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85話

【将校の避暑施設】

 帝国軍将校の避暑施設では、既に住民の避難が完了していて誰も残っていなかった。商店も全てシャッターを下ろして閉まっている。露店も見当たらない。赤レンガ造りの2階建て建物がいくつもあるので、ちょっとしたゴーストタウンのように見える。

 浜に布陣しているのは、現地の警備軍や警察とカチップ管理人だけだ。キジムナー族は1人も姿が見当たらなかった。

 ここでも紫外線照射の魔法具を携帯した部隊が配置を完了していた。既に夕闇がゆっくりと迫る時刻になっていて、西の水平線は夜の帳が降り始めている。


 カチップ管理人が、〔テレポート〕してきたレブンの姿を見つけて駆け寄ってきた。

 灰紫色の束ねた長髪が、浜風に吹かれてボサボサ状態になっている。着ている作業服は墓用務員が着ている種類と同じで、足元はサンダルではなく安全靴だ。手には手袋をしており、丈夫な革製のものだった。

 かなりほっとしたような表情で、焦げ茶色の瞳を細めている。人間に変化している事もあり、顔の色は日焼けした象牙色なのだが、疲労のせいか血色が悪く見える。

「レブン君、来てくれましたか。良かった。ここの防衛部隊の指揮は、なぜか私が担当することになってしまいました。ペルヘンティアン家が没落して、ブルジュアン家が主流になったせいでしょうかね。将校も家族を含めて、軍が総入れ替えになってしまいました。警察も同じですよ」


 浜辺に展開しつつある警備軍と警察の迎撃部隊をチラリと見て、小声でレブンに補足説明する。

「ブルジュアン家は長い間、日陰の存在でしたからね。彼らの派閥の軍と警察も、練度が全く足りていないようです。ここの偉い人たちは、脇目もふらずに森の中へ避難してしまいましたよ。この浜辺の指揮権を私に丸投げして……以前では考えられないことです。レブン君たちが来てくれて、本当に心強い思いですよ」


 レブンがカチップ管理人と固い握手を交わして、微妙な笑顔を浮かべた。

「森の中には、テロ協力をしたキジムナー族が多数いますからね。家族の安全確保と警戒という名目のために、将校や警察幹部が張りついてしまったのでしょうね」

 まあ、当たらずとも遠からずだろう。とりあえずレブンがカチップ管理人に聞く。

「森の中の新しい避難所ですが、間に合いましたか?」


 カチップ管理人が申し訳なさそうに頭をかく。やや、渋い表情になっている。

「事業計画は通ったのですが、予算と工兵部隊の手配が遅れてしまいまして。場所だけは確保しています。物資の集積も終えていますよ。ですが、トイレや売店などの施設は不足していますね。旧来の森の中の避難所は、キジムナー族に渡してあります」


 レブンが他にも話をしながら、浜辺を見回した。夕焼けがきれいで、穏やかな波打ち際が夕日を反射してオレンジ色に輝いている。

 浜辺に展開している軍と警察の混成迎撃部隊は、総勢100名といったところか。全員が紫外線照射の魔法具を装備している。

(僕の町の自治軍よりも良い装備だなあ……まあ、いいけど)


 レブンが気持ちを切り替えて、カチップ管理人に告げる。

「では、僕がシャドウを放って、敵の位置情報を特定します。その〔ロックオン〕情報を渡しますので、迎撃部隊に命じて攻撃を始めて下さい。引き金を引くだけで、後は全て魔法具が自動でやってくれるはずです」


 そう言って、レブンが懐のポケットから〔結界ビン〕を取り出し、手の平の上で元のサイズに戻す。ふたを開けると、すぐにアンコウ型のシャドウが飛び出してきた。しかし、魔法適性のないカチップ管理人や軍と警察の部隊には姿が見えないようだ。

「シャドウというアンデッドですので、普通の人には見えないんですよ。カチップさん、情報網の共有許可をお願いしますね」


 すぐにカチップ管理人が自身の〔空中ディスプレー〕画面を操作して、レブンの情報網への参加を許可した。

 それを確認しつつ、レブンがアンコウ型のシャドウを海中に放つ。実体がないので波しぶきも何も起こらず、あっという間に海中深くへ潜っていく。

 レブンがカチップ管理人に次の要望をする。

「観測情報は僕の方でいったん〔解析〕してから、皆さんへ流しますね。生情報のままでは不便ですし。あ。施設の上空に仕掛けられていた時限式の死霊術式は、無事に〔分解〕できていますね。さすがです」


 カチップ管理人が少し照れている。

「おかげさまで、何とかできました」

 レブンがセマン顔で微笑んで、話を続けた。

「残るは、上陸してくるアンデッド対策だけですね。多分、厄介なのは目視が難しいゴーストでしょう。憑りつかれて精神異常を起こす恐れがあります。僕が〔解析〕して対抗術式を提供しますが、それと並行して、生命の精霊魔法などでの迎撃をお願いします」


 ゴースト対策については、すでにカチップ管理人から森の妖精に連絡が届いていたようだ。砂浜の奥に広がる熱帯の森から、ヤシやタコノキといった木々をすり抜けて、イノシシ型の森の妖精が姿を現した。

 そのまま、カチップ管理人とレブンがいる波打ち際まで、滑るようにやって来る。


(あ。そう言えば、砂浜に接している森の木の種類が、かなり変化しているなあ。マングローブ林が消えて、より乾燥した場所に生える種類に代わってきてる。湿った森だと蚊とかの虫が多くなるから、配慮してくれたのかな。湿気が減ったせいか、今回はクラゲ型の地下水の妖精の姿は見当たらないし)

 レブンがふと思うが、今は世間話をする時間はない。きちんと折り目正しく森の妖精に挨拶をして、話を切り出す事にした。

「こんばんは。わざわざここまで来て下さって、ありがとうございます。森に避難した皆様方の様子はいかがですか? 軍将校のご家族が、また何か騒いでいませんか?」


 イノシシ型の森の妖精が姿を変化させて、レブンと同じ背丈に縮んだ。それでもイノシシ型なので、かなりの威圧感は残っているが。

「初めての避難ではないからな。前回に比べれば、かなり物分かりが良くなっておるよ。我としては、庇護下にあるキジムナー族と問題を起こさなければ、それで構わぬ」

 カチップ管理人がイノシシ型の妖精に用心しながら、レブンに補足説明する。

「慣れというよりも、恐らくは、彼ら妖精に怯えているから素直なのだと思いますけれどね」


(カチップさんも苦労しているんだな……)と思うレブンであった。避難民の混乱は起きていない様子なので、本題に移ることにする。

「ゴーストによる〔憑依〕、〔精神攻撃〕の恐れが、やはりまだ残っています。ゾンビやスケルトンのような低級アンデッドは、そのような攻撃はしませんので安心して下さい。ゴーストの可視化を僕が行いますので、皆さんで迎撃をお願いします」


 イノシシ型妖精が柔和な仕草でうなずく。かなり獣人族の所作を研究しているようだ。

「うむ、心得た。して、迎撃の範囲はどこまでにすれば良いかね? さすがに我でも、庇護下にある森全てに加えて、沿岸の海中まで範囲にすることは出来ぬぞ」


 レブンがセマン顔を少しかしげて、腕組みをする。そして、手元の〔空中ディスプレー〕画面で演算された結果を、30パターンほど見比べた。

「……そうですね。今夜2時の死霊術場の最大予想濃度を基に、動的要素を色々と勘案して演算しているのですが……確かに、海岸線全てを警戒するのは現実的ではありませんよね」


 レブンがカチップ管理人に明るい深緑色の瞳を向ける。

「カチップさん、後ろの将校施設を無人にしてもらえますか? 死霊術場や残留思念をアンデッドは好んで吸収します。それらは生命がいない場所へ集まる習性があるんですよ。将校施設を無人化すれば、そこへ森からの死霊術場や残留思念が集まって集積してきます。それを餌と見なせば、海から上陸して来るアンデッド群が、この施設へ自然と集まって来るはずです」

 そして、一応この事も補足説明した。

「バンパイア以外のアンデッドは、消化器官が機能していませんから、僕たちを餌として食べたりすることはありません。噛みつかれてもアンデッドにはなりませんし、その点はご安心ください」


 カチップ管理人は将校施設をお化け屋敷にする作戦に驚いている様子だが、イノシシ型の森の妖精は平然としている。

「うむ。それで対処するとしよう。であれば、我の精霊魔法の攻撃範囲は、その施設だけに限定できるな。かなり楽になったよ」


 レブンがイノシシ型の森の妖精の、共有情報網への参加を確認する。次に、背後の2階建ての赤レンガ造りの将校施設に、人が残っていない事を再確認してから死霊術を放った。

 たちまち、イノシシ型の森の妖精の表情が険しくなる。

「むう……レブン君から説明を受けて納得していなければ、条件反射的に我が攻撃をしていたかもな。それほどの禍々しい魔法場だ」


 カチップ管理人も微妙な表情で同意している。そして、手元の〔空中ディスプレー〕画面を介して、部下や軍と警察に、重ねて施設内へ入らないように指示を出した。

「……そうですね。霊感というか魔法適性のない私ですら、たった今、施設全体がお化け屋敷に変わったのを実感しましたよ。これはこれで、観光要素として一考の価値がありそうですねえ」

 レブンがイノシシ型の森の妖精に礼を述べてから、カチップ管理人に一応指摘する。

「出るのは、本物のお化けですけどね。人によっては、パニックになったり精神疾患になったりします。僕としては、観光地化には消極的です」


「本物のお化けかあ……」と、ガッカリしているカチップ管理人に、レブンが頭をかいて謝る。

「僕がもっと死霊術を自在に操ることができるようになれば、ご期待に添えるようになれると思いますが……すいません」



 そこへムンキンとラヤンが揃って〔テレポート〕して到着した。

「よお、待たせたな、レブン。状況は把握してるぜ」

「うわ。凄い死臭ね。これだけ臭ければ、アンデッドが呼び寄せられて来るわよ。まったく、あのバカミンタのせいで、こんな余計な事態になって。ぶつぶつ……」


 レブンが2人に挨拶して、早速、共有情報網に加える。

「ようこそ、南の避暑地へ。歓迎しますよ、ラヤン先輩、ムンキン君」

 ラヤンがすぐに手元に自身の〔空中ディスプレー〕画面を呼び出して、情報網への接続を確認する。

「はいはい。竜族にとっては天国みたいな所よね、まったく。あ、これかアンデッドって」


 画面上では数百ものアンデッドの大群が、刻々と海中をこちらへ向けて進んでくる。その様子が記号化されて表示されていた。ウィザード語表示の位置情報をジト目で見ながら、ラヤンがさらに文句を言う。

「海中じゃあ、紫外線照射しても海水で減衰して威力が出ないわね。波打ち際に来るまでは、攻撃できないのか。残念。せっかく、敵の位置情報が分かっているのに」

 ムンキンが肩を少しすくめて同意した。彼も同じ画面を呼び出して凝視している。

「光の攻撃魔法の欠点だからな。低級アンデッドばかりだから動きも遅いし、まあ何とかできるだろうさ」


 ようやく浜辺に打ち寄せる波頭の合間に、ゾンビたちの頭が見え隠れし始めた。水深1メートル以下の岸辺まで歩いてやってきたようだ。やはり、かなりのんびりした歩行速度である。


 レブンがカチップに告げた。

「敵アンデッドが膝まで水から上がった段階で、攻撃を開始して下さい。膝から下の足だけが海中に残りますけど、その部位だけではもう動くことはできません。朝になって日が差せば、灰になってしまいますよ」

 カチップ管理人が緊張した顔でレブンにうなずく。そして、軍と警察の迎撃部隊に攻撃指示を出した。

「聞いての通りです。各隊、アンデッドの駆除の開始を許可します」




【アンデッド迎撃】

 一斉に浜辺に布陣していた軍と警察の混成迎撃部隊、総勢100名ほどが魔法具を起動させた。

 大きな懐中電灯のような筒状の魔法具だ。見ようによっては、無反動砲にも見えなくはない。可視光線ではない紫外線を照射するので、特に魔法具が光ったり音が出たりなどはしない仕様だ。


 レブンが予想した通り、まず海中から飛び出してきたのはゴーストの群れだった。その数は500もある。

 それらをアンコウ型シャドウの『深海1号改』を使って、全てを〔ロックオン〕し、その情報を迎撃部隊に共有してもらう。

 部隊員は全員が専用のアンデッド識別ゴーグルを装着しているのだが、魔法適性がまったくない部隊員によっては見えないゴーストも出てくる。そんなゴーストであっても、レブンの情報を基にして攻撃ができるようになるのだ。

 しかしすでに対象が〔ロックオン〕されている。そのため、目を閉じていても、引き金を引けば命中するのだが……その事については触れないレブンたちである。


 レブンも紫外線光は直接目で見ることはできないのだが、光の魔法場の動きで〔察知〕できるようになっていた。

「へえ。光が曲がっていくね。僕の故郷に配備された魔法具よりも高性能のソーサラー魔術だな」


 カチップが隣で、武器の仕様書を〔空中ディスプレー〕画面に呼び出して確認する。

「夜間の戦闘でも使用できることと、魔法適性がなくても使用できることが選定理由のようです。申し訳ありませんが、帝国軍の将校家族の保護ですからね。良い装備が回って来るのは仕方がありませんよ」

 当然のような口調をするカチップ管理人に、少しジト目になるレブンであったが、すぐに気持ちを切り替えた。


 そんなレブンの心境は理解していない様子のカチップ管理人が質問してくる。

「レブン君。空中で爆発が大量に起きていますが、あれは、ゴーストが爆破されているということですか?」

 海上の上空に、50個もの火球と爆炎が断続的に起き続けていた。


 レブンもその赤い閃光に顔を照らされてうなずく。カチップ管理人は専用のゴーグルを装着していなかったので、大半のゴーストが見えない様子だ。レブンがゴーストの可視化をしているのだが、これも魔法適性がないカチップ管理人には効果がほとんどなかったようである。

「そうですね。すいません。柄にもなく興奮しているようで、口調が失礼なものになっていますね、僕。気をつけます。ゴーストや紫外線は目に見えませんから、結果だけが爆発現象として見えています。順調に敵ゴーストの数が減っていますよ、ご心配なく」


 そして、手元の〔空中ディスプレー〕画面を見て、満足そうな笑みを口元に浮かべる。

「背後の将校施設が、本格的にお化け屋敷になってきました。これで、この辺り全てのアンデッドが吸い寄せられてきますよ」

 ラヤンがジト目になったまま、2階建ての赤レンガ造りの将校施設を浜辺から見上げている。そして、不快そうに尻尾で何度も砂浜を叩いた。

「そうね。実に不快で、死臭だらけの素敵な建物になったわね。後で〔浄化〕作業をする私の身にもなりなさいよね、この魚人」


 恐縮しているレブンの肩を≪バンバン≫叩いて笑いかけるのはムンキンだ。こちらも尻尾を砂浜に叩きつけているが、ご機嫌なビートになっている。ゴーストが爆破されて生じる爆音と衝撃波にも不思議と合うリズムだ。

「森の妖精もいるし、大して面倒な仕事じゃないさ。気にするなレブン」

 不意に爆音が止んだので、海上上空をレブンと一緒に見上げる。

「よし。ゴーストは全部撃ち落したようだな。あとは、のろまなゾンビとスケルトンだけか」


 そんなムンキンが手元の〔空中ディスプレー〕画面を見て、少し険しい表情になる。

「おい、レブン。敵の位置情報なんだが、これって隊列を組んでいねえか?」

「え?」

 レブンとカチップカチップ管理人も驚いて、自身の〔空中ディスプレー〕画面を注視する。数秒後、レブンの口元が魚のそれに戻った。

「……そうかも。ということは、このアンデッド群は『ただの群れ』じゃなくて、誰かに『組織化』されている軍隊ってことかな」


 カチップ管理人も大いに不安な表情になっているのを、横目で見るムンキン。彼には特に何も言わず、レブンに顔を向けて考えを述べた。

「その恐れがあるな。まあ、銃や魔法具のような飛び道具は持っていないから、楽に対処でき……げ」

 いきなり、海が盛り上がって来た。明らかに不自然な盛り上がり方だ。入り江の海水全てが一気に盛り上がってきている。これは……


「津波かよっ!」

 ムンキンが目を見開いて毒づく。急いで簡易杖を取り出して、迫りくる津波に向けた。既に壁のように盛り上がっている海面は、見上げるような高さになっている。

「〔防御障壁〕展開! 範囲は、とりあえず浜全体だっ」


 防波堤に大波が衝突したかのような、重低音のきつい衝撃音が浜に鳴り響いた。津波がムンキンによって発生した〔防御障壁〕に衝突した音だ。〔防御障壁〕は透明なので、海水の壁ができたように見える。

 その壁を見上げるレブンは混乱していて、頭がほぼマグロに戻ってしまっていた。

「どうして水の精霊魔法をアンデッドが使えるんだ?」


 カチップ管理人が100名ほどの軍と警察の混合部隊に、「津波の高さよりも高い場所へ避難するよう」に指示を出す。彼らは狐族出身者がほとんどなので、津波に飲まれてしまうと溺死する恐れがあるためだ。

 カチップやレブンのような人魚族や魚族であれば、全く問題はないのだが。竜族も淡水環境に適応している種族なので泳ぎが得意だ。そのため、特に慌てた様子は見られない。

「そう言えば、魔法具は防水仕様ではありませんでしたね。幽霊屋敷になってしまった将校施設ですが、その屋上まで撤退してもらいましょう。それで構いませんよね、レブン君」


 カチップ管理人の問いかけに、我に返るレブン。「コホン」と軽く咳払いをしてから、背後の幽霊屋敷を見上げた。

「そうですね……施設内部はかなりの死霊術場と残留思念が集積していますので、屋上は良い案だと思います。僕たちも屋上へ撤退しましょう」


 カチップが指示を出すと、100名の隊員が一斉に空中に浮かんで、そのまま将校施設の屋上へ飛んでいった。さすがに、この程度は訓練されているので混乱もなく迅速な撤退だ。しかし、明らかに学校の駐留警察や軍警備隊の行動には遠く及ばない。


 ムンキンもイライラした表情で、頭と尻尾の細かい柿色のウロコを逆立てながら撤退に同意する。既に津波というか海水の壁は、高さ10メートルに達している。

「そうだな。これ以上津波が高くなると、さすがの僕でも防ぎきれない。しかし、この津波は魔法で作り出したものだな。見てみろよレブン」


 ムンキンが簡易杖を右手で掲げて巨大な〔防御障壁〕を展開しつつ、左手を振って大きな〔空中ディスプレー〕画面を発生させた。画面の大きさはミニシアターの銀幕ほどもあるので、浜辺に残っている全員の目にはっきりと状況が映っている。

 その大きな画面に映し出されたのは映像情報ではなく、ムンキンが放っている紙製のゴーレムからの観測データを立体図に起こしたものだった。立体のCGのようにも見える。


 そこには、ムンキンが展開している〔防御障壁〕の範囲が表示されていた。彼が言った通りに、直線距離で2キロほどある浜辺全てを防御している。

 浜の岬にはカチップ管理人の故郷の村があるので、その村もついでに防御しているようだ。そのために、〔防御障壁〕の長さが3キロほどにもなっていた。なので見た目はドーム型というよりも、長大な壁という印象になっている。


 その長大な〔防御障壁〕に衝突している津波の状況も、観測で明らかになりつつあった。それによると、津波はこの施設だけを狙って襲い掛かっている。人魚族の村に津波が到着したという観測情報は入っていない。確かに、不自然な津波である。

 ムンキンが画面を睨んだまま、キラリと濃藍色の瞳を輝かせる。

「見ての通りだ。『疑似津波』って言ったところか。術者がどこかにいるはずだぜ」


 とりあえず、カチップ管理人を含めたレブンたち4人も、背後の将校避暑施設の屋上へ避難した。カチップ管理人は、飛行できる魔法具を携帯していなかったので、ラヤンが抱きかかえて屋上へ飛翔していく。

 その後レブンが、自作した飛行術式を織り込んだ魔法具をカチップ管理人に手渡した。

「個人認証はすでに済ませてあります。魔力がない人でも使用できる仕様です。手に持ってどこへ飛びたいか思うだけで飛行できますよ。といっても、僕もまだ初心者ですので、飛行速度はせいぜい歩く速度くらいしか出せませんが」


 レブンに礼を述べたカチップ管理人が、自身の故郷の村の方を望遠魔法具で見た。無事なのを確認して安堵している。

「私の村は津波の被害を受けていませんね。津波としては変です。魔法で引き起こしたという考えに私も同意しますよ」

 軍と警察の部隊に、屋上へ展開して迎撃態勢を構築するようにカチップ管理人が命じる。


 バタバタと靴音が屋上に鳴り響く中、〔空中ディスプレー〕画面にムンキンが新たな情報を追加した。軍と警察の部隊の立てる足音にジト目を向けている。

「本当に練度が低いなこいつら。足音も消せないのかよ、うるせえ。しかし、うむむ……どうもまずいな。アンデッド群が、津波と一緒に〔防御障壁〕に集まって来やがった。俺の〔防御障壁〕は高さ10メートルまでしか、今は展開できない。津波はそれで防ぐことができているんだけど……」

 既に魔法場サーバーが稼働している状況なのだが、ムンキンの能力としては、この辺りが限界のようだ。


 魔法による津波高はすでに、〔防御障壁〕の上辺すれすれまで迫っていた。

 その海水の壁の上に波しぶきが立ち上がり、ゾンビがサーフィンでもするかのように空中に飛び出してくる。そのまま〔防御障壁〕を飛び越えて、こちら側の砂浜へ落下して……衝撃で手足がちぎれてバラバラになる。半分腐敗した死体が、10メートルの高さから地面に落ちたのだから当然の結果だが。


 浜でバタバタともがいて再結合しようとしているゾンビをムンキンが見下ろしながら、話を続けた。

「ゾンビやスケルトンは乗り越えてやって来るか。まあ、落下の衝撃で動けなくなるみたいだな。さっさと迎撃して灰にしてくれ、カチップさん」

 カチップ管理人が、軍と警察の混合部隊からの配置と迎撃準備完了の知らせを受けて苦笑する。

「私は指揮官でもなんでもないのですけどね……一民間人にこんなことをさせたと、後で軍と警察上層部に抗議することにしますよ」


 ラヤンがムンキンと同じようなジト目になって微笑む。

「帝国軍や警察ってこんなものよ。帝国上層部の争いが酷くなると、時々、頼りにならなくなるのよね。まあ、森の中で震えている偉い人たちを懲らしめる、良い機会だとは思うけれどさ」

 カチップ管理人も焦げ茶色の瞳を細めて笑い、混合部隊に攻撃の命令を下した。

「では、攻撃を開始して下さい。敵はアンデッドですので、完全に灰にして下さいね」


 軍と警察の隊長がやや不満そうな表情をしながらも、カチップ管理人の命令を実行した。やはり無音で光も音もしない攻撃だ。

 しかし、効果は出ているようで、浜辺で這いまわっているゾンビやスケルトン群が次々に灰になっていく。燃えたり爆発したりしないので、実に静かな殲滅作戦だ。


 レブンが屋上から見下ろして感心しつつ、小さくため息をつく。

「性能も、僕の町の自治軍へ配備された魔法具よりも高いんだね。アンデッドが爆発しないように制御魔法が付随しているとか、かなりの高級品なんじゃないかな」

 レブンの町の自治軍が実行している戦闘では、アンデッドは大なり小なり爆発しているのを先程まで見ていたばかりだ。この魔法具でもゴーストに対しては爆発するようだが、それは元々ゴースト退治として設計されていないせいだろう。


 海水の壁の上から次々にゾンビやスケルトンが落下してくるが、難なく灰にされている。その数は、すでに100に上ろうとしていた。

 レブンがジト目になって見下ろしながら頭をかく。今はすっかり落ち着いているのでセマン顔である。

「灰だらけになりそうだなあ。僕のシャドウを使って、この津波魔法を使っている術者を探査しているけど……まだ見つからない。水の精霊場に非常に馴染んでいる人だね。魚族か人魚族の魔法使いかなあ、そうなると嫌だな。クラーケン族なら別だけど」


 今も津波は全く衰えずに、10メートルの海水の壁になったままだ。海水もそれほど黒く汚れていないのだが、やはり海中の様子を視認するには透明度が足りない。


 ムンキンも簡易杖を掲げて〔防御障壁〕を維持したまま、紙製のゴーレムを海中に送って索敵中である。水に濡れても問題ない仕様のようだ。

「僕のゴーレムからも反応なしだな。しかし、潜んでいるのは間違いない。ここまでの隠遁魔法となると、魚族や人魚族、それにクラーケン族でもないぞ。ほとんどノームの隠遁魔法並みだ。セマンよりは劣るだろうけどな」


 暇そうにしていたラヤンが、あくびを我慢しながらムンキンとレブンに告げる。

「どうでもいいけど、もう、この施設の中へ入っちゃ危険だからね。完全に幽霊屋敷になったわ」

 それについてはニヤニヤしながら同意するムンキンだ。

「だな。あまりにも死臭が強いから、どんどんアンデッドが吸い寄せられてきてるぜ。僕のゴーレムによる観測だと、直径100キロの全てのアンデッドが大集結中だ。いったん上陸していたアンデッドも、海に戻ってこっちへ泳いでくる有様だ。大人気だな、オイ」


 レブンも固い笑みを、魚に戻った口元に浮かべている。

「役に立てて嬉しいよ。アンデッドといっても、低級ゾンビやスケルトンにゴーストばかりだからね。腐敗した体や白骨体なので、上陸後は自力で歩行するのが大変なんだよ。しかも、この辺りはタコノキとヤシが茂る浜辺を除いてマングローブの密林地帯だから、木の根や枝に引っかかって動けなくなる。大地の精霊にも捕まりやすくなるし。アンデッド群がいったん海に戻って、浜辺のあるこちらへ向かうのは予想できる流れだよ」

 そして、足元の将校避暑施設に視線を落とした。

「野良ゴーストがかなり集まっているね。大地の縛りを上回る死霊術場の濃度になってるのか。確かに、魔法適性がない人が館内に入ると、精神異常を起こすかもね」


 ラヤンが今度は難しい表情になった。

「ここまでの濃度になると、法術で〔浄化〕するのは危険かな。爆発が起きるから、施設への損傷が大変なことになりかねないわね」

 法術と死霊術は相反する魔法場なので、衝突すると激烈な反応を起こして爆発を起こしたりするのだ。レブンもラヤンに同意する。

「そうですね、ラヤン先輩。館内の大まかな〔浄化〕は僕が死霊術を使って行います。それでも残りカスのような死霊術場や残留思念が残るので、その〔浄化〕をお願いします」


 そして、今度はカチップ管理人に顔を向ける。

「カチップさん。上空に部隊を避難させて下さい。屋上とはいえ、この濃度では隊員の中には精神障害を起こす人が出る恐れがあります。〔浮遊〕魔術を封入した魔法具があるはずですよね。生命の精霊場が強い、施設周辺の森の上空へ避難することを勧めます」

 素直に了解するカチップ管理人である。よほど死臭が強いのか、すぐに森の上空へ散開する指令を下した。


 森の木々の上には、いつの間にか現地の住人であるキジムナー族の姿がいくつも見られるようになっていた。

 〔防御障壁〕が機能していて安全だと思ったのだろう、すっかり対岸の火事見物の状態だ。その無遠慮に「キャッキャ」と騒いでいるキジムナー族に、カチップ管理人が現地語で何か怒っている。


 ムンキンが張っている高さ10メートルの光の壁を越えて、海から浜辺に落ちてくるアンデッドはまだまだ多い。そのため迎撃部隊は、それらへの攻撃を続けながらの移動になっていた。

 それでも攻撃が滞りなく続けられているのは、さすがと言ったところだろう。軍と警察の部隊間の連携は全くとれていないので、同じゾンビやスケルトンに複数の攻撃が重なっているが。


 その音も光もない殲滅戦と、大量に舞い上がってくる灰を、施設の屋上から見下ろすムンキンである。

「うげ……灰だらけになってきたなあ」

 彼の手元に、小さな〔空中ディスプレー〕画面が生じた。何か報告が上がったようだ。その情報を見て、不敵な笑みを口元に浮かべる。

「見つけたぜ。〔ステルス障壁〕で隠れてたようだが、僕のゴーレムの目からは逃れられないぞ」

 大きめの画面にしてから、詳細情報がウィザード語であっという間に表示された。それを見たムンキンの目が再びキラリと光る。

「〔オプション玉〕だな。座標を特定したぞ。術者本人は、ここにはいないか……」


 〔オプション玉〕とは、主にソーサラー魔術の1つだ。精霊魔法やウィザード魔法でも同様の魔法はあるが、機能面ではソーサラー魔術版が最も優れている。自身の魔力のみで起動するために、魔法場サーバーや、周辺の精霊場の状態に依存しないからである。

 基本的には、術者が指定した魔術を〔オプション玉〕に読み込ませて、自律行動で魔術を行使させることになる。

 ゴーストに似たような実体のない存在なので、魔法適性がないと〔察知〕することは困難だ。

 しかし適性さえあれば、普通の魔法使いの誰でも〔察知〕できるような、ごく一般的な魔法場である。もちろん、リーパットのような出来の悪い魔法使いには、〔察知〕できないことが多々あるが。


 ここに展開している軍や警察部隊員も、ゴーグル型の魔法具を装備して多少は訓練をしている。そのおかげで、ムンキンからの観測情報の共有化で、今しがた〔察知〕できるようになったようだ。

 それはカチップ管理人も同様のようで、案の定驚いている。

「こ、これは……この鬼火のような発光体が、その、〔オプション玉〕というものですか。初めて見ました」


 ムンキンが〔オプション玉〕の術式を〔解読〕し始めた。〔側溝攻撃〕を使用しているのだろう。その表情が、徐々に険しくなっていく。

「こりゃあ、大した術式だな。普通は1つか2つの術式しか組み込まれていないものだけど、コイツには3つ以上ある。相当に高名な魔法使いじゃねえか? 〔ステルス障壁〕と、隠遁魔術、水の精霊魔法による津波、それにアンデッドの現場指揮……他にもありそうだが、ざっと調べただけでも、これだけある」


 レブンが焦った表情になり、ムンキンの隣で腕組みをしている。

「参ったな……僕より優秀じゃないか」

 ムンキンが不敵な笑みをレブンに向けた。

「そんなの、いつもの事だろ。じゃあ、早速破壊するか!」


 〔オプション玉〕の魔法構成から、大地の精霊魔法が効果的だろうという結論に至り、すぐに術式を展開し始めるレブンとムンキンだ。

 ラヤンは使えないので法術を放つことになった。軍と警察の迎撃部隊には、これまで通りに砂浜に落ちてくるアンデッドの殲滅作業をお願いする。すでに灰にした数は300に達しようとしていた。


 カチップ管理人が手元の〔空中ディスプレー〕画面を操作して、魔法具の魔力カートリッジの補給を次々に指示している。

「大丈夫ですよ。弾にはまだ余裕があります。想定では敵の数を2000にしていましたからね」


 カチップの元気な声を聞いて、微笑みながらも肩を少しすくめるレブンとムンキン、ラヤンであった。彼らの故郷に配備されている同様の魔法具の魔力カートリッジは、せいぜい1000体ほどのアンデッドに対抗する数量しかなかった。

 まあ、今さら文句を言っても仕方がないので、海中に潜んでいる〔オプション玉〕に集中することにする。


 レブンのアンコウ型シャドウと、ムンキンの紙製のゴーレム、ラヤンの紙製の〔式神〕を分散して配置して、敵〔オプション玉〕の正確な位置座標を測量する。

 作業はすぐに終了して、3人の手元の〔空中ディスプレー〕画面に〔ロックオン〕完了のシグナルが表示された。同時にカウントダウンが開始されて、ゼロになる。

 3人が無言で攻撃魔法を放った。ジャディであれば、何か叫んだだろう。


 3人が立っている砂浜の足元の砂から、40本もの石製の矢が飛び出してきた。それらがムンキンが展開している高さ10メートルの〔防御障壁〕に突き刺さって貫通し、海中に突き進んでからは高速魚雷のような勢いで敵目標へ進んでいく。

 音速を突破しているようで、衝撃波が海水を沸騰させて、爆発気味の白い泡を大量に矢の後方に発生させている。爆音はさすがに海中なので、将校施設の屋上までは届いてこない。

 ラヤンは法術を光線状にして放っていた。海中でも減衰しにくい波長の光に乗せているようで、可視光線ではないために目には見えない。


 2秒後。入江の中央付近の海が真っ白に泡だって、大爆発を起こした。さすがに衝撃波と爆音、それに閃光が起きて、将校避暑施設や、ヤシが目立つ熱帯林をビリビリと揺らす。もうかなり夕暮れになってきているので、将校施設の外壁やヤシの葉が閃光を浴びてキラキラと輝いた。

 火事場見物をしていたキジムナー族が、慌てて森の奥へ逃げていく。


 爆音と閃光が収まると同時に、うじゃうじゃと集まってきていたゾンビやスケルトンといったアンデッドの動きが停止した。何かの人形のようにも見える。


 観測情報が更新されて、ムンキンが満足そうにうなずく。

「よし。破壊できたな。これで津波も収まるだろ」

 彼の言う通り、海水の壁が急速に低くなってきた。その水位の急激な低下現象を〔防御障壁〕越しに見ながら、ムンキンが尻尾で屋上を数回叩く。

「さすが水の精霊魔法だな。こんな変な津波攻撃とかできるのか。術式は〔記録〕したから、後で習得するか」


 レブンは海面や海中に漂っているゾンビやスケルトンの大群に、シャドウを飛ばして回っていた。

「せっかくだから、このアンデッドたちを僕の支配下にするよ。あー……やっぱり作戦終了後は本拠地へ戻るように行動術式が組まれているね。じゃあ、これもせっかくだから使わせてもらうかな。それで構いませんか? カチップさん」


 カチップ管理人がすぐに警察と軍の偉い人に画面を通じて相談する。すぐに許可が下りたようだ。にっこりと笑ってレブンに答えた。

「構わないという事です。何体ほどレブン君の支配下に置くつもりですか?」

 レブンが早速シャドウを飛ばして、海中に転がっているアンデッドを数えていく。

「そうですね……破壊を免れたアンデッドは200体ほどかな。100体をそのまま本拠地へ帰還させましょう。残る100体は、この入り江の海底に残しておきます」


 100かあ……

 微妙な表情をしているカチップ管理人に、レブンが解説した。

「この入り江は、まだ死霊術場が強いんですよ。放置しておくと、またアンデッドが集まってくるかもしれません。それらを退治するように、行動術式を書き換えておきました。〔ステルス障壁〕を装備させましたから、一般の海水浴客が遊泳しても姿を見ることはありませんよ」


 少し安堵したカチップ管理人が、「そう言えば……」と鼻をクンクンする。

「死臭が消え失せていますね。これならば、海水浴を解禁できそうです」

 レブンがラヤンのジト目視線を気にしながら、遠慮がちに説明を加える。

「ええと……ですね。僕が支配下に置いた100体のアンデッドが、死霊術場と残留思念を吸収しているんですよ。明日には、普通の魚も入り江に入ることができる状況になると思います。外から侵入してくるアンデッドは、彼らが捕まえてバラバラにして外海に捨てて、太陽光に当てて灰にします」


「ふむふむ」と理解しようと努めているカチップ管理人に微笑んでから、ジト目になっているラヤンに顔を向けた。

「すいません、ラヤン先輩。法術使いの方にとっては不快な処置ですよね」

 ラヤンが紺色のジト目のままで答える。

「そうね。でも、海中のアンデッドの〔浄化〕って法術では難しいのよ。法術って信者の信仰心を魔力源に使うでしょ。魚族や人魚族の信者って少ないから。悔しいけど、現状では死霊術に頼る方が効率的だと私も思うわよ。残念だけど」


「へえ、そうなんですか……」と素直に聞いているレブンに、今度は微笑むラヤンである。

「今回の事件で、私もこれまで以上に死霊術や残留思念が〔察知〕し易くなったわ。その点は来て良かったと言えるわね。ミンタにいつまでもドヤ顔されたままじゃ、上級生の面子が立たないのよ」

 今度はムンキンが不満そうな表情になるが、彼に構わずにレブンに話しかける。

「暇だったから、この施設の中に充満している死霊術場や残留思念群を、まとめて〔浄化〕する術式を組んでおいたわよ。今夜深夜2時過ぎに最大濃度になるという話だから、その1時間後の深夜3時に起動するようにしてあげたわ。感謝しなさい」


 今度はレブンが慌てた表情になって、魚の口になりながらラヤンに謝った。

「す、すいません、ラヤン先輩。せっかくの法術ですが、しばらくの間、延期して下さいませんか?」

「あ?」と、怪訝な表情になるラヤンに、レブンが重ねて謝る。

「法術は確かに死霊術場や残留思念の〔浄化〕に効果的です。ですけど、効果的過ぎるんです。激烈な反応が起きて、爆発を引き起こしかねません。この将校施設が損壊する恐れがあります。僕が先に死霊術で対処する手順ですが、魔力を使いすぎてしまって……すいません」


 確かに今は、施設内に充満している分だけでも相当な濃度に達している。可燃性のガスに火をつけるような事になりかねない。ムンキンが濃藍色の目を閉じて、数回尻尾で屋上の床を叩きながら腕組みした。

「……かもな。何せ、直径100キロに散らばっているゾンビやスケルトンが吸い寄せられるほどの代物だ。法術をぶっ放したら、大爆発が起きる可能性は高いな。レブン、ちょっと魔法をかけ過ぎたな」


 反省して頭をかいているレブンの横で、ラヤンが改めて演算をし直す。彼女は法術専門クラスでは、中の上程度の成績なので、少し演算に手間取っているようだ。

 それでも15秒後には演算の結果が、彼女の手元の〔空中ディスプレー〕画面にウィザード語で表示された。尻尾が4ビートで屋上の床に叩きつけられる。

「うぐぐ……そのようね。カチップさんが見ていなけりゃ、『敵の攻撃のせい』だって誤魔化せたんだけどな。軍と警察まで見ているし、延期した方が良さそうね。残念」

 レブンとムンキンがツッコミを入れてきたが、無視して話を続ける。

「それじゃあ館内の掃除は当初の予定通り、レブン君の魔力が回復してから再開しましょう。私は、〔浄化〕後の残りカスを掃除するか。あ。館の周辺も〔浄化〕してあげるわね。私が仕掛けた術式の効果範囲を、館の外にずらせば良いだけだから」


 どうしても法術を炸裂させたい様子のラヤンである。レブンとムンキンが顔を見合わせて苦笑した。

「はい、分かりました、ラヤン先輩。その作戦で行きましょう。それじゃあ、僕のシャドウを呼び寄せて早速、館内の〔浄化〕の段取りを考え始めま……げ」


 つい先ほどまで敵の〔オプション玉〕があった海中から、〔マジックミサイル〕のような何かが10発余り、一斉に放たれた。すぐに海上に飛び出して、レブンたちがいる将校施設へ一直線に飛んでくる。

 ムンキンが苦虫を噛み潰したような険しい表情になった。

「ち! 影〔分身〕がまだ残ってたのかよっ」


 即座に〔防御障壁〕を新たに展開して、施設上空を防御する。同時に、紙製のゴーレムに命じて影〔分身〕への攻撃を開始した。しかし、敵の〔マジックミサイル〕様の攻撃魔法は、ムンキンの〔防御障壁〕を貫通して飛んでくる。

「げ!?」


 青ざめるムンキンの隣で、レブンが闇と風の精霊魔法を組み合わせた迎撃魔法を放った。〔闇玉〕では射出速度が遅すぎて間に合わないため、風の精霊魔法で包んで弾丸にしている。

 これは効果があったようだ。大爆発が次々に将校避暑施設の上空で起こる。火球の大きさは、それぞれが数メートルはある。敵の攻撃術式を〔解析〕していたレブンが冷や汗をかいて叫んだ。

「何てことだ、これは法術だよっ! 皆、大至急、施設から離脱してっ。爆発に巻き込まれる!」


 ラヤンがムンキンとレブンをソーサラー魔術の〔加速〕魔術で、2人を上空高くへ吹き飛ばす。自身は〔防御障壁〕を展開しつつ、2人のさらに上空に〔テレポート〕した。森の上空に浮かんでいるカチップ管理人と軍や警察部隊にも〔指向性会話〕魔法で叫ぶ。

「魔法具の〔防御障壁〕を対『法術』に切り替えなさい!」


 カチップ管理人が狼狽した顔で答えた。彼も手足をバタバタさせながら、森の上空を飛んで逃げている最中だ。

「そ、そのようなスイッチはありませんよ! ラヤンさんっ」

 まあ、確かに『敵が法術使い』という想定は、普通はしていないものだ。


「しまった!」

 レブンが叫ぶと同時に、迎撃網をすり抜けた敵法術ミサイルが、将校避暑施設の窓ガラスを派手に割って内部へ侵入した。たちまち、館内から閃光が噴き出す。

 次の瞬間。衝撃波と共に、2階建ての将校避暑施設が大爆発を起こして粉々になった。赤レンガ造りだったので、大量のレンガの破片が飛び散っていく。


 爆風と衝撃波に吹き飛ばされていくカチップ管理人と軍や警察部隊の100名。さすがに〔浮遊〕することもできなくなって、次々にヤシとタコノキが目立つ熱帯の森の中へ落下して……姿が見えなくなった。


 爆発の規模は、かなり大きかった。レンガ片を中心にした破片が、大量に遠方の森へも降り注いでいく。しかし、それらの破片は森の中へは落下せずに、空中でクルクル回っていた。森の妖精の魔法だろう。(パリーが行った魔法と同じだ)と直感するムンキンである。

 破片は森の上空でクルクル回りながら、草や虫の塊に変化していった。〔妖精化〕である。そして〔妖精化〕が済んだ破片は、順次、森の中へ落下していった。森の一部として同化していくのだろう。



 爆炎と煙それに土埃の煙が収まるにつれて、視界が回復してきた。レブンが深緑色の瞳を濁らせてガックリと肩を落とす。ケガはしていない様子だ。

「吹き飛んでしまったかあ……」


 将校施設は跡形もなく破壊されていた。基礎しか残っていない。一方で、隣接する将校家族の集合住宅や商店街には、これといった被害は出ていない。ラヤンが大きなため息をつきながら、レブンの隣まで上空から降りてきた。

「ふう。とっさに対法術の〔防御障壁〕を張ったのよ。何とか、他の建物には被害は出なかったわね。法力場サーバーが稼働していて助かったわ」


 ムンキンが対津波の〔防御障壁〕を解除しながら、空中を〔浮遊〕してやって来た。

「助かったぜ、ラヤン先輩。さすがの俺でも、さらにもう1枚の〔防御障壁〕を展開するのは無理だ。カチップさんには悪いが、施設1つの全壊消失で我慢してもらうしかないな」


 そして、落ち込んでいるレブンの肩を≪バン≫と叩く。

「影〔分身〕も俺が破壊したし、これでもう安全だ。〔オプション玉〕があった位置から全く動いていなかったからな。ま、影だから自力で動けないのは当然なんだが。本体の〔オプション玉〕が消えたから、放置しておいても、そのうち消滅するんだけど……まあ、破壊するに越したことはないからな。カチップさんも、何とか施設管理人の仕事を首にならずに済んで良かった。って思っておけよ、レブン」


 レブンが顔を上げて力なく微笑んだ。

「……そうだね。敵はアンデッドだと油断していたよ。精霊魔法や、ソーサラー魔術、それに法術まで使ってくる敵だとは予想していなかった。何とか勝てたけれど、作戦目的としては失敗だよ。これで事実上、魔法学校の生徒たちがここへ避難することは難しくなった。収容場所の将校施設が無くなってしまったからね」


 ラヤンがムンキンに続いて、≪バン≫とレブンの背中を叩く。

「欲張り過ぎよ、レブン君。私たちは学生で、戦闘の訓練を積んでいない素人なの。普通は失敗して当たり前なのよ。軍や警察の偉い人が全員ここへ来ずに森の奥へ引きこもっていることからして、元々、この施設を守る意思なんかないわ。アンデッドに施設を占領させて、後で施設ごと焼き払うつもりだったんでしょ。そのための人魚族のカチップ管理人なんだろうし。責任を全て彼に被せて首にする、みたいな。私たちのおかげで施設のほとんどが無事だったんだから、誇っていいのよ」


 軍と警察の部隊はヤシとタコノキが目立つ熱帯の森から次々に浜辺へ出てきて、点呼をとっている。見たところ、ケガ人は出ていない様子だ。

 一方のカチップ管理人はボロボロである。手足も折れているようで、ラヤンが杖を振りながら上空から遠隔治療で骨折を〔治療〕している。それでもまだ、将校避暑施設が1つ消滅してしまった事実に茫然として、砂浜に倒れたままだ。


 全体連絡の通信が入った。森の奥に避難している軍と警察のボスからであった。それによると、作戦はこれで終了、部隊の撤収が命じられた。放心状態のカチップ管理人には、指揮権の返還と通常業務への復帰が命じられて、それっきり通信が終了した。


 ムンキンがジト目になって尻尾を空中で振り回す。

「俺たちには一言もなしかよ。まったく、これだから帝国はっ」

 ラヤンも同じような表情であったが、周辺の状況を観測する〔式神〕からの定時連絡が入ったので、その情報を〔解析〕する。

「法術が炸裂したから、この辺り一帯は生命の精霊場の濃度が強くなったわね。もう、死霊術場や残留思念が引き寄せられることはないわよ。アンデッドも集まらなくなるでしょうね」

 確かに、死臭はすっかり消えて感じられなくなっていた。今はむしろ清浄な空気に満ち溢れている。


 レブンもシャドウからの観測データを解析して、ラヤンに同意する。

「そうですね。まだ森の中からやってくる死霊術場と残留思念は残っていますが、明日には完全に悪臭騒動が収まると思います。ここは、とりあえず一件落着ですね」

 そして、一息ついてからムンキンに質問してみる。

「術者の正体だけど、僕は学校から逃走した大ダコだと思う。ムンキン君はどう思う?」


 ムンキンがあっけなく同意した。

「そいつしか居ないだろ。洪水騒ぎの時に海へ〔テレポート〕させてしまったのが悔やまれるな。まさか、ここまで魔法を使いこなせるようになるとは思わなかったよ」

 そして、まだ砂浜に座り込んでいるカチップ管理人のそばへ、レブンとラヤンを連れていき、簡単に説明を始めた。


 ウィザード魔法招造術の授業で使用していたタコが、学校校舎で起きた洪水事故で海へ〔テレポート〕されて排出処理されたこと。そのタコには、招造術によって神経組織の改編と、魔法回路が施されていたこと。

「それだけじゃ普通は、ここまでの魔法使いには成長しないものなんだけどな。才能があった個体だったか、それとも、誰かがさらに手を加えたか。とにかく、現状では僕たちと同様に、多種類の魔法を使いこなせるまでに至っている」


 カチップ管理人がようやく立ち上がって、ムンキンに質問してきた。彼の手元には多数の〔空中ディスプレー〕が発生していて、指示を請うている状況だが、今は完全に無視している。

「タコですか。確かに、野生種でも魔法適性を有する個体は時々見かけますね。主に水の精霊魔法ですが。それでも、我々人魚族や魚族よりも魔法適性は弱いですよ。とてもこのような魔法を行使できるとは考えにくいのですが」


 ムンキンが微妙な表情で肩を軽くすくめる。

「文句は、とりあえず招造術のスカル・ナジス先生に言ってくれ。彼の失敗が発端であることに、違いはないし」

「それに……」とムンキンが、タコの特性について少し補足説明をした。


 タコには多数の脳とも呼べる神経塊が体中に分散して存在している。この点だけでも、魚族や人魚族とも異なる。神経組織の強化魔法は、その分散している脳を活性化させる働きを持つ。

 ちなみに、クラーケン族はイカからの進化で誕生しているので、タコと似たような特徴を有している。そのために海賊として暴れると脅威になりうるのだが、基本的に水の精霊魔法だけを使う。それを考えると、タコ単体でここまでの多種多様な魔法を使いこなすのは異常だ。


「結果として、複数名の人が同一の体に存在するような状況になったのかもな。例えば、足1本に1つの脳組織があれば、足1本が1人の魔法使いと同じ働きをすることになる。足8本で脳8個だったら、魔法使い8人分だ。足ごとに一系統の魔法を担当すれば、多種類の魔法を使いこなせるという理屈も分かる。まあ、あくまでも僕の想像だけどな」


 実際に、魔法使いが同時に多種類の魔法を行使する場合、似たような手段をとることが多い。

 今回、ムンキンが使用した紙製のゴーレムも、『外部脳』と捉えることができる。〔オプション玉〕や影〔分身〕、狼バンパイアが使用していた〔唱える者ども〕等も同様だ。ヒドラの場合と似たような感じだろうか。


 初めて聞く話なのか、少々混乱気味のカチップ管理人である。

 しかし教養はしっかりしているので、理解も早いようだ。ボサボサ状態になっていた灰紫色の癖が強い長髪を束ねて、作業服に付いた土埃や煤を払い落としながら、聞いた情報を整理している。次第に、焦げ茶色の瞳にも生気が戻り始めてきたようだ。

「……そうなのですか。奥深いものですね、魔法と言うのは。被害請求は、そうですねえ……軍の上層部の判断に従う事になるでしょうね」


 軍と警察部隊が装備の最終確認をようやく終えたようだ。一礼をして、森の中へ駆け足で戻っていった。相変わらず、足音や物音が派手に聞こえる移動方法だ。


 それぞれの隊長に一礼を返して、カチップ管理人がムンキンに再び顔を向ける。先程から鳴りっぱなしの彼の〔空中ディスプレー〕は、相変わらず無視したままだ。

「しかし、どうも悔しいですね。犯人のタコに一矢報いることができれば良いのですが。海中のどこに潜んでいるか分かりませんよね」


 レブンが珍しくウインクをした。夕暮れの赤い光で包まれる浜辺では、彼の明るい深緑色の瞳がよく映える。

「多分、できると思いますよ」

 そう言ってレブンが、やや大きめの〔空中ディスプレー〕画面を発生させた。ちょうどカチップ管理人やムンキンにも見えるサイズだ。


「先程、僕の支配下に置いたアンデッドを100体ほど、敵の本拠地へ帰還させました。あ。この入り江の警備用には、別に100体ほど残していますので、ご心配なく。軍や警察の部隊よりは、頼りになると思います」

 何気ない口調で、サラッと毒を吐くレブンである。カチップ管理人も特に何も言わないので、そのままレブンが話を続ける。

「帰還させたアンデッドですが、僕の方で各種観測用と自爆用の術式を起動させています。恐らく敵の正体は大ダコでしょうが、実際に観測してみないと確定できませんからね。残念ながらアンデッドが有している魔力量が小さいので、複雑な魔法は使えません。ですが、座標の観測と、僕たちへの通信報告でしたら問題なくできるはずです」


 ここまで話したレブンが、セマン顔のままで補足説明をつける。

「あ……ええと、自爆術式はかなり強力にしてあります。100体全部が一斉に自爆すれば、携帯型の核爆弾程度の威力は出せると思いますよ」

 セマン顔のままでシレッと過激な発言をするレブンである。全ての情報を、軍と警察それにカチップ管理人に渡して共有化する。

 レブンが支配下に置いたアンデッド群への『行動命令権』も、さっさと渡す。死霊術での命令なので、その魔法適性がない者には扱いが難しいのだが……ここは手順というものなのだろう。


 それを知ってか、カチップ管理人がレブンから情報と命令権を受け取って、真面目な表情で礼を述べる。

「実際のアンデッドの操作は、やはりレブン君にお願いすることになると思いますよ。私が命令しても、アンデッドが制御不能の暴走状態に陥ることはないでしょうが……命令しても動かない恐れは充分にありますので」

 レブンが微笑んで答える。

「その点は問題ありませんよ。死霊術が使えない人でも、命令できるように術式を調整してあります。繊細な命令は無理ですが、『私たちを守れ』とか、『侵入者を排除しろ』とか、『荷運び』等の簡単な作業でしたら大丈夫です。もちろん僕を呼びつけても構いませんので、どちらか都合のよい方法でアンデッドを〔操作〕してみて下さい」


 命令項目の確認をカチップ管理人が、自身の手元に出した小さめの〔空中ディスプレー〕画面で試しに〔操作〕を行う。すぐに納得したようだ。まだ固い笑みながらも、うなずいた。

「了解しました。緊急事態に陥った際には、レブン君たちをまた呼ぶことになると思いますが……それ以外の作業では、これで何とかなりそうですね。やってみます。軍と警察にも伝えておきます。実際の運用は彼らになるでしょうからね」


 ようやく肩の荷が降りたような表情になったレブンである。その肩をムンキンがニヤニヤしながら≪バン≫と叩いた。

「よし、それじゃあ、俺たちも学校へ戻るか。そろそろ夕食の時間だぜ」




【寄宿舎】

 学校へ〔テレポート〕で戻ると、寄宿舎の地下にある学生食堂でジャディとミンタ、ペルに再会した。

 今晩の学食メニューは、クロワッサンとコーンスープにサラダ、それにマスの唐揚げと骨付き鶏肉の煮込みだった。育ち盛りの学生が多いので、食事にはかなり注意を払っているようだ。さらに熱帯果物ジュースや紅茶コーヒーがつく。


 ムンキンが食堂で食事の注文を済ませて、辺りをキョロキョロ見回してから満足そうに笑う。

「今日もリーパット党は見かけないな。静かで良い」

 隣で食事を終えたムンキン党のバングナン・テパが、同じようにニヤニヤしながら答えた。彼は狐族なので両耳と尻尾をパサパサ振って、口元のヒゲをピコピコ動かしている。

「帝国上層部が、このところの騒ぎで混乱しているからな。忙しいんだろうさ。学校で勉強する時間も惜しいんだろ」


 ムンキンが軽く濃藍色の目を閉じて肩をすくめている。

 確かに、リーパット党のうるさい面々の姿が1人も見当たらない。コントーニャだけは堂々と食事を食べていて、仲間の幻導術専門クラスの生徒と談笑しているが。

 そのコントーニャが、にこやかな笑顔でムンキンに手を振ってきたのを無視して、リーパット党がいつも占拠しているテーブルに視線を向けた。本当に1人もいない。

「勤勉な奴だな、まったく。その努力を少しくらいは魔法勉強に向けろってんだ」


 ケラケラ笑って、バングナンがムンキン党員数名を引き連れて一斉に席を立った。そのまま、食べ終えた食器をカウンターに戻しにいく。

 その肩越しに振り向いたバングナンが、鼻先のヒゲをピコピコ動かしながらムンキンに告げた。狐の尻尾も愉快そうにパサパサ動いている。

「将校避暑施設での活躍は大よそ聞いたぜ。さすがムンキンだな。俺たちも、これから故郷へいったん戻ることにするよ。明日の朝までには学校へ戻る。じゃあな」

「おう」と挨拶を返すムンキンである。


 隣では、レブンがアンデッド教徒の生徒たちから何やら情報を得ていた。

 彼らも食事を終えたようで、スロコックを先頭にして寄宿舎のロビーへ向かっていく。アンデッド教徒はムンキン党と違って、かなり物静かだ。ただ、真っ黒いフード付きローブを頭から被っているので、怪しすぎるが。

 一般生徒たちも、その真っ黒い異様な姿にドン引きして道を譲っている。


 スロコックを始めとしたアンデッド教徒7人も、自身のゴーストを1体ずつ所有できたようである。

 小さくて可愛い半透明の子狐や子トカゲ、それに小魚型のゴーストが、それぞれの主人の頭の上をふわふわと飛んで回っている。まだこの程度のゴーストでは索敵や攻撃には向かないのだが、ペットとしては充分だろう。


 彼らを見送って振り返ったレブンが、得た情報をムンキンとラヤンに伝えた。

「帝国の沿岸部に集結しつつあったアンデッド群だけど、今晩の深夜2時を待たずに排除無力化できそうだね。今までの所では、帝国軍や警察、魚族や竜族の自治軍や自警団での死者は出ていないようだ。ケガ人は結構出ているみたいだけどね。まあ、咬まれたら感染して〔アンデッド化〕するバンパイアが相手ではないから、大丈夫だと思う」

 レブンの口調がどこかヨソヨソしくなっていく。

「それと……やはり紫外線照射のソーサラー魔法具が効果的だったみたいだね。配備がもっと充実していれば、ケガ人も少なくできたと思うけど、まあ、これは仕方がないのかな」


 ムンキンとラヤンがそれぞれの手元に発生させた小さな〔空中ディスプレー〕画面で、レブンから送られた情報を確認する。

「アンデッドの群れ相手に死者ゼロってだけで、充分な戦果だろ。レブン」

 ムンキンの感想にラヤンも同意した。2人揃って尻尾の床叩きの4ビートが同調している。

「そうね。法術の方は退魔法具の配備が遅れているそうだから、助かったわ」


 退魔法具は、基本的に信者が使用できるような仕様になっている魔法具が多い。タカパ帝国では、まだまだ信者数が少ない。そのため信者以外の一般人向けには、仕様の変更措置を別途行う必要がある。恐らくは今頃、法術のマルマー先生が変更措置を施している最中なのだろう。


 ミンタとペル、それに得意気な表情のジャディに、レブンが将校施設での一部始終を情報として渡した。

 ミンタが両耳をパタパタさせて、それらの情報を斜め読みして読みこむ。さすがに学校トップの成績だけあって迅速だ。

「へえ。レブン君にしては上出来ね」

 相変わらずの上から目線と評価である。レブンもさすがにもう慣れてしまったようで、特に何も言わない。


 ミンタがレブンの得た情報の誤字脱字の校正、演算ミスの修正までしてから、今度はラヤンに質問した。

「ラヤン先輩。この法術の使用履歴だけど、結構な法力量になってるわね。タカパ帝国には、まだ信者数なんて微々たるものでしょ? どこから、これだけの法力を融通してるのよ」

 ペルとレブン、それにムンキンもこの指摘を聞いて初めて、ラヤンが行使した法術の法力エネルギー量の大きさに気がついた。ラヤンは理由を知っているようで、ドヤ顔になっている。

「信者数は、まだまだ少ないわよ。だからマルマー先生の本国から定期的に法力パックが送られてきて、それで法力の補充を行ってるわね」


 このあたりの話は、特に目新しい情報ではない。ミンタとムンキンの優等生コンビが、露骨にジト目になった。

「その程度の話は、私はすでに知ってるんだけど。そんな説明で私が誤魔化されると思ってるのかしら、ラヤン先輩?」

 ミンタの不満に、ムンキンも同調した。しかし、構わずに話を続けるラヤンである。

「信者数は少ないままだけど、上質の信者ができたのよ。森の妖精のパリー先生が、晴れて真教に入信したのよね。彼女の知り合いの森の妖精も、何人か信者になったわ。それで膨大な法力が得られることになったわけ」


「は!?」という表情に変わるミンタとムンキン。

 ミンタが両耳を不規則にパタパタさせて、顔中の細いヒゲ群を四方八方に向けながら、その明るい栗色の瞳をパチクリさせている。

「ちょ、ちょっと待って……妖精でも法術の信者になれるの!?」


 ラヤンがドヤ顔になって胸を張った。ついでに尻尾でリズム良く床を叩いている。

「人型に変化している状態なら大丈夫みたいよ。イノシシ型とかクラゲ型じゃ無理なようだけど。法術は、人の信仰エネルギーを集合増幅して、神の奇跡の技を模倣するというのが定義だから、とりあえず人の形をしていれば問題ないみたいね。私たちのような獣人だって信者になれるくらいだし」


 ミンタが目を点にしている。

「驚いた……そんなこと私、習っていないわよ。でもまあ、パリーの魔力だったら、納得できるわね」

 ペルがレブンと顔を見合わせた。ペルの薄墨色の瞳が、いつも以上に白くなっている。

「レブン君……ハグさんが法術を使えるって理由は、もしかしてコレかな?」


 レブンも苦笑するしかないという表情で肩をすくめている。

「……かもしれないね。もしくは、ハグさんの生前の職業が法術使いだったのかもしれない。でも、アンデッドでも人型であれば、法術を使える可能性があるのか。どんだけ甘々なんだ法術界隈って」

 と、ここまで言ったレブンがジト目になった。

「……いや、もっと甘々だな。あの大ダコですら足の1本を法術使いにできるくらいだ。もしかすると、タコの足の1本を人間型に変形させただけで、法術が使えるようになるのかも」


 ラヤンがジト目になって、少し不機嫌になっている。

「私はそれほど法術が上手じゃないから、詳しいことはよく知らないけどね。私の担任のマルマー先生を問い詰めれば、分かるかもしれないわ。とりあえず今は、真教本部の最優先事項が『この世界での信者をできるだけ増やす』ということだし。審査がザルになっているのは容易に予想がつくわね。まあ、架空信者とか水増し工作なんかをしていないだけマシなんじゃない?」


 ムンキンがかなり呆れた表情になって、ジト目になった。尻尾で床を叩く気分も失せてしまったようだ。

「……ってことは、この大ダコ騒動の原因の1つは、その法術の『ザル審査』ってことかよ。しかも、さっきの大ダコが送った〔オプション玉〕の法術攻撃は、将校の避暑施設を吹き飛ばす威力だったぞ。そんなの、1信者に回せる法力の割当量をはるかに超えているだろ。もしかして、マルマー先生並みの現地布教責任者の偽装認証までやってるんじゃないのか」


 ラヤンもそれについては概ね同意した。尻尾を軽く何度も床に叩きつけて腕組みをする。

「私もそれを疑ってるのよね……法力の割当量は、これまでの布教実績やアンデッド退治成績に応じて決まるという話を、先生から聞いたことがあるのよ。その実績を偽装したのかも」

 ラヤンの目が急速にきついジト目になっていく。

「海の中だから、マルマー先生や他の法術使いたちも、誰も確認に行けないし。魚族や人魚族の信者数はまだまだ少ないから、その信者に対する法力の割当量も微々たるもので、当てにならないのよね」


「やるな。タコの癖に……」と、少々愉快な気分にすらなるムンキンとミンタである。とりあえず、緩んだ表情を意図的に険しくして、ムンキンがラヤンに告げた。

「それじゃあ、その確認作業はラヤン先輩に任せるよ。僕やミンタさんは法術の専門クラスじゃないからな。クラス内での話も、ラヤン先輩だったらしやすいだろうし」


 了解したラヤンを見てから、ミンタが話を進めた。まだ少し愉快っ気が残っているようで、金色の毛が交じる尻尾の先が機嫌良くピコピコ動いている。巻き毛の量と数もいつもより多目だ。

「とりあえずは大ダコにつながっている法力回線を、法力サーバーから切断削除することね。アンデッドを法術で〔修復〕することはできないけど、大ダコ自身は別だし。今のままじゃ、いくら攻撃しても法術で〔治療〕されてしまうわよ。それは同時に、いくらでも死霊術を使う体力が維持できるということでもあるし」


 レブンが「なるほど」と何か腑に落ちた表情になる。

「そうか。だから大量のアンデッドを作ることができているんだ。僕だったら、せいぜい1000体程度しか作る体力がないから、不思議に感じていたんだ。そうか。じゃあ、僕も法術をもっと頑張ろうかな。無限の体力って魅力的だね」



【海中の敵】

 その後、一緒に夕食をとっていると、レブンの手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面が生じた。

 そこには、学校に駐留している軍の警備隊長と、同じく駐留している警察署長の顔が分割画面で表示されている。2人ともに新任で、前任者とは交代していた。

 その軍の隊長である将校が、緊張した面持ちでレブンに状況を説明し始めた。食事中なのだが、お構いなしだ。

「レブン君。君が支配しているアンデッド群が、敵本拠地に到着したようだ。情報収集を開始してくれ」


 レブンが急いで学食を平らげて、口元を紙ナプキンで拭いてから答える。さすがに魚族だけあって食べるのが迅速だ。

「思ったよりも、将校避暑施設から近い場所に敵の本拠地があったんですね。分かりました。早速調査を命じますね。一応は全自動処理できるように術式を組んであるので、特に僕が命じなくても勝手に調査をして送信してくれますが……僕が監視した方が効率が良いでしょうし」


 レブンが支配しているアンデッド群は、先の将校避暑施設を襲撃してきた連中だ。元は魚族の海賊だったようで、死んでからある程度日数が経過しており相当に体が崩壊して見苦しい姿だ。いくらゾンビでも、肉体が崩壊していてはマトモに動くことはできない。

 そのため、レブンが今かけている死霊術は、スケルトン用の術式をベースとしたものになっている。スケルトンは丈夫ではあるが、精密動作に欠ける上に、情報処理能力もゾンビ以下だ。

 なので、情報収集もごく基本的な座標情報や魔法場情報、大まかな敵の人数情報といった程度に留まる。映像情報も、眼球がまだ残っている個体からしか得られないので、情報量としては少ない。


 それらのアンデッド群の指揮権は、今は軍と警察に渡してある。しかし、死霊術を使いこなせる人材がいないので、レブンに再委託という面倒な形式で委ねられていた。レブンの役割としては、軍と警察からの命令に従ってアンデッド群を操ることになる。


 早速、アンデッド群からの観測情報が生データとして、レブンの手元の〔空中ディスプレー〕画面に洪水のような勢いで流れ込み始めた。先程のシャドウによる観測と比べて、観測者数が100倍多いので、情報量もかなりのものだ。

 それでも、シャドウ1体の性能の方が100体のアンデッド群よりも勝っているので、得られた情報の質はかなり低い。従ってレブンにとっては大した〔解析〕作業でもなさそうだ。すぐにまとめられて、別窓のグラフ欄や魔法場濃度のマップ欄が埋まっていく。


「予想通り、魔法場は水の精霊場ですね。それと死霊術場、通信系統のソーサラー魔術場、大地の精霊場、法力場。それらが乱雑に飛び交っています。魔法場の〔干渉〕も起きていますね。座標は……あ。チューバ先輩の故郷の町か」

 表情が暗くなるレブンとペル、それにムンキンとミンタ。ジャディとラヤンも目を閉じた。軍と警察の人は事務的な表情で淡々と情報処理を行っていて、特に何もコメントしてこない。


 次第に、廃墟と化したチューバの故郷の町の様子が、映像で見えてきた。しかし、腐った眼球経由の映像なので、汚れた濁りガラスを通したようで解像度がかなり悪いが。

(ゾンビの視界というのは、このようなものなんだ)と思う生徒たち。軍の警備隊長と警察署長はそのような知識に乏しいので、ぼんやりとした映像に文句をつぶやいている。


 それでも、ぼんやりしたその映像を見ていくと、海賊との戦闘の跡が、住居の壁や施設の壁に爪痕としてくっきりと刻まれているのが確認できた。半数以上の住居や施設が半壊から全壊になっていて、そこらじゅうに瓦礫が散乱している。住民は1人も見当たらない。

 海底もかなり破壊されているようで、細かい土砂が海中を〔浮遊〕していて視界が悪い。


(多分、ゾンビやスケルトンになっているんだろうな)

 レブンが彼ら住人の冥福を祈る。最初は、普通にクラーケン族の配下になって一緒に海賊行為をしていたのだろうが……今の主人は恐らく大ダコだ。


 調査を続けている海域には、かなりの濃度の死霊術場が充満しているのが数値でもわかる。生きている住民がいれば、ここまで高い濃度に普通はならない。

 雇い主の大ダコとしては、海賊が生きていれば食事や住居などを用意する必要があるのだが、死んでいれば不要だ。アンデッドの体の傷み具合から推測して、使い捨てに近い感覚で大ダコが使っているのだろう。


 そうこうする内に100体ほどのアンデッドのうちの数体が、ボスに呼ばれたようだ。チューバの町の役場跡へ入っていく。ここも半壊して廃墟のようになっている。


「詳細な戦闘記録を接触法で取得するつもりなのでしょうね。質の悪いゾンビなので、遠隔通信で取得すると時間がかかりますから。ボスは、恐らくこの崩れた町役場の中に潜んでいると思います」


 すぐに結果が映像と共に得られた。

 レブンが想定していた通り、瓦礫だらけの役場内に鎮座している大ダコの姿が映し出される。足を除いた胴体の大きさは直径3メートルの楕円形で、すっかり保護色で瓦礫の色に同化している。普通のタコと同じ仕草をして、動きも緩やかだ。

 足は8本あり、どれも長さは10メートルほどもある巨大なものだった。そのうちの1本が人間の姿をかなり正確に模していることに、すぐに気がつくレブンたちである。


 ペルが残念そうな表情になって大ダコを見つめている。

「……ずいぶんと変わっちゃったのね。今はもう憎悪と怒りの塊になってる」

 ミンタが軽いジト目になってペルの横に立ち、一緒に画面を見た。

「大地の妖精の怒りや興奮成分を、たらふく吸収しちゃったものね。むしろ発狂状態に陥っていないだけ大したものだわ。人間や私たちとは神経構造が異なるおかげね」


 かなりマシになったとは言え、濁りガラスを通したような映像なのだが……よく観察すると、怒りのせいで全身の筋肉が異常に盛り上がっているのが分かった。大ダコにとっては、大地の妖精の怒り成分やチューバの思念は、筋肉増強剤や興奮剤のような働きをしているのだろう。


 大ダコの魔力分析を手早く終えたレブンが、その情報を〔解析〕しつつ、結果を逐次、軍と警察に送信する。その表情が次第に険しいものに変わってきた。

「……予想以上の魔力量だね。ちょっとした妖精並みになりつつあるよ。そうか、大地の精霊場には〔吸収〕という性質があるから、それで雪だるま式に膨れ上がっているのかな。生物としてのタコの許容量を超えてしまっている。このまま放置すれば時間の経過と共に、更に魔力量が増大して、最終的に自壊することになりそうだね」


 そのレブンの感想を聞いたのか、彼が情報を送信している軍と警察の通信回線が、にわかに不安定になり始めた。

 ムンキンがニヤニヤしながらレブンの背中を軽く叩く。

「あんまり素直な感想を漏らすもんじゃないぞ、レブン」


 レブンの眼前に軍と警察、それに情報部、校長、レブンの故郷の自治軍将軍が、一斉に小窓表示で顔を見せた。皆、かなり慌てている表情だ。

 これまた一斉に全員がレブンに話し始めたので、音声が重なって聞き取り困難になる。ほとんど大きな雑音にも似た喚き声をレブンが冷静にシャットダウンして、校長からの音声だけに調整した。


「とりあえず、窓口を一本化しましょう。僕は魚族で人化しているだけですから、聴覚機能がそれほど良くないんです。すいませんが、シーカ校長先生にそれをお願いできますか?」


 レブンの冷静な声での提案に、校長がすぐに同意する。彼は復旧中の教員宿舎の中に設けられた、臨時の校長室にいるようだ。白毛交じりの両耳を数回パタパタさせて、上毛と口元のヒゲを数本振っている。

「構いませんよ。その方が、連絡網をしては良いでしょうね。質問内容はどこも概ね同じですから、代表して私がレブン君に質問します。時間と共に敵大ダコの魔力量が増大することは、『確定』という認識で構いませんか? 死霊術もそうですが、大地や水の精霊場についても一般人には〔察知〕できません。魔法適性を有する者の判断が重要な判断材料になります」

 後半のくだりは、あえてレブンたちに伝えたのだろう。魔法学校にいると、魔法場は〔察知〕できて当然という雰囲気になりがちだ。


 レブンがこれまた素直にうなずく。横でムンキンがニヤニヤしているのを横目で見ながら、努めて冷静な口調で一気に伝えた。

「分かりました、シーカ校長先生。ええと……まだ観測情報の〔解析〕が完全に終わっていませんが、現状でも70%の確率で確定と言えます。僕の直感としては100%ですけど」

 ちょっとドヤ顔になったレブンが、すぐに普通の表情に戻る。

「取り込んだ大地の精霊場の推定量から計算して、今夜2時過ぎあたりが吸収成長の山ですね。その時の魔力量ですが……津波換算では、帝国の沿岸部の60%ほどに、最大高20から30メートルの魔法の津波で攻撃できる程度です」

 偉い人たちの間から一斉にどよめき声が挙がった。しかし構わずに話を続けるレブン。

「ですが、他の属性の精霊場との〔干渉〕が生じますので、攻撃目標以外では津波の高さは低下するはずです。ほとんどの沿岸部では、実際には数メートル高の津波に収まると思いますよ。〔解析〕が完了すれば、この値も上下すると思いますが……現状ではこんな状況ですね」


 再び、小窓から顔を見せている各省庁の偉い人たちが顔を真っ青や真っ赤にして、一斉に何事かレブンに喚き始めた。やっぱり声が重なっているので全く聞き取れない。再びレブンが音声を遮断して、校長の判断を待つ。


 15秒後。校長がかなりうんざりした表情になって、レブンに話を伝えてきた。(上層部の調整って、かなり面倒なんだな……)と思うレブンたちである。ジャディに至ってはもう寝ている。

「〔解析〕が完了した後の、観測結果と予想の報告を待って検討するということで、とりあえず収まりましたよ、レブン君。もう少し表現を柔らかくしてくれると、こちらとしても助かります」


 レブンがムンキンと軽く目配せしてから、校長に視線を向ける。まだ小窓に映っている偉い人たちは、怒鳴ったり、部下に何か命令を下したりと色々やっている。

 ラヤンが少々呆れた表情になって、ミンタとペルにつぶやく。

「これまでの作戦や準備は上手くいっているんだから、そんなに右往左往しなくても良いのに。仮にも生徒の前でこの醜態はいただけないわね」


 ペルが素直に同意した。尻尾の先がパサパサ動いている。

「そうですよね、ラヤン先輩。アンデッド退治の兵器調達とか、避難場所の選定とか、私から見たら見事な手際なんですけど」

 ミンタがペルの尻尾の動きに自身の尻尾を同調させて、一緒にパサパサし始めた。

「これまでの失敗が大きいのよ。死者もかなり出てしまっているし。これ以上、帝国が混乱するのは避けたいと思うのは当然だと思うわよ」

 そして、意味深な視線をラヤンに送った。

「帝国に不満を抱く組織や都市も多いからね」


 ラヤンが不敵な笑みを返して、尻尾を1回だけ軽く床に叩きつける。

「今回は魚族や竜族が主な被災者になると思うから、今は帝国がどうのこうの言っている余裕はないわよ。津波とアンデッド対策で手一杯ね。一段落ついたら、狐族への風当たりが強くなるとは思うけど」

 そう言ってから、「コホン」と小さく咳払いをして、口元や目元を引き締めるラヤンである。

「でもまあ、先日の帝都での『魔法使いの施設崩壊事件』があったおかげで、結構ガス抜きはできているわよ。私はしていないけれど、あの時、「大地の精霊よくやった」って拍手喝采が起きたとか起きていないとか。そんな不謹慎な連中も私の町には数名ほどいたようね。私はしていないけれど」

 ペルがなぜか2人の間に割って入って、手足をパタパタさせて場の空気を和まそうとしている。


 ムンキンとレブンも肩をすくめて、口元を緩めている。

「僕の町でも似たようなことをしていた連中はいたけどな。レブンの町なんか、特にそうだろ。陸上へ避難までする羽目になってるからな」

「まあね。不満は確かに多く出て……あ、気づかれた」


 観測中のアンデッドが、次々に大ダコが放った水の精霊魔法によって〔溶解〕し始めた。骨も衣服も関係なく一緒に溶けている。

 同時に警報が表示された。ウィザード語の警告文を一目見たレブンが校長に告げる。

「大ダコに〔察知〕されてしまいました。これ以上の観測は不可能ですね。僕の支配下にあるアンデッドを至急撤退させようと思いますが、どうしましょうか。戻しても、置き場所がなければ死臭の問題が起きてしまいます」


 校長が何か言おうとしたが、その声を遮って軍と警察の偉い人が同時に何か喚いた。その意味を数秒ほどかけて何とか聞き取ったレブンが、顔を青くする。

「す、少しお待ちくださいっ! 今ここで自爆させても……っ」


 時すでに遅く、大ダコが映っている〔空中ディスプレー〕画面から真っ白い光が放たれた。同時に、観測が強制終了になって、データの動きが止まる。爆音などは伝わってきていないので、無音声だ。


 新規の観測情報が全て届かなくなったので、〔解析〕処理がすぐに完了した。大ダコの情報についても途中で止まり、いくつかエラー表示が出る。これで完全な観測結果は得られなくなったのだが、それ以上に落胆するレブンである。

「100体全て自爆……か。チューバ先輩の故郷が、さらに破壊されてしまった。すいません」


 ムンキンが水の精霊魔法を使った現場観測を開始する。こちらの情報量はかなり少なく、観測項目もごく単純なものだけだ。ムンキンが観測情報を関係各所にも共有してもらいながら、レブンの肩をポンと叩く。

「大ダコの反応は消失しているな。死んでいたら残留思念なんかが残るはずだけど、それが残っていない。どこかへ逃げ失せたと見て良いだろ」


 その時、ムンキンの手元の〔空中ディスプレー〕画面に、音波ソナーの反応が送られてきた。有効探査半径ギリギリの距離で、逃げていく大きな物体が記されていた。数秒後、その物体はソナー探査域から出てしまい、反応も途絶する。

「……やっぱり逃げていたか。解像度が悪いから大まかな体積しか分からないけど、元の体の半分程度ってところだな。かなりの深手だ。アンデッドの自爆攻撃はそれなりに有効だったかな」


 爆発が起きた海域では、土砂が海中に大量に混じっていて視界ゼロになっている。水の精霊魔法を介して状況を目視確認することも、まだ不可能のようだった。代わりに音波による探査が行われて、大まかな被害状況が分かってきた。

 ムンキンの顔が険しくなり、濃藍色の目を閉じる。

「チューバ先輩の町は、ほぼ瓦礫と化したな。ここに巣食っていたアンデッドは、全てバラバラに分解されたようだ。拠点破壊の作戦としては充分な成果だな」


 小窓画面が次々に閉じられていくのを見守るレブンである。校長も一言二言レブンたちに謝罪を伝えて小窓を閉じた。1つ大きなため息をついたレブンが、ムンキンとラヤン、それにミンタとペルに疲れた笑みを向ける。ジャディはいびきをかいてテーブルに突っ伏して寝ている。

「1体くらい残してくれたら、大ダコの後を追わせることができたんだけどね。大ダコの行方がまた分からなくなった。それと、帝国の近隣諸国で〔アンデッド化〕した魚族住民、50万人の動向もかな。傷が治り次第、大ダコ軍はまた帝国へ攻め込んでくると思う」


 それについては、ミンタはやや楽天的だ。

「軍の情報部に任せれば良いでしょ。私たちのような素人が出しゃばるべきじゃないわよ。大ダコの魔法場とか、アンデッドの状態とか色々分かったし、後は探査用の魔法具を海に展開すれば特に問題ないわよ」

 ラヤンもミンタに同調する。

「そうね。敵の正体が判明したから、法術の術式を最適化することもできるわね。それを軍と警察や自治軍なんかに、使い捨ての法術具にして配布するだろうから、後は戦闘の専門家に任せればいいはずよ。大ダコも深手を負って拠点も失ったから、回復までに時間が稼げるのも大きいわね」


 ムンキンは先に言いたいことを全て言われてしまったので、ジト目になっている。とりあえず≪バン≫とレブンの背中を叩いた。

「そういうことだな。今回の攻撃で大ダコも激怒しただろうし、復讐のためにまた攻撃を仕掛けてくるのは確実だ。僕たちは津波やアンデッド対策をすればいい」


 気を取り直してきたレブンの背中を再び≪バン≫と叩いたムンキンが、少し小声で質問する。

「ゾンビやスケルトンって墓場とかそういう場所に縛られるって聞いていたんだが、海中じゃ違うのか?」

 レブンがうなずく。

「うん。海中って光の精霊場が陸上よりも弱いんだよ。今の海中では魚の群れが逃げ去っていて、生命の精霊場も弱まってるし。死霊術が相対的に効きやすい環境なんだ。それにほら、見かけの体重も水中だと軽くなるでしょ。大地に捕まりにくい状況になっているんだよ」


 ムンキンとラヤン、それにミンタまでも呆れたような顔をしている。ジト目になったムンキンが腕組みした。

「そんな裏設定アリなのかよ。なるほどな。レブンがずっと深刻そうな雰囲気を出していたから、不思議に感じていたんだけど……そういうことか」


 レブンが場の空気を読んで微笑んだ。声の調子も良くなる。

「死霊術は面倒だからね。洞窟の中や、鬱蒼とした深い森なんかも同じような環境だから、空中を〔浮遊〕できる野良ゴーストであれば比較的自由に動く事ができるんだ。とにかく、色々と対策を練っておくに越したことはないよね。とりあえず一段落ついたから、ここでお茶でもしようよ。ジャディ君の武勇伝も詳しく聞きたいし。

 途端にジャディが突っ伏していたテーブルから跳ね起きた。たぬき寝入りだったようだ。

「おう! どんどん聞いてくれ!」


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