3-9 交錯 のち 宣誓
茂は武者の姿を確認すると同時に、思いっきり全力で駆けだし、そのままの速度を全て、両足に込めてドロップキックをカマした。
一般的に運動量=質量×速度で計算出来るらしい。
分かり易い例として相撲の取り組みで、優に100キロ超の質量の塊が、土俵の中で一気に加速して飛び出していくぶちかましの威力を想像してほしい。
トラックに撥ねられたくらいの衝撃、と解説されることもあるそのぶちかましを超越したドロップキック。
質量としては力士に到底及ばない茂が、どれほどの加速度で蹴りをカマしたのかを考えると背筋が凍る。
(あっぶねぇ……、ギリギリ間に合った。でもあの落ち武者、ホテルから叩き落したのにそんなにダメージ受けてないし)
ホテルの非常階段を駆け抜け、出口から外に出たは良いが、こういう高級ホテルは出口が複数あるのが普通である。
勢いのまま一番近い出口から外に飛び出した先が、裏口であると気付き、ぐるりと大回りで武者を突き飛ばしてやった広場に駆けつけると、警察官にあの武者が襲い掛かろうかという寸前。
間一髪間に合ったのだが、一つばかし問いただしたいことがある。
(ちょっとそこのお巡りさん?何故に俺にむけて、そのテッポーの引き金を引いてるんでしょうか?)
かち、かちと弾の切れた拳銃が音を立てている。
先程の武者に一斉に全弾をぶち込んだため、そのリボルバーに弾は残っていないとはいえ、“善意の市民”に銃口を向けるのはいかがなものか。
(もしかして、俺。アレと同類に思われてるの?)
視線を送る先には武者。
蹴り飛ばした先の崩れたバスの行先表示付時刻板から体を引っこ抜き、こちらを見つめている。
目玉の無い空洞の眼窩に射竦められた気がした。
その瞬間、武者が勢いよく太刀を振るう。
ドカァァアン!!
粉々になってバス停の看板が吹っ飛んでいった。
「やる気か……」
誰にも聞こえないほどの小さな声でつぶやき嘆息する。
非常に面倒くさい。
部屋の中でやり合うには自分の得物のリーチが邪魔になるうえ、ナイフや包丁等の短剣については才能が無いと、「軍師」に散々言われているのだ。
ステーキナイフ一本の「軍師」に、茂が全力で挑み完敗した後で言われて、落ち込んだ記憶がある。
だからこそ、フィールドを一番使い込んでいた槍を全力で振るえる広い場所に移動したのだが。
(まあ、向こうもやり易そうだけど、こっちも全力が出せる場所に追い込んだんだし、トントンだろ?)
そう思うと、階段を下りる時に邪魔でアイテムボックスに放り込んでいた槍を出す。
うわぁ、と警察官から声が上がるが気にしない。
かちかちと先程よりもテンポの速くなる引き金の音も、今は気にしないことにする。
というか、お巡りさん達は、まだそこで寝転がっている気だろうか?
「あ、そうか」
よくよく見ると気付く。
鎧武者を蹴り飛ばして、若干薄くはなったが地面にうっすらと瘴気が残っていた。
左手のグローブを外し、屈みこむとその瘴気の残りに素手で触れる。
肌全体がほんの少しピリピリとしたのを感じる。
武者はこちらを見つめたまま動こうとしない。
恐らく遠距離戦の術がなく、自らの射程距離に来るまでは不動の構えを崩す気が無いのだろう。
茂にとっては好都合である。
(麻痺毒、だと思うけど?まあ、今なら俺はほとんど効かないし。ただ、レベル低い人には格別効くからなぁ)
再びグローブを付けるとぷらぷらと左手を振る。
すでにしびれは全く感じない。
亡霊や死霊などが放つ瘴気は、その個体によって生者に様々なバッドステータスを与える。
麻痺に混乱、魅了に焦燥、憤怒に石化等々である。
ありとあらゆる肉体的・精神的なバッドステータス。
レベルの低いころに、兵士団の訓練も兼ね、連れられて行った集会墓地の浄化業務を思い出す。
真夜中に次々に現れる亡霊やら骸骨兵士を浄化して回るときに、様々にミックスされた瘴気にやられてゲロを巻き散らかした記憶がよみがえる。
体臭の酷い人が臭い消しに香水を振って、香り付きの柔軟剤をしみこませた服を着て、ニンニクギョーザを山盛り食ってきたとでも思ってほしい。
まさにスメルハラスメント、いや実態は少し違うのではあるが。
ただしほかの兵士たちは気分不良を訴える様子もなく、茂は彼らにいつも肩を借りていた。
正直あの時の仲間たちには感謝しかない。
まさにお荷物であった茂であったが、兵士着任初年度必須の月一定期業務をこなし、その度ゲロを吐くという苦行はレベルが10を超えたころにようやく耐性が付いたのである。
その日は夜勤明けに皆と、茂の支払いで美味い飯と楽しい酒を楽しんだものだ。
それまでは苦行以外の何物でもなかったが。
(仕方ない。魔力が減るんだが……)
こんなところで寝転がられても邪魔なのだ。
さっさと離れてもらわないと、槍も満足に振るえないではないか。
「な、何だ!く、来るなぁぁぁ!!」
「ひぃぃぃ!!」
せっかく助けようというのにここまで怖がられると、若干やる気がスポイルされる。
げんなりしながらも、茂は呪文を唱える。
「ファースト・エイド」
グリーンの光が茂の左人差し指から2人の警察官へと飛ぶ。
ぎゅっと眼をつむり混乱のさなかにある彼らには判らなかっただろうが、全身を覆う麻痺毒が消えたはずである。
初級の状態異常解除呪文「ファースト・エイド」。
軽度の毒や麻痺などの、身体へのバッドステータスを回復する呪文だ。
汎用性は意外に高く、茂がもっとも使っていたのは、痛んだものを食べたときの食中毒からくる酷い下痢だった。
皆にも言っておくが、“ギリいける”はほぼ“ギリいけない”ということと同義であるということを理解しておこう。
「ひいっ!」
先輩の警官が体の自由を取り戻した瞬間、横にいる後輩の袖口を掴むと、這うようにして逃げ出していく。
すでに彼らには「光速の騎士」の姿は映っていない。
一目散にその場から逃げ出した。
「うわ、そこまで全力で逃げなくても……」
軽くではあるが茂の心は鋭く傷つく。
「おおおおおお……」
唸り声が聞こえる。
視線の先の骸骨野郎がやる気満々でこちらを見つめていた。
先程までと違い、前傾のどっしりとした構えだ。
つまりは本気なのだろう。
「やめてくれよ、そういうの。危ないのは好きじゃないんだ」
左手に盾を構え、武者から直接狙える場所を盾の裏へと隠す。
右手の槍は刺突の構え。
まずは小手調べ、相手がどの程度“出来るか”を知るための一当りだ。
(ま、向こうがどう思うかは知らんけど)
どうも武者の一撃一撃のタイミングが温い。
恐らく本来のあの武者の戦い方は、振りかぶってズドン、振りかぶってズドン、というスタイルではない。
とても“不格好に”見えてならない。
(無理に使役されてる分、縛りがデカいんだろうな。だから死霊術ってクソ極まりないんだよ)
戦士の尊厳を汚す行いであり、唾棄する忌むべき術式。
被術者の精神を縛って使役する分、本来備わっているはずの直感や本能を著しく低下させる。
それに伴い、技術的な錬度が下がり弱くなるというのが向こうで教わった内容である。
「ほんじゃあ、一手ご教授頂こうかなッ!!」
こっそりとじりじりと前進していた茂。
地面がレンガを敷き詰めたお洒落歩道からアスファルトに変わった瞬間、一気に踏み込む。
地面を咬む土台がしっかりとしている分、先程のドロップキックよりも更に、速い。
「ォォォオオッ!!」
武者がそれに応え、太刀を大きく振りかぶる。
ゴッ!
鈍い音をさせて盾と太刀が激突。
だが、ホテルの部屋で使われた「シールドバッシュ」は発動しない。
何故なら、“スキルは同時に発動できないから”だ。
「スラストォォ!!」
突進から更に体を捩じり、盾の裏から隠れるように放たれるスキル。
これもまた兵士御用達の槍用汎用スキル「スラスト」だった。
修練により身につくもので才ある者であれば5レベル程度から習得できるというお手軽スキル。
ただし茂が習得したのはレベル9で、平均からすれば少々遅咲きである。
効果は単純かつ明快。
槍を突きこむ際に発動すると一瞬膂力が増すという、瞬間的なバフスキルだ。
効果は一瞬かつ一回こっきりだが、スキル使用時の魔力消耗が少ないという利点がある。
槍を使うものならば真っ先に覚えるべき初級スキルであった。
ゴッ!
風を切り裂いて、しかしその一撃は大きく外れる。
武者がスキル発動の瞬間にほんの少し体の軸をずらしたのだ。
要は点を狙う攻撃。
その最初の接触ポイントを避ければあとは素通りなわけで。
「からのっ!スイングッッ!」
武者の脇を通過した槍が真横へと大きく振られる。
めきっ!
何かが折れる音を発しながら、武者がホームランボールの様にかっ飛ばされていく。
ドカァァン!!
ボール役の武者は近くの雑居ビルの4階にぶち込まれている。
外の看板を見るにどうもガールズバーのようだ。
土煙の中、女性の悲鳴が聞こえる。
だが、悠々とその土煙の中人影が立ち上がってくる。
「くっそ、野郎。打撃に合わせて跳びやがった!」
ぜいぜいと連続でのスキル使用で荒い息を深呼吸で整える。
茂の魔力が削られていた。
こちらも兵士御用達の汎用スキル「スイング」。
効果は横へと振りぬく攻撃の際に一瞬だけ膂力を増加させる。
ただし、これは槍用ではなく、棒術・斧用汎用スキルだ。
(マジでサンキュー!教わっといてよかった!!)
脳裏に描くのは仲良く酒を酌み交わした仲間の一人。
犬の頭(本人は狼と言っていた)をもったモフモフ獣人の兵士仲間を思い出す。
彼の得意としていたのは棍で、奥の手として覚えておけとつぶらな瞳で言われたのを思い出す。
あとは我慢できずその頭を撫でた時のフカフカ感。
入念なお手入れがされていてとても肌触りがよかった。
……後でものすごい怒られた上、酒まで奢らされたが。
「それでも結構ダメージ食らったみたいだな」
槍と棍、種類は違うが長物使いの茂にはまさにうってつけの二の矢となったスキル。
武者の左腕がだらりと下げられている。
茂も何かを折ったという感触は掴んでいたのだ。
(でも、太刀を振るのに影響はなさそうだわな)
兜の下で苦笑いを浮かべる。
武者が4階のバーから飛び降りて地面へと着地する。
「やる気、満々かよ。こっちは疲れてんだけどなぁ」
なぜか、馬鹿の一つ覚えのように突っ込んできていたホテルの部屋と違い、今この鎧武者がダメージを受ける瞬間に“跳んだ”。
つまり、多分だが“醒めて”きている。
その可能性に焦りを感じたのである。
それに焦り突っ込む茂。
ゴッ!
「おおおっ……!」
迎撃の体勢を整える武者。
だが、近づく茂を前に今回は太刀を振らない、振らない、振らない!?
(くっ!?)
たった数瞬のチキンレースを鎧武者が仕掛けてきた。
双方が後の先を取ろうと窺い合うコンマ数秒の葛藤が明暗を分ける。
我慢しきれず、先に動いた槍の穂先を武者の太刀がしっかりと弾く。
しかも今回は魔力の消耗を押さえようとスキルを使わなかった分、速度は落ちている。
武者の右足が茂の胴目掛けて跳ね上がった。
辛うじて間に合った盾がそれを押さえるが、もちろん「シールドバッシュ」で弾く余力は茂にはない。
ドォォォン!!
「ガッ!……くっそ、痛ってぇ……!」
焦りから突進していた茂と、どっしり迎撃の体勢を整えた鎧武者。
精神的な優位が鎧武者に有ったとはいえ、焦った茂のミスだ。
くっきりと武者の具足の形についた泥付きの足形が盾にスタンプされている。
「あの野郎、やっぱ醒めて来たか?」
早苗のダイバーズウォッチに仕込まれた呪物。
あまり日本の呪術には詳しくないものの、あの念入りにコーティングされた呪物はこの鎧武者の使役の要になる何かだったはず。
恐らく、鎧武者が欠けた己を求める様に動くためのマーキングとして仕込まれていたのだろう。
それを砕いた分、己の意思が戻ってきたということではないか。
(つーことは、本来の戦士的感性が復帰するってことで、あんまりよろしくないですなぁ、それ)
いつつ、と言いながら吹っ飛ばされたパチンコの電飾から体を起こす。
気付くと遠くで何かぎゃあぎゃあと叫ぶ声が聞こえた。
気にしている暇がなく、そのまま武者に向かって歩き出す。
茂は気付かなかったが、その姿が全国に生放送されていた。
「ちくしょう、焦るといいことないな。面倒だが、作戦変更。慎重に、丁寧に崩すか」
左手を宙に差し出し、そこからマナポーションを取り出すと、指で蓋を弾き飛ばし、ぐいっと呷る。
ドロリとした生温かい苦みのあるそれが喉を通り過ぎ、腹へと落ちる。
ぐ、と腹から湧き上がる魔力の高まりを全身で感じ、魔力が回復したことを確認した。
そして茂は思う。
(相変わらず、どろどろで気持ちわるぅ。しかも、マッズぅ……)
どうしてあちらの先人は、このくそマズイポーション類の味の改善に努めないのだろうか。
絶対に使用者からの批判が出ているはずなのに。
もっとも優先されるべきは品質であるが、その次にお客のニーズに応えるのがメーカーではなかろうか。
再度宙にアイテムボックスの出入口を造り、そこに空瓶を放り込む。
苛立たしげな茂の心を代弁したかのように、地面がぽつ、ぽつと音を立てる。
そして、一気にその音が大きくなっていく。
先程まで空を明るく照らし、ホテルのラウンジからは綺麗な夜景を見せていた月が隠れ、雲が一面を覆っている。
唐突のゲリラ豪雨であった。
地面に叩きつける雨粒の音が周りの音を押しつぶしていく。
「くそ、雨って最悪っ」
何せ体が冷える。
相手の骸骨野郎は気にしないだろうが人である茂は、体温が奪われれば当然パフォーマンスは落ちる。
さらにしみこんだ雨で鎧にブーツ、服などは重く体の動きを制限するだろう。
(天気予報、そういや週末に雨って言ってたか)。
舌打ちするとともに、あまり時間がないことに気付く。
長引けば、やられるかもしれない。
「さて、もう一手行きますか?」
どっしりと構える武者の目前までゆっくりと歩きで近づく。
武者は構えを崩さず、それを見て茂もゆっくりと槍を構える。
双方の射程距離は若干茂が長いが、武者がどんどんと生前の感覚を取り戻している。
戻りきる前に、片付けねば負けるだろう。
「ぉぉぉぉぉ……」
槍が疾った。
それに目掛け、太刀が打ち払おうと軌道が交錯する。
そして、太刀が動くその瞬間に、槍の穂先をぶつける。
槍の穂先がぶつかり跳ね返る太刀が、返す刀で茂の頭部を狙う。
それをさせじと、盾がガード。
そして、弾かれた太刀が…………。
ギャギャギャガガガガギャギャガッガッ!!!!!!
数合、どころではなく十数合を一瞬の接触の間に繰り返した。
金属同士が激しく擦れ、ぶつかり、叩きつけられる音が周囲に響き渡る。
息の続かなくなった茂が後退する。
武者はあえて追撃せず、構えを整えた。
バシャァ!
太刀と槍の暴風圏が納まった瞬間、その空間に閉じ込められた雨粒が一斉に地面へと落ちて行く。
(うわ、ちょい斬られてる。あっぶねぇ!)
盾の縁が若干斬り飛ばされて、でこぼこに変形していた。
だが、一方の武者側もダメージを負っていた左腕周辺の鎧に細かな傷がついている。
結果としては相打ちという判定でいいだろう。
だが、今のでわかった。
この武者、間違いなく不完全であるが醒めはじめている。
(……あのストーカー、死霊術師としてはあんまり熟達してないんだな。ここまで目ぇ覚ましてもらえりゃ、俺でもどうにかできるし)
魔力自体はポーションを飲んで回復している。
「……行くか」
ブンッと槍についた雨粒を振って飛ばす。
ここから先は後戻りはしない。
カツカツカツ!
茂のブーツが激しい雨音を奏でるアスファルトを強く叩く。
ざあざあと一向にやむ気配を見せないゲリラ豪雨のなか、先ほどとまったく変わらない姿の鎧武者を見据える。
どっしりと、右手で太刀を握り、前傾姿勢のまま動かない。
先ほどと同じ位置。
そこまで茂が進み、ぐるぐると肩をまわし、体を伸ばす。
武者は動かない。
ゆっくりと構える茂に対し、それでも武者が動く気配は無い。
暗黙の約束、不文律の宣言、そして戦士たる矜持のみで形作られた、見えずとも確かにある、それ。
それを見て茂が一言だけ、告げる。
「杉山、茂」
「ぉぉぉ、ク、クロキ、カ、ネシゲェ…………」
誰も知らずとも良い。
これを知るべきは、ただ古の鎧武者、そして槍使いの一般人だけで。
それでいい。
いや、何かすごいいろんなプレッシャーが。
ちょっとアクセス数とか、のぞいたら怖くなって、急いで書いたので……。
あまり期待せずにお待ちいただきたい。