それは仕組まれたご都合計画
「はぁ……はぁ……」
僕と入宮は、とうとうその瞬間を迎えようとしていた。高尾山展望台までの最後の階段、ここを超えれば、待ちに待った山頂である。途中、何度か休憩を入れたものの、入宮の体力は既になくなっていたようで何度もその疲労を目にしている。それでも彼女は弱音を吐くことなくここまでたどり着いた。そんな姿に、むしろここまで頑張る意味を僕は知りたくなっていた。
自由を手にする方法なら教えられる。そう言った入宮の真意も、ここを登り切ればわかるのだろう。
そしてついに。
「やっと、ついたようね」
その瞬間はやってきた。
時刻は午後五時になろうとしている。辺りは暗く、下山する人の方が多く見られた。そんな中で登頂を果たした僕らなど誰も見向きもしない。
「この時間にここへ来たのは初めてだな」
そんな言葉が自然と洩れる。そこから見える景色は、夜景とは程遠く、暗闇の中にうねる山々があるだけ。昼間なら富士山が見えるのだろうが、今はそうじゃなかった。これならば、途中にあった中間展望台からの景色の方が良いのかもしれない。そこからは八王子市の町並みが見え、ここよりも夜景らしい夜景を見せていたからだ。きっと登山客たちもそう思っているのだろう。感動に浸る間もなく休憩をしてから下山していく人たちがちらほらと見えた。それでもここに来るのには、登頂したという記録を残したいからなのかもしれない。
「それじゃあ、自由を手にする方法を教えてもらおうか。あと、一応聞いておくが、ここからの星空を見せて「天文部って素敵でしょ?」的なパターンじゃ僕は入部しないからな?」
膝に手をついて息を整える入宮に言う。彼女は、ふぅと息を吐いてから顔を上げた。
「……そんなベタなことしないわよ。それじゃあ、そこの端に立ってくれるかしら」
入宮が指さしたのは風景を一望できる柵の前。言われるがままにそこへと立つ。
「ねぇ、烏丸くんは本当の自由って何か知ってる?」
不意に、入宮はそんなことを聞いてくる。なんの脈略もない話をしだすのにはもう慣れた。これは、彼女が何かを説明するときの癖なのだろう。だから、その癖に合わせて彼女が欲した反応をそのまましてやった。
「本当の自由?」
「そう。何にも縛られず、何にも囚われない、本当の自由」
「知らないな」
「そうね。そもそも、人は生きている限り自由なんてないと思うの。命ある限り、人は常に何かに縛られている」
それに僕は慎重に頷いた。
「確かに、そうかもしれない」
「そうだと考えれば、生きているうちに自由を欲するなんて馬鹿馬鹿しいとは思わない? だって、生きていること自体が不自由なんだもの」
当然のように入宮は言った。それは、この世には自由などどこにも存在しないとでも言いたげだ。
「つまり諦めと言いたいのか? それを伝えるために、僕は山登りをさせられたのか?」
「違うわ。そんなの山登りと何も関係ないじゃない。言ったじゃない、自由になる方法を教えるって。それとこの山登りはおおいに関係ある」
「だが、生きている間は自由なんてないんだろ? それとも、ここから飛び降りて死ねとでもいうつもりか?」
それはただの冗談だった。訳の分からない言葉で濁そうとする入宮への仕返しのつもりだった。
――はずなのに。
「そうよ。本当の自由になるためには、そこから飛び降りて死ぬしかないわ」
彼女は、本気の表情でそれを肯定したのだ。
「……はぁ? お前は何を言っているんだ」
「それが答えよ。ここから飛び降りれば、死体が見つかる可能性も限りなく少ないしね?」
平然と死体などという言葉を口にする入宮に、一瞬言葉を失いかけた。
「本気か?」
「えぇ、もちろん。今のあなたが自由を手にする方法は死ぬ以外にはない。なぜだか分かる? 私たちは自由を手にするための対価を何一つ支払っていないからよ」
「対価だと?」
「いい? 私たちはまだ学生なのよ? 学生って守られた存在なの。だから全てのことが学生だからで許されてしまうし、学生ってだけで免除されてしまうこともある。つまり、学生の分際で自由が欲しいとか言っている時点でおかしな話なのよ」
まさかの手のひら返しに僕は呆れる他なかった。ここまで来ておいて、残酷な真実を淡々と説明されるとは思ってもみなかったからだ。
それでも、入宮の言いたいことはわかる。分かっていて尚、僕はそれを口にしたのだ。そして、それは僕の欲した答えではなかった。
「言いたいことはそれだけか?」
問いかけてから僕は下山への道へと歩いた。だが、入宮はその行く手を阻む。
「なんだよ、まだ何かあるのか?」
「当然でしょ? ここであなたを逃がせば、天文部には入部してもらえなくなる。もちろん、飛び降りて死んでもそれは同じことだけど」
「じゃあ、一体僕にどうして欲しいんだ? お前の言っていることは意味がわからない」
「私の言っていることは最初から一貫しているはずよ。天文部に入部してほしいって」
「だからさ……」
もう、説明するのも面倒臭くなってくる。そんな僕に、入宮は楽しげに笑う。
「もう一つ、自由を手にする方法を教えてあげるわ」
「……なんだよ。たった今、それは無いと言ったばかりじゃないか」
「そうね。でもそれは、今のあなたでは無理ということよ」
「今の僕では?」
「えぇ。学生の身で自由を欲するなんて無理だと思うわ。でも、学生を卒業すれば話は変わってくるかもしれない」
言って、入宮はニヤリと笑った。『かもしれない』。それは、とても不確かな言葉のはずなのに彼女は悠然としてその言葉通りの態度を示さない。その違和感が、心に不安という名の影を落とす。その影の正体が分からないことに、さらに不安が増し、僕は問いかけずにはいられなかった。
「何が言いたいんだ」
苛立ち混じりにそう言った時だった。不意に、高尾山の天辺から風が吹いてきて、僕と入宮を撫でた。気温も相まってか、凍えるようなその風に一瞬だけ目を瞑ってしまう。そうして瞼を開けると、そこには、寒さなどには動じず、むしろ、その風こそを待っていましたとばかりの勝ち気な瞳が、僕をまっすぐに捉えていた。その瞳こそ、僕が一瞬、屋上で目にした高慢な彼女そのもの。
「私は思うのよ。たとえ学生を卒業したところで、自由なんかないって。そこにあるのは、今度は社会人という名の不自由だって」
「さっき言った、生きている間は不自由ってやつだろ?」
「そう。でも、無いと決めつけるのも早計だと思うわ。……かつてエベレストの山頂には誰にもたどり着けないと言われていた。でも、それは不可能だと決めつけて挑戦する人がいなかったからよ」
「さっきの話の続きか……」
「エベレストの山頂にはたどり着けるの。だからきっと、誰もが羨むような自由もきっと存在するかもしれない」
「お前、さっきないと言ったよな?」
「今はね。でも、在ると信じれば在るものなのよ」
「……言ってることが滅茶苦茶だ」
「だから探すんじゃない。その自由ってやつを」
「自由を探す?」
「そう。もしも天文部に入ってくれたら、私はその手伝いをしてあげるわ。あなたがどんな自由を欲しているのかは知らないけど、それを私は全力で手助けしてあげる」
「手助けって……」
「悪くない話のはずよ。考えてもみなさい? 新しいアメリカ大陸発見を成し遂げたコロンブスは、これまで誰もしなかった航路を進んだからこそ、それを成し得たの。それは……もしかしたら偶然だったのかもしれないけれど、でもやってみければ始まりもしないことだった」
言いながら、入宮は興奮気味に拳を握る。
「そうなのよ。やってみないと結果なんてわからないの。そして、仲間は多い方が良いに決まってるわ。その仲間に成り得る存在が、今あなたの目の前にいるの」
そして、その拳から人差し指を立てて僕へと向ける。それは、最初に屋上で言葉をかけてきた入宮そのままだった。
ようやく繋がってきた。そして、そこまで理解したとき、僕は改めて呆れる他ない。
「なんだよそれ。結局のところ、入部しろってことかよ」
入宮は僕に断言した。自由などないと。だが、それを決めつけるのは早いとも言った。そして、それを一緒に探してあげるとも言ったのだ。……天文部に入部することを条件付きで。
僕の言葉に、入宮は当たり前のように肩を竦めて見せる。
「何をいまさら。私はその為にあなたをここまで連れてきたのよ? 私があなたに迫っているのは生きるか死ぬかの二選ではないわ。死んで自由になるか、生きて私と共に自由を探すかの提案なの。どちらを選んでも、あなたは自由を手にする手段を得られる。これって大サービスだとは思わない?」
「僕には、天文部に入らないなら飛び降りて死ねという脅迫にしか聞こえないんだが?」
「解釈の問題よ。後ろ向きのあなたには、そういう風にしか聞こえないのかもね?」
「言い方の問題だろ。自由を元にして生死を天秤にかけるなんて、お前は悪魔かよ」
「こんなに実のある提案をしているんだから、天使と呼んで欲しいわね。それに、こんなに可愛い悪魔がどこにいるっていうのよ」
「自分を綺麗に見せて天使を気取るやり方は悪魔だろ。いや、それか堕天使」
「堕天使……いいじゃない。堕天使は神に反逆したからこそ天界から落とされてしまったの。言ってみれば、神から自由になるために戦った者よ」
「お前にかかれば全部ポジティブかよ。結果、堕天してるんじゃ意味ないだろ」
「何かを得るためには何かを支払うか、戦わなければならない。そうでしょ?」
「お前は……」
「命を支払うか、それとも私と共に戦うか、どっち?」
もう、入宮には何を言っても無駄のように思えた。結局、僕が仕掛けた罠を入宮は入宮のやり方で逆手に取ったのだ。つまり、彼女の方が一枚上手だったということ。
認めるしかなかった。完敗だ。
「なぁ、お前は、僕を天文部に入れて何をして欲しいんだ?」
「それは天文部に入部する、という解釈でいいのかしら?」
尚もそこを突き詰めてくる彼女。ほんと、こいつは。
「……あぁ、そうだ」
そう答えた瞬間、入宮は浅い息を暗闇の中で吐いた。
「まさか、ここまでてこずらせてくれるとはね」
「それはこっちの台詞だ。まさか、ここまでの仕掛けを用意してくるとは正直思わなかった」
部員集めってこんなに大変だったっけ?
「あとから、やっぱりなしっていうのはダメだからね」
「武士に二言はない。まぁ、僕は武士じゃないけどさ」
「そう。なら、ようやく本題に入れるわね。でも、その前に――」
そう言うと、入宮はくちゅんと可愛らしいくしゃみをした。
「――一旦降りましょうか」
「異議なし」
季節はまだ春。日が暮れると急激に気温が下がる。ジャージといえど、その冷えこみは防げるものではなかった。
「でも、入ってくれてよかったわ。ようこそ、天文部へ」
入宮は優しく僕に向かって微笑む。それに、僕も同じ表情で返してやった。
ふと見上げれば、空には星が瞬いている。その光景に気付いてから、階段を降りようとする入宮に声をかけてみる。
「おい、星は見ていかなくてもいいのか? 一応天文部なんだろ?」
だが。
「星? そんなものに興味ないわ。それとも、ロマンチックな気分にさせて口説くつもり? 悪いけど私は星と同じくらい男に興味ないの。まぁ、夜空でポツンと独り瞬いてるのに共感を覚えてしまうのも無理ないけれど、それは別でやってくれないかしら」
入宮はそう吐き捨てて勝手に降りて行った。
うん。分かりきっていたことだが、どうやら彼女の所属する天文部とは、僕の知る天文部とはだいぶ違うらしい。
……ほんと、何をさせるつもりなのだろうか。
そんな不安を抱えながらも、僕は入宮に続いて階段をおりた。
作者の成長の為、忌憚のない意見をもらえると有難いです。




