6-5 若き 一般人の 悩み(特に安全面で)
「取り敢えず、これで今日やらにゃならん仕事はラストのはず……。明日は完全フリーだから……。頑張れ、俺っ……!」
振り絞るように自分に気合をいれる茂。
夜間シフトのバイトの為、短い仮眠の後、自宅で熱いシャワーを浴びてはみたがもう限界値ギリギリな状態でロッカーの前に立つ。
結局気分が乗らず、夕食かわりのタマゴサンドイッチを一つ腹に収めての出勤である。
ロッカー備え付けの小さな鏡にはこちらを見つめ返す疲れた自分の顔が映る。「森のカマド」の制服に着替え、ぱんぱんと顔を叩く。
「ぬ、ぐぅ……」
手で顔を覆うとそのままくらり、と体が揺れそうになってしまう。
体を支えるようにロッカーの扉に手を掛ける。
流石に寝て起きて、寝て起きて、と短い睡眠を繰り返しているが、ここはやはり長めに睡眠をとらないと根本からは回復しないだろう。
茂はショートスリーパーというわけでは無いし、そんなものになろうという気も今のところは無い。寧ろ、うとうとと長く寝こけることにこそ幸せを感じる類の人間であった。
(……流石にシフトが崩れるからそうそう休めないしな。普段通りに生活するのが、いかに大変なのかわかるわぁ)
アメコミとかの正体を隠してヒーロー活動をしている、という作品の主人公はどんな神経をしているのだろうか。
茂が思うに、ああいうヒーローというのは誇り高い正義の心と、強じんな精神力を兼ね備えているから大丈夫、なのではない。
無論、それは最低限持ち合わせているのは必須条件ではある。
だが、それ以外の要素があるのだ。
きっとマゾなのだ、あいつらは。
しかもマゾのまえに“ド”が着く、真正で生粋の。
(俺は、無理。絶っ対に無理。こんなの続けりゃ間違いなく死ぬし、この仕事量……。何が、正義のために、だよ。ブラックを超えたダークネスじゃねえかこんな仕事)
茂は思う。
ヒーロー活動というものは間違いなく金持ちでないと継続してはいけない、と。
日々の生活を過ごすためのお金を稼ぎながら、危険と向き合うなど真っ当な人間の可能な仕事量を逸脱してしまう。
或いはお金に執着しないような、高潔な精神性を持った滅私奉公が苦で無い人。
論外だ。飯も風呂も家も娯楽も、最低限度のお金はいる。そこにまで節制を強いられてまで、続けれるならもはや一般職の「人間」の上位職の「ヒーロー」ではなく、別ルートの「仙人」とかになるべきだろう。
若しくは、時間に縛られないフリーランスの仕事で稼いでいくとか。
ただそれは個々の才能に依る一種のスペシャライズな人々のみの特権であろう。
まかり間違っても自分のような一般人が手を出すにはハードルが高すぎる。
「……一歩一歩、地道にコツコツと。……だったんだけどなぁ」
くはぁぁぁ、と今日一番のため息を吐く。
更衣室には誰もいないので問題はないが、もし聞かれればどうしたのか、と心配になるほどの深いふかぁぁい、ため息。
(なんで、俺。あんなこと口走ったんだよぉぉ……)
がっくりと閉めたロッカーのドアにこつん、と頭をぶつける。
そこで思い出すのは、クジョーとの最後の会話であった。
「おい」
こちらを一瞥もせず立ち去ろうとするクジョーに湧き上がる感情のまま、声を掛ける。
「ん?」
立ち止まるクジョーが振り返った時には、既に賽は投げられていた。
ずしり、と肩にかかるベンダーの重さが疲れが溜まり始めている両足にまで伝播する。
ニヤつきながら振り返ったクジョーと笑っていたハナの顔がこちらを確認した途端に、真顔へと変貌。
眼が細められ、鋭い視線が結界越しにこちらを貫く。
だが、それはただの視線。
実際の質量を持ったベンダーが自分たちへと飛んでくるのを防ぐような力は無かった。
全力で至近距離から投擲されたベンダーが結界に激突する。
バジィィィィッ!!
結界は結界。その名の通り、界を結ぶ膜で、激突したベンダーがめり込んで、止まる。
稲光の直撃でもあったかのような光と、大気の震えを周囲はその接触時に放射状に放つ。
あまりの光と、大気の震えに、元々の嵐も加わり大型車両の通行もしているはずの大型橋梁がぐらんぐらんと地震にでもあったかのように揺れる
だが、ベンダーが向こうへと届くには至らない。
「何のつも……」
「オオオオッ!!」
一歩だけ結界の膜に近づき、その真意を詰問しようとしたクジョーの言葉を遮り、「光速の騎士」の体が跳ねた。
ぎゅん、と残像が残るほどの勢いで「騎士」の体が回転し、その勢いを十二分に加えたトラースキックが、膜にめり込んだベンダーに叩きこまれた。
ミシィッ!!
限界を超えた結界が、その一瞬だけ千切れる。
その一瞬でちょうど半分ほどがクジョー側へと勢いよく突きこまれ、結界がその形状を取り戻す。
めごっ!
ベンダーが断裂し、強烈な一撃で叩きこまれた勢いがそのままクジョー側のベンダーに加わる。
地面へと跳ねたベンダーが、当然だが砕けて、辺りに破片をまき散らす。
ザクッ!
そのてんでバラバラに飛び散った破片の一つが、クジョーの頬を掠めた。
「クッ!」
「お前ぇぇッ!!」
頬を押さえたクジョー。そしてクジョーの思わぬ負傷、それを見た、ハナが立ちふさがる。
歯を剥いて目を血走らせ、結界が無ければそのまま「騎士」へと飛びかかろうかという勢いで。
怒りというより激怒、激怒というより憤怒。
いや、もはやそれは憎悪にも近い感情を取り繕うことなくぶつけてくる。
トラースキックで背中を向けていた「騎士」が真っ直ぐ、クジョー達の前に立っている。
「殺すッ! 殺してやるッ! スミレ、コレを外してッ!!」
先程までの年相応の可愛らしさなどどこにもない。そこには相手への殺意だけに身を焦がす獣が一匹。
その声に「騎士」は微動だにしない。そして離れた場所にいるブルー・タイプのスミレ・モトミヤもだ。
そんな様子にさらに血が上ったハナが声を荒げようとした瞬間、彼女の主たる男がそれを制する。
一言、声を掛けた。
「……ハナ。下がれ」
「クジョー!! でもっ!?」
ハナの肩に手をおいたクジョーが再度声を掛ける。
「俺は、下がれと言った」
「……ッ!!」
びくっ、と慄くようにハナがクジョーに肩を押されて場所を開ける。
小声で聞き逃してしまいそうな命令だった。
だが、それに従わなければならないと、瞬時に沸騰した頭が凍てつくほどの“なにか”が込められている。
だが、声を掛けたというのにその視線はハナには向いていない。
ハナをどけ、そのまま視線を切ることなく膜の近くに歩いていく。
カツ、カツ、カツ。
「お前、一体何がしたかったんだ。……言えよ」
互いの距離は結界の膜を挟んで、一メートルもない。
先程までのニヤついた笑みも、からかうような口調でもなく、クジョーがこれをしでかした男に聞く。
「なんとなくだが、ようやく分かった。……お前が、マジで気持ち悪ぃ理由が」
「ああ? 随分と率直に言ってくれる」
ゆっくりと腕を組み、そのままクジョーに「騎士」が語りかける。
「お前、さっきからケタケタ、ケタケタ声は出してるくせに、いちっども笑ってねぇ。だから、気持ち悪いんだよ」
「何だと」
眉をひそめたクジョー。
「人の事、甚振ってコケにしてみせて。そんでもってその様を笑って“見せてる”。楽しいか? 本当に楽しいか? ひとっつも楽しいと思ってもねえくせに。そうやっててみせてる」
「へえ、ご大層な器と違って中身はボンクラだと思っていたが。よく見ているな」
感心したような表情を見せたクジョーが「騎士」と同じように腕組みをする。
「胡散臭い笑いかたも、カチンとくるものの言い方も。お前ぇ、何から何まで物事を下に見ていやがる。大っ嫌いだ、そういう奴が。お前のそれはな、笑ってる、って言わねぇんだよ」
「ほぉ、そうか。では、何だ」
腕組みを解いた「騎士」が躊躇いもなく、右手を伸ばして結界に触れる。
ばじぃっ!
鋭い痛みが籠手を貫いて右手全体に伝わる。
結界の膜に爪を立てるようにしてその手をクジョーの前に持ってきてみせる。
「お前のそれは、“嘲り”っていうんだよッ! この世に生きるすべての人間が一番クソだと思う、下種のやることでなッ!」
痛みのせいか、感情が高ぶったせいか、声が上ずる。
少し離れたところで倒れるジェイクを見る。
薄汚れた顔の頬に、一筋何かが通った跡が残る。それは決して雨粒ではない。
アレを見たうえで、さあどうだ。
この目の前のクソにどう言ってやればいい?
「道端で泣いてる奴がいたら、とりあえず声を掛けてやれって言うのが、ウチの家訓なんでよ! それを破っちまうと飯抜きなんでなッ! しかもそれがブッチギリ世界第一位のキング・オブ・クソに泣かされてるってんなら、猶更だッ!!!」
「なるほどッ!」
「ク、クジョー!?」
クジョーも同じく腕を解いて同じように右手を結界に向けて突き出す。
ただし、こちらは回収した黒い短剣から溢れる瘴気を纏って。
後ろで慌てたようなハナの声。
ばじぃっ!
「それでっ! どうする!? そんなクソ野郎はもうお前と遊ぶ時間は無いんだよ、「光速の騎士」ッ! それともこのまま後のことを忘れて俺と遊ぶかッ!?」
結界に接触したことで大きな音を発てている双方の右手同士が膜一枚を隔てて重なり合う。
一秒、二秒。
みしみしと結界、若しくは双方の手が軋む。
真正面から、初めて真っ直ぐに互いの瞳を覗き込む。
それは、きっと互いが互いをしっかりと認識した瞬間。
決して相容れぬ、互いの概念において異物である、と。
沈黙が降りて、両方が同時に手を下す。
いや、わずかに「騎士」の方が早かったか。
「……ふん、我慢が足らないようだな」
「……痛いのが好きな変態じゃないんでね。それにお前ら、警察には好かれてないんだろう」
「まあな」
双方が背を向ける。
遠くに聞こえていたサイレンがかなり大きく聞こえる。
「……いやぁ、ようやく本当に面白くなってきたところなんだがな。「騎士」殿? また会えるといいな?」
「こっちは願い下げだ。お前みたいなクズとまた会ったら、ぶん殴る以外の選択肢が無いからな」
「初対面だというのにひどい言われようだ。今後の円滑なコミュニケーションはいらないと?」
「二度と会いたかねぇよ。お前みたいなクソなんぞに」
「ふふ、そうだな。このまま二度と会わないのが互いの為か」
「ああ」
カツコツ、と互いが歩き出す。
そして数歩歩みを進めたとき。
「だが、また会うことになるだろう。じゃあな、「光速の騎士」。“また”どこかで」
「ああ、“また”な」
背中で大きく光が溢れる。
数瞬、光が強く瞬き、消え去った後。
後ろを振り返るともうそこには誰もいなかった。
「はぅぅぅぅぅっ……!!」
しゃがみこんで頭を抱える茂。
(なにが、“またな”、だっ!!? 脳みそ沸いてるんかぃ、俺ッ!?)
疲れていたのだろう。眠かったのだろう。
連戦のせいで判断力も鈍り、本来なら押さえておくべきドロドロとしたモノがあふれだしたのである。
そんなだからあんなことを口走った。
よくよく思い返せば恥ずかしいし、それに加え、最後の最後までクジョーを煽り腐っているのだ。
所謂、チョーシのってる、状態だったわけだが、もうすべて後の祭りである。
「世界をまたに掛けるテロリストに滅茶苦茶、真正面からケンカ売っとるし。……おぉぉ、どうしよう……」
忘れている様子の茂には悪いが、トゥルー・ブルーの面々にもケンカを売っているので実質二テロリスト目であったりする。単位が正しいのかはわからないが。
ちなみに本人は深い悩みに苛まれそこまで思い至っていない。
「しかも、装備品の件。モロモロ、研究所の人たち滅茶苦茶やる気出してたし」
念のため回収していった装備品の替えを、と言い出すと“こんな様ではお渡しできません!”と渡すはずの装備一式のやり直しを直訴してくる始末。
(いいんだけどさ。……なんか変な方向に突っ走るから、怖いんだよぉ。今回も何なんだよ、あのおかしなバイクとか。そういうの要らないって言ったじゃんかぁぁ……)
うう、と頭を抱える。一体幾ら装備品含め、資金を突っ込んでいるのだろうか。
正直考えたくもない。
いざという時のための緊急用だったはずなのに、どんどん本格的なものが必要になっていく。そんな予定ではなかったのに。
(しかも、由美とか博人とか、マジであいつら完璧に他人事だもんなー)
更衣室のパイプ椅子に座り、天井を見上げる。
朝食後に詰められて由美に洗いざらいぶちまけたところ、ガン引きの表情で“なに煽ってるんですか、ヤバいですよ茂さん”とのたまったのである。
いや、よく考えてほしいのだが救援依頼を出したのはそちらのチームだったはずで、矢面に急に立たされることになり、状況を把握しきっていない自分にまかせた責任はどこへ行ったものか。そこは多少なりともフォローを入れて欲しいのだが、そう思いいたった後で気づく。
(……自分で言ったもんな、俺。……やったやつが悪い、そういうもんだな、うん)
頭が悪かろうが、貧乏だろうが、何日も食べていなかったりしようが、家庭環境に問題があろうが、周りのつきあった友人にそそのかされてであろうが、スーパーでおにぎりを万引きすれば、万引きした奴が悪い。
まず、大前提で万引きした奴が悪い。
そこが百パー確定した上で、情状酌量を考えるべきである。
何を取り繕おうがやったやつが一番の責任を負うのが筋のはず。
身の程を知らない大掛かりなプロジェクトに立候補して、土壇場でしくじりそうになって、あとをチームに引継ぎもなくいきなりやめていくようなものだ。しかも全員がひーこら言って片付けたあとで、厚顔無恥にもへらへらと様子を見に来る。
言いだしっぺがケツをまくるのはあまりに身勝手だとは思わないのか。
……ちょっと話がずれた気がする。
まあつまり、今回の場合はクジョーにケンカを売った茂が悪い。
(……ヤバい。ドツボにはまりそうだ)
ふるふると首を振ってずん、とおかしな考えに沈んでいきそうな気持ちを整える。
これからホールで注文を受けるのだ。
飲食の客商売、心で泣いて顔では笑って。
取り敢えずくよくよするのは仕事が終わってからにしようと、茂は気持ちを切り替えるのだった。




