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一般人遠方より帰る。また働かねば!  作者: 勇寛
5章

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325/365

11-5 それ“ら”は 予期せぬ 目覚め

「バカ野郎! それ以上はさせっかよ!?」


 コンサート会場で一番目立つ場所に“それ”がある。

 うつぶせに倒れ、その状態のままピクリとも動かない血まみれの「騎士」。

 その横に焦点の合わない目で虚空を覘いているようなアイネ・ケロッグと、彼女に纏わりつく死霊ゴーストが一体。

 前後の状況は分からないが、彼女と恐らくは憑依しているだろう死霊ゴーストによって「騎士」が討ち取られている。

 そんな状況なのだろうと寅吉は推測した。


「くそ、何だよこれはよォッ!?」


 一刻も早く「騎士」の元へと思うのに、床一面に飲料水のペットボトルと缶が散らばっている。走るには邪魔でしかない障害物で歩みが止まる。

 よくよく見れば全くの意味不明なのだが、有名どころの飲料水メーカーのロゴがプリントしてある自動販売機が、ステージ上に転がっている。

 そこから零れ落ちたものだろうが、一体誰がこんな邪魔者を持ち込んでくれたのだろうか。

 焦りを生むのは仕方ないことだ。

 つい先ほどまで話をしていた相手が、生き死にのどちらに転がるかという状況では、特に。

 しかもその傾きは大きく死に傾いているとくれば。


「邪魔っ」


 同じく駆け出していたペストマスクをかぶる小柄な女、シガーがそう言うと手を差し出して小さく振るう。

 白い手の爪だけが真っ黒に染まっているが、その爪がほんの少し伸びたように寅吉には見えた。

 錯覚か、と思った瞬間にそれが間違いと気づく。

 爪先が、いやそこに染み込んでいた黒い墨汁のような物が、振った手の先で瞬時に形を変えていく。


牙痕きばあと


 ばご、んっ!


 小さくつぶやいた声と共に、前方一帯を黒い一撃が薙ぎ払う。

 爪先から放たれたそれは肉食獣の口元を形作る。

 獣の顔ではなく、その口元だけを模している。

 進行方向の床にばら撒かれていた飲料水などが床材と共に弾き飛ばされていく。ランウェイの上にあるそれらも同様に弾かれた。

 先ほどよりは走りやすい路面にはなっただろう。

 放たれた「牙痕」の残滓が煙が薄れるようにして消えていく。


「急げ!」


 ステージ下からランウェイへとよじ登り、幾分走りやすくなった道をメインステージへと駆ける早苗たちの混成部隊。

 二階席付近で定良が気炎を上げているのを見つつも、そちらの援護は後回しだ。

 最優先でまず、メインステージまで駆け抜けねばならない。

 大金星を狙うなら、あの一番目立つ死霊ゴースト

 そして次点が「光速の騎士」の救出、といったところだ。

 どちらでもいい。

 どちらか一方でもクリアできるなら、改善の方向に状況は変わるだろう。

 このホールに入って一番の衝撃は「騎士」の脱落。

 少なからず、いや。かなりの衝撃的なその光景はこちら側の士気を大いに引き下げた。

 このまま作戦を継続するというのはあまりにリスキーだ。

 ライフル銃を片手に突き進む早苗の頭の中で、杉山茂という一個人にあまりにもの責任を押し付けたことの後悔がよぎる。

 こういったことにならないように、彼を一時混乱の最前線から距離を取らせようとしたことが悔やまれる。


(ある程度無理にでもこちら側で保護するべきだった?)


 仮定を今さら、とは思うがこうなることは避けられたかもしれない。

 だが、先にも述べたが今更も今更。

 その後悔の念が早苗の心内を揺さぶっている。


「ブレんな、スカーレット! “そういうの”は後にしろっ!」


 寅吉から怒声が飛ぶ。

 長い付き合いだ。

 早苗が突入部隊のゴツイヘルメットの下で、どういう表情をしているかくらいは想像できたのだろう。

 その声に、やらねばならないことを思い出す。

 今は兎も角、脅威を排除するべきタイミング。

 最も長い場所で百キロ単位の超巨大な縮尺で作られた魔術回路。その魔法陣の中心部。

 そこで今鳴動するこれがろくなものではないことは分かりきったことだ。


「すまん。援護を、頼む」

「おおよ!」


 どたた、と駆け抜けたところで逆サイドから定良の援護で一気に抜けてきたユイがメインステージへとたどり着く。

 その後ろから、追いかけけてくる人影。あれはこちらの人間ではない。

 つまりは、敵。

 丁度、中心部のアイネ・ケロッグを挟み込むような形。

 ならば、両方から一気に詰める。


「カッ!!」

「ッ、ラァッ!」


 早苗、そして続いて寅吉の気合。

 それに合わせて早苗からは赤いオーラが、そして寅吉は浅黄色のオーラを両手から迸らせる。

 早苗はライフルを背に回してから、左手首にしている古びた数珠へと右手を添える。

 そうすると右手側のそのオーラが左手側に収斂していく。

 寅吉とは根本は似てはいても運用が違うと思われるその気功術、ないしは霊術の類といったところか。

 形は流動的ではあるが、一番近いのは甲殻類の鋏、つまりは長い刃と短い刃が一本ずつ左の手に赤いオーラで形作られた。

 肉眼でも視認できるほどで、明らかに穏やかな会話をする場へと持ち込むべきものではないと断言できる。


「寅、左を!」

「シクんなよッ!」


 ざ、と揃って走ったところを左右に別れる。

 寅吉側が倒れた「光速の騎士」に駆け寄るユイのフォローに回る。後方から追いついてくる人影、アキトシ・サーフィス・ガルシアの対処に当たらねばならない。

 早苗側がメラニー、そしてアイネと“ソイツ”を狙う。

 アイネから生える、この世の者ではない霊体のナニカ。

 その顔立ちはメラニー・ケロッグと酷似している。いや、瓜二つと言ってもいいかもしれない。

 まるで相似形である。

 弱弱しくも半身を浮かせているメラニーが見える以上、この霊体の正体も推測できる。


(行方不明で死亡扱いになっていた母親、その死霊か!)


 メラニーと本当に若い頃の顔立ちが瓜二つだったという彼女の母親の写真を思い出す。一番固い張りと思える。

 正体を推測、看破すると同時に、自分たちの情報の間違いにも気づく。

 結局電波不良で石島たちが入手した情報は早苗たちには届かなかったが、早苗は独力でその結論に達する。

 早苗の中で仮定ではあるが、そのことが百に近い確信に至る。


(狙うならこちらだッ!)


 問い詰めるなどという悠長なことはしない。

 敵対者としてマークしていたメラニーをスルーし、そのまま死霊ゴーストとなった女へと狙いを変える。

 当然、霊体である以上銃火器による打破は困難。

 だから、有効打を与えられるだろう早苗、そして寅吉が先行したのだ。

 同様に“力”を持っているだろうシガーはパイプとランウェイに登って後方から様子を観ている。

 ちら、と一瞬視線をやるとシガーがこくん、と頷いたのを確認する。

 わざわざドリンクの山を掃き清めたくせに、寅吉と先行しなかったのは彼女たちなりに理由があるようだ。

 一方の敵であるはずのアイネの背から生える、その死霊ゴーストは何を思っているのかこちらに視線を送ってこない。

 その真意は分かりかねるが、この死霊ゴーストは最近生まれたばかりの新品ニュービーではなかろう。

 少なくとも数年単位で現世に留まり、そして娘の体を用いて市井に紛れ込むことのできるだけのスキルを持っている死霊ゴースト

 ランクでいえばかなり上位とは思われる。

 とはいえ、早苗も寅吉もそういった問題オカルトに関してはプロフェッショナルである。

 苦戦はするにしても、倒せないほどの相手ではない。

 しかも、早苗、寅吉。その後ろにはシガーとパイプの二人も後詰として控える。


(まずは、一刺しッ!)


 ホテル・スカイスクレイパーの一件では、そのような事態を想定できなかったところもあったが、今回は死霊ゴーストの存在の確認があり準備もできた。

 なにせ東京で待機中カンヅメのところからの直行便だ。

 たんっ、と踏み込んだ早苗が左手を突きの形にして差し出す。

 ず、とオーラが変形し、針のように伸びる。

 一種異形ではあるが、一番近い形状はナックルガード付のレイピアの様だ。

 これが、古びた数珠を含めた火嶋早苗の本来の能力という所なのだろう。


「ハッ!」


 鋭く早く死霊ゴーストへと剣先を奔らせる。

 微動だにせず、天を仰いでいるその死霊ゴースト、便宜的にミセス・ケロッグとでも呼ぼうか、彼女の胴を狙って放たれる一撃。

 尋常いままで相手ゴーストであれば、滅するまではいかずとも、それなりのダメージを与えることが出来た一刺しだ。

 そんな危険なものが迫ろうというのに、ミセス・ケロッグはようやくこちらに視線を向けるだけ。初めて、こちらに興味を持ったかのようなそんな気配すらある。

 もしかすれば攻め込まれたことによる、ステージの魔法陣に注力しているのかもしれない。

 それの為に周囲へ警戒する余力を失った?


(いや、どうでもいい。行けるッ!)


 仮定より結果、論より証拠、終わりよければ、とでも言えばいいか。

 ここでこのミセス・ケロッグを討ち取る。

 それが最優先。


「ねぇッ! 起きてッ!!?」


 半狂乱に近いユイの声が耳に届く中でも剣先はミセス・ケロッグへと迫る。

 視界の端に倒れた「光速の騎士」にすがるユイの姿が映る。


 駄目だ、下がらせよう。


 経験からくる冷徹ともいえる判断が自然と降りてくる。

 ユイは“この後の”戦いではどうにもならない。戦力外である、とばっさりと切る。

 あそこまで崩れた不安定なメンタルを立て直す時間、それが惜しい。

 立て直したとして不意にまた崩れたりすればどうなる。

 そこが生死を分かつ分岐点であったりすれば。

 だからこそ、冷静にかつ効率的に。藤堂ユイを戦力外だと、断じる。


 そんな、ミセス・ケロッグを“倒した後”のことを思ってしまったのだ。


「あはは」


 ぱんっ!


「な、にっ!?」


 不可避であったはずの剣先がミセス・ケロッグに掴まれていた。

 霊体に対する、特攻とでもいうべき効果がある早苗のオーラを自身の片手ではっし、と握りしめている。

 触れるだけで、霊魂へ影響するはずのそれを掴んで、平然と。

 しかもおかしそうに微笑んですら、いる。


「な?」

「邪ァま、よォォ?」


 ぐるん、とその顔が狂笑に歪む。

 アイネではなく、ミセス・ケロッグが主導権を握っているのだろう。

 直に握りしめたオーラの塊に痛痒を感じさせている素振りも無く、そのまま虫でも払うかのように腕を振るう。


「うわっ!?」


 瞬時にオーラを引っ込めて後ろに跳ぶ。同時にぐらりと地面にアイネが倒れていく。

 先ほどまで早苗がいた場所が大きく凹んだ。床に残った結果としてはハンマーで上から叩いたかのような力任せに見える一撃。

 だが、ミセス・ケロッグの手がそこに接触しているわけでも無い。

 早苗は背筋に走った悪寒のままとっさの判断で後ろに跳んだのだ。

 つまりは不可視の一撃。

 だが、見えずとも確かに其処に実在あるという、不条理イカサマ

 そんな力を、早苗は知っている。


模造異能者デミ・サイキッカーの障壁!?」


 その力が、死後の状態でも継承出来るということか。

 そこまでの、そんなレベルの厄ネタをここで引くというのか。

 分かたれても根は同じ、ということか。

 内心の混乱とは別に、白石グループ経由で聞き知った模造異能者デミ・サイキッカーの力の一端と、目の前の現象が合致する。


「ねえ、ねえってば!?」


 そんな中でユイの声が響く。視線を送ると、ユイが外套の黒布を「騎士」の腹の大穴に当てて、どうにか止血を行おうとしているところだ。

 だが、抜けている血があまりにも多い。

 焼け石に水、という言葉が頭によぎる。


「く、おい! アンタはここから退け!」


 早苗が吹き飛ばされた状況を見て、同じく寅吉もパニックを起こしつつあるユイを切ることを決断した。

 この状況でそんな声を出されると、味方側が一気に崩れる。

 すなわち、どういうことか。


「え、え、え?」

「邪魔だ! ソイツ担いでとっとと、消えろッ!」


 邪魔。

 その一言に尽きる。

 崩れた「騎士」とユイの前に立って、追いついてきたアキトシの前に壁となって寅吉が立つ。

 だが、正直後ろにお荷物を“二人”抱えて、相手の首魁の一人と大喧嘩というのは分が悪すぎた。

 一方のアキトシはそんな死に体の彼らをスルー。それよりも先に確認すべきことがあるのだ。

 ミセス・ケロッグの傍にやってくるなり、声を掛ける。


「メラニー・ケロッグ!? いや、これはどうなっている!?」


 アキトシの声色に困惑が混じる。

 メラニー・ケロッグという人間と話をして、計画を立て、それを実行に移してきた。

 そのメラニー・ケロッグが倒れている。先ほどまでは辛うじて目を開いていたが、今は苦しそうに荒い息を吐いて脂汗を流して起き上がれそうもない。

 妹であるアイネ・ケロッグもその腕を真っ赤に染めて同じように。

 だがメラニーと同じ顔の死霊ゴーストが残っている。

 話をしていたメラニー・ケロッグは一体誰だったのか。

 いや、それ以前にこいつが模造異能者デミ・サイキッカーしか使えないはずの障壁を張ったのを見ている。アキトシは同種の能力を見誤ることはない。

 なぜだ、なぜそんなことができる。

 オラクルパワーの連中は、それが“できない廃棄物ゴミ”だったからこそ、わかれた分家筋。

 組織に残されたオカルトに分類される技術おとぎばなしを追求する、という方針ばくちに舵を切ったはずなのに。


「アキトシさん……サン、さん、さん。うふふかふはふかか、あはははははっ!!」


 浮かんでいる死霊が気持ちよさそうに高笑い。正気には思えない。

 気色が悪い、それ以外の感想は浮かんでこない。

 しかも何故か、この死霊ゴーストは自分のことを知っているようなのだ。


「くそ、こいつは会話になるのか!?」


 アキトシの発した言葉から、早苗はこれがアキトシ達トゥルー・ブルー側にとってもイレギュラーであることを察する。

 まるで隙だらけなのだが、先ほどの事もあって早苗からは攻めあぐねていた。

 後ろに追いついてきた部隊が一斉に銃口をそのミセス・ケロッグに向けて構え、待機しているのを手で制した。


「うふうふふうはははッ! えへへへぁぁぁっ!?」


 ミセス・ケロッグは笑いながら右手を振るう。

 そうすると先ほど「光速の騎士」が何度も盾で叩き潰して砕いた頭蓋骨、ケロッグ姉妹の両親と思われる形状からして女性だろうそれが、床の穴の中からパラパラと音をさせて持ち上がってくる。

 割れる前はおどろおどろしい色の群青色の染み出しがあったはずが、今は普通の白い骸骨になっていた。

 顔面が砕けたそれが一塊になって浮かぶのをその場の皆が警戒する中、その欠片がふわりと勢いよく飛んでミセス・ケロッグの元へ。


「!? 駄目だ、アレを撃てっ!」


 部隊の後ろからパイプの慌てた声。

 だが、部隊全体に一瞬の迷いがあった。実弾の発砲、その行為に対する逡巡。

 これが開けた場所ならば、違った。

 しかしそうではない。

 ここは最低でも二万数千のコンサート参加者と、周辺の住民・観光客を囲った閉鎖空間。

 この中での発砲は流れ弾の恐れが高い。

 仮にここまでで一度でも戦闘を行い、発砲の是非を問うていれば。

 それが無く、ワンテンポ遅れてしまう。


「っ!? 撃てぇッ!」


 青柳がそれでも最速で指示を出した。この後の徹底的な追求という地獄を考えるより、その“この後”が無くなるかもしれない、そんな予感。

 銃口の照準はミセス・ケロッグの方に向いている。

 そこに飛んでいく頭蓋骨を狙うのは簡単ではあった。


「させんよ! 取り敢えずのところはッ!」


 壁が無ければ、だ。

 事前ミーティングで散々頭に叩き込んだ模造異能者デミ・サイキッカー、その首魁アキトシ・サーフィス・ガルシア。

 彼がミセス・ケロッグの前に不可視の壁を作り出す。

 ががが、と耳障りな音をさせて銃弾がその壁にぶつかり進みを止めた。


「うふふ………。ああ、これで……」


 うっとりとした声色でミセス・ケロッグが飛んできた頭蓋骨を包み込むようにして“受け入れる”。

 頭に当たる場所にそれが沈み込んでいく。


「マズいぞ、スカーレット! 奴は、奴は!」

「分かっている! こんな階段飛ばしで出来るはずはないのにッ!」


 乱雑に黒布で腹のあたりを縛り付けた「騎士」を背負ったユイが部隊の後方へと動き出すのを見つつ、寅吉が叫ぶ。

 同じように部隊の後ろにいたシガーとパイプも早苗の元に。

 霊魂オカルトに知見を持つ異能の者達が一斉に警戒を最大級に高めた。


「あの死霊ゴースト! 受肉するぞ!!」

「何で!? 霊質だけの存在にまで墜ちたのに! 受肉するなら少なくても十年、数十年スパンの時間と、莫大な贄が必要!」

「知るか! 来るぞ!」


 パイプが結論を、シガーが先ほどまでのぽつぽつとしたしゃべり方を捨ててそれに負けないくらいで疑問を叫ぶ。

 だが、現実はそうなったのだ。

 死霊ゴーストでしかなかったミセス・ケロッグがステージの中心で大きく輝く。

 血に染まったような深紅のな赤光が彼女を中心にして放たれる。

 自身の頭蓋骨を飲み込んで、それを依代として。

 網膜を焼く様な強い光が和らぐ頃、死霊ゴーストのいた場所には一人の女が佇んでいた。


「ああ、これは。……主よ、あなたに心からの感謝を」


 女ではある。

 一糸まとわぬ滑らかな肌、女性らしさを表すプロポーション。ある意味女性美という物の体現ではあるだろう。

 だが、この世界にいる“人”ではない。

 少なくとも、群青色の肌と白目と黒目の区別のない金色一色の眼球を持った人間などいたことはないはずだ。

 その女は床に広がる白絹を手に取ると、ばさり、と羽織るようにしてその身に纏う。

 ギリシャのトーガのようなようにも見え、触れ得ざるモノ特有の雰囲気が漂う。

 それが善性にしろ悪性にしろ、だ。


「その言い様、“メラニー・ケロッグ”か! ……何が起きている。その姿はどういうことだ!」


 横でまぶしさに目を細めていたアキトシが隣の元死霊ゴーストだっただろう女に尋ねる。

 このような女が現出するようなことは計画の埒外。

 だが、その口調。

 何より、メラニーをそのままトレースして写し取ったかのような色違いの見た目。

 肌と眼球を除けばプラチナブロンドにメラニーの鏡写しの姿がある。

 メラニーの双子の女の肌を塗りたくり、特殊なカラコンをいれたと言われる方が納得がいく。


「素晴らしいことが起きたのです。ええ、主が我々に授ける、祝福を。その最たるものをこの私に下賜いただきました」


 うっとりとした表情で天に向かい手を重ねて感謝をささげる女。

 死霊ゴーストが転じてこうなろうとも、中身は同じだろうからミセス・ケロッグと呼ぼう。

 ミセス・ケロッグはその主とやらにいたくイカれているようだ。


「……何が、祝福」


 ぼそり、とシガーが呟く。

 おや、とミセス・ケロッグが初めてその存在に気付いたかのように視線を送る。


死霊ゴーストにえを集め、時をかけて練り上げ、そして受肉する。どこの国でもどの時代でも輪廻から逃れようと続けてきた下らない凶事ざれごと。これだってただそれだけの事」

「骨に肉を付けたところでその中身までは隠せん。墓石の下の死体の方が香しい香りがする。このあたり一面に貴様の腐臭がするぞ、女」


 シガー、そしてパイプ。

 そんな言葉にミセス・ケロッグが顎に手をやって困った様に小首をかしげる。


「不心得者はどんなときにもいらっしゃいます。主のすばらしさを理解しないその無知。それは恥ずかしい事ではないですが、詳らかにしゃしゃり出るのは不敬であり、そしてマジョリティの傲慢ですよ」


 そうミセス・ケロッグはつらつらと述べて見せる。


(……最悪の最悪、か。この天然モノのトンデモ女。明らかに知性がありやがる)


 寅吉が今のやり取りを見て内心で冷や汗をかく。

 恐らく言葉を発していない早苗も、問答を仕掛けたシガーたちもそうだろう。

 受肉直後の段階でこの受け答え。

 どう考えてもさっきまで死霊ゴーストだったとは思えないほどの昇華ランクアップ

 一般的には死霊ゴーストはその辺りの死体ぎせいしゃに憑依して徐々に階位を上げていくものだ。

 そこをすっ飛ばしてのいきなりの受肉化。

 中身だけでも“そうでもない”というのを期待していたのだが。


「……主は見てくれていたのです。私が主の為に贄を捧げ、真なる祈りを捧げていた事を」

「バカな! 百や二百で、そうはなるものかッ! 千でも足らんぞ!?」


 ケロッグ姉妹の母親が消えてまだ数年。

 その間に千を超える贄を?

 ありえない。


「信仰心の無い方々ですね? ですが主は先ほど、声にならぬ声で私に告げられました。今の私はそれを知ることができるのです」

「なに、を?」


 完全にトリップしているとしか思えない。

 もっとも死霊ゴーストであったモノが真面な精神を持っていることもそうは多くないのだが。


「ええ。主は、私に今の階位を教えてくださいます。いま、私はレベル八へと昇格したのだ、と」

「「は?」」


 アキトシも含めた皆が、そんな疑問を告げる。

 やはり、どこかおかしいのだろうと。

 ここでそんなことを口走るとは。






 さて、この女はレベル八と言った。

 それはレベルという概念をその身に受けた者にしか理解出来はしない。

 ……そう、そういうことだ。

 彼は「光速の騎士」、杉山茂は、この死霊ゴーストに討たれた。

 この世界に戻り、それ以降の模擬戦でも試合でも、ましてや骸骨との死合でも。さらに言うなら命を遣り取りした数度の実戦であってすら。

 そのどれもが「騎士」の命にまで届くことはなかった。ただの一度も、だ。

 それがここで初めて届いたのだ。不意打ちであったとしても、つい先日レベル二十にまで至った「光速の騎士」という一般兵士ぼんじんの命に。

 千を数える凡様な魂と、レベル二十という修練を重ねた一般人こうそくのきし

 天秤にかければちょうど釣り合うのではないか?

 ならばその経験は魂を奮わせるには十分といえるな。

 世界の頚木を超えて、その概念を現代社会こちらがわに現出させるには。


 そうだ、ミセス・ケロッグは現代社会こちらがわにおいて、人ではないが初めて「レベルアップ」の恩恵をその身、いやその魂に受けた初めてのモノとなったのだ。


 ……レベル八か。

 それはこちらに在ってはならない枠組がいねんだというのに。







 つん、と鼻を突く香り。

 コーヒーの香りが鼻をくすぐるのを感じて薄く目を開ける。


「……ん?」


 どうやらテーブルの上に突っ伏していたようだ。

 茂は首を上げて周りを見渡す。そこは大学のゼミの課題に取り組もうとPCやら資料が広げられたままの「森のカマド」の角の席。

 角ということで広めにゆったりと座れるスペースと、客の動線からは外れているのであまり横を人が通らないベストポジション。作業をするには絶好の場所だ。

 目をこすりこすり、くぁぁ、と欠伸をして体を伸ばす。

 ぺきぺき、と体が鳴る。


「起きたか」


 ことん、とテーブルの上にコーヒーが一つ置かれていた。

 先ほどまでは誰も座っていなかったのに、いつの間にか誰かが座っている。


「……ふぇ?」


 目を覚ましたばかりで頭が働かない。

 窓の外から入る光がまぶしい。

 こんなまぶしい中、よくも寝こけていたなぁ、と思う。

 逆光のせいで正面の誰かの顔が見えない。


「飲むと良い」

「あ、悪いな。ありがとう」


 茂は相手に言われるがままコーヒーカップに手を伸ばす。

 湯気が上る深煎りのローストされた香りが鼻先に届く。浅い若めの物ではなく、どっしりとした濃厚なものだ。

 飲み終わりにわずかにブレンドされた浅い煎りの豆の酸味がほんのわずか、舌先に残るのもまた良い。


「うまい。いつもの味だ」

「そうか。それは良かった」


 いつもと変わらない、「森のカマド」の伊藤店長を中心に吟味を重ねた中部地区限定のカスタムブレンド。


(? あれ? 全国版のレギュラーブレンドの方か?)


 この間、「森のカマド」の運営にコンセプトをパクられて更新したレギュラーブレンドだったか。


「これは、カスタムブレンドの方だ。最後の酸味、そこまでは寄せきれなかっただろう?」

「あ、だな。この感じは、そうだわ」

「忘れるなよ……“この時”にはレギュラーブレンドはまずかっただろう?」


 言われて気付く。

 そうだったそうだった。

 確かに、“この時期”のレギュラーはあまり好きではなかったな。

 いつの間にか正面に座っていた男が立っている。

 まぶしい。

 顔は見えない。

 男性スタッフ用の「森のカマド」の制服を着ており、空になったナポリタンの皿を手に持っている。

 恐らく皿を下げに来たついでに、寝こけた自分を見つけて声を掛けてくれたのだろう。


「それ……大分前に回収した古いタイプのだぞ?」


 気付く。

 確か「森のカマド」の制服がリニューアルする前、アルバイトを始めて二年ほどの間だけ袖を通したタイプの制服。

 伊藤と一緒に旧タイプの制服を回収して、“新しい今の制服にサイズ合わせをした”のを覚えている。

 あれは何年前になるだろうか。


「いや、まだ“この時点”ではこのユニフォームだ。そうだっただろう?」

「……そうか、そうだな。バイト始めた“大学の時”は、その服だったもんな」

「……それよりも、おかわりは?」


 気付かなかった。

 もう飲み干してしまったのだろうか。

 コーヒーカップの底が見えていた。


「あ、じゃあレギュラーじゃなくて、カフェオレがいいなぁ」


 苦みを感じるコクの強いこういうのも嫌いではないが、もう少し柔らかな口当たりが今は欲しい気分かな、と。

 図々しいことを言ってみる。

 なにせ、“気心の知れた”彼だ。言ってみても気を悪くすることはないだろう。


「そうか、では取って来よう。カップもカフェオレ用に新しいものを、な」


 ナポリタンの皿の上に、かちゃん、と空になったカップをソーサーごと持ち上げて置くと、彼が去っていく。

 カップを持ち上げたその手首に、どこかで見たような機械式の腕時計。


(同じやつ、してるんだ、なぁ)


 大学入学の時に父親が買ってくれた、ちょっと背伸びした価格帯の普段使いもできる位の国産ブランドのものだ。

 大学時代は毎日のようにしていたそれは茂が三年の時に実家に着けて帰って、そのまま実家に置きっぱにしてしまっている。

 その腕時計とデザインも色も全く同じ腕時計。

 暫くは腕に巻いていないが、いつも手首にあったそのデザインは覚えている。


(ああ、ねむぅ……)


 歩き去っていく彼を見ていると急に眠気が襲ってきた。

 重力に負け、こてん、とソファに首を預ける。

 すると極上のクッションでもあるかのように、体が沈み込んでいく。

 あれだけまぶしいと思っていた外の光が、ほんのりと温かさを感じた。

 そして、瞼がおちる。


「そら、おかわりだ。……その様子だと限界か?」


 ことん、とまたテーブルにコーヒーが。

 カフェオレ用の少し細身のカップ。

 それを置いた手の指が節くれだって、そんなはずはないのに黒ずんで見えた。

 爪先はまるでナイフのように尖っている。

 寝る前の見間違いだろう。そうに決まっている。


「全く……。いつもいつも話をしようにもこれでは、な。それにしてもお前は働き過ぎだぞ」


(ああ、そうだとも)


「しかし、面倒なことになったものだな」


(最近は、忙しいかったし)


「自業自得、というには運が悪いな。相変わらず」


(だから、だから…………)


「……では、か……に俺…で…と……」


 眠りに落ちる寸前に、そんな声がした。


(悪いな、たの、む……)


「ああ、寝ていろ。スギヤマシゲル。我が……よ」









 ユイは怒鳴られた。

 その理由も、その意味も理解している。

 あの場で、あの様。

 それは邪魔にしかならないだろう、と。


(なら、できる事を!)


 背に負う力ない「光速の騎士」の体。

 あまりにひどいダメージを受けた体には力がない。

 背負った時には縛った腹からさらに出血も出ている。

 救命の観点からはそこから動かすというのは断じて行ってはいけないことだというのも判っている。

 だが、今まさに戦いが始まろうという最中に、そこに「騎士」、杉山茂の体を置いておくわけにはいかないではないか。

 後方へと下がり、喧騒が続くステージの外まで移動する。

 いま、彼女に注目しているものは敵味方含め、誰もいなかった。

 その為、ここまではほとんど素通りに近い状態で来ることができた。


「……こんな、こんなことになるなんて」


 床に「光速の騎士」の体を横たえる。

 冷たい、まではいわないが温かさがその体からは抜けていく。

 横たえた床に、じわり、と黒布から染み出た血が染み出して。

 もう、押さえきれない。

 そして特に何もすることなく、流出が止まった。

 それは流れ出る血が、無いということ。


「あ、な、なんでっ……。こ、こんなっ」


 へなへなと腰砕けになって、そのまま血に染まる手で顔を覆ってしまうユイ。

 だめだ、だめだ、だめだっ。

 最後に周りに誰もいない、という事実がユイの心の芯をペキンと折った。

 程なく慟哭がその通路に響き渡る。



 だから、気付かない。

 彼の左手の指先がびくんっ、と大きく跳ねたということに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 楽しみで仕方ない。 続きが待ち遠しい
[一言] 期待を裏切ら無い そんな存在感 次の話が楽しみです!
[良い点] レベル差あっても相性ってのがあるわな。 一般兵にリッチ?の相手は流石にね。 [一言] 杉山氏お疲れ様。 後は"なんとかしてくれる"よ。 その後がこれまで以上に大変そうだけどw
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