98話
【魔法学校、とりあえず復旧】
運動場地下の拡張工事は順調に進んで、その翌日には全ての生徒と先生、それに校長を含めた事務職員の個室が完成していた。教室も全て〔修復〕されて、新たな緊急脱出用の階段や〔テレポート〕魔法陣、それに避難シェルターが多数設置されている。
使用されるエネルギー源は、魔力サーバー由来の魔力ではなくなり電気になった。運動場を含む学校の敷地全面に、ノーム先生作成の大地の精霊魔法を使用した、巨大な太陽光発電膜が描かれている。
これは、ヒドラの越冬洞窟の前に描かれている仕組みと同じで、太陽光を電気に〔変換〕する。魔法の膜は地面に描かれているわけではないので、前回のような騒動が起きても破壊されない利点がある。
今回の場合は、大深度地下の妖精も少し関わってくれたようで、さらに丈夫に仕上がっているようだ。精霊魔法なので、魔力サーバーに依存しない方式に変わった事になる。
そのせいか、珍しくノーム先生がドヤ顔をしている。
「夜間でも素粒子のミュオンが降り注いでいるから、それを捕えての発電もしているよ。さすがに昼間ほどの発電量には届かないけれどね。実質、24時間発電だな。ノーム社会でも、ここまで徹底した事例は少ないぞ」
ミュオンについてはミンタも少し関わっているようで、ノーム先生に負けず劣らずのドヤ顔をしている。
「木星で加速したミュオンを、ここへ〔テレポート〕して送りつける事も実験中よ。学校へ届いたミュオンを光子に〔変換〕して、それをさらに電子に〔変換〕するから、結構面倒だけどね。でも木星を発電所にできるから、夜間でも電気は使い放題になると思うわっ」
魔法工学が得意なペルは、少し微妙な表情ながらも、それでも微笑んでミンタの自慢話と計画を聞いている。
「うん。私も応援するよ、ミンタちゃん」
大地の精霊魔法による膜状の太陽光発電システムは、実際の太陽光発電パネルではない。例えれば、〔テレポート〕用魔法陣で発電するようなものだ。魔法場汚染が多少なりとも発生する事になる。
(その掃除にシャドウを使うことになるのかな……)と想定するペルである。多分、その通りになるだろう。
ヒドラの洞窟でもそうだが、電気は魔法と親和性が高いので、様々な魔法へ〔変換〕する事が可能だ。しかし、さすがに死霊術と闇の精霊魔法だけは、〔変換〕効率が絶望的なまでに悪いが。
一応、学生の寮に相当する地下区画は男女別になり、さらに学年別にも区画分けがされていた。
ペルの個室は、地下2階の女子寮区画で、広さは以前の寄宿舎の個室よりも若干広めになっている。簡易ベットと机と棚、それにイスが備えつけられている非常に簡素なつくりだ。床面には小さな物置もあり、天井には換気と魔法場汚染の防止のための排気ダクトがついている。電気駆動のようだが、ほとんど音がしない。
窓は当然ながら無いが、壁の一部がディスプレー画面になっていて、外の景色が任意で選択表示できるようになっていた。
ペルの場合は、故郷の村の田畑と森のリアルタイム映像にしている。時折、家族や友人が農作業や買い物をしに姿を見せるので、かなり気に入っている様子だ。その映像には音声伝達機能は付いていないので、親や友人に声を掛けることができないのは不満点であるが。
早速、授業の準備をカバンや〔結界ビン〕の中に収めて、部屋から出るペルである。右隣の個室がちょうどミンタの部屋なのだが、ミンタもその数秒後に部屋から出てきた。すぐにペルと目が合って微笑む。
「おはよう、ペルちゃん」
ペルも微笑んで挨拶を返す。
「うん、おはよう、ミンタちゃん。今日はこれから木星?」
ミンタがうなずいて、金色の毛が交じる尻尾を優雅に振った。
「うん。衛星のイオにちょっとした〔結界〕を作ったのよ。そこで生命の古代語魔法の講義。攻撃魔法とか無いから、ちょっと退屈だけどね。昼休みには戻って来るわよ」
ペルが薄墨色の瞳を輝かせて両耳と尻尾を振る。こちらは優雅さとは縁遠い動きだ。
「すごいね。私は、これから招造術の選択授業だよ」
その時、ミンタの表情がいきなり険しくなったので背後を振り向いた。果たして、予想通りの人がペルの後ろの個室から出てきた。ミンタが表情を変えずに、ラヤンに挨拶する。
「おはようございます、ラヤン先輩。先輩の癖に1年生の区画とか、素敵ですね。これから何の授業ですか?」
ラヤンの個室は、ペルの左隣になっていた。どう考えても、これは誰かの差し金である。
ラヤンが紺色の瞳を細めてペルに挨拶してから、その背後でジト目になっているミンタにジト目で挨拶した。ついでに尻尾で床を数回叩く。
「おはよう。私はこれからソーサラー魔術の選択授業よ。あら、ごきげんよう学校主席さん。木星通いお疲れさま。がんばってオーロラの色を変える『大道芸』魔法に励んでちょうだい」
やたらトゲトゲしい言い方を受けて、ミンタの頭と尻尾のフワフワ毛皮が逆立って、巻き毛が大量に発生してくる。しかし、怒りの表情ながらも笑顔で答えるミンタであった。
「あら、これはご丁寧にどうも。ソーサラー魔術なんて、私が小学生の時に修得しているので、すごくすごく簡単ですよ。こんなのに手こずる生徒って、リーパット党くらいのものでしょうね。で、いつ入党するんです?」
「あ!?」
「あ!?」
ラヤンとミンタが睨み合った。いきなり一触即発の空気に変わったので、慌ててペルが2人の顔の間に割って入って両手を広げる。
「ちょ、ちょっと待って。これから授業だよおっ。そういうのは放課後にやろうよ、ねっ」
ペルがなだめて2人を落ち着かせる。ラヤンがジト目のままで、逆立った頭や尻尾のウロコを元の滑らかな状態に戻していく。
「ペル。1つ誤解しているわよ。私はミンタさんと友達なの。ケンカなんかしないわよ」
ミンタもジト目のままで「コホン」と咳払いをする。
「そうよ、ペルちゃん。ラヤン先輩は素敵な人よ。ケンカなんかする訳ないでしょ」
今度はペルがジト目になった。(このトカゲと狐は……)つまり、ケンカ以外の手段なら喜んでとるという意思表示である。
他の生徒たちも、このバトルを見物しに集まっていたが……何も起きずガッカリしている。そのまま、そそくさと授業の教室へ小走りで散り去っていった。生徒の流れが再び起きる中、ミンタとラヤンもそれぞれの場所へ向かうようだ。
まずラヤンがペルとミンタに背を向けた。尻尾の先を器用にクルリと曲げる。
「じゃあ、私はここで」
ミンタも〔テレポート〕魔法陣を足元に発生させる。
「じゃ、後でね、ペルちゃん」
そのまま〔テレポート〕して姿が消えた。
あっという間に1人取り残されるペルである。ちょっとイライラしたようで、両耳と尻尾がパタパタしている。
「……ったくもう」
そして、ペルも招造術の教室へ急いで走り出して、教室移動する生徒たちの流れに加わっていった。
【招造術のクラス】
程なくして、招造術のスカル・ナジス先生の授業が始まった。
相変わらずの白衣風ジャケットをだらしなく羽織っていて、長そでシャツにジーンズのようなズボン、足元はゴム長のような靴である。背中を少し丸めていて、褐色で焦げ土色の髪が肩先で適当に揺れている。
髪も顔も相変わらず手入れをしていないようで、荒れ放題だ。さすがに獣人族は嗅覚が鋭いので、風呂かシャワーで清潔にしているようだが、見た目はこんな感じだ。
以前と変化した点は、ヘラヘラ笑いが少なくなった程度だろうか。恐らくは、仕事という名の雑務が増えているせいだろう。細い紺色の瞳には、疲れの色がにじみ出ている。
切れ毛と枝毛だらけのボサボサ髪を適当に目の辺りから払いのけて、ナジス先生が教壇の上から黒板型ディスプレー画面に簡易杖を向けた。学校の地図が表示されて、その外周を覆っている広大な亜熱帯林の中にいくつか赤点がついている。
先生が鼻をすすり上げて、赤い点を上目遣いで見上げた。いつもの、授業前の導入話である。
「ずず」
「えー……昨晩から、学校の警戒システムが再稼働しましたが、ずず」
「やはり、盗賊団がいくつか来ていましたね。ずず」
「結構、ギリギリで間に合ったという事ですかね」
生徒たちが静かにざわめく中で、ペルも隣の竜族の学生と小声で話し合った。その竜族の女子学生が、ペルに紺色の瞳を向けてささやく。
「やっぱり来ていたのね。学生有志の自警団の警戒網には引っかからなかったんだけど、プロの盗賊かな、ペルさん、どう思う?」
ペルが少し恐縮しながらも、薄墨色の瞳を向けて答える。
「そうですね……パリー先生が庇護する森の住人が手引きしているのかも。森の外から侵入しただけだったら、パリー先生がすぐに〔察知〕するはずですよ。私もシャドウを定期巡回して森の中を飛ばしていますけど、こんなに盗賊団が潜んでいるとは思ってなかったです」
そう言いながらも、(パリー先生が面白がって誘い込んだのだろうな……)と確信しているペルであった。何しろ、前科が多すぎる。それに多分、この盗賊団と表示されている連中の内、半数くらいはエルフ先生への挑戦を申し込みにやって来た『力自慢』だろう。
竜族の女子学生が素直にうなずいた。さらに周囲の学生も聞いていたようで、軽くうなずいている。
「そうなんだ。シャドウでも見つけられない事があるのね。さすがはプロの盗賊団だわ」
赤い点のいくつかが撤退し始めた。別の赤い点では、様々な熱源反応や魔法場が〔検知〕されている。それを、上目遣いのままで見上げているナジス先生が、白衣風ジャケットのポケットに両手を突っ込んだ。
「警戒システムとの交戦を始めた連中が出ているね。ずず」
「まあ、私が作ったゴーレム隊に勝てるとは思わないけれど。ずず」
実際その通りになった。2分間ほど、ナジス先生が配備していたゴーレム群と交戦していた盗賊団だったが……足早に撤退していく。
鼻をすすり上げたナジス先生が、警戒システムの稼働状況とマップを黒板型ディスプレー画面から消去する。
「……さて、このように、ずず」
「攻撃性の高い連中がいるわけですが、ずず」
「これには理由があります」
そうして、ナジス先生が黒板型ディスプレー画面に分子模型をいくつか表示した。これはウィザード文字ではなくて、本物の分子模型だ。
もちろん、ウィザード語での説明文や関連情報も表示されているので、一見すると、分子模型だらけになっているように見える。ペルにもその分子模型は馴染みがあった。
隣の竜族の女子学生が、ペルと周囲の生徒たち数人にささやく。
「グルタミン酸の模型よね、あれって。分子装飾が何パターンか付いているけど」
ペルがうなずくと同時に、ナジス先生が猫背のまま口を歪めて微笑んだ。短いゴム長靴が教壇の床を踏みつけて、「キュッ」と鳴る。
「神経系が分泌する興奮性の神経伝達物質の1つ、グルタミン酸様分子ですね。ずず」
「特にオスで顕著に作用するのですが、ずず」
「神経系でこれらの入力が増えると、攻撃行動が促進されます」
そして、生徒たちに細い紺色の瞳を向けて、意味深にニヤニヤした。
「これは種族によって起きやすさが異なるのですよ。ずず」
「最も起きにくいのは、僕のような魔法使いですね。ずず」
「次いでエルフやノーム、ドワーフなどの亜人種となります。だからこそ、彼らは精神の精霊魔法に頼る羽目になっていますね、ずず」
選択科目の時間なので、教室内にはエルフ先生やノーム先生の専門クラスの生徒も数名いる。
普通であれば、彼らが猛抗議する場面だが……ナジス先生の性格は『こういうもの』だと共通認識されているようだ。そのおかげか、特に激しい抗議にはならずに済んだ。
ペルもほっとしている。とりあえず、「力場術のタンカップ先生や、ソーサラー魔術のバワンメラ先生の性格はどうなのか」という質問はしない事にした。
ナジス先生が数回鼻をすすり上げてから、話を続けた。声の調子は全く変わっていない。
「亜人種よりも興奮しやすいのが、君たち、獣人族なんですよ。ずず」
「その中でも社会性が低く原獣人族に近い種ほど暴れやすいのです。この狼族や牛族などがそうですね。ずず」
「原獣人族も、普通の獣に近い種ほど凶暴です。これについては異論ないでしょう。ずず」
「君たちが魔法文明を取り入れた大きな理由の1つが、これの制御という話です」
愉快な話ではないので、生徒たち全員が不満そうな表情をしている。しかし、特に反論は出ていない。ナジス先生がニヤニヤ笑いを口元に浮かべながら、話を進める。
「この原因ですが、治療は困難です。ずず」
「脳内で快楽を感じる物質であるドーパミンが、この攻撃行動の報酬として分泌されます。ずず」
「その一連の回路が形成されているのですよ。まあ、一種の薬物中毒患者みたいなものですね。ずず」
「通常の医療では改善が困難ですので、ずず」
「魔法に頼るのは正しい判断だと言えます」
教室内の生徒たちが、静かにザワザワしている。その空気に従って、ペルも鼻先のヒゲが数本不規則にクルクル回っている。
(『こういう性格』じゃなければ、もっと受講者数も増えるのにな。それと、鼻炎を治すとか)
ペルがそう思うほどに、教室内の雰囲気が悪化してしまっていた。さすがに抗議したり暴れたりするジャディのような生徒はいないが。
ナジス先生が真面目な表情に戻った。分子模型をいくつか簡易杖で指し示す。
「先日、学校から逃亡したタコですが、これは分類上では獣になります。ずず」
「神経系や再生能力などが大幅に強化されていますが、獣は獣ですね。ずず」
「化け物と言った方が良いかも知れないかな。何しろタコには心臓が3つもあるし、骨もありません。ずず」
「遺伝子ですら、全体の半分ほどが染色体の上を自由に動き回っている有様です」
人や獣人とそこまで違うために『意味のない実験動物』として認められていたのだが、こうして逃げられてしまうと厄介な相手になるものだ。ペルも、仕留める機会があったのにそれを逃してしまった事を、今では少しだけ後悔している。
ナジス先生が鼻を数回ほどすすり上げた。
「今後は、現地で調達した生物素材を基にした『合成生物』による実習になります。良かったですね君たち。これで僕もまともな授業を行う事ができます」
合成生物というのは、複数の生物の細胞や、遺伝情報を組み合わせて製造する人造の生物の事だ。俗に言う『キメラ』である。
「しかし、扱う事が許されるのは、下等生物だけですよ。ずず」
「やはり、我々と遺伝子が異なる度合いの大きな種になります。ずず」
「哺乳類や鳥類、爬虫類は当然却下です。カエルや魚も無理ですね。ずず」
予想通りなので、特に落胆はしていない生徒たちだが、それでも学習意欲はかなり下がってしまった。ペルの周囲の生徒たちも、ジト目気味になっている。
(選択科目の生徒でこれなのだから、専門クラス生徒の心境はやるせないだろうなあ……)と気の毒に思うペルであった。
その連想のついでに、この専門クラスの級長である竜族のレタック・クレタ2年生の顔が頭に浮かぶ。瑠璃色の強い瞳と、渋柿色の少し荒いウロコで覆われた頭と尻尾が、ペルの印象に残っている。言葉は丁寧だが傲慢な感じがあって、何度かペルも彼に鼻で笑われた覚えがある。
元バントゥ党の幹部だったのだが、今では大人しくしていて目立っていない。それは、同じく幹部だった魔法工学のベルディリ級長と、幻導術のウースス級長もだった。(肩身が狭いのだろうなあ……)と想像する。
もう1回だけ鼻をすすり上げてから、ナジス先生が黒板型ディスプレー画面に、素材対象となる生物のイラストを次々に表示した。同時に、ペルの隣の竜族の女子生徒がジト目のまま口を尖らせていく。
「なんだ、虫ばかりじゃない」
彼女の周りの生徒たちも、同じような感想を漏らしている。ペルも1つ、ため息をついた。
黒板型ディスプレー画面に表示されているのは、昆虫、クモやダニ、ムカデやヤスデ、ミミズや線虫、ナメクジにカイガラムシ、菌類に植物全般であった。
線虫の中には、ヒトや獣人族と共通する遺伝子を多く有する種類もあるのだが、それはちゃっかりと除外されている。
ナジス先生がニヤニヤ笑いを口元に浮かべて、ガッカリしている生徒たちに告げる。
「ずず」
「では早速だが実習にしましょう。素材集めです。ずず」
「僕が事前調査した結果、ずず」
「パリー先生の管理外の森に、異変が多発している場所を発見しました。ずず」
「その場所であれば、面白い素材を収集できるでしょう。ずず」
「森の中なので、泥汚れなどに対応した〔防御障壁〕を準備しておくように。ずず」
(異変が多発している森……?)
嫌な予感がするペル。
パリーが管理庇護している森はミンタたちと協力して、ペルも残留思念や死霊術場の『掃除』を継続している。その際にシャドウを通じて森の中の状況も調査しているのだが、異変が起きている場所はなかった。
(……タカパ帝国って広いから、そんな場所も出来ちゃうのかな。でも、パリー先生が管理している、この森でなくて良かった。またパリー先生が怒って暴れ出すところだったかも)
ペルたちが虫よけと、泥汚れ防止の〔防御障壁〕の術式を確認して、全員がそれぞれ起動した。それを満足そうな表情で見るナジス先生だ。
「よろしい。ずず」
「では、〔テレポート〕魔法陣を使って、現地へ向かいましょう。ずず」
【異変の森で素材集め】
ペルが〔テレポート〕した先は、かなり内陸の森の中だった。一目で全てを理解するペルである。
「ここって、亡くなったナウアケ卿さんと戦った森だ……」
森の様子は一変していた。
故ナウアケが人や荷物を保管していた巨大なドーム型の施設は、基礎を含めて完全に撤去されていた。もうどこにも痕跡が残っていない。
ドームがあった場所も、今では森に変貌を遂げている。さすがは森の妖精の魔力というところなのだろう。ただ、さすがに事件から半年も経過していないので、幼木や若い木が多い。樹高もまだ数メートルといった段階だ。
日差しが多く差し込むせいか、若木をツタや背の高い草が覆っている。
しかし、急激に草木が茂ってしまったせいで、木々の密度が酷く高くなってしまっていた。狭い場所にたくさんの草木が生えてきたので、モヤシのようにひょろ長いものばかりだ。当然、根の張りや枝の張り、葉の量も乏しくなり、栄養不足に陥っている。
田舎育ちのペルが木々を見回して、少し首をかしげている。
(……でも、これから『自然の間引き』が始まるから、数年後には普通の森になりそうだな)
ペルがツタの葉を手に取って、葉の裏を見る。100匹もの小さなダニや虫の幼虫がいて、せっせと汁を吸ったり葉を食べたりしている。カビやウイルス性の病気も幼木や草に広がっているようだ。
自然淘汰が始まっていると見て良いだろう。枯れ始めた幼木や、若木、草もあちらこちらに見える。
(前に、残留思念や死霊術場の『掃除』に来たけど、それが終わってからは御無沙汰だったなあ……こうなっちゃうのか。ついでに間引きもやっておけば良かったかな)
以前に『掃除』をしたおかげで死霊術場や残留思念は多くない。今は、平常値と呼んで差支えない。
草やトゲのあるイバラを含めたツタが、密生した幼木だらけの森の中で茂っている。そのため結局、先生を含めた生徒全員が〔浮遊〕魔術を使って、上空6メートルほどの空間に移動した。
白衣風ジャケットの裾を森の風にパタパタさせながら、両手をポケットに突っ込んだナジス先生が、肩をすくめている。手入れが全くされていないボサボサ髪でなければ、ちょっとカッコイイ姿に見えた……かも知れない。
「学校から離れた場所という事もあるのでしょうが、雑な復旧ですね。ずず」
「森の代弁者と自任するエルフ族ですら、この有様です。ずず」
ペルが再び首をかしげた。上空5メートルの枝の上に両足を下ろす。こうして見ると、ドーム型の施設跡地だけが樹高が低い。闇魔法場の影響だろう。
(エルフは、ここの森の妖精さんに嫌われているから……入れないはずだけどな。公式発表では、エルフが後片付けをした事になってるのか……)
さすがに、エルフ先生のクラスから来ている数名の生徒たちも、この病虫害だらけのモヤシ森を眼下にしてはゴニョゴニョと文句を言うだけだ。ノーム先生のクラスの生徒たちは、今はナジス先生側についていて呆れた顔をしている。
ナジス先生が少し得意気になったようで、猫背が少しだけ伸びた。
「光を強く与え過ぎたのですよ。ずず」
「招造術では基礎知識なのですがね」
光合成は、植物が育つために必要である。しかし、これは同時に危険性をはらんでいるものなのだ。
植物が光合成を行った際に光エネルギーが余ると、植物体内の酸素と反応して『活性酸素』が発生する。通常は、酵素や抗酸化物質の活躍で活性酸素が消去される。しかし、活性酸素の発生量が多すぎると消去し切れなくなって、有害な作用を植物にもたらす。
この場合は、葉緑体の内部構造を分解してしまい、植物にとって非常に有害な『活性分子』が発生してしまう。これが大量に発生すると、植物の呼吸が障害を受ける事になる。結果として、植物が充分な呼吸をする事ができなくなり、育ちが悪くなったり枯れたりしてしまう。
「植物の種類に応じて、最適な『光の波長』と『光強度』は違います。ずず」
「それを無視して一律で対処したので、このような荒れ地になってしまったのですね」
「なるほどなあ……」とペルが上空6メートルで浮かびながら、腕組みをしてうなずいている。
芽生えた草木の生育を促進するために、光の精霊魔法を使ったのだろう。森への出入り禁止のエルフではないので、恐らくは帝国軍の部隊かもしれない。森について詳しくないので、(マニュアル通りに魔法を使用してしまい、最適化していなかったんだろうな……)と思う。
(町や村からも遠く離れた森だし、自然林経営の知識と経験がない人じゃ、森の世話は難しいよね。それはそうと、この光の精霊魔法の使い方は、故郷の村の農地や果樹園にも応用できるかも)
ペルがそんな事を考えながら、木の枝の上で軽く跳ねている。他の生徒たちも似たような事をしているようだ。
先生がゆっくりと8の字にモヤシ森の上空を旋回しながら、話を続けた。〔飛行〕すると、この白衣風ジャケットもそれなりに見栄えがする。
「そういう訳で、この場所は強力な光の精霊魔法が長期間使用されました。ずず」
「結果として、土地や植物、動物や微生物に、大きな負荷がかかったのですね。ずず」
「それは枯れたり抑圧されたりする一方で、抵抗性や新たな性質の獲得にもつながります。ずず」
「ここは、そのような生物が多くいる場所なのですよ」
生徒たちが簡易杖を使って〔探知〕魔法で色々と調べてみる。すると、昆虫でも多くの種で光による活性酸素の被害を受けて、幼虫やサナギから脱皮して成虫にならない事態が生じていた。
それは、エルフ先生が行ったような、青色領域の光を照射することで昆虫を殺す方法ではない。白色光で起きていた事に、少なからず驚いている10人ほどの精霊魔法専門クラスの生徒たちだ。
一般に、昆虫が幼虫からサナギ、サナギから成虫へ脱皮するためには、前胸腺で専用の脱皮ホルモンを生合成する必要がある。これを管理する遺伝子があり、活性酸素や酵素などでこれが破壊されたり機能を阻害されたりすると、成虫になる事ができなくなる。
その一方で、数を増やしている昆虫の種類もあった。『耐性』を獲得したのだ。これも生徒たちが調べてみると、どうやら昆虫に共生している微生物が変化したせいだと分かった。
人間の大腸に多くの微生物が棲みついているように、昆虫にも微生物が棲みついている。昆虫の場合は、人間よりもはるかに長い期間この世界で生き抜いているので、棲みついている微生物も昆虫の成長に不可欠なまでに深く関わっている種類が多い。
人間の細胞にはミトコンドリアと呼ばれるエネルギー生産工場のような器官があるが、これは元々は寄生した微生物の成れの果てだ。これに近い状態になっている微生物が、昆虫の体内にもいる。
一般的な形態はこうである。昆虫の親が産卵した際に、親の腸から細菌を含んだ分泌物を出して、卵の表面に塗りつける。卵から孵化した幼虫が、その分泌物を摂取することで体内へ取り込むという形だ。
「この分泌物を殺菌すると、幼虫は成長できなくなって死ぬ事になります。ずず」
「そして、この共生細菌は、温帯よりも亜熱帯、熱帯の環境の方が種類が多いのですよ。ずず」
微生物を〔解析〕している生徒たちの間をナジス先生が飛び回って、作業の支援をしながら話す。
採集した昆虫の腸内細菌を、簡易杖を使って昆虫を殺さずに見ている。杖の先を生きている昆虫の腹部に当てて、〔空中ディスプレー〕画面に別窓で表示される顕微鏡映像をリアルタイムで追っている形だ。
微生物の映像なので、透明の球体や筒状の形の細胞群が大量に、腸の『ぜん動運動』に乗って動いていく様子が見える。〔分析〕結果が、逐次ウィザード語で表示されていく。
ペルはこういった魔法工学系が得意なので、珍しく率先してやっていた。その表情に、ちょっとした驚きの色が浮かぶ。
「あ、あの。ナジス先生……この共生細菌って、もしかしてキジラミ由来ですか?」
ニヤリと口元を大きく歪めて微笑むナジス先生。
「そういう事ですね。アンデッド先生の教え子クン」
昆虫に共生する細菌は、一種類の昆虫だけに感染する種類が多いのだが、亜熱帯や熱帯では違ってくる。他の近縁の昆虫にも感染する共生細菌がいる。
昆虫が産卵する環境は、だいたい似たような場所なので、卵が接触する事が多い。それに、親が死んだりすると、腸内の内容物が環境に放出されたりもする。
今回は、この場所に生息していたキジラミの腸内に共生していた細菌が、ナウアケ騒動による死霊術場の暴風を浴びて変異を起こしていた。
森の木々が大量に消滅してしまい『過大なストレス』を受けた共生細菌が変異し、近隣の草食性のダニやクモなどに感染を開始したのである。その変異情報が急速に昆虫にまで及んでしまった。
もちろん、それで全ての昆虫が耐性を獲得できるはずはなく、多くの種が死んだりしたが……ある種は獲得に成功して増殖していたのだった。
ペルが少し険しい表情になりながら、ナジス先生に報告する。
「キジラミの腸内細菌が作る毒は、ゾンビ作成に使うことができます。多分この共生細菌は、何割かの仲間細菌を〔ゾンビ化〕して、腸内で〔使役〕させているのだと思います。荒れ地で食物が限られた環境では、宿主である昆虫を生き延びさせる必要があります」
ナジス先生の顔色をうかがって、拒否反応は出ていないようだと推測するペル。意見を続ける。
「1つめは、昆虫が摂取した餌をできるだけ横取りしない事。微生物も生き物ですから、生きるために餌を摂る必要があります。ゾンビでしたら、それが不要です」
「ふむ」
うなずくナジス先生の表情をうかがいながら、ペルが少し安堵したような表情になった。残りの意見を述べる。
「2つめは、ゾンビは死霊術場を浴びることでエネルギーを生み出します。ゾンビは数日で崩壊するので、崩壊したゾンビ細菌は普通の養分になって昆虫の餌になります。植物の光合成の仕組みと似たようなものです」
他の生徒たちもペルと先生の浮かんでいる場所へ集まってきて、興味深く聞いている。ペルが恥ずかしがって、尻尾と両耳に両手までパタパタさせ始めたが、何とか踊り始めるのを我慢している。
「ナジス先生。死霊術の影響があるキメラは、招造術の実習用としては良くないのではないでしょうか?」
ナジス先生が珍しく、ガッツポーズらしきポーズをとった。
「ずず」
「大丈夫ですよ。昆虫本体じゃありませんからね。各種魔法は昆虫の遺伝子にかけますし。ずず」
「共生細菌にもかける場合はありますが、あくまでも補助です。充分に実習で使えますよ。ずず」
「でなければ、僕がわざわざこの場所まで生徒たちを連れてくると思うかね? ずず」
「しかも僕の専門クラス生徒でもない、一般の選択科目生徒に」
「おお……」
ペルを含んだ生徒たち全員が、ナジス先生に尊敬の視線を送る。選択科目では、恐らく初めての事だろう。
しかし、ナジス先生は更にニヤリと口元を歪めて笑いかけた。この笑い方さえなければ、もっと好感度が上がるのだろうが……
「実習用の生物素材は、昆虫だけではありませんよ。そうですねえ……ずず」
「ヤスデとミミズも採集してみましょうか」
早速、生徒たちが草とツタが生い茂っているモヤシ森の上空を、低くゆっくりと飛び回り始めた。ペルも数人の級友と一緒にヤスデとミミズ探しと収集作業を始める。
かなり簡単に空中へ次々と浮かび上がってきて、それらを自動で〔結界ビン〕の中へ入れている。その作業を一緒にしているペルの表情が再び険しくなった。
「ん? ちょ、ちょっと待って。このヤスデとミミズ、死霊術場を少し帯びてる」
すぐにペルが簡易杖に〔探知〕魔法の術式を走らせる。
≪びびびー≫
警報音が鳴って、赤い警告文が狐語でペルの頭の上に浮かび上がって表示された。警報音自体は単純な電子音なので、その音に驚いた生徒はいなかったのだが、警告文の内容を見て目を丸くしている。ペルも頭上の表示を見上げて、鼻先のヒゲをグルグル回し始めた。
ナジス先生もその警告文を読んで、細目が糸目になっている。
「……これはまた、ずず」
「面白い変化を起こしていますね」
先生が、手元に集めた数匹のミミズとヤスデを改めて〔検査〕していく。〔検査〕用の白い手袋をして、対ガス用の〔防御障壁〕を展開した。
ナジス先生は精霊魔法が苦手なので、力場術の〔防御障壁〕を使用している。ガスの分子を〔察知〕して、その運動方向を逸らして弾く〔防御障壁〕だ。
その垂れ目ながら細い紺色の瞳に、好奇心の光が大きく灯っている。いつも以上に細く目を開けているので、ぱっと見ただけでは目を閉じているようにしか見えないが。
「青酸ガスですね。確認しました。ずず」
落ち葉や腐葉土を食べるヤスデやミミズの中には、消化吸収する際に副産物として青酸が発生する種類がある。その青酸をガス状にして吐き出して、外敵から身を守っているのだが……その量が桁違いに増えていた。
〔防御障壁〕や防護マスクもなく、不用意に顔を近づけてしまうと、青酸ガスを吸い込んで中毒になる濃度と量だ。青酸は赤血球と強く結合するので、酸素が運べなくなり、体組織が酸欠に至って窒息死する恐れがある。
しかし、ナジス先生は特に表情を変えていなかった。そのまま〔検査〕を済ませたミミズとヤスデを〔結界ビン〕の中へ投げ込む。
「ずず」
「〔防御障壁〕で防御できますから、問題はないでしょう。ずず」
「このまま作業を続けなさい」
「はーい」
生徒たちが呑気な声で返事を返して、収集作業を再開した。少々、拍子抜けして50センチほど落下したペルだったが、気を取り直して作業を再開する。
「毒ガスだけど、〔防御障壁〕が機能するなら問題ないか。キジラミのせいで、ちょっと神経質になってるのかなあ」
級友の狐族の女生徒がペルの浮かんでいる高度まで降りてきて、収集作業を手伝う。他にも数名の生徒が少し遅れて降りてきて合流した。
「ペルちゃんが心配するのは当然よ。青酸ガスなんて、普通の人には危険すぎるものね。反応性も高いから、防護服やマスクも傷みやすいし。ナジス先生は私たちの魔力を信用しているから、こうして作業続行を許可してくれたのだと思うわよ」
ペルが素直にうなずく。確かにその通りだろう。
青酸は毒物なのだが、医薬品や農薬の原料にもなる。
例えばこのヤスデやミミズを養殖して、それを水の精霊魔法などを使って液化し、害虫駆除用の農薬として噴霧することも可能だ。もちろん、作業する者は適切な防護措置を講じておく必要があるが。
さらに、この青酸は分子の構造から見て、酵素を使って有機化合物に合成することもできそうだ。合成した有機化合物は、青酸ガスほどには毒性が強くないので、より安全に保管と管理ができる。必要に応じて、酵素を使って青酸に戻してやればいい。
そのような話をしながら、せっせとヤスデやミミズの収集に励んでいる生徒たちに、ナジス先生が褐色で焦げ土色の髪を片手で跳ね上げて指摘してきた。ちょっと退屈になったらしい。
「他にもクモやダニ、菌類も採集しなさい。ずず」
「素材の種類が多いほど、良い合成生物が作れますからね。ずず」
「はーい」
生徒たちが明るい声で応える。
『合成生物』は、異なる種類の生物を掛け合わせることで作成するもので、『キメラ』とも呼ばれる。キメラにも様々な種類があり、機械化も施した生体アンドロイドや、魔法具を核にしたホムンクルス、宿主に寄生して効果を発揮するラミアなどが代表的だ。厳密には生物ではないのだが、魔法を使えるウイルスもある。
様々な生物を掛け合わせた際に、遺伝子を含むゲノムも掛け合わさるので、ゲノムの量が大幅に膨れ上がる現象が起きる。しかし通常は、不要な遺伝子が時間の経過と共に消去されて、最終的には安定し、新たな性質を有する合成生物ができる。
消去され排除される遺伝子がどれになるのかは、実際に実験してみないと分からないものだ。予測もある程度はできるが、あくまでもある程度なので、結局は確率の話になる。確率が100%になることは起きないので、どうしても実際に掛け合わせて確認する必要がある。
そのために、似たような機能を発揮する遺伝子は、複数種類を用意しておく事が望ましくなる。多様な生物素材を収集しておく理由はそれだ。
ペルがクモを15種類、ミミズも15種類、小さくて見えないが土壌線虫も50種類ほどを、一気に自動処理でモヤシ森から吸い上げる。付着している土壌粒子などのゴミを取り除いてから、〔結界ビン〕の中へ入れていく。
そんな作業を続けながら、空中で黒毛交じりの尻尾を風に任せて揺らした。
草とツタだらけのモヤシ森だが、周辺の亜熱帯の森に比べると気温が高いのだろう。上昇気流が起きていて、周囲を取り囲む森の中から涼しく湿った風が流れ込んできていた。周囲の森は樹高が20メートルもある巨木が林立しているので、気温も低く湿度も高い。
「素材といっても、これでできる合成生物って、ミミズかクモもどきだと思うけれどなあ。でも、遺伝子にも好き嫌いがあるのね」
(そういえば、レブンが死霊術でアンデッド化した元ヒドラ、現ワームたちはどうしているだろう……)と思う。パリー先生が先日まで森の警護を担当していたので、ゾンビのワームも夜間出動して巡回警備をしていた。
今はシステムが復旧稼働しているので、洞窟の奥に戻っている。洞窟奥は墓所とつながっているので、何匹かは墓所の内部をウロウロしているのだろう。
ちなみに、北から渡ってきた普通のヒドラ群は、同じ洞窟内で冬眠中である。レブンの話では1000匹に上っているそうだ。このような良い天気の日中は、50匹くらいが洞窟から出てきて森を徘徊しているとも、レブンが言っていたのを思いだした。
ナジス先生が小さくあくびをした。手元の〔空中ディスプレー〕画面を通じて、収集した生物群の遺伝子情報を自動処理でまとめ上げている。
「これなら、虫やクモの合成ができそうですね、ずず」
そして、処理を魔法に任せながら、細い紺色の瞳を生徒たちに向ける。
「これらの素材を基にした、合成生物が安定化するまで必要になる各種補助魔法を更新しました。ずず」
「配布するので、皆さん杖を出して下さい。ずず」
合成生物の作成では、一時的に遺伝子量が膨れ上がる。自動で削除中なので安定化もしていないのだが、それ以上に問題になるのは、細胞の機能が大きく低下してしまう事だ。代謝が滞ると、最悪の場合死んでしまう。
それを防止するために、一時的に細胞機能を維持させる魔法を使用する。血流を整えたり、細胞間の情報のやり取りの混線状態を緩和したり、拒絶反応を穏やかにしたり……という効果がある。
しかし、細胞が機能していないのに、機能しているように魔法を使用すると、程度によっては因果律崩壊につながってしまう。そのためこういった補助魔法は、必要最低限度で短時間のみの使用に制限されている事が多い。
今回も、その点に留意した補助魔法群を簡易杖を介して受け取り、その術式を確認するペルである。他の生徒たちも同じ確認作業をしている。
「……最大で2時間ちょっと使えるのね。まあ、虫やクモ相手だし、こんなもので充分なのかな」
パリー先生はこのような制限を全く気にしていない。彼女自身が森の妖精なので、無駄に大量の魔力を有しているという事もあるのだが……やはり魔神の力を借りていない点が大きいだろう。
この招造術はウィザード魔法の一分野で、魔神ツァジグララルと契約を交わして魔法を行使できる。まあ、この獣人世界だけは例外になっていて、魔神との契約なしでも、かなり自由に魔法を使うことができるのだが。
補助魔法を送信し終えたナジス先生が、〔結界ビン〕の容量表示を確認する。まだ半分以上の空き容積が残っているようだ。
「この収集が終わって数時間もすれば、素材情報の完全版が出揃います。ずず」
「その時に、また改めて、ずず」
「補助魔法の更新を行います。ずず」
「僕との通信回線は、授業後も数時間開けておきなさい」
「はあーい」
生徒たちも概ね目ぼしい種類の採集を終えつつあり、談笑し始めている。ペルも数名の級友たちと〔結界ビン〕を投げ渡して共有しながら談笑していた。
そこへ再び警報音が鳴り響いた。今度は、さらに耳障りな電子音だ。
≪バビビビビバビ≫
この音に即座に反応したのは、ペルとナジス先生だった。とっさに視線が衝突する。
すぐにナジス先生が手元に〔空中ディスプレー〕画面を呼び出して、知らせを受け取った。あくびをしていた表情が険しくなる。
「また、事件が発生したようですね。ずず」
「学校ではなくて、ええと、ずず」
「帝国軍のどこかの基地かな。ああ、以前に巨人ゴーレムが暴れた基地ですね。ずず」
「今度は軍用ゴーレムが大暴れしている……という事ですかね」
そして、20メートルほど離れた草むらの上に浮いているペルを呼び寄せた。ナジス先生はもう既に、かなり面倒臭がっている仕草になってきている。ペルも口には出さないが、ナジス先生と同じような表情になっていた。
「では、今回の授業はここまで。ずず」
「分からない点は、夕方にでも僕に聞きに来なさい。ずず」
「ペルさん、君もご指名だ。一緒に現地へ向かうとしようか。ずず」
ペルがフワフワ毛皮の頬を両手で「パン」と叩き、キリッと直立不動の姿勢を空中でとった。
「はい。ナジス先生」
そして、彼女の周りで心配している数名の級友たちに微笑む。男子学生は、ペルと一緒に騒動が起きている現地へ向かいたい様子だが。
「じゃあ、ちょっと行ってくるね」
【帝国軍の基地】
〔テレポート〕した先は、ペルが予想した通りの帝国軍の基地内だった。
以前に巨人ゴーレムが大暴れして、ほぼ壊滅してしまった基地施設は、いつの間にか完全に復旧されていた。しかし、それらがまた派手に粉砕されている。土煙が基地内の道路を挟んだ向こう側から、こちらへ押し寄せて来ていた。
毛筆で描いたような真っ白い筋雲が流れていく冬空に、断続的に何本もの〔赤いビーム光線〕が走っている。
そのたびに大きな爆発音と衝撃波が走り、遠くのレンガ造りの建物が真っ赤に溶けて、さらに気化して爆発していた。
すぐにペルが視界確保と対砂塵、対爆風の〔防御障壁〕を展開する。〔レーザー光線〕も放たれているので、その波長とエネルギー量も〔測定〕して、それに対応した〔防御障壁〕の術式を展開していく。
〔ビーム光線〕と併せた複合型の〔防御障壁〕術式が、すぐに編み上がった。それを、隣で呆然とした表情で突っ立っているナジス先生にも〔共有〕してもらう。
「この〔防御障壁〕で、この〔ビーム〕と〔レーザー光線〕を無効化できます。特に〔レーザー光線〕は指向性が強いですので、傍からでは光線が見えません」
〔ビーム光線〕はイオンなどを放射するので、光が錯乱して軌跡が見えやすい。
一方、〔レーザー光線〕はペルの指摘した通り直進性が非常に強いので、光が錯乱しにくいのだ。そのために見えにくい。なので、前もって〔防御障壁〕を展開しておかないと、手遅れになって撃たれてしまう。
ペルがナジス先生に術式を渡した後、さらに上空を飛び交っている〔レーザー光線〕の波長を再〔測定〕した。すぐに〔防御障壁〕の術式を書き換えて、それを改めてナジス先生に渡す。
「敵が波長を変えています。でも、魔法場は同じなので、直撃は避ける事ができますよ。術式を〔修正〕したので上書きして下さいね、ナジス先生」
ある程度の波長域を網羅する〔防御障壁〕に改良したようだ。ナジス先生が緊張しながらも術式を上書きする。顔が真っ青だ。
「な、なんだここは!?」
〔防御障壁〕を更新したナジス先生が、新たな爆発音に危うく腰を抜かしそうになった。
悲鳴を上げながらも何とか耐えた先生が、そのままペルを小脇に抱えて、近くの破壊されたばかりの建物のそばに走って避難する。そして、手早く〔空中ディスプレー〕画面を呼び出して、必死の形相で交信を始めた。
「僕は戦闘要員ではありませんよっ。ずず」
「いきなり丸腰で最前線に〔テレポート〕させるとか、何を考えているんですか。ずず」
「生徒も1人連れてきてしまったのにっ。ずず」
「僕は民間人として、軍用ゴーレムの挙動について助言するだけの立場なんです。ずず」
「このような処遇では、学校へ戻ります……あ、コラ。通信を切るとは、何という……!」
〔空中ディスプレー〕画面が砂嵐状態になった。それを糸目になって睨みつけるナジス先生。
数秒間ほど、再接続を試みたがダメだったようだ。やや震えるため息を1つついて、隣にしゃがんでいるペルに顔を向けた。
「タカパ帝国軍も落ちぶれましたね。ずず」
「以前は、きちんと統制がとれた良い組織だったのですが」
ペルが寂しそうに微笑んだ。
再び爆発音が轟き、土煙の塊が地鳴りを立てて道路を吹き抜けていった。爆発音が先ほどよりも大きくなっている。敵がこちらへ向かっているようだ。ペルが淡々とした口調でナジス先生に話す。
「学校へミサイル攻撃を仕掛けてきた時点で、そういう状況は想定していました。今はもう、軍というよりは、国営の盗賊団だと思います。ナジス先生、どうしましょうか。このまま学校へ帰りますか?」
ナジス先生が意外そうな表情をした。とりあえず、褐色で焦げ土色の髪に付いた土埃を両手で払い落とす。
「ペルさんも知っていると思いますが、ずず」
「この基地は帝都に近い場所にあります。ずず」
「軍用ゴーレムが暴走したまま、帝都へ向かう恐れがあるんですよ」
ペルが両耳をパタパタさせて両目を閉じて答える。
「私は、帝都に知り合いはいませんから、特に。熊の群れに故郷の村が襲われた時も、軍と警察は何もしてくれませんでしたし。この基地が壊されても、特に悲しくないですよ」
そして、薄墨色の瞳を開けて、眉にあたる上毛をピョコピョコ上下させた。
「私のシャドウによる〔探知〕では、この基地に軍関係者は1人も残っていません。情報収集をする特殊部隊はいますけど。こんなのは作戦でも何でもないですし、学校へ帰っても誰も文句は言わないと思います」
少し気圧されているナジス先生である。それでも何か言おうと口を開いた時、ノーム先生がひょっこりと表の通りに〔テレポート〕して出現した。続いてエルフ先生とサムカ熊も〔テレポート〕してくる。3人ともかなり不機嫌のようで、簡易杖を肩に「ポンポン」当てている。
早速、ノーム先生がペルとナジス先生を瓦礫の影から見つけて、銀色の口ヒゲを片手で撫でた。
「やあ。これはナジス先生、とペル嬢か。どうしたんだね、こんな埃っぽい場所で」
先生の間では情報が〔共有〕されているので、既に知っているのだが……あえて問いかけるノーム先生だ。
瓦礫が散乱している地面に手頃な大きさの瓦礫を見つけて、ナジス先生がその上に腰かける。
「君たちが偉くなってしまったのでね。ずず」
「軍や警察の人も簡単に命令できなくなったようだよ。ずず」
「それで、大ダコ事件の『前科者』である僕に、雑用係の仕事が回ってきたらしい。ずず」
エルフ先生が空色の瞳を閉じる。肩先までのべっ甲色の金髪を警察の手袋をした左手でかき、ため息をついた。髪の先に≪パチパチ≫と静電気の火花が散っている。
「……まあ、そうですよね。外国の特務機関の分室長に、タカパ帝国軍の偉い人が何か頼むなんて、するはずないものね」
サムカ熊が熊手から爪を出し入れして遊びながら、エルフ先生に同意する。
「軍と軍が同盟でも結んでいれば、多少は融通が利くのだろうが……普通は無理だな」
そして、ペルがシャドウを飛ばして集めてくれた情報を数秒間ほど見て微笑んだ。どうやらサムカ熊にハグ人形のような『表情』が実装されたようだ。もちろんまだ、ハグ人形ほどの多様性はないが。
「……うむ。良質の情報だ。帝国軍施設からは関係者の姿は見られない。まあ前回、巨人ゴーレムがここで暴れた記憶が残っているのだろうな。実際、逃げるのは正解だ。それで、今回も性懲りもなく大型ゴーレムの試作品を持ち込んだという事か。そして、やはり制御不能に陥った……と」
上空に何本も走る〔赤いビーム光線〕を見上げるサムカ熊。それをエルフ先生も同じように見上げて、軽く首を横に振る。
「今回はエルフ製の軍用ゴーレムです。ブトワル王国製ですね。私たちエルフは大地の精霊魔法は苦手なのに、どうして、こんな無茶な試作品を売り込むかな……暴走するに決まってるじゃないの」
ノーム先生が三角帽子を深めに被り直して、銀色の垂れ眉を両手で整えている。度々、土煙を伴った爆風が吹き荒れているので、身だしなみが気にかかるようだ。
「実験用だろうね。エルフには、こういう物がないから研究しているんだろうさ。風や水のエレメントじゃ、土木工事やカフェのバーテンはできないからね。対アンデッド用兵器の受注合戦に負けたから、ちょっと焦っているのかもな」
より不機嫌になっていくエルフ先生である。
「こういった愚かな商談をしないために、私が窓口として特務機関分室長に命じられたはず……なんですけれどね。こんな出来損ないを取引するなんて、エルフと帝国双方のどちらも得しないわよ」
ノーム先生が銀色のあごヒゲを片手で「スイッ」と撫でて小豆色の瞳を軽く閉じた。再び爆風がやって来て、路面に散乱している瓦礫を吹き飛ばしていく。土煙が巻き上がって視界が数メートルしか利かなくなり、屋外だと言うのに薄暗くなった。
「まあ、既に既得権益とやらが出来上がっているのだろうさ。カカクトゥア先生のような堅物が割って入って来ると、面倒に感じる人たちが結構いるって事だろうな。利益の分け前も減るだろうしね」
瓦礫を伴った爆風が吹き荒れてきているのだが、ペルと先生たちは平然としている。それぞれが展開している〔防御障壁〕のおかげだ。ペルが編んだ対ビームとレーザー光線の〔防御障壁〕術式を、エルフ先生たちも〔共有〕する。
間もなくして、立ち込める土煙のせいで視界が極端に悪化し始めた。ペルのシャドウや先生たちが放った観測用の〔オプション玉〕に、紙製のゴーレム群から送信されてくる情報を〔共有〕する。
情報を総合すると、先生たちがいる場所へ向かって、エルフ製の土製ゴーレムが爆走して来ているのが一目瞭然で分かった。こちらへ向けて、マシンガンのように〔レーザー光線〕を連射しているようだ。武装はこの〔レーザー光線〕が主で、赤外線と赤色光、それと白色光の3種類、これに陽電子を使った〔ビーム〕攻撃が加わると判明した。
今は、建物や瓦礫の山に遮られてここまで届かないが、それも時間の問題だろう。
次第に爆音と爆風が大きく強くなり、地響きも加わって、脆くなった建物の外壁に無数のヒビ割れが発生している。ノーム先生が大地の精霊魔法で、敵ゴーレムの動きを観測して皆と〔共有〕した。
「時速30キロでこちらへ向けて一直線に走ってきているね。普通の軍用ゴーレムだったら、時速150キロ以上は出すけれど……まあ、エルフ製だし。こんな物かな」
エルフ先生は、先程からずっとタカパ帝国軍の将軍たちに攻撃許可の打診をしているのだが……数名ほどいるはずの将軍からは、全く返信が来ない。その下の次官や軍団長にも連絡を取ってみるが、こちらは「上官である将軍の命令がないと動けない」と一点張りだ。
先生の両耳が少し垂れて、空色の瞳が怒りと呆れとで灰青色になっている。
「……麻痺状態ですね。警察も、かな。仕方ない、本国のブトワル警察に打診してみます。早速、分室長の権限を使う事になるなんて。まったくもう……」
そして、ジト目でノーム先生を見据えた。
「ポンコツのエルフ製で良かったですよ。おかげで作戦の申請時間が充分に取れますから」
ノーム先生も素直に笑って、銀色の口ヒゲを指で弾いた。彼もまた、本国向けにノーム語で打診を開始している。
「確かに。しかし、いくらポンコツ試作品とはいえ、軍用ゴーレムですからな。甘く見るとケガをしますぞ」




