第1話 プリン(5)
客人が仰天すると、兄に代わりマアルが得意気に胸を張って説明をした。
大昔、爬鳥類はいわゆるジビエだった。石化の呪いと毒が面倒ではあったが、鶏と比べて美味であると知っていた人々は狩猟解禁期間になるとこぞって砂漠を目指したという。
だが、砂漠を保有する国はそう大して多くはない。そのため、捕れる量も限られてくる。しかしながら、どうしてもそのジューシーな鶏肉と、淡白ながら甘みのある蛇肉と、こっくりとしたとろみと独特の香ばしさを持つ卵を美味しくいただきたい。できることなら、常に。――そんなこんなで、どこの国でも爬鳥類養育プロジェクトが立ち上がったのだとか。
「うちらのお父ちゃんの世代で完全養育化できて、おかげで今、こうやって安定供給されているってわけなのよ。毒のほうは簡単に処理できるんだけど、でも石化の無効化まではできてないから、そこは品種改良中でね。だから爬鳥卵農家のみなさんは石化対策を万全に――」
「すごいな、たとえ卵でも、まさかコカトリスなんてものを食べる日が来るだなんて……」
「ちなみにね、卵黄は真っ赤で、火を通すと鮮やかなピンク色に変化するのよ。バジリスク卵のほうがねっとりとしてて生食するには最高なんだけれど、蒸し上げるとすっごく固くなっちゃってね。だからうちではコカトリス卵を使用してて。蒸す作業もすごく繊細で大変だから、お兄ちゃんは毎日鍋と――」
「マアル、もういいからお客さんにお茶かコーヒーでもサービスしてやって。さすがにプリンだけじゃ飽きるだろ」
揚々と講釈を垂れ続ける妹に、ラムダが呆れ顔で割って入った。客人はもう、マアルの話に耳を傾けてはおらず、コカトリス卵プリンに夢中になっていたからだ。ひと口ずつ噛みしめるように頬張っては幸せそうに目尻を下げる男を眺めると、マアルは嬉しいやら話を聞いてほしかったやらな複雑な表情で厨房に去っていった。そして戻ってくると、男がはらはらと泣いていた。マアルは驚いて足を止めると、お茶の乗った盆を持ったまま兄を睨みつけた。
「お兄ちゃん、一体何したのよ!」
「何で俺が何かしたって真っ先に疑うんだよ!」
「すみません。突然、こんな……。ちょっと、いろいろとこみ上げて来てしまって……」
男はスプーンを置いて涙を拭うと、マアルが差し出したお茶を口にしてひと呼吸ついた。そして小さくため息をつくと、簡単な思い出や身の上についての話をしだした。
プリンは、彼が幼いころの大切な思い出だった。何か善い行いをしたり頑張って物事に取り組んだときに、母が近所の洋菓子店でとびきり美味しいプリンをご褒美として買ってくれていたのだとか。しかし現在はいわゆる〈うだつの上がらない駄目社畜〉という評価を周囲からされているそうで、自分では懸命に仕事に励んでいるつもりでも失敗ばかり。親元から独立して家庭も持っているそうなのだが、そこでも肩身の狭い思いをしているそうだ。そしてどこにも居場所がないと感じ、いっそ死んでしまいたいとまで思い詰め、それでも仕事を全うせねばと思いフラフラと歩いていたところ、この世界にやって来てしまったという。
「あまりにもこのプリンが美味しかったので最初は無我夢中で食べていたんですけど、食べ進めているうちに母のことを思い出しまして。――さっき、『ずっと働き詰めで、こういう店に来たのも何年ぶりか分からない』って言いましたでしょう? それで『ああ、もうずっと、私はご褒美をもらえるような状態になかったんだなあ』って思ったんです」
「そんなあ……。頑張っているか否かなんて、そこから得られた結果とは関係ないものでしょう? それに、人によって〈頑張り度合いの物差し〉って違うと思うし。私の物差しでは、お客さんはかなり頑張っているほうだと思うけどなあ」
マアルが眉根を寄せると、男は苦笑いを浮かべて返した。
「ええ、私も今、このプリンのおかげでそれに気づけたんです。――もしも本当に死んでしまっていたら、こんな貴重かつ素敵な体験はできなかった。だからこのプリンは、きっとご褒美なんだ。今まで私は、ちゃんと頑張ってきていたんだって。そう思えたんです。そしたら、勝手に涙が……」
男は再びポロポロと涙を流すと、すみませんと小さく漏らしながら目元を押さえた。しばらくして、彼はノームの兄妹に感謝を述べると、残りのプリンを大切そうに食べきった。スプーンを今度こそ置いた彼の表情は来店時とは比べ物にならないほど明るく、とても晴れやかだった。
「本当に美味しかったです。ありがとうございました。――きっと、仕事も家庭も空回りしていたのは、上手くやらなきゃと思って気を張り詰めすぎていたんだと思います。もう少し肩肘張らずに、たまには自分で自分を褒めてやりながら、自分のペースで頑張ろうと思います」
「ね、私が最初に言った通り、悩みごとなんて吹っ飛んじゃったでしょう?」
マアルがニッコリと笑うと、男も笑顔でうなずき返した。しかし一転暗い顔を浮かべると、ラムダに向けて申し訳なさそうに口ごもった。
「それで、あの……お代ってどうしたらいいでしょうか? 私の持っているお金って、もちろん使えませんよね?」
「イチエンダマってやつ、持ってますか? あるなら、それでいいですよ」
「一円玉ですか!? 私の持っている貨幣の中で、一番価値の低いお金なんですけど――」
「いえ、むしろそれがいいです」
真剣に一円玉を所望されて困惑しながら、男は財布の中を確認した。しかし手のひらにあるだけ出してみたものの、そんなに枚数は持っていなかった。それでもラムダは嬉しそうで、とびきりの笑顔を浮かべる彼に数枚の一円玉をおずおず手渡すと、男は兄妹を交互に見やりながらさらに尋ねた。
「あの、私と同じ異邦人でここの常連になっている方がいらっしゃるんですよね? 私も、なれますか……?」
兄妹は嬉しそうに顔をクシャクシャに緩めると、大きく頷いて言った。
「もちろん! そう思ってくれた時点で、あなたはもう俺らの店の常連ですよ!」
「また落ち込んで元気が欲しいってときや、自分にご褒美あげたいときに、いつでも気軽にいらっしゃってくださいね! あなたが必要と感じたら、裂け目を見つけられるはずだから!」
男は嬉しそうに笑うと、次回来店時には大量の一円玉を持参すると約束して店を出ていった。
――――〈Patisserie木漏れ陽〉のパティシエ・ラムダが丹精込めて作り上げ、給仕のマアルが運んできてくれる”甘い自信”。次にその味を堪能できるのは、きっとそこのあなたかも……?