くらやみ祭り
ゴールデンウィーク初日。その日の朝、入宮からきたLINEは、至極簡潔なものだった。
――午後四時に駅前集合。
午前中は、学校から出された課題を終わらせることに使い、午後からはダラダラとベッドで本を読みながら過ごす。まだまだだと思っていた約束の時間は、案外すぐにやってきて時計が三時半を越えると重い腰を上げた。
祭りらしくもない、むしろ近くのコンビニに行くような格好で部屋を出る。別に問題はないだろう。なにせ、祭りを楽しむなではなく、ただのボディガードなのだから。というか、これで気合いの入った格好で行けば馬鹿にされるのは目に見えている。あれだけ拒否していた奴が、なんて様だと。
だからこそ、ラフな格好は敢えてだった。
駅前は、普段と比べ物にならないくらいに人がいた。みんな、くらやみ祭りを楽しむために来ているのだろう。普段の風景を知っている僕から見れば、どこにこんなにもたくさんの人がいたのだろうと不思議にさえ思えてくる。
約束の時間にはまだ少しあった。早くくるのは気合いが入っているようで何となく避けたかったのだが、入宮の予測通りまたナンパなんかされていたら敵わない。故に、少し早くくるしかなかったのだ。
そんな僕の目の前に、予想外の人物が声をかけてきた。
「烏丸くんみっーけ!」
その声の方に振り返る。すると、頬に何かがつっかえた。
「あははっ、引っ掛かった」
「……葉加瀬」
そこにいたのは、僕の頬に指を突き刺しイ、タズラっぽく笑う葉加瀬瑠璃だった。
「あんでお前がここに」
「えっ? なに言ってるかわからないよ」
言いながらケラケラと笑う葉加瀬の指を無理やり振り払ってもう一度問い直す。
「……なんでお前がここに?」
すると、葉加瀬はわざとらしく考える素振りを見せ「何故でしょう?」と問いかけてくる。
疑問に対して疑問で返すのはご法度だ。何故なら、かなりムカつくからである。だが、この時の葉加瀬の姿は、その怒りを鎮めてしまうほどの威力を持っていた。
淡い黄色に紺の花柄が咲き誇る浴衣。腰の帯も鮮やかな紺色で、浴衣とよくマッチしていた。下駄と片手に持つ巾着は黒だが、その姿はいつもの葉加瀬ではなかった。特にそれを印象づけているのは、髪を結っていること。その髪留めは葉っぱの形をしており、いつもは隠れている細いうなじが白日のもとに晒されていた。
その姿が、ムカつく仕草さえも魅力的な一面として見えてしまうからこそ、怒りが込み上げてくることもない。むしろ、その変化ぶりには天晴れという他なかった。
「化け学はピカ一か」
「ポンポコッ!」
「ぶべっ!」
思わず出てきた感想に、葉加瀬は人差し指をグーに変えて、かの有名な狸語で今度は強めにトォッ! と僕の頬を殴り付けた。
「出てきた一言目がそれ? 似合ってるとか、可愛いとかの感想はないの?」
「いや、僕の中では褒めたつもりなんだが」
「褒め方下手くそ過ぎじゃない? そのせいで私も下手くそなツッコミしちゃったじゃん!」
「いや、今のはかなり秀逸な突っ込みだぞ? さてはお前、あの作品を見尽くしているな?」
「……うぅ。咄嗟に出てきた言葉だから否定できない。というか、今になって恥ずかしくなってきた」
言って頭を抱えだす葉加瀬。何故恥ずかしがるのだろうか? 駅前でダンスを踊る方がよっぽど恥ずかしいと思うのだが。
「っていうか! 私がここにいる理由!」
「あぁ……祭り好きだもんな。タヌ――」
「だから毛玉と一緒にすんなっ!」
「ふべっ!」
二度目のげんこつ。その威力は絶大で、彼女の生まれはげんこつ山なのではないかと疑ってしまう。だが、殴られた衝撃か、寸でで思い出した。あぁ、こいつ空手やってんだ、と。
……どうやら、僕は葉加瀬の妖艶な姿に気を当てられていたらしい。そのせいでテンションが上がってしまい、思ってもないことを口走ってしまったようだ。
恐るべし葉加瀬瑠璃。
そんな葉加瀬は、ため息を吐いてから答えを口にする。
「入宮さんに頼まれたの。一緒に祭りを見ようって」
「入宮が……?」
「うん。っていうか、烏丸くんもそうなんでしょ?」
「……まぁ、そんなところだ」
頼まれたのは、ボディガードだけどな。
「この前、私がくらやみ祭りの事を言ったら乗り気じゃなかったくせに、入宮さんが言ったら来るんだ?」
「違うぞ。僕は自分から来たわけじゃない。来させられたんだ」
「……それって一緒じゃん」
「いやいや、全然違うじゃん。というか考えてもみろ。普段クラスでの僕を知っているお前なら、分かるはずだ。女の子に誘われたくらいでホイホイと祭りに僕がやってくると思うか?」
「うっ……なんか悲しいけど、それは説得力あるかも」
「だろ? 僕は他の奴等と何かを楽しむことはしない主義なんだ」
「なんでだろ……すごく悲しくなってきた。その誇らしげな姿が余計に悲しさを助長させてるし」
「だから、僕は間違っても祭りを楽しみに来たわけじゃない。これは入宮の陰謀なんだよ」
そう言って、必死に葉加瀬を説得している最中だった。
「本人のいないところで陰口なんて、やっぱりあなたって最悪ね」
そ、その声は。
まさにバッドタイミング。ゆっくりと振り返ると、そこには入宮きねりが――。
「……いや、お前誰だよ」
そこにいたのは、桃色の浴衣を身に纏う、美少女だった。
「開口一番失礼ね……あと、眉に唾を塗ってるのは、どういうことなの?」
「……いや、これはトンチでも利かせようかと思って」
「じゃあ、そのトンチで私を褒めてみなさい」
「……くそっ。この難題には答えがないっ」
「諦めるの早すぎるでしょ……この男は褒めることもできないの?」
「そーそー。それ、私も思った!」
言ってヒョイと葉加瀬が入宮に近づく。
「っていうか入宮さん綺麗過ぎじゃない? 女の私でも嫉妬ものだよ」
「あら、葉加瀬さんもとても似合ってるわよ? 私が言うんだから間違いないわ」
「えぇ~そうかな~」
「そうよ。自信持ちなさい」
「なんか、今の入宮さんに言われると根拠なくても自信持っちゃうなぁ」
そして急に始まった褒めあいっこ。なんなんだこれは。僕は一体何を見せられているんだ……。
「「それに比べて……はぁ」」
そして重なる僕への批判。なんなんだ、この仲良しこよしは。こいつら、一体いつの間に仲良くなったのか。この前まで喧嘩してませんでした? 君たち。
だが、できない男と思われるのも癪なため、コッホンと咳払いをしてから二人を見やる。
「……まぁ、似合ってる、ぞ……かなり」
だが、いざ目にすると気恥ずかしさで言葉が拙い。それに、案の定二人は爆笑した。
「なんでカタコトなの……日本語ちゃんと喋ってよ……ぷくくっ」
「やめなさいよ……ホントに……今の倒置法でも言い訳効かないわよ? ……くひひっ」
笑われた。しかも、葉加瀬にまで。
そのせいか、少量だった気恥ずかしさが、一気に全身を駆け巡った。
「まぁ……期待はしていなかったけれど……していなかったけれど……くひっ」
「……そだね。まさか照れながらなんて……ツンデレじゃん……ぷくくっ」
笑い過ぎだろ。そして、笑われ過ぎだろ。
冷や水を浴びせられたように、それまで昂っていた感情が一気に冷める。どうやら、今度は入宮の妖気に当てられていたらしい。こいつらどんだけ妖力秘めてるんだ。僕がこれまで上げてきた法力をズタズタにするとは、レベル高過ぎだろ。
……とはいえ、笑い合う入宮と葉加瀬は、その辺を歩く浴衣姿の女性たちと比べても、一切引けを取っていない。むしろ、余裕で勝っているようにも思える。それが若さのせいなのか、彼女たち自信の魅力なのかは僕には分からないが、確かに二人は可憐な花のようだった。
そんな彼女たちの魅力に他の者たちが気づかないはずはなく、「……レベル高くね?」「……どこの子?」等と興味津々の囁きが聞こえてくる。
あまりここで長居しない方がいいな……。そう思ったのは、ボディガードとしての考えではない。二人と一緒にいれば、買う必要のない嫉妬心を買うことになると思ったからだ。いわば自衛本能。
「そろそろ行こう」
そう言って二人を先導する。それに、笑いを堪えながらついてくる二人。
「行こうだって……今さら格好つけてる……ぷくくっ」
「止めてあげなさいよ……そろそろ可哀想になったきたわ……くひひっ」
……言っとけ。
下駄の音が軽快についてくる。それは、まるで楽しげな彼女たちの祭り囃子のようでもあった。人混みにはウンザリだったが、何故かその音がそういった感情を掻き消していく。
大國玉神社の鳥居に近づいていくと、本当の祭り囃子が聞こえ始め、意識は神社へと吸い込まれていくかのよう。それでも、後ろには二人の存在を確かに感じ、歩く歩調は、笛や太鼓に混じる下駄の音を捜していた。
何となくだが、この状況を楽しく感じている自分がいることに気づく。何をしたわけでもない、何を見たわけでもない、なのに、心が踊ることを抑えられない。
ふと、これが充実感なのだろうか? と思った。このざわつきが、それなのだろうか?
正直分からなかった。充実感など、感じたことがないのだから。
だが、その心地よい感覚には、身を任せても良いのかもしれないと思わせる。そうすることが、何故だかこの場に於いての正解のように思えた。
そして、そう思ってしまったなら最後。それは僕だけじゃなく、彼女たちもまた、そうだったに違いない。
祭りには、様々な催し物がある。食べ歩き、金魚すくい、射的、そして花火。
それらを一つ一つ描写していくことはない。それら全てが、一つの火照ったうねりとなって、喜びの時間に保管されていくからだ。だからこそ、時間とは早いものだと感じるのだろう。それは、寝ている間に見る夢に似ていた。思い出すとあっという間のくせに、感情だけは長旅を終えたような。
そして、気がつくと目が覚めているのだ。
――時刻は午後七時半。我に返ったのは、本日最後の花火が打ち上がった後のことだった。




