2-1 雑談 のち 邂逅
さて、時刻は茂が博人の家に来訪するより少し前にさかのぼることとなる。
「んんーーーーっ!!疲れたー!!」
ロッカーの前で大きく伸びをすると、思わず声が漏れる。
杉山茂は今日もよく働き、よく働き、よく働いた。
朝10時から18時までのシフトの中で、わけのわからない理屈をこねるクレーム客に頭を下げ、チキンとポークの発注ミスを凌ぎ、昼食後の閑散とする時間帯に発生した雲霞のごとき客の群れを少人数でさばいて今がある。
数日に一回ほどある修羅場の日を乗り切り、後片付けやら掃除やら引継ぎやらをもろもろ終えて、ようやく帰り支度に取り掛かれるまでになったのである。
時刻は18時40分を少し回ったところ。
外は既に暗くなり、電灯の明かりと時折走る車両のヘッドライトが道路を照らしている。
それらが道路沿いの店の裏手にも窓越しに日が沈んだことを知らせていた。
「お疲れ様でしたー!お先、失礼しまーす」
バイト先の喫茶店「森のカマド」のスタッフルームに更衣室から、ユニフォームから私服へと着替えて出てきた茂は、ちょうどそこにいた店長の伊藤に声を掛けた。
PCに伝票などの数字を入力している彼は、目線を画面から離さないままで答える。
「お疲れさまー。薄暗くなってきてるし、気をつけてねー」
「ははは!なんかそういわれると小学生みたいじゃないですか。俺もう結構いい大人ですよ?」
「いや、最近は物騒だしね。気を付けるにこしたことはないよ?こないだも一駅向こうでサングラスとマスクで顔隠した全裸コートの変質者、出たらしいからね?」
「なんというか昔っからそういう変態ってそのスタイルですよね。クラシックっていうか。……もげればいいのに」
「そうだねー。もげちゃえばいいのにねー」
かちゃかちゃとキーボードを打つ音をさせながら、茂に同意する。
人に迷惑をかけて自分勝手な欲望を満たそうというのであれば、そう。
もげてしまえばいいと思う。
いや、ナニとは言わないが。
「……バイトに来てる学生さんとかパートの人にも注意するようにって統括エリアから連絡が来ててさ。杉山君にも連絡しとかないとって思ってね」
「女の子がそんなのに出くわした日にゃ、トラウマですよ。ホントに毎年毎年はた迷惑なアホが出てきますよね」
「……いやぁ、こないだその不審者にあったのって男子中学生だったらしいよー。野球部の数人で買い食いしながら歩いてたとこに出てきたんだってさー。だからみんなに注意喚起するようにって指示なんだよねー」
「おおぅ!?」
ぱか、と開いたガラケーを確認しようとしたタイミングでそんなことを言われ、危うく床へと取り落としそうになってしまった。
「え?不審者って男ですよね?」
「目撃証言だと中年のおっさんらしいよ。若い子見つけたら手当たり次第ってことなのかなー?男女問わず被害が出てるらしいし」
「……どういう脳みそしてんだろ?気持ちわる……」
「……そういう不審者って人の嫌がることをしてコーフンするんだって。だから男とか女とか関係ないらしいよ。怖いねぇ……」
PCの横に置いた生ぬるいコーヒーを啜りながら伊藤が感想を述べる。
「……怖いですね。もげ散らかせばいいのに、マジで」
「そうだねー。ホントにもげ散らかせばいいのにねぇ」
切実に思う。
そんな奴はもげ散らかして腐り落ちてしまえばいいのだ。
いや、ナニとは言わないが。
「なんか、ちょっと曇ってきたな。遅くに一雨、くるかなー?」
空を見上げると月がうっすらと雲で隠れそうになっていた。
星も少し数を減じているようにも見える。
「森のカマド」からとことこと歩いて家路へと着いた茂は、家に戻ってから何をしようかと考えていた。
買い出しは特に必要なく、夕食はタイマーセットしてある炊飯器がそろそろ炊き上がる時刻である。
冷蔵庫には先日のバーベキューの時に残った食材を分けてもらい、若干の余裕もある。
簡単に野菜炒めでも作り、インスタントラーメンの上に乗せてかっ込むというのもいいか、と思って歩を進めていた。
(しっかしなぁ。いろいろありすぎて疲れてんだよなぁ。こないだのバーベキューも実際骨休めにはならなかったし。……逆に気疲れしたもんなぁ。俺に“ああいうの”を求められても困るんだよ……)
件の白石雄吾との会談を脳裏で再上映すると、思わずため息が漏れる。
いろいろと便宜を図ってはくれるのだろうが、“あの内容”に素直に頷けるのは余程の英雄願望の善人か、少しばかりイタい大人だと思うのだ。
(……返事は後日って言ったけど、断る方が無難だし。……あと数日したら断りの電話いれておこう。でも、先に真一さんとかに相談した方がいいかな?……した方がいいのか、実際?)
但馬真一は経営者としてはその看板に恥じるべきところは何もないひとかどの人物であるのだが、こと「光速の騎士」関連になると、あの人はイタい大人のような気がしてたまらない。
いや、間違いなくイタいひとだと思われる。
そう考えて、茂は脳内の相談相手のリストから彼の名をそっと削除した。
「……相談できる人がいない。……弱ったなぁ」
腕組みしながら住宅地の角を曲がる。
角を曲がると、一段と明るい照明が茂を明るく照らし出す。
開けた場所にたどり着いた茂はそのまぶしさに少し目を細める。
ぽつんとした少し広めの公園の入り口である。
階段の先には、鉄製の遊具がちらちらと見える。
茂は「森のカマド」から家へと帰る際に使うショートカットのコースだった。
道路をそのまま歩くよりも、公園を斜めに突っ切った方が早いのである。
別段珍しい光景ではなく、朝には学生やスーツ姿のサラリーマンが蟻の行列のようにしてこの公園を横断している。
そのためいつもと同じように茂も公園を突っ切ろうとしたのであるが。
(あ!そういえば、変質者、出てるんだっけ……。うわぁ、公園かぁ……。まさか、いないよな?)
公園の入り口に続く階段の一段目に一歩足を掛けた瞬間に思い出してしまった。
夜、人通りが減る時間帯に、人気の無い公園。
しかもこちらは一人。
不審者さんいらっしゃいと言わんばかりのシチュエーション。
(おお、こっわ!……どうしようかな、本当に出会ったらマジで気持ち悪いしなぁ。遠回りだけどぐるっと道路沿いを歩いたほうがいいかなぁ?)
うむむ、と悩む。
階段にかけた足が2歩目を刻むのを躊躇している。
そんなときに茂は思いつく。
「……「気配察知:小」。……うし、いないな!大丈夫だった!!」
無駄遣いのような気もするが、自身を中心に半径50メートル強の範囲をスキルを使い調べる。
住宅のある方面以外、つまりは公園の入り口から50メートル程度の範囲に人はいないようである。
(半分くらい行ってからもう一度確認して、それで大丈夫なら、いないだろ)
もし不審者が公園中央部の木立の陰に隠れていたとしても、ダッシュで逃げてしまえばいい。
その上で110で警察を呼ぶ。
最近若干警察とかが怖い気もしているのであるが、よくよく考えれば不審者の通報は良き事である。
悪いことをしているのではないのだから、おどおどする必要は全くない。
むしろ胸を張って通報してやるのだ。
お巡りさん、変態がいました、捕まえてください、と。
「……まあいないってのが最高なんだけどな」
とととん、と階段を2段飛ばしで駆け上がり、土の地面をとことこ歩いていく。
まっすぐ最短のルートで反対側の出入り口へと向かう。
少しばかり歩みが早くなるのは仕方ないことだろう。
(さっさと帰ろ。風呂入って疲れを癒そう。今日は疲れたし……)
そんな足早に歩く茂の視線の先に、逆の階段を上ってきた男の姿が映る。
ジャケットにジーンズ、そして黒い革製キャップを被った男である。
そしてこの暗くなった夜だというのにサングラスをかけている。
不審、といえば不審であった。
(……でも、聞いてた恰好じゃないし。多分若い、よな?サングラスはファッション、か?)
聞いていた全裸コートの中年のアホではなさそうだ。
ちょうど公園の真ん中ですれ違うまで3メートルという瞬間に気配察知:小を使う。
少し集中を強くして放たれた「気配察知:小」は半径70メートルほどの距離をサーチして茂へ結果を伝えてきた。
結果としては誰もおらず、反応は目の前のサングラスのにーちゃんだけであった。
若干ほっとしながらそのサングラスの男とすれ違う。
双方が通り過ぎ、1、2メートル歩くか歩かないか。
そんなタイミングだった。
ばさぁっ!
「!!?……っ!!」
突如として男が大きく動いた気配を感じた。
ほとんど有るか無いかわからないほどの警戒心が茂の身体を動かしてくれた。
飛び跳ねながら、体をひねり、男へ体の正面を向ける。
薄暗いそんな中で、茂の視界に“それ”が入る。
(じゅ、銃!?……はぁっ!!?え!なに、どっ、あぁっ!??)
男が茂と同じように体をひねり、その右手に掴んだ拳銃と思しきものを茂へと向けている。
茂は混乱しながらも、大きくさらに体をひねるとその射線上から体をずらす。
みしみしと筋肉と骨のきしむ音が体の中を伝わり聞こえてくる。
ぱすんっ!!ぱすんっ!!
気の抜けた、それでも大きな音が公園に響く。
辛うじて回避に成功した茂の身体の横を銃弾が通り抜けていく。
いや、成功したとは言い切れないかもしれない。
避けた際に大きく翻った茂の上着が銃弾に貫かれ、穴が空いていた。
「く、くっそ!!なんだ、おまっ!!?……はぁっ!!?」
飛びのけた先で、着地と同時に前方にいる男へと接近するつもりであった。
その茂が、踏み込もうとした瞬間、左の腰に何かが触れる感触があったのである。
驚愕の声をあげ、反射的にそちらを見ると、茂のちょうど腰付近にかがみこんだ人影がいた。
その事実に茂の身体が一瞬硬直してしまう。
(な、何だッ!どうい……!!)
そう、この人影は「気配察知:小」を使ってから実質3秒4秒という時間しか経っていないにも拘らず、茂の真後ろに音もなく接触してきているのだ。
つまり最短でも70メートル弱の距離を全く音もなく、3秒4秒で一気に詰めてきたということになる。
驚きで歪む茂の視線を、見上げるようにして迎え撃つその人物の青い瞳が見つめ返す。
口元はマスク、頭には野球帽をかぶったその人物がどこか可笑しそうに笑っているのだけがわかる。
いたずらがうまくいった子供のような目で茂を見ている。
ばじぃぃぃっ!!!!
「ガァッ!!!?」
夜の闇の中でも見えるほどの火花が、茂の背から空に散る。
銃弾で穴の空いた茂の上着に今度は焼け焦げた匂いと共に2つの穴が再び刻まれた。
闖入者の持つスタンガンが、茂の全身に余すことなく電流を流しこんでいる。
全身を貫いた電流が、体の自由を奪っていく。
ぐら、と体を焼かれた茂の上半身が、力を失うように崩れ落ちようとしていた。
だが、しかし。
(……な、なめん、なぁぁっ!!!)
「う、ァァァッッ!!!!」
崩れ落ちる瞬間、ぎりぎりのタイミングで茂のパッシブスキル「状態異常耐性:小」が電撃による麻痺を少しだけだが和らげてくれた。
崩れ落ちそうな上半身を辛うじて支えると、後方にいる2人目の人物の身体目がけ、当てずっぽうで左のバックハンドブローを放った。
どこに当たるかすら不確かな一撃ではあるが、余裕のない中で放った一撃である。
手加減抜きのそれは当たれば間違いなくかなりの威力となるだろう。
「キャッ!!」
小さく、女の声がするのを茂は耳で捉えた。
位置の確認すらせずに放ったバックブローは、ちょうど女の肩口をかすめ、頭部にかけてを勢いよくなぞる様にして大部分が空を切った。
それでも、肩口を掠めた衝撃で、女は押し出されるようにして茂から離れ、更に女のマスクとキャップが宙を舞う。
その手元からスタンガンが地面へと転がり落ちていった。
「ぐぅぅっ……」
とはいえ、一発かまされた茂の身体は、いまだ完全に自由を取り戻せてはいない。
弾かれた女を援護しようとするサングラスの男がすでに茂の目前まで迫ってきていた。
(クッソ!!なんだってんだよ!!)
正直いきなりこんな街中で襲われるような謂れはない。
さすがに昨日の今日でポラン・ワイの一派に襲われるなどということも可能性としては低いのではないだろうか。
ならばここ最近の事件の関係者であろうか。
(……って考えてる場合かっ!)
脳みそが電流で沸いている。
不必要なことまでこの鉄火場で思いついている状況は正直危険であった。
ぱすんっ!!ぱすんっ!!
先程と同じ2連発。
しっかりと今度はその手元を見ることができた。
恐らくはサイレンサーとかいうものが着けられた拳銃が、少しだけ音を消しているのだろう。
「ぐっ!」
体の自由が奪われている茂が完全に回避するには、少しばかり厳しかった。
1発を回避するのに精いっぱいで、2発目が左の腹をえぐる。
体に力が入りきらず、その銃弾が鮮血を散らした。
その痛みが茂の意識を少しだけ“逃げ”へと転じさせる。
相手の異様な登場にもすこし危険を感じたということもあるだろう。
茂は大きく転がりながら、合流した襲撃者2人から距離を取った。
「……マユミ、どうする?」
「く……今日のところはここまでかな」
若干のしびれを感じる体に内心舌打ちしながら、目の前の2人をにらむ。
そんな茂の視線をまっすぐ見つめ返しながら男は、弾かれた女に尋ねていた。
野球帽が外れた女の髪が大きく広がっている。
綺麗なストレートの髪で、マスクの外れた顔立ちは日本人の血は感じるが、海外のDNAも混じるハーフっぽい印象を茂に与えた。
しかも思った以上に若い。
いや、むしろ幼いとさえ言えるのではないだろうか。
10代半ば、ミドルティーンの年代であろう女、いや少女が強い視線で茂を見る。
「何の用だ、お前ら」
自然と茂が詰問口調になるのは仕方ないだろう。
「……思った以上に、超人ってことね。気に入ったわ」
「だから言っただろう。こいつが“そう”だと」
質問に答える気が無いのだろう。
茂を無視して2人で会話している。
「おい!!」
「今日のところは顔見世。また今度、きちんと場を設けるから、その時にお話ししましょう?」
にっこりと笑う少女。
八重歯が見える笑顔は少女の者ではあるが、その視線に乗せられた情念ともいうべきものを茂はなぜか感じた。
この少女は、普通ではない、と。
「くそ、逃がすとでも!」
「残念。逃げるのではないわ。私たちが、あなたを、逃がしてあげるのよ?」
ふわ、と少女の手が茂へと向けられる。
広げた掌を茂へと向けて、笑う。
ぞわり……。
茂の全身に悪寒が走った。
ヤバイ、これは、ヤバイ。
「うぉぉっ!!!」
全力で脇目も振らず、横っ飛びにその掌から逃げるようにしびれた体を跳ねさせる。
「ふふ、正解。じゃあね、「光速の騎士」さん」
少女の掌から何かが茂へと飛んできた。
めりめりめり……。
生まれて初めて、空気が軋む音を聞いたのだと思う。
少女の掌から放たれた何かが、茂の左の脇腹に当たる。
「グァァァッ!!?」
みちみちと引きちぎられるようにして肉がえぐられ、スタンガンなど比較にもならない痛みが茂を襲う。
とっさに抑えた腹は、表面だけではあるがアスファルトで強く擦られたような傷跡となっていた。
鮮血がシャツとズボンを濡らしていく。
「く、くっそ。何だってんだよ……」
ヒールで傷を癒しながら憎々しげにつぶやく茂の見つめる先。
先程まで少女とサングラスの男のいた場所には、野球帽とスタンガンだけが転がっていた。
だんっ、と茂は地面を空いている右手でいらだたしげに殴ることしかできなかったのだ。




