96話
【ティンギ先生の試合解説】
森の上空に避難していたのは、ミンタとペル、それにノーム先生だけだった。ペルが両耳をパタパタさせてミンタに聞く。
「ねえ、ミンタちゃん。他のみんなは、どうして森の上空へ避難することもできなかったんだろ」
ミンタが少し首をかしげて考える。片耳が数回ほどパタパタしている。
「そうね……多分、〔呪い〕の影響かもしれないわね。正常な思考ができなくなってるのは、私たちも同じだろうし」
(確かに、ここまで好戦的になったミンタちゃんは久しぶりに見たなあ……)と思うペル。ペル自身には〔呪い〕の影響は出ていないようであった。闇の精霊魔法との相性が何かあるのだろうか。
下方で浮かんでパイプをふかしていたノーム先生が大きな三角帽子を脱いで、まっすぐ腰まで伸びている銀髪頭をかいた。すぐに火のついたパイプを〔結界ビン〕の中へ押し込んでフタを閉め、ポケットに押し込む。
「済まないが、お嬢さん方。僕もまだ〔呪い〕の影響が残っているようだ。このままだと、まだ暴れてしまう。適当に気絶させてくれないかな。魔力が空でね」
ミンタがペルを顔を見合わせて、小さくため息をついた。真下に浮かんでいるノーム先生の脳天に簡易杖を向ける。
「仕方ないわね、もう。では、精神の精霊魔法で気絶させますよ」
ノーム先生が頭上を見上げて礼を述べようとしたが、その前に魔法が脳天に落ちてきた。声も出せずに数回全身を痙攣させて、ノーム先生が白目をむいて気絶する。ペルが目を点にして見下ろしていたが、しばらくして顔をミンタに向けた。
「ミンタちゃん……無造作にやり過ぎだよ」
ミンタは平然としたままだ。気絶したノーム先生を引っ張りながら、運動場へ向かってゆっくりと〔飛行〕し始める。
「うーん……やっぱり、私にも多少は〔呪い〕の影響が出ているのかもね。私も魔力を節約したいから、そろそろ運動場へ戻りましょ」
ミンタが明るい声で平然と言うので、ペルが薄墨色の瞳を閉じて口元のヒゲをモゴモゴ動かすに留めている。
(少しどころか、かなり出ているような気がするよお……)
その運動場と森の境には、いつの間にかティンギ先生が立っていた。ニコニコしながらミンタに手を振っている。思わず呆れた顔になるミンタとペルである。
「あのセマン。今頃になってノコノコ出てきたわね」
ミンタが文句を言う横で、ペルもさすがにカチンときたようだ。黒毛交じりの尻尾を振り回している。
「そうだよね。ちょっと文句を言っておこうよ、ミンタちゃん」
〔飛行〕進路を少し変えて、ティンギ先生が手を振っている場所へ着地する。
ペルが気絶したままのノーム先生をそっと地面に横たえて、念のために簡単な〔防御障壁〕を数枚ほど上に被せた。
一方のミンタはノーム先生には一切構わずに、まっすぐにティンギ先生に詰め寄っていく。早速、抗議し始めている。
「ティンギ先生っ。今までどこで遊んでいたんですかっ。生徒も先生も大変な事になっていたんですよ!」
しかし、そんな抗議はセマンには全く通用しないようだ。ニコニコ笑顔のままで、ポケットからパイプを取り出して掃除している。
「死んでも〔蘇生〕や「復活」ができるんだから、何も問題はないよ。多少、遺伝子エラーやら腸内細菌の不具合やら、記憶の欠落やら、精神障害やらが起きる程度だろ。法力サーバーが稼働しているから〔修正〕できるさ。まあ、君たちのように生き残った方が、このお祭りを楽しめただろうけどね」
ティンギ先生の魔力量がほぼ満タン状態なのを、ミンタが〔察知〕して更に呆れている。本当に何もせずに見物していただけのようだ。
「冒険者には興味があるけど……こういうセマンには、なりたくないわねっ」
とりあえず、それで文句を言いきって、気持ちを切り替えるミンタだ。
「カカクトゥア先生とテシュブ先生の攻防も観戦していたのでしょ? 私の位置からでは距離があって、よく見えなかったのよね。どんな魔法の応酬があったのか、教えてくれるかしら」
それはペルも知りたい情報だったので、ノーム先生を木陰に安置してから駆け戻ってきた。
運動場では、まだ子供サムカが大の字で寝ていて、エルフ先生も丸まって倒れている。校長先生がパリー先生と一緒に、顔を青や赤にしながら駆けつけているところだった。(あ……このままシーカ校長先生の『お説教の時間』になりそうだな)と予想するペル。とりあえず、顔をティンギ先生に向けた。
「私も知りたいです、ティンギ先生」
ノーム先生と同じく、森の木陰に移動する3人。ティンギ先生がパイプに火をつけて、紫煙を一筋吐き出した。
「私も集中して観察していたわけじゃあ無いけれどね」
そう断ってから、解説を始めた。
戦闘が開始されてから、エルフ先生とノーム先生が協力して、〔紫外線レーザー光線〕でサムカを攻撃していた。これは対アンデッド用の定番の攻撃魔法だ。通常の〔レーザー光線〕魔法は赤外線の領域の光で、照射されると膨大な熱を発生させる。もちろん、これでもアンデッドには有効となる。
しかし、更なる効果を狙って、死霊術と相性が非常に悪い紫外線領域の光を使う事が多い。今回は、その対貴族用の〔紫外線レーザー光線〕だったのだろう。
「しかし、残念ながらテシュブ先生の〔防御障壁〕の方が優れていたようだね。効果はなかった」
ティンギ先生が森の木陰の中で涼みながら、木立で覆われた暗い森の奥の一角を指さす。
「それどころか、攻撃を〔テレポート〕させて、森の中に送りつけて火災を引き起こしている。今はもう鎮火しているけれどね」
ミンタとペルが顔を見合わせて、納得の表情になった。いきなり森から煙が上がったので、何だろうと思っていたのだ。
熱線である赤外線とは異なり、紫外線なのでそれほど大きな熱ではなかった事も自然鎮火した理由だろう。残留思念の掃除をこまめに行っているので、森の中には紫外線を浴びて爆発するようなネタは少なかったようだ。
ティンギ先生が紫煙をまた一筋吐き出した。
「その後で、何か交渉したようだね。内容は私には分からなかったけれど、それでラワット先生が拘束された。後は、カカクトゥア先生と、テシュブ先生の一騎討ちに変わったようだね」
ミンタが少し険しい表情になった。人間の眉に相当する上毛が、緊張で顔の前に突き出る。
「その辺りから、運動場に土煙が立ち込めて見えなくなってきたのよね。魔法場も大混線している状況だから、魔法戦闘が起きているという事しか、外からじゃ分からなかったわ。それで、どうなったの? さすがに貴族のテシュブ先生と一対一では、カカクトゥア先生にとって分が悪いと思うんだけど」
ペルもミンタの予想に同意しつつ、ティンギ先生を見つめている。あまりのタメ口には、内心ヒヤヒヤしているようだが。
そのティンギ先生が美味そうに紫煙を森の木立に吐き出しながら、2人に微笑んだ。煙を嫌って、蚊が逃げていく。
「そうでもなかったぞ。光から電波攻撃に切り替えた」
光と電波は、波の性質を持つ点で共通している。エルフ先生が仕掛けたのは、これまで短い波長の光だった紫外線を、長い波長のミリ波に変えた攻撃だった。
ミリ波は電子レンジの加熱機能で使われる電波だ。波長は赤外線よりも長いので目で見ることはできない。その性質は赤外線と似ていて、金属を熱して放電させたり、水を沸騰気化させたりする事ができる。
サムカの〔防御障壁〕は紫外線や赤外線の波長の光を防御するように設計されていたので、そこから外れた波長域のミリ波までは想定していなかった。
〔防御障壁〕を通過したミリ波攻撃が、サムカの衣類の金属をスパークさせ、燃やして火だるまにしたのだった。さらに、サムカの手足の内部にある水分を、急激に気化させて爆発状態にしている。
「おお……」と、目をキラキラ輝かせて聞いているミンタに、ティンギ先生がまた一筋の紫煙を森の樹冠に向けて吐き出した。今度は煙が直撃して、数匹の蚊と羽虫が地面に落下する。一方のペルは、かなり緊張している表情だ。
「これでテシュブ先生が驚いたのだろうね。〔防御障壁〕がおろそかになった。そこに、本命の魔法が炸裂したようだ。これは私には良く分からないから、後でカカクトゥア先生に聞いてみると良いだろうな。あの貴族が完全に動きを停止してしまうような強力な魔法だから、教えてくれるかどうかは怪しいがね。ああいった魔法は、だいたい、機密だらけの兵器級の魔法なんだよ」
サムカが『止まった』という話を聞いて、ペルが首をかしげて鼻先のヒゲを交互に上下させた。ちなみにペルとミンタは虫よけの〔防御障壁〕を展開している。
「何だろう。〔エネルギードレイン〕魔法は、カカクトゥア先生には使えないよね。でも、効果はそれに似ているのかな」
ミンタも腕組みをして、両耳をパタパタさせて考えていたが……一つの推論を出した。
「〔エネルギードレイン〕魔法は、魔法原子の疑似中性子を削る魔法。逆に、疑似中性子を追加されたら? 不安定化するのは同じよね。術式とかは想像できないけれど、そういう結果を引き起こす光の精霊魔法なら、あり得ると思う」
ティンギ先生が興味深く笑って、パイプのタバコを入れ替えて火をつけた。腐葉土で覆われた地面に赤く燃える灰が落ちるが、それを丁寧に散歩用のスニーカー靴の底で踏み消す。
「その辺りだろうな。まあ、カカクトゥア先生の機嫌が良い時に聞いてみればいいさ」
サムカが停止してからは、シャドウや〔オプション玉〕、影〔分身〕がサムカを守りつつ、エルフ先生を攻撃した。
これらに対してエルフ先生は、対アンデッド用の〔紫外線レーザー光線〕を撃って破壊している。サムカにも何発か命中して、激しい爆発が何度も起きていたようだった。
「まあ、貴族が使役するようなシャドウとか〔オプション玉〕に影〔分身〕だからね。それぞれの魔力も非常に高い。防御性能も高いだろうから、打ち破るには杖が壊れるくらいの大魔力の攻撃が必要だったんだろうな」
エルフ先生のライフル杖が自壊したと聞いて、顔を青ざめさせるミンタだ。ペルに抱きつく。そのペルも緊張しているようで、どう反応したら良いか考えあぐねている様子だ。
ミンタが尻尾も含めた全身のフワフワ毛皮を、軽く逆立てて巻き毛だらけにしながら、つぶやく。
「杖が壊れたら、あとは、もう……格闘戦しかないじゃない」
ティンギ先生が紫煙を一筋吐き出して、素直にうなずく。
「だな。実際、そうなったよ」
杖の機能は、魔法をより確実に効率よく強力にするための魔法具だ。もちろん、杖がなくても魔法は行使できるが、術者への負担が大きくなる上に不安定化する。杖なしでは、強力な魔法は使えないと言っても良いだろう。サムカほどの魔力になると、杖がなくても問題なくなるが。
杖が壊れた場合は、相手に『接触して』直接魔法を叩き込む手法が、生身の体では最も効率が良い。間に〔防御障壁〕などが介在できないためだ。
今回エルフ先生は、格闘支援用の補助魔法をパッケージで一度に起動させて、サムカを攻撃している。パッケージの内容は、以前に故ナウアケが放ったゾンビの上位種であるリベナントとの格闘戦で用いた魔法に準じている。
それでも今回は、相手がさらに上位種の貴族なので、通常では殴ったところで回避されてしまう。貴族の運動能力は、リベナントどころではないからだ。しかし、今回は上手く停止させることができた。
「格闘戦というか、互いの魔法場の衝突による誘爆を狙った『自爆攻撃』と呼んだ方が良いかもな。カカクトゥア先生がテシュブ先生を殴った瞬間、その拳が爆発する。今までは、完全な接触には至っていなかったから、大事には至らなかったんだろうけどね。今回は違った」
ミンタとペルが微妙な表情になって、顔を見合わせた。
「そんなに魔法場の相性って悪いんだね、ミンタちゃん」
「うん、そうね……間に何か、緩衝となる魔法や材料を挟まないと爆発しちゃうのかもね」
ティンギ先生が、また一筋の紫煙を吐き出す。
「まあ、『今回は』という事だろうよ。ほら、以前に子供の大きさになったテシュブ先生がいただろ? あの時は特に問題は生じていなかった。熊人形もそうだ。単に魔力量の問題だろ」
運動場では、校長がパタパタ踊りを交えながら、あぐらをかいて座ったままの子供サムカを怒っている。
ペルがサムカの背丈を自分と比較しながら、子供サムカの魔力量を推定してみた。
「……大雑把だけど、『私の数倍』ってところかな。この魔力量だったら、触れても爆発しないと思う。テシュブ先生って、〔召喚〕時に元の魔力をかなり失ってしまうみたいだから、減少すると子供の姿になっちゃうのかも」
ミンタが腕組みして、両耳をパタパタさせた。眉に相当する上毛もパタパタしている。
「うーん。もしかしたら、今。戦ったら、私が勝てちゃう?」
ペルが腕組みをして、口元のヒゲを微妙にモニョモニョと動かした。
「かも……ね。でも、今回はこれで終了だよ。シーカ校長先生が来ちゃったし」
しかし、ティンギ先生はニヤニヤしてパイプをふかしたままだ。黒い青墨色の瞳がキラキラし始めている。
「どうだろうな。カカクトゥア先生、まだ怒ってるみたいだぞ」
「え!?」
ミンタとペルが驚いて視線を移した。
エルフ先生はまだ地面に倒れているままだったが、体の負傷が完全に治っていた。ミンタが冷や汗を鼻先ヒゲの先に浮かべる。
「魔力が結構回復してるわ。法術の魔法具を使ったのかも」
ペルも同じヒゲ先に冷や汗を浮かべた。
「う、うん。敵意というか殺意もまた膨れ上がってきてる」
運動場には校長先生とパリー先生を先頭にして、テント村を防御していたウィザード魔法幻導術のプレシデ先生の長い黒髪スーツ姿、招造術ナジス先生の白衣ジャケット姿、魔法工学のマライタ先生の酒樽姿があった。
彼らの専門クラス生徒たちも、かなりの数が先生と共に運動場へ出ている。総勢で60人くらいだろうか。ウースス幻導術級長とクレタ招造術級長とが、ベルディリ魔法工学級長と何か話し合っているのが見える。3人とも、運動場の有様に驚いているようだ。
続いて、テントの中から力場術級長のバングナンも顔を見せた。彼も同じように驚いている様子だ。すぐに、専門クラス生徒を招集し始めている。
森の中からは一時避難していたスロコックと3人のアンデッド教徒が、恐る恐る運動場へ足を踏み入れている。
一方で、法術専門クラスのスンティカン級長が、運動場の隅から警告していた。運動場には今、生徒たちの石片が散乱している状況だ。踏み潰されて石が割れてしまうと〔復活〕作業が遅れることになる。リーパットも、その点は理解できたようで、大声で級長と共に警告していた。
ティンギ先生がパイプをのんびりふかしながら、木陰で楽しげにつぶやく。
「ほほう、第二波攻撃が来そうじゃないか」
ミンタとペルが顔を見合わせて、真っ青になった。すぐに校長先生たちに〔指向性会話〕魔法をかけて大音量で叫ぶ。
「逃げてーっ!」
「運動場に入っちゃダメーっ!」
指向性の角度を〔操作〕して、運動場に入ってきている全員に届くようにしての警告だ。
リーパットと法術クラスの級長の警告には、全く耳を傾けていなかった先生と生徒たちであったが……ミンタとペルの大音量警告を食らって飛び上がっている。音圧が1桁くらい上なので、ちょっとした音波兵器並みの警告になってしまったようだ。
聴覚の鋭い狐族の生徒を中心にして、悲鳴を上げて運動場にうずくまったり、尻餅をつく者が10名以上も出てしまった。
ティンギ先生が軽く紫煙を吐き出す。
「逆効果だったな」
そして、運動場へ駆けだそうとしたミンタとペルの尻尾をつかんで引き戻した。文句を言う2人の顔に、ティンギ先生がタバコの煙を思いっきり吹きかける。
「もう、手遅れだ。君たちも死にたいのかい?」
その時、エルフ先生が運動場から跳ね起きた。
(もう杖がないので、強力な魔法は使えないはず……)とサムカも思っていたので、この強烈な殺気に対処していなかった。パリー先生が校長の隣でニコニコしているので、彼女を刺激しないためでもあったが。
エルフ先生が自慢の腰まで真っ直ぐに伸びている、べっ甲色の金髪を手刀でバッサリと切り取った。金色に輝く髪の毛が空中に舞い上がる。その切り取った金髪の束を、右手で握りしめた。
子供サムカが闇魔法で自動迎撃すると、再び盛大な爆炎が発生した。爆風と土煙が巻き上がって、エルフ先生と子供サムカ、それに校長とパリー先生を飲みこんでいく。
驚愕の表情を浮かべて立ち尽くしているミンタとペルの尻尾を、ティンギ先生がさらに引っ張って、両腕で2人を抱える。
その次の瞬間。爆炎と土煙の中から〔青いレーザー光線〕が無数に放たれて360度全方位に伸びた。
煙と土埃が瞬時に光に強制〔変換〕されて消滅し、視界が一瞬で元に戻った。運動場に立つエルフ先生が、髪の束を頭上に掲げている。〔青色レーザー光線〕は、この金髪の束から放射されていた。その彼女の目の前で、子供サムカが穴だらけにされて燃え上がっている。
そのサムカから1メートルほどしか離れていない場所に立っていた校長は、パリー先生の張った〔防御障壁〕の中に保護されていて無事のようだ。しかし、何が起きたのか理解できていない様子で、パタパタ踊りをし続けているが。
ティンギ先生が両腕でミンタとペルを抱えながら、口に差したままのパイプをモゴモゴ動かして、一息紫煙を吐いた。
「ふいー……3発食らったか。まあ、この程度なら自動〔治療〕できるだろ。ミンタ嬢とペル嬢は、大丈夫そうだね」
そう言いながら、ゆっくりとミンタとペルを地面に下ろす。2人はケガを負っていない。
ティンギ先生は2人を抱えている両腕と腹に、計3つの穴が開いていた。赤外線のような熱線攻撃ではなかったので、穴は小さく爆発も起こしていない。光線が命中した部位が、光に強制〔変換〕されてしまっただけのようだ。
止血を迅速に行って、すぐに傷を塞ぐ法術をかける。ティンギ先生は法術に疎いようで、スーツの上着とシャツに開いた穴までは〔修復〕できないようだ。
「無差別攻撃だったな。森の木々も穴だらけだ」
ペルが森の方を見ると、無数の穴が木々の幹や枝、それに葉に開いている。
森の木陰に安置されていたノーム先生は、〔青色レーザー光線〕の直撃を受けて数個の肉片になっていた。〔防御障壁〕が全く機能していなかったので、申し訳なく謝るペルである。
運動場の地面も穴だらけだ。穴の深さは数メートル程度のようだが、酷い有様になっている。
そして、それはテント村も同様だった。〔防御障壁〕が機能しなかったようで、運動場の半分を占めている大小30張のテントが全て穴だらけになっていた。上空を見上げると、冬空に浮かぶ筋雲も穴だらけになっている。
先程まで運動場にいた60人ほどの先生と生徒たちも、全員が穴だらけにされて倒れていた。運動場の隅に避難していた法術専門クラスの生徒たち20人ほども、数名が立ち上がっただけだ。その中にリーパットの姿があったので、呆れるペルである。
スンティカン級長は右腕を撃たれたようだったが、気丈に周囲の生徒たちの〔治療〕を指揮している。
ミンタは運動場に仁王立ちして動かないエルフ先生を凝視していた。
エルフ先生自身も無差別射撃の例外ではなく、穴だらけになっている。しかし、腕や足がカクカクと動いているので、死んではいないようだ。
そのエルフ先生の足元に四つん這いになって屈しているのは、子供サムカだった。彼もまた全身が穴だらけにされていて、しかも〔修復〕が行われていない。
そんな壮絶な姿の2人を、至近距離でヘラヘラ笑いをして見物しているのはパリー先生だ。完全にこの攻撃を〔防御障壁〕で防いでいて、一緒にいる校長も無傷である。校長はショックのあまり半分気絶しているが。
ティンギ先生が法術〔治療〕を終えて、その場で軽く跳びながら状況確認する。
「『奥の手』だったようだね。髪を魔法の『触媒』にして、光の精霊魔法を使ったのかな。杖と違って精密制御ができないから、全方位の無差別射撃になったようだけど。良いスリルだったよ」
エルフ先生が右手に持っていた金髪の束が、光に〔分解〕されて消滅した。
その右手が白い光を帯びているのを見て、ミンタが身を乗り出す。口元のヒゲが痛いほどピンと張りつめている。
「カ、カカクトゥア先生! もう止めて下さいっ」
「え? まだ攻撃するの!?」と、顔を見合わせるペルとティンギ先生。
その殺気は、子供サムカも〔察知〕していた。パリー先生の気配を横に感じながら、顔をエルフ先生に向ける。
両者とも体と顔が穴だらけで、目玉も耳も鼻もなく、視覚や聴覚なども喪失している。それでも精霊場や魔法場の位置と状態で大よそ分かるものだ。
四つん這いのまま、体を細かく痙攣させて子供サムカが感心する。
(むう。体が動かぬ……。光の精霊場が抜けない間は、貴族と言えどもこうなるのだな。良い経験になった)
そのサムカの穴だらけの頭に、エルフ先生の右手刀が振り下ろされて、爆発した。子供サムカの首から上の頭部が、完全に粉砕されて消滅する。エルフ先生の右腕も、肘から先が吹き飛んで消滅している。
サムカの四つん這いの体が、壊れた人形のように地面に崩れ落ちた。さすがにまだ灰になったり、光に〔分解〕されたりはしていないが……ピクリとも動かない。
エルフ先生も同じように、人形が倒れるように運動場に仰向けに倒れて動かなくなった。
真っ青な顔で、それを見守るミンタとペル。もはや声も出せない様子だ。顔じゅうの細いヒゲが全て細かく震えて、顔にピッタリと貼りついている。両耳も揃って頭のフワフワ毛皮の中に潜り込んでしまった。ペルに至っては、黒毛交じりの尻尾を両手で抱きかかえている。
その一方で、特等席でニコニコ笑いながら観戦していたパリー先生が、〔防御障壁〕を解除して左手を頭上に高く掲げた。
「たのしかったわあ~。じゃあ、死んじゃうと困るから~とりあえずカエルになぁれ~」
赤い腰まであるウェーブのかかった髪を跳ねさせて、パリー先生が「ピョン」とその場で小さく跳び上がった。
その着地と同時に、運動場とテント村で無数の水蒸気の煙が噴き上がった。<ポンポポポン>という乾いた連続音が、ミンタたちがいる森の木立の中まで響き渡る。
その水蒸気の煙が収まった後に現れたのは、無数の『青カエル』だった。森の中に生息する種類で、よく見かけるものだ。狐族やエルフ先生の好物でもある。
一方で、首なし子供サムカだけは、穴だらけのままで放置されていた。パリー先生がニコニコしながら告げる。
「サムカちん先生は~アンデッドだから~自力で〔修復〕してね~」
頭がないので声が出せないサムカが、〔念話〕でパリーに礼を述べる。
(うむ、そうしてくれると助かる。皆が元に戻るまでには、私も〔修復〕できるだろう)
パリー先生は、もうサムカの事を気にしていないようだ。テント村の影や内部で死角になっていて、まだ〔カエル化〕されていない死体や破片を喜々として探し始めた。まだ息のある生徒も、ついでにカエルにしている。エルフ先生並みの無差別〔カエル化〕攻撃だ。〔石化〕されている者や物は除外している。
そんな〔念話〕を受信していない校長は、首なしサムカを見てパニック気味になっていた。
「うわわあっ」
それでも、いきなり大量発生した青カエルを踏まないように、パタパタ踊りをしている。首なしサムカの体に何度か狐足をぶつけてしまっているが、ショックで軽い貧血状態に陥っているので仕方がない。
ミンタとペルが目を点にして、茫然とカエルの大群を見ている横で、ティンギ先生がパイプから一筋の紫煙を吐き出した。「ケホケホ」とむせるミンタとペル。
「さすがに、ほぼ全校生徒と先生たちの〔復活〕ともなると、地下の法力サーバーでは過負荷になるだろうからね。エラーが多発することになる。となれば、何グループかに分けて〔復活〕作業をした方が良いだろうな。カエルにして生かせておけば、『死者からの復活』に比べると負荷も少ないはずだ。パリー先生も勉強しているんだねえ」
ミンタがジト目になって、運動場で踊っているパリー先生を見る。鼻先のヒゲが再びピンと生意気に張っている。
「単に面白がっているだけだと思うけど。こんな魔法が使えるんだったら、『普通の感覚なら』もっと早く使っているはずよね」
ペルもさすがに少し怒っている様子で、ミンタの考えに賛同している。彼女はまだ全てのヒゲが、顔にペッタリと貼りついたままだが。
「うん。わざわざ生徒と先生がほぼ全滅してから、もったいぶって使うとか……意地が悪いよね」
ティンギ先生が愉快そうに微笑みながら、今度は紫煙を森の方向へ吹く。
「それを言うなら、君たちもだぞ。カカクトゥア先生やラワット先生に『直通の回線』を野放しにしたから、この騒ぎになったという見方もできるからね」
それについては、ミンタとペルも「ぐぬぬ……」と唸って黙るしかない。適当な情報遮断用の〔防御障壁〕を使用していれば、〔呪い〕が拡散する事態にはならなかっただろう。〔呪い〕自体には〔防御障壁〕が効かなくても、〔空中ディスプレー〕回線の遮断は〔防御障壁〕で可能だ。
今や、運動場と穴だらけのテント村を埋め尽くすような青カエルの大群が、ケロケロと大合唱を始めた。ティンギ先生が森の方向をチラリと見て、ミンタとペルに穏やかな声で語りかける。
「さて、私たちもシーカ校長先生に怒られに行こうか。森の原獣人族や鳥獣が『不意に沸いた大量のカエル』に気がついて、豪華な昼食を取りにやって来るだろうからね。さすがに『食われてしまったカエル』を〔復活〕の材料に使うのは、法力サーバーに余計な負荷をかけるだけだろう」
【お説教】
結局10分後には全員が無事に〔蘇生〕や〔復活〕を果たしていた。
生き残ったスンティカン級長が数名の法術専門クラスの生き残りと一緒に、法力サーバーの管理を四苦八苦して行ったおかげだ。
カエルを狙いに鳥獣が森の中から時節飛び出てきたが、その都度ミンタとペルが光と闇の精霊魔法で撃退していた。ペルの子狐型シャドウも元気に森の中を駆け回って、鳥獣や原獣人族を追い払っていたようだ。
おかげで食われてしまった青カエルはいなかった。
そして、無事に〔蘇生〕や〔復活〕を果たした全校生徒と全教師が、まとめて校長から説教を受ける羽目になった。見た目は全校朝礼のようでもある。
校長は狐族で身長が110センチしかないので、パリー先生が上空2メートルまで浮かせている。なぜか、パリー先生の隣には、法術専門クラスのスンティカン級長とリーパットがふんぞり返って控えている。
校長が説教をしながら、数分かけてようやく気分を平常に戻してきた。白毛が交じる尻尾を含めた全身の毛皮の逆立ちが、徐々に鎮まっていく。狐族に特有の〔魅了〕効果も、気分が落ち着いてくるにつれて弱くなっていった。
それにつれて、全校生徒と先生たちの注意力も散漫になってきつつあるようだが。森の中に100匹単位で集まってきていたトカゲ、ネズミに小鳥なども、〔魅了〕効果が弱まるにつれて数を減らしてきていた。
校長が次第に声の調子を理性的なものにして説教を続けている中で、法術のマルマー先生が豪華な法衣を派手にひるがえしながら、生徒と先生の間を元気に行き来している。さすがに密集して整列しているので、派手な飾りが多数ついている大きな杖は、それほど振り回していないが。
生徒の中で、目まいがして立ちくらみを起こした生徒を目ざとく見つけては、急いで駆け寄って法術をかけていく。マルマー先生の独壇場だ。
「これほどの大人数を一気に〔蘇生〕〔復活〕させた事は、初めてだったからな。エラーが出るのは仕方あるまい。我が、きっちりと〔修正〕してやるから、何も心配する事はないぞっ」
その本人は、先程まで死んでいたのだが……
法術専門クラス生徒は全員が法力を使い切っていたので、大人しく校長の説教を聞いている。
パリーの隣に立っているスンティカン級長は、大仕事をやり遂げた充実感のせいか、ほのぼのした表情になっていた。ラヤンが彼の顔を見て含み笑いをし、肩を少し震わせている。何かの笑いのツボに嵌ったようだ。
森からの襲撃に対する迎撃が終わっていたミンタはペルと一緒に、一般生徒の中で校長の説教を聞いていた。しかし、マルマー先生の踊るような巡回診察を見ながら、少しジト目になっている。
ペルに〔空間指定型の指向性会話〕魔法を使って、小声でグチを漏らしてきた。尻尾や両耳、それに口元と鼻先のヒゲが心情を表現して、不規則にバラバラに動いている。
「『蘇生復活エラー』は、急性と遅延性があるのよ。今、得意になって〔治療〕しても、明日から1週間くらいは経過観察しないといけないんだけど。その人員手配とかやってないわよね、あれじゃ」
ペルは少し楽観的だ、それほど尻尾や耳、ヒゲの動きがバラバラではない。
「法力サーバーが無事だから、全校生徒と先生の生体情報はきちんと残っているよ。『蘇生復活エラー』が起きた人でも、そのデータを参照することで〔修正〕できるし、何とかなると思う。昔の能力が低い『法術場サーバー』だったら、今頃はこんなにのんびりできていなかったよ」
昔と言っても、つい最近なのだが、その点についてはミンタも異論はない。
「まあね。他の魔力サーバーも増強されているから、何かと便利になってるわね。それでも、人員配置はしっかりやってもらわないと。授業がさらに遅れてしまって、留年する生徒が続出するわよ」
校長がようやく説教を終えて、地上へ降り立った。次にパリー先生が上空に引き上げたのは、リーパットだった。
ミンタとペルの表情が一気に険しくなる。その一方で、生徒の間から歓声と拍手が沸き上がった。60名いるリーパット党員によるものだ。もちろん、側近の2人が扇動しているのだが。
その拍手をドヤ顔でうなずきながら、両手を上げ下げして拍手を15秒間ほど楽しんだリーパットが、おもむろに力強い声で演説を始めた。
内容はいつもの狐族至上主義の賛美と、ブルジュアン家の栄光を称えるものだったので、早々に校長から釘を刺されてしまったが。
話の腰を折られて、かなり不機嫌になったリーパットだったが……校長には一言二言の脅し文句を述べるだけで済ました。そして話を変えて、鋭い視線を子供サムカとエルフ先生、ノーム先生に向ける。
「今回の騒動は、我の名を以って帝国上層部へ詳細に伝えることにするっ。すぐに、きつい処分が下されるであろう! 楽しみに待っておるが良い。我からは以上だ」
そのくせ、さらに演説を続けるリーパットであったが。
その演説を聞いて、先生と生徒たちがざわめく。エルフ先生とノーム先生の凶行をかなり脚色しているのだが、概ね事実に基づいている。
しかし、マライタ先生とティンギ先生の2人がニヤニヤして、一緒に肩をホイホイ上げ下げしている。既に『対処済み』のようだ。
回復したばかりで、まだ少しフラフラしているムンキンが、隣で魚顔のままでフラフラしているレブンの肩をつつく。
「さすがドワーフの情報管理システムだな。もう、先手を打っているのかよ。タカパ帝国も形無しじゃないか」
レブンが魚の口のままで同意する。
「大ダコ戦の際にドワーフ製の兵器が大量に納入されているからね。どこもかしこも筒抜けだろうね。マライタ先生の『あの喜びよう』から推測すると、今回の騒動もドワーフ政府を利するものだったんだろうな」
ムンキンが少し悔しがった。さすがに今は尻尾をバンバン叩くことはしていない。
「僕たちも、もうちょっと生き延びていたらなあ……ミンタとペルさんから〔共有〕した情報だと、相当凄い戦いだったようじゃないかよ。もったいねえっ」
レブンが情報を思い出して、うなずく。
「だよね。特にカカクトゥア先生の格闘術が凄かったな。テシュブ先生をほとんど停止状態にまで追い詰めたんだから」
ムンキンが濃藍色の大きな瞳をキラキラと輝かせた。さすがに1回だけ尻尾で地面を≪バシッ≫と叩く。
「だよなっ。くう~、見たかったぜっ」
ちなみに、ジャディはまだ〔復活〕されていなかった。今ここで大人しく説教を聞くような鳥ではない……という配慮なのだろう。(もし、今ここにジャディ君がいれば、新たな騒動が勃発していたかもしれないなあ……)とぼんやりとレブンが想像する。
そのくらいにリーパットの上から目線の演説は、聞いている生徒や先生の意識を、正気に戻す効果があるようだ。もちろん怒りの方向だが。
ようやくリーパットの演説が終わり、最後に法術専門クラスの竜族のスンティカン級長が空中に引き上げられた。こちらは、完全に事務的な口調だ。
「現在、マルマー先生が〔診断〕と〔治療〕を行っておりますが、『蘇生復活エラー』は遅れて発生する場合があります。体の不調を覚えましたら、遠慮なく我々法術専門クラス生徒やマルマー先生に申し出て下さい。以上です」
最後に校長の声だけが伝えられた。
「では、授業を継続して下さい。まだ、残り時間が10分ほど残っています」
「ええ~……」
軽いざわめきが生徒と先生の間から起きたが……皆、素直に穴だらけのテントへ戻っていく。
ミンタとペルが、ムンキンとレブンに群衆の中で再会した。ムンキンが半ばあきれたような顔になってミンタを褒める。
「やっぱり全校トップの成績だけあるよなあ。あの騒動で生き残るとか、やっぱミンタさんは凄いや」
レブンもようやく魚顔をセマン顔に戻して同意している。
「その通りだよね。おかげで、貴重な戦闘データを〔共有〕する事ができたよ。ありがとう」
ミンタがドヤ顔になって、鼻先のヒゲ群を振り回した。
「そう? ふふふ。素直な称賛はいくらでも受け取ってあげるわよ。もっと称賛しなさい」
隣でペルがレブンとムンキンに謝った。影が薄いので、何人かの生徒に体をぶつけられている。
「ごめんね。その情報の半分以上は、ティンギ先生からいただいたものなの。私たちも、森の上空へ避難するので精一杯だったから」
ミンタがムンキンとレブンにウインクする。
「ばれたか。まあ、私たちもそんな状況だったから、アンタたちが感謝する必要はないわよ」
そして、右の耳をパタパタさせた。
「それで。バカ鳥の〔復活〕作業はどうするのよ」
ラヤンがジト目になって、テントへ向かう群衆の中から姿を現した。手に〔結界ビン〕を持って、それを見せつけている。
「ここに保管してるわよ。そろそろ法力サーバーに余裕ができるから、ジャディ君を〔復活〕させてあげるわ。私個人としては面倒だから、この先、数ヶ月間くらいは、このまま灰と炭のままで眠っていてもらえると心安らぐのだけどね」
それに賛同するミンタとムンキンである。ペルとレブンは抗議しているが。
そのペルがキョロキョロした。
「あ。テシュブ先生の魔法場を感じたよ。無事だったんだ、よかったー」
しかし、身長が1メートル程度しかない獣人族よりも背の高いサムカなのだが、その姿はどこにも見当たらなかった。不思議がっているムンキンとレブン、それとラヤンに、ミンタとペルが奥歯に物が挟まったような口調で説明する。
「テシュブ先生だけど……カカクトゥア先生との戦いで魔力を消費して小さくなったのよ。今は、私たちと同じくらいの身長になっているはず……あ、ほら、見つけたっ」
ミンタが真っ先に子供サムカを群衆の中から見つけ出した。確かに、身長は90センチくらいにまで低く小さくなっている。
ムンキンとラヤンがジト目になった。
「またかよ」
「またかよ」
【子供サムカ】
教え子たちに発見されて頭をかいているサムカに、ペルとレブンが抱きついた。少しよろめいて動揺する子供サムカだ。
「どうした。ペルさん、レブン君」
ペルがにっこりと微笑んだ。レブンも同じように微笑んでいる。
「小さくなって魔力が弱くなったのを確認したんですよ、テシュブ先生っ。これで今は抱きつき放題っ」
レブンはさすがに子供サムカから体を離したが、古着の袖をしっかりと両手でつかんだままだ。
「先生がご無事で、本当に良かったです」
子供サムカが錆色の短髪を軍手をした右手でかく。
「今の私は、故ナウアケと違い、ここで死んでも故郷の館で〔復活〕できるのだがね」
「なあんだ……」と口を尖らせているミンタとムンキンに、子供サムカが顔を向けて山吹色の瞳を細める。
「カルト派とはいえ、貴族が滅するのを知ったからね。当然、対策は講じてある。今回、私が慌てずに対処できたのも、故ナウアケのおかげだろうな。だが、〔復活〕には100年ほどかかる見込みだから、君たちが生きている間に再会できる保証はないが」
「ええ~……」と、哀しい顔になるペルとレブンに、子供サムカが微笑む。
「だから、今回は死なずに済んで幸運だった……という事だな」
そして、改めて腕組みをして感心する子供サムカである。
「それにしても、先程のクーナ先生の攻撃は鋭いものであった。『騎士』として迎え入れたいくらいだよ。まあ、魔法特性が違うから、実際には無理だがね」
サムカがそう言いながら、群衆の一角に視線を向ける。今はもう、半数以上の生徒たちがテントへ戻っているので視界が良くなっていた。
サムカの視線の先には60人ほどの生徒の集団がある。言うまでもなく、エルフ先生とノーム先生の専門クラスの生徒たちだ。
ノーム先生のクラスのニクマティ級長と、子供サムカとが視線を交わした。それを合図にしたように、子供サムカがペルとレブンに一言断って、歩いて向かう。慌ててついていくペルとレブンだ。
ミンタとムンキンは、ラヤンと一緒に肩をすくめながら、ゆっくりとペルとレブンの後をついていく。
精霊魔法専門クラスの生徒たち全員が、子供サムカの姿を見つけてざわめいている。
エルフ先生のクラスの生徒たちは、サムカの後ろで大袈裟な身振り手振りで『おちつけー』と合図を送っているミンタとムンキンを見て、平静さを取り戻したようだ。子供サムカに道を開ける。
一方のノーム先生のクラスの生徒たちは、ニクマティ級長を筆頭にして怒っているままだ。しかし、級長が両手を大きく広げて、クラスの生徒たちが子供サムカに攻撃することを禁止している。
その配慮に素直に礼を述べる子供サムカ。
「授業を中断したばかりか、君たちの担任教師と戦うことになってしまった件、すまなく思う。大したケガはしていないはずだが、実際はどうかね?」
ニクマティ級長がミンタとムンキンに視線を投げてから、子供サムカに顔を戻した。
「1つ質問したいのですが。テシュブ先生はラワット先生に攻撃をしましたか? ラワット先生はテシュブ先生に攻撃をしたと、ミンタさんと〔共有〕した情報にありました」
子供サムカが軍手をした右手を軽く左右に振って、否定する。
「いや、していない。〔拘束〕はしたが。ラワット先生が死亡した原因は、暴走したクーナ先生の誤射だ。運が悪かったな」
ニクマティ級長が、大きく深呼吸してから子供サムカに道を開けた。他の生徒たちも、ようやく納得した様子になり道を開けていく。
「〔呪い〕の管理だけは、厳重にして下さい」
そして、表情をさらに真面目なものにした。黒茶色の瞳が理性の光を帯びている。
「実はノリと勢いで、テシュブ先生とミンタさんたちに挑んだようなものでした。なぜか理性が吹き飛んでいたようです。こういった機会って、あまりありませんからね。実の所、意外に楽しかったですよ」
ニクマティ級長が率いる60人ほどの生徒たちが、コロッと表情を変えた。
「凄く楽しかったですよっ、テシュブ先生」
「習った攻撃魔法を存分に使えて、スッキリしましたっ」
「また、いつか再戦しましょうっ」
「今度は、灰にしてやるからなっ」
明るく騒ぎ出した生徒たちに目を丸くして驚いているミンタたち5人。一方で、子供サムカは何か合点がいった様子である。
「うむ。ようやく〔呪い〕の影響が消えたようだな」
ミンタとペルが思わず顔を見合わせた。ムンキンとレブンもだ。ラヤンだけはまだ不審な顔のままだが。
60人ほどの精霊魔法専門クラス生徒が、子供サムカに恭しく頭を下げながら道を開けた。その先には案の定、地面にしゃがんで頭を抱えているエルフ先生とノーム先生の姿があった。
エルフ先生は先程髪をバッサリ切ったばかりで、肩までのショートになっている。どうやらパリーが面白がって、元の長髪に〔復元〕しなかったようだ。
【傷心の先生2人】
子供サムカが軽く咳払いをして、頭を抱えたままの先生2人の肩にそれぞれ手をかけた。
「……うむ。この姿であれば、直接触れても問題ないな」
サムカがうなずいて、軍手を外す。真っ白いが、厳つい手が現れた。手だけを見ると、とても子供のモノではない。
子供サムカに『直接』肩をかけられた事で驚いたのか、エルフ先生とノーム先生が同時に顔を上げた。
「サ、サムカ先生!? え、あ? 子供になって……あ。なっていましたね、そういえば」
エルフ先生が狼狽している横で、ノーム先生も三角帽子を地面に落としてしまっている
「こ、これはいったい……あ。そうか。魔力を消耗したせいですね」
子供サムカが山吹色の瞳を閉じて頭を下げた。生徒の間から、どよめきが上がる。
「謝罪する。君たちは〔呪い〕の直撃を受けてはいないが、影響は受けてしまった。今回の〔呪い〕は、君たちの意思に関わらず、破滅的な行動をさせる魔法だった。よって、今回の破壊行動は、決して君たちの意思ではない。私の魔法の管理の失敗のせいだ。気に病む事は全くないぞ」
ペルとレブンから急きょ、今回の授業内容が解説付きで先生と生徒たちに一斉〔共有〕された。その情報を理解しながら、〔呪い〕の脅威に震えあがる生徒たちだ。
ようやく、ノーム先生が弱々しく笑みを口元に浮かべた。ショックのあまり、銀色の髪やヒゲがボサボサになている。
「お気遣い感謝しますよ、テシュブ先生。多分、これで懲戒免職と実刑は免れたと思います。しかし、恐ろしい事ですが、あの乱射攻撃をしている間も意識はあったのですよ。それも『嬉々とした殺戮衝動』です。それも、〔呪い〕の影響なのでしょうか?」
子供サムカが素直にうなずく。
「うむ、そうだ。あの種の〔呪い〕とはそういうものだからな。心が葛藤していては〔呪い〕にならない。魔法にかかっている間は、至極当然の破壊感情なのだよ。まあ、我が世界の創造主への『供物』であるから、全面的な肯定であり賛美の方向に破壊感情が向かうのだがね」
そう答えてから、穏やかに微笑む。子供の顔なのだが、風格がある。
「だから、気に病む事はないのだ。もう、〔呪い〕の影響も抜けたから、後は通常の精神〔治療〕を行えば治るだろう」
大きく深呼吸をしたノーム先生が、子供サムカに微笑んだ。今度はもう少し力強い表情になっている。
「……そうですか。確かに、今はもう破壊衝動は心にありませんね。この後で、マルマー先生の〔診断〕を受けるようにしますよ」
そして、まだ頭を抱えて地面に座り込んでいるエルフ先生の肩を持った。
「彼女も連れていきます。僕よりも正義感が強い方ですからね、回復までには少し時間がかかるかもしれませんが」
一度、エルフ先生の精神状態を魔法で調べるノーム先生。特に問題は見られないようだ。顔がさらに明るくなった。次に、顔を60人ほどの生徒たちに向ける。
「校長先生は『授業を続けろ』という指示だったけれど、授業はここまでにするよ。今の僕たちでは、まともに授業できる状況ではないからね」
さすがに歓声は上がらず、静かにガッツポーズをする生徒たちだ。
そんな彼らに微笑んだノーム先生が、エルフ先生の真下の地面を盛り上げた。大地の精霊を使った荷台型の運搬装置である。以前、粉を吹いているペルたちのゾンビを用務員室まで運んだ際に使用した魔法だ。今は傷心のエルフ先生が横たわっている。
そのままマルマー先生のいるテントへ向けて移動し始める。最後に子供サムカに礼を述べた。
「ありがとう、テシュブ先生。先生が攻撃してくれなかったおかげで、命拾いしたよ」
子供サムカが藍白色の白い頬を、手袋をした指でかいた。
「私が攻撃できないのは、『召喚の規約』で定められているからね。まあ、例外はいくらでもできるが」
「ですよねー……」
諦観の視線を交わすミンタたち5人。
頭を抱えたまま土製の荷台に乗せられて運ばれていくエルフ先生に、子供サムカが最後に声を掛けた。
「クーナ先生。気に病む事はない。私も、今回の事は反省している。先生の忠告に最初から従っていれば、このような事態にはならなかっただろう。先生は何も悪くないぞ」
エルフ先生が両手を頭に乗せたまま、ゆっくりと子供サムカに振り返った。かなり焦燥していて、空色の瞳が暗く濁っている。
「それでも、大変な事をしてしまったのは事実です。死者が出なくて、本当に幸いでした。うう……私が大量虐殺を嬉々としてするなんて……」
ノーム先生が一言エルフ先生をなだめてから、子供サムカに頭を下げて去っていった。(クーナ先生の背中は、あれほど小さなものだったか……)と思う子供サムカである。
ラヤンがポケットから〔結界ビン〕を1つ取り出して、手の上で転がした。
「まだここに、死んだままのバカ鳥がいるけれどね」
ジト目になってラヤンを非難するペルとレブン。
ミンタとムンキンは、既に気持ちを切り替えている様子だ。ノーム先生のクラスのニクマティ級長と少しの間何か話し合っていたが、決まったようである。
ミンタが代表して子供サムカに、キラキラ光る栗色の瞳を向ける。
「テシュブ先生。せっかくですから、ここで授業の続きをしませんか。私たちのクラス全員も授業を見学したいと言っていますし」
子供サムカに、60人ほどの生徒たちの熱心な視線が集中する。ペルとレブンも事情を察して、子供サムカに抱きついた。
「私からもお願いします、テシュブ先生っ」
「僕からもお願いします。正しい授業を見せる事で、アンデッド教徒の過激派が生まれる危険性も減ると思います」
今はほぼ同じ身長のペルとレブンに、子供サムカがうなずく。
「そうだな。テントも大破しているし、運動場で行った方が気が散らずに授業ができるだろう。では、扉を呼び寄せるまでの間に、見学の生徒たちに、簡単にこれまでの授業内容を教えておいてくれ」
レブンがパッと子供サムカから離れて、騎士がするような立礼をした。
「は。かしこまりました、テシュブ先生。このレブンにお任せを」
クスクス笑っているペルが、ラヤンに頭を下げた。
「ラヤン先輩、ジャディ君の〔復活〕を始めて下さい。この授業を受け損なったと知ったら、また暴れ出しますから」
【ジャディの復活】
10秒ほどすると、テントから扉が飛びだしてきた。ちゃっかりとサムカ熊とハグ人形が扉に乗って、こちらへゆっくりと飛んできている。
60人ほどの生徒たちは、早速レブンから提供された『これまでのあらすじ』を頭に叩き込んでいる最中だ。サムカの授業は、希望する生徒たちに向けて情報が〔共有〕されていたのだが、改めてレブンが編集し直している。
ラヤンがジト目になりながらも、遠くを見るような視線を、扉と2つの人形に向けた。まっすぐやって来ないで、来たり戻ったり左右に飛んだりしている。
「扉の授業を受けたのって、ずいぶん前のような気がするわね」
ミンタが同じような遠い目をして、ラヤンの肩を小突いた。金色の毛が交じっている尻尾が物憂げに地面を掃く。
「一度死にかけているからね、ラヤン先輩は。走馬燈でも見たんじゃないの?」
ラヤンが含み笑いをして、ミンタの肩を小突き返した。尻尾も「パシン」と地面を叩く。
「死者の世界の一歩手前まで、遠足して帰ってきたわよ。豪華な走馬燈だったわね」
一方のムンキンが、にわかにポケットや〔結界ビン〕の中を探し始めた。濃藍色の大きな目がキョロキョロして、冷や汗が柿色の細かいウロコを伝って日差しを反射している。尻尾もかなり不規則に振り回して地面を叩いているので、何かあった事が丸分かりだ。
レブンが察したようで、魚顔に戻りつつムンキンに聞いた。
「もしかして、『鍵』を無くした……?」
《ギクリ》と背筋を伸ばして一瞬停止するムンキン。この辺りの動きはトカゲによく似ている。
「な、無くしてなんか、い、いないぞっ! ちょっと待ってろ」
ムンキンが大慌てで動き出して、ポケットなどを改める。〔結界ビン〕が数個と、簡易杖の予備が1本、それに間食用のバッタの甘辛揚げが入った袋などが、バラバラと地面に落ちる。
ラヤンがそれを見て、笑いながらジト目になった。
「そんな物まで法術で〔修復〕しちゃったのね。今度から、不要な物は〔修復〕の対象から外すように、マルマー先生に進言しておくわね。信者の信仰心の無駄使いだし」
そう言いながら、ラヤンがジャディの遺灰が詰まっている〔結界ビン〕をポケットから取り出して、マルマー先生に〔念話〕で〔復活〕開始を要請した。ラヤンの手元に小窓型の〔空中ディスプレー〕が発生する。すぐにマルマー先生の顔が映ったのだが、面倒くさそうな表情をしている。
しかし、大きくため息をついてから了承した。とってつけたような『営業用の笑顔』を顔に貼りつかせている。
「一応、本校の生徒だからな。彼だけを〔復活〕させないというのは不公平ではある。よろしい、許可しよう。ラヤン君は、そのまま〔結界ビン〕を地面に置いてフタを開けておいてくれ。後は、我に任せなさい」
「はい、先生」
ラヤンが素直に従って、比較的デコボコが少ない場所に〔結界ビン〕を置いて、フタを開けた。そのまま数歩後ろに下がり、他の生徒が近づかないように両手を広げる。
「普通の〔復活〕法術だけど、念のため、近づかないようにしてちょうだい」
「はいはい」とミンタたちも素直に従って、〔結界ビン〕から少し距離を置いた。60人ほどの精霊魔法専門クラスの生徒たちも、ノーム先生のクラスのニクマティ級長の指示に従って距離を置く。
この時点で、レブンからの『情報の読み込み』を終えたようだ。さすがの〔高速学習〕魔法である。もちろん、このままでは自身の魔力に資することはない。ただの知識として記憶されるだけだ。
子供サムカも念のためにペルとレブンの後ろに隠れる。2人が子供サムカのために〔防御障壁〕を複数枚展開した。サムカがペルとレブンに礼を述べると、照れてしまう2人である。
「私よりも数倍強い魔力量ですので、〔防御障壁〕を張らなくても大丈夫だと思いますけどね。万一の事が起きたら大変です」
ペルの言葉にレブンも同意する。
「そうですね。ペルさんの考えに僕も同意します。もう授業時間の残りも少なくなってきていますし」
そんな3人の、ほのぼの会話の横では、ムンキンだけが必死で探し物をしていた。今は、ズボンのベルトの隙間を確認している。ミンタもムンキンに〔探査〕魔法をかけて調べているが、思わしくない表情だ。
ラヤンが〔復活〕法術式の正式な開始命令を手元の〔空中ディスプレー〕に入力する。それを合図にして、地面にウィザード語の魔法陣が発生し、〔結界ビン〕をスキャンするかのように空中に浮かび上がった。
魔法陣が〔結界ビン〕の真上で〔浮遊〕して停止すると、〔結界ビン〕が割れた。炭と灰がビンから溢れ出て、それらが白い光に包まれていく。同時に魔法陣の形が変化して、泡が重なったような法術の魔法言語が表示された。
子供サムカ用に展開している〔防御障壁〕の表面が、法力場と〔干渉〕して≪バチバチ≫と火花を発したが、爆発までには至らなかったようだ。
「ほう。前回は確か、腕や足などが必要だったはずだが……サーバー能力が向上すると、それらも不要になるのかね」
マルマー先生が作業を続けながら、画面の向こうからサムカにドヤ顔を向ける。
「うむ、良い指摘だな。テシュブ先生。本人確認さえできれば良いのでな。このような炭の粉でも充分なのだよ。肉体の材料は、『法力の物質化』でいくらでも用意できるのでな。今の法力サーバーであれば、充分可能なのだ。もうじき、肉体の〔復活〕が終了するぞ」
いわゆる、『ライセンス化』を行って〔蘇生〕や〔復活〕を行うためだろう。そうしないと、炭の粉から無限にジャディ本人を作成できてしまい、その全てにジャディ本人の意識と生体情報を導入、最適化できてしまう。そのような事態を未然に防ぐための措置だ。
やがて、水蒸気の煙が充満している中で、ジャディの影が動いた。それを見て、〔空中ディスプレー〕画面に映っているマルマー先生が、満足そうにうなずく。
「うむ。成功だな。我に感謝を欠かさぬようにな。では、我は忙しいのでこれで」
そのまま画面が消滅した。ミンタがラヤンにジト目視線を投げかける。
「法力サーバーの能力が凄いのであって、あの辺境田舎教師が優秀ってことじゃないんだけど。そう思わない? ラヤン先輩」
ラヤンが目元を緩ませたが、「コホン」と咳払いをして、ミンタに厳しい視線を返した。尻尾はパタパタと地面を叩いているが。
「担任の先生を侮辱する事は、生徒の私が許さないわよ。アレでも勉強して法力を高めているのだから、頼りにして良いのよ」
半分くらいは、マルマー先生をバカにしているような口調だが……大人しく引き下がるミンタだ。そんな事に構っている場合ではないと〔察知〕したのだろう。
水蒸気の煙が、〔旋風〕に飲みこまれて消えた。
「と、殿おおおおおおおっ! ジャディ・プルカターン、ただ今〔復活〕したッス! 戦況はペル経由で知ってるッス。あのクソエルフを今度こそ叩きのめす許可をっ」
いきなり騒がしくなった。ジャディが背中の翼を思い切り広げて、尾翼も扇のように広げる。戦闘鼓舞の飛族独特のダンスだ。60人ほどの生徒たちが応戦態勢になりかけたが、ミンタとニクマティ級長の冷静な指示で杖を下ろした。
ジャディが黒い風切り羽をピンと張って威嚇しながら、キョロキョロと周囲を見回す。
「あれ? 殿? 殿はいずこに?」
その殿がペルとレブンの後ろから、ひょっこり顔を出して手を振ってきた。その子供サムカを見て、ジャディが硬直する。
「が、げ、え?」
子供サムカが錆色の短髪を左の軍手でかく。
「魔力を消耗してね。今はこの姿だ」
何か雄叫びを上げたジャディが、琥珀色の両目から滝のように涙をこぼしながら、空中に舞い上がった。
「と、殿っ。オレは見ていないッスから! そんな姿なんか見ていないッスからああああああっ。うわああああああ」
そのまま、森の上空へ泣きながら飛び去っていった。ジャディをあまり見慣れていない生徒たちが、呆気にとられて見送っている。
子供サムカが腕組みをして、ガックリと肩を落とす。
「うむむ……やはり衝撃的な姿であったか。今回が初めてではないから、大丈夫かと思っていたのだがな」
ペルがほぼ同じ身長の子供サムカから顔を背けて、肩を細かく震わせ始めた。彼女も表情を見せないようにしたのだろう。
「テ、テシュブ先生……その姿じゃ、先生の威厳がありません。可愛い子供です、先生」
レブンは、それほど違和感を子供サムカに感じてはいない様子だ。『人化』する魚族なので、こういった姿の変異には耐性があるのだろう。軽くペルの肩に片手を乗せる。
「姿で判断してはいけないよ、ペルさん。この姿でも、僕たちより魔力量は大きいし、先生としての含蓄は健在だ。僕たちが尊敬するテシュブ先生に違いはないよ」
ミンタが少し愉快そうな顔をして、森の上空彼方へ泣きながら飛んで逃げていくジャディの姿を追っている。撃ち落そうかと、簡易杖を向けたが……思い直して止めた。
「バカ鳥らしい結末よね。しばらくの間は、これで静かになるでしょ。アレの勉強の遅れは、ペルちゃんとレブン君に任せておくわね」
「ええ……」と、微妙な顔になるペルとレブンに微笑んでから、子供サムカに顔を向ける。
彼女は、子供サムカに向ける表情を自主規制しないようだ。軽く吹き出しながらも目を細めて微笑んでいる。尻尾も上機嫌に振られているので、意外と好意的のようだ。
「人間の子供も、こうして見ると結構、可愛いわよね。これで耳と尻尾があったら、さすがの私でも理性が吹っ飛んでいたかも」
子供サムカに向けられている視線が、狐族の生徒だけ明らかに違っている。この場には総勢で40人ほど狐族がいるので、視線も相当に熱を帯びているようだ。
今度はラヤンがジト目になった。
「本当に狐族って、『耳と尻尾』がついたら態度が豹変するわよね。カカクトゥア先生の時もそうだったし。テシュブ先生も、その子供姿の間は用心した方が良いわよ。〔魅了〕の妖術の集中攻撃を浴びるから」
竜族なので冷静な物言いだ。
「狐族のタカパ帝国がここまで巨大化したのも、今の皇帝陛下の血族の〔魅了〕の威力が強かったせいだしね。問答無用で、敵対勢力を〔魅了〕して従わせたんだから。先生も用心しないと、気がついたら動物園の檻の中って事もあるわよ」
ミンタとペルが顔を見合わせて微妙な笑顔になった。他の狐族の生徒たちも、我に返ったような顔になる。
「……まあ、王族の〔魅了〕が特別強いだけで、私たち一般の狐族は大した〔魅了〕は発揮できないわよ。ね、ペルちゃん」
ミンタの奥歯に物が挟まったような口調での言い訳に、ペルも微妙な笑顔のままでうなずく。
「そ、そうよね、ミンタちゃん……今は、封印して使わないようにしているという話だし。〔魅了〕だけじゃ、結局は恐怖政治になってしまうよ」
子供サムカにとっては、初めて聞く内容がいくつかあったが……意外に納得したようだ。腕組みをしたままで、何度かうなずいている。
「貴族も〔魅了〕や〔使役〕魔法を使える。実際に多くの貴族はそれを駆使して領地を統治している。先程の〔呪い〕も組み合わせてな」
サラッと怖い事を言うサムカだ。被統治民を団結させないためには、この〔呪い〕は非常に有効である。
「しかし、100年単位の期間で見ると、あまり上手くいかぬようだ。特に、私のようなオークの食料を生産する領主ともなるとな。実際の需要や要求を『魔法で捻じ曲げてしまう』から、時間の経過と共に大きな乖離現象が起きてくる。例えば、オークの食事を魔法で制限したとしても、栄養失調になれば元も子もない。〔魅了〕をできるだけ使わないという、この帝国の皇帝は優秀だと思うぞ」
しかし、そう言った後で少し首をかしげた。
「……故ナウアケが、あのような無謀な手段をとったのも、少し関係があるのかもしれぬな。貴族だから〔魅了〕されたとは到底思えぬが、『友誼』を感じた可能性はある。カルト派は死者の世界では異端だからね。友人は私以上に少ないだろうな」
今となっては、真実は闇の中である。故ナウアケが所属していた南のオメテクト王国連合も、まだ混乱が続いている状況だ。
【授業再開】
そこへ、扉がようやく到着した。
エルフ先生が乱射した跡にできた運動場の無数の穴には、光の精霊場がまだ残っていたせいである。扉に影響が出ないように、サムカ熊が扉を担いだり、下敷きになって飛んだりして回避していた。ハグ人形はサムカ熊の頭の上で、適当に踊っているだけだったが。
そんなわけで、あっちへ向かい、こっちへ向かい、時に引き返しながら、ようやく子供サムカとミンタたちがいる運動場の中央付近まで到着したのであった。60人ほどの生徒の中には、まだサムカ熊に対して怪訝な視線を向ける者もいるが、概ね今は歓迎の雰囲気だ。
サムカ熊が、結構ボロボロになった足を持ち上げて子供サムカに見せた。
「ご主人。見ての通り、まだ運動場には光の精霊場が残っております。足が少々、光に〔分解〕されてしまいました」
ペルとレブンが視線を交わした。立場としては、やはりサムカ熊の方が子供サムカよりも下のようだ。
子供サムカが鷹揚にうなずいた。
「そうか、ご苦労だった。後は、私が授業を行うから、ロッカーに戻って休んでいなさい」
「は。御意のままに」
サムカ熊がそっと扉を運動場に下ろして、子供サムカと生徒たち全員に一礼し、音もなく空中を滑って破れ放題のテントへ戻っていった。戻る道も、行ったり来たり左右に飛んだりの複雑な道順である。
ハグ人形は扉の上に座って見送っていたが、子供サムカに顔を向けて見下ろした。ちょっと真面目な感じだ。
「サムカちん。今回の騒動は、ワシの管理不足の面もあった。故に、咎めることはせぬよ。ワシもまさか、あんな基礎的な〔呪い〕が、ここまで暴走するとは予想していなかった」
子供サムカも、少し険しい表情になって聞いている。
「そうだな。この世界では使わぬ方が良いだろうな。授業で使う場合は、〔結界〕の中だけにすべきだろう」
話を聞いていたペルが首をかしげた。左の耳を数回パタパタさせてハグ人形に話しかける。
「あの……〔呪い〕の魔法場で1つ気づいた事があります。何となくなんですが、『化け狐』の放つ雰囲気と似ている気がします。そのせいで、この世界では〔呪い〕が増幅されやすいのでは」
今度はハグ人形が腕組みをして首をかしげた。ついでに扉の上で腰かけて、両足をパタパタ振る。
「魔法場の種類は別じゃよ。が、しかし、ふむふむ……何らかの共通性はあるかもな」
ここでハグ人形と子供サムカが、同時に扉の横にひっそりと立つ『墓スペクター』を見た。当然ながら、何の反応もない。生徒の間では、ペルだけが気配を感じた程度だ。
ハグ人形と子供サムカが視線を元に戻し、子供サムカが穏やかな声でペルに告げた。
「その可能性はある。この騒動では、『化け狐』が呼び寄せられてはいないがね。今後は充分に注意して使うとしよう」
(いや、そもそも〔呪い〕なんて物騒な魔法なんか使うなよ……)と表情に出しているラヤンである。しかし、貴族が「よく使う」と言っている以上、法術使いとして研究する必要があるのは確かだ。
(まあ、私のような中程度の成績の子には、荷が重すぎるけどね。マルマー先生よりももっと高位の神官に任せる問題よね。こういうのって)
こういうドライな割り切り方ができるのは、さすが竜族というところだろうか。今は、もっと重要な案件が彼女の隣で勃発している。
かなりパニック気味になっているムンキンに、紺色のジト目で顔を向けるラヤン。
「……それで、『鍵』は見つかったのかしら」
「ぐぬぬ……」と、苦虫を大量に噛み潰したような表情になるムンキンである。そして、ガックリと肩を落として、力なくうつ向いた。
「無くしました。すいません」
(まあ、そんな事だろうな……)と特に怒ったりもしない生徒と子供サムカである。
ラヤンが改めて、ムンキンの〔復活〕と衣服装備の〔復元〕法術の〔ログ〕を確認して、首を振った。
「〔石〕になる前に、どこかに鍵を落としたのね。〔ログ〕には、それらしき記録は残っていないわよ」
ハグ人形がニヤニヤ笑いながら、ムンキンの無念の表情を見て楽しんでいたが……ムンキンが泣き出しそうになってきたので、声をかけた。
「おい、ムンキン君。実はワシが『こういう事もあろうかと』タグをつけておいたんじゃが……使ってみるかね?」
「え!?」
驚きと喜びの表情を浮かべるムンキン。しかし、すぐにジト目に変わった。
「僕が苦しむ様子を、ずっと見て楽しんでいた……と。そういう事ですね、ハグさん」
実際その通りなので、素直にうなずくハグ人形だ。
「まさか泣き出すとは思わなかったがね。いやはや、生きているって素晴らしいなっ。そう思わないかね? サムカちん」
いきなり話を振られた子供サムカが、腰に両手を当てながらハグ人形を見あげて、軽く睨む。
「彼は、今の時間は私の教え子だ。あまりからかうと、私も黙ってはいられないぞ」
レブンを筆頭にして、他の生徒たちも全員がハグ人形に厳しい視線を投げつけてきた。この辺りは、サムカ熊に対する態度とは大違いである。あっけなく両手を掲げて『降参のポーズ』をとるハグ人形だ。
「「ハグ大先生様、伏してお願い申し上げます。どうぞ私めに紛失した鍵の在処を教えて下さい」とか何とか、ムンキン君に言わせようと思ったんだが……まあ、充分に楽しめたから、ナシで良いわい」
「まだ、そんな悪だくみを考えていたのかよ、この人形は……」と呆れ果てている生徒たちに、ハグ人形が右手を差し伸ばして、紐を引っ張る仕草をした。
≪キーン≫
金属音が運動場の隅で鳴った。次の瞬間。ハグ人形の右手に、土でかなり汚れた銅合金の鍵が飛び込んできて、風切り音と共に「パシッ」という音を立てた。ハグ人形が両手で鍵を持って、土汚れを拭い落す。
「ふむ、破損してはいないな。運の良い鍵だわい」
そして、ムンキンにきれいになった鍵を投げて渡した。
「ホレ、受け取れ」
ムンキンが鍵を改めて確認して、ほっと安堵した。しかし、すぐにハグ人形を濃藍色の瞳で睨みつける。
「どうもありがとうございました」
ハグ人形が扉から浮かび上がり、子供サムカに両手を振った。土汚れがしっかりついている。
「じゃあ、ワシもこれで失礼するぞい。パパラパー」
<ポワン>と水蒸気の煙が立ち上って、ハグ人形の姿が消えた。子供サムカが、軽く地団駄を踏んでいるムンキンに山吹色の瞳を向ける。
「では、授業の続きを始めるとしようか。鍵を出しなさい」




