1-了 上京 のち 酒席
「ただいまー」
茂ががちゃりと扉を開けると奥から光が漏れていた。
どうやら猛は先に帰ってきていたらしい。
確かに時刻は夜の10時半を過ぎている。まあ、帰って来ていてもおかしくは無い。
「あ、お帰り。遅かったね」
「まあな」
猛は軽く腕を上げ、茂を出迎える。部屋のど真ん中で座布団を二つ折りにした簡易の枕を頭に、ごろりと横になっている姿はどちらがこの部屋の持ち主かを問いただしたくなるほどだ。
その彼の足もとには、この部屋に来る際にがらごろと転がしてきた旅行鞄がパッケージされている。
「明日、駅何時?」
「11時07分発だね。駅弁でも買おうかな。それとも駅前で飯でも食おうか」
スマホの画面を見ている猛。恐らくは時刻表示の画面でも見ているのだろう。
「なあ、猛。一つ相談があるのだが」
「んー?なにー?」
ごろごろとしていた猛が起き上がる。
視線の先にはどうもバツの悪そうな兄の顔があった。
「……金は貸せないよ?今日はちょっとカラオケとかで使っちゃったし」
「そうじゃない。いや、貸してくれるなら貸してほしいけど」
「金はないので貸せません。じゃあ、金以外なら何さ?俺、明日東京に帰るんだよ?」
ふぅ、とため息を吐いて茂を見る。
「俺も、急遽東京で人に会う用事が出来て。……悪いんだけど、数日泊めてくれないかな、と」
「はぁぁ?何で急に?」
猛が迫ってくるのを見て、ここ数日嘘つきすぎてるな、と少し自己嫌悪に陥る茂であった。
「いい、酒のようだ。花の香と普通のものより幾分強い酒精がたまらん」
「そうですか、気に入ってもらえて何よりです」
時折がたん、がたんと揺れるマイクロバス。
改造された後部座席にはテーブルと、革張りの座席が設置され、冷蔵庫やテレビなどの調度品も置かれている。
車内の照明は落とされており、後部側全体に厚手のカーテンが各窓を覆っているせいで酒を楽しむ2人の表情はうかがい知れない。
一方がその冷蔵庫の中から、冷えた瓶と氷を取り出し、目の前の相手に酌をする。
その際に一瞬外から光が入る。
瞬く間の出来事ではあったが、その姿が光にさらされた。
スーツ姿の柔和な表情を崩さない男だった。
男から酌を受け、とくとくと注がれる日本酒をぐい、ともう一方が呷る。
車内にはふわりと芳醇な酒精の香が立ち上る。
幾分、車内の空調を強くしてるため、その匂いは一気に車内全体を包んでいった。
「……戻ってきて最も喜ばしいのは、酒の種類が増えていることだな。この山猿如きにもわかるくらいに、質が上がってもいる。よい時代となった」
深くシートへ体を沈めると、酒杯を握る手と逆が横に置かれた太刀の鞘に触れた。
がたん、がたん、とまた車が揺れる。
揺れた車のカーテンが再び揺れ、外を走る対向車のライトが車内へと入る。
「おっと」
男が然程慌てるでもなく、カーテンを再び閉じる。
だが、一瞬ではあるが男と酒を酌み交わす相手が闇に浮かんだ。
真白い骸骨の頭に、鎧装束。
兜と、太刀は横の座席に置かれている。
そう、彼は黒木兼繁。茂が定良さんと呼んで酒盛りをしたあの相手である。
世間では「骸骨武者」として知られていた。
「私としては呪霊と酒を飲むなど、初めての経験ですが。まさか酒の趣味が合うとは幸いでした」
「しかしな、本山?見ての通り我の舌はすでにない。本当は酒の味など判らぬかもしれんぞ?」
「おお、それは思いもしませんでしたな。ですが先程の酒、花の香気を感じられたなら、問題ありません。そういうコンセプトで醸造されたものでして。あまり流通はしていないのですが生国がその蔵の辺りなもので、送ってもらったのですよ。そこを楽しめるなら私としても出した甲斐があるものです」
「そうか、だが安酒でも構わんぞ。この体、酔う訳でもない。ただなにか喫していたいとそう思っているだけでな」
少し前傾になった定良が身を乗り出す。
テーブルの上の瓶をとり、本山と呼ばれた男に返盃してきた。
それを受けとり、にやりと笑うとこちらも一気に喉にそれを落とし込む。
本人は感じていなかったが、どうも緊張で喉はからっからに渇いていたのだろう。
今までに飲んだ酒の中でもトップクラスに美味い酒であった。
彼の役割は一つ。
この目の前の特級呪霊黒木兼繁を、彼の所属する組織の本部のある東京郊外まで移送することだ。
現地到着時刻は翌5時30分の予定。
それまでは委細問題なく過ごすことが求められている。
ここからは見えないが外にはカモフラージュされた車両数台に、重装備の精鋭が満載されている。
スカーレットこと火嶋早苗救援の為送られた組織最精鋭の部隊であった。
現地到着前に事態が急変し、定良の捜索へと仕事が変更となり、今はその身柄の護送となっているわけだ。
いざ、となれば本山ごとこの特級呪霊を処分する手はずになっていた。
「定良さん。もてなす側の私が言うと非常に失礼とは思いますが、ここからは私は水で良いでしょうか?何分まだ仕事の最中ですので」
「ああ、かまわんよ。我も無理に飲ませようとは思わん。それは無粋だからな。勝手に飲っているさ」
がちゃりと鎧の金具を鳴らしながら、冷蔵庫の前に移動する。
かぱ、と音を立てて開いた冷蔵庫の中は酒類でいっぱいだった。
さらに横のカウンターには蒸留酒系統の強いものが幾つか並ぶ。
何を選ぶのだろうと本山が興味深そうに定良を見つめる。
暫しの停滞ののち、その中から冷やしたグラスを指でつまんでとりだし、ウイスキーの大瓶をカウンターから強奪して、本山の隣の座席へと戻ってきた。
やっている内容は立派に酒飲みの仕草であるが、如何せんその行為の主が骸骨。
シュールな雰囲気が流れるのは仕方ないといえた。
「……さて、と」
からん、とグラスに氷を幾つか入れると、とくとくとウイスキーを注ぎいれる。
ゆっくりと氷と酒が混じりあい斑に揺れる様を、空っぽの眼窩で眺めていた。
「ウイスキーをロックで、ですか。どこでそれを?」
「この酒瓶は以前見たことがある。甘いが、酒精は強く、更に香りも良い。酒に強いならこの飲み方が一番間違いないのだ、と聞いた。一度試してみようと思ってな。」
「その話をどちらで?もしや件の「騎士」殿と?」
「本山、それは言えんと先に言った。まあ詮索してくれるな」
笑うようなそぶりで、定良としては軽い注意だったのだと思う。
だが、本山は忘れていた。
目の前のコレは、本来は軽々しく触れ得る存在ではない。
その彼と、口約束とはいえ"約束"したのだ。
迂闊だったとはいえ、そうせざるを得ない状況下で彼の取り得る術は無かった。
その"約束"を違えかけたのだ。
ぶわり、と定良から発せられたナニカに、心臓が鷲掴みにされたような感覚がまだ残っている。
(……危うかった。もし彼が少しでも気分を害していれば、何かしらの呪詛に汚染されていたはずだ)
呪霊との契約。
一方的な破棄は死を意味する。
その恐怖は先程、さびれた廃工場の旧従業員室で目の当たりにしてきたばかりだったというのに。
壁一面に前衛的という表現では収まりきれない、くすんだ赤のアート作品をこさえていたのだ。
キャンバスは壁面、画材は……敢えて言うまい。
その“アトリエ”で呪霊との交渉という前代未聞の出来事ののち、色々調整やら根回しやらを終えて彼は車上の人となった訳だ。
いまは別働隊が必死に"後片付け"と"証拠集め"をしている。
しかも相手はあのスカーレットが初見で上級若しくは特級と叫んだほどの存在。
ぼたぼたと冷や汗が床に敷かれた絨毯に落ちた。
染みこんでいく汗を見つめながら、ある間違いにも気付く。
外の精鋭、あれでは足りない。
コレを制するなら、間違いなく今の数の倍は必要だと。
空調はよく効いており、これから熱くなる時期とはいえ少し肌寒いかと感じる程だったはず。スーツの中のインナーに吸われた冷や汗がべっとりと張り付くのを感じた。
「気を付けましょう」
「そうしてくれ。どうした本山。暑いのか?」
不思議そうに聞く定良に、無理矢理に笑顔を作ると本山が言う。
「いえ、それを見たらもう少しご一緒したくなりまして。私も紹介した酒をそこまで喜んでいただけるのなら嬉しいですからね」
「そうか!では次はこのういすきーというもの以外で頼む。取りあえずは数をこなして、どういう酒がどういう味なのかを知りたいのでな!」
「かしこまりました。ではワイン、南蛮の葡萄酒の良い物を幾つか出させていただきますよ」
秘蔵のワインを幾つか空けよう。
本山はそう思った。
今日はっきりとわかったことがある。
人生は何時ぷっつりとその道が途切れるかはわからないものだということ、そして死んだ先に溜めこんだコレクションを持っていくことはできないのだということを。
その教訓の戒めに、とっておきを空けることはきっと有意義で、大切なことなのだと心に刻んだのだった。
「東京行き、別に数日なら俺は良いけどさ。兄貴、滞在中の金はどうしたのさ?」
「……ちょっと別の人に借りた」
「……ヤミ金とかは絶対にダメだって母さん言ってたよ?」
「そんなとこから借りないよ!知人から無利子で借りたんだよ!!」
金がないと兄の尊厳は守られない。
そのことを茂は大切なことなのだと心に刻んだのだった。




