4-2 齟齬 のち 変身(装)
「く、首が苦しい……」
きつきつのワイシャツの一番上のボタンが止まらないことで、茂は四苦八苦していた。
横のスツールには今まで来ていた麻のシャツが置かれている。
壁一面にどこかの紳士服店もかくやというくらいに、スーツ類がハンガーに掛けられていた。
「茂さん、そのサイズじゃ無理ですよ。もう一つ上のサイズ試してみた方がいいと思いますけど」
こちらはすでに上から下まで紺のスーツに身を包んだ博人が、茂にワンサイズ上のシャツを手に近づいてきた。
それを受け取ると、苦戦していたシャツを脱いでハンガーに通し、ラックに戻した。
インナーがめくれあがり、鍛え上げられた腹筋とそこに疾る3本の傷跡が痛々しく博人の目に映った。
ただ、それもすぐに新しく手渡されたシャツに包まれて見えなくなる。
少しばかり大き目のサイズで、しかも茂は若干細マッチョな体形の為、自然とぶかぶか感が発生するのは否めない。
「あ、でも首回り楽!俺、これで良いや」
「着せられてる感すごいですよ?本当に良いんですか?」
スーツの上着を羽織ると、それも若干隠れて見えるが、そういうのに詳しい者から見ると笑われてしまうかもしれない。
何せ、出かける先は曲がりなりにも“ファッションイベント”であるのだから。
「……まあ、俺そんなに気にしないし。というか借り物にそこまで求めるのも悪いだろ?人さまの物だしさ」
「本人納得してるなら別にいいですけど」
そういう博人はその体形に合ったスーツが見つかったらしく、特に変な雰囲気はない。
スーツマジックで高校生だというのに、もっと年上のモデルっぽさすら感じさせている。
一方の茂はリクルートスーツの青年が精々だというのにである。
今、彼らがいるのは「但馬アミューズメント」の東京支社ビル。
その上層部の社員用のドレッシングルームで今日の夜の装いを選んでいる真っ最中だ。
コンコン!
「入っていいかね?」
真一の声がドアの外から聞こえてくる。
ドレッシングルームの外にいる家主を待たせるわけにいかず、まだネクタイをしていないが茂が答える。
「大丈夫です、どうぞ」
かちゃりとドアを開けて家主の但馬真一が姿を現す。
その姿は社長職に就くにふさわしい堂々たるもので、きっと名のあるテーラーが仕立てたであろう余所行きのジャケットを羽織って、男ぶりが増していた。
隼翔の父親ということもあり、大人になった姿を知る2人からすると、真一のオフィシャルなその姿は血のつながりを感じさせた。
きっといい感じで年を取れば隼翔もこういう大人になるのだろうな、と。
「ふむ……。やはりお仕着せでは合わなかったかな。社員のパーティー用にサイズは各種取り揃えていたんだが」
「いやぁ……。着れればいいんで。ちょっとシャツがぶかぶかでも」
「うわ、博人はともかく。茂さんすっごいリクルーター感満載ですよ。どこの就活生かって」
「うるせぇよ。本人が一番感じてるんだから」
ひょこ、と首を出した由美は青い布地のドレスを身にまとい、少しばかり髪や首元にアクセサリーを付けている。
幼げな風貌に合うデザインドレスが非常に映える。
「……頑張れ、由美。3年、3年努力すればもしかすると」
「博人、それ以上言ったらぶっ飛ばすからね!」
「いやぁ、娘のドレスが残っていてね。“中学生”の時の物だが、捨てなくてよかったよ」
がくり、由美の首が垂れる。
無自覚で止めを真一に刺されたようである。
「ここのビルは上の階を社員の出張時に使うためにホテルスペースにしていてね。東京出張時にはここに泊まる社員も多いんだよ。スーツ類はアミューズメント系のデペロッパーなんてしてると唐突にパーティー形式のイベントに出席しないといけなくてね。それ用に準備してあるんだ。ただ、一応僕も社長だしね。自分の家族分のドレスとかに関しては別で取ってもらってる。それで由美君のドレスがあったんだよ。まあ、支社兼出張用の宿として管理してもらってるぶん、贅沢は言えないんだけど」
「社員の福利厚生ってことですか?」
「そうそう。申請すれば、家族で宿泊も可能さ。そこらのビジネスホテルくらいの設備は有るから、夜まではゆっくりできるだろう?」
ただしこの部屋に入るまでに目にした設備を考えると、ビジネスホテルの中でもかなりの高グレード扱いになると思う。
さすがは「但馬アミューズメント」。
大企業の金の掛け方は常人には計り知れない。
「うちはホテル事業にも一部咬んでるところがあるから、そういう点でも新しい備品の具合を確認したり、色々と情報収集をしないといけなくてね。流れに取り残されるとこの業界、致命傷になりかねない。実際この部屋と別の部屋にはライバルメーカーのバスセットが付けてあったりとかするしね。使い勝手も少し違うんだよ」
「金の掛け方って人それぞれですね」
「本当にそう思うわ。私、高いドライヤー買おうって思ったもん」
若干朝に見た時より由美の髪質がつややかな気がする。
そういう発想が出るというのはうらやましい限りである。
茂などは今日の朝飯の納豆に卵を入れるか入れないかで大いに悩んだところだというのに。
金はあるところにはあるのだな、と本当に思い知らされた気がする。
「まあ、皆今日の夜の衣装は準備出来たんだろう?一度脱いで下に行かないか?応接室に出前取って昼食を準備してあるから」
「あ、そうですか。ありがとうございます」
「ありがとうございます。でも、ちょっとお手洗い借りても良いですか?」
「場所はわかるかい?」
「大丈夫です」
2人して礼を言うと茂はシャツに手を掛けて脱ぎだす。
そのわきを抜けて博人がトイレに向かう為、ドアを抜ける時に由美に目配せをする。
「私もちょっと、行ってきます」
「そうか、では僕は下で待っているよ」
部屋で服を着替える茂、階下へ向かう真一と別れ、博人がトイレ前までやってくる。
ほんの少し遅れて由美が到着する。
「どうしたの?博人」
「……ここにあった傷、覚えてるか?」
腕まくりをして由美の前に晒した右腕には“傷”と言えるようなものは無かった。
だが、2人に共通の記憶が蘇る。
「あったねー。結構深手の火傷でしょ?深雪さんが他で手一杯になってて結局ちょっとうっすらと残ったんだよねー」
「綺麗サッパリ無くなってるけどな」
難しい顔をした博人を見て由美が真剣な表情に変わる。
茶化す場面ではないということだ。
「何を見たの?」
「……茂さんの腹、“あの時”の傷が残ってる。2年前のあの傷だ」
「お腹のって?深雪さんの時の?」
「ああ、それだ」
2人は無言になった。
「茂さんのあの傷、2年前の時にできた傷で間違いないはずだ。何度か見たことがあるからな。そんで俺のこの右腕の傷も同じくらいの時に受けて残った傷。……俺のは無くなってるのに、なんで茂さんの傷はそのままで残ってるんだ?」
「まじ、うなぎ、さいこう」
ひらがなになってしまった。
いや、ひらがなになってしまうだろう。
茂たちの前には、真一が出前で頼んだうな重(特)がででんと置かれていた。
マジでいいんですか?→いいよ→マジですか!?というくだりを3人分繰り返し、苦笑する真一に深々と礼をして、まず一口。
「ああ、俺、頑張る。何かわからんけど、超頑張る」
箸を入れた瞬間にわかる、うなぎのふっくらと蒸しあげられたほくほくな身と、継ぎ足し継ぎ足しされた歴史をその液体に凝縮した濃厚なたれの香り。
鼻腔一杯に拡がるそれを感じながら、舌が濃厚なたれとともにうなぎ自身の脂をミックスして脳髄までパルスを駆けあがらせる。
流石は江戸前の高級うな重、しかも特ランク。
今までに食べたスーパーの中国産うなぎ賞味期限間近の4割引きの品とは格が違う。
あの中国産ですら実家では猛と配られた皿の身がどちらが大きいかで小競り合いをしていたというのにである。
「段違いに美味い……。すげえな、江戸前高級店」
「私、次いつこれ食べれるかな……。5年、いや10年後とか?」
生まれ自体は茂と然程変わらない「軍師」さま、「魔王」さまが唸っていらっしゃる。
その気持ちが痛いほどにひしひしと伝わる茂は、震える手で二口目に挑もうとしている。
何せ、次にこれを食べれるのは何年後か判らないからだ。
「はく……はく……。すげえ、うなぎさいこう」
脳ミソが小学校低学年まで退化している茂は、重箱の隅に残るうなぎの小さな皮に挑戦している。
一片たりとも残すつもりはない。
「喜んでもらえて何よりだね。ここの店、美味いだろう?」
「「「はいっ!!!ありがとうございます!!」」」
元気のいい返事が3つ重なり合う。
笑う真一をよそに、隣り合って座る博人と由美がこそこそ話を始める。
「これ、いくらするもんなの?俺、あんまりよく知らないんだけど」
「1000円とかじゃ絶対無いし。というか聞ける?博人、これいくらですかって、真一さんに聞ける?」
「無茶言うな。俺はこれを美味しくいただきたいんだ。値段聞いたら胃がびっくりしちゃうだろ!」
こそこそする高校生のカップル未満の2人。
そして沈黙のままもくもくとうな重に真剣に向き合う茂。
「うま、超うま」
もう、知能指数は幼稚園児クラスまで退化していた。
「さて、食べたままでいいんだが。茂君、さっきの話なんだけどね?」
「うま、う……。あ!すんません。えっと、確か異世界に飛ばされてましたってとこまで一通り話しましたよね?」
「もう一度、アイテムボックスっていうのを見せてくれないか?」
「いいですよ?」
茂は割りばしを重箱に乗せて立ち上がると、少しスペースのある場所へ移動する。
手を伸ばし、中空にアイテムボックスの出入口を出現させると、そこからずるりと取り出して見せる。
がちゃんと床にタイヤが触れ、音を立てるとそれが唐突に出現する。
杉山猛所有の自転車であった。
「……本当に魔法ってものがあるとは、この年まで信じていなかったんだがねぇ」
「魔法とか魔術とかとはちょっと違うんですけど」
頭をポリポリと掻いて、苦笑する茂の前で、湯呑みに淹れた緑茶を真一が啜る。
気持ちを落ち着かせるために空になった湯呑みに急須の茶を注ぐと、又一口飲みこんだ。
「あの時、どこかにいった自転車だよなぁ。本当にどうなってるんだろうか?」
真一は立ち上がり、応接室という場にまったくふさわしくない使い込まれた自転車を撫でまわす。
本当に何の変哲もないただの自転車。
唯一普通の自転車と違うのは、間違いなく一度白石の試験場前の公園でこの世界から消えさり、今再びこの世界に戻ってきたということだ。
あの公園でもあまりのことにパニック気味になった真一を全員でクールダウンさせ、その混乱ぶりを危惧した茂が真一の代わりにこの東京支社まで営業車を運転して帰ってくるくらいだった。
もちろん、後部座席に座らせて由美になだめさせたのだが、道中の質問攻めには息子の失踪騒ぎを心配する以上の違った感情が前面に出ていた。
但馬真一、50を超えて成功者たる「但馬アミューズメント」社長という重職に就いている傑物。
だが、それ以前に彼は日本男児である。
子供時代にヒーローもののテレビ番組にガッツリはまるという、典型的な日本男児のルートを一歩も踏み外すことなく歩いてきた男の子の、成れの果て。
説明の為「光速の騎士」の装束がアイテムボックスから助手席に現れた瞬間の声は、間違いなく彼のここ数年で最大の声量だったに違いない。
「それも良いんだが、ほら。ほらっ!」
いい年したおっさんが眼をキラキラさせている。
日曜日のショッピングセンターの広場とか、遊園地のヒーローショーに座る小学校低学年までの目と同じ輝度を放ちながら。
わくわくが止まらない御様子である。
(なんか、ヤダ。仕方なく変装してた時の倍はヤダ)
内心、乗り気でないグラビアアイドルってこんな気分なのだろうかと思う。
カメラマンたちの前に薄手の布地一枚だけを身に纏い、覚悟を決めて出ていく心境。
あの人たちも大変なんだなぁと思いながら茂も覚悟を決める。
何せうな重(特)をごちそうになっている身分だ。
しかも息子さんから借金もしている。
わがままは言えない。
「はぁ。じゃあ、いきますよ?」
真一からは茂が左手を宙に持っていき、そこから何かを掴んだようにみえた。
左手が目に留まらない程の速度で振られると、ばさっと大きな音がして、今までなかったはずの漆黒の布地が茂の体全体を包み込むと真っ黒な球体に見えた。
布が大きく翻り、また元の場所に戻る。
そしてその場所に立っているのは、杉山茂ではなく最近TV、ネット、新聞、雑誌を大いににぎわせている「光速の騎士」であった。
槍はアイテムボックス内に有るので装備していないが、盾は持っている。
その姿はネットで自作して「光速の騎士」のコスプレした画像を挙げているレイヤーの物とは一線を画し、実際に“使われた”重厚な圧迫感を見ている者へと与えていた。
「おおっ!!一瞬で変身できるのか!!すごい、すごいなっ!!」
「茂さん、何やってんですか?趣味的すぎますよその変身」
「ウケる!茂さんウケる!カッコ良いです!!」
三者三様の表現で茂を評価する。
褒めているのはただ一人。
残りの2人は茂的に微妙である。
「まず、変身ちゃうし。変装だから、コレ」
「いや、変身だろうに」
「変身ですね」
「へーんしんっ!って言わないのに疑問を感じそうですけど?」
完全否定される茂。
「あと、瞬間的に着替えるのは兵士の心得だよ?アイテムボックス使えるようになった時に先輩から真っ先に教えられたんだけど。博人、由美、お前らが出来ないってのがよくわからん」
「俺たち、そういうのはすっ飛ばしてもっと実践的な訓練が始まったんで」
「隼翔君も里奈ちゃんも深雪さんも出来ないと思うけど?」
まさかの帰還者6人中、茂だけのマイノリティな技術という事実が発覚する。
「いやあ、すごいなぁ。本当にヒーローそのものじゃないか!うらやましいなぁ」
ぺたぺたと鎧やら盾を触る真一。
やはりこういうところで剛毅というのが分かる。
社長となるのはこういうぶっ飛んだ感性も必要なのだろうか。
「いや、ヒーローっていうなら、息子さん、隼翔君こそ「勇者」なんですけど?」
「ああ、そうだったか。しかしね、アイツがヒーローねぇ……。親からするとどうもしっくりこないんだよな。何というか少ししっかりした気はするけど」
ポリポリと頬を掻く真一は自分の息子をどうも評価しにくいらしい。
席に戻り、また茶を飲んだ。
「……戻って良いですか?」
「ああ、構わんよ。いやぁ、異世界かぁ。そういう設定のヒーローものは僕の子供時代にはなかったけどなぁ」
自転車をアイテムボックスに戻し、再びマント状の布の端を掴む。
再び左手を振り、「光速の騎士」が漆黒の塊に包まれ、それが宙へと消えていく。
「ああ、やっぱ変身だね」
「変身、です」
「茂さん、へんしーんって言わないと!」
元の姿に戻った茂に全員が突っ込んでくる。
「言わないから!というかその内コレ全部捨ててくる予定なので!」
全員がえー、と非難の声を上げる。
ただし心からの声は真一ただ1人で、残りの2人はどこかからかい混じりの声だった。
茂は座席に座ると自分のうな重に向き直る。
ただでさえ金がないのだ。
真剣にうな重と向き合う。
それはとてもとても大切なことだった。
うなぎ。
夏だし、一回くらいは食べたいな、と。
そういうことで書いてみた。