2-1 生姜焼 のち 邂逅
ばたん!
勢いよく閉じられた軽自動車のドアに向けて、鍵のスイッチを押す。
軽い電子音のドアロックを確認すると、目的地に向け歩き出した。
「くぁぁぁっっ!体、ばっきばきだ!」
猛の友人の松木ことマツが大きく伸びをして軽自動車の中で凝り固まった体を伸ばす。
右、左と大きくウェーブするように屈伸をする度にごきごきと音が鳴る。
「兄貴、俺とマツはトイレ行ってくるから、先に注文だけお願いー」
「わかった。席だけ用意しとくから」
とことことスマホをいじりながら猛はマツとトイレに連れションしに歩いていった。
ここは東京へ向かう高速道路のさびれたSAだった。
最近流行りの大型のハイウェイオアシスではなく、トイレに自販機、小さなお土産物屋に食事のとれるコーナーがホットスナック類を売るという、中規模なそれ。
そのポイントへと杉山兄弟らが降り立ったのには訳がある。
前日急な東京行が決まってしまい困っている茂。
押しかけて兄に迷惑をかけているという引け目はあったので、兄には押しかけ宿泊を強要し、自分は拒否るというだけの狡賢さは持っていなかったのだ。
兄弟そろってお人よしの家系であるともいえるだろう。
では一緒に東京へと、いうことになったところで猛が思いつく。
大人数で実費を割ればレンタカーで帰った方がちょっとだけ安いし楽じゃね、と。
杉山兄弟だけでは赤字だが、もう一人二人いればトントンか黒字で行けそうであった。
スマホでさくさくと猛がゼミの友人数名に連絡したところ、マツともう一人チケットをまだとっていない奴がいたのである。
マツに直接電話すると、乗っけてって欲しいとのこと。
もう一人は東京駅についてから行きたいところがあるとのことで同乗は断られた。
ネットで猛が取った自由席の乗車チケットは、まだチケットを取っていなかったその友人へと定額で駅にて受け渡し、3人はその足で近くのレンタカー屋に向かい、兄弟+友人一名でそろって移動中というわけだ。
正直猛の家は都内とはいえ、少し中心部からは外れており、東京についてからが帰り道の本番という場所にある。
友人のマツの下宿先もそこからは徒歩数分とのことであった。
それならば車で各々の部屋に横づけして車をレンタカー屋に返しての方がいいかも、と判断した次第である。
「えーと。ここらへんだよな、と」
自販機の並び立つエリアを抜けると、こじんまりとした飲食スペースが見える。
カウンターの向こうに数人のおばちゃんやおじちゃんが働いていた。
時刻は13時25分過ぎ。
昼の時間は過ぎて少しだけ余裕が出ているのだろう。
カウンターの中で談笑している姿も見受けられる。
その横に少し油や、年月の経過でくすんでいる券売機があった。
「確か、豚生姜だったよな。えーと650円。うわ良心的っ……!」
ポケットから2000円を取り出し、券売機に投入。
ぴぴ、と連続して豚生姜焼き定食650円を3枚購入した。
ジャラジャラと落ちてきた少しばかり油っぽい気がする硬貨をポケットに突っ込み、食券をカウンターに置く。
「お願いしまーす」
「豚生姜3枚ね。じゃあ、これ」
「ありがとうございます」
ぱちんと使い込んだ感のあるプラ製の呼び出し札が渡される。
席自体はまばらに人が座ってはいるが混雑はしていない。
適当な4人掛けの座席に向かって歩いていく。
かたん
「あ、すんません」
「いえ、大丈夫です」
すこし急いていたのだろう。
軽く足が隣りの座席に軽く触れてしまった。
目深に黒のニット帽をかぶり、卓上のペットボトルのジュースに口を付けている女性に茂は謝ると、座席に座る。
(店長、こういうとこの店も知ってるんだよな。守備範囲、広いぜぇ……)
この店を紹介してくれたのはあの森のカマドの伊藤店長だった。
今朝方申し訳ないが数日バイトのシフトを休みたい、と連絡したところ、快く応じてくれたのだ。
どうもあの隼翔のガン泣きが功を奏したらしい。
おおらかな口調で人助けは大切だからねぇ、と言われてしまった。
だが、急に休むことで穴をあける分、しっかりと謝罪だけはしておいたのだ。
その話の中で高速を使って東京へ行くと伝えたところ、このSAを紹介されたというわけだ。
その話が無ければ昼食は、この先15キロ離れた有名なハイウェイオアシスの方に入っていただろう。
(しかし、東京か……。あんまり人のいる所、好きじゃないんだよなぁ。なんか忙しない感じがするし)
手に持ったままのレンタカーのキーを掴んだまま、ぱかとガラケーを開くと3通のメールの着信が告げられている。
ぽちと1件目の本文を開くと、送り主は隼翔からだった。
文面はと言えば、茂の予想通りだった。
(そりゃあ、家出したばっかの奴を、東京へ行きたいって言われてOK出す親がどこにいるんだよ。隼翔、どう考えてもお前は無理じゃないか?)
内容としては色々と書き込まれているが要約すると、先に東京に向かってもらったが自分はどうももう少し時間がかかる、申し訳ないということだ。
他に届いたメールは博人と由美。
彼ら2人の合流は明後日以降、里奈はスマホを取り上げられたらしく連絡できていないとのこと。
まあ、普通の家庭であれば当然の反応と言えるだろう。
がさり、とポケットのA4を折りたたんだコピー紙を開く。
それは拡大された地図で、目的地には住所が横に書かれたピンがポイントを指し示していた。
その場所の名称は『白石コーポレーション精密機械、IT技術開発拠点・試作機試験場』。
件の「聖女」白石深雪がいるのではないかと推測される場所であった。
「兄貴、頼んだー?」
「おにーさん、すんません。席とってもらっちゃって」
茂を見つけて猛とマツが4人掛けに向かって歩いてくる。
A4の紙を折り畳みポケットへと滑り込ませる。
合流した男3人で座ると4人掛けとはいえ、少しばかり狭くは感じるが、それは仕方のない所だろう。
「俺、水持ってきますよ」
マツが席を立ち、給水器に歩いていく。
給水器の横には山積みのカップが置いてある。
「……でさ、兄貴。この店ぽっちゃり伊藤推薦って話だよね?」
「ぽっ…! いやお前の中ではそれで上書きされてるのか……。そうだな、ぽっちゃり伊藤ご推薦だよ」
「期待していいのかな?」
「この辺りのSAとかは出張でよく利用するらしい。こっちサイドは激ウマだけど逆サイドはギリ及第点の味らしいぞ」
「上下線で味、違うの?」
「まあ、人間のやることだからな。東京方面行ならここで、逆に東京から離れるならこの先のハイウェイオアシスに寄るのが無難だってさ」
「へぇ、じゃあここ。ハイウェイオアシスより美味いの?」
「らしいな」
茂がそういうと猛はそわそわとし始める。
ちょうど奥の調理スペースから、じゅわぁぁぁと肉の焼ける良い音がし始めていた。
店内の古い空調がその匂いを茂たちの4人掛けの席まで運んでくれる。
豚肉の油が焼けるにおいに混じる生姜の焦げ、そして醤油の香。
少しばかり昼の時間を外れていることで、腹の減りも最高潮である。
「うわ、超美味そう。ぽっちゃり伊藤マジ最高」
器用に持ってきた3人分の水入りのカップをテーブルに置き、マツがカウンターに配膳される定食を見ている。
「マツくん。君の中でもぽっちゃり伊藤になってるのか……」
「え? なんすか、おにーさん?」
「いや、いいよ。うん、ゴメン」
最後の"ゴメン"はきっとマツではなく伊藤に向けられていたのだと思う。
ただ、そんな謝罪の気持ちはすぐに吹き飛ぶ。
「豚ショーガ3名様ー!」
グリーンの呼び出し札を掴んでカウンターに向かう。
差し出したそれを厨房のおばちゃんに差出し、お盆に乗った豚生姜焼きの定食を手に取る。
「おお!」
思わず出る声に期待感が十二分に含まれている。
山盛りのキャベツにマカロニサラダ、柵切りのトマトにメインの豚生姜焼。
茂の好きなのは一枚肉ではなく、薄切りと玉ねぎを炒めたタイプの方だが、ここの店はそれである。
しかもご飯とみそ汁だけでなく、小鉢に切り干し大根とヒジキの煮物が付いているのもポイントが高い。
「お箸は向こうで取ってってねー」
「ありがとうございますー」
にこやかに割り箸の場所を指さすおばちゃん。
そして更なる高ポイント。
割り箸の置いてある卓には、調味料や取り皿がある。
そう、そこには立派な"業務用マヨネーズ"が鎮座していた。
迷うことなく割り箸と取り皿を盆に乗っけると、マヨネーズを手に取る。
すこしばかり油っぽい手触りがするがそんなことはどうでもいい。
むにむにっと取り皿にマヨネーズを取ると、席へと帰還する。
「おにーさん、マヨラーなんですか?」
「ん? 豚ショーガの時だけね。それ以外ではむしろ使わないかな?」
戻ってきたマツのメイン皿には気持ちだけマヨネーズが乗っているくらいだ。
ただ、戻ってきた猛は茂と同じく取り皿に小山のマヨネーズを作りだしている。
ああ、兄弟だな、となぜか茂は思ってしまった。
「「「いただきまーす!」」」
後ろの卓の兄弟と男友達と思われる集団が、食事を始めた。
それを背中で感じながら、神木美緒は悶絶している。
激烈に腹が減った、と。
(お、おなか減ったよぉ、間島さん!)
朝一に福岡でテレビのコーナー撮影、その足で大阪に行くとラジオを2本収録。
そして東京へと帰京し、夜の音楽番組へ出演する、というのが本日のスケジュールだった。
最初の2つは上手くいった。
時間が押すということもなく、滞りなく仕事を終えたのだがここでトラブルが発生することになった。
件の「光速の騎士」「骸骨武者」による地方都市のターミナル駅の広場の破壊である。
警察や消防や関係機関やらが調査することになり、一部列車に遅れが発生していたのだ。
大阪まではたどり着くのにさほど影響はなかったので、油断していたが発車時刻の遅延までは読み切れなかったのである。
そこで、空路又は車での陸路の2択となり、最終的に陸路を選ぶことになったというわけだ。
彼女のチーフマネージャーの間島はいまSAの駐車場内で運転手兼任のサブマネージャーと仕事の調整をしている。
急遽入った仕事の話で、移動中に最も近いこのSAに取りあえず駐車して確認を取ることになった訳だ。
美緒だけはぽつんとこのさびれたSAの食事処兼休息所で待機しているが、調整が終わり次第この先のハイウェイオアシスで遅い食事にする予定であった。
ただし、それも限界に近い。
「いや、マジで美味い! ここも当りだよ、流石ぽっちゃり伊藤!」
「すごい、伊藤センセ、マジ神がかってんな!」
「うん、今度喜んでたって伝えとく」
男3人、揃いも揃って健啖家なのだろう。
かつかつかつ、と音がする。
その音は美緒の脳内で箸が何かにぶつかって口へと放り込まれていくイメージとして鮮明に描き出されていく。
背中越しに漂う濃厚な生姜と醤油の匂い。
掻きこむ様にしているだろうと思われる咀嚼音に、うまいうまいとつぶやく声。
(ぽっちゃり伊藤って、誰!?)
あまりに混乱してスマホの検索に"ぽっちゃり伊藤"と入れてしまったくらいだ。
何か不思議な売れない芸人くらいしか検索には引っかからなかったのだが。
あとは検索サイトでこのSAの食事は特に出てこなかった。
いくつも検索に引っかかるのはこの先のハイウェイオアシスだけだ。
「うむ、満足」
「兄貴、俺今回の旅で一番の収穫はぽっちゃり伊藤だった。いや、マジな話で」
「伊藤センセ、すごい。ただ、東京の店は無理ですよねぇ」
「ははは、そこは無理だって!でも、ここは知ってたから少しくらいは判るのかも?」
「あ、じゃあもし判ったら猛に知らせてください!ゼミ生で量食える奴らでソッコー行くんで!」
どうやらいつの間にか食事を終えたらしい彼らはまったりとし始めているようである。
美緒が自分の腹のぐるるると鳴る音を、必死にこらえているというのにだ。
「おにーさん、すんません。俺タバコ、フカしてから車戻るんで」
「あれ、マツ。彼女できてタバコやめたんじゃ?」
「振られたんだよー。2週間前にー」
全員が盆を持って食器の下げ口へと歩いていく。
ちらと見えた彼らの皿は何ひとつ残っていない完食状態であった。
「兄貴、俺もう一回トイレ」
「わかった。そしたら俺、ここらで時間つぶしてるわ」
「うん、悪いねー」
一人は喫煙スペースへ、もう一人はトイレに向かった。
兄貴と呼ばれた人は席に戻り、手元にあるガラケーを手にしてポチポチ操作を始めている。
そこで美緒は思ってしまう。
これはチャンスではないか、と。
「あの、そこの方?」
「んぁ?どうしました?」
こちらは変装用にメイクは極限まで薄く、服装も周りに埋もれる様な格好である。
自分が"神木美緒"とばれるかどうかは微妙だが、ばれない可能性が高いと美緒は踏んでいる。
すると目の前の凡庸などこにでもいる"兄貴さん"は不思議そうにこちらを見ている。
その表情はアイドルが目の前にいるということに気付いた風ではない。
「ここって、そんなご飯美味しいんです?」
「え? ああ、知人が美味いと言ってたんで……。騒々しかったです?すみません」
「いえ、そうではないんですが……」
急に話しかけられて"兄貴さん"は困惑している。
当然だ、変な人と思われただろうか?
「安い、美味い、デカいの3拍子そろう店が好きな人で。その人の推薦でして。一応今まで外れ引いたことは無いんですよ」
"兄貴さん"がテーブルの上の車のキーを忙しなく手の中で動かしている。
向こうも落ち着かないのであろう。
その動きがとても速く、独特に動く様は彼の動揺を示していたと思う。
「ああ、そうなんですか。でもこの先のハイウェイオアシスは美味しいって話ですけど」
「なんていうか、そういうところって当たりを"買う"感じがするんですよね。絶対間違いなく美味しいんでそれは正しいと思うんですけど」
「はあ、"買う"ですか?」
「その知人に言わせると、飯の当たりは"買う"より"当てる"方が満足度が高いって言ってまして。高い金で美味いのはお約束だし、と。ペイに対するリターンのとらえ方だと思うんですよ、きっと」
その言葉に美緒がはっと気づく。
「まあ、味の好みは人それぞれですから。絶対にあそこは美味いって言われてあんまりなぁ、ってこともあるでしょ。俺らが騒いでたのは気にしない方がいいですよ。いや、騒がしくてすみませんでした」
頭を下げて"兄貴さん"が立ち上がる。
彼の視線の先には"弟さん"がいた。
「じゃあ、これで」
「あ、はい」
そうして頭を下げて、"兄貴さん"がSAの休憩所を出て行ったのだった。
ただ、神木美緒の手は自然と自分の財布へと延び、視線は少しくたびれた券売機を見つめていたのである。
「なに? 兄貴あの子と話しててー。ナンパー?」
「馬鹿、そんなことしないよ。多分だけど、飯系のブロガーとかじゃないかな?ここの飯美味いかどうか聞いてきたし」
「そっか、そういうのアップする人いるって話だしな。でもさ、可愛かった?可愛かった?」
「帽子でよくわからなかった。声は綺麗な感じだったけど?」
バカ話をしながら軽自動車に戻る。
マツは車両の横で茂たちに手を振っていた。
「お前、神木美緒が好きなんだろ? そういう話するのは浮気じゃないのかよ?」
「実際問題、ミオミオにはコンサートとか物販で愛情注いでるし。直で会うと多分俺、死ぬかもしれん」
「そこまでか、あんまりトチ狂って金を使うなよ」
「なんだよー。その言い方ー!」
男3人東京までの車旅。
若干一名が憧れのあの人とのニアミスに気付くことなく、昼が過ぎていくのであった。