6-4-裏 帰宅 のち 嘆息
本日二本目でした。
びーっ、というブザー音とともに、後ろで自動ドアが閉まる音がする。
振り返るとバスがディーゼルの黒い煙を噴き上げて発車していくところだ。
「ふぅ……疲れた」
ぽつぽつとバスから降車した乗客がそのまま歩き出すなか、茂はバス停のベンチへとどさりと体を沈める。
バス停の時計はもう十三時。
朝食後ミーティング終わりで帰れるものと思いきや、五号の治療やら、装備品に関する情報提供やら、明日以降の予定の聴取やら、まあ色々あってバスに乗車し、ようやくこの時間に自宅近くまで帰ってきたわけだ。
その際も後で調べられるかもしれないことを想定して、知人である博人の家から出てきた体を装い、そこから乗車するという念を入れてだ。
おかげで、偽装した太陽光発電の製紙工場跡地から直帰するのと比べ、倍以上の移動距離と時間を必要としたのである。
それは、もうこんなところでぐったりと体を投げ出したくもなるだろう。
「取り敢えず、水ぅ」
バスの乗車賃の釣銭をポケットから漁る。
ジャラジャラとなる釣銭を手に、近くのベンダーへと歩み寄る。
そのメーカーが盗、いや緊急的に借り受けたあの壊してしまったベンダーと同じだったことに、ちょっとだけ心が痛む。
門倉の方できちんと弁償してくれるそうなのでお任せしたのだが。
手のひらの小銭を投入口に入れ、ただのミネラルウォーターを一本購入。
ごっ、ごっ、と喉を鳴らして半分くらいを一気に飲み干す。
「く、はぁっ!」
周りに誰もいないことを確認し、大きく息を吐いた。
体中に水分が駆け巡っていくような気がする。まあ、気がするだけだが。
「……帰ろう。なんか買い出しして」
肩に手を当ててもみもみと溢れる疲れを隠すことなくとぼとぼ歩く。
いつもの影の薄さがそのせいでさらにくすんで、平穏へと埋没していく。
残ったミネラルウォータを飲み干してゴミ箱へと放り入れる。
一気飲みのせいだろうげっぷを一つして、バス停から少し離れたスーパーへと入っていくのだった。
「ただいま、ですっ。……てか」
そんな独り言と共にどさっ、と買い出ししてきたものを自宅の廊下へと置いてへたり込む。
ドアにカギをかけて郵便物と新聞をざっ、と確認する。
特に新聞が大切なのだ。
挟んである特売のチラシやらポストに投函されているピンクで怪しげなチラシ系を古紙回収用の袋へと放り込む。
玄関の電気をつけて新聞の紙面を確認する。
昔はテレビ欄から見ていたのだが、そんなことが少なくなっていき、今では一面スタートで隅々まで読み進めるようになったのは、成長だろうか。それとも追われる立場の犯罪者的緊張感からだろうか。
「……そりゃ、まあ出てるだろうなぁ」
一面には時間的に間に合わなかったのかもしれないが、一枚めくった二面にこの早朝の橋でのごたごたが載っていた。
ドンパチやらかしていたのが日付をまたいでからの事だったので、仕方ないことではあるがそこでは、『嵐の中、道を間違えたのか』という題で橋の半ばでのトラック横転についての記事が載っている。
「まあ、違うしな」
ぱらぱらとめくるが、それ以上の事に関して、言及されている記事は無い。
後でしっかりと確認しようと、新聞を閉じ、買い出ししてきた中から三百九十八円の唐揚げ弁当を取り出す。
外のフィルムを剥ぎ取って、爆発しないようにちょっとだけ蓋を広げレンジへと投入。すぐにぶーん、とレンジテーブルが回り始める音がし始める。
流石に、既に時刻は十四時を過ぎており、ここから空っぽの炊飯器で飯が炊きあがるまで待つというのはあまりに酷。具体的にはぎゅるると鳴り響く空腹に耐えられそうになかった。
レンジ横の電気ポットに水を入れてそちらも沸かす。
そんな間にレンジがチンと音を発てるが、敢えて無視。
取り敢えず、ぐてっ、となってしまいやる気が消える前に買い出ししてきたものを冷蔵庫などへと入れなくてはならない。
第一まだ湯も沸いていないので。
「どうするかなー。飯炊かねぇといけないんだけどー。めんどくさいしなー」
今考えているのは今の話ではない。一息入れた夜の事だ。
外に食べに出るのも選択肢だが、お金がもったいない。
かといってこの状況ではひと眠りした後で、料理を作れる気力が復活するかは微妙なラインなのだ。
弁当を続けて二食というのも気が乗らない。
(カップ麺も飽きたし。……なんか作る? 考えるの面倒だな。なんか残ってたかな)
そんなことを考えている間にぴぴっ、と電子音が鳴る。
湯が沸いたことを確認し、フリーズドライの野菜スープをマグカップに放り込み、湯を注ぐ。
唐揚げ弁当と一緒に入れてもらった割り箸を口にくわえ、弁当とマグカップを手に、部屋での定位置に移動。
テーブルへと各種を置きながら、テレビのスイッチを入れる。
ちょうど放送中だったのはミレニアム前の刑事ドラマ。驚くのは大御所俳優が若いのと、刑事全員が煙草をフかしているところである。時代がかったそれにノスタルジーを感じるような気分ではなく、チャンネルを変えていく。
「ワイドショー、ワイドショー」
ザッピングして一番最初に映ったチャンネルのワイドショーを見ることにする。
「いただきますー」
ぱちんと口にくわえた割り箸を割り、軽く手を合わせて食事をしながらテレビを見る。全国版のワイドショーの放送が始まってから少し経ったタイミング。一番最初のパピプグループのアイドルが人気の男性俳優と同棲しているという話題が終わった所であった。
『では続きまして今日の注目ニュースは、こちら。政局が大きく動くかもしれない、という話題からです』
『はい、ではこちらをご覧ください』
フリップで出されたのは、現職総理横澤の顔写真。
『先日の東京湾内でのテロ発生から、さらに学生を巻き込んだテロリストの籠城事件。こちらを受けての内閣支持率が、急落しています』
ぺり、と剥がされたフリップには縦軸がパーセンテージ、横軸が日付の支持率、不支持率の折れ線グラフ。ちょうど事件発生の所でわかりやすく縦線が入れてある。
『現在最新の各社の世論調査では軒並み支持率を不支持率が上回る結果となっています。最初の事件発生時に一度下げ、少し戻したところで銀嶺学院の襲撃事件が発生。ここで大きく支持率を下げています。最初の事件発生時から比較しますと各社平均すると約十八から二十パーセントの減といったところですね』
手持ちの差し棒で現在のパーセンテージをくるくると弧を描いて示している。
「ほぉー」
完全に他人事でそうなんだぁ、と弁当をほおばりながら感心した声を発する一視聴者。
言うまでもないが、その両事件の主たる関係者「光速の騎士」杉山茂その人である。
しんなりしたキャベツの張り付く唐揚げをもしゃもしゃと齧る。
『海外の危険思想を持つ集団が国内の治安維持を脅かす結果となったことから、入国管理に関する不手際があったのではないかと、国会内では総理と防衛相、そして外務省への追及が強まっています』
国会内の討論の様子が映し出される。
巨大なフリップを机の上に出してべしべし叩く野党の質問者に、与党の人間が返答している様が流れている。
「大変だなぁ」
ずず、と野菜スープを啜る。味噌汁ではなく、野菜のシャキシャキ感と、薄く味付けられたスープが沁みる。
ほぅ、と一息吐いた。
次に登壇した汗を拭き拭き答える外務省の担当者が手元のメモをめくってめくってめくりさくっている。
そしてこういう時に限って画面の隅でぐっすり就寝中の、恒例のおじいちゃんが数名カメラに抜かれて映っていた。
よくもまああんなにぎゃんぎゃん叫んでいる人間が近くにいる中で、ぐっすり寝れるものだと感心する。
ちなみに恒例は高齢と打ち間違えたわけでは無い。そこは悪しからず。
『この流れを受けて与党内では内閣改造を待たずに、衆院解散を行い、国民の信を問うべきではないかという意見が出てきています。今、その発言の中心となっているのは与党の若手・中堅議員ですが、一部ベテランもこの意見に賛同する流れも出てきているとの報道もあります』
『どうですか、轟さん。事件前の支持率からは下がっていますが、現政権下で支持・不支持が逆転したのは今回の調査が初めてなのですが……』
『うーん。どうなんでしょうか。僕が思うに、国内の治安悪化を防げていないのは事実でしょう? でもそれがどう見ても今までのテロとはちょっと違い過ぎているっていうところがありますよね』
『確かに』
『でも、それはそれで。実際問題、テロに巻き込まれた人からすれば、いやどうしてこんなことが起きたのさ、ってことになるわけじゃないですか』
『成程、そう考える人もいらっしゃると』
『最初の水際で阻止ができなかったのか、という話だとやっぱり危険な人物の入国について外務省。テロの火元を掴めなかったとすれば警察、あとは防衛省ですか? 横澤総理の任命責任ってなるのもわからないではないかなぁ』
「ほー」
ぽりぽりとしば漬けを齧る茂。
電子レンジで温められて若干温いが、これに関してはどうしようもないだろう。甘んじて受け入れるしかない。
そう考える人もいるのかぁ、とぼーっと眺める。
塩気が口の中で残り、何か飲むものが欲しくなった。
立ち上がり部屋を出て、シンクまで戻る。
コップを一つ手に取り、水道水をそのまま入れる。
くぴくぴと飲みながら元の定位置に戻ると、違うコメンテーターが話し始めている。
「ん? どっかで見たような?」
芸能人コメンテーターの轟は何度も見ているのだが、その隣に座るスーツ姿の男が発言している。
その顔にどこか見覚えがあったのだが、今一つピンとこない。
(……ま、コメンテーターなんてしてりゃどっかテレビ見てた時にでも見かけたんだろ、多分)
あまり気にせずに、食事に戻る。
『三角さんはどうお感じになっていますか?』
『そうですね……』
議論というよりはニュースについての感想を述べ合うだけで、あまり内容が頭に入ってこない。まあ、疲れているというのも原因の一つではあるとは思うが。
「なんか、他でニュースやってないのかな」
あの橋での一件についてのニュースが無いかを知りたいのである。
茂はチャンネルを変えてみたが似たり寄ったりの内容であった。
(……万事すべて順調です、って言ってたけどさぁ)
別れる直前の門倉の顔を思い出す。
穏やかな微笑みを浮かべていたが、あれはあれで怖い。
一体何が“万事”でどういった着地点へ“順調”に進んでいるのだろうか。
「……はぁ。なんか、そう考えると食欲なくなるんだよねぇ」
割り箸でつんつんと残り一口分の齧りかけの唐揚げをつつき、最後の一口が弁当の上からなかなか口へと運べなくなってしまい、ため息を吐く茂であった。




