景はもっと、ロマンチックな時に見たいと思うのは贅沢なのだろうか。
『……門倉、「ライトニング」、あと5分で現着の予定だ。そろそろ準備と覚悟を決めてくれ!』
耳元から、どことなくイントネーションの若干おかしな日本語で告げられる。
そう、この現実逃避ができるのはあと5分というわけだ。
「了解。あと、「ライトニング」って何?俺のことっぽいですけど?」
つけっぱなしのインカムに向かって話しかけた。
すると、笑い声と共に耳へあてたインカムへと返答が返ってくる。
『HAHAHAHA!!!そりゃ、そうさ!「ライトニング・ナイト」「エンシェント・フィアー」は俺たちの間でも大人気だぜ!!後は、「ブラッディ・クラウン」もな!!』
「どれが何を指してるかなんとなくわかるけど。……横文字にすると、えげつない程恥ずい。……なんだろ、ちょっと泣きてぇ」
『そう悲観することでもないでしょう。そのネームバリューがなければこの一手、まかり間違っても打てはしなかったのですから』
合いの手を入れてくる門倉を毛布のカタマリが、その毛布と毛布の隙間から睨む。
じとりとした湿り気のある視線を一身に浴びているというのに、何一つ気にしたそぶりを見せずに、合皮製の座席にハーネスでがっちり体を縛りつけたスーツ姿で。
そして手にはちかちかと着信を告げる蛍光色を発するガラケーを握りしめていた。
『そうですね、ではそろそろあちらへと連絡しましょうか。かなりの着信数があるみたいですから。皆さん、気が気でないでしょうし』
『ああ、すまんなカドクラ!あの場所じゃ、外部へのオデンワキンシってやつでな!』
『こちらが無理を言ったのだ。気にするな、ロジャース』
隣で同じようにハーネスにくくりつけられた白石グループの警備用特殊部隊装備の男へとそれを渡す。
手渡されたそれを、なにかごてごてした機械へと繋げると、これまたごつい受話器を門倉へと手渡してくる。
昔の平成ヒトケタ頃に使われていた超初期型の携帯電話の映像が頭の中をよぎる。
『……発信します。少しお待ちください』
「俺、そろそろ準備しますね」
少し揺れる床を踏みしめ、天井の低いその場所をかがみながら移動する。
目線の先には、ドア。
「はぁ……。信じらんねぇ、マジか、これってば」
めまいでも起きたかのように、崩れながらゆっくりとドアへと手を伸ばすカーキ色のもこもこした塊。
その手がドアに触れる。
この夜の闇の中、ほんの少しの電子機器のライトの中でも良く見える、“銀色の籠手”に包まれた右手である。
ぴた、と手が止まる。
ゆっくりと右手がカーキのもこもこへと引っ込んでいく。
『……一つ言っておきますが』
門倉がその様子を横目で見ながらインカムで話してくる。
「はい、なんですか」
『当然何度も伝えるまでもないとは思うのですが、危険ですのでドアを開けた後は、その毛布。外してからお降り下さい。説明はしましたのでお分かりとは思いますが』
「……駄目でしょうか。こう、やっぱり恥ずかし……」
『恥をかいたとしてもよりも安全を追求するべし。これをおろそかにすることはどのような事柄であれ、ろくな結果にはなりません。年長者としての意見ですが』
「……はい。そうですね」
ぎゅ、と拳を握る。
程よいフィット感。
さすが元々自分の持ち物であった下地を移植した物である。
ものすごい自分の“型”にフィットしていた。
ただ一つだけ文句がある以外はであるが。
こう、そうだ。
デザインにもう少し忖度をしてもらえなかったのだろうか。
正しく、自分へ合わせるようにしてもらえる忖度を。
『もしもし、門倉ですが』
そんなことを思う中、電話がどうやら通じたようである。
現地到着まで約3分を切っていた。
そんな中、茂は思う。
もう思い出せなくなりつつある、泡沫の幻。
その中でまだ零れ落ちずに残った、子どもの姿を。
―――19:47―――
「いやはや、参ったね……。まさかこの短期間に2回もこんな大事に巻き込まれることになるなんて……」
車のハンドルに顎を乗せて、ぐったりした表情を浮かべる但馬真一。
そのまま首から締めていたネクタイを引き抜き、手に持ったスーパー袋と共に助手席へとぽんと放った。
「お疲れのところ悪いんですけど、結局何かわかった事ってあるんですか?」
後部座席に座る博人と由美は、運転席の真一に尋ねる。
駐車場に置かれたワンボックスの車内で現在の情報共有を行うことになったわけであるが、状況はあまり芳しくないのだろうということが、真一の表情からもありありとわかる。
「……学院の関係者、というか教職員のほとんどがまだ校内にいる時間でね?その時外にいた役職者は偶然市内での会議中だった副学院長一人だけ。あとは運良く外にいた数名の職員のみ。それでこれだけの騒ぎの対応だろ?文字通りてんやわんやってとこさ。辛うじて教育委員会やら学校のPTA会やらがサポートに入ったけど、警察とも話し合いをしないといけなくて、外向けの窓口は全滅に近いね。僕ら保護者への通知も辛うじて触りだけ、って感じさ。正直、まだ何人中に残ってるのか確認すらできてないんだろう」
「丸ごと、持ってかれてますからね。仕方ないでしょう」
助手席からスーパー袋に入った紙パックの緑茶を取り出し、ストローでずずと啜る。
生ぬるいそれは、なかなかに眠気を払うには力不足だった。
「こんな飲み物配るくらいなら、情報収集でもしててほしいんだけどね」
「何にも出さずに、情報もなし。その方がキレる親とか多いかもしれませんけどー」
「どっちにしてもキレた親はいたよ。自分の子供はどうなってるんだってね。わからないから皆、心配してるんだ。声を出してしまいたい気持ちは僕にもわかるよ」
ぐしゃとからの紙パックを握りつぶすと、車のエンジンを入れ、カーラジオを適当なニュースを報じている局へと合わせる。
少しだけ音量を上げたカーステレオからアナウンサーが淡々と銀嶺学院のニュースを報じていた。
「ま、なにも新しい情報は出てこない。……というか向こう側で動きがあるなら別だけど。金銭要求とか、一切ないみたいでね。怪我をしたくなければあのバリア、あの膜に触れるな。それで怪我をしても知らないぞ、ってくらいらしい。ここまで大事になっているのに交渉もできないっていうのは珍しいパターンだね」
「博人的な見解からすると、どうも魔術結界、攻性防御の陣でしょうってことですけど。突破できる?」
「全身ずたずたになる覚悟があればな。ただ、こっちの物でわかりやすく言い換えるとバッテリー式に見えます。時間経過でおそらく消えてしまうとは思うんですけど。まあ、交換用のバッテリーがあれば時間は伸びます。ただ、間違いなく時間制限はどこかで迎えますよね」
「具体的にどれくらいの時間かな?」
身を乗り出して尋ねる真一へ、博人がペットボトルから一口炭酸を飲んで落ち着いてから答える。
「わかんないです。ただ日単位ではないでしょう。一日未満、ってことしか言えません。それ以上時間を延ばすんなら、霊験あらたかな地に常設で陣を敷く必要がありますから」
過去の経験などから博人が類推する限りでは、おそらく真一に伝えた以上に時間は短いはず。
数時間、どんなにもっても半日までが限界だろう。
ただ、こちらの世界の術式のベースが不明の為、予想外の時間延伸の術がある可能性も否定できなかった。
「…!!あ、電話だ!」
由美のスマホが着信音を奏でる。
ちょうど手に持っていたため振動した瞬間に、そのまま通話状態にした。
スマホの表示された通話先は「臨時 茂ケータイ」で登録されている。
車のドリンクホルダーの上にそれを置き、スピーカーモードで全員に聞こえるようにすると、通話先から、えらく騒々しい音が入ってくる。
『…ザザッ……もしもし、門倉ですが。そちらにこちらの音声は、聞こえていますか?』
「?門倉さん、ですか?これ、すごい雑音が入ってくるんですけど!?」
かなり大きな雑音と共に、門倉の声が聞こえる。
それを考えて少しばかり大きな声で返事をした。
『現在、「光速の騎士」と合流。あと3分少々で銀嶺学院へ現着予定です!「騎士」のみを先行させますので、詳細は後程合流してからとします!一旦通話を切りますので、失礼!』
「え、ちょ、えええ!?」
ぷつん、と電話が切れ、スマホの画面上には“相手先切断”の文字が躍るのみになった。
「あ、慌ただしい。しかもすごいうるさかったし。でも3分くらいでって言ったけどこのあたり結構渋滞してるよ?どうやって来る気なんだろう?」
「車で乗り付けたら、囲まれるぞ?逆に動きづらいんじゃないのか?」
むむむ、と思いついたことをそのまま口に出す2人。
確かに間違いなく、こんな混乱のドツボの真っただ中に車で「光速の騎士」を運んできたとすれば、とんでもないパニックを引き起こす可能性すらあるのではないだろうか。
警察の手間暇もドカンと跳ね上がるに違いない。
………らららら……。
遠くから何かが近づいてくる音が聞こえる。
しかもその音がどんどんと近づいているのがありありとわかる。
「……もしかして、と思うんだけど?通話先、ものすごい雑音してたよね?」
「マスコミのヘリは夜ってのもあったし、さっき給油しにどっか行ったはずだよな?」
「警察とかのヘリコプターが新しく来たという可能性もあるけど?」
3人が同時に顔を見合わせる。
ただ、その表情はなんとなく“察した”ものであった。
ガラ、バタ、ドタン!!
転げるようにしてワンボックスから降車し、音の先を見る。
当然、その音に気付いた者たちはそこへと目を向けるわけで。
そしてさらに言うなら、この場所を囲むようにして野次馬の他にマスコミの皆々様がいらっしゃるわけで。
予想した通り、薄い膜に覆われた銀嶺学院の上空にホバリングするヘリコプターが1機。
けたたましいローターが騒音を奏でている。
ネイビーブルーの暗色の外装をしたそれのカーゴドアが、大きく開かれるのを皆が見た。
「おい、アレ。……人じゃねえの?」
淡く光るバリアと、地上からのライトがそのヘリコプターを捉える。
直下からは、拡声器で何かをヘリまで聞こえるかどうかわからないが、それでもがなりたてているようだ。
そのため、肉眼でも辛うじてそれを確認できる比較的目のいい者たちが何人かざわつく。
現場でそれを話している声が、しばし硬直して動くことができなくなった博人たちへと届いた。
背中に冷や汗が流れているのがわかる。
(……うわぁ。マズイ、それはマズイっす、茂さん。引き返せなくなるライン、楽勝で飛び越してます!)
直感的に感じる、マズイという感情の嵐。
なにが、とは言えないが確実に何か今後の茂の人生に大きく影響を与えるであろう状況である気がする。
ただ、実際に現場に立ってみるとその選択しかありえないかも、と納得するほどには良案である気もしていた。
「そ、そうだカーナビ!!」
真一が気づいたように運転席へと戻り車内のカーナビを、ラジオからワンセグテレビへと変更し、チャンネルを切り替える。
クイズ、クイズ、動物バラエティと切り替え、今まさにこの現場を取材している局の生放送のカメラに切り替わった。
由美と博人もその映像を見ようと助手席側から上半身を突っ込む。
流石にテレビ局のお高いカメラはズームもかなり効くらしい。
ライトに照らされたヘリの縁に足を掛けた、カーキ色の外套に包まれた何か、いや博人たちの中では十中八九杉山茂であろうという確信のあるそれが映し出される。
若干のタイムラグがあるが、ほぼノータイムでその映像がお茶の間に流れているわけだ。
「ちょ、超絶目立ってる。いや、てゆーかどっからあの人、あんなヘリコプター用意したの!?」
おののく由美を余所に、わっと拡大されたカーナビを見ている彼女たちの後ろで声が上がる。
何が、と振り返ろうと思った瞬間、カーナビ側も映像が動く。
ばさり、とカーキの毛布をヘリの中へと放り投げ、人影がそのまま飛び降りる。
そこにいたのは、最近皆が見慣れ始めた黒の外套を纏う「光速の騎士」によく似た、全く見慣れない「騎士」である。
肉眼で確認した者は、あまり細部までは解らなかっただろう。
だが、今回に限ってはこの銀嶺学院の事件に集まったマスメディアの方々がいる。
極限までズームされ、それなりに造作を理解できる程度にはわかる解像度で、生放送で報じられた人物の姿。
デザインは「光速の騎士」に似てはいるものの、リファインとでもいうべき各種変更を加えられ、かつシャープになったフォルム。
色彩を銀・白系統で統一しつつもポイントポイントで黒、青といった寒色系を差し込むことでバランスを取っている。
さらに“旧”「騎士」にはなかった鎧の装飾も施されているようで、どちらかと言えば実用品というよりは飾っておくような工芸品的なニュアンスすら感じられるそれ。
ドーム状に覆われたバリアの膜に接触する瞬間に突如として現れた、こちらは黒い一色で染め上げられた実用一点張りの以前より大きな盾。
振りかぶったそれがバリアの膜へ激突した瞬間に、大きく空気が縮れるような音と、閃光が周囲一帯を覆ったのだった。




