閑話2(前) 会議へ一発ブッ込んでみよう!
「おはようございます」
深々と頭を下げる男。
見覚えはあるがなんという名前の男だったか。スーツの仕立てもどこかで吊るしで買ったものをそのまま着込んで来たのか、微妙に体に合っていない。
それを見てまあどうでもいい、と感じた。記憶にないということはさして覚えるほどの価値のある人間ではないという事だ。
いちいちそんな人間の顔と名前を憶えるなど、無駄以外の何物でもないだろう。
そのまま一瞥し、その男の前を通り過ぎる。
同じように頭を下げていく社員たち。
見覚えはあるが名前は出てこない。覚えるつもりもないというのが事実だが。
悠然と歩いていく先は大会議室。
月に二回開催される経営幹部会議の議場である。
がちゃん……。
古めかしい扉のノブを回して会議室に入ると、既に着座していた幹部たちが立ち上がり、一斉に“おはようございます”と自分へと朝の挨拶を始めた。
(まるでカエルの合唱だな。しかもガマガエルの、な)
席を立って揉み手で近づく取り巻き共に張り付けた外向きの笑みを向ける。
それを見て、機嫌が良いのだと思った取り巻き連中がにこやかに他愛もない話をしてくる。
ニタニタと粘つくようなガマガエル共の相手は正直面倒であるが、適当に愛想を振りまき、着座。
会議開始五分前になり、資料確認をするということで、取り巻き共を遠ざける。
それを受けてペコペコしながら取り巻き共も自分の椅子へと戻っていく。
もちろんだが、事前に会議資料は確認してある。
業績の報告や重要な案件、社長である自分が確認していない項目は一つとしてない。
(ん?)
ぱらぱらと資料をめくっていく中で、目次の見出しの最後に自分の知らない箇所がある。
その他、とされたそれは昨日までの仮資料には無かったはずの項目。
よくよく見れば配付されている資料の一番上のその目次のページだけが差し替えられているのがわかる。
大判用のステープラーで綴じられていたはずのそれが、一度外され、再度留められた跡が残っている。
「では、時間となりましたので定例の加々宮重工株式会社経営幹部会議を始めさせていただきます」
指摘しようとしたところで時計の針が午前十時を指していた。
定刻通りに会議が始まる。
まあ、何かしらの連絡事項であろう、と思った。
以前にも社屋内の空調の不具合のため、臨時でのセントラルヒーティングの補修予算を計上しなくてはならなくなった、等の事務的な連絡があったからだ。
急遽前日の決定稿から変更するような突発的な何かがあったのだろうと思うことにした。
社長である自分、加々宮和久に連絡が無いというのであれば然程、大きなことでもないのだろう、と。
予定調和的に終わるはずの会議がはじまり、兎にも角にもまず最初の一ページを一斉に皆がめくる。
紙ずれの音が室内に響いた。
「……では、最後の議題になります。その他、という事ですが、少々お待ちください」
司会進行役の総務企画部長が、進行を一旦止めると、その足で会議室のドアへと向かう。
その様子に出席者たちが何だ一体、と互いに顔を合わせ眉をひそめる。
月一の全体会議と違い、この幹部会議は特に波風も起こすこともない、報告主体のいわば形式的な作業にも近い。
だというのに、急にこの流れ。
「おいおい、後が詰まっているんだぞ、総務! 重要でないなら、後日の持ち回りにできないのかね!?」
そんな場の雰囲気を察した者が、腕時計を見ながら声を挙げる。
「いえ、こちらに関しては幹部の方々には十分に検討頂きたい。いえ、検討頂かねばならない案件になります」
扉の前で首だけ振り返り、総務企画部長が言い放ち、扉を開ける。
観音開きの扉が開く。
そこには、幹部会議の議題が進むのを待っていた者が待っていた。
企画部長に促され、彼らが入室する。
先頭の人物は老齢の男性で、自身が座る車いすを押してもらいながらの入室。
そこで、その人物が誰なのかに加々宮は気付く
「……蓮見? 何故彼が?」
加々宮は小さくつぶやくと、席を立ち、からからと車いすで自分の隣の空席へと移動してくる老人を出迎える。
「お久しぶりです。蓮見特別顧問。来られるのであればご連絡下さればいいのに。本日はどういったご用向きで?」
車いすに座っているが、それは長距離の移動時に使っているだけらしく、車いすが止まると自分の足でしっかりと立ち上がる。
八十を超え、もうすぐ九十に届くかという年齢であるが、立ち上がった姿は背筋も伸び、しゃんとしていた。
すっくと立つと、百七十程度の身長の加々宮と同じくらいなのに、その男ぶりが如実に現れる。綺麗に撫でつけられた白髪と、粗野に見えないギリギリの線で綺麗に整えられた顎鬚、スーツも皺の無いぱりっとした洒脱なもので、全体を通して老いた男の枯れた様すら男の色気へと転じさせている。
会社の創業者である先々代の頃の時代を知るたたき上げで、第一線を引いたとはいえ、いまでもその手腕にほれ込む現場のベテランは多い。
とはいえ高齢ということもあり、会社へ出向くことは年に一度有るかどうかという人物ではある。
「うむ……。まあ、座りなさい、加々宮社長。今日の最終議題は私の発議でな。要項を調べたところ、私もこの幹部会議に出席するのは問題ないはずだ。今までその権利を行使して来はしなかっただけでな」
「発議? 特別顧問から、ですか?」
「ああ」
そう言うと蓮見は席に着く。
本来は出席予定で無かったはずなのに、そこには座席がある。
気にも留めず、準備段階で椅子をずらさなかっただけだろうと思っていたのだが、元々そこへと準備してあったのだろう。
それに気付き、加々宮は総務企画部長に鋭く視線を飛ばす。
準備をしていた彼は当然、このことは知っていたはずだ。座席の準備以外にも資料の表紙の差し替えもしているのだから。
だが、こちらを見ていた総務企画部長はひるむことなく、その視線をまっすぐに受け止め、さらには睨み返してくる。
その様子に加々宮は内心で苛立つ。
なぜ、奴は社長の自分にあんな反抗的な目をむけるのか、と。
「加々宮社長、発議したのは私ではあるが何分、齢が齢だ。そのため後ろの皆は私の代理として発言してもらいたくて連れてきた。彼らの発言は、全て私、加々宮重工特別顧問、蓮見賢の意を受けた物であると思ってほしい。許可いただけるかな?」
「それは、……」
「幹部会議を含めた社内規則の規定上、蓮見特別顧問が許可を申請し、代理となる者が氏名・所属を明らかとし、その旨を宣誓すれば問題ありません。議事録にその旨を記載することが条件となります」
加々宮の言葉を遮り、総務企画部長が発言した。
「では、そうしてくれたまえ。君、後は頼む。ああ、発言者の氏名と所属、だったかな」
蓮見が車いすを押してきた男に声を掛ける。
後ろに控えるのはスーツ姿の男四、女一。都合五人。
若干一名が挙動不審に周りをきょろきょろと落ち着きなく視線をさまよわせている。
「さて、ではまず自己紹介ですか。皆さま、初めまして。私、弁護士をしております。フレイア弁護士事務所、所長の安田則之と申します。どうぞお見知りおきを」
高級スーツと腕時計。見ただけでわかるような一流の品に身を包んだ安田がとん、と机の上に自分の黒革の鞄を置く。
使い古したその留め金を外し、中から会議の出席者分のファイルを取り出した。
ぱたん、と鞄を締めた時に、その留め金にくっついたそれだけが異質な様相を示す「光速の騎士」に“よく似た”騎士鎧のディフォルメストラップが揺れている。
「では、議題を説明する前に皆さんに資料をお渡ししますね。高尾くん、島倉さん。おねがいします」
「判りました」
「うぃー、……じゃ、ねぇ! わ、判りましたっ!」
軽くいつものノリで軽く返事をしかけた高尾、高尾栄治を島倉と呼ばれた女性がぎろり、と睨む。
いや、寧ろ睨むというよりはもうメンチを切っていた。所謂顎を下から上に滑らかに持ち上げる“アアん!?”というあれだ。
それに内心で、ひぃぃっ、と悲鳴を上げながら仕事をするために色分けされたうち赤いファイルに飛びつく栄治。
そんな栄治の横で彼以外に誰にも聞こえない大きさで“チッ!”と鋭い舌打ちが聞こえる。
その舌打ちが発せられたと思しき島倉の方を見ることすらできず、滂沱の汗を流しながら、島倉から逃れるように、くるりと回転して反時計回りに資料を事前に指示された通りに置いていく。
フレイア法律事務所の丁稚として拾ってもらった幸運な身であったが、指導役として着いた島倉に関しては幸運不運どちらと言えばいいのだろうか。
パワハラやらセクハラやらブラックやらの言葉が飛び交う昨今に、肉体言語を使った熱血指導という名のシゴキに近い教育を受けているわけだ。
みっちりとしごかれた結果、もうパブロフの犬のように島倉の指示に従うように教育されきってしまったわけで。
それはもはや調きょ、いやあくまで教育である。……教育なのだ、うん。
とはいえ、通常業務はもちろん日常の常識に、小さな気配りの仕方、接遇に関する入念な知識など、学ぼうとしなければそのままにしていたであろう項目が身についたのは事実。
しっかりと教えてくれることは教えてくれるし、仕方ない失敗については次の失敗に繋がらないようにフォローもしてくれる。
それに何を置いても美人である。最初に安田と共に病室に来た時から綺麗な人だなーとは思っていた。
それについては男の子。やっぱりうれしいもんである。
ただ、中身はそれと違ってゴリゴリの鬼であっただけで。
(し、島倉さん。こぇぇ……っ!)
あの舌打ちをした彼女の顔をまともに見れない。
もうこうなれば純粋に仕事に集中するしかない。
指示通りに、“赤い”ファイルを該当者に渡していく。
逆の時計回りで“青い”ファイルを島倉が配っている。
「おい、君。資料を」
少し気が抜けたのか、出席者に呼びかけられてしまう。
ただ、その人物は“青い”ファイルの配付予定者である。
「ああ、すんません。島倉さーん!」
呼ばねばなるまい。ここで“赤い”ファイルをこの人に渡すわけにはいかないのだから。
呼ばれた島倉がファイル片手に急ぎ足でこちらへと向かってくる。
「申し訳ありません。どうぞ」
「ああ、すまない」
そして資料を渡したところで、島倉が栄治を見る。
にこり、と笑いかけながら島倉が栄治を急かす。
「ほら、高尾君? 資料を皆さんに」
「は、はいっ!」
急かされて大急ぎで資料を配る。
(だ、駄目だっ! 目が、目が笑ってねぇッ!? し、死ぬッ!)
噴き出す汗で、安田に買ってもらったばかりのスーツに汗ジミが浮かんでいた。




