5-了 破扉 のち 消失
ほんの少し、時間は遡る。
それは定良がホールを出た後を茂が追いかけて少しだけ経った頃。
「大丈夫?お父さん……」
ソファに寝そべる男は切れた口元と、紫になった頬へ氷入りのナイロン袋をタオルで包んだ即席の氷嚢で冷やしている。
この部屋の中にいるのはこの船、レジェンド・オブ・クレオパトラを所有するオーナー企業のトップである白石雄吾と、その娘である深雪。さらに護衛兼秘書として同行した門倉と、端の椅子に所在なさ気に座る船長の4名だけである。
この彼らが押し込められた部屋は、VIP用のサブの寝室であるが、主寝室と違い出入口は1箇所しかなく、その扉には外から厳重に鎖で錠が掛けられていた。
ベッド以外にはトイレと小さなバーカウンターが付いているくらいで、外部との連絡が出来る設備はいの一番に壊されている。
高価なボトルを割って武器にすることも出来ない訳ではないが、銃を相手取るにはパンチが弱い。
外を眺める窓は落下防止に一定以上に動かない細工もされており、そこからの脱出も不可能であった。
要するに抵抗するだけ無駄であるといえば話は早い。
「痛っっ。いやいや、しかし殴られたな。……謝罪発表の記者会見までには腫れが引くといいんだが……」
「無理でしょうな。これはしばらく痕が残ります。口の中も切っているのでしょう?入院してから、という訳には」
「いや、出来るだけ早く会見を開く。そうでないと関連会社の株はがた落ちだ。それに進行中のプロジェクトにも影響が出るかもしれない。トップが出て可能な限り早い事態解明のチームの選定も行わないと……」
上半身を起こしかけた雄吾を門倉が押しとどめる。
引っ張ってきたサイドテーブルの上には度数の高い蒸留酒と、タオルを割いて作った布の山。
グラスに注いだ酒に布を浸して、切れてしまった箇所へと軽く押し当てる。
「……染みる、ねぇ」
「本当に応急処置に過ぎませんから。解放されたならばすぐにわが社の系列の病院へ向かいませんと。会見をされるのは構いませんが一応頭部のCT等は一通り行ってからが宜しいかと思います。もちろん、ほかの人質に怪我人がいればそちらを優先するようにします」
「氷、もう少し持ってきます」
深雪は立ち上がると、バーカウンターにある冷蔵庫の扉を開ける。
部屋自体の電源は一般船室と同じ経路を使っていた為、それが切れて非常電源に切り替わったところで、冷蔵庫の電源も切れた。
冷凍庫の氷も少しばかり溶け始めて、少し小さくなりつつある。
それを適当な入れ物へと放り込み、父の元へと戻る。
「あ……」
「あ、ああ……」
ソファへと戻る際に椅子に座り込んで頭を抱える船長と視線が交錯する。
先程どういうことかは聞いた。
人質として家族が捕まっていたということ、それの解放を餌にテロに協力させられていたこと、そしてその結果家族を取り返して用済みになりこの部屋に一緒に放り込まれたこと。
可哀想で、同情すべき点もある。
だが、それと心の奥で感じる物はまた別である。
彼を断罪せんとする意識がある。
父を害され、自身もそのテロに巻き込まれた以上、この心の底で蠢くしこりはどうしようもない。
時間と強い意思でいつか解決できるかもしれないが、きっと大なり小なりこの船の関係者の皆にくすぶっているはずだ。
それを押しとどめ、軽く会釈して父の元へと戻る。
その時には船長の視線は所在なさ気に床の染みを見つめていた。
「氷です。そちらと中身を入れ替えて」
「ありがとうございます。入れ替えたものは洗面所へ捨ててきてもらえますか?」
洗面台へと向かう深雪には遠くに座る船長がひどく小さく見えた。
もし仮に、あの立場となった時に自分はどうするだろうか。
決して悪には屈せず、家族を犠牲にしても正義を行えるだろうか。
きっと彼は今日以降、“犯罪者”として叩かれる。
そのバックボーンを流し読みにして、行ったことだけをセンセーショナルに報じるマスメディア、一部を知った風に語る一般の人々、そして“叩く”だけを全力で行う苛烈すぎるネットの混沌の中で。
白と黒の2色で塗りたくることが正しいと、グレーは決して許されないとする狭量で幼稚な正義感を旗頭に。
彼が本当に守りたい家族にもその手は伸びる。
テロリストが壊したのは、彼の心とそして寄り添うべき聖域でもあった。
そしてそれに止めを刺すのは何時だって、自分が正しいと信じている“普通の人々”である。
「……門倉、顧問弁護士の先生にも連絡を頼む。一般業務に関する風評被害の対応と、今回の事件に対する個人・団体の訴訟に向けた弁護団を。あとは保険会社にもだ。私が検査から戻るまでは幹部会と副社長に一任する」
「わかりました。解放され次第すぐに」
「あとは……」
雄吾はちらりと船長を見る。
未だ顔を手で覆い、うつむいている。
よくよく見れば、手の間からは水が滴り、床を濡らしていた。
低く抑えたような嗚咽も聞こえてきた。
「あとは船長の弁護士の準備もだ。刑事事件専門の剛腕をチームでな。そちらに関しては私の個人資産から出すことにする。会社から金を出せば難癖をつけられるかもしれんしな。当然全てに金は惜しむな。マスメディアやネットにもコナを掛けて動け。情報操作と言われようが一向に構わん!こんなことで私の会社の人間を路頭に迷わせるなどさせてなるものかよ」
「当然ですな。まあ、恐らくその方向で会社は動いているでしょう。皆、こういう時に棒立ちになるほど、腑抜けではありますまい」
にっと笑う2人の大人を少し離れた洗面台で見る深雪は、呆れたようにため息を吐く。
「……そういうとこは変わってないのか、お父さん」
ポツリと呟く深雪の視線の先には床を這うようにして雄吾へとたどり着いた船長が、床に頭を擦り付けそうな勢いで彼らに縋りついていた。
コンコン!
そんな中、ドアが軽く叩かれる。
続いてジャラジャラと鎖がこすれ合う音が聞こえた。
そして強くドアを押したり引いたりするがたがたという音が響く。
「誰もおらんのではないか?」
「いや、そしたら鎖でがんじがらめにする意味ないし。第一、俺のスキルは中に知人がいるってなってるんで。だからまずは、この鎖の鍵がどっかに無いかを……っって!ちょ、待って!!!」
「どこに有るかわからん鍵を探すなぞ、時間の無駄だ。ここに誰もおらんというならそいつらが持って行ったのだろう。ならば、こじ開ける方が早い」
話し合う2人の声がドアの向こうから聞こえてきた。
その2人目のどこかで聞き覚えのある声の主が慌てたながらもう一人を説得しようとしているようである。
すたん!!
どがん!!!
最初は何かが絨毯の敷かれた床に落ちた音。
そして2音目は、視覚にダイレクトに分かる形でそれを表現した。
両開きの扉の真ん中がはじけ飛ぶようにして開かれる。
床には鎖とドアノブが綺麗に断たれて転がっていた。
その真ん中に仁王立ちしているのは、大太刀を持った翁面の武者で、丁度丁寧な細工の施されたドアノブが有った位置に具足に包まれた右足を突き出していた。
間違いなく、高価な美術品と言えるこのVIPルームに有る扉をドアノブを斬り落として、蹴破ったのだろうことが分かる。
「……ほう、本当だな。確かにおったぞ」
「いや、もう少し自重してくださいよ。扉の向こうに誰かいたらどうすんですか?人質救いに来たのに怪我人作っちゃダメですよ……」
ずかずか入って来るのはここ数日TVでおなじみの「骸骨武者」と、「光速の騎士」という謎に包まれた者たち。
ただし、この場にいる深雪だけは後者については普通の視聴者よりも“若干”知ってはいたが。
ただ、このタイミングで彼に会うことになるとは思いもよらなかった。
隼翔の父が数名の同行者とここにいて、後日一緒にあの公園での一件の話をするつもりだと父から聞いてはいたが、個々の名前までは知る由もない。
そんな若干の驚きをよそに「騎士」が、ほかの3人から離れた位置にある洗面台近くの深雪へと近づいてくる。
「よお、久しぶり」
「……相変わらず、そういう感じで来るんですか、あなたは?こんな非常事態でもずいぶん余裕ですね?」
「いや、結構へろへろだよ?何でこんな変なことが起きるんだよ。テロリストに銃で撃たれたんだぞ、俺?」
きょろきょろと周りを見渡すと、大人の男が3人こちらをじっと見つめている。
ほんの少しトーンを落として周りへ聞こえない様に声を潜めた。
「えーと、ネットの写真だとあのソファにいるのがお父さん?」
「ええ、そうよ。すぎ、ではなくて「光速の騎士」さん?」
ぐ、と声が詰まる。
知人にそう言われるのは少し博人達で耐性が付いたと思っていたが、まだまだだったようだ。
「……俺、やっぱその呼び方、嫌いだなぁ。何かこう、すっごい茶化されてる気がする」
「もともと、面白半分でつけられた名前でしょう?そう思うのも当然ですよ。おかしなことに首を突っ込む癖、直さない限り追っかけられますよ?」
「……今回のに関しては不可抗力だ。というか、俺は巻き込まれた側だと思うんだけど?」
「……そういう事にしておきましょう。多分、私の家のせいでしょうから」
軽くじゃれ合う彼らを見ていた雄吾がゆっくりと近づいてくる。
氷嚢を手に顔を冷やしながら初めて会う「騎士」に話しかけてきた。
「初めまして、だね。白石雄吾、その深雪の父だ。“思った通り”、深雪とは知り合いのようだな」
しっかりと意図を読み取らせようとワザとアクセントを強めにして茂へと言葉を掛ける。
「こちらこそ、ですかね。この後、但馬さんと一緒に場を設けてもらって“内密に”お会いするはずだったんですけど。こういう形になるとは思いませんでしたが」
どちらにしろ正体は話の流れ次第で明かさざるを得ないだろうと思っていたので、それに応える茂。
「光速の騎士」の話題抜きで、この深雪の拘束についての説明はなされないだろうとも思っていた。
「……この事態は想定外でね。まあ今日テロに巻き込まれます、などということなど普通は思いもしないがね。明日の昼にでも真一と話をするつもりだったが、悪いが警察などと先約が入りそうでね。少し時間がかかるかもしれん」
「仕方ないですね。でも、落ち着けば話をしてくれるんでしょう?“色々”と?」
「ああ、私の知る限りの“色々”をな。だが、まずはここから出ねばな」
「ですね。それで、ここにいるのはこれで全員ですか?」
そう言うと茂は周りを見渡して全員を確認する。
その中で酷く憔悴している船長を見て思うのだった。
「何か、いろいろとトラブルがあったみたいですけど?」
(いや、流石にカミさんとガキ拉致って、協力しろっていうのはさ。漫画なら普通にイベントとして見れるけど、実際に体験すると胸糞悪い以外に何も思わないっつーの!!)
ごっ!
唸りをあげて頭を狙ってきた触手を掻い潜ると、それへと勢いをつけて斧を思い切り叩きつける。
めり、と表層だけでなく少し芯に近い位置まで食い込ませた斧の刃を、手首をひねりアッパースイングの様にして滑らせる。
ぞりっと音を立てて、削ぎ落としたヘドロの一部が地面へと落ちる。
落ちたヘドロの一部が床一面に広がる瘴気に包まれ、ぼろぼろと崩れ、海上から吹く風に浚われて飛んで行った。
それを見ながらも「光速の騎士」はその場から飛び跳ねる様に跳躍して距離を取る。
ダンッ!!
蝿叩きの形状に似た平たい面の流動体が「騎士」の居た場所を強く叩く。
甲板の頑丈な床板がその衝撃に割れ飛んだ。
「危なっ!?」
危機一髪で回避した彼の横では、瘴気を大太刀の刀身に纏わせた定良が、飛び込む流動体の触手をズバズバと斬り落としていく。
刀身が触れた箇所は、先程の茂の斬りおとした部分と同じくぼろぼろと風化していく。
そして斬りおとされた部分は地面の瘴気でぐずぐずになる。
どう見ても定良の方が圧倒的に効率よく、この神木美緒の変じたキメラに対して打撃を加えている。
(サポートに徹するしかないか。俺の持ち札じゃあ、地道に一歩一歩、削るしかないし)
如何せん、茂には定良の瘴気のような属性持ちの攻撃手段がない。
「ヒール」を纏わせた打撃も本来は回復の術の流用で、そういった用途に使うものではない為、自然と物理攻撃オンリーとなってしまう。
しかも今振るうのは大斧である。
本来の彼の主兵装は槍であるため、本職ではない。
まあ、槍よりも確実に斧の方がこのキメラ相手には使い勝手がいいのも事実であるが。
(そうはいっても、さ!こっちにはスタミナの問題ってのが有るんだよ!!)
真正面から杭の形に変じた触手状の一撃が迫る。
それを掲げた盾で弾く。
「シールド・バッシュ!」
ぱぁん、と弾ける音と共に真上に弾かれたそれは、そのまま鋭い円錐に変じ、真下の茂を狙う。
駆け出したその後に突き立つ槍状のヘドロは甲板に綺麗な穴を空ける。
直撃すれば大けがは間違いない。
「くっ、そ!!」
逃げた先の流動体を斧で叩き切りながら、大きく息を吸う。
連続での攻防は過度の緊張を強いている。
徐々に、茂の体力は削られ始めていた。
だが、それは逆に言えばそこまでになるまで、キメラの側も削られているということに繋がるわけだ。
実際に、船へと上がってきた量はそんなに変わってはいないが、美緒が操る分は幾分少なくなった印象がある。
消費された分量に対して、制御を回復させて自由に使える量が追い付いていないようだ。
敢えて接近戦にこだわらずに距離を自在に取り、飛び込んでくるものを中心に地道に削り落としてきた甲斐があったといえる。
「だが、後は見えてきたぞ。何とか本体を狙えるとこまで、削れたんじゃないか?」
「ふむ、仕掛けるか?」
周りを斬り抜けてきた定良と背中合わせになりながらそう話し合う。
実際問題、船の進行方向にはすでに港の姿が遠くに見える。
周りの光景にも住居の光や、道路を通る車のライトの光もちらほら見え始めていた。
上空を旋回していたヘリは、茂たちが戦闘を始めたタイミングで一時避難している。
何せヘドロの塊が大きくうねってヘリを叩き落そうとしたからだ。
外れたそれが上げた水しぶきはかなり高く、下手をすれば陸上からも見えたかもしれない。
「街中で大立ち回りなんてのはこないだので懲りた。この船の上で片付けたいとは思いますけど……」
「ならば、少し無茶をしようか。ホレ、これでどうだ?」
そう言った定良が茂の斧に触れる。
その手から、斧の刃にずずずっと瘴気が纏わりつく。
刃自体が見えなくなるほどの濃密な瘴気だった。
「……こういう事出来るなら、先にしてほしいんですが!?」
「俺から離れた瘴気を固めたもので、制御が出来ん。そういう類なもので、本体自体へも染みこんでいくのでな。もたもたしておると柄だけを残して腐り果ててしまうだろうよ。まあ、奥の手と言えば聞こえはいいが」
「そういう事か。……使い捨ての自爆技ってことなんすね」
確かに耳を澄ませればぱきぱきと細かな音が聞こえる。
頑丈な鋼鉄である刃を徐々に瘴気が腐食させているのだろう。
ただ、これでなら間違いなく打撃を与えることが出来るはずだ。
「俺が先行する。後ろから潰せぃ!!!」
駆け出した定良に反応し、美緒がグローブに包まれた腕を向けると、一気にヘドロが鞭のようにしなりながら定良を打ち据えようと殺到する。
立ち止まり、弧を描くようにして、飛来するそれらを迎撃。
切り裂いたそれらが、またぼろぼろと風化していく。
だが、今回はキメラ側も怯むことなく次々と定良へと攻撃を集中させる。
茂がいない分、ターゲットが一点に集中したことで攻撃の密度は格段に跳ね上がっていた。
「ヌンッ!!」
太刀を振り抜いた隙を狙って絡み付こうとしたキメラを肩からぶつかる形のショルダータックルで弾き飛ばす。
押し込まれた分の空間を強引に作り出すと、茂がそこへと飛び込んできた。
「跳ぶぞっ!!」
「応!」
だんっと床を蹴ると、一直線に美緒の収まるキメラの本体部へと接近する。
丁度彼女からは隠れて見えない様で、虚を突いた形となった。
ぼろぼろと崩れて床に金属片をこぼしながら斧としての形状をギリギリ保つ、鈍器と化し始めたそれで美緒へと一撃を見舞う。
だんっ!
真横から振り抜いたそれは、ロンググローブの左腕に掴まれていた。
しゅわしゅわと煙を上げながらも、それを握る美緒の膂力は「光速の騎士」である茂が振りほどこうとしても無理なくらいに強化されていた。
(うわ、マジか!そこらの力自慢なら楽勝なんだけど!?それ以上ってことか!)
内心驚愕しつつも、押し合いを続けるのとは逆の左手で首元を狙う。
先程も実行した左手での突きこみである。
だが、それに対して美緒が斧を手放し、体をのけぞらせて離れていく。
「外したか!?ならっ!」
両の手で斧を握りしめると、剣道の面打ちのように一気呵成に攻め立てる。
2撃、3撃と続ける間、茂の周囲へと近づく流動体は定良が切り払っていく。
その分、全力で打ち込んだ彼の攻撃に美緒が若干怯む。
「ウ、ラァアッ!!」
全力で打ち込んだ斧をしっかりと美緒が“両手で”掴み取った。
それを目で見た瞬間に、柄から手を離し、体を沈ませる。
自然、美緒がバンザイの形に腕を上げた上体を下から見上げる格好であった。
(ここだっ!!)
アイテムボックスから槍を逆向きに取り出すと、掴んだ両手に力を込める。
石突きを美緒へと向けて、茂が叫ぶ。
「スラストォォォッ!!」
スキルで強化された突きこみが、がら空きの胸元へと一直線に疾る。
メキィィッ!!
ブローチ目掛けて疾った一閃が、確かにそれを砕いた感触を茂へと伝えてくる。
「よし!これでどうだっ!!」
すると、美緒を包んでいたボディスーツが、ドロリと溶け落ちるようにして地面へと零れ落ちていく。
ぼたぼたと崩れていくその中から、意識を失った彼女が倒れ込んできた。
衣装自体はドロドロの粘着質なヘドロに塗れているが、その体を包んでいる。
口元に耳を寄せると、たどたどしくはあるがしっかりと呼吸音も聞こえてきた。
「おお、どうやら終わったか?」
ぶんっと太刀を振るい、蠕動を続けるヘドロを横目で見ながら近くに転がるテーブルクロスで刀身を拭っている。
「まあ、一応は。この子で多分最後のはずなので……。ただ、あの腹立つ笑い方のテロリスト、どっか逃げちゃいましたけど」
「全く、ペラペラとけたたましい男だったが……。船の中にもおらんか?」
「ちょっと待ってください……。……この近くにはもういないってくらいしか。陸地ももう近いですし、海にでも逃げたのかも」
右肩に担ぎ上げた美緒をデッキに転がるデッキチェアに寝かせると、アイテムボックスからマナポーションを取り出し、一気に呷る。
最後の1本を飲みこむと、舌全体に広がるえぐみと腹の底から噴き上がる魔力の高鳴りを感じた。
(相変わらず……最低の後味ぃぃ)
ふぅと一息ついて、寝かせた美緒へ「ヒール」を掛ける。
念の為の応急処置を行い、その横の甲板に腰を落としたくなるのを必死にこらえた。
「……俺、そろそろバックれるんで。この子のこと、よろしくお願いできますか?」
「まあ、早々にここへ青柳が来るだろうから、言付けるくらいは出来るだろうが……。別に悪事を働いたわけでもなし。この際、どうどうと正体を明かしてもいいのではないか?」
「いや、そういうの結構ですんで。もう俺としてはこういう荒事に関わりたくないんですよ。こういうのは警察とか自衛隊とかそういう人のお仕事ですって。だから関わらない方がいいんですよ」
「そういうものか?」
「そういうものです。じゃあ、また。どこかで会える事があったら。……まあ、もう無いでしょうけど」
「ふむ、まあ。いつか、な?」
満足げに頷いた「光速の騎士」が海へ向かって大斧の柄を放り投げる。
耳へと入れていた無線機や、テロリストから分捕った拳銃なども次々に海へと投下していく。
証拠隠滅を完了して、甲板から「光速の騎士」が照明の消えた船へと消えていく。
その後ろ姿を見ながら、定良がつぶやく。
「とはいえ、あまり日を待たずに会うことになりそうだがなぁ……」
バラバラと遠くからヘリの音が聞こえてくる。
定良たちのヘリではなく、恐らく民間のヘリコプターだろう。
テレビ各局のヘリコプターがどうやら上から船の様子を捉えようとしている。
ふふふと笑うと、定良も港付近の明かりに照らされた自分を隠すため、ゆっくりと暗闇の中へと消えて行く。
そして、その場にはデッキチェアに横たわる神木美緒一人だけが残された。