1-4 訓示 のち 疑念
「先日の、あの体たらく。……私はまだ呆けるには自分では早いと思っている。この目にしっかと貴様らのザマを見せつけられて、一ヶ月経った! 無様。そう! 無様の一言に尽きる!」
門倉は腰に手を当て、空を仰ぎ見ながらその場をゆっくりとぐるぐると回った。
大声で、先日のあの一件を思い返しながらのその独白にも似た声が空へと吸い込まれていく。
門倉が回るその円の内側には、腰に手を当て「休め」の体勢になった集団が微動だにせず正面を見据えたまま起立していた。
「だが、今回! 前回とは違い、貴様らに事前に連絡してあったわけではないが「光速の騎士」の装備品更新に伴うデータ収集ということで、「騎士」殿ご本人に訓練参加の打診を行ったところ、快く応じてくださった!」
そう言うとぴた、と門倉は立ち止まり正面に置かれたパイプ椅子に居心地が悪そうな風情で座るピエロマスクを被った黒ジャージ姿の男へ深々と頭を下げる。
それに一糸乱れぬ動きで先ほどまで微動だにしなかった集団、白石グループの警備部一同が頭を垂れる。
あわてて頭に手を当てながら、「いやあ、どうも」とでも言わんばかりの動きでぺこぺこと頭を下げかえす本日はピエロマスクの「騎士」が一人。
「……わかっているだろうが、今回のこれはチャンスだ! 我々のあのどうしようもなく無様で、仮想敵である「騎士」殿にいいように手玉に取られ、何一ついいところを見せられず、ただただ一蹴されて終わったあの訓練。貴様らは当然あの映像を穴のあくほどに見続け、狂おしいほどの恥辱に耐えて今この場にいる!」
ぎりっ、という歯ぎしりの音がその警備部の立つ場所から聞こえた気がした。一つではなく複数の音が。いや、本当は聞こえるはずはないのだが、なぜか「騎士」には聞こえた気がした。
門倉は手に持ったタブレット端末を大きく掲げてみせる。
「諸君! これは汚名を雪ぐまたとない機会だ! 条件に関しては前回と同様で「騎士」殿の了承を得ている。唯一違うのは、我々は一度「騎士」の侵入を経験した、という一点のみである! この前提条件を加えた上で、前回と同様、重要情報の詰まったこのタブレットを死守する! 当然のことながら前回、手の内を明かした「騎士」殿が不利になることは否めない。我々が完全なる誇りを取り戻すにはいささか難易度が足りないが、それでも我々はこの機会に挑まなくてはならない! そうだろう!!?」
「「はいっ!!!」」
大気が震えるほどの声が響いた。
あまりの気合の入れ方に「騎士」が、びくっと怯えてパイプ椅子から落ちそうになった。
「訓練開始は、一時間後。開始の合図とともにスタートだ。各員、準備に入れ!! 解散ッ!!」
「「はっ!!」」
これまた一糸乱れぬ敬礼を門倉へと返し、全員が走り出す。
以前に来た時のように「騎士」を熱心に見つめるような視線は一つもなく、各々の役割に全力を注ぐため、余分なものをそぎ落としたかのような抜身の刀にも似た緊張感が場を支配していた。
「……一応聞くけど、その前の訓練時、何したの?」
「……あんまし聞くな。……あとで落ち着いて考えたら結構なコトしてたなぁ、って反省はしたんだ。……ちょっとこう、気持ちが高揚してたっていうか」
隣で紙パックの緑茶をちゅぅと吸い上げているマユミがジト目で「騎士」を見つめる。それを受けて「騎士」はピエロマスクの中で粘っこい汗が流れているのを感じながら、絞り出すようにマユミへ答える。
そんな二人のもとへと、訓示を終えた門倉がゆっくりと歩いてくる。
「さて、奴等の尻も叩き終えましたし、訓練開始まではしばらく猶予があります。どうします? 何か使えそうなものをまた前回同様探しに行かれますか?」
「うーん……。ちょっとどうしようか迷ってるんですよ。実際のところ、前回うまくいったのって初見殺し的なアドバンテージがあったからですし」
腕組みして悩む「騎士」がそう言い放つ。
目の前の門倉は、それだけが勝敗を決定づけたとは思っていないが、話を途切れさせないために口を挟むのを控えた。
「そういうことから考えるに、前回の策に関しては完全に対策済みで同じことをすれば負け戦なんでしょう? ……訓練としてそれの上を行くトリッキーな策で攻めるかどうか? 正直、正攻法で真っ当に相手した方が皆さんの訓練としては実のある内容になるんじゃないかと」
「案外真面目にやる気なのね。……手を抜いてお茶濁すのかと思ってたけど」
空の紙パックを近くに置かれたゴミ袋へと放り込むマユミが、意外そうな顔を向ける。
それをピエロの半笑いの面構えで迎え撃ち、組んでいた腕をほどき、手を首元へ持っていってぽりぽりと搔く。
「相手が真剣なんだから、真面目にやらないと怪我すんじゃん。そういうのは失礼だし、第一こっちも危ない」
つまり今ここで見せているやる気のなさと実際の訓練時の真剣度は比例しないと言っているわけだ。
やる気の有る無しに関わらず、大怪我をするリスクは当然あるのだから。こっちにも向こうにもだが。
「……お聞きしますが、そのトリッキーな策、というのは?」
「……聞きます? まあ、実際やっていいかどうかの判断は門倉さんにしてもらわないと駄目だろうなとは思ってたので」
興味を引かれた門倉が尋ねると、あまり乗り気でない様子の「騎士」が自身の中で思いついたプランを説明する。
最初はほうほう、と頷きながら聞いていた門倉の顔が徐々に曇り始める。
最終的に説明終了時には、眉間に深く皴を刻み込んでいる。
ぐいぐいと揉み解すようにしながら、どうしたものかと考える門倉。
隣で同じく聞いていたマユミは、呆れたような表情で「騎士」を見つめる。
「よくもまぁ……。そういう悪辣なプランを思いつくわね、あなた。皆さん一生懸命に「騎士」対策をしたでしょうに」
その反応に「騎士」が言いかえす。
ピエロマスクで見えないがきっと、顔を顰めているだろう。
「悪辣って人聞きの悪い。……でも、さっきの門倉さんの言った条件には一切反してないぞ。むしろ“その可能性”を考慮するべきじゃないか? いや、責任者の門倉さんが駄目だって言うなら別の案を考えますけど」
「あなたが楽しようとしてるだけに聞こえるけどね」
「……まあ、それもあるけどな。うまくハマりゃあ、ダボハゼだし」
多少のそういった内面を見透かされて、あははと乾いた声で笑う。
ピエロマスクの笑い顔とマッチした奇妙な状況が作り出される。
「……少し考えたのですが、確かに警備班側に事前説明した条件に反する事項はありません。そこに思い至らない場合は確かに、こちらの考察が足らなかったということでしょう」
悩んでいた門倉が腕を解いて頭を掻きながら、最終判断を下す。
「ということは?」
「その内容で問題ないと私が最終判断します。……オーケーです。先ほどおっしゃったとおりのプランで一時間後に襲撃を開始してください。そうと決まれば準備をしましょう」
そのゴーサインに「騎士」とマユミが立ち上がる。
くるりと踵を返した門倉の後を彼らが追いかける。
行き先はこの訓練場の資材・廃材置き場。
そこには白石特殊鋼材研究所製の色々なものが資材等とともに置かれているのだ。
『訓練開始予定まであと一分を切りました。対象侵入と同時に増援部隊合流までのカウントダウンが開始されます』
「ふぅぅぅぅぅ…………っ!」
館内一斉に放送されたそのアナウンスを聞くと、自然と体が固まりそうになった。
知らず知らず自分の意思とは関係無しに体が大きく、深く息を吸った。
そして酸素を体に巡らせて吐き出されたその呼気は熱く、そして情念が籠っている。
おそらく同様の深呼吸を繰り返す部隊員は多いだろうと、男は思った。
がしゃ……
抱えた訓練用のペイント弾入りの模擬銃の重みがさっきまでの倍にも十倍にも感じられる。
そんなはずはない。そんなはずはないのだが。
「力、入りすぎじゃないですか。平常心、平常心っすよ」
二階フロアへと続く階段を射角にいれるポジション取りの同僚から、声を掛けられる。
それに対し自嘲気味な笑みを口元に浮かべると、その同僚に言い返した。
「お前前回の訓練のときはスルーされたフロアの配属だったよな? ……いいか、マジな話、訓練とはいえあれと正面から向き合ってみろ? 今までの訓練が何だったのかって思い直させられる。しばらく立ち直れなかった奴らもいたってのは知ってるだろ?」
「そりゃあ、俺も映像は穴のあくほどに見ましたよ。皆して結果的にコケにされた感が有りましたから。でも、だからこそやってやるぜってかんじになってるんじゃないんですか?」
ふぅ、と息を吐く。
「……他の奴らがどう思ってるのかまではわからんが、そういう状況じゃあないんだよ。今回この訓練に俺が参加したのは、どこまで“普通の人間”が食い下がれるものなのかを知りたいからだ。……はっきり言うが、どれだけ策を積み重ねて万全な防備を敷いたとしても、それを悠々と飛び越えられていく気しかしない。……それでもほんの少しでいいんだ。死力を振り絞れば足先には触れられるかもしれないと思いたいから、俺はここにいる」
「そこまでですか? 「騎士」ってのは?」
「ああ。……ありゃあ、本当は表に出ちゃならない、ひっそりと隠れているべきだったもんだ。多分、そう思ってるのは俺だけじゃない。「騎士」自体、あまり活躍したくないと思っている節があるってのはそのあたりも理由だろう。恐らく自分が目立つことがこの時代にそぐわないと理解しているからだ」
「そこまで、ですか? そこまで、「騎士」の存在が……」
なおもまんじりとした表情で銃を握る男に質問を重ねようとしたところだった。
ぴぴぴっ……!!
各々の腕時計が鳴った。
約束の時間だ。
狩人が、来る。
「話は後にしよう。……仕事の時間だ」
「……ですか」
じゃり、と何度も訓練で使用したせいで砂で汚れた床がブーツと擦れて音を立てる。
どこかしっくりと来ていない表情のまま配置に戻る男を見ながら、知らず知らずのうちに浮かんでいた額の汗を右手で拭った。
右のグローブに染みた汗を見ながらひとりごこちる。
「……彼は、彼を含む“超人”は。世界にとって間違いなく劇薬だ。それが、死病をも癒す霊薬か死にいたる呪毒なのか。誰も、誰一人として知らない」
何もしていないのにグローブが震えている。
それを押さえるようにもう片方の手を添えた。
「本当に、俺たちは。俺たちのやっている、コレは」
震えを武者震いだと、心の内から来る高ぶりだと言い聞かせる。
「……間違ってはいないのか?」
良かれと思って自分たちは動いているが、実は世界を大きく変える、悪事に手を貸しているのではないか。
微笑んでいるのは天使ではなく、その仮面を被った悪魔の擬態なのでは。
答えるものは誰もいない。
恐らくその答えが出るのは、未来だ。
だが、その未来は今日と繋がり、目前まで迫っている明日と同義のはずなのだ。
本当は前話の後半部分だったはずのところ。
短くて申し訳ない。




