94話
【授業続行】
数分後。ジャディを含めた全員が無事に回復したので、テントの裂け目から入って授業を続行することになった。ペルが机とイスを元に〔修復〕するための素材情報を呼び出して、それをミンタとムンキンに渡す。
ミンタが破片の山を見つめて、鼻で笑った。
「さすがのドワーフ製も、バカ鳥の風魔法には耐えきれなかったわね。それじゃあ、〔修復〕するわよ。ほい」
ムンキンと一緒に簡易杖を一振りする。それだけで塵と破片が集まってきて、机とイスの形になり始めた。
ミンタが〔修復〕作業をしながら、サムカ熊人形が転がっているロッカーに視線を向ける。
「ねえ、テシュブ先生。あの人形もついでに〔修復〕しましょうか?」
サムカが少し考えたが、すぐに穏やかに断った。
「あの人形には、自己〔修復〕機能が付いている。起動すれば、勝手に直るから心配は無用だ。今は君たちの魔力を、できる限り温存させる方が良いだろう」
エルフ先生の声が小さな〔空中ディスプレー〕画面から流れてきた。顔などの映像は映っていない。
「サムカ先生。私、さっき何と言ったか覚えていますか? これ以上、騒動を起こしたら討伐に向かいますよっ」
その隣にもう1つ小さな〔空中ディスプレー〕画面が発生して、そこからはノーム先生の声がした。こちらは、かなり呆れたような声色だ。
「そうならないように、気を付けて下されよ。テシュブ先生」
サムカが錆色の頭をかいて反省している。
「うむむ。どうも新兵訓練の癖が抜けぬなあ。これでも配慮しているつもりなのだが……しかし確かに、クローンとはいえ死人が出るようでは、考え直す必要があるな」
(どうせ、考え直さないよね……)と視線を互いに交わす生徒たちだ。
ミンタが「コホン」と軽く咳払いをして、サムカに質問する。原石化した扉は、まだ教室の中央にある。
「テシュブ先生。先程の反撃魔法は何だったのでしょうか? あの鬼火ですが、まだ残っていますか?」
『鬼火』と聞いて思い出したのか、≪ビクッ≫とするペル。他の生徒たちは当時テントの外にいたので、直接見ていない。
サムカが穏やかな声で否定した。
「いや。あの鬼火はもう残っていないよ。ミンタさんのクローンを破壊したからね。役目を終えたから、その後は普通の鬼火になって消えた」
そして、ペルに視線を向ける。
「鬼火は、ミンタさんクローンの死を見て激高したペルさんの魔法で、あっけなく消滅した。騎士見習い相当の全力の〔エネルギードレイン〕魔法だ。さすがに撃ってから30秒間ほど気絶してしまったがね。ミンタさんとジャディ君の〔治療〕中、私が魔力バランスの調整を行ったから、今はもう大丈夫だろう」
ペルが恥ずかしそうに俯きながら、無言で何度も首を縦に振った。ミンタがペルに拳を突きだして、健闘を称える。
「凄いわね。私じゃ、全く歯が立たなかったのに。先生、やはり魔法適性の影響ですか?」
ミンタの質問に、素直にうなずくサムカ。
「そうだな。貴族の外部協力者探しの罠は、基本的には死霊術使いや、闇の精霊魔法使いを想定していない。配下の騎士やアンデッド兵、それに魔族の傭兵で間に合うからね」
視線をミンタとラヤンに交互に向ける。
「ミンタさんのような光の精霊魔法や生命の精霊魔法の使い手、ラヤンさんのような法術使いが好まれるかな。君たちは、どの世界や組織へ行っても怪しまれにくいからね」
ミンタとラヤンの表情が一気に険悪になった。
「なにそれ」
「本当に、アンデッドって滅ぼさないといけない存在なのね」
サムカが錆色の短髪を軍手でかく。反論しないらしい。
「手法としては、先程のようなものが多いかな。〔呪い〕をかけて攻撃し、相手の力量を推し測り、無力化して捕獲しやすくする。捕獲と運搬作業を担当するのは非力なスケルトンやゾンビだからね、暴れてもらうと困るのだ」
キョトンとするミンタとペルである。レブンも目が点になっている。
「の、〔呪い〕……ですか?」
辛うじて、レブンがサムカに聞き返した。サムカも少し意外そうな表情になっている。
「うむ、そうだが。見たことはあるだろう?」
一斉に首を振って否定する生徒たち。
サムカが腕組みして唸る。
「確かに、教育指導要綱には〔呪い〕についての項目は無いが……そうか、知らぬか」
そして、天井の裂け目を見上げた。
「おいハグ。ちょっと来い」
<パパラパー>とラッパ音がテント内に響いて、天幕の裂け目からハグ人形が降ってきた。
空中で長方形型のパラシュートを開いて、両手に持った操作紐を引いて器用に旋回しながら、サムカの錆色の短髪の上に着地する。
着地の直前にパラシュートを体から切り離して、生意気にも五点着地している。着地の衝撃を分散させるために、つま先、次いで脛の外側、大腿の外側、背中、最後に肩の順に、流れるように転がって着地する手法だ。
しかし、たかがぬいぐるみなので、そんなことをする意味は全くないのだが。
「シパッ」と立ち上がって、サムカの頭の上で仁王立ちになるハグ人形。
「はい! ここで拍手っ」
ハグ人形がドヤ顔になって、サムカと生徒たちに称賛を強要する。ジト目になって、それでも律儀にまばらな拍手を送るのは流石である。
「はい! まだまだ拍手うっ」
ハグ人形がぬいぐるみのくせに、5本指まで再現している片腕をグルグル振り回している。拍手の時間を15秒間も調子に乗って要求する有様だ。
サムカがジト目のままで適当に拍手を続けながら、頭上のハグ人形に聞く。
「もう充分かね? 〔呪い〕についてだが、簡単に教えても構わないのかな?」
ハグ人形が腕をグルグル振り回すのを止めた。それと同時に、まばらな拍手も終了する。
「〔呪い〕は、闇魔法の分野だからなあ……死霊術でも闇の精霊魔法でもない。この生徒どもには、闇魔法の魔法適性はない。教えたところで使えるようにはならぬぞ」
珍しく少しだけ真面目なハグ人形の答えに、サムカも真剣な表情でうなずいた。
「ふむ、確かにそうだな。だが、知っておく事、それ自体は有用だろう。では、ごく簡単にだが説明をするか」
サムカが小さな〔空中ディスプレー〕画面を発生させて、それをさらに闇魔法の〔防御障壁〕で幾重にも包んだ。何とか画面が認識できるのをサムカ自身が確認する。
「では、ごく初歩の〔呪い〕の術式を表示する。これは、相手の全感覚を数秒間完全に奪う〔呪い〕だ。術式を見ただけで発動するから、〔防御障壁〕をかけている。ちなみにウィザード語ではないから〔解読〕はできないと思うぞ」
いきなり人体実験の的にされたミンタとムンキン、ラヤンが怒りの抗議をしたが、無視するサムカ。
「体験版だから、害はないぞ。では、術式解放」
その瞬間、生徒たちの動きが完全に停止した。目が死んだ魚のようになり、声も出せなくなっている。
エルフ先生とノーム先生の教室と直通回線の端末になっている、2つの小さな〔空中ディスプレー〕画面も砂嵐状態になってしまった。
サムカが頭をかく。
「〔防御障壁〕では遮断できぬか。まあ、〔呪い〕だからな、予想はしていたが」
ハグ人形もサムカの頭の上で寝転びながら、愉快そうに手足をパタパタさせている。
「体験版か。面白いことを考えたな、サムカちん」
数秒後。〔呪い〕が解除されて、動きを取り戻す生徒たちである。2つの〔空中ディスプレー〕画面からも砂嵐状態が消えて、ウィザード語の術式が流れる通常状態に復帰した。
エルフとノーム先生からの声もない。向こうの教室の生徒たちの悲鳴や怒声が、雑音混じりで聞こえてくるだけだ。
サムカが視線を、ジャディの風の精霊魔法でズタズタに裂けたテント教室に戻す。教室の床には、軽いショック状態で顔面蒼白で床に座り込んでしまった6人の生徒たちがいて、肩で息をしている。(ちょっとやり過ぎたか?)と思うサムカ。
「このような感じだ。本格的な闇魔法は、初めてだったかな」
生徒たちが虫の息で、それぞれの席に座り直す。それを見守りながら、サムカが話を続ける。
「〔呪い〕というのは、簡単に言えば、我が世界の創造主である魔神ミトラ・マズドマイニュに、生贄を差し出す行為を指す。先程の〔呪い〕では、君たちの全感覚を数秒間ほど『供物』として、魔神に差し出したということだな。また、呪いは自律行動をする。術者がいなくても問題なく機能するため、罠には最適だ」
ハグ人形がニヤニヤしながら補足説明する。
「ちなみに、我が創造主様は放任主義だから、『供物』を捧げても見返りは何もないぞ。捧げ損ってヤツだ」
サムカも頬を緩めて、錆色の短髪をかいた。
「そう言っては、身もフタもないな。他の魔神やドラゴン、それに巨人の中にも、同じような要求をする者がいるから、それほど珍しい魔法ではない。儀式魔法で使う『供物』と同じ位置づけだな。〔呪い〕は、それを攻撃魔法として編んだ術式になる」
ミンタが首をかしげて顔をしかめた。さすがにエルフ先生の格闘クラブで頑張っているだけあって、体力もかなりあるようだ。
「なるほどね……魔神級の収奪魔力か。それじゃあ、私の〔防御障壁〕や〔ループ〕魔法なんかで防御できるわけがないわね。儀式魔法かあ……クモ先生の授業で少し習うだけかなあ。杖を使った現代じゃ、使われない魔法ね」
そして、サムカを明るい栗色の瞳で睨みつけた。
「それで。さっきの呪いの生贄は、『私』だったのね」
サムカが山吹色の瞳を細めて微笑む。
「うむ、そうなるな。この扉を〔石化〕した者に〔呪い〕がかかるように、術式を組んである。その者の肉体全てが生贄という設定だ。まあ、思念までは含めていないよ。体が消滅しても後で〔復元〕して、思念を入れ直せば問題ないだろう」
こういう発想をするあたりアンデッドである。
ハグ人形が大あくびをしながら、サムカの錆色の短髪をかき分けてミンタの顔を見る。
「こういうのが〔呪い〕の基本だな。便利な魔法なんだが、もちろん〔呪い〕を仕掛けた者にも『代償』が要求される。貴族にはケチが多いからな、そのせいで〔呪い〕が使われる事は少ないんだよ」
サムカが赤茶けた中古マントをめくり、腰ベルトを見せた。実用本位の地味で無骨なベルトには、銀色に鈍く光る宝石製のビスが留め具として、いくつも並んでいる。その一部のビスが無くなっていた。穴が2つベルトに開いている。
「魔神と通信するために、〔呪い〕の仕掛け人にも『供物』が要求されるのだよ。今回は、ここにあった宝石を2つ捧げた。安物の宝石だから、生徒の君たちが気にする必要はないぞ」
そして、原石化したままの扉の外枠を「コン」と、軍手をした左手の指で叩く。
「この扉の開閉レバーに、その宝石を埋め込んであった。2つともダイヤモンドだ。私がここにいなくても、自動で〔呪い〕が発動できる仕組みだな」
ペルが少し深刻そうな表情になって、サムカに手を挙げて質問する。
「テシュブ先生。そうすると、〔呪い〕は回避も防御もできないのですか?」
生徒たちも、それを知りたいようだ。一斉に視線がサムカに集中する。サムカが山吹色の瞳を細めた。
「何も知らなければ、そうなるな。しかし、君たちは基礎情報を得た。対処は可能になったはずだ」
サムカが中古マントの裾を整える。
「〔呪い〕の仕掛け人にも『供物』が必要だ。従って、その『供物』を最初に破壊してしまえば良い。普通は、宝石である事がほとんどだな。今回はダイヤモンドだ。大地の精霊魔法で〔探査〕して、発見次第、光や生命の系統の魔法で宝石を破壊すれば良かろう。燃やしても良い。扉の装飾としての宝石に偽装していたから、今回は気づけなかったな」
ダイヤモンドの他にもいくつか別の宝石が組み込まれているのが見える。ダイヤモンドそれ自体は、〔呪い〕の発動により、『供物』として魔神に自動で献上されたようだ。見当たらない。
ミンタがジト目になって文句を言う。
「そんなの見落とすに決まっているわよ。ただの『供物』だったから、それ自体に術式が走っていなかったのも盲点だったわね」
ラヤンが少し腕組みをして考えている。
「……〔呪い〕が発動しても、生体情報と体組織サンプルを保存しておけば〔復活〕できるわよね。そんなに厄介な魔法じゃないと思うけど」
ハグ人形がニヤニヤし始めた。サムカも察して、口元を少し緩めてラヤンに説明する。
「これは基礎の〔呪い〕だよ、ラヤンさん。実際に使用されているような〔呪い〕は、もっと凶悪だ。保存情報やサンプル全てを『生贄』に設定することも簡単なんだよ」
「ええ~……」と、呻くラヤンとミンタである。
ハグ人形がニヤニヤしながら、ぬいぐるみの片手をプラプラとサムカの目の前で振った。
「『遺伝情報』をちょいと変えておけば良いぞ。そうすれば、『遺伝子上は別人』に見える。〔呪い〕の回避手段としては有効だよ。〔呪い〕が過ぎ去ってから、遺伝情報を元に戻せば問題ない」
「おお~……」と生徒から感心されるハグ人形だ。
今度はサムカも感心している。
「我らアンデッドには真似できない回避手段だな」
レブンが手を挙げて質問してきた。緊張しているせいか、顔が全体的に魚みたいになっている。
「テシュブ先生。この〔呪い〕ですが、僕たちでも使えるようにするには、どうすれば良いのでしょうか」
ほとんど条件反射でラヤンが怒り出したが……ジャディが風の精霊魔法で彼女を押さえつけた。床に押しつけられて動けなくなっているラヤンに、ジャディが凶悪な顔で見下ろしてくる。
「ちょっと大人しくしてろ」
ラヤンを床に押しつけている空間だけに風の精霊魔法が機能しているようで、隣の席に座っているジャディには、そよ風も届いていない。ズタズタに裂け放題のテントも、森からの風にパタパタはためいているだけだ。
床で呻いているラヤンを気の毒そうに見つめながら、ペルがジャディに文句を言う。
「もう……精霊魔法の『範囲指定』ができるんだったら、最初からやってよ」
ジャディがギラリと琥珀色の瞳を輝かせてドヤ顔になった。
「能ある鷹は爪を隠すもんだぜ、ペル」
(どの口がソレを言うかね……)という顔になる生徒たちであったが、ラヤンが大人しくなったのは好都合だ。レブンがラヤンに謝ってから小さく咳払いをして、質問を続ける。
「死者の世界の創造主の魔神様という事は、その世界の住人の創造主という事ですよね。僕たちのように、本来魔法適性がない獣人族にも少数の例外がいます。先程、死者の世界ではない獣人世界でも、こうして〔呪い〕が機能することを確認しました。何か考察できる余地があるのではないでしょうか」
サムカが腕組みをして思案する。しかし、首を振るばかりだ。
「私が知る限りでは、〔呪い〕を扱える者は貴族だけだ。死者の世界にも、魔族やオーク族といった生者はいるが、彼らが〔呪い〕を使ったという話は、この4000年間は聞いたことがない。ハグはどうかね?」
ハグ人形は手足をパタパタさせているだけだ。
「ワシには答えられぬよ。『機密事項』ってヤツだな」
しかしレブンとペルが、ハグの全くやる気のない返事を聞いて目を輝かせた。一方、ジャディはハグ人形を脅迫し始めたが。
「うらうらうらっ! 隠してないで、さっさと話せ、クソ人形っ」
席を立って、サムカの頭の上のハグ人形に飛びかかろうとしたジャディが、ムンキンからの〔電撃〕を食らって撃ち落された。それでも、床に這ってもがくジャディであったが、容赦なくムンキンが2発目の〔電撃〕を撃ち放った。
「きゅう……」と悲鳴を上げて気絶するジャディである。
「本当にバカだな。あんなアンデッドが信用できるかよ。それによ、ジャディ。風の〔防御障壁〕って、電気の属性の魔法と親和性が高いんだぞ。いつまでも同じ〔防御障壁〕を張り続けているなよ。僕くらいの優等生になったら、数分で〔解読〕できてしまうぞ」
ラヤンが、「酷い目に遭ったわ、この恩知らずのバカ鳥っ」などと、文句を言いながら起き上がった。サムカとハグ人形に鋭い視線を投げ放つ。
「授業を進めなさい。アナタたち、上位アンデッドしか使えないような魔法を、生者の私たち学生が学んでも無意味です。そういう研究は、専門機関に任せればいいでしょ」
ハグ人形がアッサリと両手を上げて降参のポーズをとった。ついでに両足も上げている。
「まあ、そういう事だな。正論だ。〔呪い〕についての基礎的な知識はついたから、これで充分だろう」
教室の後ろの隅で、何事も起こらなかったかのように普通にいる墓スペクターも、サムカに先を促した。相変わらずの無言で透明だが、サムカだけには分かるようにしているようだ。
一方で、エルフ先生とノーム先生の教室直通の〔空中ディスプレー〕画面からは、まだ雑音しか聞こえてこない。
(〔呪い〕の影響が飛び火したのか? しかし、まあ大丈夫だろう。せいぜい気絶した程度のはずだ)
そう判断したサムカが、視線を生徒たちに向ける。
「そうだな、そうしよう。では、この原石化した扉に話を戻そう。この後は、どうすべきだと思うかね?」
ミンタがジト目になって手を挙げた。早くも簡易杖を握りしめている。
「当初の計画通り、破壊するつもりですが、何か」
サムカが首を少し傾ける。
「また風の精霊魔法で破壊するのかね?」
サムカの少し煽り気味の問いかけに、ミンタが「ハッ」とした表情になって思い直した。
「目的は『鍵の生成』ですよね。じゃあ、風じゃなくて炎の精霊魔法を使います、テシュブ先生」
そう言って、ミンタが机の上に立った。それでもエルフ先生より視点が高くなった程度だが、原石化した扉を見下ろす形になる。迷わずにそのまま簡易杖を向ける。
「さあ、燃えてしまいなさいっ。この忌々しい石扉!」
「ちょ、ちょっと待って! ミンタちゃんっ」
ペルがまたミンタに飛びついて抱きついた。思わず机の上から転げ落ちかける2人である。何とか落ちずに踏みとどまったミンタが、ペルに怒った。
「な、何するのよっ! 危ないってば」
ペルが薄墨色の瞳を涙でウルウルさせながらも、ミンタに抱きつき続ける。
「ミ、ミンタちゃんは、今は危険だよっ。まだ〔呪い〕が無くなった保証は無いんだよっ」
そう言われて、ミンタも≪ビクッ≫と全身を震わせた。尻尾も見事に逆立っている。サムカの穏やかに微笑む顔を睨みつけると、ミンタも理解できたようだ。
「まったく……殺意が湧くくらいに素敵な笑顔だことっ。そうね、ペルちゃん。このアンデッドがニコニコしている以上、警戒すべきだったわね」
安堵したペルがミンタから体を離した。とりあえず2人が机の上から床に降りて、深呼吸する。ミンタがムンキンを指名した。
「ムンキン君。私の代わりに、このクソ扉を灰にしてしまいなさいっ」
ムンキンがレブンに一瞬だけ視線を投げてから、ミンタに帝国軍式の敬礼をした。その隣では、ジャディとラヤンが同じようなニヤニヤ笑みを浮かべている。
「了解でありますっ。学校主席どの」
ムンキンが簡易杖を石扉に向けて、炎の精霊魔法の術式を走らせ始めた。ジャディがニヤニヤしながら冷かす。
「何だよ、ムンキン。術式を用意していなかったのかよ。使えねえ奴だなっ」
「あ? 何だバカ鳥、もう1回言ってみろコラ。焼くぞコラ」
レブンが慌ててジャディとムンキンの間に割り入って、魚顔で両手を広げてパタパタさせる。
「これ以上テントを破壊したら、僕たち全員が停学処分を受けることになるよ。頼むから我慢してくれないかなっ」
確かに、ズタズタに切り裂かれたテントの外からは、冬の穏やかな日差しと青空、それに森からの穏やかな風が入ってきている。
ムンキンが渋々、簡易杖の先をジャディから石扉へ向け直した。代わりに10回ほど尻尾で床を≪バシバシ≫叩いている。
「分かったよ、レブン。この惨状はバカ鳥のせいだけどなっ」
ジャディに抱きついてなだめているレブンが、一応補足する。
「その後で、ミンタさんとペルさんが暴れちゃったけどね。じゃあ、扉を燃やす役、頼むよ」
ムンキンが一際大きく床を尻尾で叩いた。
「おう、任せろっ」
ムンキンの簡易杖の先から〔火炎放射〕が放たれた。正確に原石扉に直撃して、周りへの延焼は起きていない。水の精霊魔法と氷の精霊魔法をそれぞれ用意していたミンタとペルが、感心している。
「さすがね。消火用の水は不要かしらね」
「うん、そうかもミンタちゃん」
サムカも〔火炎放射〕を眺めながら感心して、何度かうなずいている。
「良い練度だな、ムンキン君。火炎の温度も、銅原石を融解させるに充分だ。周辺への輻射熱の〔遮断〕も適切に行われている」
そう言えば、扉が溶けて真っ赤になっていくほどの猛烈な火炎なのに、教室内の生徒たちには熱が感じられない。さすがに扉が立っている床面は、防水シートが瞬時に溶けて燃えて灰になり、さらに下の運動場の地面も真っ赤に焼け始めているが。
それ以外の場所は、常温のままだ。テントの裂け目から吹いてくる、乾いたそよ風が心地よい。
あっという間に、扉が原型を失って真っ赤な液体になっていく。同時に燃え始めて、真っ白な灰が教室の中を舞い始めた。
ミンタが灰を目で追いかけながら、ペルにつぶやく。遊んでいるのか、2人とも〔防御障壁〕を全て切っていた。その状態で、舞い散る火の粉が自身のフワフワ毛皮に触れないように、器用に回避してステップを踏んでいる。
「〔石化〕魔法だから、やっぱり完全な石にはなっていないのね。素材の木材に戻って燃えてるわ」
サムカも灰が舞うのを見つめながら同意する。
「熱で溶けた際に、扉が液化して固体ではなくなってしまったからね。〔石化〕魔法の術式がエラーを起こしたのだよ。だから、こうして木材に戻って燃えて灰になる」
ムンキンが簡易杖からの〔火炎放射〕を停止した。〔防御障壁〕を維持したまま、火の粉や灰を弾いているようだ。
「ふう……これでどうだ」
地面が真っ赤になっているが、扉は完全に白い灰の山に成り果てていた。ムンキンが、その真っ赤に熱せられている土に簡易杖を向けて、急ごしらえの素焼きの火ばさみを作り出す。
素焼きレンガでできたようなハサミを、ムンキンが手袋をした手でヒョイと持つ。手袋に〔耐熱〕と〔断熱〕の魔法をかけたのだろう、何ともない様子だ。
「さて。灰の中には何があるのかな」
火ばさみで、まだ白い煙が立ち上っているままの灰の山をかき回す。すると、何か石のような物に当たる音がした。早速、その石を2つ、灰の中から取り出す。灰の中にはそれ以外はなかった。
「ん? ヒスイとコハクか」
ムンキンが手袋をした手で直接持って、まじまじと観察した。すぐに、ジト目になってサムカを見据える。
「テシュブ先生……この2つの石の中に、術式の断片が封じられているんだけど。まさか、また罠じゃないだろうな、コラ」
ミンタがムンキンの手の中にある2つの石に顔を寄せて観察する。すぐにムンキンと同じような顔になった。
「断片だから、このまま魔法が起動する事はないけど……まだ細工をしてるのね。ちょっと、しつこくない?」
サムカが肩を少しすくめながら微笑む。
「これでも、かなり簡略化しているのだがね。とりあえず、第一段階は突破できたな。おめでとう」
そして、山吹色の瞳をいたずらっぽく輝かせてミンタとペルを見た。
「実は、ペルさんの予想したように、もう1つ〔呪い〕が仕組まれていた。ミンタさんが続けて扉の解除を進めた場合に、発動する仕掛けだった。ダイヤモンドが2個あれば、数回ほど〔呪い〕を行使できるんだよ」
再びベルト穴を指さして話を続ける。
「〔呪い〕が発動した後でダイヤモンドが燃えてなくなっても、その〔呪い〕は持続する。だから、呪いが発動する前に、供物であるダイヤモンドを破壊する必要があるのだよ。次回からは注意しなさい」
「ええ~……」と、面倒くさそうな表情になるミンタである。
「そこまでして私を捕獲しても、大した利益はないわよ。あ。ってことは今、『私は死んでいるか重傷を負っている』と扉側は想定しているのかな」
サムカがうなずく。
「そういうことになるな。死んでいても〔アンデッド化〕すれば良いだけだからね、特に気にしない。ミンタさんの残留思念も、周辺に漂っているだろうし。重傷を負っていれば、無力化に成功したという事になるな。こういった罠の解除には、少人数で対応するのが定石だからね。想定しやすいんだよ」
ミンタがジト目になっている。
「まったく、アンデッドって……」
ムンキンが首をかしげて、サムカに質問してきた。
「僕はどうなるんだ? ミンタさんの次の捕獲対象にされるのか?」
サムカがうなずく。
「そういう事になるな。用心するに越したことはないだろう。ただしミンタさんは、この先は関わらない方が良いだろうな。まだ行動可能だと扉側が認識してしまうと、『緊急行動術式』に移行する場合がある」
少し考えてから、話を続ける。
「例えば、この扉が自爆するとか……だな。ミンタさんが『危険人物』という事になってしまうのだよ。我々が外部協力者として想定する能力よりも高いと、これはこれで使いにくいからね」
ミンタが呆れたような顔になって、顔の上毛とヒゲ群に付いた灰を片手で拭い落した。同時に少し安堵したような感じでもある。
「はいはい。分かりましたよ、先生。じゃあ、後はムンキン君、よろしくね」
「任された。すいません、ラヤン先輩。ちょっと見てもらっていいですか」
ムンキンがラヤンを手招きして、灰の山を見せる。
「まだ何か、不吉な〔予感〕とかありますか?」
ムンキンの問いかけに、ラヤンが腕組みして首をひねる。
「……占道術を使ったけど、特に何も反応はないわね。〔占い〕が外れたら諦めてちょうだい。私の〔占い〕が当たる確率くらい知ってるでしょ」
ムンキンが肩を落として目を閉じた。
「ですよね~……じゃあ、やるか。クローンを作っても意味がないことが分かったし、僕の魔力じゃ、何をしても無駄だな。死んだら〔蘇生〕か〔復活〕よろしく」
ラヤンが不敵な笑みを浮かべて、ムンキンの背中を≪バン≫と叩く。
「任されたわ。派手に死んできなさい」
ムンキンが呼吸を整えて、簡易杖を灰の山に向けた。ウィザード語の術式を詠唱し始める。
早速、ジャディがバカにしたような視線を送ってきた。
「おいおい、ビビり過ぎじゃねえかよ。クソトカゲ。度胸あるところを見せてみろってんだ」
とか何とか言いながら、ジャディが黒い風切り羽を見せびらかして、背中の翼をバサバサし始めた。
「わあっ。ちょ、ちょっと待って、ジャディ君っ。灰が飛び散ってしまうってば!」
慌ててペルとレブンが2人がかりで多重〔防御障壁〕をかけて、ジャディを包み込んだ。
ミンタとラヤンがムンキンへの魔法支援を開始しながら、ジャディをバカにした目で見つめている。
「本当にバカ鳥よね。今ここで暴風なんか起こしたら、今までの苦労が全部水の泡になるじゃないの」
「ミンタさんに完全に同意見だわ。〔治療〕しなけりゃ良かった」
「あ!? 何だとコラ」などと怒り始めるジャディに、さらに数枚の〔防御障壁〕を追加するペルとレブンであった。ペルがムンキンに告げる。
「ムンキン君。できれば急いで済ませてくれると助かるかも。ジャディ君がさっきの木星の風を使ったら、抑えきれなくなるよ」
ジャディがペルに琥珀色の瞳を向けて怒鳴った。〔防御障壁〕のおかげで、かなり音が小さく弱くなっているが、それでも充分にペルに届く声量だ。
「んなもの、使うわけねえだろっ。いくらオレ様でも、これ以上テントを破壊するほどバカじゃねえっ」
(だと良いけどねえ……)と、微妙な表情になるペルとレブンであった。
ムンキンが簡易杖を使って魔法陣を出現させ、そこにウィザード語の術式を次々に入力していく。術式の詠唱も、〔オプション玉〕を数個使って継続中だ。高速圧縮処理されているので、かなり耳障りな高音になっている。
「ミンタさんほど、僕は優秀じゃないからね。遅くなるけど、確実性を重視するよ」
寛いだ様子で見つめているサムカも同意する。
「そうだな。扉側に、『大した魔法使いではない』と印象付ける事になる。捕獲対象から外れる可能性が高まるから、これは良い判断だな」
それから、さらに2分ほど経過して、ようやく扉の〔復元〕魔法の術式が全て記述され、起動準備が整った。もはや木材は残っていないので、〔修復〕魔法は使えない。
小さく深呼吸したムンキンが、術式の最終確認を済ませ、簡易杖を頭上に掲げる。
「では、術式を走らせます。秒読みは省略、開始っ」
簡易杖を鋭く振り下ろすと、灰の山が盛り上がって扉の形状に戻り始めた。テントの裂け目から、油状の気体が大量に入り込んできて、扉の灰に吸収されていく。
「燃えて揮発してしまった、有機成分の補充です。近くに森があって良かった。後でパリー先生に謝っておきます」
ミンタが両耳をパタパタさせてニヤニヤしている。金色の毛が交じってる尻尾も同調して床を掃いているので、埃と灰が舞い上がった。
「不要だと思うけどね。片開きの扉一枚分の有機物なんて、たかが知れてるもの。でもまあ、謝るなら私も一緒に付き合うわよ」
ペルとレブンも手を挙げかけたが、ラヤンに止められた。
「アンタたちは闇の精霊魔法使いと死霊術使いでしょ。パリー先生の機嫌が悪かったら、面倒な事になるだけよ」
確かにその通りなので、渋々手を下げる2人だ。ジャディは最初から手を挙げたりはしていない。
サムカが山吹色の瞳を細めて、無骨なベルトが巻かれている腰に両手を当てた。
「もっと、魔力のバランスを高めることだな。まあ、今の君たちの魔力バランスであれば、パリー先生といえども、条件反射で襲い掛かったりはしないだろう。それでも、心証はまだ良くないだろうから、書面や映像を介して伝えれば良かろう」
「なるほど」と、うなずく2人。
ペルが早速ミンタに詰め寄って、両手を握った。
「ミンタちゃん、私もお手紙書くからねっ。〔妖精化〕になんか絶対にさせない」
ミンタが困った表情になって照れている。
「〔妖精化〕される前提なのね。でもまあ、その心配は多分ないわよ。パリー先生の授業でも、私って成績トップだし」
一方のレブンは、もっと色々と考えている様子だ。ムンキンの肩を「ポン」と叩いて、小さな〔空中ディスプレー〕画面を見せた。そこには、妖精や精霊のリストがズラリと並んでいる。
「いざとなれば、彼らに訴えてパリー先生の暴走を止めるよ。場合によっては、『化け狐』の大群をアンデッドを餌にして大量〔召喚〕するから、何とかなるはず」
ムンキンが呆れ気味で笑った。柿色の尻尾が笑い声に同調して、リズムを刻んで床を叩く。
「妖精大戦争になるぞ。この森と学校も無事じゃ済まないから、止めてくれ」
ラヤンも半ば感心しながら、レブンの決意を評価した。赤橙色の細かくて滑らかな頭のウロコが、テントの裂け目から差し込む冬の日差しを反射している。
「友達を最優先にするという心意気は、高く評価するけどね。ミンタもムンキンも優等生で、パリー先生のお気に入りだから、気にすることないわよ。森の中の残留思念や、死霊術場の掃除も続けているんでしょ?」
ここで仏頂面だったジャディがようやく口を開いた。今まで、散々にやり込められてしまったので、かなり機嫌が悪いようだが、暴れるつもりは無いようだ。背中の鳶色の翼と尾翼も、モゾモゾ動くだけに留まっている。
「フン。魔力差が大きすぎるから、まともに衝突するのはバカのやる事だ。やるなら騙し討ちだな。だったら、オレ様も協力するぜっ」
一気にキナ臭くなってきたので、サムカが〔復元〕中の扉を見てムンキンに促した。
「ムンキン君。そろそろ扉の〔復元〕が終わる頃かな」
簡易杖の先を「ピタリ」と向け続けているムンキンが、自信をもって答える。ついでに尻尾で床を1回叩く。
「そうですね。もう間もなく仕上がりますよ」
その時。これまで雑音しか発していなかった、エルフ先生とノーム先生の教室直通回線から怒声が聞こえてきた。どうやらサムカを罵る内容のようだ。声の主は、もちろんエルフ先生とノーム先生である。
サムカの頭の上で、紅茶を淹れて寛いでいたハグ人形が、湯呑を放り投げてニヤニヤし始める。
「おお。やっと気絶から目が覚めたようだな。〔呪い〕って怖いなあ。なあ、サムカちん」
サムカがジト目になって、頭上のハグ人形を両手でつかんで顔の前に持ってくる。
「ハグ……他人事のように言うかね」
そして、ハグ人形を肩に乗せて、ムンキンに視線を向けた。
「彼らが怒り心頭で、ここを襲撃しに来るのは避けられないな。邪魔が入らぬうちに、授業をできるだけ進めておこう。ムンキン君、扉が〔復元〕したぞ。次はどうするかね?」
扉は完全に元に戻っていた。それに顔を近づけて注意深く観察するムンキンとレブン。
すぐに変化を見つけたようで、ムンキンが開閉式のドアレバーに手をかけた。銅製のレバーも完全に元通りになっている。そのレバーの直下に開いている鍵穴に、何かが差されていた。それを、ヒョイと引き抜く。
「『鍵』発見。カウンター攻撃もない」
拍子抜けしているムンキンとレブンに、サムカが満足そうに微笑む。
「うむ。第二段階まで突破できたな、おめでとう。無論、扉には罠が数種類ほど仕掛けられているのだが、上手に回避できているね」
レブンが首をかしげながら、サムカに聞く。
「魔力が低いので、『捕獲対象から漏れた』という事でしょうか、テシュブ先生?」
素直にうなずくサムカである。
「うむ。外部協力者に適する魔力量の者を、無力化して捕獲するための仕掛けだからね。不適合者は無視される。なので、意図的に魔力を低く『偽装』しておけば、この課題を突破できるという訳だな。なお、本来の罠では、扉は自動〔復元〕するようになっている。その際に鍵も発生する仕様だ」
ムンキンがジト目気味になって、サムカに聞いてみる。
「どのような罠が仕掛けられていたのですか? テシュブ先生」
サムカが肩のハグ人形と視線を交わしてから、答えてくれた。
「〔石化〕魔法だよ。それと恐怖による〔精神支配〕魔法だな」
思わず硬直するムンキンとレブンに、いたずらっぽくサムカが微笑んだ。
「心配は無用だ。発動までに数分間かかる術式だからね。その間に〔解除〕すれば問題ない。まあ、回避できたのが最善の結果だから、君たちは誇って良いぞ」
ハグ人形も爽やかな笑顔でサムカに同意している。
「そうじゃな。好き好んで、全ての罠に挑戦する者は、ただのバカじゃな」
ムンキンが何か腑に落ちない表情で、鍵穴から引き抜いた鍵を調べた。相当にボロボロになっていて、今にも砕けてしまいそうだ。銅製なのだが、緑色の錆が深くまで浸食している。
「パッと見ると、緑カビに包まれたようだなコレ」
とりあえず、鍵として使えるのかどうか確認することにした。鍵穴に再びボロ鍵を差し込んで、慎重にゆっくりと回してみる。
「クルリ」とあっけなく回転しただけだった。何も起きない。ガッカリするムンキンとレブン。
サムカが「コホン」と軽く咳払いをした。
「この先は、別の目的になる。捕獲目的ではなく、扉に隠された〔結界〕を呼び出す目的だな。この段階では、『捕獲対象を〔石化〕や気絶させている』状態を想定している。そんな状態の君たちを、施設内を巡回しているスケルトン等が発見した場面だと思ってくれ」
(まあ、普通はそんな状態になってるよね……)と視線を交わす生徒たちである。
サムカが世間話でもするような口調で話を続ける。
「我々貴族や騎士が君たちを捕獲しに来るまでの間、適当な場所へ『安全に保管』する必要がある。そのための〔結界〕を呼び出す目的だな。先程も言ったが、その〔結界〕を呼び出すためには鍵を使うのだが、そのボロボロの状態では使用できない。そのボロ鍵を〔修復〕するには、どうすればいいかね?」
ボロ鍵と灰の中から取り出したヒスイとコハクを、ムンキンが床に置いて並べる。
「〔錬成〕か。だけど、鍵の材質は銅だ。これじゃあ金属の素材が足りないな」
レブンが何か閃いたようだ。明るい深緑色の瞳をキラリと輝かせる。
「僕がテシュブ先生の城へ行った時に、スケルトンの兵士をチラリと見たんだけどね、剣で武装していたよ。その剣を使うんじゃないかな」
ムンキンが腕組みした。
「なるほどな。だけど、ここには剣なんかない……あ」
レブンがにっこりと微笑んだ。
「あるよね。古代遺跡のゴミ捨て場に」
以前に、発狂したセマンの冒険家が剣を振り回して暴れていた、泥沼のほとりの古代遺跡の座標を呼び出す。
「アイル部長率いる発掘調査隊は、古代遺跡周辺を調べていたけれど、この泥沼の中は調べていないんだよね。底なし沼だから。でも、僕たちは精霊魔法が使えるから……」
レブンが、泥沼が映し出されている〔空中ディスプレー〕画面に向けて、水の精霊魔法を放った。すぐに沼から1本の錆びた剣が浮き上がって来る。それを〔テレポート〕させて取り寄せた。
「かなり錆びているけれど、金属素材の量としては充分じゃないかな。銅じゃないけど、特に問題はないと思うよ」
泥汚れを風の精霊魔法で適当に吹き飛ばして、レブンがムンキンに錆びた剣を手渡す。
「それじゃあ、鍵の〔錬成〕をやってみようよ、ムンキン君」
ムンキンが不敵な笑みを浮かべてレブンに応えた。
「おう、任せろ」
溶けて溶岩状に固まった地面の上に、ムンキンがヒスイとコハクを置いて、その間にボロ鍵をサンドイッチにして挟んだ。剣は空中に浮かべていて、サンドイッチの真上に移動させる。直接手で持ったりはしない。
サムカが満足そうにうなずく。
「うむ。良い判断だな。〔錬成〕は出来る限り遠隔操作で行うことだ。剣を手で持っていたりすると、範囲指定に君たちの体まで含まれてしまって、一緒に鍵に〔錬成〕されてしまう事になるからね」
冗談では済まされない事を平然と言うサムカである。
しかし、その注意事項はジャディ以外の生徒たちには周知の知識だったようだ。ムンキンが「フン」と鼻を鳴らす。
「その程度の事は、招造術の授業で習ってますよ、テシュブ先生。じゃあ、行くぜっ」
サンドイッチの周囲に張り巡らせた各種〔防御障壁〕や〔錬成支援〕魔法をムンキンが再確認して、真上に浮かんでいた剣を高速で叩き落とした。
《ガイイイイン!》
耳をつんざくような高音が鳴り響いて、剣が水飴のように溶けていく。同時にコハクとヒスイも溶けて一緒に混じり合い、ボロ鍵に吸い込まれていく。
地面には〔錬成〕用の魔法陣が発生していて、ウィザード語の分子模型のような文章が、渦潮のように魔法陣の上をグルグル回って回転している。
そのウィザード語の回転が徐々に遅くなっていき、水飴のように溶けていた塊が急速に『鍵』の形に収束していった。
「チーン……」
まるでレンジのタイマー音のような音が鳴り、〔錬成〕が終了した。魔法陣も消滅して、新品状態の鍵が1つ、地面に残された。それを拾い上げるムンキンだ。
「できました、テシュブ先生」
鍵は銅の合金製に変わっていた。余分な金属やヒスイにコハクは、大地に吸収されて消滅している。
錬成魔法はかなり高度な魔法なので、自力で行うのは難しい。そこで、大地の精霊を介して負担を軽くしたのが、今回ムンキンが使用した魔法だ。精霊への感謝と謝礼として、錬成で余った素材を捧げることになる。
掃除の手間も省くことができるので、よく使用されている魔法だ。もちろん、精霊魔法の適性と、招造術の適性がないと使えないのだが、ムンキンは両方を満たしている。
サムカが『鍵』を見て山吹色の瞳を細め、うなずく。
「うむ、上出来だ。まあ、実際はスケルトンでもできるような、単純な打撃行為で〔錬成〕できるようにしている。スケルトンごと鍵になってしまうが。そのような本格的な〔錬成〕魔法陣を描く必要はなかったよ」
「ええ~……」と、不満そうな顔になる生徒たちだ。そんな生徒たちに、満足そうな笑みを返すサムカである。
「では、最後にその鍵を扉に差し込んでみようか」
「ちょっと待ちなさい、そこのアンデッド」
サムカとムンキンたちが振り返ると、テントの裂け目の向こうにエルフ先生とノーム先生が、ライフル杖を向けて仁王立ちしているのが見えた。普通の警官制服ではなく、機動警察の装備になっている。
腰のベルトには、予備の魔力カプセルを詰めた〔結界ビン〕がズラリと差し込まれていて、魔法処理した戦闘服を着用していた。靴も丈夫な革製のブーツになっている。
既に格闘態勢を整えているようで、両手と両肘、両膝にブーツが白い光を帯びている。ただ両者ともにヘルメットは装着していない。
その奥には専門クラスの生徒たち、総勢60人ほどが杖を向けている。ニクマティ級長が指揮する生徒全員が攻撃魔法の術式を走らせて、射撃準備を完了させていた。
その級長がノーム先生の後ろから厳しい顔で、テントの中のムンキンにジト目を向けている。ムンキンは、エルフ先生の精霊魔法専門クラスの級長を兼任しているのだ。
「おい、ムンキン。何をやってるんだよ。ラワット先生とカカクトゥア先生がいきなり倒れて大変だったんだぞ」
ミンタとムンキンがキョトンとした顔をしている横で、ペルとレブンが冷や汗をかいて慌て始めていた。ジャディは早くも臨戦態勢に移行している。ラヤンだけは、天を仰いで何かブツブツ言っている。
サムカが錆色の短髪をかいて、エルフ先生に頭を下げた。
「これはクーナ先生とラワット先生。〔呪い〕が飛び火してしまったようだね、大丈夫だったかな?」
エルフ先生が素敵な笑顔になった。腰まで伸びる金色の真っ直ぐな髪の先から、稲妻のような静電気が地面に流れ続けている。空気を切り裂く雷鳴が鳴りっぱなしだ。
「ふふふ、大丈夫……な訳がないでしょ。ちょっと、〔浄化〕してあげます。そこへ直れ、サムカ」
【エルフ先生とノーム先生の来襲】
サムカが錆色の短い前髪を再びかいて、小さくため息をついた。
「仕方あるまい。この教室で暴れてもらうと困るから、テントの外に出よう」
教室の後ろにあった大破してクシャクシャになっているロッカーを見る。そこには、墓スペクターがひっそりと佇んでいた。サムカが無言で右手を指し伸ばして合図をする。
ペルだけがその仕草に気がついたが……特に何も聞かず、軽く左耳をパタパタさせた。
(騒動が終わるまで、少し待ってて、という合図かな?)
ペルにもまだスペクターを見ることはできていないのだが、気配は何となく察することができているようだ。今はさらに慎重になっているらしく、スペクターから漏れてくる死霊術場もほとんど感じられない。森の中から染み出てくる細い糸のような死霊術場の方が強いくらいだ。
レブンを見ると、彼もあのスペクターには気がついていない様子である。知らせようかと少し両耳をクルクル回して思案するペルだったが、やはり、ここは知らせないでおくことにした。
(見学しているだけみたいだし。私たちに関わりがあるなら、テシュブ先生が仰るはずよね)
「ペル、急いでテントから避難して。アナタが最後よ」
ラヤンが少々イラついた様子でペルを急かした。もう既にミンタたちは全員テントの外に移動している。ペルが慌てて駆け出した。
「う、うん。ごめんなさい」
ペルがテントから出ると、代わりにサムカ熊が起動して床から起き上がった。背伸びをして軽くその場ジャンプをし、ボロボロになっていた体を自動で〔修復〕する。両の熊手から大地の妖精の爪を出したり引っ込めたりして、その機能を確認したりもしている。
「……うむ。正常に起動しているな。では、扉の警護をするか。ここまできて破壊されたら、さすがに生徒が可哀そうだからな」
ハグ人形もいつの間にか、サムカ熊のぬいぐるみ頭の上に座っている。
「久しぶりの起動だな。まあ、ワシはエルフ先生と顔を合わせない方が良いだろうから、ここに隠れて寝ているぞい」
サムカ熊が両の熊手を肩まで上げて、肩関節回りの動作を確認しながら同意した。ラジオ体操でもしているように見える。
「そうだな、それが良かろう。騒ぎが無意味に広がると、このテントも耐え切れないだろうからな」
錬成された銅合金の鍵は、ムンキンが所有している。とりあえず、管理者権限で鍵にタグを付けた。これで万一紛失しても簡単に探すことができる。次いで、固まった溶岩状になっている扉周辺の地面に熊手を当てる。
「〔修復〕しておこう」
その一言で、瞬時に普通の運動場の地面に戻った。次にテント内をぐるりと見回して……肩をすくめる。
「テントや備品の〔修復〕は無理だな。ドワーフ製だろうから、下手に魔法で直すと反対に不具合が生じそうだ。まあ、仕方がないか」
幸いな事に『損傷報告』が製造元のドワーフ世界と、販売元の魔法世界に送信されていた。筋としては、校長が彼らに修理の要請をすることになる。後でサムカ熊やサムカが、校長から怒りの説教を食らう事になるのは確定だろう。
たちまち、やることがなくなって暇になったサムカ熊とハグ人形が、テントの裂け目から外を見物し始めた。墓スペクターも無言でひっそりと同じ方向を見ている。
運動場では、すっかり対決ムードになっていた。サムカ側は生徒が6人しかいないのに対して、相手側はエルフ先生とノーム先生、それにニクマティ級長が率いる精霊魔法専門クラスの生徒60人ほどだ。
ラヤンが目頭を押さえてうつむき、赤橙色の尻尾で地面を不規則に叩いている。
「何でこうなるのよ。私の〔予知〕魔法って、こういう肝心な時には役に立たないのよね。まったくもう……」
レブンが魚顔になりながら、何とか先生たちをなだめようと言葉を尽している。しかし、全く効果は見込めないようだ。
「せめて、同人数でのケンカにしませんか? 僕たちの人数の10倍じゃ不公平です」
ノーム先生が大きな三角帽子を目深にかぶって、銀色の口ヒゲを手袋をした手で弾いた。いつもの穏やかな表情ではなくなっている。
「そうでもないな。もっと不公平になるぞ」
テント村から続々と生徒と先生が、簡易杖を振り回しながら姿を現してきた。その先頭に担任がいるので、ラヤンが呆れた顔になる。
「マルマー先生……ちょっと落ち着いて下さい」
相変わらず豪勢な法衣を派手にひるがえしている。派手な飾りのついた背丈ほどもある長い杖を、頭の上で振り回し、担任のマルマー先生が豪傑笑いを運動場に響かせた。意外と違和感がない。
「負傷者の治療で、授業時間が大きく損なわれたのだ。正義は我にあり。正当な対価を支払ってもらうぞっ、このアンデッドめ!」
法衣の裾が土で汚れている。(多分、これで怒ったのだろうな……)と直感するラヤンであった。
マルマー先生の後ろには、法術専門クラスの生徒全員30名ほどが見事に方陣を組んでいる。その先頭に立つスンティカン級長に、ラヤンがジト目になって抗議した。
「級長。アナタまでいるのに、これはどういう事ですか。先生の暴走を抑えることができるのは、級長だけですよ」
その級長が鉄紺色の瞳を半眼にしながら杖をラヤンに向けた。竜族なので、地面を渋い柿色の尻尾で盛んに叩いている。
「ストレスの発散は必要だよ。済まないが『標的』になってくれたまえ、ラヤンさん。なあに、殺してもすぐに〔蘇生〕してあげるから」
「だめだコレは……」と、ジト目になって天を仰ぐラヤンであった。一縷の望みを以って、もう1人の指導教官であるティンギ先生の姿を急いで探すが、見つからない。ガックリと肩を落とす。
「そうよね。ティンギ先生って、そういう人よね」
代わりに、級長のスロコックを探すが……森の中へアンデッド教徒たちと一緒に逃げているのが見えた。ラヤンがさらに脱力する。
「……そうだった。級長は『アンデッド教徒』だったか。巻き添えを食らう恐れがあるから、逃げたのね」
エルフ先生とノーム先生の後ろで嬉しそうに飛び跳ねている、同じ精霊魔法の専門クラス生徒たちを、ミンタが睨みつけている。特に、ノーム先生の専門クラスの級長である狐族のビジ・ニクマティは、戦闘態勢が万全になっている。やる気満々だ。
そのジャディ張りに不敵な笑みを浮かべているニクマティ級長に、ミンタが同じくらい不敵な笑みを浮かべた。
「いい度胸ね。私と魔法を撃ち合って、勝てると思っているのかしら」
ニクマティ級長が黒茶色の瞳を冷静に輝かせて、鼻先のヒゲをピンと張った。彼の簡易杖が、全体的に白く発光している。
「やってみないと分かりませんよ、学校主席さん。怪しい〔凶暴化〕魔法を食らって大暴れしたエルフ先生とラワット先生を、私たちがどれほど苦労して取り押さえたと思っているんでしょうかね。10名ほど死んでしまいましたよ。もちろん今は〔蘇生〕してここに参戦していますけれどね。私も含めてですがっ」
「そうだー、敵討ちだー」とか何とか騒ぎ始める60人だ。
ペルが冷や汗をかきながら、ミンタの隣でパタパタ踊りを再開し始めた。
「そ、そうかあ……ニクマティ級長が巻き添えを食らって死んでしまったのね。それじゃあ、誰も止められないかも」
ミンタは動じず、不敵な笑みを口元に浮かべ続けるだけだ。
「上等。私は一度、皆殺しした経験があるのよ。サクっと気持ちよく殺してあげるから、安心してかかってきなさい。ラヤン先輩には、後で大活躍してもらうわね。法力サーバーが焼き切れるくらい虐殺してあげる」
そんなミンタの威嚇にも、全く動じていない60人に半ば感心しているレブン。彼もまた、敵方を見て微妙な表情になっている。セマン顔のままなので、ある程度は予想していたのかもしれないが。
「……教祖って事に僕は、なっていたようだけど。そのゴーストで戦うの?」
マルマー先生が引き連れてきた生徒たちの中には、法術専門クラスだけではなく、他のテントからも参戦してきた者が交じっていた。レブンに相対しているのは、アンデッド教徒たちだった。スロコックたちはさっさと森の中へ逃げてしまったので、これは別の派閥である。
人数こそは2名と少ないが、お揃いの黒いローブを頭から被っていて非常によく目立っている。その黒いフードを頭に深くかぶったまま、首謀者が低い声で答えた。魚族でセマン顔なのだが、顔の4分の3ほどが隠れて見えない。
「ふ、ふははは、は。我ら『新月の秘密結社』は、教祖など持たぬわっ。我らが信仰するのは死者の世界の魔神ミトラ・マズドマイニュただ御一方。至高なる御方に栄光あれっ」
レブンが頭痛を覚えたようで、眉間を両手で抑えている。
「やっぱり過激派が誕生したかあ……僕は関わらなかったのに、勝手に設定増えてるしっ。『新月の秘密結社』ってなんだよ。スロコック先輩の阿呆っ」
ムンキンがニヤニヤして、レブンの丸まった背中を≪バン≫と叩く。
「僕に比べれば、まだマシだろ。見てみろよレブン。党員が離反しやがった」
ムンキンの鋭い視線の先には、ムンキン党員の姿が数名ほど見える。
彼らの頭上には、横断幕に似た形状の〔空中ディスプレー〕画面をでかでかと表示させている。そこには、『ムンキンをリコールする会』とか何とかがウィザード語でわざわざ大書されていた。バングナンの姿は見当たらない。
「リーパット党への軟弱な対応、我らには到底納得できませんっ。何を言っても無駄な底辺連中に何を配慮する必要がありましょうかっ。ムンキン君を弾劾して、君の軟弱な心を叩き直すことを、ここに宣言するっ」
「うわ~……」と、今度はムンキンが頭を抱えた。背中をさすってくれるレブンに横目で礼を述べる。
「党員っていっても、同好会みたいなものだけどな。会費も規約もないし。やっぱり、こういうのにも過激派って出来るんだな」
そして、2人そろって首をかしげる。
「今まで、そんな素振りや動きなんか無かったんだけどなあ。唐突に過ぎないか? レブン」
ムンキンの疑問にレブンもうなずく。
「だよね。タイミングが揃いすぎてる。あ。もしかして……」
レブンがサムカの顔を見上げた。サムカが額に軍手を当てて後悔している姿がそこにあった。これで大よその事を察するレブンとムンキンである。一応、念のためにサムカに聞いてみる。
サムカが額から手を離して、レブンとムンキンに辛子色の瞳を向けた。
「〔呪い〕の影響だな。〔呪い〕の魔法場は破壊的なものだ。秩序や理性を阻害する。相手の破壊願望を刺激するのだよ。クーナ先生らが設けていた、監視用の魔法を逆流して、学校中に拡散してしまったようだな」
ラヤンが心底毛嫌いするような視線をサムカに投げた。
「そんな物騒な魔法を、授業で使わないでよね」
一方のミンタは意外にも冷静だ。完全に臨戦態勢を整えているせいもあるのだろう。そして、ジト目ながらもサムカに礼を述べた。
「〔呪い〕とか貴重な魔法の実習になったから、私としてはテシュブ先生に感謝するわよ。こんなのを初見で体験したら、手も足も出ないものね」
ペルもミンタの感想に同意して、尻尾を同じように振っている。
「うん、そうだね。私も〔呪い〕とか初めてだったけど、初歩的な〔呪い〕でも、これほどの効果が出るんだね。勉強になった」
ジャディは無言で淡々と魔法攻撃の準備をしつつ、支援魔法を自身にかけまくっている。
早くも強化杖を〔結界ビン〕の中から取り出していて、敵を完全に殲滅する気のようだ。肩には非常に見えにくいが、黒いカラス型の彼のシャドウ『ブラックウィング改』が止まっていて、ジャディによって支援魔法が次々に発動していた。
「〔呪い〕上等だぜ。ぶっ飛ばされたい奴はかかってきやがれっ」




