3-了 → 4-0 買出 のち 雷鳴
てぃろりん!てぃろりん!
入店の際に鳴る電子音が店内に響き渡る。
雑誌の束を止めたナイロンをカッターナイフで切りながら、条件反射であいさつの言葉がでた。
「いらっしゃいませー」
深夜コンビニのバイトはつらい。
通常の業務以外に日付が変わるタイミングで、配送のトラックが雑誌類を持ってくるし、商品の入れ替えをしたり、賞味期限の切れる弁当類の廃棄をしたりといった作業があるのだ。
24時間営業が売りの業態は、その労働力を元気で金のない若者や外国の留学生などに頼らざるを得ない。
そして今、コンビニ「ハットファイト」の深夜シフトに入っていた彼もまた忙しく働いていた。
この時間帯は彼一人で、客が来るたびにそれに応対する必要がある。
ちきちきとカッターナイフをしまい、制服エプロンへと放り込む。
ちらりとレジの天井付近の時計を見ると朝の0時を少し回っていた。
立ち上がった視線の先には、茶系のパンツに無地のシャツを羽織った若い男がいる。
この深夜にはあまり見ないタイプの人種である。
特に特徴は無く、あまり印象に残らないような男だった。
何せこの時間帯の客は大体がヤンキーのカップルや、少し離れた総合病院の夜勤へ向かう看護師、あとは居てもせいぜい数名の地元住民くらいだ。
(何か探してんのかな?)
きょろきょろと周りを見渡すその男が、どうやら目当ての物を見つけたようだ。
すこし奥まったところに置いてあったビニール傘を一本手に取る。
(ああ、そういやずっと降ってるもんなぁ。うわぁ、動かしてなかったぜ、怒られっかも……)
忙しくて店長から言われたことをすっかり忘れていた。
雨が降った時がビニ傘を売るチャンスだ、と。
昼は晴れていたので奥に移動させていたのだろうが、今は日付が変わる前からずっと酷い雨がざあざあと降り続いている。
いまはそれに加え、時折雷もゴロゴロとなっているようだ。
バイトの彼もここに来るときに酷く降られて、私服はハンガーにかけて乾かしているのであった。
(この人が帰ったら、傘とレインコート見やすい所に動かそう)
そう決めて、レジのカウンターにバイトが移動する。
ただ、男はどうやら他にも用事があるらしく、酒類の販売コーナーへとカゴをもって行った。
難しい顔をして一人用の小さな日本酒の瓶を1本、そしてウイスキーも小さなものを1本籠カゴに放り込んだ。
さらに横にあるおつまみのヤキトリの缶詰を1つと、サラダチキンを1つ。
(一人飲み、かな?)
レジに置かれた商品のバーコードを手元のリーダーで読み取っていく。
「商品全部で2147円になります」
すっと男がポケットから3000円を取り出してテーブルに置く。
なぜかほんの少し男の表情が苦悶に歪んだ気がした。
「ではお釣り853円です。お確かめください」
「ありがとう」
お釣りをポケットに突っ込むと、商品の入ったビニール袋を掴み、店外へと出ていく。
「ありがとうございましたー」
マニュアル通りの対応をして見送ると、買ったばかりのビニール傘を開いた男が、少し遠くの駐車場の端で待っていたツレと一緒に雨の中に消えていく。
「……さて、雨具を動かして、と」
コンビニのバイトは店長の言いつけどおり、雨具を客に見やすい位置へと動かす。
そしてその後は雑誌の梱包を外す作業へと戻っていった。
約30分でそれらの仕事を終え、レジのカウンターに腰を下ろす。
「ふぅ、つっかれたー」
誰もいない店内にバイトの声が響く。
「ああ、早くバイト、終わんないかなぁ」
バイトがつぶやく。
バイトを終えて、軽く飯を食い、シャワーでも浴びて、ベッドでぐっすりと眠りたい。
ふわぁぁと欠伸が出た。
しかし、本当に疲れている。
ポケットからスマホを取り出しワンセグを開くと、「光速の騎士」が映る。
その反対側には「骸骨頭の鎧武者」。
昨日の合コン明けからしっかりと寝ておらず、そんなものを仕事中に暇だからと見ていたからだろう。
あのさっきの客が外に出ていくとき、その隣にいたツレが“鎧装束”に見えたなんて。
瞬きした瞬間にツレの姿が見えなくなっていたから、当然気のせいだろうが。
疲れが溜まっているのだろう。
さっさと帰ってゆっくりと休みたい、と再びの欠伸と共にバイトは思った。
「うむ、美味い。こういった酒はあの時代にはなかなか口にできなかったがなぁ。あとはウイスキーも良い香りがする。どちらかというとこちらの方が好みだがな」
「そこまで高い酒でもないんですがね。喜んでもらえて何よりですよ」
ばたばたと大きな音を立てて降りしきる雨が、さびれた神社の事務所の天井を叩いていた。
夜であるというのに電気もつけず、少しばかりホコリっぽい床の上に、日本酒とウイスキーの小瓶が置かれ、勝手に失敬した祭事用の予備の杯に少しずつ入れた酒をちびちびと飲っていた。
その時、雷が鳴った。
ドォォォン!
「うわ、近いなぁ」
雷が走り、一瞬窓から差し込んだ光が中で酒盛りをしている人物を照らしだす。
照らされた一方は、特に特徴のない一般人、杉山茂。
足を投げ出した砕けた格好で、脇には折りたたまれ、濡れたビニール傘が転がっている。
そして、もう一人は古風な鎧を身につけた骸骨頭。
太刀と兜を横に置いて事務所の脇に積まれていた座布団に胡坐で座っている。
本人が言うには黒木兼繁というらしい。
ただ茂にはよくわからないが兼繁ではなく、定良と呼べ、と言われた。
昔の人には良くわからないこだわりがあるのだろうか、と一応納得し、定良さん、と呼んでいる。
「夜の雷か……。凶兆かもな」
「いや、なんでそういうこと言うんです?フラグ立ったらどうするんですか」
ちび、とウイスキーを舐めながら兼繁改め、定良が外を眺めている。
当然この神社の事務所は無人であることを確認し、入口の植木鉢の下に置かれた鍵を拝借して不法侵入しているので自然小声になる。
「いや、亡者がこうやってのんびり酒を飲んでいるのが真っ当であるとは思わんぞ」
「ははは、ぐうの音も出ない……」
サラダチキンを薄切りにしたものを一枚、ナイフの先端に突き刺して茂が口に運ぶと、酒をくいと呷る。
安物ではあるが、なかなかに美味い。
「しかし、定良さんに現代の言葉が通じるとは思いませんでしたし。いろいろどうやってコミュニケーションしようか悩んだんですけど」
「俺が現世に呼び戻されたのは50年以上前でな。代替わりはしても術師に縛られての生活が常となる。その側に居れば自然、言葉も世の移ろいもおぼろげながら判るものよ」
「苦労されてるんですねぇ」
「むしろこのシャレコウベを見て普通に酒を飲んでいる、お前の方がどうかしておる。俺と五分で闘える事と言い、本当に人か、貴様?」
まじまじと骸骨頭に貴方人間ですかと聞かれるとは思わなかった。
「混じりっ気なしの人間ですよ。ちょっと他の人より経験値が高いだけです」
「……俺が言う台詞か判らんが、なんぞ混じっておった方が道理に合うのだがな」
今度は日本酒を自分の杯に注ぎ、定良が日本酒を飲む。
事実、9割9分の日本人よりも茂の方が経験値があり、レベルが高い。
ちなみに先程の定良とのド突き合いでレベルが16へと上がった。
なかなかに黒木兼繁、良い経験値を持っていたようである。
「俺を恐れぬ胆力も含めてだ」
「まあ、知り合いに数人、骸骨頭の奴いますしね」
「……どう考えてもそれが普通ではないが」
向こうの骸骨頭で知人と言えるのは孤児院のマーサ院長に、宮廷術師兼宰相のゴルド、兵士団の事務にいたコットンだろうか。
茂たちが呼ばれるはずだった「大戦」時に、死霊術師によって呼び出された彼らのうち、戦後も眠らないことを選んだものは普通に市井に溶け込んで生活している。
現在でも偶発的に目覚めるものもおり、本人の希望を聞いてそのまま眠るか、生き“直す”かを選んでもらうのだ。
復活時の混乱で暴れる者も多く、兵士の墓地浄化はそれの対策も含んでいる。
向こうの国々では、アンデッドの権利は条約化され、しっかりと保障されているのだ。
「流石に日本じゃ受け入れられにくいとは思いますけど」
「だからこそ、貴様はおかしい、と言っておる!」
どん、と床を叩く定良。
おかしい、おかしいと全くこの骸骨武者は失礼ではないかと思うのだが。
「いや、俺の感覚としては定良さんを滅するってなると、そりゃ人殺しって分類でして。積極的にそこを狙うってのはちょっと……。そこまでの根性は俺にはないんですよ。基本、ヘタレなもんで」
「呪術の楔を、治癒術で砕くなど、聞いたことがないぞ」
「いやぁ、俺も実際には初体験なんですよ。知人がやってるのを見たことはあるんですけどね」
はははと茂が笑う。
兵士団でも魔力の多い奴等が共同墓地でたまに自意識を取り戻しそうなヒトにやっているのを遠目で見ていたのだ。
「上手くいったみたいだったんで、一緒に逃げた方が良いかなと。わざわざ背負って逃げたんですよ?日本の警察ってマジ優秀ですよね。本気で捕まるかと思いましたし」
「……話を強引に変えておらんか?」
「網に放水に、ゴム弾によくわからん長い棒とか……数で囲んで退路を塞ぎ……。逃げ切ったと思ったら、市内全域パトカーが巡回中ってやりすぎですけどね。少し明るくなるまではここ動けないですから。しばらくはここで缶詰でしょう」
今度はナイフの先でヤキトリを突き刺す。
はむはむと口で転がし、安い日本酒を一口入れる。
ふわりと香る独特の香気が心地よく鼻から抜けた。
定良は酒は飲めても飯は食えないそうで、今度はウイスキーで手酌の酒を喫している。
「……聞かんのか?」
「なんすか?」
「あの術者の事だ」
視線だけ定良に茂が向き直る。
ナイフは次のヤキトリを刺し貫いていた。
「あんまり覚えてない、って自分で言ってたじゃないですか?」
「信じるか?それを」
茂がヤキトリを口へ放り込みふんぞり返る。
天井の染みを見つめてひとりごとの様に話し出した。
ぼたぼたと雨音が響くのが途絶えない。
「骸骨頭の知り合い、居るって言ったでしょ?」
「ああ」
「……そのうちの一人、孤児院の院長してるんです。その人」
定良は黙る。
孤児院の院長が骸骨という与太話。
本来は失笑ものだが、茂が真剣な雰囲気を出した所為で、胡坐をかいているのも居心地が悪い。
定良は足を揃え、杯を置いて居住まいを正した。
「いつも会うとカラカラ笑ってて、俺からすると良いオバハンでしかないんですけど。なんで孤児院で働いてるんですか、ってどっかのアホが聞いたんです。ある時に」
確か「軍師」だったか。
あいつはどうしてかたまに、人に踏み込みすぎるきらいがある。
「……償わねばならない。そう言ったんですよ。生前は女だてらに結構有名な戦士だったそうで。ただ、死んでから骸骨になって、こっちに戻ってからしばらくは、全く覚えてないんだと言ってました。霞みがかったような断片的な記憶しかないと。覚えてない間の“記録”が残っているのに、自分がやったことを“覚えていない”。汚い仕事だったという記録だけ残って。……それで覚えてないから、全てを償うことが出来ない。だから、まだ私はここにいるんだって」
「……」
雨音と、遠雷が聞こえるだけ。
2人の間に静寂が下りる。
「死霊術はクソだ。それを使うやつは同じくクソだと思いますがね。ただ、その道具にされた奴が悩むのはセットでついてくるんですよ。そして、だれもそれを判ってやれないし、癒す術も償う術も提供できない。俺が知ってるのはそれくらいです」
「……ありがとう」
「酔っぱらいの作った出来の悪いおとぎ話です。忘れても良いですよ」
深々と頭を下げた定良を茂は見ない。
茂のじっと見据える窓の先に映るのは、本当に神社の松の木だったのだろうか。
その先に何かを見ているような表情をしている。
雨のしずくが垂れる窓の外に、遠雷が2本続けて疾った。