1-2 無駄足 のち 遭遇
「え!?今日はバイト無いんですか!?」
バイト先のスタッフ入口に入ってきた茂に、男がそう伝えた。
「いや、確かシフト組んでた皆に一斉メールで通知したはずなんだけど?もしかして確認して来なかった?」
不思議そうに話す中年の小太りの男性。
全国展開するコーヒーチェーン「森のカマド」の店長、伊藤が申し訳なさそうに尋ねた。
それを聞いて茂はがっくりと肩を落とす。
「実は昨日バイト終わりから家に帰るまでに財布とケータイ“失くなって”」
「ええっ!?大変じゃないか、どこで“落とした”のか判らないのかい?」
茂の告白に驚く店長。
嘘は言っていない。
バイト先から家までの間に確かに“ 失くなった″のだから。
「いや、本屋から家に帰るまでの間に“失くした”のは間違いないんですけど」
「そうか……。落し物なら警察には?」
「紛失届っていうんですかね。バイト終わりに出しに行こうかなと思ってはいるんですが」
嘘である。
警察に届け出ても絶対に戻ってこない。
どんなに警察が優秀であっても、次元の壁の向こうまで探してはくれないだろう。
(それに、あいつらが戻ってくれば返してくれるだろうし)
「勇者」一行の姿を思い出す。
律儀で素直な彼らの事だ。
間違ってもガメたりはしないだろうし、そこら辺を考えて約束を守ってくれるだろう「勇者」に預けてある。
「でも、ケータイはすぐに止める連絡を入れなさい。ロックしたりとかしていても、最近は物騒だからね。不正に解除されて変なところにアクセスされたりしたらとんでもない料金を請求されるよ」
「そっちは大丈夫です。対策はしましたから」
大丈夫なはずだ。
まず第一にあちらには電波なぞありはしない。
その上、電源もすでに干上がってただの硬質な四角い置物になっている。
まかり間違っても変なサイトとかにアクセスされる恐れはないのだ。
「そうかい?ならいいんだけど、ただね今日は急にウチの店舗で県内の店長連絡会を行うことになってね。ほら、先週にライバルチェーン店で夜間に高校生が屯してて補導されたじゃないか」
「ああ、有りましたね」
申し訳ないが店長の言ったことに覚えはない。
店長からすると先週なのだが、茂には3年と1週前の出来事だ。
正直そんな日常、記憶の彼方にすっ飛んでいる。
「それで、急きょエリア責任者が会合することになってね。森のカマドの未成年者対策を協議するってことでうちの店舗午後から貸切で休業になったのさ。だから、バイトは無くなってしまってね。すまないなぁ」
「いや、ケータイ失くしたの俺なので。でも、まいったなぁ。帰るにしてもバス待たないといけないし」
「バス代もかかったろうしね。そうだ、これあげるよ。少しでも足しにするといい」
そういうと伊藤は財布から1000円を茂に手渡した。
「え、そんな悪いですよ!」
「いやあ、もらっておきなよ。君の履歴書に書いてたとこからここまで往復のバス代だけでも600円くらいはするじゃないか。お釣りは何かに使えばいいさ。まあ、偉そうにできるほどの金額じゃないけど」
ばっと勢いよく茂は頭を下げる。
「ありがとうございますっ!!!」
「う、うん。僕は会議に戻るから、き、気を付けて帰るんだよ。あと、警察にもいくように」
「はいっ!!」
にこにこの笑顔と最敬礼で伊藤を見送る。
伊藤はその様子に少し怯んだが、気を取り直して笑いながら店舗内へと消えて行った。
ばたんと閉まった扉に深々と頭を下げると、茂はつぶやく。
「店長、神か……」
熱に浮かされたようにぎゅっと1000円札を握りしめる。
ここまでのバス賃が320円。
つまり、働くことなくトータルで680円のプラスである。
近くのスーパーの夕方特売品であるアジフライ弁当なら2個、いや値引きシールまで粘れば3.5個を購入できる大金だ。
当然のことながら帰りをバスに乗るつもりは茂にはさらさらない。
急がねばバイトに間に合わないので、仕方なくバスに乗るという苦渋の決断をしたのだ。
別に徒歩で家まで帰路に就こうと誰に文句を言われることがあろうか、いや、誰であろうと言わせるものか。
「何買おうかな……。モヤシ、豚コマ、切れてるんだよな。そっちか?でも、ちょっと横着して惣菜セットを割引きで狙ってみるのも……」
ぶつぶつ言いながら家までの道を歩く。
なかなかの不審者ぶりだが周りには人はまばらだ。
彼の様子に気づくような人はいない。
ざわっ……。
そんな中、茂のスキル「気配察知:小」が何かを捉えた。
「……なんだよ。喧嘩かなぁ?」
異世界で兵士なんてものをしていると凡骨でも身につくものはある。
あまり広範囲ではないが、それでもただの村人よりはちょっとだけ広く剣呑な雰囲気を察知できるスキル「気配察知:小」。
平和な異世界とはいえ、それでも魔物は生まれ出でる。
大規模であったり、個体として強力であれば討伐するのは冒険者という戦闘エリートの連中や、国軍になるのであるが、そうでないものの討伐は兵士の仕事だ。
ちなみに「聖騎士」はこの上位互換「気配看破:極」を取得している。
そんな異世界生活の中、身に着けたスキルがビンビンに反応している。
(反応は2つ、両方とも人同士で複数名か。……当然か。人間以外がいる訳ないし。でもなぁ、あんまり今はトラブルに関わり合いになりたくないんだけど)
このまま進んだ先の交差点を右に曲がったあたり、ちょうど茂の帰宅経路である。
ここを大回りするとすこし距離がかかってしまうのだ。
「ちょっとのぞくだけ、のぞくだけ……」
大げんかだったら逃げて近くの店から通報してもらおうと考えた。
刃物とかを持ってたら怖いし(たぶん対処できるとは思うが)、警察に連絡しようにもよく考えると茂にはケータイが無い。
ひとまず様子見である。
そっと店舗の駐車場の壁になっているところから首をだす。
十分な高さのある壁なので姿を隠すことも出来る。
「だからさぁ!!CGなんて使ってないんだって!定点カメラの映像をそのままリアルタイムで流してたんだから、どうやって加工するんだよ!!」
「いやいや、おかしいですって!普通の頭で考えてくださいよ?あんな面白動画、現実なわけないでしょう。なんの釣りなんですかってことですよ!皆が信じるわけじゃないですけど、一部の人が信じると都市伝説っぽくなって収拾がつかなくなるじゃないですか。そういう恥ずかしいのはやめてくださいって言ってるんです。ほかの動画投稿者にも迷惑ですから!」
覗き込んだ先には、カメラを持った集団が2つに分かれて言い合っていた。
どうも双方のうち血気盛んな者が1名ずつヒートアップしている臭い。
「何が「光速の騎士」ですか!あんなものどっかから切り貼りすりゃすぐにできます!映像だってリアルタイムじゃなく昨日の録画映像にはめ込んだんじゃないですか?」
「ふざけるな!俺たちの「リアル鉄道24時」は加工なし、修正なしの硬派スタイルが売りなんだ!それを勝手に「光速の騎士」サイトに上げられて、元ネタの俺たちにクレームが来てるんだ。むしろ迷惑してるくらいなんだぞ!?本当に鉄道好きなファンからも修正したのかってメールが来て、あの日の担当がどんだけ苦しんだと思ってるんだ!!」
「だから、売名なんじゃないかって言ってるんですよ、僕は!」
「サイトの閲覧数で稼いで飯食ってるお前と一緒にするな!俺たちはほかの仕事の合間に必死にやってるんだよ。なんでもかんでもバズれば正義だなんて俺は認めないからな!!」
「負け犬の遠吠えにしか見えません!今、生で見てる人たちもそう思ってます!!」
「貴様!」
「なんですかっ!!」
掴みあいの喧嘩になっていく。
双方ともヒートアップしている人物を各々羽交い絞めにして押さえている。
どうも喧嘩腰なのはその2人だけのようだ。
しかしながら、である。
(どう聞いても俺のせいで揉めてないか?なんで、こうなってるんだ!?)
騒ぎを聞きつけた人々が彼らを遠巻きに眺める。
「ねぇ、これだよね?」
「そうそう、この人たちだよぉ。でもさ、こんなに騒いでたら通報されるんじゃない?」
近くにやってきたスマホを見ている少し背の低めな女子大生風の2人組が画面を見ながら話している。
申し訳ないと思いながら、180センチの茂は彼女たちより少しだけ背の高いことをいかし画面を覗いた。
「……マジか」
家を出る前に確認した「光速の騎士」動画の画面だった。
閲覧数が12000を超えている。
茂は知らないが、『リアル鉄道24時』は“そこそこ”有名ではなく、鉄道マニアガチ勢の一押しコンテンツであった。
そこに喧嘩を吹っかけたのは炎上投稿も辞さない検証マニアの『釣りネタ撲滅戦士団』投稿者たち。
そのどこにでもかみついていくスタイルは強烈なアンチと同数の猛烈なファンもいるという困った奴らだった。
それが双方の支持者により拡散し、とんでもない勢いであの映像が広がり始めていた。
「このっ…」
「なんだっ……」
小競り合いが続く。
双方とも「光速の騎士」を探しにカメラ持参で現場にきたのだ。
そこで出会ってこういったことになったのだろうと言う事はすぐに推察できた。
(俺のせいっていえば俺のせいだし。どうしよう…)
悩む。
特に何かできるわけでもないが、このまま立ち去るには幾分後ろ髪をひかれている。
もう少しだけ推移を見守って、と思った時にそれは起きた。
「うわぁああっ!!」
「わぁあっ!!?」
片方がじたばたと暴れて、周りの押さえていた奴らをを振りほどいた。
いや、周りが疲れてすこしホールドが甘くなったのだろう。
いきなり支えが無くなった彼はそのまま真正面のトラブル相手に突っ込む。
そちら側は急に飛び込んできた彼に驚き、避けようとして絡まり合う。
(マズッ!)
全員がその瞬間をスローモーションのように感じていた。
絡まりあった2人はそのままガードレールとガードレールの間から転げ落ちるようにして道路へと飛び出していく。
慌てて起き上がろうとした彼らの前にどう考えても間に合わないタイミングで運送会社の宅配トラックが走ってきている。
「うわぁぁぁぁ!!!!!」
転げ落ちた2人は目をギュッとつぶり、体を固くした。
どう考えても間に合わない。
自分たちはトラックに曳かれる。
そう覚悟し、襲い掛かるだろう人生最大の痛みに耐えようとしたのだ。
ドゥッ!!!
風が吹いた。
そして体が浮かび上がる感覚が分かった。
ああ、撥ねられたのだ、今は痛みがないがすぐに全身に痛みが走るのだ、もし死ぬのなら痛くない方がいいなぁ、など思考がスローモーションになっているせいなのか色々なことが脳を駆け巡る。
どさぁぁぁ!!!
地面を体が転がっていく。
襲い掛かる痛みに耐える。
痛い、痛い!
膝をすりむいて、顔も地面にこすれている。
ひりひりとした痛みが彼を襲った。
(えぇ?)
ぱちりと目が開く。
目の前には先程まで掴み合いをしていた男。
そいつも同じ表情をしている。
思っていることは同じだろう。
俺たち、死んでない、よな?
「うっそ、だろ?マジなの、あの動画……」
「撥ね飛ばされたって!直撃したもん、俺、撮っちゃったぞ」
「俺も直で見た。絶対にアイツトラックに撥ねられたって。何で生きてんだ!?」
呆然と全員が同じ方向を見ている。
先程までいた道路。
急ブレーキをかけて、正面をこちらに向けた宅配トラックの正面が大きく凹んでいる。
どう見てもそれはかなりの衝撃で何かがぶつかった跡だ。
鉄道サイトの男が起き上がり、皆が見ている先を見る。
「え?マジで?」
自分の怪我も忘れ呆然とした一団に彼も追加される。
視線の先にいたのは一人の男だ。
上半身だけ起こして、首をこきこき鳴らしている。
肩をぐるぐる回して体を確かめているようだ。
「き、し?騎士だよな、あれ?」
「そ、そうとしか」
先程までの喧嘩も忘れ鉄道サイトの男と検証サイトの男が話し合う。
ゆっくりと立ち上がり、その男が大きく伸びをする。
どうやら体に問題なかったのだろう。
彼がこちらを向いた。
「ひぃぃ!」
鉄の兜に、黒一色の布を纏った男。
彼らが今日一日探していた「光速の騎士」がそこに立っていた。