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3-5 祝宴 のち ノッカー“ズ”

 ホテル・スカイスクレイパー。

 日本有数のホテルグループの一角を担う高級ホテルである。

 殆どの全国各都道府県に進出し、その高級感溢れるデザインやインテリア、ホテルスタッフの格調高いサービスにより何不自由なく優雅な休息を取ることが出来る。

 その評価は日本のリッチな人々だけでなく、海外からのリッチな訪問客にも人気を集めている。

 ホテル内にあるレストラン・料理店は言うまでもなく一流のお味とそれに見合うお値段を叩き出し、地方版のグルメサイトでは高評価を付け、定番のプロポーズをするときにも利用されているのだ。


(だ、大丈夫だ。シミュレーション、あんなにしたじゃないか!)


 さて、ここはホテル・スカイスクレイパーの11階の高級レストラン。

 金曜日の午後8時を回り、すっかり外は夜のとばりが下り、窓際に座る着飾った女性と、その前にいる男性の目には、一面の夜景が広がっていた。


「うわぁ、綺麗……」


 着飾っている女性が外の窓に映る夜景を見て、何度目かわからない感嘆の溜息をもらす。

テーブルに置かれた料理はすでにメインを終え、最後に口直しのデザートが運ばれるだけになっていた。

 その前に座る男は、ばくばくと高鳴る心臓を押さえながらその言葉に相槌を打つ。

 着慣れないスーツの上着の内ポケットにはここ数カ月の給料をつぎ込んだ、指輪が入っている。

 付き合って3年になる彼女とわざわざこの高級ホテルを予約し、レストランで食事というこの状況。今までそんなことをしたことのない彼氏が、そんなお膳立てされた舞台を整えてくれたのだ。

 彼女とてわかっている。

 なんとなく双方が、深く聞くなよ、え?そういうこと?、だから聞くなって、という言葉にならないアイコンタクトをしながら、ここまでわざわざやって来て、お食事をするのだから。

 レストランの給仕も、デザートの前にやりますので、と彼から事前に言われている。

 その時に、ああ、そうなんだなぁと、優しい微笑と共に給仕が頷いていた。

 彼らとてプロである。

 何が起きるのかは充分理解している。

 もし成功したら、レストランからということで、少し高めのシャンパンをすでに冷やしてサーブする準備まで完了している。

 そういう心遣いまでできてこそ、一流のレストランを名乗れるのだ。

 そういう人生最大級の告白をしようとしているのだ、彼は。


「あ、あのさ」

「なに?」


 ニコリと笑う彼女もすこし緊張気味である。

 どぎまぎしながら、彼はヘタレて逃げた。


「は、晴れてると夜景、綺麗だよね」

「うん、とっても綺麗」


 2人が窓の外を眺める。

 ほんの少しの沈黙が流れる。

 その場の全員が察した。

 彼女だけでなく、推移を見守るレストランのスタッフも、なんとなく気づいていた周りで食事をしていた高級スーツとドレスの老夫妻も、小さなドレス姿の子供連れの若夫婦も。

 この野郎、一回逃げやがったな、と。


「で、でさ。ここに来たのは、さ」

「うん、うん」


 ゆっくりと彼がスーツの内ポケットに手を入れる。

 その爪先にまで浸みこんだ油の残る指には小さな箱が握られていた。





 万雷の拍手に包まれるレストラン会場。

 その中心にいるのは先程までのあの2人。

 男はにこにこと真っ赤な顔をして周りに頭を下げ、その横の席に座る彼女も同じように真っ赤な顔になりながらも、ぽろぽろとうれし涙を流している。

 その日のレストランにいた人々が席を立ち、ぱちぱちと祝福の拍手を捧げる。

 客・スタッフ・当人たち全員による温かな空間がそこにはあった。

 

 しかし、それに参加していないものもいる。


「ばいばーい!」


 若夫婦が連れていた子供用のドレスでお洒落した女の子が、窓の外に手を振っていた。

 先程まで拍手に参加していた父親がそれに気付く。

 父親が見た窓の先は何もなく、半月が空に昇っているだけだった。


「どうした、チカ?誰にバイバイしてたの?」

「んーと、マントマン!」

「マントマン?マントマンが外にいたんだ?」

「うん!ばいばいってしたの!」


 8歳の我が子は日曜の早朝に放映されている子供アニメの主人公が外にいたという。

 頭からマントを羽織り、悪者をキックで空高く蹴り飛ばして懲らしめる、みんなのヒーロー。

 放映開始から40年の国民的アニメである。


「あなた、どうしたの?」


 そこに母親も席に戻ってきた。

 もらい泣きですこし目元に涙を浮かべている妻に夫が言う。


「チカが外にいたマントマンにばいばいしたんだって、な?チカ」

「うん、マントマンもばいばいってしてくれたー!」

「そう、よかったわね、チカちゃん」


 頭を撫でて娘を席に戻し、彼らは次の皿が来るのを待つのだった。






 早苗はホテルに戻ると一息入れていた。

 取りあえず簡単にではあるが荷物を纏め、明日の昼にチェックアウトするとフロントに連絡してシャワーを浴び、ホテルサービスで高めのワインを1本頼んだ。

 ふかふかのソファーに沈み込んだ体を纏うのはバスローブ。

 下にはスポーツブラにショーツのみ。

 すでに休む体勢に入っているのだ。

 何の気なしに付けたテレビはアイドルが出ている生放送の特番。

 早苗は最初、チャンネルをかえようかと思ったのだが、あの杉山茂の弟である杉山猛がこのアイドルグループの熱心なファンであるということは知っていた。

 そんなわけで早苗も少しばかり興味をひかれ、そのままこの生放送を見ているわけだ。


「……これは、嘘だな。視線が揺れているし、第一、声のトーンが普通に話しているときと明らかに違う。さっきの18歳の子の方がもっと上手に騙っていたというのに」


 ぐび、とワインを呷りながら、いま涙ながらに長年のファンへの謝意と、卒業していくことへの申し訳ないという気持ちを訴えているアイドルを評価する。

 女優になりたい、と言っていたがこの有様ではどうなることか、と早苗は冷めた目で彼女を見た。

 テレビの中ではMCのフリーアナが横に座るOGに意見を求めていた。

 そのOGも自身と卒業するアイドルの仲の良さをアピールしている。


「……これもか。芸能界で生きていく戦略として、仲が良いとアピールするのは判るが、言葉の節々に劣等感を感じるな。正確には“以前は”仲が良かった、だろうに」


 ぐび、とさらにワインを呷る早苗。

 なんというか人とは違った楽しみ方をしているようである。


「見るまでは馬鹿にしていたが、これはこれで面白い。人の心の動きを学ぶ教材としては良いかもしれん。真実を語るアイドルと、虚偽を騙るアイドル。虚偽と真実の境目を分析して、どのアイドルが一番上手にファンに夢を売っているかを課題レポートにしてみようか……」


 訂正しよう。

 あまりほめられない楽しみ方をしている。


「なるほど、これは面白い。杉山がファンになるのも解るな……」


 早苗がじっと見てるのは神木美緒が手を合わせ、必死に祈っている姿だった。

 彼女だけはどうにも判らない。

 ただ座っているだけであるが、トップに君臨する彼女の画は何度も抜かれる。

 一瞬演技か、と思う一方で素としか思えないような表情も垣間見せる。

 そのギャップに引かれるだろうファンは多いだろうなと早苗は思う。


「……深い、世界なのだな」


 心からそう思うと、ワインボトルをグラスに傾ける。


「おや?」


 いつの間にか集中してみていたせいだろう。

 いつもより酒がすすみ、とっくにボトルには酒が残っていなかった。


「どうするか。明日は早いしな」


 ワインボトル程度で悪酔いするほど早苗は酒に弱くない。

 右腕のダイバーズウォッチは10時32分を指している。

 いまなら明日の朝には酒も抜けるか、と追加をオーダーしようかと思った時だった。


こんこん!


 ホテルのドアがノックされる。

 がばっと早苗は飛び起き、テレビを消す。

 前をくつろげていたバスローブをしっかりと固結びで縛り付け、左手でワインボトルの口を持つ。


「どなたか?」


 短く簡潔に問う。

 早苗の泊まるこのセミスイートの部屋は、一般客用の部屋と違いその階専用のカードキーが無いとエレベーターが止まらないセキュリティフロアに位置している。

 早苗の部屋以外には3部屋があるはずだが、空室情報を調べたところ残りの部屋も埋まっていた。

 念の為あまり真っ当ではない手段を使い確認すると、特に問題ない経歴であったはず。

 ホテルスタッフが来室するなら、まず部屋に備え付きの電話が鳴るだろうし、来客を通すのであってもそのままこのフロアに連れてくることなどない。

 それが普通のホテル対応というものだろう。


こんこん!


 再度ドアがノックされる。

 鋭く舌打ちと共に周りを見渡すが、策が思いつかない。

 早苗はテーブルのスマホを右手だけで操作、電話をかける。

 相手は夕方公園で話した相手だ。

 スピーカー状態にしたまま相手をコールする。

 数回のコール、通話状態になるスマホ。


『やあ、夜分の電話ありがとう』

「……すまん、どうやら読みが甘かった。ここまでの強硬策をするとは……、“奴ら”だ」

『!すぐに部隊を!』

「間に合わん!」


 入り口付近のライトがちかちかと点滅する。

 ぶわっと霧のような紫の何かがドアの隙間から侵入してきた。


『逃げろ、スカーレット!』

「部隊を全速で展開!被害を最小限に食い止めろ!いいな!!」


どがぁぁん!!


 セミスイートともなるとドアの装飾は煌びやかで、一般の部屋より重厚な造りとなっている。

 そのドアが蝶番を残して室内へと吹き飛んできた。


「おおおおぉぉぉんん………!」


 じゃりじゃり、と足を引きずるようにしてそれが入ってくる。

 早苗の方を全く見ておらず何もない宙を呆然と見上げている。

 全身を鎧兜で覆ったそれは見た目、博物館に飾ってあるような戦国期の鎧武者である。

 右腕に太刀を握り、左手には翁を模した面当を持っている。

 それだけなら場を弁えないイカれたコスプレイヤーに見えるかもしれない。

 だが、その武者の顔には眼球がない。

 いや、眼球だけではない。

 鼻がなく、耳がなく、そして全体に肉が無かった。


「いやはや、レディのお部屋にお邪魔するのに興奮してしまいまして。ついついノックが強くなってしまいました。お許しください、スカーレット。おや、なかなか扇情的な格好ですな」


 その鎧武者の後につかつかと男が入ってくる。

 どこにでもいる様なくたびれたサラリーマンで、失礼な話だがその瞬間に茂とどちらが平凡な顔をしているだろうと比較するほどだった。


「そう思うのなら出て行ってくれないかな。貴様らの匂いを嗅ぐと反吐が出て安眠できないものでな」


 ぐ、と唇をかむ早苗。

 ここでやり合うというのは分が悪い。


「いえ、あまり長居は致しません。私はただの宅配業者。“これ”をお届けに参った次第で。確かにお渡ししましたので、私はこれで失礼しますよ」

「……これはクジョーの指示ではないだろう?奴はこんな乱暴で粗末な計画はしないからな」

「我々とクジョー氏はそのあたりに意見の相違がありまして。ですがあなたの亡骸が荼毘に付される頃には我々の意見も彼に届くでしょう」

「独断か」

「……長居しすぎました。私はこれで失礼しますよ」


 くるりとリーマン風が入口に取って返す。


「貴様、名前は!」

「そのスマホ、通話状態でしょう?わざわざ情報を与える程お人よしではありません。では、そのオモチャ、なかなか貴重な呪霊ですので気に入ってくれると幸いです」


 振り返りもせず早苗の部屋から消える男。


「おおおおお……」


 ゆっくりと唸りながら早苗を見る武者。

 左手の面を顔に付け、太刀を早苗に向ける。


「くっ!」


 瞬間、早苗の両手が淡く赤く光る。

 ぼうっとしたそれがゆっくりとワインの瓶を覆っていった。

 亡者へと人が対抗できる業。

 親から子、子から孫へと受け継がれるその退魔の光が早苗を守る。


斬ッ!!


 振りぬかれた太刀がすごい速度で早苗に迫る。

 唐竹割に疾るそれを翳したワインボトルで迎撃。


ガキッ


 コンクリートに思い切りハンマーを打ち付けたような鈍い音がする。

 恐ろしいことに力を込めて振られている刃が、“ガラス瓶で”止められている。

 今は、これ以外の対抗策がない。


『スカーレット、スカーレットォォォ!!』

「敵、形状は戦国期、武将クラス。戦術体系は太刀による近接特化型と推測…ッ!」


ごりっ……


 押さえていた太刀がガラス瓶を“当然の結果として”切り裂く。

 ぎりぎりのタイミングで太刀をいなしたが、まさに間一髪。

 バスローブの帯はざっくりと、そして中のスポーツブラは胸元が開くように裂かれている。

 うっすらと朱の線が胸に走り、グレーのブラの布地に血が染みこんでいく。


「呪霊ランクの種別は、上級もしくは特級っ!」

『ダメだ!君はここで死んじゃあ、ダ……』


 翁の面の武者の二撃目は机の上のスマホを両断する。

 騒音を嫌ったのだろうが、早苗はこの苦境の中でも一矢報いた気持ちだった。


(伝えるだけは伝えた!これで、あいつはできうる限り最大の戦力を送るはずだ。私はどう考えてももう無理だが、この場所でこの武者は殺せる!)


 早苗はにやりと笑う。

 この場で自分は終わるが、それでもこの呪霊だけはなんとしても食い止めてみせる。

 あとは、どれだけこの被害を減らせるか。

 それだけの問題だ。

 手元にあるのは半ばから断たれたワインの瓶が一つ。


「さあ、来いッ!」


 最後の灯火をともすため、早苗が吼える。

 ちゃき、と首を傾げたまま翁の武者がこちらを見据える。


(これで、最後か……)


 悔やむこと、心残り、それらを思い浮かべてふと口元に笑みが浮かぶのがわかる。

 それ以上に一泡吹かせてやったという満足感だ。

 だが、それでも死の恐怖に足が震える。


「おおおお……!」


 唸り声を上げる翁の武者。

 一歩踏み出した武者を見てごくりとつばを飲み込む。


メシッ!


 セミスイートということもあり、街を一望できる大窓を背にした早苗の背中。

 そこから何か軋む音が聞こえた。

 視線は向けられない。

 だが、どうしてそんな音がする?

 武者が何故か間合いを取る。


 (何故?)


 強い警戒をあらわにした武者が構えを整えた。

 早苗はその隙に武者との間にベッドが来るように位置取りを変える。

 これであれば一足飛びに早苗へと襲い掛かることはできない。

 視線の端に窓が目に映った。

 大窓の下に槍が突き刺さって、穂先が部屋の中にまで貫通していた。


「な、に?」


呆然とする早苗をよそに、セミスイートのある地上19階で、槍の柄を支えに懸垂の要領で窓の枠で見えなかったところから「光速の騎士」の全身が現れる。

 間違いなく早苗と「光速の騎士」の視線が交錯した。


 (何故、ここに「騎士」がいる?)


 早苗の疑問をよそに「光速の騎士」が槍の柄に平均台よろしく立ち上がると、腰からナイフと“包丁”を抜いた。


「は?」


 両手にそれを持ち、残像すら見せずに一閃。


キィィン!キィィン!!


 甲高い音を立てて、強化ガラスに大きな×印が刻まれた。

 さらに翁の武者が距離を取る。

 「光速の騎士」が包丁とナイフを右手にまとめて掴むと、左腕についている盾を大きく振りかぶった。


「嘘っ!」


 なにをしようとしているかに気付いた早苗が咄嗟に床へ体を投げ出す。

 「騎士」はそのまま、×のど真ん中に渾身の左ストレートを盾ごと叩きつける。


ドガァァアン!!


 いままでで一番大きな音が部屋に鳴り響き、ガラスが粉々に砕ける。

 気圧差で一気に外へと部屋の空気が流れ出て行く。

 その風圧に怯むことなく、窓をぶち抜いて「光速の騎士」が部屋の中へとゆっくりと不法侵入してきたのだった。


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