93話
【運動場のサムカ教室のテント】
校長を下ろして、礼を述べるサムカ。校長が腰をさすりながら、それでもニコニコして事務室がある大型テントへ戻っていく。パリー対策のために運動場を通らずに、森との境界線に沿って戻るようだ。
校長の後ろ姿を見送ったサムカが、中型テントの出入り幕を持ち上げて中へ入った。
「テシュブ先生、こんにちはっ」
ペルの元気な声がサムカに投げかけられた。同時にジャディが大泣きしながら、サムカの足元に飛び込んでくる。その様式美とも言える一連の行動に、山吹色の瞳を細めるサムカだ。
ジャディをなだめて席に戻し、教壇に立つ。
教室はテントの中という事もあり、かなり簡素な造りになっていた。教室正面には黒板型の壁掛けディスプレーがあるが、大きさは半分ほどだ。
テントの天幕には半透明の採光窓があり、そのおかげで意外に明るい。もちろん室内灯もあるが、これは魔法制御ではなく、通常の電気式のランプである。暗くなると自動的に点灯する仕組みのようだ。
教室の壁幕には窓はなく、共用のロッカーが数個あるだけだった。その中央のロッカーにサムカ熊が収められているようだ。ロッカーから漏れてくる魔法場で察する。
机とイスは、地下階の教室から運び出した、ドワーフ製の非常に頑丈な物だった。ジャディが暴れるので、これでなければ強度が不足する。
その席には、ペルとレブン、ジャディの他に、ミンタとムンキン、それにラヤンが座っていた。(そういえば、マルマー先生が率いていた法術専門クラスの中には、いなかったな……)と思い出すサムカ。
マルマー先生は運動場で今頃、パリー先生の魔法実験の玩具にされているのだろう。それを事前に回避して、この教室にいるので、やはり運が良い。
他にはエルフとノーム先生の〔分身〕だけだった。軍と警察からの受講者は来ていない。撤退しているのだから当然だ。
そして、墓の気配を教室の隅に感じるサムカであった。〔ステルス障壁〕を展開している幽体のアンデッドであるスペクターのようだ。スペクターはシャドウの上位アンデッドで、騎士見習い程度の魔力を有する。
ペルだけは何となく気配を〔察知〕しているようだが、他の全員は気がついていない様子である。
(レブン君も気がついていないか。魔力のバランスを見て、余裕ができたらスペクターの紹介も考えるとしようかね)
騎士見習い程度の魔力なので、生きているレブンの魔力適性では使役する事が非常に厳しい相手だ。ただ、スペクター級になると自我が芽生え始めるので、交渉次第では主従契約をする事が可能になる。
レブンがサムカの視線を受けて、首をかしげている。
ペルは何となく察したようだが、レブンには特に何も告げていない。2人の見学先生〔分身〕にも、黙っている事にしているようだ。確かに、墓がこっそりアンデッドを教室に送りつけて見学していると知られると、騒ぎになるのは目に見えている。
そのエルフとノーム先生の〔分身〕に、サムカが教壇から丁寧に挨拶する。
「カカクトゥア先生とラワット先生、職場への復帰を歓迎するよ。ハグやシーカ校長から少し聞いたが、昇進したようだな、おめでとう」
ノーム先生〔分身〕が銀色の口ヒゲの先を片手でさすりながら、小豆色の瞳を細めて微妙な笑みを浮かべている。ノームらしい大きな三角帽子を足元に置いて、教師らしいスーツ姿だ。
足元はノーム特有の、靴先が大きく上に曲がったブーツである。銀色の垂れ眉も微妙に上下に動く。
「ありがとう。晴れてノーム警察の特務機関第103分室長になったよ。給料が少し上がっただけで、部下は1人もつかないけれどね」
エルフ先生〔分身〕は少々不機嫌な様子だ。
厳めしい機動警察の制服ではなくなって、普通の警察官のそれに変わっている。膝当てや肘当て、肩当ての補強部も無くなり、何となくどこかの学生服のような印象だ。
靴も頑丈なブーツから通常の合成革靴になって、見栄えは良くなっている。しかし、ここの学校の制服と同じく、スカートではない。飛行したりするのでズボンである。ノーム先生〔分身〕と同じく階級章を外してあり、代わりに教員の名前プレートをつけていた。
その彼女が、ジト目気味のままで肩をすくめる。
「私は、エルフ警察の特務機関第402分室長に昇進しました。ラワット先生と同じく、部下は1人もつきませんけどね」
サムカが少し首をかしげる。
「特務機関か。普通は、そういう正体を明かさないものではないかね? まあ、私が知ったところで何も影響は出ないだろうが……」
エルフ先生とノーム先生〔分身〕が顔を見交わして、小さくため息をつく。ノーム先生〔分身〕が銀色の垂れ眉をピコピコ動かす。
「今は同じ階級だけど、これまでの慣習に従って、僕が下っ端役を引き受けよう。特務機関の分室と言ってもね、名ばかりの肩書だよ。何でも屋だな。本職の特務機関は別にあるから、テシュブ先生は気にしなくていいよ」
エルフ先生〔分身〕が、ノーム先生〔分身〕にわざとらしい仕草で会釈する。三文芝居の大根役者の演技のようだ。
「これはどうも。昇進したから、裁量権はかなり自由度が増したわね。分室長権限だから、簡単な作戦であれば自己裁量で自由行動できるかな。もちろん、作戦後の報告はきちんと出さないといけないけど。始末書を書く枚数が減った程度の恩恵しかないわね」
ノーム先生〔分身〕が口ヒゲの先を指で捻りながら、小豆色の瞳を閉じた。
「左様。責任も増すから、何か問題が発生したら、真っ先に分室長である僕たちが首になる」
ミンタとムンキンが、「ええ~……」と悲鳴を上げた。
エルフ先生〔分身〕が、生徒たちに少し不敵な表情で微笑む。
「後任者が多分、この先もずっと決まらないから、首も形式的なものになるだけですよ。ブトワル警察の中では、この仕事は鬼門中の鬼門になってるし」
そして、サムカに顔を向けて、肩をすくめて両手を肩の高さまで上げた。『処置なし』という意味だ。
「サムカ先生も聞いていると思うけれど、先日の大ダコ率いるアンデッド群の掃討作戦に、エルフもノームも参加できなかったのよ。私たちが処分中だったせいで、現場に誰もいなかったからだけどね。あ。一応、特殊部隊や諜報部隊はいたみたいだけど、存在をばらす訳にはいかないのよね。タカパ帝国に不法入国してるから」
ブトワル王国もよろしくない事をしているようだ。しかしまあ、特殊部隊や諜報部隊にエルフ製武器の行商をさせるわけにもいかない。
「それで、活躍の場が結局なくなって、対アンデッド用の魔法具の商談を、全てソーサラー協会とドワーフ政府に奪われてしまったのよ。それが、警察上層部で大問題になってね……色々あったみたい」
ノーム先生〔分身〕も、「その通り」とでも言いたげな仕草をしている。
「確か今回は、魔法適性のない一般向けの魔法具の商談だったかな。タカパ帝国軍と自治軍、警察に合計60万セットの、対アンデッド用武器の納入が決まったそうだね。金額までは分からないけど、相当高額の商取引になったのは間違いないだろう」
そう言って肩を軽くすくめる。
「それを、ノーム政府は手をこまねいて黙って見ているしかなかったからね。武器の訓練指導や、部品補給も含める事になるから、痛恨の失態だな。ははは」
サムカが教壇の上で腕組みをして考え込んだ。
「……我が王国でも、宰相閣下が主導して、一般向けの魔法具の開発を進めている。もし、開発が終わって量産体制が出来ていたら、私も巻き込まれていたということか。何がどう運ぶか、分からないものだな」
そして、話題をそこで切り上げた。生徒たちに顔を向ける。
「大よその状況は把握できた。では、授業を始めるとしよう」
【貴族が使う罠について】
教室の壁幕の隅で、ひっそりと見学している墓のスペクターにサムカが目配せをしてから、話を始める。
「君たちは、これまでに墓所の罠や仕掛けに取り組んだ経験がある。実際、かなり凶悪な物ばかりだったが、ここで私のような貴族が、実際に配置している罠や仕掛けについても知っておくと良いだろう」
そして、軍手のような手袋をした左手で、古着のポケットから古めかしい『鍵』を1つ取り出した。
鍵を黒板型ディスプレー画面にも映しているので、鍵の形状が良く分かる。今では、子供向けの玩具にも使われないような、非常に単純な構造の鍵だ。金属の丸い棒に、数個の突起物が付いているだけである。
「こういう鍵を使う。見ての通り、あまりにも単純な構造だ。もちろん、鍵の構造を複雑にする場合もあるが、それは今回の授業ではしないでおこう。最初の授業だからね、まずは基礎から学んだ方が効率が良い」
ノーム先生〔分身〕が、何か思い出したようだ。意味深な表情になって、銀色の垂れ眉を上下にピコピコ動かしている。ついでにパイプも取り出そうとしたが……これは途中で気がついて止めた。
「ああ、その型式の鍵は、探検の報告書などに散見されますね。ティンギ先生がこの場にいれば、もっと詳しい情報が得られたはずですが……まあ、仕方がないですね。僕の知る限りでも、アンデッドが作成した施設内の鍵はそういう形状が多いですよ」
そして少し考えて、隣のエルフ先生に配慮した口調で、サムカに聞く。
「ゾンビやスケルトンでも扱えるように……という事ですかね?」
サムカが素直にうなずく。それに呼応するように、エルフ先生〔分身〕とラヤンが、少し顔をしかめた。しかし、特に何も文句は言って来ない。
「うむ。そうだな。私の旧城でもそうだったが、基本的にはスケルトンやゾンビ兵が巡回警備をする。シャドウやゴーストも巡回しているが、残念ながら彼らに精密作業を期待するのは止めておいた方がいい。力加減を誤って、鍵を壊してしまう事が多いからね。だから、なるべく単純な構造で丈夫である必要があるのだよ」
ムンキンが思わず口を挟んできた。
「アンデッドじゃなくて、ゴーレムとかアンドロイドとか〔式神〕とか〔エレメンタル〕とか……あ、そうか。電子制御や精霊場制御が難しいんだったか」
隣に座っているレブンが素直に肯定する。
「そういう事だね、ムンキン君。死霊術って、他の魔法場と相性が悪いから。多分、魔族やオークさんに頼んでも良くないのですよね? テシュブ先生」
サムカが腕組みをしてうなずく。
「そうだな。アンデッドの魔力源は死霊術場だが、これは命ある者が多い場所から逃げる性質がある。一方で、生者の傭兵や警備員を雇うと、それはそれで死霊術の影響で彼らの精神面が心配になるからね」
ミンタが両目を閉じて腕組みした。金色の毛が混じる両耳が、彼女の思考に反応してピコピコ動いている。
「……そうね。死霊術って電気との相性が悪いのよね。まあ、電気と電磁波なんでしょうけど。ゴーレムの魔法回路って電気や光子制御だし、アンドロイドもそうだし、〔式神〕は法術だし」
ミンタの両耳の先がクルクル回り始めた。
「〔エレメンタル〕は、精霊の下位〔召喚〕と〔使役〕魔法の『合わせ技』だけど、施設内で使えそうな種類は大地属性くらいよね。炎だと火事になるし、水だとカビだらけになるし、風は論外だし。大地ですら、精霊場の相性が死霊術と最悪だから使い勝手が悪いわね」
鼻先のヒゲもピコピコ動き始めた。
「私たちのような生物の制御系統は神経系で、これって微弱な電気信号で機能しているモノだしね。それこそ、マヨネズ粒子やワシル粒子のような、特別な疑似素粒子でも使わないといけないかも」
ラヤンが真っ先に同意した。ついでに尻尾で床を「パシン」と叩く。
「法術って、生きている信者たちの『思念エネルギー』ですものね。相性は最悪だと思うわよ、テシュブ先生。ハグ人形は、リッチーだから意味不明だけど」
ペルもミンタにほぼ同意している。やや気が引けているようで、両耳が頭のフワフワ毛皮の中に潜り込み始めているが。
「私も魔法工学の実習の時は、闇の精霊魔法場を発散させないように、念入りに〔防御障壁〕を展開してるよ。機械の回路に悪影響が出やすいから。電子でも光子でもない特別な素粒子が使えたら便利だな」
ミンタがペルの顔を見つめて、片耳をパタパタさせた。
「……もしかすると、ミュオンが使えるかも知れないわね。ちょっと考えておくわ」
エルフ先生〔分身〕も腕組みしながら、細長い耳をミンタに近い方だけ数回パタパタさせた。よく動くようになっている。
「ミュオン素粒子ですか。ブトワル王国の研究所に聞いてみないと、私では分かりませんねえ。一般の警察部隊では、そのような原理の魔法具や術式は配備されていないはずですよ。色々と難しい点があるのでしょう」
しかし、口調とは逆に、ミンタに微笑んでいる。
「自由研究の課題としては、面白そうですね。やってみなさい、ミンタさん。私も協力しますよ」
サムカも興味を抱いたようだ。山吹色の瞳を細めてミンタを見る。すでに彼女は、やる気全開の表情である。
「私も協力を惜しまないよ。自由研究を楽しみにしておこう」
そして、ミュオンついでという事で、話を進めた。
「貴族が設計した施設では、巡回警備しているアンデッドたちが迷わないように配慮している。加えて、〔ステルス障壁〕や幻術などを用いて、重要な扉や設備を保護している。しかし、それでも迷ったアンデッドたちが警戒網に引っかかってしまう事が起きるのだ」
サムカの旧居城や今の館には、保護すべき財産があまりない。なので気楽なものだ。騎士シチイガは大変そうだが。一方でステワやピグチェンの場合では、財産が多いので切実な問題になる。
そんな悪友2人の顔を思い浮かべながら、サムカが話を続ける。
「従って、そういった重要な場所には、アンデッドを配置していない貴族がかなり多いものだ。こういうのも、攻略のヒントになるだろう」
レブンが自身のアンコウ型シャドウに命じて、メモをガシガシとらせ始めた。サムカが山吹色の瞳を細めて話を続ける。
「さらに、〔ステルス障壁〕というのも一長一短だ。以前に、墓所の保安警備システムの検査で、ラワット先生が地震波を使ったり、ミンタさんがミュオンを使った事があったね。それによって見事に墓所が、その体積と共に判明してしまった。そういった調査方法がある以上、〔ステルス障壁〕や幻術に頼るのは少々危険なのだよ」
ノーム先生〔分身〕が、銀色のあごヒゲを片手で撫でながら微笑む。
「左様。地震波の調査では、大きさしか分からないけど、それでも何かが土中にある事は分かってしまうんだよね。座標さえ分かってしまえば、後はいくらでも調査できる。今の墓所の偽装だって、すでに結構、〔解析〕されてしまっているんだよ」
墓スペクターが挙動不審な動きをし始めた。墓所に、今のやり取りを送信しているのだろう。教室の後ろの隅で、魚がピチピチもがいているような動きをしている。
サムカが内心で苦笑しつつ、努めて平静な表情で話を続けた。
「そこで、多くの貴族は〔結界〕を利用した偽装を行っている。ちょうど今、私が授業をしているこのテントも、〔結界〕の内部だな。偽装の見た目は、どこにでもあるような窓や扉、それに机などの引き出しだ。通常は、普通に窓や扉、それに引き出しとして使う。そして、必要になったら鍵を使って〔結界〕を呼び寄せるという仕組みだ」
ムンキンが手を挙げて発言した。
「鍵を使った〔結界〕の〔召喚〕魔法ですね、テシュブ先生。この場合は〔召喚〕するのが空間で、魔法生物じゃないけど」
サムカがうなずく。
「うむ、そうだな。〔結界〕内部は、どこか遠くの空間で構わない。地中深くに設けた閉鎖空間でも良いし、海底に沈めたコンテナ内の空間でも良い。異世界空間である必要はないな。何かの原因で鍵を無くしても、異世界でなければ、遠足して行ける場所でもあるので安心だ」
(鍵が無くなったり壊れたりする事が、よくあるんだろうなあ……)と思う生徒と先生〔分身〕たちであった。
ノーム先生〔分身〕がサムカに同意する。
「左様。〔結界〕内部の空間は、地震波では外部から〔探知〕できないからね。空間が外部と連続していないから、地震波が伝わらないんだよ。それはミュオンでも同じだな」
レブンが手を挙げてサムカに質問した。アンコウ型シャドウのメモとりが本格化してきている。シャドウはペンを持てないのだが、力場術を使ってペンを空中に浮かせて〔操作〕しているようだ。
「テシュブ先生。その鍵ですが、第三者の不正な使用を防止するために、所有者認証もしているのでしょうか? スケルトンでは少し厳しいような気がします」
サムカがレブンにうなずく。
「その通り、スケルトンやゾンビには無理だな。死霊術をかけている術者の所有者認証をコピーしているよ。基本的には、術者が死霊術を使ってアンデッドを〔操作〕しているから、鍵の認証もその延長という事だね。それに、死霊術を使える人口は非常に少ないから、本人が帯びている固有の魔法場をそのまま所有者認証に適用している。この手法は、君たち生徒でも有効なはずだ」
サムカが生徒たち全員に目配せする。
「ただし、君たちは日々成長中だから、君たち固有の魔法場も日々変化している。認証の更新は頻繁に行った方が良いだろう」
次いで、教室の後ろの隅でようやく落ち着いたばかりの墓スペクターに、チラリと山吹色の視線を投げた。
「さて先程、貴族や騎士は人口が少ないと言った事を思い出してほしい。常時、深刻な人手不足なのだよ。生者であっても、城の外での仕事であれば支障はないからね、外部協力者を募る事がよくあるのだ」
ジャディが凶悪な笑みを浮かべて、席に座りながら器用に背中の翼を広げてバサバサさせた。ムンキンとミンタが、ほとんど反射的にジャディに簡易杖を向ける。特に何も発射されていないようだったが――
「ぐはっ」
ジャディがもんどりうって仰向けに倒れて動かなくなった。慌てて駆け寄るレブンとペルに、ミンタが冷たい声で告げる。
「放置しなさい。地下の教室と違って、ここは簡易テント。しかも〔結界〕の中なのよ。ここにいる全員の身の安全に関わるから、暴れるのは絶対に禁止と言ったんだけどな。このバカ鳥はすぐに忘れたか」
昏倒して白目をむいて痙攣しているジャディの上体をレブンが抱き起こして、頭などに打撲の跡がないことを確認する。
「だからと言っても、一言警告くらい出して欲しかったな。法術には詳しくないけど、体に異常はないみたいだ」
そう言ってラヤンの顔を見上げるが……ラヤンは目を合わせてくれなかった。仕方なく、ソーサラー魔術でレブンのカバンをクッションに〔変化〕させて、それをジャディの頭の下に置く。
「ジャディ君が何か言いたげでしたが……何だったのでしょうか」
ムンキンがイスに座り直して、半眼のままレブンに答える。
「大した事じゃないだろ。どうせ飛族の傭兵稼業の自慢でもしたかったんだよ」
確かにそれには説得力を感じるレブンとペルである。傭兵というか、民間警備の一種になるようだが。
すっかり静かになったテント内で、サムカが「コホン」と軽く咳払いをしてから話を続けた。
「その外部協力者だが、彼らの能力を見極める必要がある。言わば『採用試験』というところだな。よくあるのが、鍵を入手して、それを使って仕掛けや罠を解除できたら合格というものだ。その時に、『鍵の所有者』登録も行われる。合格者のなりすましを防止するためだな」
そうして、再び軍手で持っている鍵を見せた。
「採用試験会場に、我々貴族や騎士がいつも貼りつく時間は取れないからね。アンデッド兵に監視させても良いが、基本能力が低い。採用試験中に見落としが起きる可能性がある。従って、合格して、初めて我々に知らせが届くようにしている場合が多いな。実際、合格者は50年に1人程度なのでね」
そして、もう一言だけ言い添えた。
「君たちが、将来もし外部協力者を必要とする場合、これは有効な手法の1つになると思うよ」
しかし、ミンタは同意できないようだ。首をかしげたまま、サムカに指摘してくる。
「どうかしら。信用できるかどうかは、精神の精霊魔法で記憶と感情を調べれば済む話なんだけど。魔法技能の優劣も、魔法適性と魔力量を調べれば大体分かるし。古臭くない? そのやり方」
エルフ先生〔分身〕もミンタの容赦ない指摘に、無言でうなずくばかりだ。彼女もミンタと、ほぼ同意見なのだろう。
次いでラヤンが紺色のジト目のままでサムカに指摘してきた。赤橙色の尻尾で≪バシバシ≫床を叩いている。
「信用とか優劣って……死体を勝手に操る犯罪者の死霊術使いの立場から見てでしょ、それって。どう考えても悪人以外の何でもないと思いますけど。問答無用で〔浄化〕対象ですよ、テシュブ先生」
そう言って、レブンに真面目な顔を向けた。尻尾も止まった。
「レブン君は、今までの実績を評価しているから例外だけどね。それ以外の死霊術使いよ」
複雑な表情になっているレブンであった。魚の口になっている。
ペルは、白目のままのジャディの頭を手袋をした手で撫でながら、精神ダメージの〔消去〕を行っていたのだが……その手を休めて両耳をパタパタさせた。
「どうなんだろ。レブン君も偉くなったら、部下も増えるでしょ。その能力判定に使えると思うけどな。もちろん、精神の精霊魔法や魔法適性の調査も併用すれば、もっと良いけど」
ノーム先生〔分身〕が腰に両手を当ててニヤリと笑う。
「部下がつけば……の話だけどな。組織ってのは、なかなか思うようにならないものだよ。外部協力者も、基本的には専門の部署が探してくるものだ。テシュブ先生は領主だからな、我々とは立場が違うよ」
確かにその通りだ。外部協力者を選定するのは、普通は人事権のある部署になる。下っ端警官には、そんな権限はない。むしろ、処罰の対象ですらある。恐らくは分室長の立場でもだろう。
エルフ先生〔分身〕は、居心地が悪そうにソワソワしているばかりだ。今まで、その外部協力者を作りまくってきている。パリーに至っては、学校の先生にまでなってしまった。
とりあえず、(話題を切り替えた方が良い)と思ったのだろう。細長い両耳をパタパタさせながら、軽く咳払いをした。
「ええと……今は単純に、罠と仕掛けについて勉強すれば良いと思いますよ。新たな術式を学ぶ良い機会です」
思わぬ相手から助け舟を出されたサムカが、意外そうな表情になっている。
生徒たちもエルフ先生〔分身〕の一言で、ある程度は納得したのだろう、静かになる。ジャディも白目から回復しつつあった。まだ今は視線が定まっていない状況だが、とりあえず意識を取り戻しつつあるようだ。
「うむ。では、進めるとしよう」
サムカが手の中の鍵を〔消去〕する。そして、赤茶けた中古マントの中から、エルフ先生くらいの身長の人が出入りできる大きさの扉を引っ張り出した。
どこにでもあるような木製の片開き扉で、木枠にぴったりと収まっている。扉には何の装飾も小窓もなく、非常に単純な作りのレバー式ドアノブ。鍵穴が1つある。
その扉をサムカが片手でつかんで、軽々と持ち運んで教壇の横に置いた。安作りなのか、《ボコ、ギシ》と扉から音が鳴る。
「見ての通り、ごく普通の扉だな。鍵穴はあるが、別に鍵がなくても、この通り自由に開閉できる」
実際にサムカが片開きの扉のドアノブに手をかけて、扉を開閉して見せた。扉が開いても、外枠の向こう側にある黒板型ディスプレー画面が見えるだけで、〔結界〕らしき空間は見当たらない。
ミンタが険しい目になって、その扉をじっと見ていたが……すぐに両手を肩まで上げて降参のポーズをとった。
「本当に、ただの普通の扉ね。魔法場も何も感じられないわ」
サムカがうなずいて、さらに数回ほど扉を開閉させた。やはり安物のようで《ギシバキ》と軋む音がする。
「そうだな。〔結界〕が発生しない限りは、これはただの扉に過ぎない」
そのまま半開きにして、サムカが扉から離れる。
「では、〔結界〕を発生させてみたまえ。まずは鍵を探すところからだな」
生徒たちが席から立ち上がって、安物扉を触ったり叩いたりして調べ始めた。ジャディはまだ目が回っているようで、そのまま床に寝ている。
扉の表や裏側を簡易杖で調べたり、扉の枠やドアノブも入念に調べていくミンタたち5人だ。先生〔分身〕の2人は、参加せずに見守っている。
ムンキンが簡易杖の先を扉のあちこちに押しつけて、幻導術の〔検査〕魔法を色々とかけていく。しかし、どの魔法でも異変を見つけられないようだ。
ジト目になって濃い藍色の瞳をギラつかせ、柿色の金属光沢を放つウロコを少し逆立てて膨らませる。
「マジかよ。全部の〔探査〕魔法を使ってもピクリとも反応しないぞ」
レブンがセマン顔で腕組みしながら感心している。
「テシュブ先生が「仕掛けがある」と前もって言って下さらなかったら、ただの扉だと見逃すところですね」
ジャディがようやく正気に戻ったようで、扉をペタペタ触って顔をしかめた。まだ若干足元がふらついているようだが、回復力はさすがだ。
「殿。面倒なんで、コレぶっ壊して良いッスか?」
「はあ!?」
ミンタとムンキンが『理解不能』という顔になった。レブンとペルも少し頭痛を覚えたようで、顔を伏せて頭を抱えている。ラヤンが紺色のジト目になって、ジャディに簡易杖の先を突きつけた。
「さすがバカ鳥ね。もうしばらくの間、気絶してみる?」
サムカは意外にも満足そうな笑みを浮かべていた。ジャディに山吹色の瞳を向けて細める。
「許可しよう。やってみなさい」
「ええ!?」
今度は、ジャディ以外の全員が目を丸くして驚いた。
「んじゃあ、早速っ」
ジャディが嬉々として風の精霊魔法を発動させて、旋風をぶつけようとする。それを、慌ててペルが飛びついて止めた。
「ちょ、ちょっと待ってよジャディ君っ。もう少し考えてから行動して……」
間に合わなかった。
「うらああああっ! 吹き飛べええええっ」
ジャディが凶悪な顔を生き生きと輝かせて吼えた。
エルフ先生ほどの高さの木製扉に、いきなり3本もの〔旋風〕が襲い掛かる。どれも闇の精霊魔法場を内包しているようで、渦巻く〔旋風〕の内部は真っ暗で見えない。その〔旋風〕の周囲には、静電気が稲妻のような勢いで走り回っている。
ペルが常時展開している〔防御障壁〕も、その最外殻が2枚ほど吹き飛んで消滅した。そのままペルが暴風に吹き飛ばされて、テント教室の最後部まで転がっていって壁幕に「ボウン」と衝突する。
他の生徒と先生〔分身〕も〔防御障壁〕を展開しているのだが、ペルと同じように数枚を破壊されて、そのまま吹き飛ばされた。サムカも〔防御障壁〕が数枚吹き飛ばされて、背後の黒板型ディスプレーに風圧で押しつけられながら驚いている。
テントが暴風で破れていき、警報が鳴り響く。テントの裂け目からは、外の亜熱帯の森の景色が見え、同時に、テントの外から数名の生徒の悲鳴が上がった。
エルフ先生〔分身〕が、テントの裂け目から外を見て肩をすくめる。彼女はさすがに風の精霊魔法に精通しているので、それほど被害を受けていない。それでも、最外殻の〔防御障壁〕は吹き飛ばされてしまったようだが。
「〔結界〕内から、通常空間へ強制復帰していますね。安全装置が働いたのでしょう。このテントがいきなり内部ごと運動場に出現したので、周辺のテントが押し飛ばされたのかな。ケガ人が出ていますね」
ペルが体を起こして、ほっとした表情になる。
「よ、良かったあ……安全装置が働いて」
そして、視線を感じて、教室の後ろの隅に顔を向けた。何も見えないが、死霊術場を感じる。敵意はない様子だ。先程からサムカがチラチラ見ていた者だろう。
「どなたかは存じませんが、ご無事で良かったですね」
ペルが小声で、見えない相手に声をかける。当然ながら反応は返ってこないが、普通に微笑むペルだ。
テント内部の暴風が収まり始め、空中を飛び交っていた何かの破片や埃も収まっていく。ペルが簡易杖を出して状況をスキャンすると、どうやら皆無事のようだ。
数メートル先でうずくまっていたミンタが、怒声を上げて跳び起きたのが見えた。ケガもなく元気そうなので安心するペルである。
「こ、このバカ鳥いいいいっ! 何やってんのよっ。こんな場所で木星の風の精霊魔法なんか使うなああっ」
ミンタの怒声を聞きながら、ペルが手袋をはめ直し、ブレザー制服についた埃を両手で「ポンポン」叩いて落として立ち上がる。頭上で大きく裂けたテントの天幕が、森からの北風になびいて口を開けている。きれいな冬の青空だ。
「木星……あ、そうか。私たちには未知の魔法場だったから、完全に防御できなかったんだ」
黒い縞模様が3本走っているフワフワ毛皮の頭をそっと叩いて埃を落としながら、ペルが納得している。
ようやく視界がはっきりとしてきた。テント内部は、机とイス以外は完全に瓦礫が散乱する有様になっていた。
教壇やロッカーも粉砕されて、サムカ熊が床に転がっている。起動していないようで、今はまだ人形の状態のままだ。正面の簡易型の黒板型ディスプレーも真っ二つに割れてしまっていた。
「やっぱり、扉は粉々になっちゃったか……」
ペルが肩を落として、黒毛が交じる両耳と尻尾を力なく垂らした。
他の生徒たちと先生も、ようやく体を土砂の中から起こしてきている。それを確認して、仁王立ちしているミンタに声を掛けた。相当に怒っている様子で、全身の狐毛皮が逆立って静電気を放っている。尻尾も竹ホウキのような荒々しい逆立ち具合だ。鼻先と口元のヒゲ群も先から火花を散らしている。
急いで駆け寄って、ミンタに抱きつくペル。
ペルがミンタに抱きついた瞬間。静電気が消えて、逆立っていた毛皮も元に戻った。ミンタも正気に戻ったようだ。ちょっと慌てた様子になって、抱きついているペルの頭をポコポコ叩く。
「な、なになになに!?」
ペルが安堵の笑みをミンタに向ける。
「怒りで暴走しかけていたみたい。収まって良かった」
ミンタが両耳をパタパタさせている。抱きついているペルから、微弱な闇の精霊魔法を感じていた。精神の興奮を鎮める魔法のようだ。確かに我ながら驚くほど冷静になってきたので、その威力に感心している。精神の精霊魔法の〔沈静化〕魔法とは、何かが根本的に異なっているようだ。
「もう大丈夫よ。ありがとね、ペルちゃん」
体を離したペルに礼を述べたミンタが、床に倒れて痙攣しているジャディをジト目になって見下ろす。
「慣れない魔法なんか使うからよ。自爆してバカじゃないの?」
そして、今度は真っ二つに割れた黒板にもたれて立っているサムカに、栗色のジト目を向ける。
「テシュブ先生、扉が粉々になってしまいましたけど!」
しかし、サムカは微笑んだままだ。
「授業は、まだ終わっていないよ」
ミンタとペルが何かを察したようだ。顔を見合わせる。
ペルが簡易杖を取り出して、小さな〔空中ディスプレー〕画面を呼び出した。それにウィザード語の術式が表示されていく。500ヶ所ほどの術式エラーを自動で2秒もかからず〔修正〕して、ミンタに告げる。
「壊れた扉の各素材情報をまとめたよ。これで扉を〔修復〕できるよ、ミンタちゃん」
ミンタが金色の毛が交じる尻尾をグルンと振り回した。彼女も簡易杖を取り出して、ソーサラー魔術の〔修復〕魔術の術式を走らせ始める。
「ありがと、ペルちゃん。さすが魔法工学が得意なだけあるわね。観測情報を参照、不要なゴミを除去。よし。じゃあ、扉の〔修復〕開始っ」
杖を鋭く振ると、テント教室の中央に塵や木材の破片、金属片などが、一斉に寄せ集まってきて山になった。その山がさらに盛り上がって、扉のような形になっていく。〔修復〕というよりは〔復元〕に近い。
それを見つめて術式の調整をしながら、ミンタがようやく起き上がったラヤンに声をかけた。ミンタの栗色の視線は扉状の塵の山に向けられたままだ。
「おはよう、ラヤン先輩。寝起きで悪いけど、皆の状況を検査して。バカ鳥が木星の風の精霊魔法をちょっと使ったのよ。未知の魔法だから、何か体に影響が出ているかもしれないわ。それが出ているかどうか、確認して。多分、何も影響は出ていないと思うけど」
ラヤンが頭を振りながら起き上がり、紺色のブレザー制服についている埃や破片を、ジト目になって叩き落とす。テント内部の惨状を呆れた顔で見てから、簡易杖を取り出した。
「凄い被害ね。了解、〔健康診断〕してあげるわよ。それと、何度も言っているけれど、先輩には敬語を使いなさいよね、1年生」
ぶつぶつ文句を言いながらも、法力サーバーに接続するラヤンであった。
エルフ先生とノーム先生の〔分身〕も、瓦礫の中から起き上がったので、ラヤンが杖の先を向ける。それを真面目な表情で拒否する先生2人。
「いえ、私たちは放置して下さい。この〔分身〕は後で放棄しますので〔治療〕は不要ですよ」
エルフ先生〔分身〕が、肩の上にウィザード語でカウントダウン表示を出して、それをラヤンに見せた。隣のノーム先生〔分身〕も同じ表示を出す。
「この〔分身〕は、授業中だけの使い捨てだからな。後は、本体に任せるよ」
ラヤンの手元に2つの小さな〔空中ディスプレー〕画面が発生して、別のテント教室で授業を行っている最中のエルフ先生とノーム先生本人が顔を見せた。
「そういう事です。状況は先程爆発が起きてから映像で監視していますから、その〔分身〕が廃棄されても問題ありませんよ。これ以上、何か起きれば、そちらへ向かいますから、負傷者の手当などをして下さい」
ノーム先生も銀色の口ヒゲの先を指に絡めながら、エルフ先生に同意する。
「左様。通常空間に戻ってきておるから、学校の保安警備システムの保護下にある。テントの外で負傷した生徒たちについては、マルマー先生に頼んであるよ」
確かに、テントの大穴の向こうからマルマー先生の大声がしてきた。パリー先生の『遊び』から無事に脱出生還できたようである。
「負傷者はいるかね? 私が来たからには、もう安全だぞっ」
駆けつけたマルマー先生が、テントの大きな裂け目から顔を突っ込んでラヤンに命令する。
「お。ラヤンか。テントの中の処置は任せる。私は外の負傷者や、ショック状態の者の〔治療〕に当たるから、心配は無用だぞ」
ラヤンが丁寧にマルマー先生に頭を下げて礼を述べた。
「はい、ありがとうございます、先生。テント内は、ジャディ君以外の負傷者は出ていません。ご安心ください」
マルマー先生が顔をしかめて、床に倒れているジャディの背中を見た。
「またコイツか。騒動ばかり起こす奴だな」
そしてサムカに焦げ土色のジト目視線を投げかけ、茅色で褐色の癖のある短髪をかき上げた。
「テシュブ先生。生徒のしつけを、怠らぬように願いますぞ」
素直に謝るサムカ。
「迷惑をかけたな。申し訳ない」
なおも、ぶつぶつ文句を言いかけたマルマー先生だったが……運動場でスンティカン級長が助けを呼んだので、テントの裂け目から首を引っ込めた。パリー先生も、今は生徒の救出を手伝っているようだ。ちょっと不機嫌な表情だが。
マルマー先生がパリー先生の動きを少しの間だけ注視してから、顔をテントの中のラヤンに向け直す。パリー先生のせいで色々起きたらしく、白い桜色の顔が怒りで赤くなっている。
「では、私は忙しいので、これで。ラヤン、ここは頼むぞ」
「はい、マルマー先生」
ラヤンが答えると、ようやく満足そうな笑みを浮かべて、過剰な装飾が付いている大きな杖を振り回して立ち去っていった。マルマー先生の後ろには、法術専門クラスの生徒たちが10名ほど従っているのが見える。
他の場所では、スンティカン級長が数名の生徒と共に、負傷した生徒たちを診断していた。
マルマー先生の後ろ姿を見送ったエルフ先生と、ノーム先生の〔分身〕2人もラヤンに手を振る。
「では、私たちもこれで一時失礼するわね。映像で監視はしているから安心して」
「本体の僕から、シーカ校長先生に状況を知らせておくよ。これ以上、彼に心労をかけるのは心苦しい。できれば穏便な授業を心がけてくれよ、テシュブ先生」
そう言い残して、2人の〔分身〕が光になって消滅した。
代わりに、その場所に小さな〔空中ディスプレー〕画面が2つ発生する。『監視用』で、エルフ先生とノーム先生の姿は映っておらず、ウィザード語の術式が画面を流れているだけだ。
ラヤンが早速ムンキンとレブンの〔健康診断〕を終えて、少し残念そうな表情になった。
「なんだ……どこも悪くなってないじゃないの。頑丈過ぎてつまらないわね、アナタたち」
「ああ? なんだとコラ」
ムンキンが土砂の中から跳ね起きて、ふんぞり返って見下ろしているラヤンに食って掛かる。それをレブンがタックルして止めた。先程のミンタとペルのようだ。
「まだ授業中だよ、ムンキン君。ケンカなら授業後にできるから、今は我慢してよ」
そう言われると、「ぐぬぬ……」と唸って立ち止まるしかないムンキンである。しかし、すぐに冷静な表情になって、今度は抱きついているレブンに弁解をし始めた。
「何を言ってるんだよ、レブン。ケンカになったら、僕たち、精霊魔法使いが勝つに決まってるだろ。法術使いを相手にしたら、弱い者イジメだと言われてしまうだけじゃないか。ははは」
今度はラヤンがジト目になって、ムンキンを睨みつけた。
「あら。法術を軽視すると痛いめに遭うわよ。私のような成績中位だって、制服を着たトカゲ退治くらい造作もないんだけど」
「いや、ラヤン先輩もトカゲでしょ……」と口にまで出かかったレブン。それを何とか飲みこんで、2人の間に割って入る。
「だから、ケンカは今は良くないって。ラヤン先輩、ジャディ君の〔治療〕をよろしくお願いしますっ」
ラヤンがジト目のままで、大きくため息をついた。まだ赤橙色のウロコが頭のあちこちで逆立っている。
「どう考えても、このバカ鳥の自業自得だと思うけどっ……分かったわよ、〔治療〕してあげるわよ。練習台でもあるし」
レブンがムンキンから離れて、サムカに顔を向けて疲れた笑顔をして頭を下げた。
「すいません、テシュブ先生。お騒がせしました」
サムカは穏やかな表情で微笑んでいるばかりだ。ふと気がついたのか、背後の真っ二つになった黒板型ディスプレーを床に下ろす。
「いや。こういう突発的な魔法事故を経験すること自体は、有益な学習機会になる。ジャディ君は、もう少し魔法の練習を積んだ方が良かろう。さて、そろそろ扉の〔修復〕が終わりそうだね、ミンタさん」
レブンとムンキン、ラヤンが、ミンタに視線を向けた。教室の中央には、粉砕前の姿で扉が〔修復〕されつつある。もう、あと少しで直りそうだ。
しかし、当のミンタは不満そうな表情をしている。隣のペルも落胆の表情をしている。
「……本当に、元に戻っただけね。何も変わっていないわよ、このバカ鳥」
ペルも申し訳なさそうにしながら、やっと意識を回復したばかりのジャディに、〔指向性会話〕魔法でそっと告げた。
「壊れた事で、錬金術か何かが起動するかと思ったんだけど……普通に、元の扉に戻っちゃった」
ジャディが床に這って呻きながらも、琥珀色の瞳をギラリと輝かせる。
「もう1発必要か? だったら、やってやるぜっ」
ラヤンがジト目になって呆れたように首を振る。〔治療〕法術も一時中断する。
「本当に、このバカ鳥は……一度も二度も変わらないわよ。魔法が『間違っていた』の。そのくらい認めなさいよね、このバカ鳥。〔治療〕を中止するわよ」
体力がまだほとんど回復していないのだが、それでもラヤンに食って掛かろうと、もがくジャディである。(この風景って、さっき見たよなあ……)と、レブンがジャディの背中を両手で押さえつけた。
「僕もそう思う。別の魔法が必要なんだと思うよ。風ではなくて……あ、そうか」
ムンキンはジャディの背中を足蹴にしてレブンに協力していたが、同じ閃きを得たようだ。レブンの気づきと同時に、ムンキンの尻尾が床を叩いた。
「鍵は金属。大地の属性だな」
それを聞いて、サムカの山吹色の瞳が細められた。
「ほう。では、やってみなさい」
【扉の罠】
ムンキンがまだ足元で呻いているジャディを見下ろして、ニヤリと笑って礼を述べた。
「ヒントには、何とかなったな。鳥の暴走も『たまには』役に立つじゃないか」
呻きながら体をよじって反抗するジャディに、もう1発蹴りを入れて黙らせる。そして、ムンキンが簡易杖の先を〔修復〕されたばかりの扉に向けた。
「この扉を、大地属性の塊にしないといけないってことだな。つまり〔石化〕だ」
ミンタが扉の〔修復〕を終えて、ほっと一息つきながら、簡易杖で自身の肩を「トントン」叩く。
「ただの〔石化〕では無理ね。ドアノブの金属素材にする〔石化〕よね。この安物扉を、ドアノブの金属を含んだ原石にする〔石化〕魔法ってことね」
サムカの反応が一瞬遅れたのを察知したペルが、ミンタの簡易杖を両手で持った。
「待って、ミンタちゃん。何か『罠』が仕掛けられているかもしれない。テシュブ先生の反応がちょっと変だった」
小さく唸って、錆色の短髪をかくサムカである。
「さすがは『騎士見習い』相当の魔力持ちだな。この扉に罠が仕掛けられているのかどうかの真偽はさておき、この場合に考えられる罠は、どのような物が考えられるかね?」
ムンキンが簡易杖をかざして、扉にかけられていそうな罠関連の術式を調査する。勝手に〔側溝攻撃〕まで仕掛けているが、黙認するサムカだ。監視しているエルフとノーム先生からも特に反応はない。
そのムンキンが濃藍色の瞳を怒りの色で染め、頭の柿色のウロコを膨らませる。そして、尻尾を≪バシバシ≫床に叩きつけた。かなり悔しそうだ。
「くそ……何も反応がないぞ。どうなってんだよ」
サムカが穏やかな声で説明する。
「術式という物は、起動できる状態の文章で初めて魔力を帯びる。不完全な文章の状態では、それはただの落書きに過ぎないのだよ。つまり、その扉に何らかの罠が掛けられているかどうかは、現状では、君たちの魔力では分からない。さて、どうするかね?」
地団駄を踏んでいるムンキンに替わって、ペルがおずおずと手を挙げた。その肩には彼女の子狐型のシャドウがちょこんと乗っている。
「この、『綿毛ちゃん2号改』を使って、〔石化〕魔法をかけたらどうかな。私たちは、離れて防御に専念すればいいよ」
レブンが首を振る。
「止めた方が良いよ。ミンタさんが想定している〔石化〕魔法は、結構高度な術式を使う。死霊術と大地の精霊魔法って相性が悪いから、上手く術式が走る保証はないよ」
ペルが両耳をペタリと前に伏せた。尻尾の動きも止まってしまう。
「あ、そうか。そうだよね……」
しかし、ペルがすぐに耳をピンと立て直した。今度はミンタに顔を向ける。
「それじゃあ、ミンタちゃんが〔オプション玉〕を使って、〔石化〕魔術を放ったらどうかな。扉の罠が、何かの反撃をする可能性があるから、私とレブン君とで防御してみる。反撃魔法には、〔オプション玉〕を経由して、術者本人に逆流攻撃をするものもあるそうだから、その防御ということで」
ラヤンがジャディに〔治療〕魔法を再開しながら、首をかしげる。
「そんなに慎重になる必要ある? どうせ授業なんだし、そこまで凶悪で性質の悪い罠とかやらないわよ」
ペルとレブンが微妙な表情になって、諦めの笑みを浮かべた。
「あはは……普通はそうですよね、ラヤン先輩。私も金星の実習がなければ、そう思います」
「『熊人形事件』というのがあったんですよ、ラヤン先輩」
徐々に元気を取り戻しているジャディも不敵な笑みをラヤンに向けた。わずかに尾翼が開閉している。
「殿を侮ってもらっちゃ困るぜ、トカゲ女」
「マジかよ……」みたいな表情になるラヤンである。そのやり取りを見ていたミンタが、両耳をパタパタさせて少しの間考えた。すぐに何か決断したようだ。
「シャドウの案は、ちょっと使えそうにないわね。でも、良いヒントにはなったわよ」
そして、鼻先に生えている細いヒゲを1本引き抜いた。結構痛かったようで涙目になるミンタだ。制服のポケットから小さな〔結界ビン〕を1つ取り出してフタを開け、その中に先程抜いたヒゲを入れる。
「……うう。抜くんじゃなくて切れば良かった。ええと、これを使って、ウィザード魔法招造術の〔クローン錬成〕をするわ。人体錬成用の有機材料は、このビンの中に事前に用意している。私の遺伝子情報を入れて、これで準備完了ね。よし、術式が動き出した。じゃあ、出てきなさいっ」
ミンタが〔結界ビン〕を床に落として割った。
<ボン!>
小さな爆発音と水蒸気の煙が立ち上り、その中からミンタのクローンが誕生した。制服まできちんと着ている。しかし、意識が混濁しているようで、目がクルクル回っていて、体もぶるぶる震えて痙攣している。
ミンタが床に仰向けに寝そべって、簡易杖を自身の額に当てる。
「クローン体には独自の自我が生まれるのよ。誰だって死ぬのは怖いから、私の命令を拒否して逃げるか暴れるのよね。それを未然に防止するために、私の思念をクローンに入れる。ちょっとした〔憑依〕ね。じゃあ、今からやるから、待ってて」
そのまま気絶するようにミンタが動かなくなった。息をしているので死んではいない。
ミンタクローンの痙攣が止まり、目に生気が宿った。当たり前のように「ヒョイ」と立ち上がる。その場で数回ジャンプして、背伸びをし、心配そうに見守る仲間たちにドヤ顔で微笑んだ。
「〔憑依〕成功。出来立てクローンって〔憑依〕し易いのね。このクローンの本来の意識は、催眠状態にしてる」
念のためにミンタ本人の体をテントの外に出して、安置するムンキンとレブン。ラヤンもジャディを〔式神〕に運ばせてテントの外へ避難した。ジャディが呻きながらテント内へ戻ろうとするのを、〔式神〕が容赦なくぶん殴って止めている。
まだ心配そうな表情のペルに、ウインクするミンタクローン。
「短時間の〔憑依〕だから、何も問題はないわよ、ペルちゃん。さて、まずは……」
ミンタクローンがさらに50人に増えた。正確には、等身大のミンタクローンの〔立体映像〕だ。室内なのに不自然な〔影〕も同数発生する。〔オプション玉〕もいきなり100個ほど発生した。
テントの裂け目から中を覗いたムンキンとレブンが、ミンタだらけになっているのを見て、目を丸くして驚いている。教室にぎっしりとミンタが、上下に数段重ねになって詰まっている状況だ。立体映像なので、互いに重なり合ってしまっている。
ペルとミンタクローンは空中に浮かんでいた。サムカも同じように、テント内の天幕スレスレまで上昇して浮いている。安定せずにフラフラしているが。
ミンタがムンキンとレブンに、「テント内へ入らないよう」に告げて、隣で〔浮遊〕しているペルに微笑む。
「ダミー工作よ。〔オプション玉〕が半自動で〔石化〕魔法を放つけど、その管制系統を複雑化したって訳。これだけのダミーを入れれば、管制系統がループ状態になって、誰が責任者なのか分からなくなるのよ。で、さらに……」
ミンタクローンが5000枚にも達する〔防御障壁〕を、全ての〔オプション玉〕と扉の間に差し込んだ。これだけの枚数ともなると、分厚い壁にも見える。
「光と闇の二重〔防御障壁〕を参考にして、複合〔防御障壁〕にしたわ。これで準備完了ね。じゃ、始めるわよ」
関連する他の補助魔法を15個ほど更に起動させてから、ミンタクローンが簡易杖を鋭く振った。
「石化開始っ」
〔復元〕したばかりの片開きの木製扉が、その外枠ごと〔石化〕し始めた。
まず、木目が目立つ扉面が粉を吹いたように白くなり、それが急速に黒っぽい石の表面に変わっていく。扉の金属製開閉レバーの材質に合わせての〔石化〕だ。レバーも急速に金属状態から原石状態に変わっていく。
「普通は、大地の精霊魔法で「石化」すると体積が膨張するんだけど、これはソーサラー魔術の〔石化〕だから変化しないわよ。扉の立て付けが悪くなったら、この魔法をかける意味がないからねっ」
ペルがミンタの顔を見て、少し緊張する。
「ということは……このソーサラー魔術は、バジリスク幼体の組織片を『触媒』にしてるの? 大丈夫かな」
ミンタが簡易杖の先をクルクル回しながら、ドヤ顔で微笑む。
「バワンメラ先生に頼んで、先生の故郷世界のソーサラー魔術協会で検証してもらったから大丈夫よ。術式の安定性は保証付き。ちなみに、この術式を編んだのは私だけどねっ」
当たり前のように自慢するミンタに、素直に称賛の拍手を送るペル。テントの外から伺っている4人は、呆れ気味になっているが。
ラヤンがジャディの〔治療〕法術をまたもや一時中断して、ミンタ向けに〔指向性会話〕魔法で文句を送りつけてきた。
「ソーサラー協会なんか、仕事しないことで有名じゃないの。バワンメラ先生の素行を見ていれば、バカ鳥でも分かるわよ」
ジャディが「うごうが」と呻くが、やはり容赦なく〔式神〕に叩きのめされてしまった。紙製の〔式神〕なのだが、異様に格闘戦に特化されているようだ。当然、この攻撃で〔治療〕時間が延長することになるのだが、ラヤンは全く気にしていない。
ムンキンも、今回はさすがにラヤンに賛同している。柿色の尻尾を数回、運動場の地面に叩きつけて厳しい顔になる。しかし、ミンタ本人が静かな寝息を立てて眠っている横なので、少し遠慮気味だ。
「これはラヤン先輩の意見が正しいな。検証なんか適当にやったに決まっているよ、ミンタさん。その術式が暴走したら、僕が救助に向かうよ」
レブンも、隣で救助関連の補助魔法を準備し始めたムンキンに従うようだ。ペルに簡単に告げた。
「ペルさんは、ミンタさんの護衛に専念してね。僕はムンキン君と協力して救助準備をするよ」
ペルがミンタクローンのそばで〔浮遊〕しながら、レブンに力強くうなずく。
「うん。外のミンタちゃん本人の護衛をよろしくね」
一際、澄み切った金属音が扉からした。ミンタが簡易杖の先をぴったりと扉に向けながら、明るい栗色の瞳をキラリと光らせる。
「よしっ。〔石化〕完了だわ」
扉は元の大きさのままで、完全に原石の状態になっていた。
「……銅の原石ね。さあ、迎撃魔法。来るなら来なさいっ」
原石化した扉の鍵穴から、何かが飛び出してきた。鬼火のようでかなり小さいが、分厚い合板のような〔防御障壁〕にぶつかって止まった。
最外殻の〔防御障壁〕が数枚ほど破壊されて消滅している。しかし、その程度なら問題ない。
「よし。複合〔防御障壁〕が効いたわね。このまま消えて無くなりなさいっ」
ミンタクローンが自信満々の表情で、〔防御障壁〕に衝突して止まっている鬼火のようなカウンター魔法に告げる。
しかし次の瞬間。分厚い合板のような〔防御障壁〕が、100個もある〔オプション玉〕ごと全て破壊されて消滅してしまった。そのまま、〔防御障壁〕に一番近い場所にいる、ミンタクローンのコピー体にぶち当たる。立体映像なので、鬼火と重なり合ったように見えた。
その瞬間。コピー体が一瞬で食い尽くされて消滅した。〔闇玉〕による攻撃に似ているが、異なるのは……
「削り取るんじゃなくて、食いちぎって食べちゃった……何これ!?」
ペルが真っ青な顔になって、小さな鬼火を凝視する。ミンタと一緒に、敵魔法の術式の〔解読〕を全力で開始した。しかし……
「うそ。〔解読〕できない」
ペルが尻尾まで見事に毛皮を逆立てて、空中でよろめく。ミンタも、先程までの余裕が一度に吹き飛ばされたような表情になっている。2人がパタパタ踊りを無意識のうちに始め出した。
「〔側溝攻撃〕も効かない? 何これっ」
鬼火が咆哮した。本能的な恐怖を呼び起こすような、容赦ない叫び声だ。
「あ」
ペルとミンタクローンが落下した。教室にぎっしりと詰まっているミンタクローンのコピー体も、ドミノ倒しのようにバタバタと倒れて、重なり合って一塊の映像になり……動かなくなった。
(〔麻痺〕攻撃……! 〔防御障壁〕で対処していたのに、無効化されたっ)
声も出せなくなり、〔念話〕でミンタクローンと緊急回線を結ぶペル。本当に顔のヒゲを1本も動かせなくなっている。魔法の手袋も機能停止状態で、簡易杖を握ることができない。
緊急用の自動魔法を一斉に発動させるペルとミンタクローン。〔麻痺〕攻撃は、体全体の神経組織に向けてかけられている。それに対処するために、魔法で『仮想の神経組織』を臨時に構築する。
そのおかげで体が動くようになり、ペルとミンタクローンがほぼ同時に跳び起きた。呼吸もできるようになったので、大きく深呼吸する。
「いきなり、何て凶悪な攻撃を仕掛けてくるのよっ! これって授業の実習でしょうがっ」
ミンタクローンが、テントの天幕でフワフワ浮かんでいるサムカに食ってかかる。
「危うく心肺停止で死ぬところだったんだけど……げ」
動きが止まって、再び激しい痙攣が始まった。臨時の仮想神経組織も破壊されてしまったようだ。
(こ、今度は何!?)
混乱するミンタクローンの視界に、ミンタコピー体とその〔影〕を食い散らかしながら、こちらへ飛行してくる鬼火の姿が飛び込んできた。
すでにコピー体は残り数体にまで減らされていた。影は最後の1つが鬼火に食われたところだった。〔影〕も〔立体映像〕も実体がないので、食われることは本来ありえない。
ますます混乱して全身を痙攣させるミンタクローンに、鬼火が再び絶叫を放った。
意識が飛びかけて、その場にうずくまるミンタクローン。視野がいきなり狭まり、モノトーンの世界になった。色を識別できなくなったようだ。音も、低音と高音が聞き取れなくなり、水中にいるような鈍い音しか聞こえなくなる。
(や、やばい。やばい、やばい! 何これっ)
パニックになりかけるミンタクローンの目に、最後のコピー体が鬼火に食い散らかされて消滅する様子が見えた。ほとんど現実感の感じられない、モノクロ無声映画の一場面を見ている錯覚すら覚える。
しかし、そのような悪い白昼夢は、脳神経から脊髄までが一瞬で凍りつくような衝撃を受けた瞬間に覚めた。鬼火がミンタクローンを〔ロックオン〕したのだ。
(あ。私、死んだ)
手足を全く動かせず、それどころか心臓も鼓動を停止して、脳も半分以上が〔麻痺〕している。全自動の術式は機能しているが、全く鬼火の襲撃に対抗できていない。〔防御障壁〕も全て破壊されてしまった。
(ミンタちゃんっ)
どこかでペルの叫び声がした。脳神経が死んでいく中、最後にミンタが感知した映像は、ペルの視点からのミンタの姿だった。鬼火に食われて、ちぎれた手足や毛皮が飛び散っている。
「……うわわああっ!」
ミンタ本人が目を覚まして跳ね起きた。まだパニック状態のようで、全身のフワフワ毛皮が見事に逆立って、巻き毛だらけになっている。尻尾も同様だ。
意味もなくキョロキョロして、その顔と目の動きにヒゲ群が混乱気味に追随している。
息も荒くて、冷や汗を大量にかいているミンタに、ほっとした表情を向けるムンキンとレブン、それにラヤンだった。
「お帰り。よほど怖い目に遭ったみたいね」
ラヤンが茶化しながらもミンタの精神状態を診断する。ジャディの〔治療〕は、またもや中断されてしまっている。
代わりに、ムンキンが法術を使って〔治療〕を引き継ぐことにする。ジャディの背中を足蹴にして、その足から法術をかけ始めた。
ジャディが運動場の土を噛みながら、ギラギラした矢のような視線を放つ。
「ムンキン、てめえっ。こんな〔治療〕方法があるかよっ。後でぶっ飛ばす」
しかし、ムンキンは平静そのものだ。足に体重をかけて、ジャディを踏みつける。
「うるせえ、バカ鳥。いつもいつも、肝心な時に役に立たない癖に。もっと考えて行動しろ、このバカ」
「うおおお!」と唸って、背中の翼と尾翼をバサバサさせるジャディである。そんな彼に声をかけてから、レブンがミンタのそばに駆け寄った。
「大丈夫ですか? ミンタさん。とんでもない目に遭ったように見えましたが」
ラヤンが〔診断〕を終えて、ミンタとレブンに微笑んだ。
「一応は身体精神ともに異常は見られないわね。結構、丈夫じゃないの。学校主席のくせに」
ミンタが力なく起き上がった。まだ立ち上がれないようで、肩と背中をレブンとラヤンに支えてもらっている。
「ありがとう、ラヤン先輩。レブン君も心配してくれてありがとう。うう……でも悔しいな。どんな魔法攻撃を受けたのかすら分からなかった……なにあれ」
ペルが教室テントの裂け目から顔を出してきた。ミンタの姿を見て、泣き始めている。
「うわあああん……よかったあ、よかったよおお。ミンタちゃああんん」
ミンタが照れたような顔になって、両耳をパタパタさせた。
「もう、大げさなんだから。これはただの授業でしょ」
レブンとラヤンが大真面目な表情になって、視線を交わす。
「授業の割には、僕たち、かなり本気の全力ですけどね」
「そうね。ミンタちゃん、さっき心肺停止だったし。そこのバカ鳥は、内臓破裂の重傷だったし。私としては、実習ができてるけれどね。体だけじゃなくて衣服の〔修復〕の練習もできるし」
ジャディがキョトンとした顔になって、足越しにムンキンを見上げた。
「あ? オレ様って、そんな重傷だったのかよ」
ムンキンが目を閉じて、大きなため息をつく。
「あの爆風を一番近くで浴びたのが、貴様だったんだけどな。全身がちぎれ飛ばなかっただけ幸運だと思え」
ペルが頭を出しているテントの裂け目から、サムカも顔を出した。ミンタが「ムッ」とした表情になる。
「癪に障るほど、無傷ね。アンタ」
サムカが山吹色の瞳を、冬の日差しにキラリとさせる。確かに、塵ひとつ付いていない。服装は中古の赤茶けたマントに、古着の作業服なので、汚れても全く構わない服装なのだが。
「ペルさんも、ほとんど無傷だよ。『騎士見習い』相当の闇の精霊魔力だから、防御面ではかなりのものに仕上がっているな。ただ、この能力を最大限にまで引き出せたのは、ミンタさんの頑張りのおかげだろう」
サムカの顔の下の方で、ペルの顔が赤くなった。ミンタも照れっぱなしだ。
サムカが穏やかな声で手招きした。軍手なので、全く先生らしくない仕草だが。
「回復したら、教室内へ戻ってきなさい」




