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一般人遠方より帰る。また働かねば!  作者: 勇寛
5章

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342/365

12-2 声を 声を

 一瞬の躊躇や逡巡、そして即断即決が事の帰結に多大な影響を与えるということはままあることだ。

 この国では即断即決を素晴らしいものと見る風潮がある。

 ひとかどの人物や組織がためらうことなく選び取った選択肢がもてはやされた上で、再現ドラマとしてよく放送されている。

 その決断力を称賛する一種成功者にありがちなプロパガンダがあまりに多く、そしてその成果が分かりやすい栄光として見事にトロフィー化され、色々なところで燦然と輝いているからであろう。

 ただ、それが正しいかどうかは判断が難しい。

 当然のことだが強固なリーダーシップはワンマンであることと本質的には近しいし、チーム全員が同じ方向性をもっているという事は、多様な価値観が生まれにくい土壌だ、と感じる人間もいるだろう。

 なにが言いたいかと言えば、結局勝てば官軍負ければ賊軍。

 成功する・しないという最終的な結果が全てだということ。

 つまり、正し()()はあっても正しいと断言は結果が出るまではわからないのだ。


(く、定良さん、遅れたか?)


 一瞬だけ遅れたというピエロと違い、他の可能性の考慮をしてしまった定良は少し遅れている。

 追いかけっこをしている中、先行する真ヒトガタが囲いを閉じはじめていた。

 恐らく目的地は一番人間が集中している避難所の中心部。

 まっしぐらに向かう真ヒトガタが、別れて育つ泥人形たちをピエロたちに差し向け始めている。


「くっそ、邪魔くせぇっ!!」


 進行方向に寄って来ようとする泥人形を見て、直行ではなくわずかに斜めに進みを変える。

 中心部からの銃声と悲鳴も絶えず飛んでいることから、泥人形はかなりの数が居ることが想像される。

 何せこの周辺の人間たちがあらかたやってきた場所で、千に届くレベルで避難者が集まっていた。

 氷雨たちの部隊に加え警察や自衛隊、イリーガルなヤクザ連中に、一般人でも荒事に強いヤンチャな奴らもいるにはいるが、避難者を守りつつ、この場から逃げるという行動をとるのは困難だろう。

 まず、いま中央部に真ヒトガタが飛び込んでいくのはピエロたちしか分かっていないということもある。

 わざわざ設営した避難所を即時放棄、各自散開ということを判断できる情報は避難所のメインテントに詰める人間たちには伝わる術がない。

 混乱の中でも抵抗を受け排除された泥人形もいるだろうが、そうでない方が圧倒的に多い。

 それらが追跡者のピエロたちの壁になろうと動いているわけだ。


(全部と戦ってぶっ飛ばすだけの余力がねぇ。可能な限り、避けて通るしか)


 とはいえ、そうすると直線距離と障害で差が生まれる。

 真ヒトガタは百メートル走、ピエロたちは百十メートルハードル走というのはハンデが大きい。

 距離が伸びるほどにその差が広がることになる。

 とはいうものの、可能な限り避けてみてもやはりどうしても避けきれない障害というのは出てくる。


「う、わぁっ!」


 ピエロマスクの彼を見て叫び声があがる。

 一般の避難民の印象では不気味な泥人形と同程度には薄笑いのピエロマスクも恐怖を覚える風体であるわけだ。

 やはり、夜にみるピエロマスクは怖いは怖い。

 腰を抜かした様子の男性の横を駆け抜ける。


「くッ!」


 小さいが確実にロスが生まれる。

 ストップアンドゴー。膝にかかる負担が重く感じる体にどん、と圧し掛かってくる気がする。


「キャァァァァッ!!!」


 そこに今日イチの甲高い悲鳴の金切り声が響き渡る。

 真ヒトガタが突っ込んでいった先は避難所中心部の指揮テントのある区域。

 落下してきた泥人形の排除にかかりきりになっていたところに、真ヒトガタという新しい異物が参入するという状況。

 その場にいた人間からすれば恐怖を覚えそこから逃げていくのは当然だろう。

 だが、着の身着のままで集まった者たちであっても、その服装は千差万別。

 その中で一番逃げ出すのに手間取ったのは、わざわざこの非常災害時にきっちりとスーツに踵のあるヒールでやってきた、件の姦しいオバハンこと遠美市議会副議長の女性であった。

 周囲にいた警察・自衛隊の方々も、急に現れた泥人形の対応に当たるのに指揮テントから一端離れていたというのが災いした。

 残っていた者も、事態の急変に対応するため、急襲していた真ヒトガタに間に合わない。

 完全にそこでパニックを起こした副議長は、どこへと目的を定めずに逃げ出すことになるわけだ。

 慌てたのかヒールも片足だけになるという状態で、ふらふらと足元はおぼつかない。


「た、助けてッ!」


 わざわざピエロに向かってくる副議長を避けようと進路をずらす。


「ウエッ!?」


(ちょ、マジかよっ!?)


 今度もギリギリを狙って避けたつもりが、副議長が大きく腕を広げて横を駆け抜けるピエロに抱き着いてきた。

 避けるつもりのところに抱き着いてきた副議長(じゃまもの)を、無下に払うわけにもいかず足を止める。


「ちょ、なにを!? 退いて、退いてくれ!」


 がばっ、と抱き着いて全身でしがみ付いてくるオバハンとの間にピエロは腕を入れて引き剥がそうとする。

 だが、そうはさせないとばかりにより強く力が入る。

 慌てて髪を振り乱して顔を近づけてくる鬼気迫る表情に恐怖すら感じた。


「早く、ここから逃げなさいっ! 急いで!」

「逃げるって、こっちはそんな状況じゃ、ないんだっ! 邪魔しないでくれよ!?」


 パニックでこちらの言うことをまるで聞いてくれない。

 あくまでこれは一例だが水難事故で溺れかけた者を救おうとした泳ぎに自信のある者が、二人とも一緒に溺れてしまうケースがあるそうだ。

 泳いで助けに向かった救助者に、要救助者が体に抱き着いてくるのだという。

 当然パニックに陥っているため、どんなに抱き着かれる(そうされる)と泳げないと言っても、言うことを聞いてくれないらしい。

 理性的な判断力を失った人間の行動は、どうしてそんなことをするのか、と後になればなんとでも言えるが、その時に思いついたことをやってしまうのだろう。

 しかも、それは必死に全力で。つまりは火事場の馬鹿力を発揮するのにうってつけの状況と言える。


(く、っそ! 力が、強いッ!?)


 中高年の女性の力と思えないほどの力強さ。

 かつ、ピエロの右腕は不調とくれば、引き剥がすには相応の労力を要することになる。

 怪我をさせない程度の力で人一人を引き剥がす。


「頼むマジで、離れてっ。こっちも忙しいんだよ!」

「忙しい!? さっさと私を連れて逃げるのよ! それしかアナタがいる意味ないくせにッ!」


 忙しい、という言葉のチョイスが悪かったとはいえ、その後の激高がわずかにカチンときた。


「はぁっ!? とにかく、はな……」

「この、人でなしッ! 自分勝手な犯罪者のくせに!」

「え?」


 言いかけた先に罵声を投げられる。

 憎々し気に、目を血走らせて。

 ふざけんなっ、と声に出そうとしたところで冷める。

 すっ、と熱がひいてしまったのだ。言い争うのも面倒、と冷静になってしまう。

 いらいらが頂点に達して爆発するよりも、冷静にただ、もーどーでもいい、となったのである。


 どうして、こんなことに、俺は必死になっているんだろうか。


 大前提としてこの纏わりついた一人より、その他大勢のこの先の危険を考えれば精神的な選択はとてつもなく容易い。



「ああ、もう! 言ったからね!? そこ、どいてもらうよっ」


 このままではらちが明かない。

 緊急事態でこの副議長(スピーカー)よりも明らかに優先すべきことがあるのだ。

 ぐぃっ、と腕を刺し込んで強引に引き剥がす。

 首に抱き着いていた腕がほどけてそのまま副議長がピエロから体を離した。

 どうっ、と押された副議長が数歩後ろ向きに後ずさる。

 どうにか立ち止まったところで、ヒールのある靴だったことが災いしてバランスを崩してしまった。

 足をもつれさせて地面に倒れると、泥地に尻もちをつく。


「痛い、痛いッ! 暴力、暴力よ。殴られたァッ! 私を殴ったのッ、こいつがぁぁぁっ!!」


 腰砕けになったままの姿勢でけたたましく奇声を上げる副議長を一瞥もせず、ガン無視してピエロは駆け出す。

 見てはいけない。

 その顔を見てしまうと、もうどうにもならなくなる、と直感してしまったので。

 再度駆け出したピエロの横に、この騒動で追いついてきた定良が並走する。


「急げ、あんな“些事”に構うな」

「……はい!」


 気を取り直そうとするピエロに一言だけ今のひと悶着を「些事」と断じる。

 あれだけぎゃんぎゃん叫ぶのなら、自分でどうにか逃げるなりなんなりしてくれと。

 視線を上げると、先行した真ヒトガタが立ち止まり大きく腕を天に突きだしている。

 肘から先を断たれた右腕は治ってはいない。

 その影響か、地面に浮かび上がる光の線の広がる速度はひどく遅い。


(ダメージが原因か、それとも……)


 先ほどと同じサイズであるなら、その効果範囲内にいる人間の数は多くはない。

 突っ込んできた真ヒトガタを避けて逃げていく人の姿が見えているのだ。

 そうなるとわざわざ草木だけを対象としたエナジードレインとなる。数も質も落ちるものをここで使うだろうか。


(さっきよりもデカいサイズで準備をしている? もっと多くの奴を巻き込んで、か!?)


 そう考えてぞっ、とする。

 ホール内で消えた異界の扉。

 真ヒトガタが外に出てきた理由はあれを目掛けた跳躍だったのだろうとは思う。

 もし仮に、さっきのエナジードレインがあのコンサート会場のステージ上で実行されていたなら、どうなったか。

 効果範囲を広げ、それがもし万越えの意識消失したままの被害者を対象としていたら。

 被害の想定の桁が跳ね上がっただろう。

 もう一つ背筋が凍るのは、真ヒトガタが万全であったなら、術式の発動が早まっていたのではないかという事。先ほどの副議長オバハンの足止めのロスで間に合わなくなったかもしれないという、まんざら無くもない可能性について。


(け、結果オーライ、って考えろ)


 公園にまで飛んできた後で術の行使をしている点から見ても、入念な計画を練るだけの知性はない、とは思う。

 知性と計画性があれば、この時点で死者が出ていたかもしれなかったのである。

 頭を振り、回避できたであろう最悪のケースを振り払う。

 だが、そういう事態を引き起こすだけの禁忌の力を持つ、本能で動くアンデッド。

 これをどうするべきなのか。

 結論は単純だった。


「さあて、押せや押せぃ! ここですり潰すぞ!」


 ぎゅん、と定良が一歩先んじる。

 時間切れを待っての粘り勝ちはすでになくなった。

 相手が身体維持の術を不確かながら保持している時点で、時間はピエロや定良にとって味方にならない。

 攻め勝つ、という選択肢以外を封じられた。

 魔術陣を展開しようとする真ヒトガタが、定良を見る。

 恐らくは彼女自身も初めての広範囲化させたエナジードレインの術式にどの程度の時間を要するのかわかっていなかったのであろう。

 展開を中断し、地面の鈍く輝く線が光を失っていく。


(……それなりに集中を必要とする、守勢に回っての同時進行は不可、と考えていいか)


 一度発動すればあとは自動的に、という半自動化の術式ではない。

 あくまで術者本人で展開からの発動を掌握する必要がある、と判断。

 もし、半自動化の術式であったなら、あの副議長オバハンが邪魔をしたあの数秒間は致命的なロスだったに違いない。


(だが攻め続けるなら、そっちにくぎ付けに出来る! ここで削るぞぉッ!)


 先行する定良から半身ずらしてぴたりと後ろを走る。

 何も持たずに無手で走り続ける。


「カカッ!」


 歯を鳴らして定良が横に太刀を薙ぐ。


 きぃぃん!


 ぎゅん、と振るわれたそれが、真ヒトガタの残る右腕にガードされた。

 生身に見えても固い。

 一瞬弾かれた刃をそのまま押し比べに持っていく。

 そして、その逆。

 彼女が失った左腕の方に定良を目隠しにしたピエロが迫る。


「はぁっ!」


 通り過ぎながらの左フック。

 爪の生えた左拳が真ヒトガタの頭を狙う。


 さくっ……。


 真ヒトガタはスウェイでその直撃を避けて見せる。

 だが、本来の打拳より延長された爪の分を避けきるには至らない。

 爪先がわずかにかすり、その頬を浅く裂く。

 ガードされたとはいえ「直撃した」大太刀より、「軽く触れた」爪先の方が真ヒトガタに傷をつけた。

 硬度を無視したかのようなその切れ味。

 不気味で歪な爪には、何故かそのような不可思議な力が宿っていた。


「押し込めィッ!」


 定良は即座に判断し、握っていた大太刀を手放す。

 押し込んでいた大太刀の対にあった右腕が支えを失う。ちょうどスカされた形になり、一瞬だが、力がブレた。

 同時に真ヒトガタに向かって鋭く早いミドルキック。

 そこに大太刀の薙ぎをほぼ同じで縦軸のズレた蹴りが放たれたわけだ。

 わずかに5センチ弱のずれを狙ったミドルが、真ヒトガタの右の腹に入る。


 ごうんっ!


 金属板を叩くような音が響く。

 そして固くとも中に響くミドルキックが真ヒトガタの上半身と下半身を小さく「く」の字に曲げる。


「おらッ!」


 左フックから体を巻き込むようにしてピエロが一回転。

 今度は左の肩口を狙うバックハンドブロー。

 遠心力を加味したそれを真ヒトガタが、ピエロの狙った肩ではなく肘から上の二の腕で受ける。


 ……ごりっ!


 鈍い音をグローブとその感触で“聴く”。


(浅かった!)


 ざっくりと左肩、そしてそこから滑らせての首、と狙った攻撃は本能で受けた真ヒトガタに見透かされた。

 敢えてデッドウェイト同然の左肩から先を犠牲に爪を受けることにしたのだろう。

 左の二の腕をぶった切って、更にその先の首まで至るには、腐れ肉の厚みと硬さが邪魔である。

 左腕をぶった切られてもそこを庇う事すらしないことからすると、痛覚に関しては効果が薄そうなのもマイナス面。


「キシャァァァァァッ!」


 真ヒトガタの叫び声が響く。

 耳がキーンとなるような高音域。


「ぐぅっ!?」


 耳がない定良はどうでもいいのだが、ピエロはそうではない。

 しかも「光速の騎士」の兜と違い、ピエロマスクは裏鍛冶師の面々により改良されているとはいえ、マスクはマスク。

 ダメージの減少を目的としての改良ではないので、外部からの攻撃はほぼそのまま受けることになる。

 接近していたことで耳の近くでの絶叫はピエロの聴覚をひどく揺さぶった。

 だがぐらり、とかしぐピエロとは逆のサイドにいる定良はそうではない。


「クカカッ! そうれッ!!」


 わざわざ大口を開けてくれた真ヒトガタの顔面めがけ、ミドルキックの足を戻すと同時に前傾姿勢になると、全体重を乗せた殴打を放つ。

 狙うは顎、しかも肉が盛り上がった色味の違う箇所。

 補填した箇所の肉が、元々の腐れ肉とは強度は違うのかどうか。

 そこが肝心要の最優先確認事項。

 変わらず堅いか、柔いか、更に堅く締まっている肉なのか。

 その情報が要る。


 ごっ……!


 背負うようにして放った右テレフォンパンチだが、真ヒトガタは避けられない。

 ピエロの最初の左フックの時と違い、彼女の肩にはその後のバックハンドブローで左爪が刺さっている。

 右の拳が口の開いた彼女のほほを捉える。

 やわい。

 接触部からの反応からすると、盛り上がった部位だけが肉の柔らかさを取り戻している。

 腐れ肉は変わらず硬質で、双方が合わさった場所が不思議なグラデーションの感触を返してくる。

 狙い目、と定良は判断する。

 その思考によるコンマ単位の停滞を真ヒトガタが突く。


 がりっ……!


 噛む。

 体ごと投げ出すパンチを受けて、彼女は定良の腕が即座に引かれないことを見て取る。

 殴られたダメージをものともせずに振り抜かれた腕へと噛みつく。


「カッ!」


 先ほども大太刀を真剣白“歯”取りしたのだということを思い出す。

 彼の大太刀の唐竹割を制することのできる咬筋力での噛みつきだ。

 がちん、と顎が閉まり戻ってくる途中の右腕が手首の上あたりで挟まれることになる。

 ここで全力で噛まれたならば籠手ごと腕を噛み潰される可能性もあった。

 だが、ここでの相手は黒木兼繁定良。

 戦国期の武士もののふで、江戸時代に発展・昇華される武士道というものが根付く前の戦人いくさびと

 戦場での乱戦で無手甲冑での組打ちも経験してきた男であった。

 その中で、噛みつきというのはどういう扱いになるか。


「浅慮だな、肉塊ッ!」


 がっ、と先ほどまでの腕の引きよりも速度を上げて、腕を戻す。

 その時には敢えて捩じるように角度をつけて腕を引いた。


 みじじっ……!


 あまり他と比較対象できない音が定良の籠手と真ヒトガタの歯の間でした。

 定良の鎧に下地の服に関しては、戦国期の鎧の造りではあるが、素材はまるで別物なのだ。

 素材には耐燃・耐熱・耐衝撃・耐腐食など、現代の英知が備わっている。

 その一覧には防刃・防弾などはいの一番に備えられているに決まっているのだ。

 防刃の繊維や素材を用いた籠手とその下の服に歯を立てる。

 圧力をかければそれは貫通にまで至るだろうが、一度噛みつき速度を落とした程度。つまりいまだ歯が触れ、これから“力を込める”段階なのだ。

 ここから歯を食いしばって、腕を噛み潰すというタイミング。

 定良は相手に噛むという攻撃手段があると再認識し、方針を転換する。

 容易に噛み千切れない繊維の服を敢えて噛ませ、腕を捩じり巻き込むように一気に引く。


「クカカッ! 再生した肉は、脆い!!」


 引き抜いた右腕。

 最新の繊維・素材とはいえ歯を立てられた箇所には穴が。

 そしてそのまま引き抜かれたことでそこを切っ掛けに袖が裂けている。

 だが、その引き抜いた腕から弾かれた歯が飛ぶ。そのまま近くの地面に落ちて小さく音が鳴った。

 先ほどの形容しにくい音は頑丈な繊維が避けるのと真ヒトガタの歯を引っ掛けて抜いたのが混じった音だった。

 腕を引き抜いた口を見ると、再生した再度の下側の歯がほぼ抜けている。

 元々の腐れ肉から残った歯は何本かは強引な力で抜けたが、まだそこにある。


(狙いは、再生したところだっ!)


 脆くなった、もしくは元のミセス・ケロッグの時の体を取り戻したという事かも知れない。

 その再生した部位を狙う。

 攻撃はまだ終わっていない。

 ピエロが耳鳴りを根性でどうにか抑え込み、大きく空いた口に照準を定めた。

 狙うは顎、そこからの首。

 定良に引かれてぐらついた頭へとピエロが右ハイを蹴る。


 ごんっ!


 中々にいい音がしたが、返ってくる衝撃もまた大きかった。

 サンドバックを蹴っているのではなく、まるで鉄の塊を蹴ったようなそんな返り。

 野戦服のブーツ越しとはいえ、かなり痛い。

 首を蹴られて、倒れはせずとも後ろへと大きく吹き飛ぶ真ヒトガタ。

 同時に左手の爪がその勢いで抜けた。


「そのまま腐れて、果てぃ!」

「ハァッ!」


 定良とピエロが吹き飛んだ真ヒトガタにさらに追撃を、と踏み込む。

 大きく腕を広げて吹き飛んだ彼女は一見無防備に見えた。

 二人には見えてしまったのだ。


 にぃっ……!


 わずかに彼女の歯の抜けた口元が歪んだのをピエロが、定良が目ざとく見つける。


「「!?」」


 二人がそのこぼれた笑みを理解し、体をこわばらせた瞬間だった。


 どっっ……ぱんっ!!


「グハァッ!?」

「ゴッ!? がはっ!」


 直進していた二人が、弾かれるようにして後ろに吹っ飛んだ。

 ごろごろごろっ、と地面を勢いよく転がっていく。


「ぎ、ガハッ! ……ち、っくしょう……!」


 撃たれた。

 感想はその一言。

 何の因果かあまりうれしくない経験の一つとして、ピエロはどてっ腹を銃で撃たれた経験があった。

 咄嗟にアイテムボックスから半壊したヘビー・シールドを取り出し構えたのだが、それだけでは体全体をカバーしきれなかったのだ。


「ぐ、くそ」


 よろよろと起き上がる。

 ぽたぽたと体のあちこちから血が滴っていた。

 ヘビー・シールドの重みに負け、取り落とす。

 盾の表面にはいくつかの弾痕ににた千切れた肉、真ヒトガタの腐れ肉の欠片がこびりついていた。

 体の前面、正中線上の急所だけは守ったがそれ以外には硬質な腐れ肉の“弾”が当たり、ダメージを与えている。


(……できねぇ、って思いこんだ俺たちのミスだ。くそ、カードの一枚二枚伏せててもおかしくない! そりゃあ、使うならここぞってタイミングだってのは解ってたはずなのになっ!)


 蹴りで吹きとんで後ろに下がった、あのタイミング。

 そこに突っ込んでくる二人目掛け、真ヒトガタが三度目の噴出を行ったわけだ。

 自身の前面、そこ目掛けての噴出。

 球になっていた時よりも量は少なく、溜めの時間もわずか。

 だが、突っ込んでくる相手に対して、面制圧を可能とするショットガンのような形で、オーガ・ザンバーの衝撃に耐える硬度の腐れ肉(たま)を放つことはできた。できてしまった。

 硬度が固い接近戦オンリーの人型だと勝手に判断したのが早計だったということだ。

 迂闊に接近してモロに直撃を喰らうとは。


(だけどっ……、向こうも正念場ぁ)


 質量保存の法則。

 十から一引けば残りは九。

 十に戻すには一を足さねばならないのだ。


「か、かぁぁ……ぁぁぁぁ」


 小さなうめき声を上げる真ヒトガタの体の各部から放たれた肉の破片は、その噴出ポイントを中心にしてどろどろとした液が体を伝って地面に流れていた。

 腹から腹部にかけて、その漏出液は脈打つようにして勢いよく噴き出ている。


 ずるり……。


 さらに、真ヒトガタの顔が崩れる。先ほど再生したのと逆の側が頬から耳、顎にかけてが地面へと滑るようにして落ちる。

 定良がひっかけて抜いた歯列がそのまま見えるくらいになっていた。

 向こうも間違いなく消耗している。

 奥の手だったかどうかは知らないまでも積極的に使ってこなかったのは、この消耗があるからだろう。

 身体維持にエナジードレインを必要とするのに、わざわざ自分の体を文字通り削っての攻撃。


「……く、うぉあぁ!」


 ピエロは腹から声を出す。

 立ち上がるのにすら気合がいるという状況。

 じゃり、と自身の血で湿った芝生に膝をついてよろよろと立ち上がる。

 どん、とぐらついた体を支えるのに足を思い切り踏ん張った。

 一応壊れかけの盾を一枚挟んだ分、致命的なダメージまでは受けていないのだ。

 だが、そうでないほぼ直撃を喰らった者が隣にいる。


「さ、定良、さん……。どんなもん、ですか?」


 声を掛けるとがしゃ、と定良が起き上がってくる。


「……クカッ。なかなかに難しいが、動けはする。もし脳天に喰らっておれば立てもせんかったぞ」


 鎧と服で弾は食い止めたのだろうが、ダメージは通ったらしい。

 動きは緩慢で、精彩が無い。


「だが、あちらもそう変わらんざまだ」


 無防備に近いというのに向こうからは追撃がこない。

 それが出来ないほどに向こうもダメージを喰らっているのだろう。体の保持(ダメコン)に向こうも時間を必要としているのかもしれない

 だが、逃げるという素振りはない。


「……まるで手負いの獣だな。近づけば全力でこちらを排そうとする。しかも退く気はないときた」


 当然の話だ。

 ここで逃げても先がない。追われて削られ仕留められる。

 そこを直感で理解したからこそのこの抵抗。

 自身の生存に集中している者は手ごわく、そして最後まで抗う。

 ちぃ、とピエロがマスクの下で舌打ち。

 自分の持ち分を全賭けしてくる相手は、何をしてくるかわからない怖さがある。

 こういった形の全賭けは熱に浮かれた自棄っぱちとは違い、冷静に今自分にできる出来得る限りの全てを投じるのだ。そこに無駄や無謀、虚飾は一切介在しない。

 どうするか、と逡巡。

 焦燥感がふつふつと湧いてくる。


「……ばれっ!」


 そんな中で少し離れた所から声がした。


「……うん?」


 この混乱を鎮めようと、ピエロたちだけでなく各々が一生懸命に奮闘している。

 戦うことのできるものは戦い、逃げるものは邪魔にならぬように、誰かを支えることが出来るなら手を差し伸べて。

 わずかに混乱を脱することのできた者たちが、周辺からこちらに集まってきていた。

 どこに行っても泥人形がいるのだから、その手から逃れるために、よりその圧が少ないところへと移動してきたわけである。

 そして彼らは、ピエロと「骸骨武者」の戦いを遠巻きに見ることになった。

 その流れで、ピエロたちと敵が共に消耗し、疲弊し、互いににらみ合う。そんな所に出くわしたわけだ。

 ふらふらと立ち上がるピエロたちに、体中から気持ち悪い漏出液を噴き出す色味の悪いブロンズ像のような真ヒトガタ。


「が、頑張れっ!!」


 最初きっかけは小さな子供だった。

 横には手をつないだ高齢の女性、恐らくは祖母だろう。まあ偶然そういうことになった他人の可能性もないわけではないが。

 その子供がピエロたちに声を掛ける。

 短く、そこまで大きくは響かない。

 それでも、声を張り上げての、応援。

 子どもは、強い。こういう時に自然に声を出せる。

 周りの反応だとか、他の人がどうしているだとか、そんなことで口を閉ざすことも無く。

 みんなの為に一生懸命に頑張ってくれる人がいる。

 そうであるなら言うべき言葉が、ある。


「頑張れっ」


 三度続けて、大きな声を出すと、やはり子供なのだ。

 ほんのわずかに声のボリュームは小さくなってしまう。繋いでいない手を口元に持って行ってそれでも届くように、と。

 ピエロの頭が、声を掛けた子供の方に向いていた。

 届いた。届くのだ。

 子どもは力一杯に手を振った。

 もう声を出す必要はない。

 自分ではない、他の人が声を出してくれているから。


「が、がんばってくれぇぇっ!!」

「もう少しッ! もう少しだ!!」

「行け、行け、行けっ!! やっちまえッ!!」

「ありがとう、ありがとうございます!! あともう少し、あと少しだけ!!」


 わっ、と堰を切ったようにして声がでる。

 自分たちを助けようとしてくれる者に、声援を。

 できる事はそれくらいだ。

 金や物やゲンコツでもない。

 ただ振り絞った声だけであっても。

 男も女も老人も。いつの間にか金属バットを持ったイッシーとマナブもその中にいた。


「ははっ……」


 ピエロのマスクの中で乾いた笑いが零れる。

 ああ、マジで。本当に、くだらねぇ。

 力が抜けていたはずの右手がぎゅっ、と握られる。


「どうした、『騎士殿』」

「いや、マジで。どうしようもねぇなぁ、って話なんだけど」


 遠くで応援の声を出す皆から、真ヒトガタに視線を戻す。

 自爆技ともいえる面攻撃の影響で、どくどくとまるで血のように吹き出す漏出液。

 相手も傷つき、こっちもボロボロ。


(……こーゆーとこなんだよな、俺。きっとアイツ等、茶化してくるんだよなぁ)


 へへ、とどこか自嘲気味に笑う。

 たぶん、あの勇者グループの連中、あと美緒とかユイとかもだろう。


「はぁ、単純なんだよなぁ。うわー、こんなやる気出るもんかね、俺?」

「はは、そうか。声の後押しで百人力というヤツか」


 しっかりと背筋が伸びてふらついていた足元が地面を踏んでいるのを感じる。

 自分のことながら、まったく現金なものだ。


『この、人でなしッ!』


 一瞬、フラッシュバックする。

 あの憎々し気な顔、あの恨みがましい声、あの体を締めるその力。

 だが、しかし。


「頑張って……」


 顔を顰めるフラッシュバックの中でそれが聞こえた。

 他の皆の声に埋もれてしまうような、それでも力一杯に振り絞ってくれた、小さな幼い声。


(うはは、ひでーな。ちょろいわー。俺めっちゃ、ちょろちょろ君だわー)


 自分でも自覚してしまった。

 でも、いーわ。

 なんか、もーどーでもいい。

 さっきも同じことを思った。

 その時とは言葉は同じでも、そこに含まれる感情のベクトルは真逆だ。


「いやぁ、百っすか?」

「おぅ?」


 先ほどの定良の指摘に少しだけ訂正を。

 手を顔に持ってくるとピエロマスクにそれを重ねる。

 ばさり、と手を振るうとずしんと体に重みが増す。


「俺としてはですねぇ」

「おお」


 ピエロマスクが黒い靄の中に消え、変わって割れた兜が現れる。

 同じく穴の開いた野戦服は、壊れた鎧にかわり、その肩にばさばさと黒い布が背を覆う。

 幾筋もの光の帯が黒い布と合わさって風にたなびく。


「今、五分前の俺と比べるとっ」


 肩をぐるりと回し、軽く首を傾げると、こきこきと音を鳴らす。

 どんっ、と地面を蹴る。

 同じく合わせて定良も駆ける。最速、最短を。

 そして間違いなく。


「軽く万倍は強ぇぞぉって、なぁッ!!」

「クカカカッ!! それは、それは失礼したなッ!!」


 砕けるものか。

 破れるものか。

 負けるものか。

 この事件が起きてから、疑う余地なく今、最高いちばんの「光速の騎士」が、戦いに挑むのだから。

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― 新着の感想 ―
[一言] おばさんさぁ…… からの おこさまがんばえ は流れとして完璧なのかもしれない。 罵倒されて力なんか出ないですよね。 やる気はフィジカルに影響するんだから。 声援を貰って力を得て変身する…光…
[良い点] 更新ありがとうございます。 なんか、主人公の良さが存分に出てますよね。 朝イチで読めて良かった~、自分も今日の仕事頑張れそうです(笑)
[一言] 最高の瞬間、いただきますw
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