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第1話 プリン(2)

「ここ、パティスリーだったんですか」


「やだ、お客さんってば、店入ってすぐショーケースが目に入らなかった? 店中に漂う甘ったるい香りに気づかなかった?」



 マアルがギョッと目を剥くと、男は力なくため息をつきながら答えた。



「もうずっと、一息つく暇もなく働いていたもので。こういうお店に入るのも、何年ぶりだろうなあ……」


「あー、なるほど。それでこっち(・・・)に来ちゃったんですねえ」



 マアルは何気なくそう言いながらスと手を差し出した。すると、座ったままもぞもぞと上掛けを脱いでいた男が顔をこわばらせてフルフルと震えた。



「あ、上掛け、ハンガーに掛けときますよってだけなんですけど……。駄目でした?」


「そうじゃなくて! あなた、今、『それでこっち(・・・)に来ちゃった』って言ったでしょう!? 私、たしかに『もういっそ死んでしまいたい』とは思いましたけれども、そんな、死ぬようなことはしてないですよ! それとも、私は知らずのうちに死んでしまったんですか!? やっぱりここは、夢とかそういうのじゃなくて、死後の世界なん――」


「落ち着いて、落ち着いて! 死んでないし、ちゃんと帰れますから!」



 いきなり声を荒らげた男をなだめすかすと、マアルは苦笑いを浮かべた。



「この村、こことは違う別の世界と繋がりやすくてね。それでよく〈別の世界の人〉――つまり、異邦人がやって来るんだけど、お客さんのような〈悩みを抱えている人〉が多いのよ。こう、何でもないような場所に裂け目(・・・)ができてね、それがこっちとそっちを結んでて。ひと目見れば一発で『あ、これ、近づいたらいけないやつ』って気づけるんだけど、でも、お客さんみたに悩みごとで頭がいっぱいの人は気づかずに裂け目をくぐり抜けてこっちに来ちゃうみたいで」



 死んではいないということがとりあえず分かったからか、男が心なしか態度を軟化させた。その隙にマアルは上掛けを半ば奪うように受け取ると、それをハンガーに掛けながら笑って続けた。



「好奇心にかられてやって来て、そのまま常連になっている人も中にはいるけれどもね~。――まあ、お茶してる間に新しい裂け目ができるだろうから、それまでゆっくりしていってくださいな。それにね、うちのお菓子を食べたら悩み事なんて絶対に吹っ飛んじゃうから。なにせ、マアルちゃん調べによりますと〈今まで来店したドンヨリ顔の異邦人が、うちのお菓子を食べたあと、すっきり笑顔で帰っていく率〉、なんと百パーセン……あだっ!」



 スパンと音を立てて、コックコート姿の男がマアルの頭を盆ではたいた。角に髪の色、紫の瞳などはマアルと同じだったが、髪質は彼女と違ってもっとクルクルとしていた。彼はマアルのそばを通り過ぎると、客人のそばに水の入ったコップをそっと置いて笑顔で謝罪した。



「すみませんね、うちの愚妹が騒がしくして。――お前、客が来たならきちんと給仕の仕事くらいしろよ」


「してたよお! このヒューマンのお客さん、異邦人だったから『ちゃんと帰れるから安心してね』ってお話してたんだよ!」



 頬を膨らませて怒るマアルをよそに、彼女の兄は〈異邦人〉というワードに目の色を変えると居住まいを正した。



「これはこれは、お客様、大変失礼致しました。(わたくし)はこのパティスリー木漏れ陽のパティシエ、ラムダと申します。以後、お見知りおきを。我がパティスリーは、甘くて美味しいお菓子に自信を持っており――」


「お兄ちゃん、それ、もう私がやった」

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