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86話

【サムカの新屋敷】

 死者の世界のサムカ領では、新居となった元オーク墓地の管理施設の増改築が進められていた。すっかり元の施設は増築部分に埋められて外からは見えない。今は、かなり堅牢な石造りの3階建ての館に変わっていた。

 館の側には、高さ20メートルある物見の塔が1つ出来ていて、その頂上で数名のスケルトンがシャドウと共に周辺の監視を行っている。墓地に埋葬されているオークは極力移動させないようにしているので、墓碑が林立する中に館が建っている景観になっていた。


 その様子を、いつもの墓地の隅で見上げるハグである。今回もまた、レブンが使役した魚族ゾンビがまとっていたボロ服を、そのまま厚着したようなファッションだ。サンダルだけはピカピカの新品である。誰かからもらったのだろうか。

「ちょっと見ぬ間に、館らしくなったものだな、サムカちん。前の城と比べると半分以下の規模だが、沐浴や執務をするには不自由はなかろう」


 そのサムカは頭から地面にめり込んでいた。ハグがため息をついて、サムカの足に告げる。

「空飛ぶホウキかね。調整しても、その有様か」


 サムカが地面から頭を引っこ抜いて、身体中に付着した土や草を〔消去〕しながら立ち上がった。手にはマライタ先生からもらって組み立てたホウキが握られている。

 それを慎重に確認して、安堵するサムカであった。

「壊れてはいないな。〔飛行〕魔術の術式にまだ不具合が残っていたようだ。まあ、この修正をすれば、使えるようになるだろう」


 ルガルバンダもいて、少し呆れた表情でサムカを見ている。ヒグマ顔なのだが、かなり表情に富んでいる魔族だ。丸太のような4本腕を組んで、黒褐色の固い髪を墓地の風に任せている。地面にあぐらをかいて座っているのだが、それでも3メートル弱はある背丈だ。

「テシュブの旦那……そこまでして、空を飛びたいものかね?」


 サムカがホウキをルガルバンダに手渡して、山吹色の瞳を細めて頬を緩めた。まだ少し土汚れが髪と頬に残っている。

「そうだな。〔召喚〕先では、飛べないと格好がつかない事が多くなってきていてね。一応、貴族の誇りに関わる重要案件だ。私は、そろそろ〔召喚〕されるから、そのホウキを執事か騎士に渡しておいてくれ」


 ルガルバンダが立ち上がった。身長が4メートルにも達するのでサムカを見下ろす形になるのだが、態度と口調は丁寧なままだ。

「了解した。では、ワシは建設作業に戻るとするよ。大きな石材を運ばないといけないからな」

 そのまま、地響きを立てて歩いて館の方へ去っていく。


 それを見送ったハグが、小さくあくびをした。

「魔族の癖に、ずいぶんとお人よしだな。奴の『召喚ナイフ契約』は、あまり芳しくないと聞く。傭兵稼業じゃ、仕事の安定は難しいようだな」

 サムカが改めて自身の衣服を改めながら同意する。〔消去〕魔法が効いているようで、今はもう土汚れが見当たらない。

「そうだな。警備と違い、紛争は起きたり起きなかったりして、需要の幅が大きいからな」


 サムカはこれから定期〔召喚〕を控えているので、白い長袖シャツに長ズボン、乗馬用の柔らかい革靴、白い手袋をして、腰にいつもの長剣を一振り吊るしている。それらを肩から羽織っている黒いマントが包み込むいつもの服装だ。

 授業で使う予定の小物や術式の確認をしながら話を続ける。

「ルガルバンダ殿を始めとした魔族を雇う事ができたのは、エッケコがかなり頑張ってくれたおかげだ。実際、自治都市の自警団員への軍事教練や、防衛兵器の調達などで役に立ってくれている」

 サムカが塔を見上げる。

「あの物見の塔なんかは、力持ちの魔族が働いてくれたおかげだよ。予定よりも、かなり早く館を作ることができた。こういった建築作業は、我々アンデッドよりもオークや魔族の方が、はるかに優秀だ。良い機会だから、我が騎士シチイガも現場監督の1人として参加させているよ」


 サムカがハグ経由で送られてきた、獣人世界での大ダコ騒動の報告と添付情報を一読する。

「ふむ……50万の低級アンデッドか。ソーサラー魔術や法術などで対処が進んでいるようだが、苦戦は避けられないだろうな。私がまとめて引き取っても構わないが、魚族主体で陸上での仕事には向いていない。使い道は残念ながら無いだろう。熊どもの販売も本格化してしまったしな」


 南のオメテクト王国連合の混乱は相変わらずなのだが、商業ルートは徐々に復旧しつつあった。トロッケ・ナウアケが遺した熊の大群も、無事に〔ゾンビ化〕とその調整が済んで本格的な販売が始まっている。

 熊なので、獣人族がしているような5本指の魔法の手袋を装着させてやる必要があるが……それさえしていれば、かなり使えるゾンビとして評判が高まっている。元々アウルベアの素体だったので、体はかなり頑強だ。


 サムカの館にも、熊ゾンビが2体配置されている。巨人ゾンビもいるので、他の領主との兼ね合いから熊ゾンビの配備数が2体だけになっていた。その巨人ゾンビは、オーク自治都市の門番と荷役係を兼用しているので、館では使えないのだが。


 そういう状況になっているので、今さら低級ゾンビを持ち込んでも売り先がない。

 交易で活気づいている港湾都市であれば多少は需要があるかもしれないが、今度は性能が低すぎて使えない。船ごとの積み荷の水揚げや搬送などには、意外に高度な知識が必要になるからだ。下手に扱って、積み荷が破損したり傷んだりすると、損害賠償や保険手続きで余計な手間がかかってしまう。


「ピグチェン卿のカジノ雑務でも使えぬだろうなあ。魚族のゾンビでは、客の不興を買ってしまう」

 サムカがあれこれ思案を巡らすが、結局妙案は思い浮かばなかったようだ。1つため息をついて、話題を次に移す。

「アンデッド群は低級だから、殲滅に関しては特に問題はなかろう。問題は大ダコだが、これは私が現地に〔召喚〕されてから、シーカ校長や先生方と対策を練った方が効率的だろうな。大ダコはケガの〔治療〕と魔力の回復に今は忙しいだろうから、緊急を要する案件ではない」


 ハグがニヤニヤし始めた。相変わらず地面から少し浮かび上がっていて、ゆっくりとサムカの周囲を回り始めている。同じ場所に居続けると、魔法場汚染を起こしてしまうからだ。

「この世界であれば、手下のアンデッド兵に任せるような他愛もない雑魚敵だ。現状では、ナウアケ事件の悪影響がまだ残っておるからな。あまりオマエさん自身が関わるのは、ワシとしても都合が悪い。ましてや、50万もの低級アンデッド群との戦闘の直後ともなれば、ワシらも同じアンデッドである以上、居心地が悪くなるのは確実だろうさ。教え子や先生どもへの助言程度に留めてくれるとワシとしては助かるよ」


 その点はサムカも同意のようである。軽くうなずいて、短く切りそろえた錆色の前髪を片手でかいた。

「どうしようもない場合は、私が大ダコを引き連れて、この世界へ戻れば良いだろう。そのまま清掃獣に餌として与えれば済む話だ。だが、やはりここは生徒や先生たちの手で解決してもらいたいものだな。法力サーバーへの不当な接続も、既に切断されたとある。無限〔治療〕はもうできぬ。それに、私の〔分身〕の熊人形も使えるから、何とかなるだろう」


 ハグがニヤリと笑った。その場でクルクルとコマのように回転している。

「サムカ熊かね。水中では『ぬいぐるみ』はふやけてしまって、まともに動けないぞ。防水か疎水撥水の処理魔法でもかけておくことだな」

 素直にハグの助言に従うサムカであった。そう言えば、レブンから水中活動での対策を要望されていたのを思い出す。

「うむ、そうしておこう。それよりも気にかかる事があるのだが……タカパ帝国の外の国々の動向は、どうなっているかね? タカパ帝国領へ攻め込むには実に好都合だ。私も少し調べたが、なかなかにタカパ帝国の評判は悪いようだからな。虐げられている魚族や竜族を、人道に基づいて武力支援する名目などで、諸外国が介入する可能性はある」


 ハグの顔を真剣な表情で見る。

「〔呪い〕か何かを保険として、周辺国にかけておこうかね? 墓所の連中がしたような〔知能ドレイン〕はさすがにやり過ぎだろうから、流行病や害虫の大発生程度の軽い魔法で足りると思うが。どう思うかね?」


 ハグが腕組みをして少し首をかしげて考え始めた。

「……タカパ帝国が大混乱に陥っては、召喚ナイフの販売促進にも支障が出る……か。よかろう、ワシからオマエさんの国王と、リッチー協会の理事会に提案して話を詰めておこう。ナウアケ卿がやったように、獣人を誰かそそのかして、そいつを生贄にして魔法を発動させればよいはずだな。いや、術式が大規模になるから、妖精の方が都合が良いか。その妖精が発狂して暴走したとしか分からないように偽装しておけば、死者の世界へ非難も及ぶまい」

 なかなかに鬼畜な作戦案なので、真面目な表情で呻いているサムカであった。

「その手法は最後の手とした方が良いだろうな。我々の常識と、生者の常識とはかなり異なるからね。とりあえずは、先生方の本国に外交交渉で頑張ってもらうことにしよう」


 サムカが手元の〔空中ディスプレー〕画面を操作して、自身の名前で色々と文書を作成した。それらを早速、保存する。〔召喚〕後に獣人世界から、直接先生方に送信するのだろう。その方が確実に届くためだ。


 そんな作業を、ハグがサムカの周囲を回りながら見守る。

「オマエさんの教え子のジャディが、めでたく木星の風妖精と妖精契約を結んだそうだな。ヤツの支族の庇護も決定したと聞いた。ワシからも祝辞を送ろう。あのバカ鳥にそう伝えておいてくれ。ごく弱いとは言え、このリッチーのワシから〔加護〕を得られるなんぞ、滅多にないぞ。まあ、使い捨ての1回限りの〔加護〕だけどな」


 また何か良からぬ事が起きそうな予感を覚えるサムカであったが……ここは有難くハグからのお祝いを認めることにする。『使用しなければ問題ない』と、後でジャディに説明しておこうと思うサムカだ。

「すまないね。教え子を祝ってくれて。私からも礼を述べるよ。私は、何もジャディ君に授けない方が良かろう。魔力バランスを崩してしまっては意味がないからね」


 ここで、〔召喚〕がかかった。サムカとハグの耳に<パパラパー>とラッパ音がどこからか聞こえた。サムカの体が水蒸気の煙に包まれながら急速に透明になっていく。

「では、行ってくる」

 サムカが一言。その次の瞬間にはサムカの姿はきれいさっぱり消えてしまっていた。一緒に巻き込まれて消失する地面などは、もう見られない。

 空間指定が満足に機能しているのを見て、ハグが微笑んだ。

「やはり、ワシって天才だな。さて、大ダコ騒動がどうなるのか……ワシも楽しみにしておくか」




【校長室】

<ポン>と水蒸気の煙が仮の校長室に立ち込めて、サムカが出現した。聞き覚えのある校長のほっとしたような声が耳に届く。

「良かった。成功ですね、サラパン主事」


 羊も相変わらずの冬毛の毛玉状態だ。スーツがパンパンに張っていて、そろそろ縫い目が破けそうな勢いになっている。やはり相変わらず陽気に高笑いをして、まん丸な体を仰け反らせた。

「当然ですよ、当然です。この私にかかれば、造作もないことなんですよっ。この間の失敗は、調子が悪かっただけですからっ」


 サムカとしても、〔召喚〕が成功してくれれば文句はない。サラパン羊に一言礼を述べて、彼が意気揚々と校長室から退室していくのを見送った。恐らくはカフェへ直行するのだろう。

 サムカが校長に顔を向ける。

「少し疲れが見られるようだなシーカ校長。体調管理はしっかりとな」


 校長はここ最近の仕事のせいか疲れた顔つきになっていたが、それでも満面の笑みでサムカを歓迎してくれた。

 さすがに白毛交じりの尻尾の振り幅は、2割ほど小さくなっているようだが。服装は普段の渋めのスーツ姿に戻っているが、靴は黒い作業靴のままで裸足ではなかった。泥汚れ等は見当たらない。スーツのポケットにも革製の手袋が入っているので、事務仕事だけをしている訳ではなさそうだ。

「お気遣いありがとうございます。復旧工事が順調に進んでいますからね、事務仕事以外でも色々とあります。サムカ熊さんの働きも大いに助かっていますよ。24時間休みなしで作業できるんですねえ、驚きました」


 サムカの〔分身〕である熊人形は、大地の大深度妖精の〔加護〕を受けている。そのため、疲労部分や損耗部分が逐次自動的に〔修復〕されて、なおかつ妖精から魔力供給まで受けているのだ。パワーは巨人ゾンビに匹敵するほどなので、重機の代わりにもなって活躍していた。

 作成当初はサムカ自身もそうなるとは予想もしていなかったので、内心照れているようだ。顔には出さないが。

「そうかね。役だっているのであれば、残した甲斐があったというものだな。さて……」


 サムカが臨時の校長室の内装を見回した。赤レンガ積みの部屋で、漆喰の香りがまだ強く残っている。

 天井には、ベニヤ板のような薄手の木製盤が、天井の梁の上に隙間なく乗せられているだけだった。校長の机や来客用のイスにソファー、簡易テーブル、戸棚などは既に配置済みになっている。実務をする上では、特に支障は出ないだろう。

 空調システムと照明だけがまだ設置途中なので、やや部屋が薄暗く、空気が滞留している印象だが。


 床には〔召喚〕用の魔法陣が正確に描かれていて、供物がきちんと整えられている。もう、〔召喚〕時に爆風などは起きなくなっていたので、床や供物への被害もなくなっていた。

 〔召喚〕を行うという前提なのだろうか、床には絨毯やカーペットなどは敷かれておらずモルタル様の滑らかな床になっていた。これなら魔法陣の消去作業も楽になるだろう。

 早速、校長が事務職員を2人呼び出して、魔法陣の掃除を開始させた。2人とも狐族で、墓用務員と同じ作業服ベースの服装をしている。モップが床を拭く湿った音が、校長室に満ち始めた。


「先生方は、皆、息災かね? ハグの情報だけでは今ひとつ状況が分からなくてね」

 校長の表情が少し曇る。

「カカクトゥア先生とラワット先生が、まだ本国で謹慎処分中です。そろそろ懲罰が終わって、こちらへ戻って来ると思いますが……今は、エルフ、ノーム政府から派遣されたゴーレムが代わりに授業を行っていますよ」

 一呼吸おいて話を続けていく。

「他の先生ですが……先日ドワーフのマライタ先生が戻ってきましたので、欠員はなくなりました。ようやく、再び教育指導要綱に沿った授業が行えるようになりましたよ。今日、テシュブ先生を〔召喚〕したのも、その一環です」


 そして、さらに微妙な表情になった。鼻先と口元のヒゲ群が、あちらこちらを向いて意味深な動きをしている。白毛交じりの尻尾の振り幅も、更に小さくなった。

「先生ゴーレムですが、これが予想以上に生徒たちに好評でして……効率よく授業を行ってくれるので、専門クラスと選択クラスともに遅れを完全に取り戻してしまいました。カカクトゥア先生とラワット先生は、どちらかと言うと実習を重視なされていましたからね。教室での座学重視のゴーレムの授業の方が、進みが早いのは当然ではあります。ちょっと困った状況になりつつありますよ」

 サムカも似たような実習重視の授業をしているので、耳が痛い話だ。


 そこへノックをして校長室へ入室してきたのは、マライタ先生とティンギ先生、それに墓用務員の3人だった。

 挨拶もそこそこにティンギ先生が早速、裏情報を井戸端会議のような気楽さで話し始めた。相変わらずの散歩のし過ぎで日焼けして色落ちしているスーツに、掃き潰したスニーカー靴の気楽な格好だ。『干し藁色』の顔が、冬だというのに日焼けのせいで『焦げた干し藁色』になっている。大きな黒い青墨色の目が、いたずらっぽくキラリと光った。

「カカクトゥア先生とラワット先生については、心配無用だよ。私の〔占い〕では、すぐに戻ってくる。それも大いに不満そうな顔になってね」


 次いでドワーフのマライタ先生が、下駄のような白い歯を見せてガハハ笑いをした。赤い煉瓦色のクシャクシャヒゲと髪は、相変わらずクシャクシャだ。太いゲジゲジ眉の先をピクピク上下に動かしてご機嫌な感じである。

「連中の世界にもドワーフ製の監視ユニットが色々あってな。それによると、めでたく昇進したようだぞ」


(どこでも監視しているのだな……)と内心で感心しているサムカ。マライタ先生によると、罰則を終えた後に昇進することになっているようだ。その理由が天気の話でもするかのような気楽さで、マライタ先生の口から暴露されていく。

「沿岸でのアンデッド掃討作戦が行われただろ。その時に手配された武器は、ソーサラー協会の関連企業製品だったんだよ。もちろんドワーフも部品や魔法回路基板なんかで関わってるぞ。それがエルフとノームの政府には大痛手だったんだよ」


(レブンたちからの報告では、アンデッド掃討作戦では紫外線照射の魔法具が活躍したと書かれていたな……)と思い出すサムカである。

 光の魔法であればソーサラー魔術よりも、光の精霊魔法の方が強力だ。エルフやノームにとっては、格好の武器販売の機会だったということは、サムカでも容易に想像がつく。


「後で、法術の法具も配備されたから、独占商談とまではいかなかったけどな。それでも、ワシがつかんでいるだけで、ざっと60万セットの魔法具が補充用の魔力パック込みで販売されたのは事実だ。レブン君が調査してくれたおかげで、緊急配備しなきゃいけない状況だったからな。ほとんど言い値での取引だったみたいだ」


 サムカも自身の配下のアンデッド兵や、オーク自治都市の自警団向け装備調達には苦労しているので、身につまされる内容だったようだ。端正な白い陶磁器のような顔が、少し人形みたいになっている。

「……なるほどな。動いた金額だけでなく、タカパ帝国への影響力という面では大きな商談になる。エルフとノーム政府にとっては痛いな」


 更に続くマライタ先生の話では、商談になるとさすがに『先生ゴーレムには任せられない』となったようだ。かと言って、獣人世界へ赴任してくれるような奇特なエルフやノームはいない。

 結果として……カカクトゥア先生とラワット先生を異動させるという事になったと、マライタ先生がニヤニヤしながら話してくれた。

 特務機関という何でも屋部署の分室を新たに設けて、その『分室長』という肩書である。地位としてはエルフやノームの階級制では『大隊長補佐』に相当するようなので、かなりの出世になる。参謀会議にも末席ながら参加できる地位だ。


「ただし、部下は1人もつかないけどな」

 ガハハ笑いを高らかに上げるマライタ先生。(先生の仕事に加えて、諜報や商談まで担当させられるのか。不機嫌な顔でこちらへやって来るのだろうな……)と、サムカも容易に想像がついた。サムカも実は同じようなことをしているのだが、彼は疲れを知らないアンデッドだ。

「状況は理解できたが、過度な詮索は控えた方が良いぞ。マライタ先生、いや、ドワーフ政府か。こういった諜報活動は、商談に支障が出ることが多々あるのでな」


 サムカの忠告を華麗に聞き流すマライタ先生とティンギ先生だ。

 やはりというか校長の周囲に、軍と警察や教育研究省の偉い人の顔が映った小窓ディスプレーが一斉に発生した。そして、当然のようにマライタ先生やティンギ先生と、腹の探り合い会話が始まる。


 校長がややジト目気味になって眺めながら、サムカに横目で(授業の準備を始めてください……)と無言で合図を出している。

 しかし、サムカはもう1つだけ質問を残している様子だ。床の魔法陣の拭き残しをきれいにし、供物を収める器を丁寧に拭いて掃除している墓用務員に、その山吹色の瞳を向ける。

「墓用務員さん。1つ質問してもよろしいかな?」


 墓が拭き掃除の手を休めないまま、にこやかな笑顔をサムカに向けた。

「はい。構いませんよ。なんでしょうか」

 一応は帝国の国宝なのだが、そのような気品も威厳も何もないような雰囲気の墓である。底が薄くなってきているゴム底サンダルのせいもあるのだろうか。


 サムカが「コホン」と軽く咳払いをしてから、墓に聞く。〔空間指定型の指向性会話〕魔法に切り替えた。これで会話は、サムカと墓だけにしか聞こえないことになる。〔念話〕だとソーサラー魔法場や幻導術の魔法場が強く発生するので、感づかれる恐れがあるからだ。

「前回の中性子星への訪問と異星人文明の存在で分かったのだが、この世界では地球以外にも多くの文明が栄えているようだ。地球のような環境の惑星もあるだろう。墓所として静かに眠りたいということであれば、そういった星へ移住した方が良いのではないかね? 異世界間ゲートがあって、我々のような異世界人の目につきやすい地球に潜んでいる利点は、君たち墓所にとっては乏しいと思うのだが」


 墓は掃除の手を止めないまま、世間話をするような気楽さで答えた。

「空間指定での会話は、別にしなくても構いませんよ。もう歴史〔改変〕していますから、この程度では何も起きません。ですが、そうですね……メイガスやドラゴンのような連中が盗聴している恐れも否定できませんかね」

 サムカが機械的にうなずく。

「だろうな。現に、とあるドラゴンは私の大ファンだからね。そこら中に何かの仕掛けをしていても不思議ではない」


 墓用務員が今度は煉瓦壁をモップで拭いて掃除し始めた。マライタ先生とティンギ先生は相変わらず、小窓型の〔空中ディスプレー〕画面たちと何やら交渉をしている。校長先生の顔のヒゲ群と両耳が全て垂れてしまっていることから、良からぬ事なのだろう。両目も閉じてしまっている。

 そんな校長と2人の先生を横目で見て、同情の表情を浮かべてから、墓用務員がテシュブに視線を向けて微笑んだ。

「これから授業の準備があるでしょうから、ごく簡単に説明しましょう。ちょうど、髪の中にリッチー人形も〔テレポート〕してきたようですし」


 次の瞬間。サムカの短い錆色の髪の上に、「ポフ」とハグ人形がどこからともなく落ちてきた。

「なんじゃ、もうばれてしまったか。ワシもまだまだ甘いな」

 ハグ人形が早速サムカの頭の上で、新体操の床運動みたいな動きを始める。さすがにジト目になるサムカである。しかし今はハグ人形を無視して、墓の話を促すことにしたようだ。

 墓も淡々とした口調で、ハグ人形を無視して話を続ける。

「銀河系というのは相当に巨大なものなんですよ。その中で、地球に近い環境の星を探すためには、それなりに強力な魔法が必要になります。獣人族のほとんどが魔法を使えないのに、いきなりそのような高等魔法を使用しては、異世界から怪しまれますよ」


 ハグ人形が『空中3回転ひねり』をキメながら補足解説する。サムカの頭に結構な衝撃が伝わっているようだが、そんなことはお構いなしだ。

「ワシでも不審に思うだろうな。墓としては〔テレポート〕魔術刻印の類も〔逆探知〕の恐れがあるから使えないし、より高度な〔探査〕魔法の行使になってしまうわい」


 〔テレポート〕魔術刻印は、人や物だけでなく情報の〔テレポート〕も行うことができる。魔術刻印や魔法陣間での超光速通信では一般的に使用されている。


(〔テレポート〕を使わない超光速通信魔法があるのか……)と、内心で驚いているサムカだが、やはり表情には出さない。墓用務員が壁の拭き掃除を続けながら話を進める。

「私の墓所が知る限りでは、いくつかの他の墓所がその昔、火星や金星、土星や木星の衛星に〔探査〕魔法をかけて、移住を検討した様子は見られましたけどね。結局、企画倒れになって実現しませんでした。恐らくは、各種魔法場が地球よりも弱かったせいじゃないでしょうかね」

 木星の風の妖精の例でもあったように、精霊場や魔法場は惑星や衛星ごとに異なる。


「なるほどな。君たち墓所は眠っているからね。墓所の〔防御障壁〕などは全自動にならざるを得ない。そうなると、魔力供給源の安定確保という課題が生じるのか。地球であれば自動補給が容易だが、他の星では難しいということか」


 墓用務員が穏やかな笑みをサムカに向けた。ほぼ壁拭きも終了したので、後片付けに入っている。

「ですが今回、ハグさんのおかげで他の恒星間文明の位置と住環境が分かりました。〔知能ドレイン〕が一通り効いた後、移住を検討する墓所も出ると思いますよ。それと、ドワーフ族が宇宙探査と交易をしている情報も多く入手できました。彼らに知られることなく、秘密裏に異星人文明の情報を得る手段も確立できました。ですので、今回の事件には我々墓所は感謝しているくらいなのですよ」


 モップを洗浄液が入ったバケツに突っ込んで、そのバケツごと片手で持ち上げる墓用務員。そのまま校長室を退室していった。ハグ人形が毛糸の束を無造作にまとめた髪をかいて頭をクルクル回転させる。

「ふうむ……何かとんでもない事を、ワシはしてしまったような予感がするな。異星人文明にとっては、墓所は悪夢のような恐るべき敵になりかねないぞ。旧式の古代語魔法による攻撃だから、防ぎようがない。それ以前に、魔法攻撃を認識すらできないじゃろ」

 しかし、すぐに、「まあ、いいか」で片付けるハグ人形である。


 いつの間にか、マライタ先生とティンギ先生もサムカの隣にやってきていた。〔空間指定の指向性会話〕魔法なのだが、しっかり盗聴されていたようだ。一応、マライタ先生が首をかしげているサムカに解説する。

「分子サイズの盗聴器が空中に浮遊しているんだよ。この部屋だけで数万個ほど浮かんでいる。帯電して頻繁にプラスやマイナスに切り替える仕様だから、浮かびっぱなしだ。空間指定されても、その指定された空間の中に盗聴器が浮かんでいれば、余裕で聞けるってわけだ。人体には無害な分子だから、吸い込んでも害は出ないぞ」


 しかし、(それはこの部屋にいる先生全員の血中や肺の中に、その盗聴器が紛れ込んでいるということではないのだろうか……)と疑問に思うサムカである。サムカはアンデッドで死体なので呼吸は特に必要ない。ハグ人形に至っては、ただのぬいぐるみだ。両者ともに関心の外の話なので、当然のようにスルーする。

 そんな反応を楽しんでいる様子のマライタ先生。

「俺たちドワーフ族には魔法適性はないからな。その墓所とやらが盗聴してきても、俺たちには察知できないだろうな。まあ、それはそういうこととして対策を立てれば済む話だ……ん? 何の話をしてたっけ。まあ、いいか」


 早速、歴史の強制力が働いたようだ。先程の墓の話が歴史から〔削除〕されてしまったのだろう。存在しなくなったので、当然ながら思い出せない。

 隣のティンギ先生は薄っすらと何か記憶を残しているようだが……覚えているのが面倒なのか、さっさと自発的に忘れてしまったようだ。マライタ先生と同じ仕草をし始めた。

 一方のサムカとハグ人形には例外措置が施されているので、記憶がそのまま残っている。


 ハグ人形がサムカの髪の上で「ポンポン」跳びはねながら愉快そうに笑った。

「歴史〔改変〕もなかなかに上手になっておるな。魔法場汚染も術式残滓も何も残っておらん。墓所で眠っておるとは名ばかりで、実際は寝る間も惜しんで勉強しているのが丸分かりじゃぞ」

 サムカも肩を軽くすくめて同意する。そのまま授業へ向かうことにする。

「では、私はこれで」




【運動場】

 サムカが校長室から外に出て周囲を一瞥した。

 まだ改修の途中だが、実務には支障が出ない程度になっているようだ。赤レンガで教員宿舎を再建しているので、全体に赤っぽい。これから化粧塗りや塗装をしていくのだろう。


 ちょうど授業と授業の合間の移動時間休憩に入っていたようで、事務室から数名の狐族と竜族の事務職員が出てきた。そのままにこやかにサムカに会釈をしてカフェへ向かっていく。


 教員宿舎の外壁では、工事中でケガをする危険性がある場所には、狐語で警告文を書いた看板と警戒テープが張られている。ドワーフ製の木製ゴーレムや、ノーム製の土のエレメント、それに招造術の土製のゴーレムが60体もいて、それぞれが黙々と土木作業をしているのが見える。


「我がオークの方が優秀だな」

 サムカが独り言をつぶやいて、運動場の外れを歩きながら空を見上げた。

 季節はさらに冬らしくなってきていて、空の雲も薄くなっている。しかし、亜熱帯なので日差しは充分に強い。森も亜熱帯林なので紅葉も落葉もなく、特に変化は見受けられない。葉の色が黒ずんでいる程度だろうか。猿や猫の顔をした原獣人族も冬毛に変わって、元気に木々の枝を跳びはねて移動している。


 視線を転じると、遅れて北から渡ってきたヒドラが1頭いた。運動場の隅で日向ぼっこして、とぐろを巻いて寛いでいる。体長が10メートルほどもあるので、かなり目立つ。


 数秒後。駐留警察署の警官が数名ほど無反動砲を肩に担いで完全武装して、そのヒドラを森の中へ追い出そうと、おっかなびっくりの様子で近づいてきた。サムカにも、ぎこちなく敬礼をしている。

「警官もかなり入れ替わっているようだな。彼らは新人だろうか」


 ヒドラは魔法生物なのでブレス攻撃ができる。このヒドラは頭が7つあるので、7種類のブレス攻撃が使用できるはずだ。警官たちが〔防御障壁〕を展開していないことに、すぐに気がついたサムカが一言申し出る。

「その装備では、大ケガをするぞ。私があのヒドラを森へ追いやろうかね?」


 警官たちがあっけなくサムカの提案に乗ってきた。かなり安堵したような表情になっている。

「そ、そうでありますか? で、では申し訳ありませんが、駆除をよろしくお願いします。貴族の先生」


 鷹揚にうなずいたサムカが、山吹色の瞳で運動場で丸まっているヒドラを凝視した。距離が20メートルほどもあったのだが、ヒドラが地面から驚愕した様子で飛び上がった。そして、頭の1つがサムカを発見すると、慌てて森の中へ逃げ込んでいった。

 視線を和らげたサムカが、警官たちに顔を向けて微笑む。

「これで良かろう。君たちは新しく配属された新人かね?」


 サムカのした事に驚愕の表情を顔いっぱいに浮かべている警官たちが、敬礼をして直立不動になる。

「は! 昨日配属されました。助かりました、ありがとうございます。あのような巨大な魔法生物の駆除作業は、訓練でもした事がありませんでしたので……」

 そのまま、警官たちが警察署へ戻っていくのを見送るサムカである。

(後で、シーカ校長に報告しておいた方が良いだろうな。有能な人材は、帝都の重要な都市や施設の警備に回されているということか)


(場合によっては熊人形に命じて、警察や軍相手の訓練をした方が良いかもしれないな……)と、サムカが思案しながら地下階への下り階段へ向かう。ここまで来ると、生徒の騒がしい声が聞こえてくる。運動場にも30名の生徒たちが体操着姿で集まっていた。実習授業があるのだろう。

 生徒たちがサムカに手を振って挨拶をしてくるので、微笑みながら手を振り返す。


 そこへ、パリー先生と、ソーサラー魔術のバワンメラ先生が〔テレポート〕で運動場に出現した。彼らもサムカの姿を見つけて、にこやかに手を振って挨拶してくる。

 パリーはいつもの大きすぎるサイズの寝間着姿に、分厚いコケで包まれたサンダルだ。バワンメラ先生も、ボロボロTシャツにボロボロズボンで、ボロボロサンダルのいつも通りの服装だ。首や腕や足に過剰に巻いて身に着けている装飾品だけは、より派手な物に更新されているようだが。


 パリーがヘラヘラ笑いを顔に浮かべて、寝間着の袖をプランプランと振っている。

「あら~きたのね~。ヒドラの追い払いありがとね~。無反動砲なんか使われたら~警官どもを虫にするところだったわ~残念~」

(知っていて放置していたのか……)と、内心で呆れているサムカ。地下階への下り階段の手前で立ち止まって、パリーに一応の忠告をした。

「久しぶりだな、パリー先生。どうやら警官たちは新人ばかりのようだ。扱いは慎重にな。いじめて逃げ出されたら、警官が学校にいなくなるぞ。〔妖精化〕も遠慮してもらえると、学校として大いに助かるはずだ」


 そんな忠告は、やはりパリーにとっては効果は見込めないようだ。ヘラヘラ笑いをしたまま、軽く「ピョンピョン」と跳び上がっている。

「そんなの知らない~。森に迷惑をかける連中は~誰であっても排除しちゃうわよん~」


 予想通りの返事に、さすがに苦笑するサムカ。そのパリーが更に頬をにやけさせた。かなり上機嫌のようである。

「クーナが謹慎処分でしょ~。すごく暇なのよね~。私と戦ってみない~? 完璧に〔滅殺〕してあげるからさあ~」

「遠慮しておくよ。これから生徒たちに授業をしないといけないからね。パリー先生もそうだろう?」


 不服そうに頬をリスのように膨らませているパリーに再び手を振って、下り階段に向かうサムカである。そのサムカを今度はバワンメラ先生が呼び止めた。〔飛行〕魔術で、サムカの隣まで一瞬で飛んでくる。

「テシュブ先生。一応、礼を述べておくよ。エルフやノーム、それにマライタ先生が一時帰国処分になったおかげで、良い商売ができたってソーサラー魔術協会がご機嫌なんだよな。オレの給料や待遇も上がって、大助かりだぜ」


 レブンから報告を受けていた、先日の沿岸でのアンデッド群との迎撃戦に用いられた魔法兵器のことだろうと察するサムカである。

「そうかね。私は直接には何もしていないから、礼などは不要だ。良い商取引になったようだな。私も事前に知っていれば、死者の世界の武器を売り込んでいたかも知れぬよ」


 実際には、まだ実用化されていないので商品そのものがない。サムカが使っているような武器は、魔法適性のない者が使用すると精神異常を引き起こす『呪いの武器』になってしまう。


 それを知っているようで、バワンメラ先生が頬から顎を覆う盗賊ひげを大きく動かして白い歯を見せた。無造作に首の後ろで束ねている銀灰色の長髪も、その毛先が大きく揺れて跳ねている。

「まあ、そういうことだ。じゃあな、テシュブ先生。授業がんばってくれ」


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