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97話

【ようやく鍵あけ】

 子供サムカがムンキンを呼び寄せて、扉の前に立たせた。鍵穴に鍵を差し込もうとするムンキンを、子供サムカが制して止める。何か思いついたようだ。

「ムンキン君には悪いが、少し待っていてくれ。ここまでの過程は、レブン君から全員に情報が伝えられている事と思う。だが一応、念のために簡単に説明をし直しておこう」


 ムンキンが素直に従って、鍵を扉から離した。

 それを確認してから、子供サムカが穏やかな声で、60人ほどの生徒たちに話しかける。磁器のようにきめこまやかな藍白色の白い顔が、やや黄色い冬の日差しを浴びているのでアンデッドとは思えない。

 生徒たちも正気に戻っているようで、大人しく運動場に座って、子供サムカと扉を注視している。レブンは魔力をかなり消費していたので、自力でメモをガシガシとりはじめていた。

「死霊術や、闇の精霊魔法とは厳密には異なる内容だったが、私のような貴族が使う罠や仕掛けについての基礎的な授業だ。目的は大きく分けて2つ。1つは優秀な外部協力者を捕獲する事。もう1つは宝物や重要情報などを保管する事……だな。まあ実際には、セマンの盗賊や冒険家に好き放題にされているのだがね」


 子供サムカが、テント村の方向を見た。ティンギ先生の姿は見当たらないようだ。視線を座って聞いている生徒たちに戻す。

「先程の〔呪い〕騒動は、1つめの捕獲用の仕掛けだ。レブン君からの情報で分かったと思うが、クローン体を〔錬成〕して、それに自身の思念体を〔憑依〕させることで、〔呪い〕の直撃を受けても被害を回避することができる。それでも影響を受けてしまうことになるが……しばらくすれば抜ける事は、君たちが体験した通りだ」

 ミンタが青い顔をしているようだが……ざわめきながらも、うなずく60人ほどの生徒たちである。


 子供サムカが、少し肩をすくめて微笑んだ。

「もちろん、もっと凶悪な〔呪い〕も当然ある。だから、不用意に貴族の仕掛けに近づかぬようにする事が一番だろうな。ハグの話では、星の住民を丸ごと対象にする〔呪い〕もあるそうだ」

 サムカ本人はその〔呪い〕を直接見ていないので、伝聞形式で話している。

「そういった場合は、魔法世界のメイガスに助力を仰ぐのが、最適解になるだろう。私やハグに連絡ができる場合であれば、そうしても良い。力になろう。いずれの場合でも、結局は魔神たちの話し合いで決まるから〔解呪〕の確約はできないがね」


 レブンがガシガシとメモをとっている姿を、子供サムカが眺める。ミンタやムンキン、それにラヤンは、手元の小さな〔空中ディスプレー〕画面に自動〔記録〕して、頭に叩き込んでいる。他の生徒たちも一心不乱に自動〔記録〕して学んでいるようだ。


 子供サムカが指を2本立てて話を進める。

「これからムンキン君に行ってもらうのは、2つめの仕掛けの解除だ。この扉だが、鍵を使って初めて、指定した〔結界〕に接続できるようになっている。通常は、ただの扉だな」

 子供サムカが、実際に安物の板でできた片開きの扉を開ける。本当に普通の扉で、向こう側の穴だらけのテント村が見える。


 扉をいったん閉じてから、子供サムカがムンキンを呼んだ。少々待ちくたびれた様子だ。

「呼びつけておいて、待たせてしまい済まなかったね。鍵だが、今回のように〔錬成〕して作ってもらう形式が代表的だ。〔錬成〕を通じて、『鍵の所有者認証』も確実に行えるからね。しかし、今回もそうしたが、〔錬成〕作業は必ず遠隔操作で行うことだ。接触していると、鍵の〔錬成〕に巻き込まれて、君たちが鍵の一部になってしまう。スケルトンやゾンビなら構わないがね」


 ムンキンが首をかしげて質問してきた。

「テシュブ先生。では、もっと複雑な鍵〔錬成〕を要求する仕掛けもあるのですか?」


 子供サムカがうなずく。

「うむ。これは1つめの外部協力者の能力検査にも関わる事になるのだが、『鍵の錬成技術』を通じて、能力の高さを測る場合もある。想定の範囲内であれば、優秀な者は歓迎だからね」

 少し子供サムカが考えてから、ムンキンに話す。

「そうだな……今回は、ヒスイやコハクの中に〔錬成〕の術式を分散して封入した。他には、〔錬成〕の場所を指定したり、我々が使う貴族の言語を記した魔法陣を指定したり、日時や月齢、潮の干満、死霊術場の濃度を指定する場合もある」

 子供サムカが軽く肩をすくめる。

「もちろん、そのような複雑な要素を加えると、スケルトンやゾンビでは能力が足らなくなるがね。そういった要求がある仕掛けは、外部協力者の確保目的である可能性が高いから、避けた方が無難だろう」


 ノーム先生のクラスのニクマティ級長が、次に手を挙げた。

「テシュブ先生。その外部協力者ですが、〔呪い〕を用いて自発的に行動させるのは分かりました。一般的な貴族が、その方法で〔使役〕している人数は、どのくらいになるのでしょうか?」


 子供サムカが腕組みをして考え込む。

「うむむ……私は使っていないな。知り合いの貴族を見ると、そうだな……数人、という所か。〔呪い〕にかかった生者は、それほど長生きできない傾向があるからね」

 精神崩壊しているようなものなので、そうなるのだろう。子供サムカが更に少し考える。

「オークや魔族が多いが、死者の世界へ侵入してきた魔法使いも採用していると聞く。〔呪い〕をかけてから、彼らの世界へ返しているようだ。世界をまたいで効果を発揮する精神支配の魔法というのは、意外に少ないのだよ。その点で、〔呪い〕は便利だと言える」


 そして、チラリと頭上を見た。

「リッチーは、どうなのか分からない。普通に考えれば、貴族よりも多くの人数を〔使役〕しているはずだろう」

 ハグ人形への生徒たちの警戒心が更に大きくなったのを察して、内心で苦笑する。他に質問がない事を確認してから、ムンキンに鍵を使って扉を開けるように指示した。

「待たせたね。では、実際に開けてみようか」


「はい」

 ムンキンが鍵を扉の開閉レバーの真下に開いている鍵穴に差し込んで、回した。

「ガチャリ」

 意外にも機械的な作動音がする。子供サムカが微笑んだ。

「まあ、これはサービスだ。〔呪い〕騒動で、今の君たちには魔力の残りが少ないようだからね。その鍵には鍵穴に仕掛けておいた攻撃魔法を無効化する術式を組み込んでおいた」


「げ……」という表情になるムンキンである。ジト目になって子供サムカを見据える。

「まだ罠を用意していたんですか、テシュブ先生」

 60人ほどの生徒が大きくざわついて、座りながら後方へ1メートルほど飛び退いた。ミンタたちも慌てて飛び退く。


 子供サムカが山吹色の瞳を細めて笑った。

「ははは。次回は頑張ってくれる事を期待しているよ。私が作る罠では、この時にシャドウなどを発生させる。我が騎士の場合は、魔力の都合上ゴーストを潜ませている事が多いな。もちろん、このアンデッドは私や騎士が作り出して〔支配〕しているから、私たちには襲い掛からず無害だ」


「ええ~……不公平だあ」とか不満が出る生徒たちに、子供サムカが微笑んだまま話を続けた。錆色の短髪が日差しを反射して、毛先がキラキラと輝いている。

「ちなみに、ムンキン君の先程の質問の回答の続きにもなるが、扉を開けた際に接続する指定〔結界〕の入口に、自動攻撃用の魔法陣や魔法の武器を配置してある場合もある。これらも、我々貴族や騎士には攻撃しないように、術式を組んでいる。今回は、そこまで仕掛けを設けていないから安心して扉を開けると良いぞ。ムンキン君」


 ムンキンが大いに不服そうな顔になって、無念そうに柿色の尻尾を何度も地面に叩きつけた。

「ぐぬぬ。今回は力及ばずかよ……墓所よりも難しいじゃねえか。次は、こうはいかないからな。テシュブ先生っ」

 そのまま扉を引いて開ける。奥行き30センチほどしかない簡素な〔結界〕に接続した。

『突破おめでとう』

 合成音がして、〔結界〕内部からウィザード語の祝福横断幕と、紙吹雪が飛び出してきた。<パッパラパー>と、適当なラッパ音も鳴る。ドン引きしている生徒たちだ。


 趣向が受けなかったので、残念そうな表情になる子供サムカであった。そのまま錆色の短髪を軍手でかいてから、手元に時刻表示を出した。

「うむ。そろそろ〔召喚〕時間が切れる。そうそう。鍵だがムンキン君、見せてみなさい」


 言われたように、ムンキンが扉に差し込んでいた鍵を引き抜いた。

「あ」

 鍵が元の銅製の緑錆だらけの状態に戻っていた。同時に扉が〔闇玉〕に飲まれて消滅する。


 呆然としているムンキンと60人ほどの生徒に、子供サムカが赤茶けたマントについた土埃を適当に叩いて落としながら解説する。

「鍵は、そのように1回使用すると使えなくなるように術式を組んでおく事が多い。では、次回は別の方法で実習を行うとしよう。質問は、熊人形にしてくれれば良い。今回は、果物などの土産がないが……まあ、仕方がないな」

「では、また会おう」とサムカが言った瞬間。<パパラパー>とラッパ音がして、サムカの姿が水蒸気に包まれて消えた。


 同時に、授業終了のチャイムが運動場に鳴り渡った。

 周辺のテントから先生や生徒が次々に運動場へ姿を現してくる中、ノーム先生のクラスのニクマティ級長がミンタに礼を述べた。

「ミンタさん、見学楽しかったよ。やはり直接授業を受けると分かりやすいな。次回の授業は、残念だけど僕たちは参加できない。授業内容の情報〔共有〕をよろしく頼むよ」


 ミンタがウインクして微笑む。

「分かったわ。まあ、いつもやってる事だけど。そうね。もう少し、分かりやすいように〔共有〕方法を工夫してみるわね」

 ペルがかなり疲れた顔で、ミンタの背中にもたれかかってくる。

「う~……ミンタちゃん、眠いよ~」

 ミンタが両耳をピコピコ動かして、ペルの背中を「ポンポン」叩く。

「死にかけるほど大変だったものね。でも、お昼休みまでまだ1限あるわよ。がんばれ」




【木星】

 ミンタは、次は木星でのクモ先生の授業だった。

 狐族の彼女は精霊魔法を除いて、教育指導要綱に記されている全教科を既に修了している。そのために、彼女専用の特別授業が組まれていた。このクモ先生が教える古代語魔法の授業もその1つだ。


 木星は相変わらず巨大だった。赤を基調とした縞模様が、ゆっくりと形を変えながら流れているのが眼下に見える。大理石の泡模様のような威厳のある美しさだ。

 ミンタとクモ先生は、今回も衛星イオの公転軌道上にいた。2人とも各種〔防御障壁〕を展開していて、それが青や緑に色を刻々と変えている。衛星イオは木星を挟んだ向こう側に位置しているので、ミンタたちからの場所では見えない。

 しかし、イオの活火山から大量に噴出されているガスがイオン化して、公転軌道をドーナツ形に包むように充満している。


 そのガスが不意に青緑色に輝き始めた。普段は紫外線領域の光を放っているので肉眼では見えないのだが、ミンタの波長〔変換〕魔法によって、今は青い光として疑似的に見えている。

 衛星イオの公転軌道は、木星の半径の約6倍の距離だ。その軌道を中心にして、木星の半径の4から7倍の範囲がガス雲に包まれている。このガス雲域は『木星内部磁気圏』とも呼ばれて、高エネルギーの電子が高密度で詰まっている宙域でもある。

 この磁気圏の磁場は、地球の放射線帯の1000倍にも達する。普通の人間が迷い込むと、あっという間に放射線被曝を受けて命に関わる事態に陥るほどだ。


 クモ先生は、今回は体長1メートル半ちょっとの大きさで宇宙空間に浮いていた。その一対の若芽色をした複眼が、遠い太陽から届く光をキラリと反射している。

 木星は地球よりも太陽から遠いので、全体的に暗い。それを〔防御障壁〕で補正して、肉眼でも木星やガスなどが見えやすいように調整している。ちなみに、四対の白緑色のガラス玉のような単眼もあるので、ミンタが知覚している風景とは見え方が異なっているようだ。


 そのクモ先生、名前はツァジグララル・ティエホルツォディという。しかし皆、面倒がって『クモ先生』という省略した呼び名を使っている。

 8本あるがっしりとした脚の先をごそごそ動かして、ミンタに〔念話〕で告げてきた。

(ミンタ。内部磁気圏の〔操作〕がかなり上手になっているな。ジャディ君に触発されたか)


 ミンタが簡易杖を〔防御障壁〕の中から振って、青くうっすらと光るドーナツ型のガス雲の中に、何本か稲妻を走らせた。

 木星の両極にある巨大な円環状の青白いオーロラも、呼応して大きく揺れている。しかし今はエックス線バーストが到達していないので、高緯度地方のみを包み込んでいるだけだ。

(そうですね。刺激になったのは事実ですよ、クモ先生。木星の風の妖精とも妖精契約を結びました。ジャディ君が使っている間は、私は使えないですけれど。どうも、そういう決まりのようです。おかげで、あのバカ鳥の暴走を止めることができませんでした。残念です)

 さすがにミンタも、クモ先生の事は一目も二目も置いているようで、一応は敬語を使っている。


 クモ先生が足を再びモゾモゾ動かして、組み直した。表情は全くないのだが、複眼と単眼の色が微妙に変わるので、それで大よその感情が推測できる。今は、愉快そうだ。

(それは地球での話だな。ここ木星では同時に行使できるはずだ。地球では、いわゆる『自主規制』を敷いているのだろう。あまり目立つと、地球の精霊や妖精どもから睨まれるからな、ミンタ)


 そのクモ先生を包む〔防御障壁〕の色が青く輝いた。複眼を宇宙の一方向、ちょうど太陽とは逆方向に向けてキラリと輝かせる。

(来るようだ。ミンタ、準備は良いかね?)


 ミンタもクモ先生と同じ方向を見て、簡易杖を向けた。彼女の〔防御障壁〕の色も、クモ先生のそれに同期して同じ反応を示している。

(はいっ)


 その瞬間。木星内部磁気圏のガス雲が、青白い発光を始めた。太陽系の外から飛び込んできた高エネルギーのエックス線を、ミンタが魔法で〔捕獲〕したせいだ。

 この木星の内部磁気圏は、太陽を除くと太陽系最大の『粒子加速器』でもある。エックス線のエネルギーを受けてガス雲のイオンが、亜光速にまで加速され始めた。


 ミンタが手元の〔空中ディスプレー〕画面を操作して、木星の太陽公転軌道上を通過しつつある小惑星を〔ロックオン〕した。ウィザード語で攻撃可能の表示が出る。

(発射!)


 空気がない宇宙空間なので無音ではあるが、内部磁場圏から細い〔ビーム光線〕が放たれた。

 磁場が瞬間的に強まって、ミンタとクモ先生の〔防御障壁〕面に衝撃波が走る。同時にエネルギーを失って、青白い発光を失うガス雲だ。木星のオーロラも穏やかな動きに戻る。


 ミンタが手元の〔空中ディスプレー〕画面を凝視して、効果を確認する。彼女の場合はペルやレブンと違い、自由に使役できるシャドウやゴーストがおらず、〔式神〕や観測用の〔オプション玉〕、ゴーレムなどに頼る事になる。

 少々扱いにくいようだが、それでも数秒後には満足した表情になった。顔をクモ先生に向ける。

(クモ先生っ。小惑星の蒸発を確認しました。やったあ)


 クモ先生も、ミンタと〔共有〕した観測情報を確認して、複眼をキラキラ輝かせた。

(うむ、よくやったなミンタ。まあ、直径1センチ弱の小惑星だが、『木星砲』の操作習得という面では上出来だ)

 喜ぶミンタに、クモ先生が冷静な口調に戻って告げる。

(今の君であれば、木星の風の妖精の協力を得て、もっと大きな目標も破壊できるだろう。だが、それは教育指導要綱から外れる内容なので、ここまでとする)


 ガッカリするミンタ。目の上の上毛と鼻先に口元のヒゲ全てが張りを失ってしまった。

(そうですか……では、今後は自主練習で習得を続ける事にします)

 クモ先生が、今度は四対の単眼を白く光らせた。

(では、次に希望する発展型授業は何が良いかね?)


 ミンタが今はもう元の薄暗い木星と、見えなくなった磁気圏を見つめながら、両耳を数回パタパタさせた。

(あの……学校では今、アンデッドの先生と、そのオマケ人形が色々と騒動を引き起こしています。クモ先生は、不快に感じておられますか? であれば、私から連中に注意します)


 クモ先生が、複眼が光る頭をクリクリと動かした。

(不要だ、ミンタ。連中は概ね、教育指導要綱に沿った内容の授業を行っている。たびたび脱線して騒動になるのは、他の教師と同じだ。我は、君たちとは価値観がかなり違うので、事故や事件で死傷者が出たところで関心は無い。君たちが森のクモやダニの生き死にに関心が薄いように、我も君たちへの関心は薄いのだ)

 バッサリと断言している。

(今の我はミンタが死ななければ、何がどうなろうと関知せぬよ。君が死んだら、我が契約不履行になるので、それを残念に思うだけだな)


 興味深く聞くミンタである。何となく(基本的な思考方法は、パリーやハグに似ているかな?……)とも思う。

(アンデッドのハグさんが言っていたのですが、古代語魔法にも様々な種類があるそうです。アンデッドが得意とする古代語魔法と、クモ先生が得意とするそれとは根本的に異なると。それは、どう思いますか? やはり、かなり違うものですか?)


 クモ先生が8本の足を組み直して、やや上方に頭を向けた。

(違うな。彼らは真空のエネルギーを扱う方向の魔法体系だ。魔法原子の疑似中性子を減らしたり増やしたりすることに腐心する。『数』に注目しているな。まあ、これは現代魔法でも言えて、こちらは魔法分子の疑似中性子の増減に躍起になるがね)

 ミンタがうなずく。理解しているようなので、クモ先生が話を続けた。

(生命の古代語魔法と通称される体系は、『流れ』に注目する。木星の大気の渦のように、流れには淀みと渦が現れる。渦は乱流とも呼ぶが、これは確率に基づいて消えたり生じたりする。では、この確率を魔法で自在に制御できればどうなるか)


 ミンタが片耳をパタパタする。

(乱流が隣へ伝播する確率ですよね。渦はその場には留まれませんから。伝播する確率が低い場合は、渦が移動できず、姿を維持できずに消滅します。確率が高い場合には、渦が伝播して数が増えて、大きくなります)

 クモ先生が複眼を明るい緑色に光らせて、頭をクリッと動かす。

(そうだ、ミンタ。さらに加えると、伝播確率には『臨界値』が存在する。臨界値を超えた乱流は、その間『不滅状態』となり、無限に増殖する。何かと似ていないかね?)


 ミンタが両耳をピンと立て、眉に相当する上毛と鼻回りのヒゲもピンと立てた。

(あ。『イモータル』ですね)

 クモ先生がゆっくりと頭を動かす。

(そうだ、ミンタ。まあ、イモータルについては解説が面倒なのでしない。さて、この臨界値を超えた伝播確率が引き起こす現象だが、時間の経過に従う性質がある。決して時間を逆流したりはしない。つまり、方向性がある現象だ。これを『有向浸透現象』と呼ぶ。普遍的な世界の原理だ)


挿絵(By みてみん)


 ミンタが腕組みをして、少し頭をかしげながらも……うなずいた。

(何となく理解できました。生命の古代語魔法というのは、この『乱流の伝播確率の意図的な操作』魔法ということですね)


 クモ先生が、ゆっくりと脚を組み直した。どうやら人間でいう所の『両腕を組んでいる』ようなもののようだ。

(それでよい。これから時間が許す限り、ミンタ、君に『生命の古代語魔法』を教えることになる。ようやく、基礎的な魔力が整ってきたようだからな。アンデッド教師の教えによって魔力のバランスがとれて、安定強化しているのだろう。まあ、それでも当面は、この木星の渦やガス雲のような『流体』を扱う事になるがね)


 金色の毛が交じる尻尾をブンブン振って喜ぶミンタに、クモ先生が組んでいる脚を少しだけ引き締めた。直径1メートル少しの丸い胴体が持ち上がる。

(一方で、『墓所』とかいう地底に引き籠っているアンデッドの連中には、これからも苦労しそうだな、ミンタ)


(あれ?)とミンタが両耳をパタパタさせた。

(クモ先生は『墓所』の連中の事をご存じなのですか? 確か、記憶〔改変〕や歴史〔改変〕で、私たち限られた者しか知っていないのですが)

 クモ先生が再び脚を寛がせた。胴体も元の低い位置に戻る。

(まあ、その程度の〔改変〕であれば、我には通用せぬよ。ほとんど関心の外なので、放置しているだけだ)


(ああ、そうかもしれないなあ……)と思わず納得するミンタであった。ある意味、先生の中で最も『浮世離れ』している。ほとんど仙人と言っても良いかもしれない。人ではなくてクモだが。


 口調は冷静で淡々としたまま、クモ先生が話を続ける。

(世界〔改変〕魔法だが、これは本当に危ういのだよ、ミンタ)

 ミンタが反射的に同意する。

(ですよね。私も多分、かなり酷い目に遭っていると思います。記憶と痕跡がないだけで)


 クモ先生が白っぽい四対の単眼をやや鋭く光らせた。意外にこれで表情が出ているものだ。

(話を単純化して分かりやすくするとだな、ミンタ。ここに、『とある球』があるとする)


 クモ先生の話をまとめると、このようなものだった。

 この、『とある球』が床を転がっているとする。もちろん、球はこの世界の運動法則に従っている。その球が転がっていく軌道に、何らかの『変換』を施すとしよう。

 球を取り上げて、別の場所から別の方向へ転がす……とする。転がす力は変換前と同じだ。転がす場所と方向が、この『変換』で変わったという事になる。この場合では世界〔改変〕魔法に相当する。

 さて、もし『変換』後の球の軌道が前と同じ運動法則に従っていれば、『変換』は成功したと言える。世界〔改変〕魔法も成功して、目的の〔改変〕だけが行われて、それ以外の事象は〔改変〕されていない。


(しかし、ミンタ。往々にして、『床面』が変わることがあるのだ)

 現実世界でもそうだが、全く同質の床面は存在しない。『変換』先の床面が荒くて、球が跳ねたり止まったりする事がある。反対に滑らか過ぎて、球が回転せずにそのまま滑ってしまう事もある。床面が汚れていれば球に汚れが付くし、湿っていれば濡れる。傾斜がついていれば、軌道が曲げられてしまう。


(それが大きくなると、因果律崩壊を引き起こすのだよ、ミンタ)

 〔改変〕前と後の床の状態の均一性、言い換えれば対称性の事を、『空間並進対称性』とも呼ぶ。この対称性が等しいという前提で、世界の物理化学法則は成立し機能している。球の運動量についても、この対称性に呼応した『ネーターの定理』に基づき、保存される。それが崩れるという事だ。


 世界そのものが因果律崩壊を起こす様を、想像しようとしたミンタだったが……無理だったようだ。金色の毛が交じる尻尾がクルクル回り続けている。

 クモ先生が冷静な声のままで語る。

(魔法世界が5000年ごとに新世界に引っ越すのも、それが理由だ。世界〔改変〕魔法を使わずとも、『合成の誤謬』でそれに近い現象を引き起こす。〔テレポート〕魔術ですら、全住民が5000年間も毎日使い続けるだけで因果律崩壊が世界規模で起きてしまうのだよ)


(へえ……そうなんだ)と素直に聞いているミンタに、クモ先生が改めて頭を向けた。若芽色の複眼が爽やかに光る。

(エルフやノームの精霊魔法は、もっと下位の魔力を使う魔法だから『移住騒ぎ』とは無縁だがね。魔神を使わない知恵のおかげだろう。それに、『真空崩壊』や『因果律崩壊』も、しょせんは光速で進む。この宇宙は光速を超える相対速度で膨張しているから、充分に離れた星へ移住すれば、それで済む話でもある)



 その時、木星本体の縞模様の大気の中に、何かが〔テレポート〕してきた。赤い色合いの台風のような形状の気体だ。その台風がいきなり精霊語で叫び出した。

 木星とはかなりの距離があるので、音声としては聞こえない。しかし精霊場の〔干渉〕が起きて、それが衝撃波となってミンタとクモ先生が浮かぶ宙域まで届いてきた。


 ミンタが明るい栗色の瞳を険しくする。

(え? 何アレ。風の妖精ですよね。しかも木星の妖精じゃないな)

 クモ先生が淡々とした口調で機械的に告げた。本当に興味がない様子だ。

(金星の風の妖精だ、ミンタ。最近、何度も木星に攻め込んできている)


「え?」

 目が点になって、尻尾と両耳が同調してクルクル回り始めるミンタ。さらに大きな精霊場の衝撃波が届いて、ミンタとクモ先生の〔防御障壁〕が大きく波打った。木星で激しい爆発が何度も起き、閃光がいくつも発生している。

(金星と木星って、距離が凄くありますよね。どうしてこんな……あ)

 ミンタが何か察したようだ。急に尻尾の毛皮が巻き毛だらけになって逆立っていく。

(も、もしかして……私とジャディ君が、金星で木星由来の風の精霊魔法を使ったせい……ですか?)


 クモ先生が若芽色の複眼をキラリと光らせて、足を組み替えた。

(そうだな、ミンタ。君たちが金星で風の精霊魔法を使った事により、木星から攻撃を受けたと早とちりしたのだろう。〔防御障壁〕で見つからないように誤魔化せなかったな。君たちが使う〔防御障壁〕は、地球の精霊魔法に最適化されているのだから、当然の帰結とも言える)

 淡々と告げるクモ先生だ。ミンタの顔が青くなっていく。

(よ、妖精戦争じゃないですかっ。ど、どうしよう……テシュブ先生のバカ!)


挿絵(By みてみん)


 直径400キロほどもある台風型の風の妖精が、木星大気内で大暴れしている。無数の雷と閃光が走り、台風と接する木星の大気がプラズマ化していた。

 精霊場による衝撃波も何度も発生していて、その度にミンタたちの〔防御障壁〕が大きく波打っている。相当な魔力だ。

 ミンタたちが浮かんでいる宙域は、衛星イオの公転軌道上なので、木星半径の6倍ほど距離がある。それでも、衝撃波が伝わってくるほどの台風だ。確かに、とんでもない魔力量と言える。


 その時、木星の風の妖精が、雲用務員の姿をとって『立体映像』の形でミンタたちの前に出現した。

 映像なので解像度がかなり低いのだが、それでもヘラヘラ笑いはしっかりと確認できる。ジャディの成分がさらに強くなっていて、狐顔にも羽毛がかなり混じっていた。

(心配無用ですよ、ミンタさん。反対に感謝したいくらいです。こういった生意気で活きの良い妖精は、私の良い栄養になるのですよ)


 確かに、ミンタが理解できる範囲の精霊語では、金星の妖精はずっと木星に対して罵倒をし続けている。

(……あー。「我が金星の風の餌になるが良い」とか何とか叫んでいますよね。あ……消えた)

 不意に、巨大な赤色の台風が、木星に飲み込まれて消滅した。それっきり木星大気も穏やかになる。


 呆然としているミンタに、雲用務員の映像が微笑む。

(『たかが金星』の風ごときが、我が木星に挑むとは愉快ですねえ。これまでに数百匹ほど挑んで来ていますが、全て美味しく戴きましたよ。では、そういう事ですので、ご心配なく)


 そう言って、映像が消えた。代わりにクモ先生が機械的な口調でミンタに話しかけてくる。

(そういう事だ。金星の風や大地の妖精は自意識過剰で凶暴だからな、ミンタ。ちなみに大地の妖精は、月に襲撃を繰り返している。全て、月の狐の餌にされているが。そのため、金星の妖精や精霊の勢力が最近になって急激に落ちてきている。しかし、ミンタ。連中を地球には呼び込まぬ事だ。大地の妖精は地球よりも弱いが、風の妖精は強いからな)


 ミンタが背筋をピンと伸ばして、真剣な表情でうなずく。

(は、はい。注意します。ジャディ君にも伝えておかなくちゃ。地球にあんな巨大台風がいくつも襲来したら、大変な事になるわ。ほとんど全て二酸化炭素でできている台風とか、ゾッとする)

 ちなみにその台風の雨雲は硫酸である。そんな緊張したミンタを、若芽色の複眼で見つめるクモ先生だ。本当にあまり関心がないらしい。

(では、他の質問を聞こうか、ミンタ)




【魔法工学の授業】

 その頃ペルは、魔法工学の選択科目授業を受けていた。

 テントは他の先生のクラスよりも若干大きめだが、旧式だったせいか、エルフ先生の無差別射撃をまともに受けてしまった。しかし、無事に〔結界〕内から現実空間へ緊急移動が自動で行われたので、生徒と先生は無事だったが。

 そのテントは、大小100ヶ所以上の穴だらけになっていて、他のテント群と山積み状態になっていた。

 元々のテントは〔結界〕内へ繋がる扉だけしか、現実世界に姿を見せていない。そのためにテントが緊急実体化すると、体積が急激に何十倍にも膨れ上がる。互いに積み重なって山になってしまうのは道理だ。


 森からの乾いた涼しい風にゆっくりとテントが揺れて、天幕に開いた大小の穴が閉じたり開いたりを繰り返している。

(でも、テシュブ先生のクラスのテントよりは軽微な被害だよね)

 ペルがマライタ先生の講義を自動〔記録〕して、頭に叩き込みながら、何気なく近くのテントの穴から運動場を眺める。


 選択科目の授業なので、テント内でマライタ先生の授業を受けている生徒は、ペルを含めて様々な専門クラスの出身だ。今回は、残念ながらペルと親しい生徒は授業に参加していなかった。リーパット党員が数名いるだけだ。

 彼らは狐族至上主義なのだが、ペルに対しては『忌むべき闇の精霊魔法使い』として、厳しく接してきていた。最近になって『無視する方向』に方針が変わったのか、ペルには強硬な姿勢をとらなくなっている気がする。レブンやムンキンに対しては、相変わらずの排除思想で当たっているが。


 ペルにも少し変化があった。これまでの引きこもり状態から脱却しつつあるので、普通に友達ができつつあった。魔力の制御ができるようになってきている事と、これまでの騒動でそれなりに活躍している事が良い方向に作用しているのだろう。

 まあ実際の所、あのジャディですら生徒の間ではそれなりに人気者なので、ペルが励まされたという側面もある。


 簡易の自立型の黒板型ディスプレー画面には、魔力サーバーや法力サーバーの概念図がウィザード語で示されていた。それを樽のような胴体に丸太のような手足が生えた、赤いモジャモジャ頭とヒゲのマライタ先生が、魔法具ではない普通の教鞭を使って、黒板の文字や数式、それにグラフを次々に指し示している。


 生徒たちは普通の強度のイスに座って、机にそれぞれの〔空中ディスプレー〕画面に自動〔記録〕魔法で書き込みながら学習している。ドワーフのマライタ先生の身長が125センチ程度なので、教室の最後尾に座っている生徒でも、先生の顔を見ることが出来ているようだ。

 サムカやウィザード魔法の他の先生、ソーサラー魔術のバワンメラ先生は身長が高いので、最前列の生徒は首への負担が大きい。それゆえに、マライタ先生やエルフ先生のような身長が、生徒から歓迎されている。


 ペルは教室の中央左側の席に座っているので、首に優しい授業に結構満足している様子だ。サムカの授業では生徒数が6名に都度参加の者が加わる程度なので、最前列での授業になっている。

(テシュブ先生が、いつも子供版だったら楽なんだけどな。熊先生はもっと背が高いし)

 少しの間、本当にサムカに提案して見ようかと考えたが……やめた。多分、ジャディが暴れ出すだろう。


 教壇ではマライタ先生が、黒板型ディスプレー画面に表示されたウィザード文字を教鞭で「ペシペシ」叩きながら、サーバーに関しての基本的な授業をしていた。

 一応、教育指導要綱に書かれている内容ではあるが『欄外註釈で数行』程度のものである。それを、この先生は拡大解釈しまくって、サーバーの管理術式やその特性まで踏み込んだ授業をしていた。

 魔法工学の専門クラスの生徒であれば、それでも興味津々で聞いて食いついてくるだろうが……今は一般生徒が参加している選択科目の時間だ。案の定、興味を失って半分眠り始める生徒が、ちらほら出てきている。


(マライタ先生も他の先生と一緒で、いつもこうして脱線するんだよね。ゴーレムの先生の方が、効率よいと言われてるのも分かる。でも、こっちの方が私は好きだけど)

 ペルが少し頬を緩ませて、口元のヒゲを1本だけ小さく振り回した。そして、ウトウトし始めている隣の席の狐族の生徒たちに、それとなく〔念話〕で声をかけて目を覚めさせる。

 そうやって起きた生徒たちがペルと目が合って、軽く会釈をして礼を述べた。(そう言えば、以前は招造術や幻導術の方が退屈だったけど、最近はそれほどでもないかな……)と思い直すペル。


 マライタ先生も生徒たちの注意力低下には気がついているようだったが、構わずに授業を進める。教鞭で黒板型ディスプレー画面を「ペシペシ」叩いた。

「君たちも、卒業後はそれぞれの仕事に従事する事になるんだが、その職場にいつも魔法工学に詳しいスタッフがいるとは限らないぞ。サーバーの基礎知識くらいは習得しておかないと、仕事にならない」


 テント教室にはペルのような1年生も結構いるのだが、やはりお構いなしだ。さすがに3年生は少し背筋を伸ばした様子だが。


 ウィザード魔法と法術は、魔力サーバーや法力サーバーを使う。その簡易版は、魔法場サーバー、法力場サーバーと呼ばれている。精霊魔法は契約した精霊や妖精から魔力を融通してもらい、ソーサラー魔術は自身の魔力を使用する。魔法工学で使用している魔力は、魔力を帯びた宝石や水、金属から得ている。


 このサーバーは自動で目的の魔力や法力を収集し、それを精製して純度を高め、貯蔵し、必要に応じて魔力を取り出して配信する。配信回線は、〔念話〕でも使われている無線方式だ。

 ウィザード魔法はそれぞれの派閥によって契約した上で、特定の魔神やドラゴン、巨人から魔力を得ている。魔神たちの棲む世界から、契約者がいる世界への世界間魔力通信が採用されている。このラインを応用したのが、先生たちが獣人世界へ来る際に使用している世界間ゲートであり、ハグが販売促進している召喚ナイフである。


 魔神たちから送られてくる魔力は、膨大かつ繊細で、取り扱いには細心の注意が必要になる。実際に、ミンタたちは何度も杖を破損している。

 魔神たちから発した魔力は、直接使用者に届くわけではない。途中の異世界や、世界間の狭間に設けられた中継魔法陣や魔法具によって調整されている。

 発電所からの電気が、直接家庭の家電に届くことがないのと同じだ。途中に変電所や分流施設、変圧器などが介在する。


 法術の場合は魔神たちの代わりに、信者たちの信仰エネルギーで置き換える。しかし、世界間の法力の自在な送信が困難なので、基本的には、その世界に住んでいる信者からの信仰エネルギーを法具を介して収集している。


 そのサーバーだが、魔力や法力の貯蔵機構が壊れやすい。魔法や法術は、通常の物理化学法則や常識から逸脱した現象を引き起こす。

 クモ先生がミンタに説明していたが、分子の中性子数を疑似中性子の足し引きで変化させることで、魔法分子として機能させ、その分子振動をスターターにして各種の魔法や法術を起動させている。分子が普通の分子ではなくなるために因果律に触れやすくなり、不安定化して機能しなくなったりするのだ。最悪の場合は暴走して爆発する。

 それでもハグに言わせると、原子を扱う場合よりも、分子を扱う現代魔法の方が遥かに安定性があるそうだが。


 とにかくも、過剰な魔力や法力がいきなり送られて来たりすると、貯蔵機構が破損してしまう。反対に、過剰に魔力や法力を放っても同じく破損する。これも電力網と似たようなものだ。


「……という訳で、サーバーに魔力や法力が入ってくる前に、それが適正範囲内かどうか、自動で判断する魔法具や術式が必要になる。同時に、サーバーから供給される魔力や法力についても同じだ。添付で、市販品の魔法具リストをつけたから、これを参考にすると良いぞ」

 マライタ先生が、黒板型ディスプレー画面に小窓を表示させて、リストを見せた。当然ながら、全てドワーフ製であることは言うまでもないだろう。他にもノームや幻導術協会などが市販品を販売しているのだが、それらは全て無視されて記載されていない。


 ペルも想定の範囲内だったので、普通にキーワード検索をかけて、他の製品のリストを表にリンクさせた。

 ほとんどの製品は、薄いシール状や塗料だったりする。機械らしい外見ではない。術式だけの販売に至っては、形ある物ですらない。


 しかし、マライタ先生が配布したリストのおかげで、どの性能値を比較すれば良いのかが分かる。生徒たちのリンク追加作業をマライタ先生が見ても、特に何も注意しないで黙認している。

「もちろん、魔法場サーバーと魔力サーバーとでは、扱う魔力量の桁が違うから注意しろよ。多分、君たちが就職する先にあるサーバーは、簡易型の魔法場サーバーだろうからな」


 ペルも、(ああそうか……)と思い直して、魔法場サーバーや法力場サーバー対応のリストもリンクする。

 獣人世界では、まだまだ魔法使いが少ない。活躍の場もまだ限られている。職場にあるのが簡易型のサーバーしかない可能性は非常に高い。


 魔法場サーバー用の制御魔法具を、魔力サーバーに設置すると、すぐに破損してしまうのは当然だ。しかし、魔力サーバー用の高性能な魔法具を、魔法場サーバーに設置しても不具合が起きる。

 魔法具が適正だと判断して通した魔力が、魔法場サーバー側では過負荷や過放出になる事が往々にして起きるせいだ。


 マライタ先生が、別の商品リストを黒板型ディスプレー画面に表示する。

「これは、魔力や法力の貯蔵機構の内部付けバックアップと、外部保存用の魔法具だ。サーバーが壊れてしまっても、迅速に復旧できるようにするための道具だな。破損した魔法回路については、設計図を〔修復〕魔法に読み込ませておけば、自動で対応できるはずだ」


(ということは、独立した別系統の復旧用の簡易サーバーが必要なのね……)と理解するペルである。

 これは普段使わないので、〔結界ビン〕の中にでも入れておけば良いだろう。必要になってから〔結界ビン〕の中から取り出して、魔力や法力を受信させて起動させればいい。


 マライタ先生が、ペルが予想した通りの内容を黒板型ディスプレー画面に表示する。ちなみにこれらも全てドワーフ製だ。

 ペルが両耳を数回パタパタさせて、そっと手を挙げて質問する。

「あの、すいません。一般的な魔法場サーバーや法力場サーバーの場合、復旧までにかかる時間は、どのくらいまでが許容範囲の上限ですか? 早ければ早いほど良いのは当然ですけど、24時間以上かかった場合に想定される被害を知っておきたくて」


 起きている生徒たちが、ペルを感心した視線で見つめてきたので、両耳を頭の毛皮に倒すように伏せて、背を丸めてしまった。まだまだ注目を集めるのは、苦手のようである。

 ドワーフのマライタ先生が丸太のような太い腕を組んで、数秒間ほど考え、素早く手元の空中ディスプレーを使って演算した。

「……そうだな。ワシが趣味で収集している、タカパ帝国のインフラ情報の範囲内だが……火力発電所と化学薬品の製造工場が最も危険だな。猶予は10分間というところかね。それを過ぎると爆発や火災の恐れが飛躍的に高まる」

 演算を進めていく。

「次いで病院だな。ここは魔法制御に頼らない普通の電子機器と、バッテリーや自家発電機が備えつけられているから12時間までは保つだろう。一般住宅や商店街では、特に気にする必要はないはずだ。せいぜい、冷蔵庫の中身が使えなくなる程度だよ」


「なるほど、10分間かあ……」と、自動〔記録〕する生徒たちだ。

 その猶予しかない場合、従業員や重要機器の強制〔テレポート〕を用意しておく必要がある。そして、(強制避難が完了し次第、現場を〔結界〕や〔防御障壁〕で包んで『外部から隔離』する手段が基本になるだろうなあ……)と思うペルであった。

 この学校に設置されている、地下教室からの強制避難〔テレポート〕の術式やシステムが参考になるはずだ。

 病院については、燃料や電子機器の予備部品を供給する荷物用の〔テレポート〕魔法陣や魔術刻印を設けておけば大丈夫だろう。


 マライタ先生が授業の残り時間を手元の表示で確認して、1つ咳払いをする。口調が少しだけ真面目なものに変わる。

「今までのサーバーの故障や破損は、全て外部からの物理的な攻撃や襲撃、魔法による回線〔遮断〕によるものだった。それらへの対処は……まあ、応急措置としては今回の授業内容で何とかなるはずだ」


「それ以外の要因があるのか……」と、ざわめく起きている生徒たち。今は半数の10人余りしか起きていない。残りの生徒は自動〔記録〕したまま熟睡している。ここまで多くの生徒が眠ってしまうと、ペルも対処を諦めたようで、そっとして眠らせている。

 ペル自身もかなり疲れているので眠いのだが、ミンタに注意された事を思い起こして目を開けている。


 マライタ先生も熟睡中の生徒には、そのまま寝てもらう方が良いと思ったのだろう、自動〔記録〕の機能確認だけをした。

「もう1つは、悪意ある者による『内部からの攻撃』だな。テロってやつだ。タカパ帝国では、魔法だけで制御されている重要なシステムや施設はない。しかし、重要ではない施設やシステムでは普及が進んでいる」

 先生が太い指を曲げて数える。

「例えば、教育研究省が管轄する『人工林の中にある隔離施設』とかな。ここの地下室には、様々な魔法具が保管されている。他にも面倒な物がゴチャゴチャあるけれどな」


 ペルが内心で冷や汗をかいて、マライタ先生の快活な口調の話を聞いている。顔の全てのヒゲが、顔のフワフワ毛皮にペッタリと付いて、半分埋もれてしまった。

(いくら何でもまさか、〔石化〕した人たちの事とか、ドラゴン関連の魔法具とか言わないよね……)

 慰霊碑の再建も白紙状態なので、さらに恐縮して縮こまるペル。


 一方のマライタ先生は赤いモジャモジャヒゲを指でつまんで巻き上げながら、世間話でもするかのような気軽な口調で話を進めている。

「一番単純で起こりそうなテロは、『異世界から魔力を受信する設備』だろうな」


 黒板型ディスプレー画面に新たな図面を表示する。異世界の魔神たちから中継魔法陣を介して、この世界の魔力サーバーへ魔力が送られている。今は、帝都内にあるウィザード魔法各派の本部施設内に受信設備がある。その受信用の魔法陣を1つ、マライタ先生がタカパ帝国の王城内に移動した。

「こうなった場合だな。帝国政府が魔力のコントロールを欲した場合、こういう回路になる。今はこうなっていないが、まあ、時間の問題で設置されるだろうな」

 まだ起きているペルたちも、(そうなるだろうなあ……)という予想でマライタ先生と一致した。帝国としては、魔法の管理を帝国主導で行いたいハズだからだ。異世界の魔神たちからの魔力受信を帝国が全て独占し、その後、ウィザード魔法各派へ分配する形にした方が、安全保障上で有利になる。


「魔法回路ってのは、基本的には量子回路を流れる電子や光子に魔力を乗せている。量子回路それ自体は、魔法が使えない者が盗聴すると、それだけで盗聴がばれる。安全性が非常に高い通信手段だな。しかし、魔法は違う。何せ世界の法則に反する事をさせる力だからな。ばれないで盗聴できるんだよ」

 シン……と息をのむペルたち。寝ている生徒たち15人余りの穏やかな寝息だけが、テント教室内に聞こえる。


「盗聴だけじゃなくて、偽情報を送り込む事もできる。魔力サーバー側には『これから10の魔力が届くよ』という偽の情報を流しておく。しかし、実際に来るのは100の魔力だ。そうなると、魔力の貯蔵機構が過負荷になって破壊されることになるよな」

 これは一般的な送電網のシステムにかかる危険性と同じだ。大規模停電が起きる原因の1つである。

「逆もできる。魔力サーバーに『これから10の魔力を放出して術者に届けるよ』という偽の情報を流しておく。しかし、実際に放出されるのは100の魔力だ。過放出で破壊されることになる。使用者の側も、いきなり大量の魔力が送られてくるので杖が破損する」


 静かで穏やかな寝息が聞こえるテント教室の中で、起きているペルたち生徒だけが完全に眠気を吹き飛ばしたような真剣な表情になった。その視線を愉快そうに笑って受けるマライタ先生。下駄のような白い歯が少し見えた。

「では、その対処方法だ。この『偽の情報』というデータは、通常の通信で交わされるデータとは異質の度合いが高い。それを自動で判断して除外する術式を組み込んでおけばいい」


 しかし、除外したデータが『偽の情報』データよりも少ないと意味がない。『偽の情報』が生き残って、魔力サーバーに誤作動を引き起こして壊してしまう。

 そのために、除外数を増やしたり減らしたりして、自律的に調査させる術式である必要がある。これは、『最小刈り込み二乗法』という数学的な手法に近い。


挿絵(By みてみん)


 マライタ先生が、赤くて太いゲジゲジ眉を上下させた。

「だが、これも万能じゃないけれどな。除外されたデータを送りつけた場所へは、別途調査をする事になる。必要なデータが除外される可能性もあるし、その間は、システムが一部ダウンするかもしれないな。大きな負荷をかける魔法や法術は、使用が制限される事も起きるだろうさ」

 ペルたちもサーバーの不調のせいで、これまで実際に魔法や法術の制限を受けた経験があるので、素直にうなずいている。


 授業時間の終了を知らせる音楽が運動場に流れ始めた。テントが穴だらけにされて〔結界〕内から通常空間に戻っているおかげで、音楽がよく聞こえる。



 校長の指示で、生徒や先生、職員の個室テントは『一律廃棄処分』になり、運動場には教室用のテントと、事務室用のテントが主になっていた。

 その撤去作業をこの授業時間内で見事に済ませたのは、墓用務員とドワーフ製の土製のゴーレム群だった。一応、現場指揮を校長が執っていたが、命令した後は、ただ見守っていただけで終わったようだ。


 生徒や先生たちが自身のテントが処分されたのを見聞きして、校長に抗議している。その喧噪が、テントを出たペルの目に映った。ペルも自身のテント内の荷物が心配になって、パタパタ踊りを始めている。


 他の狐族の生徒たちも踊り出したので、校長が拡声器を使って生徒たちに説明し始めた。

 それによると、荷物は全て〔結界ビン〕の中へ〔収納〕しているようだ。この後の昼食時に、生徒と先生全員に〔結界ビン〕を配るという案内である。

 ペルがほっとした表情になり、先程まで一緒に勉強していた生徒たち数名と笑みを交わした。寝ていた生徒も全員が起きたようだ。眼をこすったり、あくびをしながら、テントの中からノロノロと出てきている。


 ペルも再び眠気を覚えて背伸びをする。しかし、「お腹が減った」と体が文句を言ってきた。他の生徒からも空腹を知らせる腹の音が、あちらこちらからしている。

「あんな騒動の後では、お腹が空くよね。じゃあ、私もご飯を食べに行こうかな」




【運動場】

 地下の学生食堂へ降りる階段は応急的だが〔修復〕が完了していて、生徒や教職員で一杯だった。地下へ降りる道が渋滞していて、ペルたちも運動場で階段へ向かう待機列に並んでいる。

 ペルが列に並びながら、周囲を見回した。

「……ずいぶん、すっきりしちゃったなあ」


 地上にあった〔液化〕していた寄宿舎は、すっかり片付けられている。今は瓦礫の1つも残っていない。大地の精霊や妖精が食べてしまったのであるが、見事な更地になっている。

 帝国全土で災害やテロ被害の復旧工事が進められているので、建築資材の不足が深刻になっていた。ここのような亜熱帯の森の中の辺境にある魔法学校へは、今はレンガの1つですら届いていないようだ。一応は資材置き場用の区画を設けてはいるのだが、なにもない。


 その代わりといっては何なのだが、魔法による再建が着々と進められていた。

 主に、魔法工学のマライタ先生と招造術のナジス先生の陣頭指揮で、多数のゴーレムや土木作業用のアンドロイドが働いている。建物を建てるには資材が足りないので、運動場の地下を掘っている。穴を掘って生じる土は、大地の精霊が食べてしまっているようで、残土置き場も空になっていた。


 しかし、既に作業命令が全自動化されているのだろうか、先生の姿はどこにも見当たらない。「今頃は恐らく地下食堂にいるのだろう」と予想を言い合うペルたちだ。


 先程の級友たちと談笑しながら地下の学生食堂へ向かうペルの耳にも、明日にでも地下階の教室が使用可能になるという見通しが届いていた。更に学生寄宿舎や教職員施設も地下に設けるようで、さらに地下階の規模が大きくなるそうだ。

 そんな話をしている級友の狐族の1年生女生徒に、ペルがにこやかに微笑みながら聞く。薄墨色の瞳が日差しを反射してキラリと光っている。

「こうなると、もう立派な地下迷宮になるよね」

「言えてる~」と歓声を上げて笑う級友たちだ。ペルも一緒に静かに笑っていたが、その視界の隅に何かを発見した。

「あ。カカクトゥア先生とラワット先生だ。励ましてくるから、みんなは先に昼食を食べてて」


 ペルが級友たちに断って、資材置き場の横にある臨時カフェに向かった。級友たちやペルの周辺を歩いていた生徒たちが、ペルに声をかけてくる。その全てが、落ち込んでいる先生2人を励ます内容だった。

 さすがに生徒たちは、ついさっき無差別攻撃を食らって穴だらけにされたばかりなので、ビクビクしている様子だ。遠慮もあるのだろうか、先生2人に声を掛ける者はほとんどいない。

(まあ、普通の反応はそうなるよね)

 ペルが努めて明るく振る舞って、生徒からのメッセージを受け取った。




【運動場の臨時カフェ】

 資材置き場の隣に設けられている臨時のカフェには、エルフ先生とノーム先生の2人がテーブルにかけていた。まだショックから立ち直れていないようで、テーブルに突っ伏して動かない。


 カフェは野外仕様になっていて天幕もなく、テーブル数も5つだけの小さなものだった。バーテン用の黒服アンドロイドが1体だけいて、アウトドア用の大型コンロを使ってコーヒーや紅茶用の湯を沸かしていた。他のコンロではオムレツなどの簡単な食事も料理している。

 水はホースで地下の食堂から引いているようで、排水は水や大地の精霊に食べさせているようだ。


 2人の先生が突っ伏しているテーブルから一番離れたテーブルには、幻導術のプレシデ先生が座っている。彼は教師らしいスーツ姿と、やや土埃にまみれた黒い革靴で、黙々とオムレツと茹で芋をスプーンでかき込んでいる。

 今は誰とも関わりたくない気分のようだ。ペルとも視線が合ったが、特に何の反応もしてこなかった。ペルも軽く会釈するだけで通り過ぎる。

(授業を邪魔されたという気持ちは分かるけどなあ……一言くらいかけてくれれば良いのに)


 ペルがエルフ先生たちのテーブルへ着くまでに、ムンキンとミンタの2人が〔テレポート〕で先に出現していた。さらにノーム先生のクラスのニクマティ級長も出現したが、ノーム先生に何か指示を受けたのだろうか、すぐにまた〔テレポート〕して消えてしまった。


 さらにレブンにも後ろから追いつかれてしまったペルであった。両耳を前に倒して肩を落とすペルに、レブンが「ポン」と背中を叩く。

「まだまだ体力が弱いね、ペルさん」

 ペルが耳を伏せて、顔全てのヒゲを力なく垂れさせてうなずく。

「……だよね。むしろ、体力の差が広がっている様な気がするよお」


 それでも、その数秒後には、ペルとレブンもエルフ先生たちのテーブルに到着した。息が上がっていない分だけ、ペルとレブンも体力がついてきているのだが……まだまだという自覚らしい。


「……あら、皆さん。昼食はもう済んだのですか?」

 エルフ先生がようやく体をテーブルから起こして、力なく微笑みながらミンタたちの顔を見回した。

 細長い両耳も力なく垂れている。その耳にかかる、べっ甲色の金髪が肩までしかないので、かなり印象が違う。エルフは元々男女の特徴に乏しいのだが、さらに中性的な印象だ。空色の瞳も、かなり憔悴しているようで生気がない。

 変わっていないのは、女性的な声ぐらいだろうか。警察の制服は法術できれいに〔修復〕されていて、穴の跡は残っていなかった。


 これは、隣で同じように顔を上げているノーム先生も同様だ。彼は大きな三角帽子をテーブルの下に落としていて、それが森からのそよ風に押されて左右に転がされていた。両者ともに、髪がバサバサになっている。


 ムンキンが柿色のウロコ頭を冬の日差しに反射させて、濃藍色の大きな瞳を意図的に輝かせる。

「学生食堂は、今の時間は生徒だらけで一杯ですよ、カカクトゥア先生。もう少し待って、落ち着いてから食事をとりに行きます」

 ミンタも珍しく落ち着かない様子で、それでも頭のフワフワ毛皮に走る2本の金色の縞を、ムンキンと同じように反射させている。鼻先と口元の全てのヒゲがエルフ先生の顔に向けられているので、相当に心配しているようだ。

「今は、先生の方が心配です。たかがアンデッドの策略に乗ってしまっただけじゃないですか。気にする事はないです、先生っ」


 レブンとペルは少々居心地が悪くなったようで、視線が森の方へ泳いでいる。それでも、レブンがすぐにミンタとムンキンに賛同した。口元はやや魚のままだが。

「そうですよ、カカクトゥア先生、ラワット先生。僕たちも、〔呪い〕なんて初めてだったんです。きちんと対処をしなかったテシュブ先生の落ち度ですから、気にしないで下さい。幸いに、死者は出ていませんし」


 ペルも両耳をパタパタさせながら、必死で先生2人を元気づけようとしている。

「次回からは、こんな事にならないように、私たちも気をつけます」


 生徒たちに気を遣わせてしまったと反省するエルフ先生とノーム先生だ。

 気を取り直したノーム先生が、エルフ先生に小豆色の瞳を向けた。先程までの死んだ魚のような目に、少しだけ生気が戻ったようだ。

「生徒に心配をかけるようでは、先生としてよろしくないな。うむ、ここは割り切っておくとするか。とりあえず、何か注文しておくかね? カカクトゥア先生。僕はコーヒーとオムレツにするよ」


 エルフ先生も無理に微笑んでうなずく。テーブルにしばらくの間突っ伏していたので、日焼けした白梅色の額にテーブルの木目が赤く刻まれている。

「……そうですね。私は紅茶とオムレツにします」

 そう言って、コーヒーカップを拭いているバーテン型の黒服アンドロイドに手を挙げて注文した。機械的な声で注文を復唱して、追加のオムレツ調理に取り掛かるアンドロイドだ。


 ほっとした表情になって顔を見合わせているミンタたち4人の生徒に、エルフ先生が頭を下げた。

「〔呪い〕の影響とは言え、酷い事をしてしまいました。ごめんなさい」


 ミンタが焦ったような表情になり、大げさに笑みを浮かべて両手をパタパタ振った。尻尾も一緒になって振られている。

「あ、謝る事なんてありませんよ、カカクトゥア先生っ。ええと、ほら、あの……あ、そうそう、最初にジャディ君とその悪党どもを撃ち落した時と、結果は大して変わりません。本当に気にしないで下さい」

 さすがにムンキンとレブンが、首をかしげて視線を交わしている。ペルもパタパタ踊りをし始めた。


 エルフ先生がミンタの珍回答を聞いて、空色の目元を緩ませる。瞳にも少しだけ生気が戻ってきているようだ。

「ミンタさん……あの時は、パリーの暴走も加わっていたのですけれどね。とにかく、本国警察やタカパ帝国からの懲罰には素直に従うつもりです。授業が遅れてしまうかもしれません。その点も、今から謝っておきますね」


 ミンタとムンキンが微妙な顔になって視線を交わす。

「……遅れる事は、ないかも、です。カカクトゥア先生。ゴーレムの教師プログラムは、意外にも優秀でした」

 遠慮がちに言うミンタに続いて、ムンキンも濃藍色の瞳をエルフ先生から逸らしてうなずいた。

「……教育指導要綱だけに沿った授業内容ですけど。カカクトゥア先生やラワット先生がして下さるような、実習重視の授業ではありませんから、聞いていて楽しくはないです」

 ペルとレブンも2人の先生から視線を逸らして森の方向を見ながら、無言でミンタとムンキンに同調する。


「えぇぇ……」

 少なからずショックを受けているエルフ先生とノーム先生だ。


 慌ててペルがパタパタ踊りをしながら言い訳する。

「あ、でも、でもですね。ゴーレム先生は、戦闘力は全くなかったですっ。すぐ壊れてしまいました。で、ですので、ええと……あ。テシュブ先生やウィザード先生にバワンメラ先生が授業中に事故を起こした際には、役に立ちません。あ、えと……そ、そういう事ですので」


 レブンが冷静にまとめる。

「ペルさんの言う通りです。この魔法学校では事故が多発します。その対処ができないゴーレム先生では、先生としての能力に疑問点が生じるんです。現役警官の先生方の方が、僕たち生徒にとっては心強いです」

 ムンキンが半分感心しながら、「コツン」とレブンに肘打ちする。

「僕たちは、将来、帝国警察や軍に就職する可能性がありますからね。実習が多いほど役に立ちますよ」


 ミンタもエルフ先生の両手を持って訴えた。

「教育指導要綱の内容でしたら、私の場合、独学で習得できます。カカクトゥア先生やラワット先生の実習は、私にとっても必要なんです」


(……無理して擁護してくれているなあ)と微笑ましく思うノームのラワット先生。少し感動して、空色の瞳がウルウルし始めているエルフ先生に、横から話しかける。

「生徒にここまで信用されると、我々も落ち込んでいる時間はありませんな。カカクトゥア先生」


 エルフ先生が軽く鼻をすすって、いつもの優しい微笑みを浮かべた。

「そうですね、ラワット先生。ああ、そうでした。ラワット先生にも酷い事をしてしまいましたね。申し訳ありませんでした」

 ノーム先生が、銀色の口ヒゲを両手で整えながらニッコリと笑う。

「そうでしたなあ。まあ、気を失っている間に八つ裂きにされたそうなので、気にしてはいませんよ」


 ペルとミンタが思い出したようで両耳を伏せて両目を閉じ、口元のヒゲを震わせる。一瞬で数個の肉塊にされたので、覚えていないのも当然だろう。記憶にない方が精神上良いはずだ。


 黒服のバーテン型アンドロイドが、器用にオムレツが乗った皿を2つ、右腕に乗せて歩いてきた。左手にはコーヒーと紅茶が注がれた大き目のカップが乗っている。

 そのアンドロイドに道を譲ったミンタとムンキンが、改めてエルフ先生とノーム先生に真剣な顔を向けた。

「カカクトゥア先生、ラワット先生。〔呪い〕の影響は、もう残っていませんか? 私たちで精神の状態を調査する事もできます。ちょっと、こう言っては何ですが、法術のマルマー先生では、その、心もとなくて」


 エルフ先生とノーム先生が顔を見合わせた。同時に、オムレツと飲み物がテーブルに置かれる。

「ごゆっくりどうぞ」

 機械的な声を放って、そのまま流れるように調理場へ戻っていく黒服アンドロイドだ。その後ろ姿を見送りながら、エルフ先生が首を振った。

「……今、もう一度、私自身を検査したけど、大丈夫かな。まだ、少し精神状態が不安定だけれど、これも精神の精霊魔法で自動〔修復〕されるはず。ラワット先生も、今さっき私が検査したけれど、彼も大丈夫よ」

 さすがにエルフとノームである。精神状態の調整は抜かりない。




【黒幕からのご挨拶】

 とりあえず紅茶を1口すすったエルフ先生が、ほっと一息ついた。ミンタとムンキンも一緒になってほっとしている。ペルもミンタと同じように、上毛と鼻先のヒゲを数本ピョコピョコさせながら、レブンに笑顔を向けた。

「よかった。カカクトゥア先生とラワット先生も大丈夫みたいだね。テシュブ先生は心配無用だし」


 レブンがちょっと考えてから、セマン顔でうなずく。

「そう言えば、アンデッドの精神管理って聞いたことがないなあ。死体だけど、思念体や残留思念は精神体でもあるんだけど」


 そう言いながら、レブンが自身のアンコウ型シャドウを森から呼び寄せる。パリー先生だけでは不安なので、自主的に森の中の巡回警備をしていたようだ。

 ペルも「そう言えばそうだね」と子狐型のシャドウを森の中から戻して、肩の上に乗せる。

 シャドウを一応調べてみるが、特に異常は見られない。術式も正常に機能している。


 レブンがアンコウ型シャドウを、ペルと同じように自身の肩に乗せて、少しだけ首をかしげた。

「シャドウには、まだ自我がほとんどないから精神管理は必要ないのかも知れないね」

 ペルも自身の子狐型シャドウから視線をレブンに戻してうなずく。

「自我の欠片はあるってハグさんやテシュブ先生は仰っていたけど、あまり気にしなくていいのかも。アンドロイドにも、簡易な自我は標準装備されているから、そのような感じなのかな」


 レブンがふと、臨時カフェの調理場で黙々と皿洗いをしている、黒服姿のバーテン型アンドロイドに明るい深緑色の瞳を向けた。

「……なるほどね。接客業はプログラム動作だけじゃ柔軟性が欠けてしまうよね。シャドウにも確かにある程度のプログラム無視の曖昧さがある」


 そのような自我談義をしているペルとレブンの話を、ノーム先生が銀色のあごヒゲを片手で撫でて整えながら聞いている。しかし、何か気づいたようだ。ヒゲを触っている手が止まった。

「ようやく、僕も平常の思考ができるようになってきたかな。テシュブ先生やハグさんが言っていた〔呪い〕なんだが……僕たちがイメージしている〔呪い〕とは、何か違うとは思わないかね?」

 ミンタとムンキンがうなずく。ノーム先生が考えながら話を続ける。

「絵本や昔話などに登場する〔呪い〕というのは、何者かの執念が実体化したり具現化したりして、対象者に心身上の諸症状を発生させるというものだ。魔法や妖術では説明がつかない、術式や魔法場を必要としない不思議な現象だね」


 エルフ先生も、その点が引っかかっていたようだ。紅茶をさらに1口すすりながら同意する。

「そうなのよね。得体の知れない術という点は共通してるけど。まあでも、狐族が生来有している〔魅了〕体質や、魚族の〔人化〕体質なども魔法じゃなくて妖術に分類されているわよね。そういう意味では、〔呪い〕と似ているのかな。妖術それ自体が詳しく研究されていない分野みたいだし、色々とまだ分からない事だらけなのかも知れないわね」


 ミンタが両耳をパタパタさせて、鼻先と口元のヒゲを全てエルフ先生に向けて集中している。

「そうか。妖術に馴染んでいる私たちだったから、今回の〔呪い〕も、先生方ほど強力に作用しなかったのかも」

 ムンキンが白い魔法の手袋をした両手を、柿色のウロコで覆われた頭の後ろに回して、口元を少しだけ緩める。冬の日差しがウロコに反射されて金属的な光沢を放っている。

「そうでもないと思うけれどな。僕たちも、かなり大暴れしていたよ」

 ペルがムンキンの指摘に、大きく首を縦に振って同意している。


 ミンタがジト目になって、鼻先のヒゲを全てクルクル回した。

「……そうよね、分かっているわよ。50歩100歩で、私たちも先生方も暴走の度合いに大差なかったわよ」


 そこへハグ人形が突然「ポトリ」と、エルフ先生の金髪頭の上に落ちてきた。即座に無言で〔電撃〕を食らって、発火して燃え上がり、そのまま炭になって風に飛ばされていった。「あ~れ~……」とか何とか叫んだような気がしたが、気のせいだろう。

「……アンデッドって、本当に面倒よね」

 エルフ先生がジト目になって、頭に残る灰を両手で払い落とす。その、まるでハエでも払うような仕草に、ペルとレブンが視線を交わして「見なかった事にしよう」と目を閉じる。


 今度は、レブンのセマン頭の上に出現するハグ人形だ。一応、申し訳程度の水蒸気が<ポフン>と立ち上がる。ラッパ音は鳴らすのを忘れていたようで、3秒ほどしてから慌てて鳴らした。

(この音って、手動操作だったのかあ……)と、目を点にして驚いているレブンの頭の上で、数回飛び跳ねたハグ人形が、文句をエルフ先生に言ってきた。

「こら、エルフ。いきなり〔電撃〕で燃やすなよ。この人形は手作りなんだからなっ」


 エルフ先生がライフル杖を呼び出したが……その杖は先程大破してしまった事に気がついた。杖の中央部辺りが折れて、先が垂れ下がっている。

「ぐぬぬ……」とジト目になったエルフ先生が、仕方なく簡易杖を取り出して向けた。ノーム先生はオムレツをスプーンですくって食べているだけだ。

「今回の元凶でしょうが、あなた。こうなる事を見越していながら、あえて放置していたわね」


「え? そうなのか!?」と、ミンタたち4人が驚いている。ノーム先生は相変わらず口をもぐもぐしていて、ノーコメント、ノーリアクションだ。


 ハグ人形が口をパクパク大きく開け閉めして、胸を張って笑い始めた。かなり偉そうだ。

「ばれたか~。探偵に向いておるな、エルフの先生。墓所の連中が、とある星系に〔呪い〕をかけたのだが、その〔呪い〕が強力でな。ワシもちょっと興味が湧いたんで、仕組んでみた。楽しんでもらえて何よりじゃわい」


 よく分からないが、ハグの仕業だったようだ。エルフ先生の殺気が膨らんだのを、いち早く〔察知〕したペルが飛びついた。

「カカクトゥア先生っ。今また魔法戦闘を始めたら、今度こそ失職しちゃいますっ」

「あ、そうか」とミンタとムンキンも慌ててペルに続いてエルフ先生に抱きついていく。エルフ先生を援護してハグ人形に魔法攻撃を仕掛ける寸前だったのを、中断する。


 それでも低く唸りながら、肩までの金髪を逆立てて静電気を体中から放電しているエルフ先生である。隣でオムレツを口に運び続けているノーム先生が一言。

「カカクトゥア先生。ペル嬢の言う通りだよ。ここは聞かなかった事にしようじゃないか。オムレツが冷めてしまうよ」


 10秒間ほどかけて、精神の精霊魔法を自身にかけて怒りを鎮めるエルフ先生。

 その静電気がほとばしっている体にしっかりと抱きついているミンタとムンキン、それにペルであった。かなり感電しているようだが、我慢している。接触しているので、〔防御障壁〕を間に挟む事ができないのだ。


 その間にオムレツを食べ終えたノーム先生が、コーヒーを1口飲んで一息ついた。そして視線を上げて、レブンの頭の上で偉そうに高笑いをしているハグ人形に質問してみる。

「ハグさん。先程まで〔呪い〕の事で話し合っていたのだよ。我々が知っている〔呪い〕と、君たちアンデッドが使う〔呪い〕とは、どうも違うのではないかね?」


 ハグ人形が足元のレブンに、「人質感謝するぞい」とか何とか礼を述べてからノーム先生に顔を向けた。どうやら、レブンを盾にしてエルフ先生を茶化していたようだ。

「ワシらアンデッドは既に死んでおるからな。前提条件が違うのは当然だろ。オマエさんらが言う〔呪い〕というのは、魔法以外の探知不可能な術によって、死んだり精神異常を起こしたりする結果を差すものだな。自己催眠や自己暗示もその中に含まれる。どうやっても避けられない運命も、そうだろうな」


「何だよ、分かっているのかよ、このアンデッドは……」と不満顔になる先生と生徒たちだ。ハグ人形が構わずにレブンの頭の上で仁王立ちになって話を続ける。

「貴族にもある。約100年ごとに体を乗り換える作業をしないと、劣化してゾンビに戻ってしまう、というような『宿命』がそうだな。『紫外線に弱い』のもそうだ。普通に考えれば、死体が紫外線に曝された所で、いきなり灰になるような事にはならぬよ。まあ、その大半は魔神やドラゴンに巨人どもの思いつきや、気まぐれに起因するようだがな。文句は、そいつらに言ってくれ」


 レブンがハグ人形を頭の上から落とさないように、慎重に立ちながら聞く。

「……と、いう事は、ハグさん。この世界には、僕たちが知っている一般の物理化学法則や常識や魔法や妖術の他に、隠れた魔法体系があるということですね。墓所が使うような、失われた古代語魔法のようなものでしょうか」

 ハグ人形がニンマリと微笑んだ。

「そういう事だな。勉強がんばれよ」


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