8話
【黒いガスの中で】
東校舎はすっかり黒いガス状の死霊術場に覆われてしまっていた。先日サムカがゴースト制作で使用したようなドス黒いガスで、やはり静電気がひっきりなしにそこらじゅうを走り回っている。視界もかなり悪くなっていて、まるで炎の出ていない火災現場のようだ。
しかし、死霊術の魔法適性がない生徒や事務職員には、明確にガスを認識できていない。ソーサラー魔術のバワンメラ先生と、魔法工学のマライタ先生も認識できていない。校舎内に黒い霧が立ち込めて、視界が利かなくなったように感じている。
巨人ゾンビの位置も把握しにくくなっているようだ。敵とは戦わずに、東校舎からの脱出を生徒や事務職員らと共に進めていた。
一方で法術のマルマー先生は、死霊術場を〔察知〕できる法術を使っている。そのおかげで、黒い霧の中でも敵巨人ゾンビの位置がある程度正確に把握できている。
「おのれアンデッドめ。あの貴族に続いて、こいつにまで法術が全く効かないのはどういうことだ」
巨人が暴れて壊した校舎の破片が散乱する廊下で、地団駄を踏んで悔しがっている。それでも、ただ1人で巨人ゾンビに立ち向かっているのは見事な根性だ。
今も至近距離から法術を次々に放って攻撃を続けている。しかし、残念ながら効果は得られていないようだが。
彼はきらびやかな法衣をまとっていて、手には豪華な装飾が施された背丈ほどもある杖を持っている。帽子もシェフ帽を豪華にして飾りたてたようなもので、上品な羽根飾りまでついている。身長はサムカより少し高く185センチほどか。サムカが言い当てたように旧人出身の人間だ。
疲労と焦りが色濃く現れたマルマー先生の顔は、もともとの白い桜色の肌がさらに白くなっていて、緊張がかなりのものなのだと伺える。茅色で褐色のやや癖のある髪も、汗でべっとりと濡れて顔に貼りついている。息もかなり上がっているようだ。
それも無理ないことだろう。ドス黒い霧状の死霊術場に包まれた戦場に立ち、彼の数メートル先には身長4メートルを超える巨人が立っているのだから。しかもゾンビだ。
幸いまだ、巨人ゾンビは起動したばかりのようで、先生を標的にした攻撃はされていない。今は時折、丸太のような腕を振り回して、校舎の壁や天井を粉砕しているだけである。身長が高いので、上の2階部分まで上半身が突き抜けている。
サムカが指摘したように、魔力不足でまともに稼働していないようだ。
マルマー先生の両隣には、〔空中ディスプレー〕が2つ出現していた。そこには、他の宗派の神官の顔が映し出されている。
法術にはいくつかの宗派があり、信者獲得を巡って互いに争っている。この魔法学校へ教師を派遣したのは真教だけで、他の宗派はしていない。辺境の異世界なので当然と言えば当然だろう。
しかし、真教も世界間移動魔法に割り当てられる法力の量を、そのまま負担する事には及び腰であった。法力を〔変換〕して古代語魔法の魔力にするのだが、その〔変換〕効率が非常に悪いのだ。
そのために、他の宗派に情報提供をする見返りに、法力の負担をさせているのである。双方向の監視カメラがマルマー先生に2台くっついているようなものだ。
その2つの〔空中ディスプレー〕に映っている男たちが、口うるさく真教のマルマー先生に文句を垂れ流している。
「ふん。古臭い真教の法術では居るだけ無駄だ。我が新教には及ばぬな。とっとと逃げ去れよマルマー神官」
「そうだな。ここは白旗を掲げて、隅で大人しく震えておれ、マルマー神官」
口だけは達者なこの2名の神官が、マルマー先生に退却を促した。本当に口だけ介入である。当然ながら怒り顔になるマルマー先生だ。
「ふん。真教は偉大だ。君たちのような新参の新教や、カルトな神教とは基礎が違うわい!」
マルマー先生もモニター画面に向かって気丈に言い返すが、余裕は全くなくなっていた。
再び巨人ゾンビが巨大な腕を振り回して、天井を粉砕した。ガレキが飛散し、慌てて巨人ゾンビから数メートルほど距離を離すマルマー先生。一応は彼も〔防御障壁〕を展開しているのだが、大きな瓦礫には対処できない仕様のようである。
巨人ゾンビにも変化が起こりフラフラしなくなってきている。本格的に起動し始めたようだ。
そんな中でマルマー先生が、豪華な法衣に付いた瓦礫の破片や埃を払い落しながら冷や汗をかき始めていた。
(むう……〔察知〕法術では死霊術場を帯びておるから、こいつはゾンビであるはずなのだが。これまで退治してきたゾンビとは全然違うではないか。体が腐っておらんし、腐臭もしない。まるで生きているかのようだぞ)
確かに『ゾンビ』と呼ぶには、この巨人は全く腐っていない。丸太のような腕の筋肉は、はちきれんばかりに躍動している。実際、動作は非常に俊敏だ。とても死んでいるとは思えないのだが、発しているのは明らかに死霊術場であることからして『死体』である。
モニター画面の2人の神官も同じ感想を抱いたようだ。
マルマー先生のこれまでの〔浄化〕法術が効かないことにイライラを募らせていく。そして、そのままごく自然な流れで、3人の神官たちの口論大会が始まりかけた。
しかし、それを後ろでニヤニヤ笑いをして聞いているソーサラー魔術の先生が、皮肉めいた口調で制止した。先ほどまで逃げていたのだが、復帰してきたようだ。一転して、かなり自信満々の表情に変わっている。
「全く効いてないのは事実だな。とっとと逃げなよ。巨人が本格起動したら数秒も持たずに殴り殺されるぞ。しっかし、ずいぶんと小奇麗なゾンビだな」
ソーサラー先生は、法術先生の服装とはまるで正反対のヒッピースタイルのようなだらしない服装だ。ゴテゴテした首飾りや、ベルトに腕輪足輪をしている。頬から顎を覆う盗賊ひげがよく目立つ顔で、銀灰色の長髪を無造作に束ねて背中に垂らしている。大きな瞳は紺色で、ボクサー体型で引き締まった体つきだ。
「マルマー先生よお。とっとと逃げな。ここは俺が足止めしておくからよお。たった今、ソーサラー魔術協会から、出来立てホヤホヤの新作魔術を実装してきたぜ」
また巨人ゾンビの腕が振り回されて、校舎の壁に大穴を開けた。破片が大量に飛び散り、爆音が轟く。マルマー先生が張っている〔防御障壁〕が破壊されて、悲鳴を上げて頭を抱えた。
その先生に、バワンメラ先生が新作魔術の〔防御障壁〕を被せる。見事に機能して、マルマー先生に向かって飛んできた一抱えもある瓦礫が弾き飛ばされた。
声もなく驚いて、床に座り込んでいるマルマー先生の目の前に、ソーサラー先生が仁王立ちになった。そのまま、黒い霧に包まれている巨人ゾンビに簡易杖を向ける。
「おらあ! 食らいやがれ、ゾンビ野郎っ」
バワンメラ先生が威勢よく叫んで、攻撃魔術を放った。
数十本もの〔雷撃〕が発生して校舎内を走り、巨人ゾンビを包み込んだ。黒い霧状の死霊術場が全て消し飛び、視界が一気に回復する。校舎の窓ガラスやドア等も巻き添えを食らい、派手に破裂して砕けていく。巨人ゾンビも〔雷撃〕を全身に受けて燃え上がった。
……のだが、数秒もかからずに、傷が完全に〔修復〕されてしまった。
バワンメラ先生がマルマー先生を引き起こしながら、口元を少し歪めて自虐的に笑う。
「これでも効かねえか。仕方がねえな。マルマー先生はさっさと逃げろ。これじゃあ、時間稼ぎも大してできないぞ。俺も死にたくはないんでね」
「や、やかましいわい! この魔術使いふぜいが」
ほとんど条件反射的に、マルマー先生がソーサラー先生に食って掛かってきた。モニター画面の神官2人も、この時ばかりは一緒になってソーサラー先生を非難している。
「ア、アンデッドごときに背を向けて逃げるなど、できるか! この馬鹿者。先日の貴族のせいで、本国からきつい叱責を受けたばかりなんだ。また、今回も逃げては減給だけでは済まないんだよ、この馬鹿者。生徒が大勢昏倒して倒れているのに、我々だけが逃げるなんてことができるか! この馬鹿者。布教して信者を増やさないとノルマがたち成できないだろ!」
所々、本音が駄々漏れである。
さすがに少々呆れているソーサラー先生の後ろから、ヒゲ仲間のマライタ先生がやってきた。同じように呆れた顔をして、赤い煉瓦色のゲジゲジ眉を眉間に寄せている。
「生徒なら、とっくにワシのアンドロイド群が救助して、寄宿舎の集会場に搬送したぞ。完全武装した警察部隊もそろそろやってくる。ここには、もうお前さんらだけだ。とっとと逃げろ。このバカども」
キョトンとした顔で、モニター越しにお互いの顔を見る神官たちである。巨人ゾンビがさらに校舎を破壊して爆音が響いたが、気にする余裕もない様子だ。
2、3呼吸ほどの時間が経ち、真教のマルマー先生が「コホン」と咳払いをした。マライタ先生とソーサラー先生から視線を逸らしながら、それでも偉そうな口調で礼を述べる。
「そ、そうか。それはご苦労だったな。で、では我もここに居る理由は、もうないな。仕方がないな。後は戦闘狂のエルフやノームに任せればよかろう」
他の神官たちも、もったいぶった口調で同意した。この場におらずモニターから見ているだけなのだが、同じように偉そうな顔と仕草をしている。
「そ、そうだな。では、マルマー神官は負傷した生徒たちの〔治療〕を……」
「ぐおおお!」
巨人ゾンビが咆哮した。ようやく本格起動したようだ。廊下に散乱しているガラスや、亀裂が目立つ壁が激しく振動して、ちょっとした地震が起きたような錯覚になる。先生たちの顔色が恐怖の色で染まった。
校舎を半壊させて生徒たちを昏倒させただけでも、充分に兵器の役目を果たしているのだが、この巨人ゾンビはそれだけでは満足しないようだ。
「やべえ! 逃げるぞ! コイツはバジリスク並みにヤバイぞ! なんだよコレ、たかがゾンビのくせしてよ」
ソーサラー先生が叫ぶ。「ひいい!」と、悲鳴を上げて脱兎のように逃げ出すマルマー先生である。パニックになっているので、〔テレポート〕魔術を使う余裕もない。
仕方がないので、ソーサラー先生がマライタ先生とマルマー先生を〔防御障壁〕で守りながら並走して撤退する。
入れ違いに完全武装の警察部隊が突入してきた。校長にサムカが提案していた、攻撃用の魔法具を全員が持っている。見た目は無反動砲に似ているが、身長が1メートル程度しかない獣人なので、彼らの身長よりも長い砲身だ。それを軽々と担いで迅速に隊列を組んで走ってきている。
先生たちが警察部隊の後方に逃げ延びたのを確認した隊長が、走りながら攻撃命令を発した。
「発砲を許可する。撃てえ!」
総勢30名の警官が肩に担いでいる30本の攻撃魔法具が、巨人ゾンビに向かって腕くらいの太さのある〔熱線〕を放った。榴弾ではなかった。
普通であれば座って足場を確保してから、慎重に照準を敵に合わせて発射するものなのだが……走りながら軽々と一斉射撃を行っている。しかも、巨人ゾンビはガレキが散乱する校舎内にいるというのに全弾命中だ。黒い霧が消し飛ばされている状況とはいえ、素晴らしい練度である。
さすがにこの攻撃は効いたようで、巨人ゾンビが穴だらけにされた。全弾撃ち尽くしたようで、魔力を封じたカートリッジが砲身底部から排出され、運動場に落ちて転がっていく。
……が、数秒後。その巨人ゾンビに開いた穴が全て自己〔修復〕されてしまった。警察部隊の隊長が舌打ちする。
「ち。なんて回復力だ。このまま機動陣形をとりつつ攻撃を続行する。カートリッジを交換し次第、撃てえ!」
再び警察部隊の魔法具が〔熱線〕を小隊ごとに斉射する。それでも、巨人ゾンビの回復力が勝っているようだ。穴だらけにされても、すぐに元通りになってしまう。
その一方で、体の〔修復〕中は校舎破壊ができないので、校舎の崩壊は抑えることができているようだが。
数十秒後。西校舎から飛んできたタンカップ先生とエルフ先生、ノーム先生が戦線に到着した。ウィザード魔法力場術のタンカップ先生が、豪傑笑いを響かせて警察部隊の隊長に大音声を上げる。
「足止めご苦労! 後は俺様に任せろ!」
体育会系の雰囲気そのままで、日に焼けて角刈り頭の筋肉隆々な体躯を誇る先生が、その吊り気味な鉄黒色の瞳をギラギラと燃やして、術式詠唱を開始した。
何かの分子模型のようなウィザード文字が空中に浮かび上がり、魔法陣を形成していく。
数秒後。魔法陣が完成し、その陣の中から直径数メートルはある〔熱線〕が巨人ゾンビめがけて放射された。巨人ゾンビが周辺の校舎ごと〔熱線〕を浴びて気化して爆発する。
「どうだ! このアンデッドめ」
勝ち誇った野太い笑い声を上げるタンカップ先生である。が、次の瞬間、その笑顔が凍りついた。
咆哮が再び発せられて、気化して消滅したはずの巨人ゾンビが、爆発の粉塵と爆炎の中から姿を現したのである。何と〔防御障壁〕を展開していた。あの〔熱線〕攻撃をこれで防いだようだ。
タンカップ先生の攻撃で、校舎の3分の1ほどが気化して消滅してしまったので、溶けて固まったばかりの大地に巨人ゾンビだけが突っ立っている。おかげで障害物がなくなって狙いやすくなったのだが、巨人ゾンビの化け物具合も浮き彫りにされていた。
再び、ドス黒い死霊術場のガスが色濃く漂い始め、火災現場のようになっていく。
しかし今度は、その黒い霧が急速に薄まり始めた。巨人ゾンビに吸収されている。それとともに、巨人ゾンビの全体像も次第にはっきりと見えてきた。ゾンビらしく全く血色がみられない、薄い緑色の白いゴツゴツとした岩のような肌だ。
警察部隊の隊長が無念そうな表情になった。全カートリッジを使い切ってしまったのだ。
「退却する! 先生方、後は頼みます!」
そう言い残して、機動陣形のままで迅速に戦線を離脱していく。巨人ゾンビは、溶けて固まって溶岩大地みたいになっている地面を両手で殴って砕き、その破片を離脱していく警察部隊に投げ始めた。
1つが100キロほどはありそうな岩塊が次々に警察部隊を襲うが、そこはさすがの獣人族である。見事に回避して射程外へ逃れていった。
無念の咆哮を上げた巨人ゾンビが、今度は先生たちに標準を合わせた。慌てて後方へ下がるタンカップ先生である。
岩塊が容赦なく投げつけられてくるが、それは〔慣性操作〕の魔法で軌道を意図的に変えて、命中しないようにしている。しかし、軌道を変えるにはそれなりの距離が必要なので、巨人ゾンビに近づくことはできなくなってしまった。
他のウィザード魔法の先生は、直接攻撃の魔法ではないので前線には来ていない。しかし、幻導術のプレシデ先生は、後方から巨人ゾンビに幻術を仕掛けているようだ。そのおかげで岩塊投げの攻撃先が分散されていて、タンカップ先生たちがいる場所へ飛んでくる数が明らかに減っている。
招造術のナジス先生も後方にいて、手持ちのゴーレムに攻撃用の行動術式を入力中であった。とはいえ、戦闘用のゴーレムではないので、足止め程度にしかならないだろう。〔召喚〕魔法も習得している先生だが、まずは先にゴーレム〔操作〕に集中している。さすがにこの巨人ゾンビを〔操作〕することはできないようだ。
エルフ先生とノーム先生が布陣する場所まで、タンカップ先生が〔光線〕魔法や〔爆撃〕魔法を放ちながら後退してきた。攻撃魔法は巨人ゾンビに命中して、その体を破壊してはいるのだが……巨人ゾンビの回復スピードが異常に速いので、結局のところ効果を上げることができないでいる。
タンカップ先生がノーム先生の隣まで後退し、地団駄を踏んで悔しがった。アメフト選手のような筋肉の塊の全身がダイナミックに揺れる。
「うむむ。今度こそは、俺様だけで仕留めることができると踏んだのだがなあ。まだ工夫が必要か。残念だ」
ノーム先生が穏やかな笑みを浮かべて、タンカップ先生の肩に手を乗せた。今は〔浮遊〕魔術で空中に浮かんでいるので、身長が185センチもある背の高いタンカップ先生の肩にも余裕で手が届いている。
「いえいえ。充分なご活躍ですよ、タンカップ先生。あの巨人ゾンビの性能が想定外なだけです。まだ魔力は残っていますか? 援護射撃をお願いしたいのですが」
巨人ゾンビが次々に岩塊を投げて、それらが運動場に結構大きなクレーターを作っている。その様を見て渋い顔をしているタンカップ先生が、角刈りの黒柿色の短い髪を太い指でかいた。
「ううむ……分かった。残りの魔力も、あまり残っていないしな。援護に回るよ、ラワット先生」
「助かります」
ノーム先生が礼を述べる横で、エルフ先生がライフル型の杖のセッティングを終えて文句を言っている。
「警察部隊から情報をもらいましたが……もう、また選択授業が流れてしまいましたよ。今度はマルマー先生のせいで巨人の暴走ですか。まったく……」
2人とも冷静さを装っているが、内心は驚愕していた。巨人などという種族は、文献や伝聞資料でしか見たことがない。当然だが、巨人相手の戦闘訓練などもやったことはない。しかも、ゾンビの癖に腐った死体ではなく、ゾンビの癖に回復力が尋常ではない。
校舎の3分の1が消滅し、その大地が溶岩大地化していて、死霊術場が再び黒煙のように運動場に充満しているという現場も異常だ。そんな中で身長4メートルを超えるような巨体が咆哮している有様は、まるで怪獣映画の一場面のようですらある。
寄宿舎での安全確認などの仕事を終えて、運動場へ戻ってきた校長先生と考古学部のアイル部長が、申し訳ないという顔で説明した。サムカの想像通り、法術のマルマー先生がアンデッド退治で注目されたいがために、校長室で地雷を起動させたらしい。
一応アンデッド退治の記録をとって、それを法術授業での教材にしようと考えていた……とのことであった。それが物の見事に失敗したわけだ。
一方、昏倒していた生徒たちは、法術専門クラスの生徒が大半だった。しかし、生気を少し抜かれただけだったので後遺症もなく、明日までには回復するだろうという校長の話である。
マライタ先生のアンドロイド群による迅速な救出のおかげだろう。長時間放置されて生気を吸い取られ続けていれば、最悪死亡することもある。
それを聞いて、日焼けした白梅色の眉間を押さえるエルフ先生と、天を仰ぐノーム先生であった。エルフ先生の腰まで真っ直ぐに伸びている金髪が、静電気を帯びて白く発光し始めている。
「地雷なんか、教材に使うものではないでしょう? ああ、可哀想な生徒たち」
気を取り直したノーム先生が、念のために東校舎内に向けて〔探知〕魔法をかけた。
「まさか、こんな化け物が出現するとは思っていなかったのだろうな。そこは理解しようじゃないか、カカクトゥア先生。うむ。東校舎内には誰も残っていないな」
エルフ先生も気を取り直して、ライフル杖を構えた。
「そうね。ラワット先生」
そこへ、サラパン主事が上機嫌でやってきた。なぜか頭の角の上にハグ人形が座っている。どうやら〔再生〕したらしい。
「いいねっ、バイオレンス~。いけいけー。撃ちまくれえ、ごー、ごー」
何か作詞作曲して歌って踊っている。それに合わせて、ハグ人形が自前の糸をピンピンかいつまんで伴奏を始めた。何とも間の抜けた音と拍子である。まず第一に、サラパン羊の歌のリズムに全然合っていない。さらに間延びした声で、「いえーいえー」とか何とか合いの手まで入れ始めた。
「あら、ごめんなさい。サラパン主事」
わざとらしい声を出して、エルフ先生がライフル杖でサラパン羊とハグ人形を『誤射』した。もんどりうって、地面に倒れる羊と人形。闇の眷属に対して、さすがに光の精霊魔法は効果てき面のようだ。
「音痴とリズムずれって、私、一番耐えられないのよ」
空色のジト目のまま、小声で隣のノーム先生に告げる。べっ甲色の金髪の表面にも幾筋か静電気の火花が走った。
その間にも巨人ゾンビは大暴れし続け、今や校舎の半分が崩壊してしまっていた。
「おとなしく、なさい!」
エルフ先生のライフル杖から、攻撃用の光の精霊魔法が放たれた。
指向性の高い〔レーザー光線〕なのだろう、撃ち出された光が周辺に散乱しないので何も見えない。かろうじて、巻き上がっている粉塵が〔レーザー光線〕に焼かれて光ることで、撃っていることがわかる。それは子供の腕の太さほどもある青い閃光だった。
一方のノーム先生のライフル杖からは赤色の〔熱線〕が放射されて、巨人ゾンビを直撃した。
2つの閃光は巨人ゾンビの体を貫通して大きな穴をあけ、巨体が派手に燃え上がった。しかしなおも、巨人ゾンビは元気に瓦礫と岩塊を大量に投げてくる。
ついに上空を飛んでいたソーサラー先生に命中して、撃ち落してしまった。「あびえええ~」とか何とか変な声を上げて運動場へ落下して、動かなくなるソーサラー先生である。
続いてノーム先生が大地の精霊魔法を発動させて、巨人ゾンビが瓦礫をつかめないように試みた。しかし、敵の魔力の方が強かったようだ。ノーム先生の魔法がキャンセルされてしまった。足止めすることもできないので、小豆色の瞳を「シパシパ」と瞬かせて驚くノーム先生。
「こりゃあ、驚いたなあ。機動警察が使う術式なんだけど、無効化されてしまうとは。本当にゾンビなのかね。皆さん申し訳ないが、〔防御障壁〕の中に避難して下さい」
校長たちが慌てて、力場術のタンカップ先生の張る〔防御障壁〕の中に転がり込んで大岩を避ける。
サラパン主事は運動場に放置されているが、ハグ人形があぐらをかいて角の間に座っているのが見える。あくびをしながらも、飛んでくる100キロ級の大岩を可愛い腕でビー玉のように弾き飛ばしていた。
ソーサラー先生も放置されていた。数発ほど大岩が当たって、体がバウンドしている。そこへセマン先生が鼻歌混じりに歩いてやってきて、彼の頭の上に腰かけた。それだけで、なぜか岩が当たらなくなってしまった。
そのままパイプに火をつけて一服し始めるセマン先生だ。
その間エルフ先生とノーム先生による射撃が続いた。しかしさすがに巨人族だけあって、穴だらけ、火だるま状態にされても一向に攻撃力が下がっていかない。その上に回復力も尋常ではない。
サムカとジャディもその頃には現場に到着していたが、サムカが巨人ゾンビのタフさに呆れていた。
「なるほど……兵器となる資格はあるか。普通のゾンビではないな。こんな奴が100体も一斉に出現したら、面倒だ」
ジャディがサムカに羽毛で覆われた頭を向けて、鳥のように首を「くいっ」と傾げた。尾翼が反対方向に傾いてパタパタする。
「と、殿……ゾンビって、こんなのでしたッスか? 全然体が腐っていないんスけど」
ジャディの疑問を聞いて、サムカが思わず口元を緩めた。
「そうか。ジャディ君はゾンビの種類には詳しくなかったか。生者は普通、そのような知識は持ち合わせていないのは当然だな。よろしい、少し解説しよう」
そして、エルフ先生とノーム先生が巨人ゾンビと戦っているのを平然とした表情で眺めながら、ジャディに世間話をするような口調で話し始めた。
「ああ、そうだな。この話も先程の〔ステルス障壁〕の術式と共に、ペルさんとレブン君とで〔共有〕しておきなさい。彼らも知らないだろうからね」
ジャディが先程サムカから教わったばかりの〔記録〕魔術を使う。その術式が正しく機能している事を確認したサムカが話し始めた。
「さて。ゾンビだが、死体の状況が悪いと見た目も悪くなる。腐った死体を使えば、初期状態はやはり腐ったままだ。腐臭も発するから、管理も面倒になる。新鮮な死体を使用することを推奨しよう」
「ふむふむ」と、ジャディが尾翼をピコピコ上下させながら聞いて〔記録〕していく。再び爆音が運動場に鳴り響いたが、一向に気にしないサムカだ。
「その上でだが、見た目が腐敗しているゾンビというものは使用している魔力が弱い。充分な死霊術と死霊術場を供給すれば、腐敗部分も無く、見た目もきれいで、悪臭もないゾンビになるのだよ。死霊術自体が、疑似生命の創造と操作だからね。生前の姿そのままに仕上がるものだ」
ジャディが琥珀色の目をウルウルさせながら、サムカの説明を聞き入っている。声を聴くだけでも感動しているようだ。理解できているかは、この時点では不明であるが。
サムカがそのまま話を続ける。
「さて、ジャディ君。こういったゾンビを破壊する場合、闇の精霊魔法や死霊術ではどのようにするのが良いと思うかな?」
のん気に講義を進めるサムカ。ジャディもすっかり落ち着いた顔になって聞いている。時々、巨人ゾンビが大岩状の溶岩の塊を投げつけてくるのだが、全てサムカが展開している〔防御障壁〕によって〔消去〕されていた。
「やっぱ、とにかく撃ちまくってボコボコにするのがいいんスか? 殿」
サムカが軽く首をかしげて、山吹色の瞳を細める。
「それも正解だが……100体相手にする場合は疲れるだろうな。あのように」
サムカがカカクトゥア先生とラワット先生、タンカップ先生を指さして答える。射撃しまくっていて、確かに疲労しているようだ。
「巨人ゾンビは入れ物なのだよ。エンジンを壊すことを考えた方がいいだろう。燃料切れを狙っても良いが、巨人の肉体という依代があるからね、時間がかかりそうだ」
今度はジャディが首をかしげる。
「エンジン、スか? 殿?」
サムカがジャディに視線を戻して、軽く微笑んだ。
「うむ。あれは地雷だから、エンジンは2つある。1つは起動させる時に使う物、もう1つは起動後に使うメインエンジンだな。私が君たちに教える死霊術は単エンジンの形式だが、兵器用アンデッドは複数エンジンである事が多い。ちなみに1つ目のエンジンも、起動後はサブエンジンとして機能するのが普通だ」
サムカが穏やかな声でジャディに訊ねた。
「どこにあるか分かるかな?」
「うーん、うーん、うーん、わかんねえっス、殿」
しばらく巨人ゾンビを凶悪な形相でジロジロみていたジャディだったが、ギブアップした。
その間もエルフ先生とノーム先生の嵐のような射撃が続けられ、タンカップ先生の力場術による〔マジックミサイル〕と合わせて巨人ゾンビに命中して次々に炸裂している。
それを文字通り、人ごとのように眺めながらサムカがジャディにヒントを出した。
「メインエンジンは巧妙に隠されているものだから、普通の方法では見つけられないだろう。しかし、サブエンジンは、どこから巨人ゾンビが出てきたかを求めれば見つけることができるはずだ」
本当に授業の一環で巨人ゾンビを使っているみたいだ。
「出てきた、って、あ、ああああああっ」
ジャディが大声で叫んだ。
「か、鏡ッスか、殿おおおおおっ」
サムカが満足そうな笑みを浮かべた。
「うむ。なかなか良い目だな。ほら、巨人ゾンビから10メートルほど離れた瓦礫の中に、キラキラ光る鏡の破片があるだろう? あれがそうだ」
ジャディは猛禽の飛族なので視力が良い。すぐに瓦礫の中でキラリと光っている破片を見つけた。その反応を見て、サムカが話を続ける。
「同時に、あの鏡の破片が初期設定の依代でもある。アンデッドは基本的に、依代がある場所に拘束される。あの鏡が完全に破壊されないうちは、あの場所から移動することはないんだよ。ちなみに、起動を終えた兵器級のアンデッドは、その依代を自身で破壊して行動範囲を劇的に広げる。では、あれを破壊してみよう」
サムカが微笑んで、ジャディの凶悪そうな琥珀色の瞳を正面から見返した。同時に手袋を外す。
いい加減、撃ち疲れて苛立っているエルフ先生が、ライフル型の杖の先をサムカたちの足元に向けた。
「ちょっと! サムカ先生までっ。この非常時に何してるんですかっ」
ノーム先生が慌てて注意する。
「カカクトゥア先生! 今、攻撃の手を休めてはいけませんよ。〔修復〕されてしまいます」
「あーっ、分かったわよ。もう、面倒っ。上級の光の精霊魔法で消し飛ばしますっ」
イライラがたまってキレたエルフ先生が、光の精霊魔法の術式を精霊語で唱え始めた。地面と空中に魔法陣が浮かび上がる。
「あらら。仕方がないな。では、私も」
ノーム先生も杖を置いて、上級の炎の精霊魔法の術式を精霊語で唱え始めた。これも2つの魔法陣が出現する。
それをみたサムカが冷静な分析をする。
「やれやれ……ずいぶんと大掛かりな魔法を使うようだ。相手が100体いる場合には、この方法は使えないだろうな。それに、もう1つ問題がある。術式詠唱に時間がかかるということだ。特に相手が近くにいる場合は、危険だ。ジャディ君も覚えておきなさい」
「はいっ、了解ッス、殿!」
その通り、巨人ゾンビが意外な速さでこちらに突撃してきた。驚異的な〔修復〕機能が働いて、走りながらでも体中のキズや炎が消えていく。
この頃にはエルフ先生とノーム先生は、巨人ゾンビが展開している防護障壁の術式を〔解読〕していたので、それを無効化させていた。従って、攻撃魔法も巨人ゾンビの体に直接命中している。
それでも足や手を吹き飛ばされたり溶かされたりしても、すぐに〔修復〕して元通りになってしまう。
まだ術式詠唱中なので、その間は強力な攻撃魔法を使うことができない。焦って顔をこわばらせるエルフ先生とノーム先生だ。そんな緊迫した場面を無視して、サムカがジャディに指示を出した。
「では、まずはサブエンジンを破壊しよう」
サムカがジャディに告げ、闇の精霊魔法を巨人ゾンビ本体ではなく瓦礫中の鏡に向けて放った。闇そのものとも言える暗黒の球状空間が、そのまま鏡に向かっていく。この時、既に鏡と巨人ゾンビとの距離は30メートル以上も離れていたのだが、あっけなくサムカが鏡を〔消去〕した。
「今使用したのは〔闇玉〕と呼ばれる攻撃魔法だ。後でこの術式を教えるから、習得しておきなさい」
同時に巨人ゾンビの動きが遅くなった。が、それもすぐに回復してしまった。再び猛ダッシュで突撃してくる。
顔を青くするエルフとノーム先生であったが、サムカは平然としたままだ。
「さて。これでメインエンジンだけの起動になる。が、これまでサブエンジンを使っていた魔法を、メインエンジンに切り替えることになった。その魔法場の動きに注目しよう。さて、どこに動きが見られたかな?」
あくまで授業を続けるサムカだ。すぐに、ジャディが叫んで指差した。
「あ! 右耳の上空4メートルの空間ッス」
またもや巨人ゾンビ本体ではなかった。
「正解だ。では、破壊しよう」
サムカが間髪入れずに、2発目の闇の精霊魔法をジャディが指さした空間に向けて放った。〔闇玉〕が再び発生して、目標に向かって飛んでいく。あっけなく命中し、巨人ゾンビが足をよろめかせて、《ドウ》と、地響きを立てて崩れ落ちた。
驚くカカクトゥア先生たち。
「え?」
サムカが手袋を外した白い手を下げた。
「これで2発で1体を停止できた。100体いる場合でも、エンジンのある場所はほとんどが同じだ。だから、この攻撃パターンを〔複製〕して繰り返して発動するように自動化すれば、100体でも、それ以上であっても効率よく処理できる。ただ、有能な敵の部隊長がいる場合は、土中深くとか、〔テレポート〕などを介して別の場所に移していることもあるがね」
手袋を再び手にはめようとしたが、思い直して素手のままでいる事にしたようだ。手袋をポケットに突っ込んだ。
「ジャディ君の場合は、風の精霊魔法を組み合わせるべきだろうから、先ほどの〔闇玉〕を工夫すればよかろう。それと、先ほどの攻撃で示した通り、サブエンジンは初期設定の依代でもあることが普通だ。その初期設定の依代を破壊すると、見ての通り、動きが鈍くなる」
素直にうなずくジャディ。
サムカが黒煙のような死霊術場を、その身に吸い込み始めた。掃除を兼ねての行動だろう。しかし、沐浴と違って心地よいものではなさそうだ。軽いジト目になっている。
ジャディの視線がまだサムカに向けられているので、「コホン」と咳払いをして話を続けた。
「……だが、それは一時的なものだ。経験した通り、すぐに正規の依代に切り替わる。巨人族の肉体そのものが依代に切り替わるのだよ。そうなると、巨人ゾンビは土地に拘束されることなく自由に動き回ることができるようになる」
校舎を破壊して走り回っていたような気がするが、実はアレでも拘束状態だったらしい。
「そうなってからでは面倒なので、切り替わる前に迅速に破壊消滅することが肝要だ」
ジャディが《ビシ!》 と、背筋を伸ばして、タンクトップの胸板を大きく膨らませた。
「了解したッス、心にしっかと刻んだッス! 〔記録〕も完璧ッス!」
尾翼と背中の羽も《ビシ!》 となっている。鷹揚にうなずくサムカだ。
「さて、次は死霊術の手ほどきをしよう。ジャディ君、来なさい」
倒れて動かなくなっている巨人ゾンビのそばに、サムカがスタスタと歩み寄った。ジャディも後に続く。かなり嬉しそうだ。背中の大きな羽がバサバサと軽く羽ばたき、尾翼もピンピンと上下に振られている。
「この巨人ゾンビだが……エンジンが破壊されたので、今はただの入れ物に過ぎない。このまま朽ち果てさせるのは少々もったいないから、新しいエンジンを導入してみよう。そうだな……」
サムカが周辺を見回す。巨人ゾンビが大量の死霊術場を撒き散らしていたせいで、森の中から残留思念が多数引き寄せられて漂っていた。見ると、あの狐の精霊が2匹、空中を飛び回りながら残留思念をバクバク食べている。(なるほど、これが目当てだったのか)と納得するサムカだ。
無事だった西校舎の中からは生徒たちがワラワラと出てきて、こちらへ向かっているのが見えた。警察が阻止しようとしているが、純血主義狐のリーパット主従と、多民族主義狐のバントゥたち10名余りが口論して突破してきている。やはり、名家の者は無理が通りやすいようだ。
そんな連中にはあまり関心を見せず、サムカが適当に残留思念を採集する。
「これと、これと、そうだな、これも使ってみるか」
サムカが漂っている残留思念を選んで、素手で鷲づかみして集め始めた。
「残留思念だが、採集する上での目安は、活きの良さとでも言っておこうか。できるだけ活力のある物を選ぶことだ。よし、このくらいあればよかろう」
瞬く間に10個ほども集めて、まとめて左手で持った。虹色に油光りする気味の悪い風船をたくさん持っているようにも見える。
「では、死体に導入しよう。私が魔力支援するから、ジャディ君、君がやってみなさい。そうだな、『動け、でも、蘇れ』とでも告げればよかろう」
そう言って、サムカがジャディの手を持った。素手のままだがサムカが魔力調整しているのだろう、ジャディには特に何も影響は出ていないようだ。
ジャディが鳶色の翼を一際大きく広げた。
「よおおおおおっし」
そして、琥珀色の瞳を輝かせながら足を踏ん張って、大音声を上げた。
「お前はパシリだあああああああっ起きんかああああああいいいっ」
その言葉をきっかけにして、風船が巨人ゾンビの体内に吸い込まれていく。サムカが軽く首をかしげて、ジャディのドヤ顔を眺めた。
「……意味不明な掛け声だったが、まあ、よかろう。今回はゾンビの所有者宣言を私がしているので、私の支配下にある。もう暴れることはないはずだ」
サムカがジャディの手を放して、黒茶色のマントを整える。やはり、土埃がうっすらとついているようだ。
すぐに、巨人ゾンビの体が何度も痙攣する。瓦礫が散乱している地面で、魚のように《ビチビチ》と跳ね始めた。
それを見たエルフ先生が青い顔に変わった。
「サ、サムカ先生? 何をしているんですかっ」
ほとんど反射的な動きで、エルフ先生がライフル杖の先を地面で《ビチビチ》跳ねる巨人ゾンビに向ける。
「消滅させないと! また、暴れ出したらどうするんですかっ」
エルフ先生に釣られて、ノームの先生やタンカップ先生も同じようなことを叫び始めた。
しかしサムカは穏やかな表情で、先生たちに振り向いただけだ。ちょうど、巨人ゾンビを背中に守っているように見える。
「消すには少々もったいないと思わないかね? 日中でも平気で活動でき、丈夫な巨人族のアンデッドだ。エンジンは先ほど破壊して新しい物と入れ替えたから、もう暴れることはない。それでも、どうしても破壊したいというのかね?」
ジャディは「ウラウラ!」と、脅し文句を巨人ゾンビにかけながら意識を集中させている。サムカがジャディを横目でチラリと見てから、エルフ先生たちに視線を戻した。
「こういった素材は、なかなか入手できない。私が自分の城に持ち帰りたいくらいだ」
エルフ先生を始め先生たちは、それでもなお困惑している。
「し、しかし、サムカ先生……」
サムカが軽くウインクした。
「まあ『百聞は一見にしかず』だ。見てみなさい」
そうこうする内に、巨人ゾンビが起き上がった。先ほどのように凶暴な死霊術場の放出はしていない。というか……
「もー」
牛のような鳴き声を出して、のっそりのっそりと体操を始めた。さすがに草は食べようとしないが。
呆気にとられたエルフ先生たちに、サムカが頬を緩めて解説する。
「森の動物の残留思念を集めているが……まあ、牛だな。ちょうど森の中で、野牛の群れが通過していたのだろう。命令は聞くようにしてあるから、力仕事をさせるには便利だ。少々、動きが遅いのが難点ではあるがね」
そして、満足そうな視線をジャディに向け、巨人ゾンビの大きな背中を「ポンポン」と叩いた。
「ジャディ君、よくやったな。成功だ」
「うおおおおおっ」
歓喜の雄叫びを上げて空に飛び上がるジャディ。森の上空をダイナミックに旋回し始めた。
それを見上げながら、サムカが校長に話しかけた。校長はタンカップ先生の筋肉に覆われた巨体の後ろから顔を出している。
「シーカ校長。彼は飛族だが、今日より私の講座の生徒として扱ってもよろしいかな? 見ての通り、闇の精霊魔法と死霊術に適性がある。鍛えれば優秀な人材になるだろう」
校長が白毛交じりの両耳をパタパタ動かした。意外に喜んでいるような表情だ。
「ああ、プルカターン支族ですね。話は支族長からも伺っておりますよ。ええ、異存はありません。魔法文明の担い手が増えることは、良い事です」
校長がタンカップ先生の展開した〔防御障壁〕から外に出てきて、サムカにうなずいた。土埃や石の破片などを体中に浴びてしまっているが、にこにこしている。
「ですが……学生寄宿舎はもう定員一杯ですので、自宅からの通学ということになりますけれどね」
サムカが鷹揚にうなずく。
「うむ。感謝する、シーカ校長」
巨人ゾンビが日向ぼっこをし始めた。本当に牛のようだ。校長がサムカに誘われるままに、巨人ゾンビの近くへ歩いていく。
「そうですねえ、この巨人ゾンビさんには用務員の仕事でもさせましょうかね。テシュブ先生の教室のある、西校舎の用務員室に配属しましょうか」
手袋に包んだ両手で猫のように顔を洗いながら、校長が狐顔をほころばせてサムカに提案した。顔に生えているヒゲに埃がつくのを気にするのは、狐族でも同じようである。
「アンデッドですから、先生も使いやすいでしょうし。それに、維持費もかかりませんしね」
「そうだな」
ぎこちない笑顔を浮かべるサムカ。どうも、この巨人ゾンビとサムカが、コストの名の下に同列に扱われたような気がしたようだ。とりあえず気を取り直して、サムカが校長に補足説明をした。
「巨人族の体だから、恐らく500年程度は使えるだろう。しかしエンジンが弱いから、複雑な命令は実行できないな。牛ができるようなことを命令したほうがいいだろう。意識はあるが自我はないので、会話はできないぞ」
「分かりましたテシュブ先生。さてと……とりあえず生徒の治療ですね。それから校舎の建替え……と」
校長が作業の手配を事務職員たちに命じて、復旧作業をテキパキと進めていく。その様子を見ながら、サムカがジャディを空から呼び寄せた。
アイル部長は鏡の破片を探しに、溶岩大地と化した校舎跡地へ向かっていた。かなり嬉しそうで、スキップして何か鼻歌を歌っている。
そこへ、バントゥが党員の生徒を10余名も引き連れてやって来た。
「校長先生! お怪我はありませんかっ」
まだ数名の警官が校舎へ戻るように警告しているが、全く無視している。
彼の取り巻きのセマン顔の魚族と竜族の男子生徒が、バントゥをきっちりと警護している。他にも数名の狐族の生徒たちが、バントゥを囲んで巨人ゾンビを警戒していた。(さすが名家の出身者だな)と思うサムカ。
そのバントゥの赤褐色の大きな瞳が興奮でキラキラと輝いていて、狐色の毛皮も艶が乗ってテカテカしている。
「僕の専門が幻導術で、攻撃魔法に疎かったことは反省すべき点ですね。今後はソーサラー魔術の攻撃魔術を重点的に学ぶことにしますよ、校長先生。僕が率先して学べば、他の生徒も数多く追従して学ぶようになりますからね!」
などとバントゥが、どこかピントがずれた話を始めた。しかし党員の生徒たちは大賛成のようで、口々にバントゥを称え始めている。
校長が厳しい顔をして、スーツについた土埃を払い落としてからバントゥたちに向き合った。
「バントゥ・ペルヘンティアン君。いくら名家の三男とはいえ、生徒の領分を逸脱し過ぎていますよ。ここはまだ危険です。すぐに校舎へ戻って……」
「シーカ校長! 今はそのような平時の決まり事に縛られている場合ではありません。緊急事態なのですから、ここは私たち生徒も率先して復旧作業に協力すべきなのです」
バントゥが声を大きくして、演説調で校長に抗議し始めた。身振りや手振り、尻尾の振り方までが、どこか演劇っぽい。10余名の取り巻き生徒たちも同調して抗議し始めた。
校長の表情が決定的に険しくなる。
「いけません! すぐに戻りなさい」
それでも全く引かないバントゥだ。当然のように校長と口論になってしまった。先生たちが校長先生側に加勢して口論が過熱していく。
それを無表情で眺めるサムカだ。すぐに飽きたのか、視線を移してアイル部長を見る。彼は崩壊した東校舎の瓦礫の山に居た。固まったばかりの溶岩をヒョイヒョイと器用に飛び越えながら、ガラスの破片を探しているようだ。
サムカが声をかける。
「おーい、アイル部長。地雷の破片は私が破壊したから、探しても細かな破片しかないと思うぞ」
それでも、頑張って探すアイル部長である。
錆色の短髪をかきながら見つめるサムカに、上空からジャディが舞い降りてきた。かなり興奮していて上機嫌のようだ。凶悪な人相と目つきながら、ちょっとだけ愛嬌が出ている。
「殿! あの牛ゾンビッスけど、どうしやしょう?」
サムカが視線を巨人ゾンビに向けて、少しだけ首をかしげた。山吹色の瞳が微妙な色を帯びる。
「そうだな……管理は私が行おう。運用は校長に一任するよ。あ、こら、そこの生徒。勝手にゾンビに触るんじゃない」
バントゥ党の数人が、昼寝している巨人ゾンビに恐る恐る触っている。特に、取り巻きの竜族の男子生徒は、蹴りまで入れている。たちまちジャディが激高した。
「コラ! 何しやがる。このトカゲ野郎があっ」
背中の翼を大きく羽ばたかせて旋風を数本発生させ、蹴りを入れている竜族の男子生徒に放った。数秒間ほど〔防御障壁〕を展開して耐える竜族の生徒と他数名だったが、すぐに力尽きてしまった。悲鳴とともに旋風に巻き込まれて、西校舎方面へ吹き飛ばされて退場していく。
「フン」と凶悪な顔でドヤ顔になるジャディ。そのジャディに、まだ校長と口論中だったバントゥが顔を真っ赤にして怒り出した。
「き、君イ! 僕の友人ラグ・クンイット君に何という暴力を振るうのかね! 許さないぞっ。どこの出身だ、圧力をかけて自治体への補助金額を大幅カットしてやる」
が、ジャディはドヤ顔のままで高笑いをしている。
「うるせえよ。飛族と一戦交えるってえなら買うぜ。切り刻んで魚のエサにしてやるよ。オレ様はジャディだ。プルカターン支族でも指折りの猛者だぜ。しかし、あのトカゲの名前はラグ・クンイットってえ言うのかよ。後で念入りにぶっ飛ばしてやるよ」
バントゥの赤褐色の大きな瞳が、怒りでギラギラと輝く。
「て、帝国は多民族主義だ。他種族への差別発言は絶対に許されない。覚えておけ!」
魚族の側近に諫められたのか、それ以上怒ることはしなかった。何度か大きく深呼吸し、再びジャディを睨みつける。
「……今は引いてやる。皆さん。この野蛮な飛族に飛ばされた、悲劇の友人たちを救出に向かいましょう」
手早く取り巻き生徒たちをまとめて、西校舎へ引き返すバントゥたちである。
が、1人、セマン顔の先程の魚族の男子生徒だけはアイル部長がいる方向へ歩き出した。赤褐色の癖のある短髪が風に揺れて、黒い紫紺色の瞳には好奇心の強い光が宿っている。
「バントゥ君。僕は別行動しても良いかな。このアンデッド先生が言っていた、地雷の破片を探してくるよ。魔法具の素材に使えるかもしれない。ほら、純血主義者のリーパット君も向かっているようだ」
バントゥも怒りの目のままで、アイル部長がいる瓦礫の山を見る。確かにリーパット主従が2人で走って向かっている。この前までは他にも取り巻きの生徒がついていたのだが、今は誰も見当たらない。あの敗走の影響は大きかった様子だ。
「分かった、許可しよう。あの純血主義者の好きにさせるなよ、チューバ君」
バントゥの苦虫を噛み潰したような顔と声を受けて、その魚族のチューバがニコリと微笑んだ。
「ああ、了解だ。では、後で会おう、バントゥ君」
そのまま、校長や他の先生が制止するのを振り切って、アイル部長が探し物をしている瓦礫の山へ向けて駆けていった。
ノーム先生が軽く肩をすくめて三角帽子を被り直す。
「まあ、問題はないでしょう。闇の魔法場も消失しましたし。念のため、私が彼らに付き添いますよ」
エルフ先生も同じように肩をすくめた。
「では、お願いしますラワット先生。私は学校周辺を回って、不審なものがないか調べてきます」
サムカには特に何も感想はないようだ。マントについている土埃を手で叩いて落とし、まだ興奮しているジャディに山吹色の瞳を向けた。
「今回の〔召喚〕時間は、そろそろ終了だ。次の授業までに今日試した魔法を、できるだけ自力でできるように練習しておきなさい」
宿題を言い渡されたジャディが空中で見事な旋回飛行を披露した。背中の翼と尾翼に、風の精霊魔法を使っての、半径2メートルの急旋回だ。
「任せてッス! 殿っ。おっしゃああああっ、これから特訓だああああっ」
大音声を上げた熱血飛族が、挨拶もそこそこに森のほうへ飛び去っていった。そう言えば、狐の精霊2匹も満足したのか姿が見えない。
ジャディを見送ったサムカが、サインを済ました合計3人分の申請用紙を校長に渡した。ジャディの申請用紙は、運動場を歩いている間に受け取っていたようだ。
「済まなかったな、シーカ校長。もう少し受講生が来ると思ったのだが。さて、私もそろそろだ」
視線をきつめにして、校長の白毛交じりの頭の上で寝転がっているハグ人形に告げる。
「おい、ハグ。ぬいぐるみを〔再生〕する余裕があるなら、もう少し時差を何とかしてもらいたいものだ。それと、〔召喚〕時間を長めにしておいてくれ。授業の前後で色々とやる事があるようだ」
完全に〔再生〕して、若干足が細くなったハグ人形にサムカが文句を言って、<ボン>と煙を上げて消えた。今回もサムカの足元が大きくえぐれて消失している。前回ほど酷くはないが……
校長の頭の上で背伸びをして起きたハグ人形が、頭をグルグル回した。
「やれやれ……注文の多いわがまま貴族だこと。さて、ワシも帰るとするかな。では、同士サラパン君。さらばだ。パパラパー」
ハグ人形がバンザイして消えた。サラパン羊も同じバンザイを返す。
「あたぼうの助、ハグ助、パパラパー」
そこへ、エルフ先生がライフル杖を肩に担ぎながら、ノーム先生と一緒に歩いてやって来た。
「シーカ校長? どなたかと話をしていましたか? あれ、サムカ先生は戻ったようですね」
校長がエルフ先生たちに振り向いて微笑んだ。サムカが無事戻ったので安堵しているようだ。
「召喚ナイフの管理者さんが、先程まで居ましたよ。まだ調整が必要のようですね。テシュブ先生は、つい先ほど帰還なされました」
そのまま、まだ瓦礫の中でガラスの破片を探しているアイル部長に呼びかける。
「アイル部長。我々も教育研究省へ報告に向かいましょう。警察と軍へも感謝状を書かなくてはいけませんし」
固まったばかりの溶岩を飛び越えて、アイル部長がガックリと肩を落とした。
「……そうですね。残念ですが、破片は見当たりません。テシュブ先生が完全に破壊してしまったようですね」
校長が待つ運動場へ戻っていく。途中でラワット先生とすれ違った。
「では、ラワット先生。あの生徒たちのこと、お願いしますね。彼らは私と違って発掘経験がないでしょうから、ケガをする恐れがあります」
ノーム先生が軽く肩をすくめながら笑って答えた。
「ははは。私も本国へ報告しないといけませんからな。10分ほどしたら、切り上げさせますよ」
そんなノーム先生の言葉にイライラしているリーパット主従である。確かに、瓦礫に加えて冷えたばかりの溶岩があちこちにある現場では、裸足は厳しい。
「くそ、異世界の亜人め。偉そうにしおって。おい、パラン! 何としてでも地雷の破片を探し出すぞ。ブルジュアン家のパーティ会場で見せつけて注目を浴びるのだっ」
どうやら、従者の名前はパランというらしい。リーパットと同じ3年生の狐族だが、家名は低いようだ。
「はい! リーパットさま」
そんな主従の会話を苦々しいセマン顔で聞いているのは、バントゥ党の魚族の男子生徒チューバである。黒い紫紺色の瞳を怒りの色に染めながら、せっせと瓦礫をひっくり返して地雷の破片を探している。
「くだらないな。何がパーティだよ。僕たち魚族の協力があるおかげで、海運業が海賊の魔の手から守られているんだぞ」
それをきっかけにして、分かりやすく激高して全身の毛皮が逆立ったリーパット主従との口論が始まった。
そんな口喧嘩を、少々呆れた表情で見守るノーム先生である。銀色の口ヒゲとあごヒゲを両手で撫でて整えながら告げた。
「そろそろ校舎へ戻りなさい。私も暇ではないんだよね」
今まで口喧嘩をしていた3人が、一斉にノーム先生の顔を睨みつけた。息がぴったり合っている。
「まだ数分しかたってない!」
しかし、ノーム先生は抗議を無視するようだ。両手でヒゲを整えながら、同じ銀色の垂れ眉を上下させる。
「時間切れだよ。君たちが戻らないと、私は実力行使をしないといけなくなるんだがね。どうする?」
さすがにブルジュアン家や、ペルヘンティアン家の威光を持ち出しても、このノームには効果は出ないようだ。
まず、魚族のチューバが真面目なセマン顔になって瓦礫の山から下りた。盛んに舌打ちしているので、大いに不満は残っているようだが。
「仕方がありませんね。あのアンデッド先生は跡形もなく地雷を破壊してしまったようですし。ラワット先生に従いますよ」
リーパットの手下であるパランも肩を落とし、両耳を伏せて尻尾を垂らしながら主人に顔を向けた。
「リーパットさま。我々も引き上げましょう」
「ぐぬぬ」となっていたリーパットが瓦礫の上で地団太を踏んだ。
「お、おのれ……亜人の分際でよくもっ。……ん?」
右足に何か刺さったのか、ひょいと足を上げる。が、特に何もないようで、そのまま足を下ろした。
ノーム先生がジト目になって、腰に両手を当てる。ため息交じりにリーパットに指摘した。
「ほらな。裸足のままで、こんな瓦礫の上を歩くからだ。さっさと下りてきなさい」
さすがに興を削がれたようで、リーパットの尻尾が地面に垂れた。「ふう」と一息つく。
「……分かった、分かった。戻るぞ、パラン」
そんなやり取りを少し呆れた顔で見ていた校長だったが、戻ってきたアイル部長を暖かく出迎えた。
「仕事熱心なのは、良いことですが……お身体も大事ですよ、アイル部長。冷えているとは言え、溶岩の上を飛び回ることは避けた方が良いと思います」
戻ってきた考古学部のアイル狐も、校長に謝りながら土埃などを払い落としている。彼にも鏡の破片は見つからなかったようだ。
「しかし、まさかここまで強力な出土品だったとは。今後は細心の注意を払って発掘するようにしますよ、シーカ校長」
【サムカの居城の門】
サムカが帰還すると、今回も居城の門の前だった。どうやらハグが、そう設定したようだ。
すぐに門番のアンデッド使役兵たちが門を開けると、中から執事が小走りで出てきてサムカを出迎える。その後ろには騎士シチイガも控えていた。鎧姿ではなく、質素で地味な礼服を着ている。
「お帰りなさいませ、旦那様」
執事が礼儀正しく主人を出迎えて、マントを預かった。騎士シチイガも腰を少しかがめて頭を下げる。
サムカが鷹揚にうなずいてから、騎士シチイガに聞いた。
「うむ。ガーゴイルどもの処理は済んだかな? 突然の〔召喚〕で混乱させたな」
騎士シチイガが頭を下げて顔を伏せたままで答える。
「心配は無用でございます。我が主。滞りなく殲滅いたしました。森の中も探索し、潜んでいた残党共も討伐いたしました」
そのような仕事をしたばかりとは思えないような涼しい顔だ。短く切りそろえた黒錆色の髪が数本、サラリと垂れた。
サムカが再び鷹揚にうなずく。
「うむ、ご苦労だった。これで領民のオークも安心するだろう。通常業務に戻ってくれ」
そう言い残して、城の中に入っていった。
サムカを見送ってから、騎士シチイガが体躯を起こして執事のエッケコに話しかける。
「先ほど、周辺近隣の騎士たちとネットで話したのだがね、我が主が消えるという話は、結構広まっているようだ」
執事も杏子色の瞳を細めながら固い笑みを口元に浮かべて、薄い赤柿色の禿げ頭をハンカチで拭いた。
「左様でございますか……隠し通せるものではありませんね。この地域の治安が良くて助かります、騎士様。私も及ばずながら情報を収集しているのですが、今の段階では2つ気になることがございます」
執事が騎士に頭を低く下げながら話す。オークなので禿げ頭が強調されて見える。
騎士シチイガが執事のエッケコに一歩近づいて、話を促した。
「うむ。話してくれ」
提言の許可が得られたので、執事が落ち着いた声で続きを話し始めた。
「ガーゴイル群ですが……オークの行商人によると、魔族どもの村でも被害が深刻になっているそうでございます。食糧不足に陥ると、こちらに攻撃を仕掛けてくるやもしれません。旦那様が不在という噂が広まっております故、注意が必要かと愚考いたしております」
騎士シチイガがうなずく。黒髪の下の淡い山吹色の瞳が鋭く輝いた。
「うむ。さもありなん。了解した。境界警戒を厳にしよう。して、2つ目は何かね」
執事が頭を下げたままで答えた。
「はい。ウーティ王国をはじめとするファラク王国連合諸国でも、ガーゴイル群の被害をかなり受けた様子でございます。そのため、鶏肉や豚肉、乳製品の価格が高騰し始めております。幸い、我が領土での被害は軽微でしたので、この機会に販売攻勢を仕掛けようかとオーク自治都市の理事どもが愚考いたしております。騎士様から、何か気がついた点などありますれば御教授下さい」
騎士シチイガが感心した様子で執事に視線を向けた。淡い山吹色の瞳が今度は明るく輝く。
「ほう。早速、商機到来という訳か。この周辺のガーゴイルは全て殲滅したから、もう被害は出ないだろう。飢えた魔族どもにさえ注意すれば、商売しても問題なかろう」
執事が深く禿げ頭を下げた。この程度の商売の話は、領主の判断を待つほどのことではない。その下の騎士シチイガの判断に委ねられている。
「騎士様の仰せの通りに致しましょう」
騎士シチイガが鷹揚にうなずいた。
「うむ。しかし恐らく、この高原に点在する魔族の村でも同様の事態になっているかもしれぬな。少々、槍仕事が増えるか……武器の手入れは念入りにしておくとしよう。兵どもの武器の手入れも進めておく方が良いだろうな」