2-6 ラジオ のち 菜館
「……ふぅ。すっかり日付まで変わってしまったね。……警察の聴取なんて初めてだったからなぁ。まあこういう経験もしてみるものだね」
ばたん、と軽自動車の運転席に乗り込んだ真一は、助手席の茂に持っていたペットボトルを先に助手席にいた茂へ手渡す。
運転席に座りシートベルトをつけながら表面にうっすらと汗をかいたその緑茶の蓋をぺき、と開ける。そしてそのままぐびぐびと一気に半分ほど飲み干した。
「すんません。いただきます」
緑茶を受け取り礼を言うと、茂は疲れた表情で片手でぺき、と蓋を開ける。
真一とは違いくぴくぴと口に軽く含む程度の量だけを飲む。
ごくり、と音を発てて飲み込むと、自然ため息が出てくる。
「はぁぁ……。真一さん、本当に申し訳ないです。明日、っていうか今日も仕事なんでしょう? こんな面倒なことに巻き込んで……」
申し訳なさでいっぱいの茂が、横目で真一を見やる。
そんな視線の先にいる真一は、茂の気遣いを受けて大きく笑みを浮かべていた。
「ははは! そんなに畏まらなくてもいいさ。もともと隼翔のことでいろいろと君には借りがあるんだから。むしろどんどん頼ってくれてもいいんだよ? ……まあ、暴力沙汰にじかに巻き込まれるのは勘弁してほしいんだけどね」
キュキュキュキュ……。
真一がスタータースイッチを押しこんでエンジンをかけると、二人の乗った軽自動車が動き出す。
夜間ではあるが、駐車場まで届く光がまぶしい警察署の敷地内をそのままゆっくりと出ていく。
さて、なぜこんな警察署に二人が来ているのか。はっきり言ってしまうと、被害届を出しに来た。
内容は昼間に真っ黒な色合いの布地に包まれたおかしな奴にいきなり襲われた、それについて警察に調べてほしい。たったこれだけのことである。
昼間に買い物帰りに歩いていたところ、急に襲われた。警察に通報しようとしたらなぜかそこで通報ができず、その場を逃げ出した。どうしていいのかわからず、立場のある人間に連絡を取って、一緒に警察へと来てもらった。
日常を生きる“普通”の感覚の人間からすれば、特におかしな行動は無いと言える。
少し被害届を出すのに時間が掛かったとはいえ、責任ある立場の人間と一緒に出向いたのは不安で仕方なかったからと言えるし、当時一帯で携帯・スマホの電波障害があったことも報告されていた。調書にも真面目に答えるし、極めつけはスマホ内の「襲撃者」の撮影データが大きかった。
後日調査された際の調査などでぼろが出ないように、敢えて無修正の動画データを提出。これから警察側で精査され、どうするかを検討することになるだろう。
話を追加で聞きたい場合のスマホの連絡先を教え、ここから数日間はビジネスホテルに宿泊するとも伝えてある。
これもまた真一が被害に遭った茂を精神面でサポートするために、という題目でだ。警察の巡回もその宿泊期間内はお願いしてある。
これで最低でも不審者情報としてあの「襲撃者」の警戒が警察の方で始まる。地域の子供を持つ世帯には一斉メールが学校からは通知されるだろうし、異様な風体の「襲撃者」だと知れば鼻の利く報道関係も動くだろう。
さらにはそのような公の権力によるガードの必要な一般人であると誤認してもらうためにもこの作業は必要なのだ。
後ろめたいことのない普通の人間であれば警察へ保護を求めるのが通常の感覚だと言える。ぶっちゃけ、後ろめたいことはあるにはあるのだが。
茂の個人情報を警察に提供したという今後どう転ぶかわからない問題ができたにせよ、神社の燈籠への損壊事件がたちの悪いイタズラだとして処理される方が困ってしまう。
「しかし、大胆だなぁ。まさかこっちから警察に出向くなんてね。……調べられたら色々とまずい身の上だっていうのにさ」
「悪いことはしてないつもりなんですけどね……。ただし、法律ってものをバリバリ破ってるっていうとこが問題なだけで」
「ダメだよね。それってさ」
ははは、と乾いた笑いが車内を包む。
笑いの後、沈黙が降りる中にラジオのパーソナリティーである若手のコンビ芸人が世間話の後に曲紹介をした。
『では、ここでリスナーから一曲リクエストです。先日から配信開始、あさって十五日より発売の新曲! パラダイス・ピクシー・プリンセスで……』
カーラジオからは日本を代表するアイドルグループ、パラダイス・ピクシー・プリンセスの新曲が流れ始めた。本来発売されるはずだったものではなく、急遽発売の運びになった完全な新曲である。
看板である神木美緒が大事件後、引退に追い込まれ、そのピラミッドの頂点に位置する玉座が空いたパピプグループの次のセンターを早急に見つける必要が出来たからだった。
あのシージャック以降、日本のアイドルシーンは大嵐のど真ん中に放り出されたのである。ほぼ一強ともいえる勢いのパピプグループは神木美緒を含むトップアイドル達が引退・休養を余儀なくされ、神木美緒センターでリリース予定の新曲の発売も一旦宙に浮いてしまった。
このことにより、一瞬ではあるが業界全体に凪の時間が訪れた。
パピプが大イベントをするには世間が妥当だとジャッジしてもらう必要が出てきたからだ。パピプの運営が主として行なったイベントではないし、テロリズムという一民間業者には対応できないような惨事であったのは事実だ。
だが、世論はそうではなかった。
具体的には若い女性アイドルを含め乗客に多くの被害者が出たあのイベントの警備責任能力が問題視されたのだ。
追跡調査後、一部の重火器の搬入にはイベント会社の積み荷が隠れ蓑となっていたことが一部週刊誌にスッパ抜かれたことが発端となった。
あれよあれよといううちに、パピプの運営がイベントを行うときにいかに杜撰な管理をしていたのかという、真偽不明の怪情報が飛び交う。すべて“自称”関係者、“元”運営会社スタッフ、運営に近しい“情報筋”からの情報は、ネットを通じいつの間にか、真実に近い“加工情報”へと変化し、テレビなどで取り上げられ、周知の事実へと格上げされていく。
さらにあのような事件にさらされたアイドルの精神的サポートが足らないのではないかとの意見が、若者を中心に広がってしまった。それが神木美緒の突然の完全引退から派生したことは想像に難くない。
最終的に運営会社の経営陣は首を挿げ替えられ、スポンサーもごたごたを嫌い離れて行く。輝ける女王の冠を戴いていた神木美緒を失った責任も追及される。
そしてその隙を突いた一強多弱の“多弱”に属するアイドルグループが攻勢をかけてきた。女性アイドルというジャンルに振り分けられたパイを、どのように配分するかを決めてきたパピプの運営にはその攻勢に耐えるだけの余裕が失われていた。
虎の子と言えるパピプグループも顔を知られるかどうかのラインの中堅どころでは勝負所で使うに使えず、パイは奪われていく。
そしてそれを挽回すべく満を持して発売された今回の新曲であるが、拙策であったことは否めない。音楽サイトを中心とする評価は低評価まではいかずとも、過去作ほどの伸びを見せていない。
「……誰の声か、わからないってうちの子たちは言ってたけど。どうなんだい?」
真一が茂に尋ねる。
とんとアイドルに詳しくなかった茂だが、神木美緒や藤堂ユイと会ったこともあり、せっかくだからと弟である杉山猛の“布教用”CDを借りることでその楽曲に触れることになった。
全く同じCDを何枚も買い増す意味を猛に尋ねると、色々と長い話をされたのでげんなりしたのだが、彼曰く“愛”だそうだ。
ああ、“愛”か。そう、“愛”なんだよ、兄貴。そうだな、それはきっと“アイ”だな。
……茂の放った最後の“アイ”には皆さんの好きな“アイ”を入れてほしい。
一回の握手であったり一枚のチェキに対する、札一枚半ほどの代価。
そう、それは“アイ”。
……そうなのだそうだ。
ちなみに茂の思う“アイ”の当て字の第一位は“哀”であるが。
ラジオで曲が終わり、またも軽快なトークをぶちかます若手お笑いコンビの世間話がまた始まる。
「……まあ、アイドルらしいカワイイ曲調でした。……それくらいっすかね。こう飛びぬけたモノはあんまり」
「……そうかぁ。この間、ちょっと大きめの企業交流会があって、数社ほど話をする機会があってさ。……パピプの子から違うところに切り替えってとこも出てきてるんだよ。やっぱり知名度のある看板クラスが抜けると、苦しいよね」
「本当の不可抗力。しかもちょっと俺たちが関係してるってのが嫌なところですけど」
「でも僕らはむしろ解決に向けて協力した側なんだから、胸を張ろう。……こうなってるのは決して僕らのせいじゃない。あんまり思いつめない方がいいさ。切磋琢磨してよりいいものができるきっかけになるかもしれないだろう?」
「他の事務所の子からすれば、今こそ挽回する機会ですからねぇ。違う方向から見ればそういう事にもなりますか」
「そういうこと」
夜の道を軽自動車が走る。
深夜の田舎道。店舗も閉店し灯りも乏しい。この時間独特の不思議な空気感である。
「……どうだい? 何か来てそうな感じは?」
「……今のところ、感度ゼロってかんじです。あの時感じた反応は無し」
「そうか、残念だな。君の活躍が見られるんじゃないかと期待したのに」
「荒事はご免だって話だったんじゃないんですか?」
助手席に沈み込むようにして世間話をしながらも、「気配察知:小」で周辺警戒を厳にしていた茂は、結果として現在の所追跡者なしとなっていることを緊急連絡用のガラケーでメールした。
送信完了の表示がされたケータイをぱたんと閉じてポケットに突っ込む。
「自分と家族が巻き込まれない範囲内で見てみたいって思う。不謹慎、かな。やっぱり」
「ですよ。奥さんと娘さん、隼翔が巻き込まれた時にかなり心配してたでしょう。それを他の誰かにさせるかも、ってのは不謹慎ですよ」
がしがしと荒く手櫛を髪に入れて欠伸をする茂。今日一日の流れで汗でべたついた髪の毛が少しばかり気持ち悪い。
この流れになった所で、意を決して真一に話すことにする。
「……今日、というかもう昨日ですけど。俺の隣にいたのがマユミ・ガルシアって女の子です。……先日の銀嶺学院の件の」
言い辛い話題ではあるが真一にこの件については話しておく必要がある。
「……そうか。あの子がそうなんだね?」
「……はい」
自然と二人しかいない車内に少しだけ沈黙が降りる。
車載ラジオと、タイヤが路面を走るがぁがぁという音だけが響いている。
真一はまっすぐ前を向いて運転し、茂は通り過ぎて行くガードレールの反射板を知らず知らず数えていた。
かち、かち、かち……。
そんな中で真一がウインカーを入れて、路線沿いの店舗へと進路を変更した。
「……夜食でも食べようか! すこし小腹も空いたしね」
「いいっすね。なんつーかすっごい太りそうですけど」
「ははははは!!」
駐車場に軽自動車を停める。
エンジンを切って車から降りると、深夜三時まで営業している中華料理店の駐車場には茂たちの他には少しばかりヤンチャな印象を受ける軽自動車が一台だけしか駐車されていない。
昼時にこの近くを通るとそこそこ繁盛しているので、決して不味いわけではないが時間が時間ということもあり周囲は閑散としている。
まあ、その方が話しやすいという事情もある。
(……うわ、なんだこの車。フロントの下のとこ、思い切り凹んでるじゃん! 危ないなぁ……)
真一の後をとことこと歩く茂は道すがら駐車しているもう一台のヤンチャな車を眺めた。フロント部のバンパーが一部ひびが入って破損しており、さらにはボディ自体も若干凹んでいるようだ。
なんとなくそんな車の近くには近づきたくないと思うのが人である。
ほんの少しだけその車から離れつつ、茂は中華料理店の入口へと歩を進めた。
「いらっっしゃいませー。お二人様ですかー?」
「はい」
真一が自動ドアをくぐるとしゃららん、と入口に下げられた鈴が鳴った。すぐに店員の中年女性がレジ前から出てきて応対する。
「では、お席空いてるところへどうぞ」
「あ! あそこの上がりは使ってもいいですか?」
「はい。大丈夫です。では今お水お持ちしますね」
そういって店員が厨房奥へと消えていく。それを横目に真一と茂の二人は少し奥まった上がりの席に向かう。
離れた場所のテーブルでは男三、女一のグループが楽しそうに酒盛りをしていた。おそらくあのヤンチャな車で乗り付けた者たちだろう。友人同士で飲み会をしていたのだろうか。
べろべろになっている様子の中で一人だけビン入りのウーロン茶を飲んでいた男が、入店してきた茂たちを見て連れを窘める。
ハンドルキーパー役で素面だったのだろう。他のくたばりかけた面々を見て苦笑している。
「おい、お前ら。他の人も入って来たし、もういいだろ? そろそろ家に帰るぞ」
「んーーー?……うわぁ、もうこんな時間? ……そーだな、帰るかぁ」
「あ、じゃあ会計だけお願いしてもいい? 俺、ちょっとトイレ行って来るからー」
「あ、俺も行っとくわぁ」
酔っ払い二人が各々の財布から金を出してテーブルに置く。
「ん? んん? なあイチ。ちょっと多いぞ。……つーかテッペイもヨーコも。割り勘だって言ったじゃん」
卓上の伝票を掴んで、スマホで人数分で割り勘の計算をしている素面の男がそう言った。
ひっく、と酔っ払って真っ赤になった顔をだらしなくさせたトイレに向かう最後尾、イチがだらしなく笑いながら言葉をかえす。
「あー。なんつーか、割ぃ、食ってんじゃぁん、トシ。ほら、アレだよアレ。んーと、メーワクリョー的な? こっから車で送ってもらわんとイカンし。酒飲んでないんだし、もろとけ、もろとけ! うははははっ!!」
「……まあ、そういうならもらっておくけど」
そのまま連れションに行った二人を見ながら、トシがヨーコに自分の金を渡している。卓上に置かれたゴテゴテとキーホルダーの付いたキーを掴んで立ち上がる。
「じゃあ、車だけ出しとくぞ? 会計とアイツ等二人つれてきてくれ」
「わかったー。じゃ、よろしくー」
パタパタと手を振るヨーコに片手を上げてトシが店を出て行く。
その様子を席へと案内されて、出されたお冷をくぴくぴ飲みながら茂は眺めていた。
(元気だなー。呑んでるなー。……いいな、すごい楽しそうだし)
少しばかり油っけのあるラミネートされたメニューを手にとってどれにしようかと物色する。同じく真一もじっ、とそれを見る。
不思議なもので本当に腹が減っているときの男二人連れという状況下だと、こういう光景がまま見られる。
とりあえず自分の好きなものを頼んで、あとは何か両者で相談、という形に落ち着くことが多い。なぜかは判らないがそういうものなのだ。
「……ゆで落花生と豚肉の醤油炒め。後はウーロン茶かな」
「じゃあ、俺は大蒜の芽と茄子の肉炒めと、ライス小。あと俺もウーロン茶、あったかいのにします。他に何か頼みます?」
「……部下が言うには、ここ油淋鳥とかも美味しいらしいんだよ。揚げるときにそのままじゃなくて柑橘系の皮を混ぜてるらしい。……甘酢と生姜にそれがいいかんじでかみ合うらしくってね。……ただ、もう夜だしねぇ」
「そうですね。なんかもたれそうですし」
すりすりと腹を擦る真一に、茂も同じく腹を擦る。
卓上の呼び出しボタンを押そうかとしたところで、トイレに行っていた酔っ払い二人が戻ってきて、自分のかばんやらスマホやらを手にとる。
「よっしゃ、じゃあ帰るかー!」
「そうそう、早く帰って寝ようよ。テッペイ、明日休みだからってはしゃいじゃって」
「ま、久しぶりの大きな工事受注なんだ。良かったじゃん、大企業の一部本社機能の地方移転なんてそうそう無いんだし。これで会社に仕事回ってくるんだろ?」
「らしーよ。下請けの下請けのぺーぺーに回ってくるのなんてあんまりないらしーけど」
「ははは! 白石様様、ってやつか!」
「そうそう!白石様様!!」
わはは、きゃははと笑いながら中年女性の待つレジへと騒々しく彼らが向かって行く。
それを聞いた茂はぎぎ、と目の前の真一に錆付いた機械の如く首を回す。
「え?」
「ん? 知らなかったのかい? 白石グループの物流拠点と一部の本社機能の地方分散計画。もともとここが起業の地ではあったから、出戻りっていえばそうなんだけど。……まあ、情報は経済紙くらいしか出てなかったかもしれないなぁ。あんまり若い人は興味ない分野だしねぇ」
「……俺のせいってのも、もしかしたら?」
「……悩んでも仕方ないことさ。それに地方回帰ってのは最近の企業経営のトレンドのひとつだよ? それに雄吾は企業家としては一流どころか超一流だ。君たちだけの理由でそんなことをする最終判断を下すやつじゃないさ」
そう言われて少しだけ茂の心が軽くなる。
ただ、昨日とおとといの豪快な“無駄遣い”を見せられた経緯があり、納得はしきれなかったが。
いまさらですが、どうやら一ヶ月ほど前に投稿開始から一年が経っていましたようで(本当にいまさらですけど)。
そして、今回設定集を除くと百五十本目の様子。
読んでくれてる人、どうもありがとうございます。




