1-0 帰宅 のち 飯
新作書いてみた。
ここから先、どうなるかは判らない。
「……県内西部は午前中は晴れ間が広まり、過ごしやすい天気となるでしょう。ただ、夕方遅くから……」
テレビ画面は何て事の無いニュース番組の天気予報コーナーを映し出している。
そのコーナーを担当する女性気象予報士が天気図を指示棒で示しながら雨雲の動きを伝えていた。
ほとんど全ての視聴者にとっては昨日とさほど変わることのない朝の地方のニュース番組。
それを見ながら、朝食を食べている男がいる。
フローリングの床に直置きされた一人用の折りたたみ式の机の前に正座し、テレビから流れる情報を一言一句たりとも逃すまいと凝視しながらである。
白米、味噌汁、両面焼きの目玉焼き、スーパーマーケットの惣菜で買ってきたホウレン草とモヤシの胡麻和え。
これも何一つおかしなところのない普通の朝食である。
ただ、唯一おかしなところを上げるとするならば、その男であった。
「くぅぅおおおおっ……!そうか天気予報っ、天気予報だよなっこの時間は!!ありがてぇ、ありがてぇっ……!!」
号泣、しかもその顔に浮かぶのは悲しみではなく全力の歓喜であった。
滂沱の涙をこぼし続ける男は、鼻水をティッシュでかみ、流れる涙を厚手のタオルでごしごしと拭いながら食事を続ける。
テレビの時刻表示は5時55分を告げており、間違いなく早朝であるというのにがつがつ・もりもりと飯を口に運び、ぱんぱんになったそれを味噌汁で流し込む。
そしてひとしきり普通の朝食を都合5人前ほど一人でかっ喰らうと、そのままごろんと後ろに転がり、膨れ上がった腹を労わる様に撫でる。
「ああ、もう今日はこのまんまでいいんじゃないかなぁ。なんか動きたくない……」
天井を見つめ、蛍光灯のカバーがちょっとずれてるなぁと、それをはめ込んだ当時の自分を責める。
あのちょっとしたずれ。
あれを直したい。
だがしかし満腹を通りこし、限界を訴える彼の腹は動くことを拒絶する。
そのまま、BGMに流れる昨日と同じニュース番組の効果音。
ありふれた日常の音楽。
それを聞いた彼の両目がまたうるうるとぼやけていく。
つぅ、と仰向けになっている彼の両の目から零れた涙がフローリングを濡らした。
併せて溢れる鼻水。
ずるずると鼻を啜っていたが、許容量をこえてしまい嫌々ながらも彼は起き上がる。
机の上にあったティッシュボックスから豪華にも3枚ほどまとめて掴むと一気に鼻をかむ。
「……ああ、もう最高っ……」
手首のスナップだけで使い込んだゴミ箱へシュート。
ぽんと音がしてティッシュが投げ込まれる。
そのまま大きく伸びをすると再度大の字にフローリングに転がる。
コツン
右手の先に何かが触れる。
はてと視線を向けるとそこにあったのは“鎧”だった。
昨今流行りのコスプレとかで使われるぎらぎらした華美なものではなく、どちらかといえば街の兵士Aの着けているような簡素なものだ。
その横には革のブーツに、全体の7割が木製の金属補強された盾、飾りも何もない粗末な兜。
視線のさきにはこの部屋の入口も見える。
そこにはコンビニで買えるビニール傘が2本と、この場にそぐわない穂先に錆の浮いた槍がまとめて立て掛けられている。
半透明のごみ袋が置かれているのも見えた。
うっすら透けて見えるその中には、かなり傷んだ上着とズボン、更にはかなり汚れきったバスタオルと思われるものが一緒くたになって放り込まれていた。
「最悪……。これどうにかしないとなぁ……」
ちくしょう、とつぶやきながら指先で鎧を弾く。
こんと軽い音をさせて、のそのそと起き上がった彼の姿は、無地Tシャツに短パン。
ぼりぼりと頭を掻くとフローリングにフケが落ちていく。
「もう一回風呂入ってからにしよう……」
洗っても洗っても汚れが落ちない。
マクベス夫人の気持ちの一端でもわかったかもしれないと思いながら、彼は部屋に備え付けの風呂場に向かう。
Tシャツと短パン、パンツを脱ぎ捨て、脱衣所に積んであるタオルの中でもっともくたびれたものを探す。
どうせこれもこの入浴で使いものにならなくなるのだ、間違いない。
がちゃりと風呂場に入ると全身を移す姿見がシャワーの横に備え付けられている。
「ひでぇ頭。ちょっとどうにかしないと外出ただけで不審者扱いだぞ、これ」
昨今、身だしなみが汚いと外を歩くだけで通報される世の中だ。
鏡に映るその姿はぼうぼうに伸びまくった髪の毛が目どころか鼻まで隠しそうな勢いで生い茂っており、併せて髭も伸び放題だ。
頭部に関して言えば肌が見える所を探す方が難しいだろう。
好意的にいえば奇天烈なミュージシャンにも見えないことはないが世の中の人はそう見てくれないのが常。
「使い捨てのカミソリ、確かホテルのアメニティで何本か持って帰ったの有ったよな……」
どこにしまったか今一つ思い出せず、“綺麗に整えきることに関しては”後回しにすることにした。
ただ、首から下に関してはボディバランスとしては均整がとれており、細身でありながらもしっかりと筋肉が乗っている。
細マッチョという区分からは少し肉が付いて、更に180近い長身もあり頭部を除けば綺麗に鍛え上げられた肉体といえるだろう。
右の脇から下腹部に向けて大きな傷が3本平行に走っているのだけが非常に目に留まる。
それを彼は指でなぞりながら、銭湯とかで引かれないかなぁと悩んだりする。
「でもなぁ。本当にこれからどうすりゃいいのかねぇ」
ぬるめのシャワーを頭からかぶる。
もさもさの髪が水にぬれ、纏まると、前髪から一気に掻き上げる。
今まで隠されてきた目が現れた。
どこか眠たげで、締まりのない一重まぶたのどこにでもいるような男の顔が現れる。
シャワーノズルからは温かな湯が吐きだされ続けているが、彼はバスタブ横に置かれた洗面器とその中に放り込んだ“ナイフ”を取り出した。
すると無造作にナイフを伸び放題の髪にあてるとサクサクと切り落としていく。
あっという間に洗面器一杯に髪の毛が溜まっていった。
シェービングクリームは辛うじて残っていたものを使い、こちらも伸び放題のひげをナイフでしょりしょりと剃り落していく。
都合20分ほどの時間をかけ、頭と髭を整える。
「うし、まあこんなものかな」
剃り落した不審者ヘッドから現れたのは20代半ばの凡庸な顔の男。
先ほども言った一重まぶたに、薄めの顔。
どんな人物かと尋ねられたら“普通の顔”と呼ばれること請け合いだ。
「排水溝詰まらないかな?こんなに髪の毛流れることないだろうし……」
とても普通な心配をしながら彼は体と頭を洗い出す。
ごしごしと磨かれる体からは白かったはずの泡がみるみる真っ黒になり、髪を洗うシャンプーも同様に茶色がかっていた。
それらの香料をしのぐほどの匂いが漂うことに気付いたのだが、これも仕方ない。
何せトータル“3年分”の汚れなわけで。
「すごいな……。帰ってきて、一度お湯だけは浴びてから寝たのになぁ」
あまりの自分の汚さに閉口する。
そのため、一度で終える予定だった上から下までの“丸洗い”を都合3回も繰り返す羽目になったのだ。
「ふぅぅぅ……さっぱりしたぁ」
ガシガシとバスタオルで水気を拭きながら先程までのTシャツとは違うものを着て部屋に戻る。
鼻を近づけたところ、酷く匂うことに気付いたからだ。
どうも臭いが染み付いてしまったようで、あの服は申し訳ないが“あちら”で使っていた服と一緒に処分するしかあるまい。
ため息をつきながら元の机の前に胡坐をかいて座る。
「さぁて、本当に今日、どうするか考えないと」
ぐっと眉間に力が入る。
近くに有った新聞のチラシをつまみ、テーブルに載せた。
うらの白地にペンででかでかと書きこむ。
『祝!異世界帰還 第一日目!!』と。
これはある男の生活を書き記したものだ。
偉大な勇者でも、輝かしき聖女でも、恐るべき魔王、でもなく。
ただただ異世界へ拉致られたひとりの“一般人”の現代日本への帰還後の生活を書き記したものである。