閑話2(後) 難しいことはわからないんですが!
「こ、これはどういう事ですかッ!?」
ばんっ、とテーブルを叩きながら立ち上がった幹部が顔を真っ赤にして叫ぶ。
その他、という内容で議題に挙げていいような内容ではない。
提供された資料を最後まで読み進める前に、感情のまま叫ぶことになったわけだ。
当然、その矛先はこの議題を持ってきた蓮見特別顧問と、その代理権限者である弁護士の安田に向けた物である。
「まずは、落ち着いていただきたい。今回、緊急でこの場に置いて提案させて頂いたのはあくまで我々は冷静な判断を皆さんにしていただいたうえで、検討をしていただくため。……とはいえ、あまりにも急な話であることはこちらも重々承知です。その為に本事案の担当者と共に説明に参上した次第です」
「説明、だと!?」
立ち上がり憤怒の表情で“赤い”ファイルを掴んだ幹部がそう言い放つ。
そこでようやく自分たちの出番であると判断した者が二人、安田の横へと歩を進める。
まず背丈は然程ないが、日に焼けたがっしりとした体格の四十代後半のスーツ姿の男が口火を切る。
「……まずは自己紹介ですか。私、白石総合物産国際流通管理部の的場光男と申します。そしてこちらはナイン・ミレニアムの極東エリアマネージャーのロバート・ワン氏です」
ロバートが紹介されたところでざわり、と場がざわめく。
ナイン・ミレニアム。軍産複合体のコングロマリット。近年のアジア各国へと触手を伸ばしていることは知っていたが、その関係者がこの場にいる。
的場の横の痩せた神経質そうな肌の白い長身のスーツ姿の男。アジア系ではあるが、恐らくハーフかクオーターなのだろう。
的場と並ぶと太い・細い、黒い・白いと正反対のような印象を与える。
そんな彼が軽く頭を下げてうっすらと笑みを浮かべる。
「どうぞ、お見知りおきを。ボビーと呼んでください。長いお付き合いになるでしょうから」
思った以上に流暢に日本語を話すボビー。
そんな挨拶を確認したところで的場が話し始める。どうやら説明は彼がするようだ。
「そちらの資料にある通り、我々の提案は御社、加々宮重工株式会社が所有されている加々宮重工中部株式会社の事業の買収でございます。先だって白石グループが五十一パーセント、ナイン・ミレニアムグループが四十九パーセントを出資し、合弁会社S&Mワールドスチールを設立しました。我々は加々宮重工中部株式会社の株式の百パーセント取得による完全子会社化を目指して株式買収を計画しております」
「中部を売り渡せというのか!?」
「現時点で我々は蓮見賢氏より、氏の保有する加々宮重工中部の株式を譲り受けました。これによりS&Mワールドスチールは加々宮重工中部の発行済み株式のうち十三パーセントを保有することになります。併せて、加々宮重工株式会社、御社の株式も譲渡頂きました。こちらの保有割合は五・四パーセントとなります」
「な、特別顧問! どういうおつもりか!!」
椅子に座り、目を閉じたままの蓮見はその問いかけに微動だにしない。
「今現時刻は十時五十五分。この後十一時より白石並びに、ナイン・ミレニアムによる合同記者会見を行い、S&Mワールドスチールによる加々宮重工株式会社、加々宮重工中部株式会社への事業提案と加々宮重工中部株式会社の株式の公開買い付けを行う旨を発表致します。広告も併せて行わせて頂きます」
「そんなバカなこと、許されるものかッ!! 社長、このようなことが……。しゃ、社長?」
こんな暴挙が行われるのであれば真っ先に怒鳴り散らすであろう、社長の加々宮が一言も声を発さないことにようやく気付く。
声を掛けた幹部が、加々宮を見ると“青い”ファイルを手に、それと同じくらい真っ青な顔をしている。
よく見ればその体が細かく震えているようにも。
「……よくよくお考えいただく時間も必要でしょう。今日の所はご挨拶まで、では」
社長の様子を見て、入室してきた五名は手早く自分たちの準備を整えると、退室していく。
あまりの急変した状況に対応できない幹部たちは軽いパニックを起こしている。
最後に出ていく直前、蓮見が自身の手に持った“青い”ファイルを強く叩く。
ぱぁぁぁぁんっ!!
その音に、震えていた加々宮がびくっ、と体を震わせる。
顔がようやくそれで蓮見の方を向いた。
その視線を老いた蓮見がじっ、と睨む。
見るでは、ない。
じっ、と強く、そして“憎々しげ”に。
「……行こうか」
「はい」
車いすを押した安田を促して蓮見は部屋を出ていく。
挨拶はともかくとして、議題が始まってから、最後まで蓮見は加々宮に一言も声を掛けなかった。
一線を引いてから、和を重視していたはずの蓮見が。
それは、本当に蓮見が加々宮重工を、いや加々宮という男を見限ったのだと皆にわからせるには十分だった。
「いやぁ、きっと今は大騒ぎだ! これからどうするかな?」
あっけらかん、としてそんなことを言い放つのは島倉の運転する車の後部座席でふんぞり返る安田である。
助手席には栄治が座っている。
いまいち先ほどの件がよくわかっていない栄治が教えを乞う。
「先生、結局どういう事なんですか? 俺、よくわかんないんですけど」
「ん? 島倉君、高尾君には伝えていなかったっけ?」
教育係の島倉がバックミラー越しに安田に答える。
「直前のタイミングでコイツに教えたところで訳が分からなくなるだけです。後でみっちり教え込んだ方が良いと思いましたので」
「そうかぁ。じゃあ、簡単にだけどレクチャーしてあげようか」
「あ、お願いします」
首だけ後ろに向けて栄治がメモを出す。
島倉からメモとペンは必ず持ってこい、と厳命されている。
一度スマホのメモ機能で十分じゃないですか、と言ったらゲンコツを喰らったのも懐かしい。
「今回のコレ、大型の企業買収、に見えるけどちょっと違うんだよ。いくら私が白石の顧問弁護士でも専門外の分野だから。第一、白石グループは大きいし、こういう企業買収専門の弁護士もいるからね。実質的にそこを目的として呼ばれたわけじゃない」
「はぁ」
「じゃあ、何が目的か。高尾君を連れて行ったのはね。これが『光速の騎士』のフォローをするために受けた案件だからだよ」
「ええっ!」
驚いたようにして声を上げる栄治。
「先生、そんなこと言っても大丈夫なんですか? 一応、『騎士』って違法活動してるって扱いなんじゃ……」
「大丈夫、大丈夫。多分だけどね」
ひらひらと手を振る安田。
「この間の大きな橋での交通事故。あれの人命救助に『騎士』が参加してたってのは知ってるだろ?」
「はぁ。でも、あれってネットで盛り上がったわりに、あんまり世間的にはニュースにならなかったですよね」
「そう。切った張ったしてるわけじゃないから、そんなに話題にもならなくて、偽物かって話にもなったやつ。直前に街中でロボットとケンカしてたイメージが強すぎたせいもあるんだろうけどね。そっちの方にみんなのリソース投入されてたから」
栄治は思い出す。
確かに、映像としてきちんと残っているあのロボット二体と、「騎士」と「女騎士」の戦いだけがフィーチャーされて、その後の事件はそこまで掘り下げられていなかった。
結局あの後、特に進展もなく段々と皆の興味も他へと薄れていった。
「あの時の事故。そのロボット関係で起きた物だったんだよ。それで、その大本が加々宮重工中部株式会社。さっきの会社の連中だ。そんな訳でいろいろと片付けないといけないことが出てきたんだよ。いわば臭いものに蓋をしないといけなくなった。そういうことだ」
「はぁぁ。あれ、でもじゃあナイン・ミレニアムってのは? あの外国の人、何でいたんです? 白石だけで片付ければいいんじゃ?」
「あのロボット、作ったのは別口だけど、その資金源はナイン・ミレニアム関係から出てたんだよ。技術流出の恐れがあるから日本まで出張って来たのさ。これもまた臭いものには、ってことだ。ま、合弁会社で白石とそれを折半する、ってのは譲歩したんだろうさ。とはいえ、加々宮重工だ。傘下に収めても十分魅力的な企業ではある。白石グループとナイン・ミレニアムグループ。半々、じゃなく五十一を白石が持ってる以上、そこまで無理も出来ないが、日本の市場開拓の橋頭堡の一つとして置いておくなら、いい塩梅の企業ではあるよ」
「企業買収ってそんなに簡単なんですか? 俺、株とかわかんないですけど」
栄治が疑問を投げる。
「そりゃあ、上手くいかないだろうさ。ましてや今回のは敵対的な買収だからね。……でも大丈夫だろう。……青い方のファイル。あっちはね、『騎士』に絡んだことを知ってる奴らだけに渡したんだよ」
「色分けした奴ですか?」
「そう。赤はフツーの買収に関する提案書。利点やらなんやら書きこんであるんだけど。青はそれに『騎士』へとケンカ吹っかけた時の詳細な内容と、お宅らが関係している内容について、ってのを入れたんだと。帳尻合わせてもらいたけりゃ、どうにかしてくれよ、ってね。まあ、失敗したら即、政府筋からお話をしてもらうらしい」
「いいんですか、そんなの。脅迫ですよ、それ」
「私らはそんなことは知らないよ。あとは白石とナイン・ミレニアムの企業買収担当のマネーゲームだ。あくまで私たちは蓮見氏を場に引っ張り出す手伝いを頼まれただけ」
「汚い! なんか、汚いっす!!」
「あははは、そうだねぇ。まあ、ボンクラな三代目に愛想のつきた幹部も何人かいたからね。企業自体が過渡期なのさ。上手く会社を回せないという現役の不満が、蓮見氏にも届いていたんだろう。それに、事業が上手くいかないからって、危ない橋を渡るような男に、トップを任せるような顧問なんざ無用の長物でしかない。『騎士』の在り様にも理解のある人だし、今後については白石のトップと話し合いをしてもらえばいいさ」
「……なんか、ついていけなくなってきました」
ぶすぶすと頭のてっぺんから煙を上げ始める栄治を、にまにまと可笑しそうに安田が笑っていた。
いや、経済については素人なんで。
おかしな点があったらどうしよう。
……このお話はフィクションです。作り物です。ふぁんたじぃ、でございます。
にへら、と笑って済ませてほしいな、と。




