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2-0 兆 

 まるでモノクロ映画だ。

 全てが白黒で、時折ひどく全体が歪むようにして像が乱れる。

 音も無い。

 実際に見たことは無いが、トーキーによって駆逐されたサイレント映画というのはこういうものだったのかもしれない。

 登場人物は、おそらくだが一人。

 この道を歩く、この視点の持ち主だけ。


(歩いて、いる)


 そうだ。道を歩いている。

 一人称視点で進むその画は、一切の音が無く、一メートル先が見えないような暗い画がただただ続く。

 踏み出すたびに、ぬかるんだ地面に体が振られて画が揺れる。


(地面は、雨が降って、ぐしゃぐしゃ、だった……)


 ……何故だ?

 ……何故、地面が濡れて、ぐしゃぐしゃだと、知っている?


 そこで、気付く。

 画に時折歪むようにして乱れている像は、歪んでいるのではなく、横殴りの雨が降り注いで視界を邪魔しているからだ。

 道は確かに濡れて、足を取る。


(柵、が……)


 道沿いにある柵。

 太い杭に粗末な木の板が三段に打ち付けられている。

 その並んだ柵のうち、一部が崩れている。


(そう、柵は崩れていた。……いや、壊されたんだ)


 それを視認すると、周囲に建物が建っている。

 いつの間にか、そんなところまで歩いてきてしまった。

 土壁の住居が立ち並ぶその間の道。

 歩く。歩く。


(あれは、集会所。……集会所だ)


 道の先、その先には今までの住居よりも大きな建物がある。

 ……何故、それが集会所だと?

 ……そんなに大きいのならば学校でも、役場でも、商家でもいいはずだ。

 ……何故、それを集会所だと“認識した”のだ?


(……俺は、知っている)


 モノクロのそのつまらない映画の中で、その集会所と“知っている”建物に急に色がつく。


じゃりっ!!


 色と共に音が聞こえた。

 ぬかるんだ砂地を強く蹴った靴音。

 視点がいきなり上下に揺れる。見ているだけで酔いそうだ。

 視点の持ち主が走り出したのだろう。


はぁっ、はぁっ、はぁっ!!!


 息を切らす音だけが聞こえた。

 駆け抜けた途中で、地面に何かが倒れている。

 なにが倒れているか。

 なぜか、そこは黒く墨で塗りつぶしたように見えない。


(見ようとしていない、のさ)


 モノクロのこのクソ映画の中で、唯一色がついている。

 赤だ。

 赤とオレンジと、そして爆ぜる光。


(燃えて、いる)


 集会所は燃えている。

 ……いや、燃えたのは、そのときではない。

 このタイミングでは、“まだ”燃えていなかった。

 それを、知っている。


(……誰だ?)


 集会所の前、そこに誰かがいる。

 膝を突いて、雨に打たれて。

 崩れ落ちたその身で、さらに誰かを必死に抱きかかえて。


(……あ、……あ?)


 それもまた墨で塗られたブランク。

 ブランクになった誰かが、居て。

 そのブランクがまた、墨塗りのブランクを抱えている。


(あ、ああ。……それは、それは)


 音がする。

 ぱちぱちと燃える木造の集会所からの音が耳に飛び込む。

 火に照らされて、墨が消えるように失せて行く。

 崩れ落ちているのは鎧姿の男で。

 その男が抱えているのは、…………何だ?

 何だ、あれは?


 最後までその抱えられたブランクは、何かわからない。

 だが、思い出す。


(……そうだ、髪留め。……小さな木の実のあの髪留め)


 ブランクの墨が薄くなる。

 長い髪。明るいブラウンの髪。

 そしてその髪を留める麻ひもと小さな木の実で作られた髪留め。

 確かくせっ毛を束ねるのに使っていた。


(そうだ、俺は。俺たちは)


 薄墨が晴れる。

 ぐったりとしたその小さな手。

 鎧姿の男が抱えられるほどに小さな体。

 くせの強い髪は濡れてくたっとして、髪留めは濡れていた。

 少女だ。気の強い、おませな、そばかすの浮いた顔の、元気な少女だった。


 ……鎧姿の男が顔を上げる。

 真っ直ぐにその視線が、このモノクロ映画の視点の持ち主とぶつかる。

 その顔が見えるか見えないか。


(……間に合わなかった?)


 その見上げた顔は、誰の顔だった?





『そうでもない。それは、見方による』


 テーブルの上に、コップが置かれている。

 いつの間にかモノクロ映画が終わっている。

 今度は真っ暗な部屋の中にテーブルと、椅子と、そして“話し相手”が座っていた。


『……間に合うというのはどの意味でなのか? お前はどう思う?』

「…………!! ……!」


 張り上げた声が出ない。

 向こうの声は聞こえて、こちらの声は聞こえない。


『そうだな、お前はそう思うだろう』


 腕組みをした“学生服姿の話し相手”は、手元のコップを持ってぐいと呷る。

 ことん、と置かれたそのコップ。

 あれは、昔実家にあったコップだ。

 小学校の林間学校で作った自作のコップ。

 青い色に黄色のラインを入れた、世界で一つだけの“自作のコップ”だ。

 中三の頃にうっかり割ってしまってもう、この世にはないコップ。

 それに気付いた瞬間、全てが溶けるようにして消えていく。

 テーブルもコップも、話し相手も。

 消えて、消えていく。


『……今回は、ここまでか。まあ、仕方あるまい』


 ……話し相手の顔は見えない。

 俺の作ったコップを持ち、俺の中学時代の学ランを着て、俺の“実家のテーブル”と“実家の椅子”に座るそれが、笑った。

 顔が見えないのに笑ったのだけはわかる。


『では、な』


 笑っているのに、その声に滲むのが喜びではなく、寂しさであるということも、何故か痛いほどに解った。




じりりりりりり!!!


 けたたましいベルの音に飛び起きる。


「うぉっ!?」


 枕元に置かれた目覚まし時計が、設定時刻どおりにその機能を遺憾なく発揮している。

 杉山茂は、ふわわぁ、と大きくあくびをしながらベルを止め、頭を掻く。


べたっ……。


「……うえぇっ。すげえ寝汗。……出勤前にシャワーだけでも浴びとくか」


 頭にやった手についた汗を見て、ゲンナリとする。

 気持ち悪い寝汗をかいた体で、客相手の仕事をするわけにもいかない。

 汗臭い体でのサービス業など正気の沙汰ではないのだから。


「……ふぁぁぁ。ねみぃぃ……」


 ごそごそと起きだして風呂場へと向かう。

 シャツにまでしみこんだ汗を拭いつつ、着替えのシャツとパンツを手にする。

 そしてまた今日も杉山茂の一日が始まる。


 夢は時間と共に零れ落ちていく。

 何を見たのか。

 何を覚えていなくてはならなかったのか。

 だが、夢は零れ落ちていくのだ。

 仕方がない。


「……なんか、ヤな夢見た気がすんだけど……。なんだっけ?」


 独り言を呟きながら、べとべとな体に頭からシャワーを浴びる。

 洗い流されていく。

 気持ちの悪い汗と、悪夢が。

 いや、何らかの兆しが、だ。


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