84話
【試験の朝】
翌日の朝になった。寄宿舎地下の学生食堂で生徒たちが、いつものように朝食をとっている。
レブンやムンキン、それにラヤンもいったん故郷から学校へ戻ってきていた。ペルとミンタ、それに珍しくジャディも一緒に朝食をとっている。ジャディは、もう既に戦闘態勢万全の様子だ。
普段のジャディであればツナギ作業服を着ているのだが、今朝は紺色のブレザー制服を着ている。黒紺色の半ズボンに、白い長袖シャツをブレザー制服の下に着て、しっかりと濃紺色の細いネクタイまで締めている。どう見ても、借りてきた猫みたいな印象だ。
ムンキンがニヤニヤしながら、ジャディのブレザー制服の肩を≪バン≫と叩く。羽毛布団を叩いたような音がした。
「気合を入れ込み過ぎだ。試験は放課後だろ。っていうか、オマエのネクタイ姿なんて初めて見たぞ。持ってたのかよ」
ジャディがパンを一飲みにしながら、凶悪な琥珀色の瞳で睨みつける。怒っているわけではないのだが。
「う、うるせえな。オレ様にとっては晴れ舞台だ。一張羅を着るのは当然だろ。これでも抑えているんだぜ。いつもなら、この食堂をぶっ壊し回っているところだ」
ミンタがジト目になってスープを一口飲む。今朝はウリと肉団子のスープだった。
「そんな事したら、試験前に私が直々に再起不能にするわよ。このバカ鳥」
「なにをおお!」と反論してくるジャディを抑えたレブンが、話題を変えた。
「まあでも、故郷の避難が順調に進んで良かったよ。おかげで暇になって、ここで朝食がとれる」
それにはムンキンとラヤンも同意見のようだ。2人して同じタイミングで床に尻尾を≪バン≫と叩きつけた。
「だな。僕の故郷も警戒態勢に入った。食料や医薬品の備蓄も万全だったよ。後は、実際にゾンビやスケルトンの大群が押し寄せてこない限り、僕の出番はないな」
ムンキンの安堵したような口調に、ラヤンもうなずく。
「そうね。私の故郷も、思っていた以上に対策を講じていたわ。法術の必要性は、今の段階ではないわね。ムンキン君が言うように、アンデッドの大群が来なければ……の話だけど」
レブンが頭をかいた。やや口元が魚に戻っている。
「ははは……アンデッドが発生しないに越した事はないんだけど、責任を感じるなあ」
そこへ、アンデッド教徒のスロコックがやってきた。もう朝食を食べ終わったようで、口元を紙ナプキンで拭いている。しかし、頭からすっぽりと黒いフード付きのローブを羽織っているので、目元が半分ほど隠れてしまっているが。
その青緑色の瞳をキラリと輝かせて、レブンに顔を向けた。
「心配は無用だぞ、レブン殿。我らアンデッド教徒が責任とやらの一端を引き受けよう」
レブンが朝食を飲み込むような勢いで食べながら、深緑色の瞳を向ける。かなり呆れた表情になっている。
「スロコック先輩……今は、そんな事して遊んでいる場合ではありませんよ。先輩の故郷は大丈夫なんですか? 僕の町と違って、人口も町の規模も桁違いに大きいですよね」
スロコックが黒いフードをちょっとだけ持ち上げて視界を確保しながら、もったいぶったような笑い声を上げた。かなり中二病的だ。
「ふははは。気遣いは全くの無用だぞ、レブン殿。こういう事もあろうかと、陸上での避難施設は既に設置してあるのだ。アンデッドを扱う以上、安全確保は当然の事であろう」
(そう言えば僕、すっかり『殿』って呼ばれているなあ……)と気づくレブンであった。(テシュブ先生がジャディに殿呼ばわりされている時って、こんな気持ちなのかな……)とも、ぼんやり思う。
ジャディが凶悪な形相でスロコックを睨みつけた。彼は急いで朝食をかき込んでいる。
「オイ。さっきまで、ここでオレ様の妖精契約の作戦会議をやってたんだ。余計な奴が首を突っ込むんじゃねえぞ」
ムンキンもジャディに続いて、スロコックを睨みつける。
「そういう事だ。とっとと消えろ。何だよ、その格好悪い黒シーツは。頭からそんなもの被ってる奴なんか、信用できるか。怪しい秘密結社なんか作るなよ」
ペルとミンタも、怪訝な表情をしてスロコックを見ている。
「アンタ、曲がりなりにも占道術専門クラスの級長なんでしょ。バカな事ばかりやってるとクラスの生徒が迷惑するわよ」
「ミ、ミンタちゃん、ちょっと言い過ぎだよう……でも、その姿は考え直した方が良いと思います、先輩」
ラヤンに至っては、コメントをする気にもならないようだ。道端の犬の糞でも見るような目つきである。
しかし、そんな程度で考え直すようなアンデッド教徒ではない。スロコックが堂々と胸を張ったまま、批判を全て無視した。
「我らは、いつでも手助けをする用意がある。気軽に相談してくれたまえ、レブン殿」
いつの間にか、他のアンデッド教徒が6人やってきて、何も言わずにスロコックの隣に佇んでいた。彼らも一様に黒いフードを被った、黒いローブ姿である。
呆れているレブンに、スロコックが青緑色の瞳を細めた。
「ゴーストの習得も、着々と進んでおる。間もなく、レブン殿に我らのゴーストを紹介できよう。期待してくれたまえ。では、新たな信者に説教をせねばならぬので、我らはこれで失礼」
そのまま、音も無く去っていく7人のアンデッド教徒であった。食堂の一角にテーブルを確保していたようで、そこに向かうようだ。
レブンが大きなため息をついて、ムンキンやミンタ、ラヤン先輩に謝る。
「どうもすいません。僕を勝手に教祖か何かにしている、秘密結社の連中です。お騒がせしました」
今度はムンキン党のバングナン・テパが、狐耳と尻尾をパタパタ振りながら上機嫌でやって来た。彼と一緒に3名ほどの竜族の1年生生徒がいて、怒り肩を揺らして尻尾を振っている。
「おう、ムンキン。また、何か暴れるネタはないか?」
今度はムンキンが両目を閉じて何か呻く。しかし、すぐに目を開けてバングナンに濃紺色の瞳を向けた。
「今は無いな。何かあったら知らせるよ、バンナ」
バンナと呼ばれたバングナンが、ニヤリと笑う。
「おう、頼むぜ。リーパット党とか、魔法が下手糞でよ。歯応えが全くないからなあ、つまらん」
バンナたちがアンデッド教徒とは別方向のテーブルを占拠して、周辺の一般生徒たちを威嚇して追い払っている。その様子を見て、ミンタやラヤンに謝るムンキンであった。
「す、済まない……奴ら、最近調子に乗ってしまって。後できつく言っておくから」
ラヤンがジト目のままで、尻尾を≪ブン≫と振った。ついでに「フン」と鼻も鳴らす。
「ケンカしても、〔治療〕してあげないわよ。法力サーバーの法力は、信者から集めた信仰心なんだからね。無駄遣いなんかできないのよ、わかる?」
ミンタもペルと呆れた表情で視線を交わしてから、ムンキンに顔を向ける。
「痛い目に遭わせたかったら、いつでも私やペルちゃんに言いなさいね。1ヶ月間くらい寝たきりになれば、大人しくなるわよ。きっと」
ペルがアワアワして、ミンタに過激な事を言わないように諭している。同時にコントーニャがクルリと踵を返して、去っていくのを見送るミンタであった。
そこへ、校長が深刻な表情をしてやってきた。ざわついていた生徒たちが一斉に静かになる。校長が配膳カウンターの前に立って、食事中の生徒たち全員に告げた。
「帝国軍情報部からの緊急の情報が、先ほど学校に届きました。昨晩の事ですが、タカパ帝国に接している周辺国全ての海中にある魚族や人魚族の町、約1割で、住民の消息が途絶えたという知らせです。現在もなお確認中ですが、消息が途絶えた住民の数は概算で50万人です」
校長が深刻な表情を更に深くする。
「まだ未確認な点が多い情報なのですが、高い死霊術場も観測されているそうです。もしも住民が〔アンデッド化〕されてしまったのであれば、非常事態にもなりえます」
生徒たちが一斉にざわめき始めた。
リーパットが何か叫ぼうとしたが、速攻でミンタとムンキンの〔光線〕魔法を食らって気絶してしまった。取り巻きたちも色めき立ったが、すぐに気絶して泡を吹いて床に倒れている。こちらは、アンデッド教の連中が〔麻痺〕魔法を放ったせいのようだ。スロコックが黒いフードを頭から下ろして、真面目なセマン顔を見せている。魚族の話なので、当然といえば当然の反応だ。
校長も数秒間ほど軽く両目を閉じただけで、話を続ける。
「我がタカパ帝国では、幸いな事に沿岸住民の避難をほぼ終えています。そのため、今のところは行方不明者発生の知らせは届いていません。近隣諸国には気の毒ですが。そこで生徒の皆さんで、故郷へ一時帰省したいという方は、私に知らせて下さい。許可いたします」
早くも30名の生徒たちが校長に一時帰省の申請をし始める。
真っ先に校長の下へ駆け寄ったのは、やはり魚族のスロコックであった。彼に続いてレブンとムンキン、ラヤンも申請を行うべく、校長の下へ小走りで駆けていく。他の魚族と竜族を中心とした生徒たちも、一斉に校長に駆け寄った。
それを受け付けて承認しながら、校長がドワーフのマライタ先生に告げる。
「マライタ先生。魚族と竜族に最適化された、対アンデッド用の魔法具や武器のデザインをお願いしたいのですが。教育研究省からの要請なんですよ。できますか?」
マライタ先生が赤いクシャクシャなヒゲをさすりながら、太い一本眉毛を上下させた。早くもウィスキーをジョッキで飲んでいたようだ。顔が少し赤い。
「可能だ。レブン君が観測した情報は、ドワーフ政府も共有しているからな。まあ、ワシのような素人よりも、政府の専門家に任せた方が良かろうさ。それじゃあ、ワシからも打診してみよう。量産開始が早まれば、それだけ安心に繋がるしな」
校長が承認作業を続けながら、マライタ先生に礼を述べた。そして次に法術のマルマー先生に聞く。
彼もまた近くに立っていて、手元の〔空中ディスプレー〕を介して本国の偉い人と何やら話をしていたが、すぐに校長に顔を向けた。すでにドヤ顔だ。
「シーカ校長。我が真教は全面的な協力を惜しみませんぞ。我が生徒のラヤンさんから、必要な情報は得ておりますからなっ。タカパ帝国との折衝が済み次第、退魔法具の大量配備ができましょう」
校長が素直に礼を述べた。
「ありがとうございます。では、教育研究省から許可が下りてくるのを待ちましょう。学校に残ることに決めた法術専門クラスの生徒たちを使って、量産される予定の法具の性能試験と、術式〔修正〕などを開始することになりますね。ですが、布教行為はなるべく避けて下さいよ」
そして、顔を今度は墓用務員に向けた。雲用務員は既に木星にいるのだろうか、姿が見えない。墓次郎と中用務員も姿を見せていなかった。
「墓用務員。できる範囲で構いませんので、対アンデッド用の魔法具や武器の性能テストの、お手伝いをお願いできますか? 今は役場も混乱しているようで、テシュブ先生を〔召喚〕するために必要な、サラパン主事の学校への招へい手続きが難しいのです。レブン君やジャディ君に頼る事も避けたいですしね」
墓が相変わらずの緊張感の欠片もない緩みきった表情を、さらに緩めてうなずく。服装は、いつもの用務員用の作業服に、底が擦り切れたゴム底サンダルである。
「大丈夫ですよ。予想される魚族と人魚族のアンデッド……まあ、低級ゾンビでしょうね。その予測情報もレブン君から得ましたから、何体でも実験用のゾンビを作り出せますよ。材料の生ゴミは、この食堂に大量にありますからね」
そう言って、早速調理場へ向かう墓用務員であった。その中年太りしたガニ股歩きを見送る校長の、白毛交じりの頭の上にハグ人形が「ポフッ」と落ちてきた。
「まったく……生ゴミからゾンビとか、ワシでも出来ぬ事を平然とやりおるわい。さて、シーカ校長。リッチー協会の調べでは、死者の世界での不審な動きはないな。貴族や魔族にオークどもが関わっている可能性はない。報告書は先程、教育研究省の受付に出してきたぞい。あの猪貴族のサムカちんが、この獣人世界にあったオーク王国や貴族どもの拠点を、大暴れして潰しおったのが効いておるようだ」
校長はナウアケ卿事件や、オーク王国の拠点騒動では現場にいなかったので、実際に何が起きたのかは知らない。しかし、教育研究省や軍や警察の言動を見聞きしているので、大よその事は想像できるようだ。頭の上のハグ人形に、丁寧に礼を述べた。
「そうでしたか。面倒なお願いをして申し訳ありませんでした。リッチー協会の調査ですので、信頼性は高いですね。死者の世界との交易に悪影響が出る恐れがなくなり、ほっとしました」
ハグ人形が頭の上で平泳ぎを始めた。真面目モードになると因果律崩壊につながるらしいので、こういった冗談モードを維持している。
「ついでに、リッチー協会が把握している、他のアンデッド世界の動向も調べておいた。こちらも特にこれといった動きはないな。バンパイアどもの世界も平常通りだ。まあ、連中はリッチーや貴族ほど魔力は強くないからな、世界間移動も簡単には出来ぬよ。もし、この世界へ来たとしても、今のタカパ帝国の軍事力で撃退できるだろう」
校長が狼バンパイアの学校襲撃事件を思い起こす。今の保安警備システムであれば、あの程度の敵に対しては余裕で無力化できるだろう。もっと魔力が強い妖精と精霊の群れを撃退できている事実が、それを裏づけている。
しかし、あくまで謙遜する校長であった。
「いえいえ、先生方やハグさんの協力は今も必要ですよ。しかし、そうですか……死霊術を使いそうな者たちがいる世界には、これといった不審な動きはないのですね。調査ありがとうございました。と、なると……残る可能性は魔法世界の死霊術使いの方々の動向ですね」
「そちらも、不審な動きはないぞ。シーカ校長とリッチー」
すぐにウィザード魔法の全ての先生方がやってきて否定した。朝食は別棟の教員宿舎内のカフェでとってきた様子である。校長の鼻に、今日の献立の臭いが届いた。
「おはようございます。ウムニャ・プレシデ先生、スカル・ナジス先生、タンカップ・タージュ先生、ティンギ・マハル先生、それとテル・バワンメラ先生。急な調査依頼でしたので、ご迷惑をおかけしました」
校長が再び丁寧に礼を述べる。
こういった情報処理関係は、幻導術のプレシデ先生がやはり詳しい。珍しく堂々として胸を張っている。いつもは斜めに体が傾いているのだが、今は心持ち真っ直ぐになっていた。充分に手入れされたスーツと革靴が、鈍い光沢を放っている。
「魔法世界も数多くある。その全ての世界の動向を、短時間で完全に把握することは無理だ。それでも、まあ、かなりの信頼度で異変は起きていないと言える。この獣人世界が辺境世界だからな。関わっている異世界の数も多くない。世界間貿易も人の移動も、微々たるものだ」
そう報告しながらプレシデ先生が160センチのスリムな体をユラユラと左右に揺らしている。その黒い煉瓦色でかなり癖のある髪の下にある、切れ長の吊り目をキラリと光らせた。黒い深緑の瞳には、かなりの自信が込められているのが良く分かる。
校長が再び丁寧に礼を述べた。頭上のハグ人形は泳ぎ続けている。
「調査して下さり、ありがとうございます。どの世界でも、表立った軍事的な動きは起きていないという事ですね」
次に口を開いたのは、招造術のナジス先生だった。〔召喚〕魔法を扱う関係上、死霊術を使えるフリーの魔法使いや魔族などの動向に詳しい。褐色で焦げ土色の髪の陰に隠れている垂れた細目が、紺色の光を帯びている。服装はいつもの白衣風ジャケットである。
「ずず」
「機密事項だらけなので、大まかな事しか言えないんだが、ずず」
「タカパ帝国とその周辺国で現在活動している〔召喚〕魔法使いは、いないよ。先日の帝都の拠点崩壊が、かなり響いているようだ。ずず」
相変わらず、鼻をすすり上げながらの報告であるが、ここにいる皆は、すっかり慣れてしまっている。
力場術のタンカップ先生は、こういった情報収集や調査には根本的に向いていない表情だ。不機嫌な表情で口をへの字に曲げて、難しい顔をしている。
やや癖のある黒柿色の髪を、丸太のような筋肉隆々とした腕でかき上げ、マジックで描いたような太い一本眉毛をひそめて、鉄黒色の吊り気味のギョロ目を光らせた。服装は、いつものタンクトップシャツに半ズボンである。
「俺様には関係ない話だな。こそこそ隠れて細工をするような卑怯者は、力場術を修めた者にはいないぞ」
確かにその通りなのだろう。
隣の占道術のティンギ先生が、パイプに火をつけて煙を吐きながら校長にうなずく。
「力場術では、死霊術を使う魔法使いは少数なんだよ。彼らのアリバイは完璧だ。占道術のコミュニティでも、不審な動きをする者は見当たらないな。ソーサラー魔術協会でもそうだろ? バワンメラ先生」
話を振られたバワンメラ先生が、渋々ながらも認めた。
銀灰色の長髪を手でかいて、飴色に日焼けした顔を覆う盗賊ヒゲに埋もれた口元を、不機嫌そうに歪めている。大きな紺色の瞳もジト目気味になっている。
服装は、いつものヒッピースタイルだ。相変わらず過剰なまでのゴテゴテした首飾りなどの装飾品を、全身に身に着けている。なので、体中から色々な音が鳴っているのだが、これもまた慣れてしまったようだ。誰も気にしていない。
「まあな。最近はタカパ帝国からも警戒の目を向けられているからなあ。さすがに、ここまでの悪さを企てているソーサラーはいないさ」
……ということは、細々とした悪さはしているようである。
ティンギ先生が、校長にマライタ先生の事も伝えた。
「マライタ先生は、この後でドワーフ世界へ一時戻ることになったよ。これまで採集した希少金属やら素材を持ち帰る仕事らしい。それと、異星人文明の情報も色々まとめて報告することになっているようだ。まあ、我々には関係ない話だな」
マライタ先生も校長に視線を向けて、たくましい肩をすくめ、赤毛のクシャクシャ髪を無造作に手でかく。
「まあな。タカパ帝国の許可はもう得ているから、堂々と持ち出せるよ。大地の精霊の帝都襲撃のおかげだな」
希少金属や樹脂などを学校で保管していたのだが、先日の騒動で大地の妖精に感づかれている。母国へ持ち帰るのは自然な流れだろう。
校長が先生たちの話を聞き終えて、腕組みをして白毛交じりの頭を軽くかしげている。片耳もパタパタと動いている。
「そうですか……では、いったい誰がこのような大それた事をしたのでしょう」
ハグ人形が平泳ぎで校長の鼻先まで空中を泳いできた。かなりウザい。
「消去法になるが、やはりドラゴンか、どこかのメイガス、魔神だろうな。コイツらの動向は、我々では〔察知〕できぬ」
そして小声になって校長にささやいた。
「貴族も実は虚偽報告をしているという噂があるんだよ。あまり、鵜呑みにせぬようにな。それと、墓の仲間という可能性もある。連中も一枚岩ではなさそうだ」
墓所の連中による歴史〔改変〕騒動には、校長も大いに巻き込まれている。しかし、記憶や歴史自体が書き換えられてしまったので、〔改変〕前後の差異を校長は知覚できない。それに加えて、今の墓は国宝扱いなので「畏れ多い」とばかりの表情になった。
「墓さんを疑う事は、タカパ帝国の初代皇帝陛下を疑うという事になりますよ。さすがに私の判断を超越してしまいます。貴族も同様ですね。テシュブ先生を疑う事に繋がってしまいます」
ハグ人形がガックリと肩を落とした。今は犬かき泳ぎになっている。
先生方がそれぞれの専門クラスの生徒たちに指示を出しているのを、つまらなそうに見つめる。騒動にならずに整然と対処が行われているのが、面白くないらしい。ようやく気絶から回復したリーパット主従にも顔を向けて、口を無意味にパクパクさせた。
「……まあ、仕方あるまいな。ワシからの情報は、今のところこれだけだ」
校長が礼を述べて、再び生徒たちに告げた。
「学校へ残る生徒については、平常の授業を行います。ただでさえ遅れ気味ですからね。しっかりと勉学に励んで下さい。私からは以上です」
回復したばかりのリーパット党はキョトンとした顔をしているが、それ以外の全生徒が力強く返事をした。
にわかに慌ただしくなる食堂で、ジャディが全身の羽毛を膨らませて気合いを入れた。彼の周囲に数本の旋風が巻き上がったが、すぐにペルとレブンが闇の精霊魔法で〔消去〕する。
「よっしゃあ! 今日をオレ様の妖精契約記念日にしてやるぜっ」
ペルとミンタが顔を見合わせて、小さくため息をついた。この鳥は、校長の話を全然聞いていなかったようだ。
3人とも結局、ほとんど徹夜で支援魔法の準備をしていた。ちょっと寝不足のペルとミンタである。
「当然ね。このミンタ様がわざわざ手伝ってあげたんだから、私よりも強力な妖精契約にならないと怒るわよ」
ミンタがジャディの羽毛で膨らんだブレザー制服の横腹に肘打ちする横で、ペルも微笑む。
「できるだけの準備はしたと思う。放課後までゆっくり休んで魔力を温存しておいてね、ジャディ君。私とミンタちゃんも、証人として立ち会うから頑張って」
ジャディが自信満々の凶悪な笑みを浮かべて、ミンタとペルにドヤ顔をした。
「おう! 任せろ」
故郷へ一時帰省した生徒数は、40名ほどだった。授業は通常通りに行われて、順調に何事もなく放課後になった。
ジャディはやはり授業をサボって、屋上の彼の部屋の上にある止まり木で森の彼方を睨みつけていた。制服は堅苦しく感じたのか、もう脱いでしまっている。今は、いつものツナギ作業服だ。彼いわく『鎧』である。
ペルとミンタがそれぞれの授業を終えて、屋上に上がってきた。
「またサボってたのか、このバカ鳥は」
ミンタが心底呆れたような顔になって、止まり木に仁王立ちしているジャディを見上げる。ペルもさすがに呆れている。
「……ジャディ君。休んで魔力を温存した方が良いって言ったけど、授業をサボって良いとは、私、言ってないよお」
しかし、ジャディは高笑いをするばかりだ。もう既に気分的にかなり高揚している様子である。
「今日は、オレ様の一世一代の晴れ舞台なんだぜっ。授業なんか受ける気分じゃねえぞ。むしろ、この寄宿舎をぶっ壊したくて仕方がねえ位だ」
ミンタが思わず吹き出した。明るい栗色の瞳を細めながら、鼻先のヒゲをピコピコ動かす。
「まったく。どれだけ好戦的な種族なのよ。じゃあ、木星へ行くわよ。妖精に一泡吹かせて、きっちり死んできなさい」
既にジャディの死が前提になっているミンタに、ペルがジト目気味になって袖を引っ張った。
「もう、ミンタちゃんてば。ジャディ君、最終確認をしようよ。術式は今から遅延発動をかけておいた方が良いかな」
【木星の妖精契約オプション試験】
木星では、雲用務員がニコニコしながら待っていた。彼もいつも通りの用務員の作業服に、ゴム底サンダルだ。ジャディたち3人の姿を見つけて手を振っている。
木星の気流は先日と同じような状況で、時速200キロに達するような暴風が吹き荒れ、四方八方で雷が発生して駆け回っている。今回も昼で、視界は1キロ程度というところだろうか。小石サイズの小惑星の破片や彗星の破片が飛び交っているが、雲用務員の体に当たる前に雷が当たって蒸発している。
「ようこそ木星へ。待っていましたよ。今回も、クモ先生が同伴ですね」
キョトンとしているジャディとペルにミンタが微笑んだ。
「学校の授業じゃないけど、生徒の安全監督をお願いしてるのよ。でないと私たち、退学処分になってしまうわ」
そのミンタの隣に、突然大きなクモが出現した。胴体の直径は1メートルほどもある。
「あ。古代語魔法のクモ先生、こんにちは」
ペルが反射的に挨拶をするが、ジャディはまだ首をかしげている。ミンタが呆れているので、代わりにペルがジャディに説明した。
「ジャディ君。彼……で良いのかな。えと……学校で古代語魔法の選択科目を担当しているツァジグララル・ティエホルツォディ先生。通称クモ先生。ミンタちゃんが、この木星で魔法の勉強をするようになった切っ掛けを与えて下さった先生だよ。改めまして、こんにちはっ、クモ先生」
クモ先生が〔念話〕モードで答えた。
(我は特に何もしないぞ。見ているだけだ。〔妖精化〕したら、君たちが自力で〔復活〕するように。手助けはしないぞ)
(それって監督責任放棄じゃ……)と思うペルであったが、ミンタが目配せしてきたので『そういう先生』なんだなと理解する。
(では、健闘を祈る)
それっきり、クモ先生は姿を消してしまった。
ジャディは全く気にしていない様子だ。早くも背中の翼と尾翼を最大限にまで大きく広げて、雲用務員を威嚇し始めている。戦う気満々だ。ミンタとペルから離れて、各種〔防御障壁〕と補助魔法を同時に起動させた。今回は呼吸も完璧にできているようだ。
「さて! 時間がもったいねえ、始めようぜっ」
雲用務員が柔和な微笑みを浮かべてうなずいた。
「よろしい。では始めましょう。君の力を示しなさい。それに応じて妖精契約の全ての内容が決まりますよ」
ジャディの周囲に鳥型ゴーストが10体、それに紙製の鳥型ゴーレムが100体ほど出現して、次の瞬間に透明になった。ステルス処理が起動したようだ。ジャディ自身の体も輪郭がはっきりとしなくなり、半透明になる。
さらに、ジャディを取り囲むように光球が50個発生した。自律型の〔オプション玉〕である。それらが瞬時に雲用務員を〔ロックオン〕して、十字砲火を浴びせることができる配置についた。
半透明になったジャディの琥珀色の両目がギラリと光った。ジャディ自身も5体に〔分身〕して、さらに影も独自に動いている。事実上、〔影〕も含めると10体に〔分身〕した状態だ。
「見せてやるよ! 飛族プルカターン支族ジャディ、いくぜっ」
雲用務員が瞬時に複数枚の〔防御障壁〕を発生させて、自身を球状に包み込んだ。その〔防御障壁〕が、次の瞬間に全て消滅してしまった。
驚く雲用務員。
「おお。これは一体……風の精霊魔法の〔防御障壁〕だけではなくて、闇や光の〔防御障壁〕も展開したのですが」
ジャディがステルス機能を最大限に発揮して、完全に体を透明化した。〔オプション玉〕や〔影〕まで一緒に消えてしまう。
「〔側溝攻撃〕だぜ、雲さんよお」
「ん?」と首をかしげている雲用務員に、1キロほど離れて避難していたミンタが、ペルと一緒に〔指向性会話〕魔法で解説する。
「雲さんには初めてかしらね。相手が帯びている魔法場の波形から、未知の魔法を〔解析〕する手法よ。本来は軍と警察に事前申請して使用許可を得ないといけないんだけど、ここは木星だから管轄外ってことね」
ペルが続けて雲用務員に教える。
「雲さんっ。ジャディ君は地球の風の精霊に詳しいの。その情報や経験を基にして、雲さんの未知の〔防御障壁〕の術式を推測していますっ」
雲用務員が感心して、ジャディがいると思われる空間を見る。実際には、もうそこにはジャディはいなくて移動してしまった後なのだが、〔ステルス障壁〕をジャディが展開しているので捕捉できていない。
「ほう。これは興味深い魔法ですね。〔ステルス障壁〕のおかげで、私には君が〔察知〕できていませんよ」
ジャディの〔念話〕が、専用の〔オプション玉〕を介して、雲用務員とペル、ミンタに送信されてきた。
(へ。まだまだだぜっ。さあっ、オレ様の攻撃を食らいやがれっ)
雲用務員の周囲を360度取り囲むように、突如、〔テレポート〕魔法陣が出現した。その数はざっと見て300個もある。
次の瞬間、その魔法陣から一斉射撃が放たれた。雲用務員の体から、ほんのすぐ1メートル離れた空間にもびっしりと魔法陣が発生している。なので、ほぼ至近弾だ。
木星の大気をプラズマ化させるほどの高温が、雲用務員がいる空間を包み込んだ。プラズマは球状になってさらに高温になっていく。
それを見ているミンタが、ニヤニヤしてペルにささやいた。
「ちょっとした核融合でも起こす気かしらね。でも、磁場の強さが足りないから無理っぽいかな」
ミンタの言う通り、まぶしく輝く火の玉状態になりつつあったプラズマ球が、不意にかき消されてしまった。地球にある学校の魔力サーバーからの魔力回路を、雲用務員が遮断してしまったためだ。
それでも超高温によって起きた爆音と衝撃波が、木星の大気を震わせる。暴風も一瞬吹き飛んで無風状態になった。
それもつかの間、15秒後には木星の暴風が再び吹き始めて、視界も元の状態に戻る。
その中央に浮かんでいる雲用務員は、さすがに衣服が全て蒸発して消えてしまっていたが……全くの無傷だ。ただ、その情けない中年太りのガニ股オッサンの全裸だけはいただけないが。頭もかなり焼けてしまっているので、毛皮を焼かれた狐顔になっている。羽毛も全て焼けてしまった。
「ふむ。風に対して炎で攻撃をするのは、実に正しい教科書的な手法ですね。では、私もそろそろ反撃を……あれ?」
首をかしげる全裸雲用務員。
ジャディの冷静な声が、〔オプション玉〕を通じて〔念話〕で送られてきた。木星の電離層や大気の密度差を利用して、反射や屈折をしまくっている送信なので、送信元の位置が特定できない。これにはミンタも感心しているが、特に何もコメントしないようだ。
(〔側溝攻撃〕で、妖精の精霊魔法は推定済みだって言っただろ。攻撃魔法にも妨害をかけているんだよっ。防御も攻撃もできないまま、大人しくボコボコにされやがれっ)
精霊魔法は精霊場というエネルギー場を、収束集積させて使用する。その場は波動を帯びているので、電波と同じく妨害電波に当たる撹乱用の魔法場をぶつけることで、雑音の中に沈めることができるのである。この場合は雑音ではなく、雑多な魔法場のノイズということになるが。
一方のジャディ側は、ノイズを避けて魔法攻撃を行えば良い。
雲用務員を取り囲む〔テレポート〕魔法陣が魔術刻印に切り替わり、次弾の一斉射が開始された。
再び雲用務員の姿が、爆炎と閃光に包まれて見えなくなっていく。ただ、金星と同じく木星大気には酸素がほとんどないので、燃焼炎ではなくプラズマが爆炎状になっているが。太陽のプロミネンスの出来損ないのようなものだ。しかし、衝撃波と爆音がかなり酷いのは変わらない。
それらを〔防御障壁〕で防ぎつつ、戦闘空域から迅速に離脱していくミンタとペル。ペルが予想以上のジャディの善戦に薄墨色の瞳を輝かせている。
「す、すごいすごいっ。雲さんが手も足も出せないよっ」
ジャディの活躍に期待しているようだ。両耳がピコピコとリズムよく動く。
「やっちゃえ、ジャディ君」
しかし、隣のミンタは難しい表情のままである。
「今は、学校の魔力サーバーが使用できないから、木星のオーロラを使っているのよね。個人用サーバーみたいなものだがら、魔力量はかなり落ちてる。妖精には効果はそれほど期待できないかな。目くらまし程度しか期待できない。まあ、それが狙いなんだけど」
魔術刻印を使用しているので、これはソーサラー魔術をベースにした個人用サーバーだ。木星の極地方に事前に配置して会ったゴーレムにもその術式が記述されている。
オーロラのプラズマから〔変換〕した魔力を〔テレポート〕魔術でジャディの杖に送信している。今は雲用務員によって学校サーバーからの魔力供給が遮断されているため、ウィザード魔法の使用には大きな制限が生じているのだ。
戦闘空域から一気に100キロほど離脱する。ここまでくると、木星の暴風に遮られて目視はできない。
今は、現場に残してきたミンタのゴーレムとペルのシャドウによる観測情報を、手元の〔空中ディスプレー〕で〔共有〕し視覚化して観戦している。なので、かなり鮮明な映像が〔空中ディスプレー〕画面を通じて届けられていた。
雲用務員が再び全くの無傷全裸のままで、爆炎の中から姿を現した。周囲を見回して、ペルとミンタが充分に離れていることを確認する。
ミンタが残した紙飛行機型の観測用ゴーレムに向かって、にこやかな笑みを向けた。ペルの子狐型シャドウは、ジャディのシャドウ以上にステルス性能が高いので、見つけられないようだ。
「良いですねえ……実に良い。ミンタさんとの契約以上の内容になることが確定ですよ。ジャディ君、おめでとう。これから後は、特約の上乗せですね。では、まいりましょうか」
雲用務員の全身が、突如羽毛と狐の毛皮で覆われてフワフワ状態になった。
ジャディが何か〔念話〕で答えかけたが……その〔念話〕が吹き飛ばされた。
突如、雲用務員を中心にして半径50キロの巨大なプラズマ球が発生した。その明るい黄色に輝く太陽のようなプラズマの嵐の中で、雲用務員を取り囲んでいた300個もの〔テレポート〕魔術刻印が、一瞬で全て蒸発して消える。
さらに、ステルス状態で隠れながら雲用務員に魔術攻撃を続けていた、紙製の鳥型ゴーレム100体と、同じく鳥型ゴースト10体が、これまた一瞬で蒸発して消えた。
50個の光球状の〔オプション玉〕も〔防御障壁〕が引き剥がされて、そのまま蒸発する。
「げ」
ジャディの声がして、〔ステルス障壁〕を吹き飛ばされた5体のジャディ〔分身〕が、姿を暴露された。〔分身〕が新たな〔防御障壁〕を展開しようとしたが……その形成中の〔防御障壁〕ごと蒸発して消滅してしまった。
100キロ離れた場所で観戦していたペルとミンタにも、プラズマ球の放つ強烈な熱線の直撃を受けた。それを、何とか光と闇の精霊魔法の二重〔防御障壁〕で防御する。
ミンタが冷や汗をかいて、鼻先のヒゲ群の先に浮いた汗の玉をブレザー制服の袖で拭く。
「ひゃあ……やっぱり、とんでもないわね。風の妖精の癖に、炎の精霊魔法を使ってくるなんて。しかも、これってジャディ君の『なんちゃって核融合』じゃなくて『正真正銘の核融合』よ。さすがに水素じゃなくてヘリウムだから、木星が太陽化することはないけど。普通なら、これでバカ鳥は蒸発して一巻のオシマイだったわね」
ペルも素直に同意する。目を点にして、口を開けている。まだ黒毛交じりの尻尾がホウキのように逆立っているままだ。
「うん。徹夜して対策を練ったおかげかな」
ジャディが雲用務員の目前数メートルの空間に〔テレポート〕してきた。
「食らえっ」
水晶を水が包んだ弾丸が2発、ジャディの両手から放たれた。風の精霊が弾丸2発を超音速で運んでいき雲用務員に叩き込む。
衝撃波が再び発生して、ジャディにも襲い掛かかった。それを歯を食いしばって耐える。〔防御障壁〕はもう全て破壊されているので、根性で耐えるしかない。鳶色の羽毛が40枚ほど、衝撃波に巻き込まれて吹き飛ばされた。
その水晶の弾丸2発は、雲用務員が展開した〔防御障壁〕を13枚も撃ち抜いて、見事、毛皮と羽毛で覆われた中年狐オヤジの眉間に命中した。意外そうな表情をする雲用務員。
「お、おお? この〔防御障壁〕は新規の術式なのですが……」
そんな素朴な口調の感想を言い始めたフワフワ中年狐オヤジの頭が爆散した。オヤジの羽毛と毛皮が炭化して、黒焦げ全裸になっていく。
水晶は大地の精霊場を帯びているので、風と接触すると反応する。それを術式で爆発的な反応に書き換えた攻撃魔法だ。同時に、〔エネルギードレイン〕魔法の術式も起動した。黒焦げ全裸の雲用務員が浮かんでいる空間で、嵐の暴風が消え去り、薄く色が陰る。一帯のプラズマや雷も消滅した。当然、ジャディも巻き込まれてしまっているが。
その影の中から、雲用務員の〔念話〕が聞こえる。かなり感心したような口調だ。
(ほう……水で包んでいたのは、そのためですか。確かに、〔防御障壁〕の精霊場の切り替えには時間差が生じますからねえ。その間、100分の1秒ほどは無防備になりますね。それを二重で仕掛けましたか。良い着眼点です)
手元の〔空中ディスプレー〕画面からの観測情報の数値変化を見たミンタが、明るい栗色の瞳をキラリと輝かせた。
「よし! 〔エネルギードレイン〕魔法が効いたわっ。雲の魔力量が大きく削られた!」
続いて、再び大爆発が発生し、頭を吹き飛ばされた雲用務員とジャディを包み込んだ。今度はペルが薄墨色の瞳を輝かせる。
「遅延魔法の〔エネルギードレイン〕魔法も起動してるっ」
ミンタも少し興奮してきたようだ。声が大きくなっている。
「よし! 雲が核融合の精霊魔法を使ったおかげね。かなり大きな魔法場汚染が起きたから、汚染空間からの〔エネルギードレイン〕も巨大になってる。木星のオーロラほどじゃないけど、かなりの魔力源になったわっ」
ジャディが爆炎の中から姿を現した。羽毛が半分以上焼けて皮膚が炭化しているが、琥珀色の目の、凶悪で鋭い光は全く損なわれていない。
「うりゃああっ! まだまだいくぜえええっ」
まだ爆炎の中にいる雲用務員に向けて、全ての〔結界ビン〕を解放した。風に包まれた〔闇玉〕がマシンガンのように噴き出して、爆炎ごと空間を削って〔消去〕していく。
その〔闇玉〕マシンガンが光の洪水に飲まれて、大爆発を起こしながら〔消滅〕した。〔結界ビン〕も全て光に飲まれて〔消滅〕していく。
「げ。今度は光の精霊魔法かよ。どんだけデタラメな妖精なんだよテメエはっ」
光があっという間に収束して、青く光る〔ビーム光線〕に変わっていく。それがジャディに襲い掛かった。〔青色ビーム〕が切り裂いた木星の大気が再びプラズマ化し、光線に沿っての大爆発が連続して起きていく。
ミンタとペルがいる場所にも、〔青色ビーム光線〕の一部が飛んできた。それを〔防御障壁〕で防ぎながら、ミンタが呆れた表情を浮かべている。
「ちょっと待って。風、炎、光の精霊魔法を使いこなせるっていうの? そんな妖精ってアリなの!?」
ペルが同じような表情をしながら、ミンタの考えを一応否定した。
「それと、生命の精霊魔法も……かな。これはミンタちゃんの供物のおかげね、きっと」
「でも」と2人が視線を交わす。ミンタとペルが叫んだ。
「いっけー! ジャディ君」
〔青色ビーム光線〕は直径が5メートルもある巨大なものだったが、そのプラズマが走る爆炎の中からジャディが飛び出して、雲用務員に殴りかかってきた。
「うおおおおおっ! 食らいやがれやああああっ」
〔青色ビーム光線〕が、再び雲用務員の周囲の空間から魔法陣も魔術刻印もなしで放たれて、ジャディを貫く。いくら至近距離からジャディが飛び込んできても、亜光速の前には止まっているも同然だ。
ジャディの両足、左腕、両翼と尾翼の大半が、一瞬でビームに焼かれて蒸発した。残った全身も燃え上がる。
……が、ジャディの突撃は止まらない。ついに右拳が雲用務員の胸板に食い込んだ。
驚愕の表情を浮かべる雲用務員。彼の頭は既に毛皮と羽毛を含めて完全〔再生〕されていたが、その〔再生〕されたフワフワ頭ごと上半身が〔凍結〕した。そのままジャディが炭化しつつある頭で頭突きをする。
ジャディの突撃が音速を超えていたのか衝撃波が発生して、雲用務員の凍結した上半身を粉砕した。ジャディの炭化した体も、半分以上が衝撃の反作用を食らって粉砕される。そして、風の〔妖精化〕が始まった。ジャディの体から小さな半透明なトカゲ型の風の妖精が生まれて、消滅していくジャディ。
その様を〔空中ディスプレー〕画面越しに観測していたミンタが、肩をすくめながらペルに視線を送った。
「……ここまでかしらね。じゃあ、回収に向かいましょうか」
ペルもほっとした表情になって疲れた笑みを浮かべた。
「そうだね。ジャディ君の体の破片がかなり飛び散ったから、かき集めれば〔復活〕の足しにできるかも」
〔テレポート〕して、現場へ戻る2人である。
すでにペルのシャドウが飛び回って、木星の嵐の中を飛び交っているジャディの体の破片を、順調に回収し始めていた。幸い、指や皮膚片、内臓組織といった大きな破片が多い。
予想外の嬉しい誤算としては、雲用務員が半身を破壊されたせいなのか〔妖精化〕攻撃が途中で停止していたことだろう。おかげで、半透明トカゲが湧き出るのが途中で止まり、ジャディの炭化した体のかなりの部分が現存されていた。
ただ、両手両足、両翼に尾翼がなく、胴体と炭化した頭だけだが。羽毛も全て焼け落ちているので、大きな鳥の丸焼きにも見える。
さすがに炭化した組織は〔復活〕作業で使い物にならないが、ペルが真っ黒に炭化しているジャディを凝視して微笑んだ。
「ミンタちゃん。ジャディ君の心臓がまだ動いている。脳もまだ機能してるよ。これなら〔復活〕法術や〔蘇生〕法術じゃなくて、通常の〔治療〕法術が使えるんじゃない?」
ミンタも炭化ジャディをジト目気味に見つめながら、頬を大きく緩める。
「……そうね。悪運が良いというか、しぶといというか……まあ、これならいけそうね。じゃあ、さっさと回復させますか。ホイ」
果たして、あっけなく回復を果たしたジャディであった。作業着のツナギのような衣服まで見事に〔修復〕されている。
自身の腕や足、両翼などを曲げたり伸ばしたりして動作確認を済ませ、そして、ドヤ顔になった。
「へへっ、どうだよオイ。〔妖精化〕されたけど、止めてやったぜ。あと、糞ミンタ。悪運がどうとか、きっちり聞こえていたからな。後で覚えておけよ」
雲用務員もジャディに続いて完全〔修復〕を果たした。彼の場合はミンタたちの助けも必要としない、自力での〔修復〕だ。衣服も普通の用務員の服になっていく。
これまでの中年オヤジの姿から、今度はジャディに似せた飛族の姿になりつつある。全身を羽毛が覆い始めて、背中には大きな翼と尾翼も生えてきている。ただ、表情は穏やかだ。
「いやはや、驚きましたよ。妖精相手にここまで戦えるとは。〔妖精化〕を阻止できるとは予想もしていませんでした」
鼻高々なジャディである。まだ回復したばかりなのでフラフラしているが。雲用務員が1つ疑問に感じたのかジャディに質問する。
「ジャディ君。最後は格闘戦に持ち込んできましたが……私が思うに、不要だったのではないですか? 〔テレポート〕魔術刻印のいくつかは当時まだ作動していましたよ。50キロ先からの遠隔攻撃を継続した方が合理的だったはずです」
首をかしげる雲用務員に、ジャディがドヤ顔になったまま答えた。嵐に流されかけているが、その都度、雲用務員が浮かんでいる場所へ飛んで戻ってくる。
「そんな戦い方は、飛族の矜持が許さねえんだよ。ぶん殴ってケリをつける。これが流儀だ」
ジト目になって聞いているミンタとペルである。特に何も言わないが。
一方の雲用務員は、さらにジャディに対して好印象を持ったようである。ニコニコしている。雲用務員がジャディに近づいて手をかざした。
「では。早速ですが『妖精契約』を結びましょうか。額に触れますよ」
そう言って、雲用務員がジャディの羽毛に覆われた額に両手を重ねて触れた。ミンタがニヤニヤしながら見ている。
「私の時と同じなのね」
「へえ……」とペルが、ミンタとジャディを交互に見つめる。
当のジャディは、少し面食らった様子だ。琥珀色の瞳をギラリと輝かせて、目の前の雲用務員を睨みつけた。
「……おい。何の変化も感じねえぞ。本当に妖精契約をしているんだろうな」
ミンタがニヤニヤしたままで告げた。
「私の時と同じ事言ってるわね。心配は無用よ。無意識下の領域で、今、物凄い勢いで魔法回路が形成されているわ。もう少し待ちなさい」
まだ首をかしげて怪訝な顔をしているジャディに、ミンタが説明を続ける。ペルも興味津々の様子だ。
「魔法っていうのは、この世界の物理化学法則や因果律から外れた現象を引き起こすものでしょ。アンタの神経組織は、この世界の物理化学法則に則って機能してるわけ。それ以外の情報は知覚できないのよ。心配しなくても、魔法は経験することで魔法回路が形成されていくわ。私も、最初のうちは死霊術場や残留思念を知覚できなかったけど、経験を積むことで魔法回路が形成されて、今はこうして知覚することができる。そういうものよ」
そんな説明をしている間に、妖精契約が無事に結ばれた。雲用務員が両手をジャディの額から離す。
「はい。これで私との妖精契約完了ですよ。風の精霊魔法に関する契約です。試してきなさい」
まだ実感していない様子のジャディである。とりあえず背中の両翼を大きく広げた。黒い風切り羽がピンと張る。
「むう……じゃあ、旋風でも出してみるか」
いきなりジャディの足元に、小型台風ほどの大きさの風の渦が発生した。
「げ」
ジャディが慌てて小型台風を木星の下層大気へ蹴り落とす。
ミンタは予期していたようで、すでに風の精霊魔法用の〔防御障壁〕を展開して、ペルをその中に引き込んでいる。口元のヒゲがピコピコ動いていて、はっきりと微笑を見せていた。
「最初は驚くわよね。地球へ戻る時間まで、まだ少しあるわ。色々試してきなさいよ。私たちから離れた場所でね。こうして余計な〔防御障壁〕を張るのって面倒なのよ」
ペルは目を白黒させて、パタパタ踊りをし始めている。黒毛交じりの尻尾が竹ホウキ状態だ。
「あわわ……すっごく巨大な竜巻が。しかも、それをひと蹴りで……あわわ」
雲用務員も微笑みながら同意した。すでにかなり飛族の姿に似せてきている。顔だけは変わらず、狐の毛皮と猛禽の羽毛が半々の狐頭だが。頭の上に走る、金色と黒色の縞模様もそのままだ。尾翼と狐の両耳をパタパタさせた。
「それが良いですね。木星を飛んで1周して来てはどうですか。液体金属のコア以外の場所なら、好きなように飛べますよ」
ジャディの琥珀色の瞳がキラリと光った。すっかり上機嫌になっている。
「おう! そうだなっ。じゃあ、ちょっくら飛んでくるぜっ」
と、言うが早いか、いきなり音速を突破した速度で飛び去っていった。爆音と衝撃波が、雲用務員と〔防御障壁〕を展開しているミンタとペルに容赦なく襲い掛かる。
ミンタがジト目になって、ジャディが飛び去っていった方向に毒づいた。もうジャディの姿は見えない。
「まったく……周辺の迷惑ってものを少しは考えなさいよ。うるさいったらないわね、もう」
なぜかペルがミンタに謝っている。
そんな2人に視線を移した雲用務員が、ミンタに質問してきた。同時に、用務員の衣服が完全に〔修復〕する。靴まで元通りだ。
「ジャディ君が戻ってくるまでの間、少々、質問してもよろしいですか? ミンタさん」
「何?」
ミンタが首をかしげて質問を促す。雲用務員がミンタに近づいてきた。暴風と雷が凄いので、〔指向性の会話〕魔法でも不安に思ったのだろう。
「では。側溝攻撃については理解できましたが、その後のジャディ君の魔法の解説をお願いしたいのですよ。私は見ての通り、木星に長い間1人でいましたから、地球の魔法については詳しくないのです」
確かにその通りである。ミンタが手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を出して、ジャディのリアルタイム位置情報を確認する。
「そうね。バカ鳥がここへ戻るまで10分間ってところかな。〔テレポート〕魔術とか使っているし。私がこれまでにばら撒いた魔術刻印が木星の風に乗ってあちこちにあるから、それを使ってるわね。まったく、私に一言も断りなく、勝手に使って……じゃあ、手短に説明しようかしらね。衣服もちゃんと着たようだしっ」
ジャディが使用したジャミング魔法と、ゴーレム、ゴーストに〔オプション玉〕、それに〔分身〕について、ミンタが簡潔に解説する。このあたりの基礎知識は学校で知ったのだろうか、意外にすんなりと理解していく雲用務員であった。
「なるほど。自力で魔力を行使するソーサラー魔術を、主に使用していたのですね。他には、死霊術のゴーストと、ウィザード魔法のゴーレムですか。ゴーレムは前もって制作して、魔力を込めておいたのですね。なるほどなるほど。私が魔力サーバーの回線を切断すると予想していたのもさすがです」
ペルが少し疲れた笑みを浮かべて、隣のミンタに抱きついた。
「私たちも昨日徹夜で準備したんだよ。でも、雲さんが巨大なプラズマ球を発生して、全部蒸発させちゃったけど」
雲用務員が肩を軽くすくめた。
「〔ステルス障壁〕のおかげで、位置が分かりませんでしたからねえ。半径50キロの空間ごと破壊するしかありませんでした。ちなみに、あれ以上大きなプラズマ球にすると、さすがに木星大気に影響が出ます。プラズマの中心温度が1億度ほどありますからね。もしかして、それも読んでいたのですか?」
ミンタとペルが顔を見合わせて、含み笑いをする。
「いえ。雲さんが炎の精霊魔法を使うなんて、私たちは想定していなかったですよ。ジャディ君の機転ですね。野生の勘というか、そんなものじゃないかな」
ペルがそう言うので、そうなのだろう。ケンカ慣れしているので、色々と察するのだろうか。
「でも、ジャディ君本人が50キロ圏外に退いていて、〔遠隔操作〕で雲さんに攻撃をしていたなんてね。私たちが100キロ離れたのを見て、真似したのかも」
ペルの感想に、ミンタも同意している。
「そうよね。雲さんがプラズマ球を発生させた時、てっきりバカ鳥も蒸発したと思ったわ。まさか、そこまで頭が回るとは、私も想定外だったわね」
しかし、ここでミンタがペルにウインクした。
「でも、結果的に当初の作戦の通りになったけどね。〔エネルギードレイン〕魔法を撃ち込むための目くらましとして、上手くやったと思うわよ」
〔エネルギードレイン〕魔法については、雲用務員も概要を知っているようだ。しかし、ジャディが続けて起動させた〔エネルギードレイン〕魔法については初見だったようで、ミンタに質問してきた。
「〔エネルギードレイン〕魔法は、相手の魔法原子のエネルギー準位を、強制的に低下させるものとばかり思っていました。しかし、ジャディ君が続けて放った魔法は違いましたよね」
ミンタが少しドヤ顔になってうなずく。
「そうね。アレは、吸収するエネルギーが魔法場汚染なのよ。本来は、魔力補充の足しにする目的で使用するんだけど、吸収できる魔力の質が低いのよね。だから、初歩的な魔法のためにしか使えない。でも、あえて強力な術式を走らせると、ああして術式が暴走して爆発するってわけ。おかげで術を仕掛けたバカ鳥まで、一緒に爆発に巻き込まれて焼き鳥になってたけどね」
ペルが興味津々な顔で雲用務員に聞いた。
「連続〔エネルギードレイン〕魔法で、実際のところは、どれくらいの魔力を失ったのですか?」
雲用務員が腕組みをして軽く首をかしげた。
「かなり失いましたよ。予定していた反撃魔法が使用できなくなる程度ですか」
ミンタがガッカリした表情になった。両耳と鼻先のヒゲが前に垂れる。
「ええ……それっぽっちだったの? っていうか、そのすぐ後で、〔青色ビーム光線〕を放ってるものね。確かに、あまり効いていなかったのか……うぐぐ」
雲用務員がさらに首をかしげて、ミンタに質問する。
「私としては、あの〔光線〕で仕留めたと思ったのですが……ジャディ君の手足しか蒸発させることができませんでした。何か防御魔法を使っていたのですか?」
ミンタがキラリと瞳を輝かせた。
「あれ? 気がつかなかったのね。光の精霊魔法による『レーザー冷却』よ。雲さんが放った〔青色ビーム〕は多分、ヘリウムか何かがプラズマ化して、それがドップラー効果で青色側に波長がずれたものよね」
素直にうなずく雲用務員。ミンタがドヤ顔ながらも、少しだけ肩をすくめて話を続ける。
「その原子の運動をレーザーで抑えたのよ。だから、その場所だけは高温にならずに済んで、バカ鳥の蒸発が起きなかったってわけ。手足や羽までは低温域に収めることができなかったから、プラズマの直撃を受けて蒸発したけど」
ペルが両耳をパタパタさせて、ミンタの説明を補足説明する。
「実際に試すのが、今回初めてだったの。だからジャディ君、範囲指定を失敗しちゃったのね。私とミンタちゃんも術式の設定を手伝ったんだけど……あはは。あと1日余裕があったら調整できたんだけどね」
「ほうほう……」と興味深く聞いている雲用務員に、ミンタがニヤリと微笑んだ。
「でも、この攻撃と防御も、次の格闘攻撃を成功させるための陽動作戦だったのよ。本命は、その後にバカ鳥が拳に乗せてアンタに叩き込んだ、氷の精霊魔法。いくら妖精でも、超高温のプラズマを使用した、そのすぐ後に、この精霊魔法に対抗することは難しいはずよね」
雲用務員も素直に同意する。
「そうですね。魔法場の特性が真逆ですからね。光と闇ほどではありませんが、〔干渉〕衝突して爆発を起こす恐れが高くなりますね。なるほど、そういう戦術でしたか。遠隔攻撃では、魔法攻撃と次の魔法攻撃の間にどうしても間が生じますからね。その間に、私でしたら対処できたかもしれません」
ペルとミンタが視線を交わす。予想通り、離れて戦うのはリスクがあった。雲用務員が気楽な口調になって話を続ける。
「近接戦闘に固執したのは、それが理由の1つなんですね。私の〔妖精化〕の攻撃も〔凍結〕の影響で、術式が停止して機能不全を起こしてしまいましたし。攻守ともに期待できる戦術でしたか」
ミンタが尻尾と両耳をパタパタさせた。
「今回は、完全に偶然だったけどね。狙っていたわけじゃなかったのよ。私は氷の精霊魔法が苦手で、ソーサラー魔術版の〔凍結〕魔術しか使えないのよね。だから、詰めが甘くなったのは否めないかな」
雲用務員が何度もうなずいて、最後に1つ質問した。
「そろそろジャディ君が戻って来る頃ですかね。では、最後に1つだけ。ジャディ君が有する魔力量ですが、幻術か何かで〔偽装〕していたのですか? 〔青色ビーム光線〕を放つ際、彼の魔力残量を調べましたが、ほぼ底をついていました。そのために、〔光線〕の出力を下げたのですが……」
ミンタとペルが互いに視線を交わして微笑んだ。もう、ジャディが〔テレポート〕魔術を交えながら木星を1周して戻ってくるのが、手元の〔空中ディスプレー〕画面で確認できる。
「ウィザード魔法の幻導術だよ。魔法場サーバーが遮断されたから使えないはずなんだけど、実はサブ回線は無事だったの。大出力の魔法は使えないけど、この程度の魔法だったら大丈夫」
ペルがいたずらっぽい顔をして、雲用務員にウインクした。片耳が連動してパタパタしている。
ミンタも同じような仕草をして補足した。
「サブ回線というか、本回線を敷設する際に作った、検査点検用の簡易回線だけどね。これが切られていたら、さすがに全てのウィザード魔法は使えなかったわよ。雲さんが幻術に惑わされたおかげで、バカ鳥の丸焼けで済んだわ。全部気化してしまったら、さすがに〔治癒〕法術だけでは対応できないし」
どうやら、戦闘後半になっても学校からの魔力サーバーによる魔力供給は細々と続いていたようだ。攻撃や防御関連に使ったのは、木星オーロラからの魔力だが。
ジャディは普段まともに授業に出ていないため、幻導術のような退屈な講義は受けていない。そのため、作り置きしていた幻導術の魔法を〔結界ビン〕に入れていたのであった。
雷が縦横に走る木星の上層大気の彼方に、ジャディが姿を見せた。視界が1キロ程度しかないので、すぐにジャディがミンタとペル、雲用務員の浮かぶ場所へ到着する。爆音と衝撃波が一緒に襲い掛かるが、難なく防御する3人だ。
「へへ。こりゃあいいなっ。スゲエ出力の風の精霊魔法だぜっ」
満足そうに凶悪な笑みを浮かべるジャディに、少々呆れながらも感心するミンタ。
「まったく。本当にギリギリで〔妖精化〕を回避したという事を忘れないように。まぐれだからね、こんなの。でも、そうね……よく頑張ったわね。妖精契約おめでとう。私も後日、挑戦してみようかしら。太陽風の精霊と仲良くなる第一歩として、まずは木星の風の妖精との妖精契約の強化は必要よね」
どうやら、ミンタの野望は結構大きいようだ。ペルとジャディは以前、サムカの案内で太陽風の龍のような精霊を見ている。アレの協力を得られるようになれば、とんでもないことだ。
ペルが尊敬の視線をミンタに向けている。
(凄いなあ。ミンタちゃんなら、本当に成し遂げてしまいそう)
ミンタの隣で照れているジャディに、ペルが続いて賛辞を贈った。
「本当におめでとう、ジャディ君。私やレブン君では魔法適性が弱いから、到底無理な妖精契約だもんね」
妖精は疑似生命体なので、残留思念を使う死霊術と相性が悪いのである。死霊術と親和性が高い闇の精霊魔法も、やはり妖精とは相性が悪くなる。死者の世界に妖精がいないことも同じ理由だ。
さらに照れて周囲をグルグル飛び回り始めたジャディを見守りながら、雲用務員が「コホン」と咳払いをした。
「次はミンタさんですね。楽しみにしていますよ。さて、ジャディ君。妖精契約の特約の1つですが、妖精は契約した相手だけでなく、その一族まで庇護することができます。どうしますか? 君の支族を庇護する妖精となりましょうか? その場合、他の妖精からの庇護は受けることができなくなりますが」
ジャディが時速200キロになる雷混じりの暴風の中で軽々と宙返りして、敏捷な動きで雲用務員の前に飛び戻ってきた。
「支族長と相談することになるけど、庇護を頼む事になると思うぜ。今まではパリーとか言うクソ妖精の庇護下だったけどよ、あのクソ妖精、勝手に庇護を打ち切りやがったからなっ。今は、どの妖精とも関わっていねえはずだ」
「へえ……そうなっているのか」と、顔を見合わせるミンタとペルであった。パリーらしい対処だ。
満足そうにうなずく雲用務員だが1つ注意事項を述べた。
「それは私としても嬉しい事です。ですが、私は地球の妖精ではありません。ですので、魔力支援はしますが、私が直接、地球の他の妖精と戦うような事はできませんよ。それをしてしまうと、私と貴方の支族が、地球全ての妖精や精霊と対立する事態に陥ります」
「ぐぬぬ……」と、険しい顔をするジャディに、ミンタがニヤニヤして横槍を入れてきた。
「そう都合よく行くわけないでしょ。盗賊稼業は、この機会に止めることね。カタギになりなさい」
さらに雲用務員がジャディに告げた。
「それと関連しますが、もう1つ。地球では、妖精契約で使えるようになった私の魔法を使うことは、できるだけ避けて下さいね。地球の妖精や精霊とは異なる魔法場ですからね。あまり使うと魔法場汚染が起きて、地球が木星化してしまいますから」
「は!?」
目が点になっているジャディである。背中の両翼と尾翼を不自然にバサバサさせて、周囲に無数の雷を発生させた。おかげで、この場にいる全員が青白く帯電してしまうほどだ。足元と上空には、小型台風並みの巨大な旋風が発生する。
「ちょ、ちょっと待て……ええええええっ? な、なんだよそれっ。意味ねえぞ!」
ミンタは予想していたようで、ニヤニヤして笑いを我慢している。その横で、ペルがミンタの制服の裾を引っ張った。
「……ミンタちゃん。知ってたのね」
ミンタが笑いをこらえながらも、ジャディに告げた。
「くくく……あきらめなさい、バカ鳥。こんな雷撃と旋風を地球で起こしたら、大騒ぎになる事くらい分かるでしょ。地球の因果律にも触れかねないわよ。こんな雷や旋風は、大気の層が薄い地球じゃ原理的に起きないし」
確かにその通りだ。ジャディが悔しそうな表情になって、空中で地団駄を踏んでいる。その様子を見て満足したのか、ミンタが「コホン」と軽く咳払いをした。
「全く使えないというわけじゃないわよ。『隠し味』的に使えばいいの。通常のアンタの魔法に隠して使うのよ。地球の魔法場とは別物だから、〔防御障壁〕で防ぐのは難しくなるはず。それで我慢しなさい。要は、使いすぎて魔法場汚染が起きなければ良いだけの話なのよ」
雲用務員も、曖昧な笑顔を口元に浮かべながら同意している。
「そういうことでしょうね。あまり、お力になれず申し訳ありません、ジャディ君」
ジャディがガックリと両肩と両翼を落として高度を10メートルほど落とした。雷と旋風も消滅して、いつもの木星の嵐に戻る。
「……まあ、そうだよな。そう美味い話なんかねえよな。くそ。分かったぜ、その事も含めて、支族長と相談してみる。庇護は、まず間違いなく要請することになると思うけどな」
ミンタが満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、今回の木星訪問はここまでね。戻るわよ。クモ先生は、もう気配がないから戻ったみたいね」
【レブンの故郷の避難所】
ジャディが雲用務員と妖精契約の試験を始めた頃、地球ではレブンとムンキン、それにラヤンが、それぞれの故郷へ一時戻っていた。故郷の人々の避難誘導や荷運び、それに故郷の家々や施設の戸締りと、防犯システムの起動確認などをするためである。
同様に、魔法学校の生徒たちのうち、魚族や津波被害が及びそうな河川流域の竜族の合わせて40名余りも、一時故郷へ戻っていた。
「警備や治安維持なんかは、町の自警団や自治軍に任せておけば良いよね。僕は、親戚の魚養殖の叔父さんの手伝いでもするかな……」
レブンの町の人々は全員が海から上がっていて、海抜50メートルほどの高台の上に設けられている避難所に移動を完了していた。皆、セマン族の姿に化けているので、一見したところではセマン族の避難所にしか見えない。
先日の海賊騒動の教訓から、こうした陸地の避難所が設置されていた。(ある意味、この海賊騒動を引き起こしてくれたチューバ先輩やバントゥ先輩に感謝かな……)と思うレブンである。
チューバ先輩の故郷の生き残りは、ほとんどいないのだが、近くの高台に集まって避難生活を送っているようだ。
レブンはチューバ先輩を殺した張本人の1人だと思われているようで、「その避難所には行かないように」と、自治軍の将軍から直々に命令されていた。複雑な気持ちだが、ここは素直に従うレブンである。
避難所のテントを巡って、叔父さんを探すことにした。幸いにすぐに見つかって、挨拶をするレブン。
「叔父さん。僕のシャドウからの観測情報が更新されたよ。餌やりは、少なくとも2週間ほどは出来ないと思う。自動餌やり機を使っても、対処できないかも」
レブンがアンコウ型シャドウを肩に乗せて情報を〔解析〕しながら、隣で険しい顔をしている叔父に告げた。シャドウはステルス性能が高いせいか、叔父を含めた他の魚族にも見えないようである。
「うぐぐ……2週間となると厳しいな。餌が足りなくなって養殖魚が全て餓死してしまう」
レブンが術式を作成して、それをシミュレーションで検証しながら叔父に提案してみる。
「叔父さん。餌が底をついたら、僕に知らせて下さい。仮死状態にする魔法をかけてみます。それで、数週間ほどは何とかできると思います。ですが、仮死状態を経験している魚になるので、商品価値は下がってしまうと思いますが」
叔父が厳しい顔をしたままでレブンのセマン頭の黒髪をクシャクシャして、寂しく笑った。
「仕方ないだろうな。全滅するよりはマシだ。鮮魚で売れなくても、加工品用で売れるさ」
レブンが得ている観測情報には、故郷の町の海域の死霊術場の濃度や、残留思念の集まり具合も含まれている。
それによると、今はかなりの濃度に達しているようだ。勘の鋭い魚族や、ある程度の魔法適性を持つ魚族であれば、そろそろ〔察知〕できる段階になっている。具体的には、気分が悪くなったり、幽霊のような気配を多数感じたりすることになる。
(早めに避難を終えていて良かったという事かな)
今もまだ海岸の森の中から、多くの残留思念が海へ流れ込んでいるのがレブンには見えている。ピーク時間は予定通り、今晩の深夜2時頃だろう。それらの〔解析〕済みの情報を、自治軍と警察に送信する。
そろそろ、この高台の避難所にも海からの悪臭が漂ってくるかもしれない。
叔父が親戚と一緒に、自動餌やり機へのプログラム入力を始めた。その作業を見つめるレブン。叔父たちはプログラムに苦労しているようで、うんうん唸っていた。特に餌の配分と給餌時刻の再設定に頭を悩ませている様子だ。
「すいません、叔父さん」
レブンが小声で謝って頭を下げた。この事態はレブンのせいではないのだが、何となく気が引けるのだろう。しかし、さすが魚族と言うべきか、すぐに気持ちを切り替えたようだ。顔を上げると再び、自身のシャドウを放って巡回観測に向かわせた。
そのシャドウが飛び去っていく先の空が夕暮れになり、風向きも変わり始めた。雲が多い季節なので、夕焼け空も様々な彩りをした雲が絡み合い、ダイナミックな印象になっている。
そんな夕焼け空を見上げていたレブンの耳に、警報が鳴り響いた。すぐ手元に〔空中ディスプレー〕画面が発生して、詳細情報が映像と共に表示される。レブンの顔が曇った。
「ゾンビが出たか……」
画面に記号と映像の2種類で表示されているゾンビが計6体、海岸に上陸してきた。たちまち、夕日を浴びて崩壊して灰になっていく。海岸に展開している自治軍からも、紫外線照射の攻撃が始まった。
攻撃を受けたゾンビが崩壊していく様子が、レブンの手元に生じている〔空中ディスプレー〕画面に克明に映し出されている。紫外線照射の魔法具が、きちんと機能しているようで安堵するレブン。
「攻撃が効いているね。よかった」
避難所には大きな発電設備がないので、光魔法の魔力を詰めたカートリッジを使っている。これならば、日没後でも問題なく使用できる。
以前にエルフ先生やノーム先生が使用していた、杖に取りつける魔力カートリッジと基本的には同じだ。ただ、これは精霊魔法ではなくて、ソーサラー魔術版になる。ウィザード魔法も、ここには魔法場サーバーがないので使えない。
ゾンビはどれもかなり腐敗が進行していたようで、ほとんど骨に皮が付着している程度の状態だった。早くもカニやヒトデなどが取りついている。
「死後、相当日数が経過している死体だよね、あれって。海賊の死体かなあ。近隣諸国の魚族の死体は、まだあそこまで腐敗分解していないはずだし」
実際、ゾンビというよりはスケルトンと呼んだ方が良いようなアンデッドの姿もあった。肉体は小魚やエビに食われてしまったのか、骨だけだ。その骨もきれいで、傷が1つもない。
そんなスケルトンも紫外線照射で灰になって粉砕されてしまった。レブンの出番は全くなしである。
「これなら、僕が居なくても大丈夫そうかな」
レブンが一応、自治軍の将軍とも話をする。こういった散発的なゾンビの襲撃程度であれば、将軍も対処できると思ったのだろう、他の困っている町や村への救援活動に出向くことを許可してくれた。
「だが、我々が緊急事態になった場合は、最優先で駆けつけるように命令する。君は民間人だが、今は臨時で軍属になっているからね」
将軍の命令に素直に従うことにするレブンである。
幸い、今の魔法学校の生徒のほとんどは、これまでのゴースト騒動のおかげで〔察知〕できるようになっている。生徒たちがそれぞれの故郷に戻っても、充分にゴーストやゾンビの存在や接近を〔察知〕できるはずだ。
しかし、魔法学校に生徒を送り出していない魚族の町も多く、そういった町では期待できない。
いきなりゾンビが海から現れたら、その腐敗した姿を見てパニックに陥る恐れがある。加えて死体なので、普通の銃器では対応が難しいのだ。
脚や手を完全に破壊しないと行動を抑えることができないし、頭や心臓を撃っても死体なので効果はない。脳を含めた臓器は全て機能していないのだから当然だ。
自治軍がやっている紫外線照射のような専用武器がないと完全な無力化は困難なのが、こういったアンデッド対処法の面倒な点である。
レブンが将軍との通信を終えて、再び海岸沿いのゾンビ上陸阻止の水際作戦の様子を見る。上陸して来るゾンビやスケルトンは、数が10体以上に増えていた。しかし今のところは、確実迅速に破壊できている。
海岸では榴弾砲も自治軍が使用していて、その爆炎が上がるのが何度も見える。帝国から配備された紫外線照射の魔法具の数が少ないので、その補填として支給された武器だ。
「……あまり効果はないよね」
レブンが残念そうな表情になって画面につぶやく。
榴弾が命中して爆砕されたゾンビやスケルトンだが、すぐに吹き飛ばされた破片をつなぎ合わせて行動可能になっている。死体なので気軽に他者の体の破片をつなぎ合わせることができる。もちろん、拒絶反応が出るので長時間の使用は無理だが、この戦闘中であれば問題ない。
今、吹き飛ばされたゾンビは、腹から下が吹き飛んで上半身だけになってしまったが、すぐに、近くに転がっている他のゾンビの足を拾って腹に嵌めこんだ。それだけで歩行機能が回復したようだ。
立ち上がり、キョロキョロして吹き飛んだ指を拾い集めて、これまた手の平に突き刺していく。指の数が4本だったり7本だったりしているが、ゾンビにとっては些末な問題である。
頭を吹き飛ばされたゾンビは、さすがに感覚器官が全て喪失しているのでバタバタと手足を振ってむやみに砂浜を這いまわっている。それを、頭がある別のゾンビが抱え上げて合体した。頭が1つで体が2つのゾンビになる。まさに人形のパーツとしての死体だ。
上陸して来るゾンビは皆、魚族が人化してセマンの姿になった状態なので、やはり以前に陸地を襲撃してきた魚族の海賊なのだろう。魚族は普段は海中にいるので足がヒレになっている。人化した状態で死体になっているので、足があるのだ。
「なるほどなあ……こんな姿で襲ってこられちゃ、死霊術が嫌いになる人が増えるよね」
レブンが画面越しにため息をついて、戦況を観察する。残留思念のエンジン出力が弱いのだろう、ゾンビやスケルトンの動きは実にゆっくりだ。(走ることもできないな……)と見るレブンである。
頭1つ体2つのゾンビが紫外線照射をまともに受けて、爆発しながら塵灰になったのが見えた。死霊術場と光の魔法場は対立するので、こうして爆発を起こしたりする。
ただ、今回はエルフ先生が使用したような光の精霊魔法や法術ではなく、より穏やかなソーサラー魔術の〔光線〕魔術なので、衝撃波を伴うような大爆発を起こすまでには至っていない。時刻も夕焼けが終わりを告げる頃合いで、太陽光を浴びて灰になる敵アンデッドの数も急速に減ってきていた。
手元に、別の小窓型の〔空中ディスプレー〕画面が発生した。ムンキンとラヤンからであった。その2つの小窓に挨拶するレブン。
「ラヤン先輩、ムンキン君。そろそろ今晩は……の時間かな。こちらはゾンビとスケルトンの群れが来てるよ。今まで20体くらい、僕の町の自治軍が破壊した。死霊術場の濃度の峠は、やはり予想通り今晩の深夜2時あたりになると思う」
ムンキンが小窓画面で汗を拭きながら答えた。故郷の町が城塞都市ということもあって、色々と手伝っていたのだろう。
「まあ、謎の死霊術式は〔分解〕したから大丈夫だけどな。軍と警察の許可が下りて、気兼ねなく〔側溝攻撃〕ができた。後は、帝国沿岸の死霊術場と、残留思念が希釈されていくのを見守るだけだ」
ラヤンも別の小窓画面から顔を見せている。こちらも忙しそうだ。
「こちらも大丈夫そうよ。相変わらず死臭が強まっているけどムンキン君の言う通り、明日には消えているはずね。散発的に襲ってくるアンデッドを退治するだけで済むと思うわよ」
レブンも、空間に仕掛けられていた死霊術が消滅しているのを確認して安堵している。
「そうだね。こちらも謎の死霊術式の〔分解〕処理を終えたところだよ。結局、どこの誰が仕掛けたのかは分からず仕舞いだった。自治軍の情報だと先程、空間に仕掛けられていた術式の全てを〔分解〕し終えたって。帝国の沿岸沿いに100ヶ所以上あったらしいね。良かったよ」
軍と警察、それに魚族自治軍の調査では、タカパ帝国の海岸線沿いに、時限式の死霊術式が100以上も発見されていた。ムンキンが許可を得て〔側溝攻撃〕を仕掛け、それに基づいて〔解除〕〔分解〕の対抗術式が編まれた。
それを軍と警察や魚族竜族の自治軍、自警団が共有して、人海戦術で全ての時限式の死霊術罠を〔分解〕していたのだった。
もちろん、魔法適性がないと死霊術式を発見することができないので、発見用の術式を組み込んだ紙製ゴーレムを大量生産している。このゴーレムを飛ばすことで、空間に仕掛けられている時限式の死霊術を発見、自動〔解除〕〔分解〕処理をしている。
ちなみに、このゴーレムを作ったのは魔法学校のウィザード魔法幻導術クラスの生徒たちだ。担当教師のプレシデ先生は、大いに不満そうな態度であったが。レブンたちも先生の黒い深緑の瞳が、いつも以上に細く吊り上がっていたのを見ている。
レブンが安堵しながら、ムンキンとラヤンに微笑みかけた。
「まあ、犯人捜しは軍の情報部に任せれば良いと思う。専門家だし。ムンキン君とラヤン先輩の故郷も、大丈夫そうで良かっ……」
いきなり、手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面が発生して、警報を発した。
思わず魚顔に戻るレブン。その警報画面が切り替わって、人魚族のカチップ管理人の切羽詰まった顔が映し出された。さすがに避難指揮中のようで、いつもの渋いスーツ姿ではなく汚れても構わないような作業服だ。
「レ、レブンさんっ。大変ですっ。先程、センサーに大量のアンデッドの反応が出ました。この将校施設へ真っ直ぐに向かって来ています」
その警報画面の情報では、将校避暑施設の沿岸沖合い700メートルに、500ものアンデッドの反応が出ていた。その魔力量をざっと見て確認したレブンが、カチップ管理人に告げる。
「魔力量から推測して、低級のゾンビですね。作戦通り、軍と警察と協力して迎撃して下さい。僕たちも至急駆けつけます」
まだ多少パニック状態だが、それでもはっきりとした声で了解するカチップ管理人。通信をいったん終了して、警告画面の小窓を消去するレブン。ムンキンとラヤンの顔が映っている小窓画面に、明るい深緑色の視線を向けた。
「ゾンビは片付けたはずだったんだけどなあ。あの場所は他に比べると死霊術場の濃度が高いから、新手のゾンビが寄って来やすいみたいだね。それじゃあ僕は早速、カチップさんの支援に向かうよ。ムンキン君とラヤン先輩も、手が空いたら応援に向かってくれると助かります」
ムンキンとラヤンが即座に応じた。
「おう。じゃあ、将校施設の浜で落ち合おうぜ。レブン」
「私も引継ぎを済ませたら、すぐに向かうわ。レブン君」
レブンがうなずいて、〔テレポート〕魔術を起動させた。自治軍の将軍に一言告げて許可を得る。
「では行ってきます。〔テレポート〕!」




