空腹に負ける
お久しぶりです。
というのにこんな話を長々と。
まあ50話区切りでこういうマジの蛇足をブッこむ人なんですよ、と。
そんな言い訳をしつつ、反省はしないんですがね。
(あー、腹減った)
ぐぅ……。
思ったそこからゼロコンマで腹の音が鳴った。
軽くてのひらで腹を押さえてみると、シャツ越しのざらざらとした傷跡の感触の奥で胃が蠢いている振動を感じる。
すりすりと腹を撫ぜながら、茂は膝の上に置いてあるリュックの中を覗く。
特に物は入っていない。
あるのは病院の名前が印字された封筒が一つ。
(……俺、マジで大丈夫なん? スゲエ不安なんだけどなぁ)
開いているそこから覗くのは、“人間ドックの検査結果”であった。
(普通、何かしら異常が見つかるもんだと思ったんだけどなー。腹ブチ抜かれて、そのうえ意味わからん夢遊病みたいなことやってたってのに……)
覗き込んでいたリュックのファスナーを閉めて、そう思っているとがたん、と大きく体が揺れる。
視線を手元から正面に上げる。
どうやら乗車していたバスが、もうすぐ終点に辿り着く様だった。
『次はぁー、終点。富島駅ぃー。終点、富島駅ぃーです。お降りのお客様はー……』
車内にアナウンスが流れたのでリュックをがさごそと背負えるように準備する。
同じように動き出した人間が他にも数人いるが、ほとんどは老人だった。
真昼間に病院と田舎のターミナル駅の直通路線に乗る人間はそんなのがほとんどである。
「ご乗車、ありがとうございましたー」
終点に到着したバスが停車し、茂は財布からちょうどぴったりの金額を料金箱に入れて降りる。
そのままバス停から歩きだすが、歩みはゆっくりでどこか目的がある人間の足取りではなかった。
(ま、医者が体の方には問題なしって言うんだから、信じるしかないんだけど?)
検査入院からの、人間ドックへの切り替えという本来は出来ないことが出来ているのは、白石グループへの忖度なのか、火嶋早苗の口添えなのかは知らない。
まあ、色々と裏の思惑もあるのだろうが、こうしてきちんとした人間ドックの検査結果を貰っての退院ということになったわけだ。
一応、脳検査やらもしてもらったうえでの退院なので、肉体的に問題は見つからなかったようである。
ちなみに精神科、心療内科への受診はどうするか、という話は何やら事情を知る「勇者」「聖騎士」の二人の話をどうにかして聞いてから、だろうということで今回は見送っていた。
(権力使って無理矢理に部屋に横入りする。ドラマとかで見る横暴でいけ好かんVIPな患者みたいでなんかヤなんだけど……。この場合は仕方ない、と思うしかないしなぁ)
本来の検査手順とかMRI予約とか診察順とか、そういうのをすっ飛ばしての特別待遇。
そういうことに慣れていない一般人のメンタルが、何となくむず痒い申し訳なさを全身に発している。
治まらない痒みというか気持ち悪いサブイボと言おうか。
なんか、マジで嫌だった。
両手でなんとなく体をがさごそと掻く。
ぐぅ……。
「……腹減った」
ぐぅ……。
二連発でまたも鳴った腹の虫。
駅なのでぐるりと見渡せば時計の一つや二つ見つかるものだ。
時刻は十二時半のタイミング。
最後の朝の病院食は食ったには食ったが、もう消化しきったと腹が鳴っている。
入院中は胃に優しいように節制していたつもりではいる。
多少は重い食べ物もあったとはいえ、基本はセーブして大人しくしていた反動が出ている。
「飯、食って帰るかぁ」
ここから帰宅する途中でスーパーに寄って買い出しして飯を炊いて、調理して。
家の冷蔵庫に何か残っているか、と考えるのもめんどくさくなっていた。
そうなると昼飯が余裕で二時、三時くらいになるかもしれない。
それはちょっと耐えるのがキツイ。
かと言って簡単にコンビニで弁当というのも寂しい。
もうちょっと、人の手の入ったそういうご飯が退院後のメンタルには恋しかった。
「ま、いっか」
茂は帰宅ルートをたどる足取りを最短ルートからずらした。
遠回りとなるが、まあそれを加味しても、レンチンでないあったかさのご飯が食べたかった。
その足取りはほんの僅かだが早くなっていたのは間違いない。
「いらっしゃーせー!!」
がらがら、と開いた扉の向こうから威勢のいい挨拶が飛んでくる。
そしてその直後にむわっ、と漂う何とも言えない匂い。
換気や空調があるにもかかわらず、それでも店内一面に漂う野菜の甘さ、醤油のツンとくる塩味、揚げ物から発せられる油と湯気の水分が混じり合う独特なそれ。
そう、定食屋の香りというヤツだ。
形容するにはあまりに複雑で、それでいて高級でハイソな雰囲気とは違う混然一体とした得も言われぬ定食屋の香り。
「お一人様ですかっ!?」
「あ、一人です」
元気がよい若い店員に聞かれて頷く茂。
茂の返答を聞いてるのかどうかギリじゃないか、という速度で、すぐに店内を見渡す。
「窓際の席、あちらにどうぞ! すぐにテーブル空けますんで!」
手で指示された先の二人掛けの席。
テーブルの上には食べ終わった後の食器がまだ残っていた。
そこに行くまでの間に、常連だろうサラリーマンや、学生たちの各々のグループが畳敷きのあがりで寛いでいる横を通り過ぎる。
わいわいがやがやという楽し気な雰囲気が漂うのも、また良い。
が、茂が移動して着席するまでに、声を掛けた者とは別の店員がそれを片づけて、布巾でテーブルを拭き清めていた。
座席に着いてすぐにことん、と水のグラスとおしぼりが置かれる。
「ご注文決まりましたら、店員に声、掛けてください!」
「あ、はーい」
では、とそのまま店員は他のテーブルから呼ばれたのでその場を離れていった。
(さて、と)
おもむろにテーブルの横にあるラミネートされたメニューを見る。
隅に「定食屋 山本」と書いてある手書きのメニュー表。
そして店内をぐるりと見渡すと、壁もいくつかメニューが書いてある。
ようするにゴリゴリの定食屋に来て満足のいく昼飯を食ってやろうというテンションなわけである。
(ここ、店長のオススメだったしな。ハズレはないだろ、多分)
来たことはないが、「森のカマド」の店長、伊藤がチェックしている店舗の一つであることは知っている。
前を通ることは何度もあったがタイミングが合わずにそのまま、「へー、ここにあるんだー」という感想だけで通り過ぎていたのである。
(さて、では何頼もっかなー)
席に付きさえすればもううきうきだ。
初見の店であるがゆえのポイントは押さえておく。
まずは冒険をしないこと。
聞いたことのない常連しかわからない不思議な名前のメニューを頼むのは、複数回の来店後のお楽しみにしておくべきだろう。
(そして、ラーメンとカレーを避ける。これだな)
一切の情報なしに初見の店でカレー、ラーメンに行く者を茂は「剛の者」と呼んでいる。
なんというストロングスタイルか、と。
これはあくまで個人の意見であるが、カレーとラーメンは定食屋の場合、本気と片手間の落差がとんでもなくデカいのだ。
片手間の店という表現が正しいかは微妙だが、ほぼベースを業務用のルーやスープで対応している、メニューにとりあえず載せてあるというタイプの定食屋は一定数存在している。
勿論、その場合でも、味は及第点。茂は普通に食えるし、なんなら満足できるのは経験から知っている。
正直、カレーとラーメンは下手にこじらせている専門店より業務用の方が断然美味いと思うのだ。
特に特定のラーメン屋は、昨今の“映え病”に罹患したせいで熱に浮かされ自分がおかしなことになっていることにいい加減気付いて欲しい。
何故にスープにあんな素っ頓狂なものを使うのかとか、具材として創作フレンチかい、と言いたくなるようなオシャレイロドリ野菜の山が乗っかった結果、スープや麺が温くなってんなぁ、とかの弊害を。
三年以上客数を維持できているラーメン屋に、映え病罹患店がほぼないこと位、起業するタイミングでさんざん調べてるはずだろうに。
さて、話がずれそうになっているので戻すことにする。
ラーメンにしろ、カレーにしろその店で作っている場合はかなり個人の好みに左右される。
業務用ベースであれば、万人に受けるちょうど真ん中を狙った企業努力の粋を結集した味なので、及第点を弾き出す。
だが、カレーにしろラーメンにしろかなり日本人は面倒くさいこだわりがあるのだ。
カレーであれば牛豚鳥に最近ではラムとかも出てきたお肉問題に、ドロドロサラサラのルーの粘度を問うドロサラ問題。
ラーメンは味噌塩醤油にとんこつの味のバリエーション、こってりあっさり、麺の太い細い、ストレートに縮れという問題。更にチャーシューの枚数やら、スープベースが肉系・魚介系・ミックス系等。最近では地方系のラーメンの全国展開も珍しくはない。
と、いう前提の下で、初見の定食屋でラーメンとカレーにご飯代金をベットするその精神。
正に「剛の者」というにふさわしい。
事前に食事のサイトで見た目だけでも確認はした上での注文が必須ではないか、と茂は思うのである。
(んーと、そうするとだ。ここは無難な定食メニュー)
じっくりメニューを見て吟味する。
唐揚げ定食、野菜炒め定食、餃子定食、ミックスフライ定食。
見ているだけで心躍るメニューの数々。
そして、その年季の入った古びた少し油っぽいメニューに、長年のこの店への常連の方々の信頼を感じ取れる。
メニューの端っこに定食の簡単なセットの説明が書かれているのもポイントが高い。
(おし、決めた)
うむ、と小さく頷くと手を上げる。
「すみませーん!」
店内に響くくらいの声を出す。
これがキモだ。
絶対に怯んではならない。
(気付けっ! おにいさんっ、こっちだっ!)
恥ずかしい、とか注目されるかも、とかを感じてはいけないのだ。
絶対にその呼びかけで店員さんに声が届くボリュームを出す。
念を込め、店員のお兄さんにその思いが届くようにぎんっ、と熱い視線も合わせて送る。
「あ、ただいまうかがいまーす!」
別のテーブルを片付けていたお兄さんが、こちらを向いて返事をしてくれた。
(よし!)
なぜ、そんな熱い思いが必要となるのだろうか。
過去、痛い目に遭ったこともある方も多く、その理由もご存じだと思われるが、そうではない幸運“ごくわずか”な皆さんにご説明しよう。
周囲を気にして細くなった声で呼びかけ、それが周囲の音でかき消された場合。
二度目の挑戦を行わなくてはならないのだ。
その時の恥ずかしさったら、まぁー無い。
考えてみてほしい。
店員さんに声が届いていなくても、かき消されるまでのお客さんの耳には届いているのだ。
すると、お客さんが見てくる。
あれ、あの人店員さんを呼んだのに、気づかれてねーな、と。
一瞬だが、店内の空気が一点に集中するわけだ。
あれは、マジで恥ずかしぃ……。
その時に、人は次のどちらかの手段を取る。
間髪入れずにボリュームを上げて二度目のコールを行う者。
もう一つは一旦店員の動きを見て、落ち着いてしまう者。
茂は後者である。
「お待たせしましたー。ご注文、どうぞ」
「このスタミナフライ定食ひとつ」
「ご飯の量はどうしますか? 大中小同じ金額ですが?」
「大で」
「わかりました、スタミナフライ定食、大おひとつ。以上で?」
「お願いします」
「ありがとーございまーす」
手元の伝票に書き込んでそのまま厨房の方に店員さんが歩いていく。
さて、店員さんに無視されてしまったときに、落ち着いてしまう者の場合はタイミングを失うのである。
なんかもうちょっとこっちに近い位置に来てくれた時に声かけた方がいいのかな、とか今片付けているから声かけても待たされるかな、とか。
そういうことを考えてしまう。
すると、まごまごしている間に別のお客さんが店員さんを呼ぶ。
そして後から入ったはずのお客さんに順番を譲る結果となる。
その一連を食らうと、ほんの少し。本当にほんの少しだけ、ちくり、と自分の意気地のなさに傷ついてしまうのだ。
これで人生には勇気を振り絞ることが必要なのだということを痛感した人間は多い。
……多いはずだ。
そんなくだらないことを考えながら茂はコップの水に口をつける。
ずず……。
(あー、水。うっっま)
ちょうど座った場所から斜め前方の天井にテレビがある。
とはいえ、点けているだけというレベルでその音量は耳を澄ませないと聞こえないほどの小さな音に落とされていた。
ぼーっとほとんど音の聞こえないそのテレビを見ていると、放送していた番組がちょうど終わるタイミングで、次はワイドショーが始まるようだった。
そこに声がかかる。
「お待たせしました。スタミナフライ定食、ご飯大盛でーす。ご注文は以上で?」
「大丈夫です」
「では、伝票こちらに置いておきます。ごゆっくりー」
テーブルに定食と、端っこに伝票が置かれた。
視線はテレビからテーブルの定食に動く。
おしぼりを手に取ってぐるりと一回り手を拭う。
ほんのりと暖かい。
なんとなくその温かさが名残惜しく、そのまま手首の方までぐしぐしと拭ってしまう。
(さて、と)
「いただきます、っと」
ぱん、と手を合わせて誰にも聞こえない小さな声でつぶやく。
割り箸をぱきんと割ってまずはお味噌汁。
巻き麩と刻んだ三つ葉、そうくるとなると味噌は赤だし。
軽く箸で混ぜて口に運ぶと濃く、そして舌先に残るしっかりとした塩の辛味。そのあとに赤みその匂いが鼻に抜ける。
そのままの勢いで大盛りのライスを一口。
「うん、うん、うん」
もぐもぐとしながらその食感を確かめる。
失敗の部類に入る固すぎではない、そして米粒の潰れた柔らかすぎる仕上がりでもない。
程よい範囲内のライスの状態。
そこは人の好き好きだろうが、あまりに極端な場合はちょっと……、となってしまう。
そうではなかった、という安堵に箸が次に伸びる。
まずは当然のメイン皿。
でん、とど真ん中に置かれた皿の下半分には牛と玉ねぎ、そしてにんにくの芽を炒めた肉炒め。おそらくはこれがスタミナ焼き、という店のウリ。
メニュー表の中で他に埋もれないようにわざわざ太字で大きく表示されているうえ、壁のメニューの中に写真付きで貼ってあったスタミナ焼き。
それの横にからりと揚げたフライ系が三つ。
コロッケ、白身魚、メンチカツ。
そのスタミナ焼きとフライトリオを支えるキャベツの壁がででんと皿の奥にそびえ立つ。
白くかかっているフレンチドレッシングの酸味のある匂いがわずかに漂う。
茂の箸は無意識の進むままにスタミナ焼きに突き立った。
刺さった箸はごそっ、とキャベツもろともスタミナ焼きを掴んで口へと躊躇なく運んでいく。
そして放り込まれたそれをはくっ、と噛み締める、と。
「……はぅ、っ! はふっ、はほぉっ!」
熱い。
出来立ての食事の熱さに口の中ではふはふほへほへとやらかしてしまった。
とはいえ、それもほんの数秒。
もぐもぐ、と味を確かめられるほどには温度も下がる。
「うむ、うむ、うむ……」
頷くようにして噛み締め、そしてまたもライスを掻っ込む。
美味い。
しょうゆベースの味付けだが、ピリリとした辛みと、甘みを感じた。おそらくはコチュジャンかそれに似た何かが入っているのだろう。
牛と玉ねぎは柔らかく、にんにくの芽がその中でくきくきとした良い歯ごたえを返してくる。
添えてあったキャベツのシャキシャキも素晴らしいハーモニーを奏でてくれた。
がふがふと米を掻っ込むのもいい。
口いっぱいになったそれを、赤だしで流し込む。
今までの一連の味の乱舞が一旦それでリセットされる。
優しい味わいの白みそ、合わせではここまで状態をフラットに戻しきれはしないだろう。
独特な匂いや塩味で苦手な者も多い赤だしだが、茂はそのあたりは気にしないタイプ。
「ふぅ」
息を吐く。
グラスを手に取り、ぐいと水を呷る。
ここでメインから別の皿に視線を動かす。
切り干しと油揚げ、大豆を炊いた小鉢があった。
手を伸ばすと、触れた小鉢がほんのりと温かい。
ひと口ふた口で平らげられてしまうだろう小鉢に、調理済みの出来合いをそのままよそうでなく、自前で作ったそれを温かい状態で提供する。小さい点ではあるが、ポイントは高い。
箸で摘まむと大豆が完全にペーストっぽくなるまで火が入っていない、豆の弾力を残した程よい状態。
切干と一緒に口に運ぶ。
じゅわ、と溢れる出汁が、少し脂っぽい口の中を洗うようにしてくれた。
「うん、うん」
もみゅもみゅと切干大根と油揚げを食みながら、そのまま手は卓上の調味料入れに。
さて、ここでメニューのおさらいを。
メインの皿は醤油ベースの牛と玉ねぎ、ニンニクの芽のピリ辛炒め、フライ三種。
そうなったときに何を選ぶべきか。
茂は真っ直ぐに悩むことなく、醤油を手に取る。
白身魚のフライにソース・醤油のどちらをかけるのかという国民を二分する意見があるのは十分承知のうえで言わせてもらう。
ここで選ぶのは醤油。
(ひと回しー。そんでもってもう一周ー)
ぐるぐると大きく二回回しかける。
ウスターソース? 中濃ソース?
いや、それはではなかろうか。
メイン皿の一番の飯は醤油ベースの一品。そこにソース系の味を混じらせるのは避けたい所。
考えてほしいのだが、時間と共にフライには横のスタミナ焼きから流れ出る、芳醇な旨味汁が侵食してくる。
そう考えると、味の混濁を避けるべく醤油がベストではないか。
……分かる。
一部の人々からのメンチカツとコロッケに醤油は無いわー、という呆れ交じりの声が飛んでいるのが。
メンチカツにあうのは断然ソース。そして次点がケチャップだろう。恐らくはそれは間違いでないと思う。
そしてコロッケ。
これにソースというのも間違いではない。
だが、あえてその前提を分かったうえで問う。
コロッケに醤油を垂らして食らうのは、それに一部たりとも劣るということはないのではないか。
いや、むしろモノによっては醤油の方が美味い事すらあるじゃん、と。
「んが……」
少しだけ旨味汁を吸った醤油コロッケを口に運んだ。
上側の衣のサクサクを前歯で、下側のしゅんだ柔らかい衣を舌の上に感じる。
口に放り込んでもぐもぐ、と食らうとイモの甘みが後から追いかけてきた。
コロッケ。
シンプルであるがゆえに蔑ろにされることもあるが、実際のところコロッケこそがキングオブ揚げモンだと思うのだ。
ありとあらゆるタイプの飯に合い、受け手としてほぼどんな調味料にもマッチする度量の深さ。
それが醤油と旨味汁を吸い、絶妙な味を茂の舌の上に顕現させている。
その旨味を楽しみつつ、そこでフレンチドレッシングの山盛りキャベツを追加でドン。
しゃくしゃく、というキャベツを感じつつ、そこにダメ押しのライスを更にドン!
「はく、はく、はくっ……!」
一心不乱に掻き込む。
頬を膨らませるだけ膨らませてうぐむぐ、と口の中をさせつつコップを引っ掴む。
「んぐ、んぐ、んぐ……」
水を一気に飲み干す。
ぷはぁ、と空のコップを置いて、卓上のピッチャーからコップに水をとくとくと縁近くまで注いでいく。
そして次は白身魚のフライ。
これも醤油・ソースどちらでもイケる懐の深さのある強オカズ。
白身魚を掴んでがぶり、と噛みつく。
ほくほくとした身が温かく、そして柔らかい。
本当にイイ感じに火の通ったフライの揚がり具合。
(店長、流石にこういう店は抑えてんなぁ……)
流石に、地域の人気店の調査という点で伊藤の嗅覚は優れている。
あのぷよぷよ腹は伊達ではないということだ。
茂は伊藤のアンテナの広さに感銘を覚えつつ、メンチカツに挑む。
じゃく、と歯を立ててメンチカツの衣が破れ、口に溢れた肉汁の熱さに、一瞬はふはふと口を開けて空気を取り込む必要があった。
噛み跡から覗くメンチカツのミンチ肉からはだくだくと肉汁が零れていくのが見えた。
そのメンチカツの噛み跡を皿に押し付ける。
零れた肉汁と、スタミナ焼きの旨味汁と、ほんのわずかに染み出たキャベツの水分を含ませてソースとし、メンチ本体を冷やすのだ。
その間に先ほど準備した水を一口。
口の中を冷やしたい。
キャベツを多めにスタミナ焼きをわずかに添えて。
放り込んだそれを食べつつ、ライスも。
「はく、はくっ……」
マグマのような肉汁に再度挑むような無謀はしない。
充分に水分を吸わせ、程よく口に馴染むくらいの温度へと調整したメンチカツを再度がぶり。
(あー美味いわー)
もぐもぐ、と噛み締めて溢れる肉汁と小さく刻んである玉ねぎの甘さを感じ取ることができた。
まさにいい塩梅のベストな状態。
ほぅ、と息を吐いて赤出汁の味噌汁を啜る。
ずずず………。
先ほどよりこちらも温くなった味噌汁、その具である三つ葉の茎を歯先で齧る。
赤出汁の中にふわり、と香る三つ葉の青い香気が良いアクセントとなって、茂の体に染みわたる。
「ふぅ……」
ことん、と味噌汁碗をテーブルの盆に戻す。
同時に椅子の背もたれに体重を預けた、ぎしりという音が小さく響いた。
空腹に任せた勢いの欲望飯の時間がようやく終わったのである。
テーブルの上のコップの中身は半分ほど無くなっていた。
茂は、もう一度ピッチャーからそこに水を注ごうと手を伸ばしたのだが。
『……では、まもなく会見が始まる予定だそうです、会見現場には……さんがいますので呼びかけてみましょう。現場の……さん』
耳にテレビの音が入ってきた。
周りを見ると注文を取っていた店員だけでなく、厨房の中にいた店主と思われる男、そして飯を食い終わって会計をしようとしていた客までもがテレビの方を見ている。
その中の店主がリモコンを天井のテレビに向けていることからして彼が音声を大きくしたのだろう。
はて、と思い茂は皆の見ているテレビを見る。
「あ゛あ゛!?」
ちょっとだけ大きな声を出してしまう茂。
周りの皆の視線が一瞬自分に向けられたのを感じるが、それもすぐに消えてテレビに視線が動いたのを感じる。
『こちら会見場の遠美市市議会ホールです。……まもなく今回の「東美市街地封緘事件」の解決までの過程において発生した、「光速の騎士」並びに「骸骨武者」からの暴行について本日、刑事告訴を行ったことに対しての会見が始まる予定で……』
『……新たな情報はあるのでしょ……』
「……うっそぉ」
テーブルで呆然とする茂。
周りも近くの者と囁くようにして話していることで、茂の様子が格段におかしいということは感じてはいないようだ。
とはいえ、興味本位が先行する彼らと違い、茂の心中は暴風雨の如く荒れ狂って大時化大混乱の大海原に叩き込まれている。
『そして新たな情報なのですが、告訴を行った代理人弁護士より、手渡された会見資料に「光速の騎士」のフルネームが記載されています!』
「「はぁぁぁっ!?」」
どんっ、と大声で立ち上がる茂。
そんなことをすれば周りから変な目で見られるのも気にせずに騒いでしまった。
だが、周りも似たり寄ったりだ。
おおっ、と期待のこもった大きな声を上げたのは一人二人ではないし、店長にいたっては、そこまで必要が無いだろうに、リモコンでテレビのボリュームをMax近くまで大きくしていたりもする。
『……さん、それは本当ですか!?』
ワイドショーのメインMCが会見場のアナウンサーに呼びかけた。
『はい、こちらには確かに「光速の騎士」と呼ばれた人物について記載されています!』
『読み上げていただいて構いませんか!?』
(やめろぉぉっ!?)
ぱくぱく、と口が痙攣したかのように声を出せなくなり息がぜひゅぜひゅと嫌な音をさせている。
耐え切れず椅子に崩れ落ち、急いで震える手でコップを掴む。
ぐい、と水を飲み干すがまだ声は戻らない。
『では、我々がいままで「光速の騎士」と呼んでいた人物……』
『はいっ!』
民放だったせいなのかどうか判らないが、一瞬の無駄なためが入る。
『彼の名前はトール・ハヤシバラ。米国籍の日系二世の男性だ、という事です』
「「「おおおおおっ!!」」」
「……ん?」
店内じゅうに大きな声が響く。
その中で一つだけ小さな疑問の声がかき消された。
(えっと………、だ、誰っ?)
ざわざわとなった店内で、疑問符を浮かべたままの茂はポケットからケータイを取り出すと、取り敢えず門倉の連絡先を呼び出すのだった。
一応時系列としては、この話(昼間)→前話(深夜)の順番です。




