4-7 昔語弐 のち 笑わば笑え愚者の如く
父と私、そして義母は英語での会話が可能であったが、姉はそこまで流暢に会話ができたわけではない。その為、当初は彼女と話すときには間に義母が入るか、かなりの分量のボディランゲージを必要とした。
だが、彼女は優秀だった。
恐らくではあるが、二か月。いや実際はもっと早かったかもしれない。その期間で彼女はほぼ日常会話について何ら問題ないくらいに英語を習熟していた。
たどたどしいやり取りの記憶があまりないのもそのせいだろう。
優秀である姉。スミレ・モトミヤ、いやスミレ・ホワイトランと名を変えた私の姉さん。
ああ、言っておくが彼女ら新しい家族との間に特に「複雑な家庭環境から来るなんぞや」等は無かった。
私の実母に関しては存命であったが、直接顔を見たのはどれくらい前の事だろうか。喧嘩別れという訳でもなかったそうで、笑いあいながら電話で話している父と実母を見たこともある。ただ、まあ性格の不一致というやつで、互いを罵り合う前に別れようという話になったのだそうだ。研究者の父と、外科医の実母。仕事の忙しさもあったのだろうとは成長するにしたがって思ったりもした。
だが、そんな話程度どこにでも転がっているようなつまらない話の一つでしかない。
実際、当時私の通っていた学校のクラスメートのうち両親ともがそろっているのは七割程度であったし、その両方と血縁関係がどうなっているかに至っては言わずもがなである。肌の色や言葉、生活習慣が兄弟それぞれで違う、一度も会ったことのない二十も年の離れた国外の兄弟が一週間前にできた、などなどバリエーションも豊かだ。
うちのようなケースも珍しさなどは無く、まあそういうこともあるなと受け入れる土壌もあった。
ただ、家族になろうよ、といざその場になってみるとそれはそれで心理的なストレスというものはある。環境ががらりと変わる以上、理性では納得して見せたようでも内面では何かしらの反応が起こる。
圧倒的に優秀である人間が自身の周りに現れた際の子供の反応は単純だ。
少しばかりませていたとはいえ私は十になったばかり。反抗期というほどではないが多少の居辛さを感じていた。
自慢にしかならないが、私は学業に関しては比較的優秀な部類だった。
一人親の負い目があったかどうか。……もしかしたらあったのかもしれない。
同じような家族構成のクラスメートが少し問題を起こした際の陰口が、耳をふさいでいても聞こえてくる。子供がわからないと勝手に思い込む大人は多いのだ。
やはり片親の家庭は、だの一人だけでは愛情が足りない、だの好き勝手言ってくれたものだ。その言葉が向けられた先が自分ではないとわかっていても、反発したくなる。そんな子供っぽい反骨心からだった。
父母の血を引いたからなのか、生来の気質だったのか。結果として勉学はやった分だけ身になった。努力がそのまま結果に現れるのならば、どこまでも遠く高い所へ行けると思えた。後ろが見えないほどの差をつけて先頭を走っていたその時の私の偽らざる想いだった。
そんな私の横にスミレ姉さんが現れた。そして彼女は、振り返りもせずに私を追い抜いていったのだ。
そう、彼女は"正しく"優秀だった。
天才とは軽々に使う言葉ではない。それは彼女にこそ相応しい。
ぴぴっ!
かすかな電子音と共に、パワーアシストの切れたアーマー・スーツが辛うじて残る電力で背部装甲を開く。
ぱしゅぅ、とアーマー・スーツの密閉状態が解除され、緊急時用の強制離脱シークエンスが実行。「光速の騎士」の膝に抱き着く格好の五号は、がらんがらんと床に転がり落ちる背部パーツを背で押しのけながら、這う這うの体で体をその"抜け殻"から引き抜く。
四つん這いになるようにして抜け出ると、壁際まで移動し背中をどん、と壁にもたれかける。
「……っ、くぅぅ。はぁ、……はぁっ」
荒く息を吐くが、酸素が上手く肺へと取り込まれていかない。
口から溢れた薄ピンクの泡で呼吸ができなくなってきている。血涙と鼻出血は過剰投与された薬剤の影響で止まって生乾きになり、顔一面がまるでイチゴシロップをぶちまけたかのようである。
(足、はダメか。……これでは立てない)
恐る恐る見た右足は明らかにおかしな方向に曲がっており、動かそうにもまるで反応がない。脳内麻薬と投与薬剤のカクテルパーティー状態の脳神経が、それを伝えることを拒絶しているかのようだ。
ぴったりとしたモニター用の電極のついたインナーを着込んだ五号は、胸元のジッパーを掴むとじじじと開く。
そうするとほんの少しだけ押さえつけられていた胸元が楽になり、酸素がほんの少し体に回る。呼吸と共に上下するインナーの中のシャツは胃酸と血に塗れて異様な色合いになりつつある。
「く、ぁっ……!」
息が楽になると、今度はその分だけ体の痛みがぶり返してくる。
セミの抜け殻のように背中が開いたアーマー・スーツの中で、ちかちかとまだ動いている機器が見える。
それはデータ消去用のキーコードを入力するためのパッドであった。
「ぐぅっ!?」
どさっ!
壁から上半身を起こそうとして床に崩れ落ちる。ごん、と固い床に頭をぶつけるが、寧ろその方が薄れかかる意識を繋ぎ止める助けとなる。
はぁはぁ、と荒い息のまま首だけを上げると、アーマー・スーツの向こうに床に転がった「光速の騎士」の姿があった。
体の前で腕をクロスするようにして倒れた「光速の騎士」。体の各所からうっすらと焦げ臭い煙が上がっている。
ピクリとも動かずにそのままの形で固まったままの姿を見て、五号がふぅ、と息を吐いた。
(な、なんとかっ。なんとか、凌げたの?)
生死不明ではあるが、これは戦闘継続は不可能と判断してもいいはずだ。
先程の右足を犠牲にする捨て身のフェイント。それからつながるタックル。
一瞬のことで回避不能な速度で放たれたそれを、「光速の騎士」は反応して見せた。
盾の一撃を外した後、足を刈りに来た五号に膝をあの一瞬で合わせてくるまでおそらくコンマ数秒しかなかったはず。
だというのに人の本来できないレベルの超反応で迎撃までしてみせる。
縋り付くように無様を晒しながら足に抱きつき、薄氷の勝利を勝ち取った。
(ここまでっ! ここまで、差があるのっ!!)
凌ぎきったとはいえ、払った犠牲があまりにも大きい。
先ほどの「フル・ディスチャージ」、アーマー・スーツの内部電力を一気に外部放出する電流を用いる攻撃だ。
アーマー・スーツを稼動するための高出力のバッテリーを、その場で焼きつかせる高稼働を強いたうえで使い潰す。さらに内部のコンデンサ各所を励起させることで、一時的にだが小規模な発電所にも匹敵する電力を瞬間的に発生させる、まさに奥の手。
接触状態に近い超近距離での使用という制限もある。
使用後は前述の通り稼動に必要なバッテリーが破損、スーツ自体が鉄の棺桶と化す。ワンオフに近い高価な換えのきかないアーマー・スーツを廃棄するような使い方をするにはあまりに問題が多すぎる。
ただ、副次効果として極々小規模ながらEMP、つまり電磁パルスを発生させることができるとカタログ上では結論が出ている。
コンピュータ上では恐らく起動地点を中心に半径八十メートルから二百メートル程度のEMPの発生ということだが試したことは無かった。
(だが、上手く起動したようだ)
これで、後始末をすることができた。
プリントして出力したものや、研究員のメモ書きなどはどうにもならないが、この場に残されていた電子関係のものは完全にクラッシュしたはずだ。
近年議論されることもある高高度での核爆発によるEMP攻撃。
実現が可能かどうかはこれからの軍事関連技術の進み具合にも拠るが、五号たちはその最先端をやって見せたわけだ。電磁パルスによる情報化社会への攻撃。
瞬間的に発せられたEMPによりPCだけでなく、CDやDVD、USBメモリにHD。それら全ての電子データが綺麗さっぱり焼ききられたことだろう。
ここからは見ることができないが、外の電気配線などにも多大な影響が発生しているはずだ。この辺り一帯が遠くから見れば闇に沈んでいることだろう。
(あ、後は。こ、コイツをっ!)
ずり、ずりっと一度離れたスーツに這いずるようにして五号が近づく。
「光速の騎士」から距離を取らねばならず、致し方ない行為だった。
だが、一度緩んだ気持ちを立て直し、再度奮い立たせるにはかなりの労力を必要とする。
そして、その力は五号から失われつつあった。
最後の後始末。
このアーマー・スーツに関しては対EMP処理を施してあった。スーツ自体の再利用のためと、少しだけの搭乗者への配慮のためだ。
だから、五号はスーツのキーパッドに最後の命令。自壊コードを叩き込み、このスーツの命脈を絶たねばならない。
仮に五号が捕まったとしても、スーツの根幹部分の設計は、すでにここを脱出した設計チームの担当である。彼女を絞り上げたところで何も出てはこない。
だが、実機がここに丸々残っている。
それではまるで意味がない。
ばたばたばた…………!!
遠くから足音が聞こえてくる。
体が動かないわりに、意識だけが脳内麻薬の影響なのかはっきりしていた。出血もあるというのに、非常にクリアである。
(ふふふ…………。残念、間に合わないわよ)
セミの抜け殻と化したスーツの背中の縁に手を掛ける五号。
その彼女の眼に、廊下の向こうから階段を駆け上がってくる足音が聞こえる。片側がキーンとひどい耳鳴りをしていた。
ばたばたっという複数の足音が響くが、その足音が遠い。
ヘロヘロの彼女にとってはそれが救いだ。これならば、自壊コードの入力が十分に間に合う。
そう思い、薄く笑みを浮かべつつふるえる腕をキーパッドへと伸ばす。
あと一センチでキーパッドに指が届く、その瞬間だった。
ぽん。
「は?」
五号の腕が止まる。
いま、自分の頭に手が乗せられたからだ。
少し荒く頭を押さえられたために、汗ばんでいる髪の毛がその指に絡んで、ぷちぷちと音をさせた。
痛み自体はすでに麻痺したようになっているが、露骨に頭に手を置かれれば気づく。
「……死ぬかと、思ったぁ。ちょっと意識トンだしなぁ」
はぁぁぁ、と大きなため息と同時に気の抜けた日本語が響く。
それと同時に、ばたばたという忙しい駆け足の音がとたとたという急ぎ足の音へと変化した。
「あー。……ドント・ムーブ、かな? ホールドアップ? んー、どっち? ……つーか日本語わかんないかな?」
手を軽く置かれているだけだというのに、ぴくりとも体を動かすことができない。体の状態がガタガタになっているというのに正しく汗が噴き出してくる。
滝のようにあふれ出る汗のせいか、のどが渇く。ダメージを負ったことが理由ではない荒い呼吸がさらに早くなる。
何が自分の頭に手を乗せているのか、わかってしまったから。
ありとあらゆる疑問が五号の脳の中で疾る。唐突過ぎる「光速の騎士」の復活、先ほどの決死の一撃は無駄だったのか、どうやって自分の後ろに回りこんだのか。
そんななかで、最後に残った考えはある疑問。
一瞬。ほんの一瞬だけでいい。
この一センチだけ指を伸ばし、五ケタのコードとエンターキーを叩く。
頭で考えるに万全の状態であれば一秒。
ダメージを受けていることを加味し、一秒半だけあれば、押せる。
いや、どんなことをしても押し込んで見せる。
だがそれが、この状態で可能か否か。
ごくり……。
鉄味の血の混じる唾がのどを通りすぎる。
(……ダメだ)
五号は思う。
あまりに、あまりに遠すぎる。
一センチ。たったの一センチ。
その距離が、あまりに遠い。
指がほんの数ミリでも動けば、容易く首を捻じられるだろう。
軽く置かれただけのこの手。この手がどんな力を持っているか、それを五号は知っている。なまじ詳細を調べていたぶん、その力を理解しているのだ。
死を掛けて挑むにはあまりにリスキーだった。
ほんの少し、ほんの少しだけ何かが要る。
そう思い、スーツにかけていた手の指に力が入る。
……ィィ。
小さく五号にだけ聞こえるほどの小さな小さな音がした。
そしてほんのわずかにだけ動いたそれ。
そこから五号はスーツが、バランスを崩しそうだということに気付く。
力はほぼ要らないだろう。
バランスを崩すにはそのスーツに掛けた手にほんの少しだけ加重を加えるだけ。
スーツが崩れる。そして、その虚を突く。キーパッドの正面に指はある。たとえスーツが崩れたとしても、キーパッドを外すことはない。
覚えているコード五ケタ、そしてエンターキー。
一秒、いや一秒半。
この一か八かの賭けをできる時間ができるかもしれない。
「お疲れ様です!!」
階段を掛け上がって来た連中が「光速の騎士」に話しかける。
もしかすると「騎士」の意識がほんの少しそちらに向く可能性がでてきた。
合流しようとする連中が到着すれば、このギャンブルは不成立のまま五号の負けで終了する。
彼らに五号は引き渡され、アーマー・スーツは「騎士」達の元へ鹵獲される。
つまり、ここ。
今このタイミングこそが、最終の分岐点。
五号は覚悟を決める。
「そちらの者は……」
合流部隊が声を出した瞬間、五号は手に力をこめ、スーツを崩す。
がら、とスーツが崩れだすなか、伸ばした指先がキーパッドを押す。一桁目、そして二桁目。
押し込んだキーの感触だけに全神経を集中させている。
恐怖も焦燥もない。
ただ、キーを打ち込むことだけを目的としたマシンとなる。
そして、三桁目を入……。
だぁぁんっ!!!
「ッ!!? がはぁッ!!?」
押し込むべきキーパッドが指先にない。
それどころか、今の今まで目の前にあったはずのアーマー・スーツ。そして予想した通りの薄くまだ煙を上げている「光速の騎士」の姿が彼女の目に飛び込んでくる。
腕を大きくふるった体勢でこちらを見ている様子の「光速の騎士」は油断なく五号を見つめていた。
一瞬で、壁まで首を持って壁へと振られたのだと、そこで理解する。
そして、背をしたたかに打ち付けられて肺に残る酸素が全て叩き出された。
さらに、襲うのは背中一面に走る痛みである。追加して、砕けた右足が急に痛覚を脳みそに伝えて来る。
そうなると、人の取るべき道は一つだけである。
「ひゅぉっ!!!!!? ……ひゅぅぅぅっ!! ……くはぁっ!!?」
うずくまり、吐き出された酸素を取り込もうと肺が全力で稼働を始める。
どれくらいの時間が経っただろうか。
荒く吸われていた息が落ち着き、ぜいぜいと浅く短い呼吸へと変わった頃に、五号がようやく顔を上げる。
そうすると兜の上からぺしぺしと困ったように「光速の騎士」が平手で自分の頭を叩いてみせる。
「あー。……やっぱ英語勉強しようかなぁ。動くなって伝えたつもりなんだけど。発音悪いんかな、俺」
兜に隠れてわからないが仕草からするとはぁ、と息をついているようだ。五号はある程度であれば日本語も理解できる。
その「騎士」の鎧の中のボイスチェンジャーは先ほど壊れてしまったのだろう。今の声は元々の杉山茂の素の声が出ていた。
「何かヤバそうだったから"治してた"のに……。イントネーションとか違ったのかなぁ。それともこういう時って、そういう時用の言い回しとかあったりするんですか? "抵抗するな、君を治療中だ。動かないで!"っていうのは? ああ、あと"動かなければ危害は加えない"とか?」
隣にやってきた合流部隊のリーダーと思われる人物に「騎士」が話しかけていた。
その言葉を聞いて、五号はまさぐるようにして両の手で自分の体がどうなっているのか、掻き抱く。
おかしい。
肺が、まともに息を吸い込んでいる。
口中に溢れ続けていた血の泡が止まっている。
腕に走っていた痛みが無い。
痛覚がマヒするほどのダメージを受け砕けていたはずの右足が、ずきずきとした痛みを伝えていた。
背中が痛いのは、今壁にぶつけられたからだ。正しく、痛いとそれを伝えてきている。
(そして、何より)
すっきりと、脳が冴えわたっている。
意識の混濁や、視界の歪み、激しい耳鳴りに、絶え間ない頭痛。
それら一切が無くなっている。
いや、若干残ってはいるがそれは少々風邪でも引いたかというような程度の体調不良程度のものだ。
すっきりと晴れたクリアな視界で、「光速の騎士」を見る。
五号の頭に乗せられていただろう手がうっすらと燐光を放っていた。淡く、穏やかな、人を安心させるようなおぼろげな光。
五号はその名称を知らないが、これは「光速の騎士」杉山茂の使える唯一の初級回復魔法「ヒール」の光である。
それが電気の消えた暗闇の中、ぼんやりと「騎士」の手で光っていた。
だが、それは五号が見つめる中、ゆっくりと消えていく。
「なんか、やっぱり俺の英語じゃ通じないみたいなんですよ。すんませんけど、この人に抵抗しないでって伝えてくれません? これ以上、やると弱い者いじめみたいなんですよ」
となりの男に申し訳そうになりながら頼む「光速の騎士」。
それを見て、五号の張りつめた最後の糸が切れる。
「……大丈夫、日本語も少しはできるわ。ふふふふ、降参。降参するわよ」
「あ、日本語できんの?」
緊張感の薄れるような調子で「光速の騎士」が話しかけてきた。
それを聞いた瞬間、もうどうにも止まらなくなってしまった。
「ぷ、ぷっ! ……あは、あはは、はっはは!!」
けたたましく五号は笑う。
それに「光速の騎士」含め、周りを囲むものが少し構えを取った。
だが、五号は笑いつづけた。
そうか、そうか。
私は、私たちはこういう奴に負けたのか。
「アハハハハハッ!!!」
笑いながら、涙があふれてくる。
悲しいわけではない。それでもあふれる涙。
ああ、そうなのだ。
私たちは、この「光速の騎士」に負けたのだ。
なら、ならばきっと。
私たちは"正しく"負けることができたのだろう。




