第2話 ハーブティー・セントジョーンズワート
キイ、という音に呼応するように、マアルは作業中の手元から視線を動かすことなく「いらっしゃいませ」と声を上げた。すると、店に入ってきた客人がマアルの態度について大仰な素振りで指摘した。
「マアルちゃーん、客が来たら手を止めて顔を上げて挨拶するのが基本だろう? いつも思うんだけどさあ、こっちを見もしないって、どういうことだよ」
「だってほとんどのお客さんが村人か、トミーさんみたいな〈常連さん〉なんだよ? 声聞けば誰が来たのかくらい分かるし、〈あなたと私の仲〉ってやつなんだからいいじゃん」
「よかねーよ、馬鹿かお前は」
間髪入れず、厨房から出てきたラムダが不機嫌にそう言いながらマアルに膝カックンをお見舞した。そして間抜けな悲鳴を上げながらバランスを崩し立腹した妹にポコスカと叩かれながら、彼はトミーと呼ばれた客人に笑いかけた。
「富岡さん、いらっしゃい。お好きな席へ……って、うわ、なにそれすげえ目の下真っ黒」
「ね。いつにも増してすごいよね。それ、いつもの〈ペインターズハイ〉? 今回は一体、何徹したの?」
ひどく顔をしかめた兄の横で、妹が興味津々とばかりに目を輝かせた。するとマアルからトミー、ラムダからは富岡と呼ばれた異邦人の男は眉間にしわを寄せてぶっきらぼうに返した。
「徹夜は一応してはいねえよ」
「じゃあなんでそんなに目の下グリグリなのよ。しかも、すごく機嫌悪いみたいだし。もしかして、スランプ?」
「ばっか、おめえ、この新進気鋭の凄腕画伯・富岡康司様の辞書にスランプなんて二文字が載ってるわけがねえだろう」
不思議そうに首を傾げたマアルに噛みつきながら、富岡は担いでいたリュックサックをどさりと空いている椅子の上に置いた。そしてところどころ擦り切れてくたくたのジャケットをリュックの上に乱暴に脱ぎ捨てると、彼は隣の椅子にどっかと腰を下ろした。
「私の中の〈凄い画家さん〉って、上等なお洋服に身を包んで王侯貴族の肖像画を描かされてるようなイメージなんだよね。決して、こんな髪の毛ボッサボサで無精髭、着てるシャツもよれよれなうえに絵の具汚れだらけなみずぼらしいおっさんじゃあないんだけどな」
「マアルちゃんって本当に、見知った相手には気を遣わないを通り越して辛辣だよな。――俺、お客様として今ここにいるんだぜ? この店、異邦の常連客がいなくなったら困るんじゃあねえの? 俺の気分を害したら、一円玉の大量入手先がひとつなくなるとは思いもしないわけ?」
「トミー、なんか今日、すっごいイライラしてるね。何か嫌なことでもあった?」
客を立腹させているということに気づきもせず、マアルは心配そうに表情を曇らせた。
「お前が今まさに富岡さんを怒らせてるっていう自覚はないのか。ていうか、手ぶらで行くなっていつも言ってるだろう。ちゃんと給仕の仕事しろって」
ラムダは富岡の前に水の入ったコップをそっと置くと、マアルの頭を盆で思い切りスパンとはたいた。そして、痛いだ何だとぎゃあぎゃあ文句を垂れる妹を無視して、給仕係の不始末の数々をお客様に謝罪した。お客は苦笑いを浮かべて水に口をつけると、それをごくごくと飲み干してから再び怒り顔を店主たちに向けた。
「ていうか、聞いてくれよ! 俺がお怒りな理由をさあ!」
「あれっ? 私に怒ってたんじゃあないの?」
「んふふー、マアルちゃんは可愛いからなあ。おじさん、許してあげちゃう。でもまあ、少しくらいはちゃんとお給仕してくれたら、お客様としては嬉しいかなあ。てなわけで、兄ちゃんよ。あんまし可愛い妹の頭をパスパス叩いてやんなよ。俺も別に怒っちゃいねえから。な?」
「う、ウス……」
「じゃあ、何に怒ってたのよー?」
勢い良く捲し立てる富岡に、ラムダが縮こまりマアルが口を尖らせた。すると富岡はみるみる険悪な表情を浮かべて、これでもかというくらい不機嫌な声で唸るように言った。
「最近真上に引っ越してきたやつを、いっぺんしばき倒したい」
兄妹がぽかんとした顔で目をぱちくりとさせていると、富岡は淡々と話を進めた。それによると、最近引っ越してきた人の立てる騒音のせいで満足に眠れずにイライラしているのだそうだ。
彼が住んでいる古アパートは家賃が安いため、金のない夢追い人が入れ代わり立ち代わり入居するという。つい最近も、彼の部屋のすぐ真上の空き室に夢追い人が入居した。新規入居者は、小劇場を中心に活動する劇団員だった。
菓子折りを持ってわざわざご丁寧に「ご迷惑をおかけすると思いますが」と入居の挨拶をしにきた若い劇団員の存在を、富岡は最初、好意的に受け止めていた。むしろ応援する気持ちすら抱いていた。それが呆気なく崩れ去ったのは、つい数日前のことだった。
「『ご迷惑をおかけすると思います』と断りを入れりゃあ、夜中にドルッドルやっていいなんてこたあねえに決まってるだろう! 『小劇場から、いつかはテレビに』とか夢見てるんだろうが、人様に迷惑かけて平気でいられるようなやつらがスターダムを駆け上がれると思ってるんじゃねえよ! まったく、毎晩毎晩ドルッドルドルッドルうるせえったら! 朝方になってようやく静かになって眠れると思ったら、今度はナグリを床にドカドカ落としまくるしよ! 昼過ぎになって今度こそ静かになったと思っても、イライラしすぎて気が昂ぶっちまって結局寝れねえしさ!」
「ドルッドルって何? ナグリって?」
マアルが眉根を寄せると、富岡はリュックサックからスケッチブックと鉛筆を取り出してさらさらと何かを描き始めた。それは、先端がきりのように鋭く尖った棒を有した銃のような代物だった。
「ドリルっていうんだけどな、ここのトリガーを引くと凄まじい勢いでこの棒が回転して、木に穴を開けたりネジをしっかりねじ込んだりするんだよ。回転するときの音がすげえうるせえんだわ。ナグリは、舞台用語でトンカチのことな」
「あー、似たようなの見たことある。うちの店の釜やショーケースのメンテナンスに来る自動人形さんの指先が、こんな感じに変形してドルドルいってたよ」
肩越しにスケッチブックを覗き込んでくるマアルに顔を向けると、富岡は目を丸くした。
「すげえな、そんなのがメンテナンスに来るのかよ」
「なにせ、うちは王都のお店でも数軒しか導入していない最新機材をあちこちに入れているからね!」
「ていうか、自動人形ってアンドロイドのことだろ? マジですげえな。異世界は自分の世界より劣ってるから無双し放題できるって思いこんでるやつに、この話聞かせてやりたいわ」
得意げに胸を張るマアルを、ラムダはじっとりと見つめた。小さくため息をつくと、彼は富岡に向き直って首をひねった。
「ていうか、富岡さんはもう懐が常に逼迫しているわけでもないんでしょう? だったらそんなところ、引っ越したらいいのに」
「塗料とかでいくら汚しても怒られない環境だから、手放し難いんだよ。それに、物件探しに時間を割くくらいなら筆を持っていたいし」
「その割に、わざわざ数軒の銀行を回ってイチエンダマを用意してくださっているんですよね? 時間、あるじゃあないですか」
「それは飯食いに出るついでのことだし、数軒回るっていっても毎回違う銀行を利用してるってだけでハシゴしてるわけじゃあねえよ。だって、ひとつの銀行で一円玉ばっかり両替してたら、ちょっと怪しいだろ」
はあ、とラムダが生返事を返すと、富岡は大仰にふんぞり返った。
「というわけだから、騒音問題でお疲れの可哀想な俺を癒せ」
「そう言われてもなあ。宿屋にでも行って、ふかふかのベッドで休んだほうがいいんじゃあないですか?」
ラムダが苦笑いを浮かべると、富岡は意地悪な笑みを浮かべた。
「この店は、お客に癒やしを与えることに自信があったんじゃあなかったのかねえ?」
「……はあ、分かりましたよ。とびきりのやつをお出ししますんで、覚悟しておいてくださいよ」
ラムダはマアルに「富岡さんの頭でも揉んでやってて」と指示を出すと、腕まくりをしながらのしのしと厨房に戻っていった。
頭やら肩やらをマッサージされながら富岡が「もしかして、これがとびきりのやつ?」とデレデレと頬を緩めていると、ほどなくしてラムダが戻ってきた。しかし、盆に乗っていたのはティーセットとクッキーだけだった。それを見て、富岡は不満げに肩を落とした。
「なんだ、クッキーか。もっとこう、すごいケーキとか出てくると思ったのに」
「クッキーはただのおまけですよ。メインは、こっち」
目の前に優雅に置かれたティーポットに視線を落としながら、富岡はやはり不満げな声を上げた。そんな彼にニヤリと笑うと、ラムダは誇らしげに胸を張った。
「我がパティスリーはたしかに、甘いお菓子が自慢です。ですが、お客様。取り扱っているお茶も、自慢の逸品揃いなんですよ。なにせ、王族ご用達の薬師であるジェシカさんから直に買い付けている特一級のハーブですから」
「ああ、ジェシカさんのところのか! そいつはたしかにすげえな!」
ジェシカとはこの村の住人で、薬師を生業にしているエルフだ。彼女は優秀な魔術師で、魔法を用いた薬の調合を特に得意としていた。しかしその効果は絶大で「どんな医者でも匙を投げるような重病難病でも、彼女の処方した薬を飲めばたちまち治る」と評されている。
彼女は薬の原料となるハーブを育てるところからこだわりを持っている。そして彼女のハーブ園は彼女自身と、彼女が認めた腕利きの庭師数名で管理ができる程度の大きさのため、一度に生産される薬の量もそこまで多くはない。さらには評判の良さが高じて王侯貴族のご用達にもなっているため、一般の医局はおろか一介の飲食店が彼女の手がけたハーブを仕入れるということは不可能に近い。そんな彼女のハーブを、この店は仕入れているというのだから富岡が驚くのも無理はなかった。
「ジェシカさんのハーブ園さ、すげえ居心地いいよな。俺、よくスケッチさせてもらってるんだけど――」
「は!? 管理が厳しいあのハーブ園に入れてもらえてるんですか!? そっちのほうがすごいんだけど!」
「いやでも、すごいな。取引を認められているのもすごいが、支払える金があるのもすごいわ。彼女のハーブ、べらぼうに高いだろう?」
「あー……いわゆる〈知り合い価格〉ってやつです。それに、イチエンダマ資金のおかげで、お茶も存分にこだわれるんです。ていうか、富岡さんがジェシカさんのハーブ園に入り浸っているという事実のほうが驚きだし、気になるんですけど」
「ね、それ、私も知りたい!」
興味で輝く四つのアメジストを軽くいなしながら、富岡はリュックサックの中をまさぐった。そしてドカドカと無造作に、テーブルの上に銀色の棒を並べ置いた。――それは、一円玉が五十枚分まとめられた棒金だった。
「ジェシカさんのハーブだっていうなら、たしかに〈とびきりのやつ〉だろうからな。寝落ちしてもいいように先に支払っとくわ。俺の世界では紅茶が大体カップ一杯で五百円くらいだから、ジェシカさんのブランド力も加味して七百円くらいか? だから、十四本だな」
次々とテーブルの上に現れるお宝に、マアルもラムダも目を輝かせた。そしてホウと感嘆の息をつくと、マアルが富岡のリュックサックを眺めながらぼんやりと言った。
「そんな小汚いリュックサックなのにさ、この瞬間には高貴なお包みに見えるよね」
「ホント容赦ねえな。ていうか、リュックじゃねえと重たくて仕方がねえんだよ」
「リュックじゃないと重たいって、一体どんだけイチエンダマ持ってきてるんですか」
「日によっては朝来て、そこら辺うろうろと散策してスケッチして、そんでもって夕飯食ってから帰るよ。かかる費用の全てを自分の世界と同価格できちんと支払いたいから、それに足る分は」
ラムダが舌を巻くと、富岡はニヤリと笑って付け加えた。
「お兄さん、今巷で話題の〈異界を散策せし者・お散歩トミー〉とはこの俺のことよ?」
「誰も話題にしてないし、どんなにトミオカをカッコよく言ったところでトミーはトミー以上でも以下でもないでしょ」
「だから何で君はそんなに辛辣なの、マアルちゃん。おじさん、ここには癒されに来たのよ?」
「あ、お兄ちゃん、そろそろ蒸らし時間終わったんじゃないの?」
しょんぼりするお客をよそに、マアルは兄をせっついた。ラムダがティーポットに手をかけて持ち上げると、薄い黄色の帯がカップへと流れ落ちた。りんごのような甘酸っぱい香りをほんのりと漂わせながら立ち上る湯気をぼんやりと眺めると、富岡はほんの少しだけ寛いだ表情を見せた。
「落ち着く香りだな。これは、カモミールか?」
「違いますよ。セントジョーンズワートです」
「聞いたことがある単語だな。たしか、留学中に住んでたアパルトマンの隣の部屋のやつが作品制作に行き詰まって気を病んで、薬としてこれを処方されてたような……」
「そちらの世界にもある植物なんですね」
ラムダは小さく驚嘆しながら、どうぞと言わんばかりにカップを手で指し示した。富岡は促されるがままカップを手に取ると、じんわりと胸の内を温めてくれるようなほっこりとした香りを楽しみながら言った。
「でも俺の国の、少なくても俺の周囲では全然聞かねえけどな。多分、ハーブティーの専門店とかに行きゃああるんだろうが……。――これ、味もカモミールっぽいのか?」
「似ていますが、カモミールよりは控えめな感じです。極度のイライラや落ち込みを和らげてリラックスさせてくれるので、眠れるようにもなるんじゃないかと。きっと、いい夢が見られるようになりますよ」
「たしかに、香りだけでももうかなり心がほぐされているような気がするよ。さて、そろそろいただきますかね――」
窓から降り注ぐ日差しを受けて優しく煌めく薄黄色の水面にニヤリと笑いかけると、富岡はカップを口元へと運んだ。口をつけるまえにスウと深く香りを吸い込んで肩の力を一段抜くと、そのままクイと控えめに含んだ。
ゴクリと飲み下すのと同時に、優しさが鼻から抜けていった。思わず、ホウと安堵の息が漏れた。頬を緩めてカップに視線を落とすと、富岡はふたくちめをたっぷりといただいた。
「あー……こりゃあたしかに、いい夢が見られそうだわ……」
ゆらゆらと昇っていく湯気をぼんやりと眺めながら、富岡はゆっくりとお茶を楽しんだ。そしてカップを口に運ぶたびに、彼の目はとろんとまどろんだ。
もうじきカップの中が空になるという辺りで、彼は追加のお茶をポットから注いだ。まだほのかに湯気が立つそれをうとうとと眺めていると、彼はその湯気がふわふわと広がっていって自分の周りを満たしたような錯覚に囚われた。湯気の向こうから細くしなやかな腕が伸びいでて、まるで優しく抱擁を求めるように広がり――
「うへへへへへへへ……。よしのさぁん……」
「うわ、なんか無性にムカつく。どんだけいい夢見てんのよ、このおっさん。ねえ、お兄ちゃん、これ、叩き起こしていいかな」
若干白目を剥いてだらしのない笑いを漏らし続ける富岡を、マアルは生ゴミバケツを見るかのような目で見下ろした。ラムダは頬を引きつらせると、残念なおっさんを不憫に見つめて言った。
「やめてやれよ……。その〈よしのさん〉とやらがきっと、富岡さんの癒やしだったんだろ。ようやく眠れたんだろうから、そっとしておいてやれよ……」
マアルは苦々しげに顔を歪めると、椅子の背もたれにもたれかかって仰け反ったような態勢のまま寝息を立てる富岡の肩に手を添えた。そのまま軽く肩を押してやると、富岡の上体がぐうと揺れ動いた。
無事に富岡が組んだ腕を枕にしてテーブルに突っ伏すのを見届けると、マアルは感心の声を上げた。
「にしても、やっぱりジェシカちゃんのお茶は効果抜群なんだねえ。私にはセントジョーンズワートに限らず、どのお茶もごく普通の〈美味しいお茶〉で、何か見えたり感じたりしたことはないけど。もしかして私、魔法を受け付けない体質なのかな?」
「それは単に、お前が心身ともに鈍感能天気だからじゃないのか」
「なにおう!? 堅牢強固と言ってよ!」
マアルが拳を振り上げラムダが盆を構えて防御態勢をとると、タイミングよく店の扉がキイと音を立てた。二人がそちらに目を向けると、エルフの女性が呆れ顔で立っていた。
「あんたたち、お客さんの前で何やってるのよ」
「あ、ジェシカちゃん、いらっしゃい。お兄ちゃんの妹扱いがひどいから、ちょっと鉄拳制裁をしようかと……」
「いやだから、お客さんの前でしょ?」
「でもトミー、今、夢の中だもん」
ジェシカは飛び上がるほど驚くと、「やだ、お客さんってトミーだったの!?」と声を潜めた。彼女は緩く編んだ三つ編みを揺らしながら小走りで二人に近づくと、ノームの兄妹と富岡とを交互に見つめてほんのりと頬を染めた。
「あら、本当にぐっすりね……。――夢の中って何で!?」
「なんかお疲れみたいだったから、お前のお茶を出したんだよ」
彼女と距離をとるように、ラムダは一歩後ずさった。
「今日は納品日じゃあなかったはずだけど。お茶しに来たのか?」
「ああうん、ちょっと気晴らしに。お茶とケーキをおまかせで」
ジェシカはテーブルに突っ伏す富岡を見つめたまま、気もそぞろという感じでそう返しながら富岡の隣の椅子にそっと腰掛けた。ラムダは適当に返事をすると、マアルの腕を掴んだ。
無理やり厨房に連行されたマアルは、強張った表情のままの兄を見上げてニヤニヤと笑った。
「お兄ちゃん、もしかして失恋ですかな?」
「馬鹿、冗談でもやめろよ。誰があんな悪魔のような女を。背筋が凍るわ」
ラムダが真っ青な顔で拒絶すると、マアルは目を細めて呆れ返った。
「幼馴染を悪魔呼ばわりって、さすがの私でもどうかと思うよ」
「ガキのころに、ノームは頑丈だからって俺を散々モルモット扱いしたあの魔術研究大好き女を、俺は幼馴染とは思いたくないし悪魔以外の何者でもないと認識している。――ていうか、お前、絶対にあいつに〈よしのさん〉の話はするなよ。絶対にやめろよな」
ラムダが詰め寄ると、マアルは不思議そうに首を傾げた。ラムダは真剣な面持ちで妹の両肩を掴むと、切実そうにポツポツと続けた。
「あいつ、曲がりなりにも国内有数の魔術師だろ? それが失恋やら嫉妬やらで魔力爆発させてみ? 俺らごと、この店吹き飛ぶから」
「いやあ、いくらなんでも、そこまで取り乱さないと思うよ? むしろ、おもしろい展開になりそうな予感がするっていうか……。ていうかさ、大好きな彼女が傷つくのが見たくないってはっきり言えば――」
「マジでやめてくれ。寒気が止まらないから。――頼むから、今はあいつにも富岡さんにも、いい夢を見ていてもらおう。な?」
イートインコーナーでは、いまだ富岡が幸せそうに寝息を立てていた。そしてその傍らでは悪魔と称されたエルフの魔術師が天使のようなほほ笑みを浮かべ、澄んだエメラルドの瞳を熱気で潤ませていた。彼女は幸せそうに目の前の異邦人を見つめながら、そっと彼の頬を撫でたのだった。