82話
【運動場】
ペルは次がウィザード魔法力場術の授業なので、運動場へ向かう。レブンはウィザード魔法幻導術の授業で、地下1階の教室だ。レブンが新型の杖の状態を確認しながら、ペルに片手を振って別れた。
「調子よく動作しているよ。良い杖だね。ありがとう、ペルさん」
ペルが少々照れながら片手をヒラヒラ振り返した。彼女は運動場へ出る階段へ向かう。
「えへへ。良かったあ。何か不具合があったら、すぐに私かミンタちゃんに言ってね。じゃあ」
そのままペルが地上へ出て、日差しを浴びて薄墨色の目を細めた。急いでカバンの中を探って、次の力場術で吹っ飛んだりして壊れてしまいそうな物がないかどうかの最終確認をする。ペルの闇の精霊魔法メインの〔防御障壁〕をかければ、ほとんどの魔法を遮断できるのだが、そこは念のためということだろう。
カバンの中をゴソゴソしながら、ペルが運動場を小走りで実習授業の場所へ向かっていると、上空からジャディの声が飛んできた。制服姿のジャディが上空から舞い降りてくる。土煙を上げて運動場に着地して、そのまま仁王立ちになるジャディだ。
学校指定の紺色のブレザー制服に黒紺色の半ズボンで裸足である。白い長袖シャツの襟元に締めるべきの濃紺色の細いネクタイは、息苦しいのか見当たらない。
代わりに、ブレザー服の左胸ポケットの上にある金糸の校章には、ガラス片や金属片が多数突き刺さっていてピカピカしている。鳥の習性なのだろうか。
「よお、ペル。エルフとノームの先生は、無事に帰ったのかよ」
(第一声がこれかあ……)と呆気にとられるペルだったが、すぐに微笑んでうなずいた。土煙は〔防御障壁〕できちんと防御しているので、彼女のブレザー制服や尻尾などの毛皮に土埃はついていない。
「うん。遅くても来週の今頃には戻って来ると思うよ。代理の先生がゴーレムだけど、教え方が上手でびっくりしちゃった。ジャディ君も授業に参加すれば良いと思うけどな」
今度はジャディが、凶悪な顔を歪めてニヤリとした。これでも愛想笑いのつもりだということをペルは知っている。
「ゴーレムの方が教え方が上手いって……オマエな。まあいいや、気が向いたら行ってやるよ。そんな事よりもだな」
ジャディの顔が大真面目になる。背中の翼もきちんと畳まれる。琥珀色の瞳が鋭く輝いた。
「木星の風の妖精と『妖精契約』をする話をつけてきた。だが、オレ様だけじゃ木星まで〔テレポート〕できねえし、先に妖精契約を結んでるミンタ狐の同席も必要だ。放課後、オレ様に付きあえ」
【慰霊碑の前】
放課後。ペルが〔空中ディスプレー〕を介して、ミンタとムンキン、レブンにジャディ、それにラヤンに呼びかけた。集合場所は、運動場の隅にある慰霊碑前だ。運動場では他の生徒たちがクラブ活動を始めている。それになぜかパリーが混じって一緒になって飛び回っていた。
それを見つめるペル。慰霊碑前には彼女が一番早く着いている。
「パリー先生も、カカクトゥア先生が留守だと元気になっちゃうのね。っていうか、いつの間にか自由に空を飛べるようになってる」
そこへミンタが飛んでやって来た。今日からはエルフ先生とノーム先生がいないので、格闘術のクラブ活動は自主練習だけだ。なので、ミンタは学生服のままであった。自主練習には全く興味がないらしい。
「バカな級友を持つと苦労するわね、ペルちゃん」
ペルが微笑んで誤魔化していると、ジャディも飛んでやって来た。いつもと違って、ミンタの文句に食ってかからない。
「飛族にとっては、風の妖精と契約できるってのは滅茶苦茶に名誉なことなんだぜ。ミンタとペルには悪いが、オレ様に付きあってもらうぞ。報酬は出世払いだ。期待して待ってろ」
さすがにミンタもジャディの性格を理解できているので、「ハイハイ」と軽く受け流している。
ジャディの小脇には、雲用務員が物のように抱きかかえられていた。その用務員も大人しくしているので、妖精契約の下準備は整っているのだろう。
ジト目気味ながらも、ミンタがジャディの肩を「ポン」と叩いた。制服の下が分厚い羽毛なので、布団を叩いたような音が鳴る。
「このところの授業や実習続きで息抜きしたかったし、気分転換に付きあってあげるわ。木星にも、忙しくて行ってなかったのよね」
ミンタの了承を得て、素直に喜んでいるジャディだ。このあたり単純である。
次にミンタが、小脇に抱えられたままの雲用務員に視線を向ける。
彼の服装は相変わらずの用務仕事のための作業服で、粗末なサンダルを履いている。体型は……すっかり墓用務員にそっくりになっていた。見事な中年オヤジの姿である。
しかし、顔だけは狐顔のままで、両耳がミンタやペルと同じようにピコピコ動いている。それに、頭の毛皮には黒と金色の縞が交互に入っている。この辺りは、妖精契約をミンタと結んだ影響だろう。
ただ、狐族にとっては、人間型の区別はそれほど厳密ではない。中年オヤジであろうと美少年でも大差ない。どちらかと言うと、体臭や身長の差異の方が気になる様子である。
ミンタもペルは狐族なので、雲用務員の容姿については特に感想もない様子だ。他の用務員との区別は、それぞれの体臭や発散している魔法場の種類で容易にできている。
「雲さん。妖精契約だけど、私との場合は供物だけで済んだわよね。ジャディ君の場合は、供物なしだからアンタと戦って、その戦闘内容に応じて契約を結ぶことになるんだけど……殺すのは良いけど、〔ロスト〕や〔妖精化〕、〔精霊化〕なんかしちゃダメだからね。〔復活〕作業が面倒になるから」
雲用務員がジャディに抱えられながら、気楽な笑みを浮かべている。
「分かっていますよ。ミンタさんの魔法適性は全般的に高いのですが、それでもジャディ君ほど風の精霊魔法に関しては高くありません。どちらかと言うと、光の精霊魔法の適性が高いですからね。太陽から離れている木星では、ちょっと弱くなる魔法なんですよ。ミンタさんに何か起きた場合、妖精契約が不安定化する恐れがあります。その事故に備えての保険という意味合いでも、ジャディ君との契約は都合が良いのですよ」
「ふふん」と、意味もなくドヤ顔になってハト胸を張っているジャディである。ブレザーの制服がパンパンに膨れ上がっている。
雲用務員がようやくジャディの小脇から地面に下ろされた。早速、サンダルのズレを直しながら話を続ける。早くも、顔の印象がジャディに似てきているようだ。
「ミンタさんが私に供えてくれた供物の質は、上々でしたよ。木星にはほとんどない、生命の精霊場の塊である森の妖精でしたからね。ですが、やはり供物は供物です。妖精契約の内容も、ごく基礎的なものに留まります。風の属性を有する存在は、基本的に身勝手で自由奔放なのですよ。まあ、正直に申しますと、ケンカ相手が欲しいということですかね」
ジャディが早速、琥珀色の瞳をギラギラと輝かせて凶悪な笑みを満面に浮かべた。背中の翼と尾翼も大きく広げられる。ブレザー制服の内ポケットから〔結界ビン〕を1つ取り出した。
「おう。分かってるじゃねえか。さすが風の妖精だなっ。戦うと決まれば、こんな動きにくい制服は邪魔だなっ」
ジャディが〔結界ビン〕を開けると、あっという間に制服が全て吸い込まれてしまった。
「ぎゃあ」と悲鳴を上げるペルとミンタであったが……次の瞬間にはいつものツナギ作業服姿のジャディがそこに立っていたのでジト目になる。
「コラ、このクソ鳥! いきなり素っ裸になるなあっ」
ミンタのゴキブリでも見るような視線に、ペルもさすがに同調している。
「そ、そうだよ。着替える時間くらい余裕があるよっ」
豪傑笑いをして無視するジャディ。羽毛で覆われた肩や首をグルグル回して凶悪な笑みを浮かべた。
「よーし、これで準備完了だぜ! 遠慮なんかしねえからな。楽しみにしとけよっ」
雲用務員も狐顔で微笑んで、両耳をパタパタする。作業着の袖をクルクル巻き上げて、肘から先を露わにしていく。やはり腕も、締まりのない中年の腕そのものだった。
「いいですねえ。貴方を誤って殺しても、文句は受け付けませんよ」
早くも意気投合し始めているジャディと雲用務員を、軽いジト目で見つめるミンタとペルであった。
「ジャディ君がバトル好みな理由が分かった気がする、ミンタちゃん」
「そうね。言われてみれば、その通りね」
そこへ遅れて駆けつけてきたのは、レブンとムンキン、それにラヤンだった。開口一番でレブンがミンタとジャディに謝る。
「申し訳ない。たった今、南の軍将校避暑施設の管理人をしている人魚族のクク・カチップさんから急報が入ってきたんだよ」
「ん?」と首をかしげている雲用務員に、ペルが簡単に解説する。
「この学校が一時使用できなくなった時に、南の海辺にある軍の施設を借りていたの。そこの管理人が人魚族のクク・カチップさん。今も、学校の生徒や職員の方々の避難先の1つに指定されているわ」
「なるほどー……」と、納得している雲用務員である。
ジャディにはあまり良い記憶や印象はない様子で、凶悪な顔を更に険しくさせている。
「熱帯でジメジメしてるから、飛ぶと翼が重くなるんだよな。上昇気流もあちこちで中途半端に起きるから、真っ直ぐ飛べないしよ。避難しろって言われても、オレ様はもう行かねえぞ」
そんなジャディの文句には耳を傾けず、レブンが話を進める。やや緊張しているのか、顔が少し魚ぽくなっている。
「説明ありがとう、ペルさん。それで、カチップさんの知らせでは、海から死臭が漂ってきているらしいんだ。〔念話〕で近くの森や地下水の妖精に質問してみたら、彼らも最近になって不快感を感じているみたいなんだよね」
ラヤンがレブンの話に補足説明する。彼女も少し緊張気味のようだ。赤橙色で金属光沢を放つ細かいウロコが微妙に逆立っている。
「マルマー先生とも相談してみたわ。送られてきている映像や観測情報だけでは、これといって特に異変は認められなかった。なので、真教も現状では動かないわね。法術専門クラスの手助けは期待しないでちょうだい。ただでさえ授業が遅れているから、今は余計な事に関わる時間的な余裕がないのよ」
「そうだろうなあ……」と、互いに視線を交わして察するミンタたちである。授業そっちのけで、マルマー先生が宗教の布教に精を出し過ぎたせいだ。
ここでラヤンが口調を固いものに変えた。紺色の両目が半眼に細められる。
「だけど私の〔占い〕では、かなり不吉な事が起きると出てるのよね……何も起こらないに越したことはないけれど、今のうちに充分な調査をして、監視網を構築しておく方が安心できると思うわよ」
まあ、ラヤンの〔占い〕が当たる確率はせいぜい1%なのだが。特に、日常の出来事の〔予知〕については壊滅的ですらある。これまで、その日の学生食堂のメニューを当てたことは皆無だ。
レブンがラヤンの補足説明に感謝して、話を続ける。
「考えられるのは、死霊術使いの暗躍なんだけど……タカパ帝国や周辺国では、高名な魔法使いはいないんだよね。魔法世界から来ている死霊術使いも、僕が知る限りでは就労ビザ名簿に載っていない。特殊部隊や、諜報部隊にはいるかもしれないけど、これは調べようがないし」
国の機密情報になるので、一介の学生では調べる事は難しい。
「他に考えられるのは死者の世界のオーク軍だけど、海中に拠点を設けるのは溺れてしまうので無理がある。墓所については、墓さんや墓次郎さんにさっき聞いたんだけど「知らない」って返事だった。そうなると、可能性が残るのが、貴族なんだよね。ナウアケ卿の仲間が海中で何かしているのかもしれない」
ここでいったん話を切るレブン。そういえば、ここにはハグ人形がいない。ペルが深刻そうな表情になった。
「もし貴族だったら、勝ち目はないよ。軍とテシュブ先生に知らせて、私たちは後方支援に徹するべきだと思う。私たちが使う〔エネルギードレイン〕魔法や〔暗黒物質破壊〕魔法、それに〔側溝攻撃〕なんかも、もう知られていると思うし」
レブンが素直にうなずく。しかし、顔はセマンのままだ。
「僕もそう思う。なので、今回は調査だけに留めるつもりだよ。貴族が関わっているのかどうかだけ調べる。死霊術場や残留思念の動きと量を観測すれば、おおよそだけど推察できるからね。こういう調査は、魔法適性がある僕が適任だと思う。軍や警察、それに学校の先生には、魔法適性がない」
ムンキンがニヤリと笑みを浮かべて、レブンの肩に腕を回した。
「護衛は俺に任せろ。海辺だけど、竜族ならば頼りになるぜ」
ラヤン先輩も目を細めたままで、レブンのもう一方の肩に軽く手を乗せた。
「〔治療〕役も必要でしょ。塩水は傷口にしみるわよ。木星のような宇宙では〔治療〕するよりも、さっさと地球へ逃げ帰った方が確実でしょうね。私はレブン君に同行するわ。もしアンデッドが出現しても、低級なものだったら私の法術で〔浄化〕できるし」
レブンが改めてペルとジャディに謝る。
「そういうことになってしまった。ごめんね、ジャディ君の晴れ舞台なのに」
レブンが来てくれないことに、ジャディも少々ガッカリしている様子だったが、表情はほとんど変わっていなかった。相変わらずの凶悪な顔に琥珀色の瞳を鋭く輝かせる。
「ふん、気にするなって。オレ様が契約をしくじるわけがないだろっ。楽しみに待ってろ」
そして、雲用務員を再び小脇に抱えて、ペルとミンタに鋭い視線を向けた。
「よっしゃ、行くぜっ! ついてこい狐どもっ」
ミンタがジト目になって答えた。両耳がピコピコと不機嫌そうに動く。
「あのね……木星に〔テレポート〕魔術刻印を刻んだのって、この私なんだけど。まったく、このバカ鳥は。もう少しくらいは、礼儀というものを勉強してもらいたいものね」
慌ててペルがミンタをなだめて、同時に食って掛かってきたジャディを身を挺して止めた。
「もう、ミンタちゃんってば。ジャディ君もカッカしないのっ。雲用務員さんも忙しい中、こうして時間を作ってくれたんだから。こんなケンカで時間を費やしちゃ、もったいないでしょ」
確かにその通りなのでモゴモゴと口ごもりながらも、その場は手を引くミンタとジャディであった。小脇の雲用務員は、ケンカが始まるのかと期待していたようであったが。
ペルが思わず自身の両手をじっと見つめて、少し首をかしげている。
(体力がついてきたのかな? 以前の私だったら、間違いなくジャディ君に突き飛ばされていたはずよね)
そんなペルには気がつかない様子のミンタが、簡易杖を取り出して〔テレポート〕の術式を走らせた。指定空間を〔テレポート〕させる魔術だ。
「じゃあ、木星へ飛ぶわよ。空気が地球とは全くの別物だから、準備をしておきなさいよね。窒息して凍っても知らないわよ。じゃあ、〔テレポート〕!」
次の瞬間、かき消されるようにミンタとジャディたちの姿が消えた。雲用務員もジャディに抱えられたままで一緒に〔テレポート〕をしている。ペルだけはレブンの様子が気にかかるのか、やや不安そうな視線を向けたが、それも次の瞬間には消えてしまった。
空間指定がかなり厳密にされているようで、地面が一緒に〔テレポート〕されたりはしていない。それでも、直径2メートルの半球状の空間が消滅している。その場所が真空状態になって周辺から風が流入して、土埃が巻き上がった。
運動場に残ったのは、レブンとムンキン、それにラヤンの3人だった。
ラヤンが赤橙色のウロコを日差しで鈍く輝かせて、紺色の瞳をジト目にしている。尻尾は軽く地面を「ポンポン」とリズム良く叩き続けているので、それほど不快に思っているのではなさそうだ。
「バカ鳥に付きあうとか、お人良しよね。しかも、学校の〔テレポート〕魔術刻印を勝手に改変して使っているし。この魔術刻印はミンタの物じゃないんだけど」
確かにその通りなので、同意するしかないレブンとムンキンであった。
「コホン」と軽く咳払いをして話題を変えたレブンが、ムンキンとラヤンに向き合う。かなり真剣な表情だ。
「では、僕たちも南へ〔テレポート〕しましょう」
【木星へ】
ジャディがミンタたちと一緒に〔テレポート〕した先は、真っ暗で真空の宇宙空間だった。
遠いながらも太陽がまぶしく輝いているせいで、星があまりよく見えない。周囲には木星の姿はなく、それどころか地球も見えない。
ジャディは雲用務員を小脇に抱えたままで、ミンタが展開している球状の〔防御障壁〕の中でクルクルと回転していた。慌てているせいで、背中の両翼と尾翼がバタバタと見苦しく閉じたり開いたりしている。
「ちょっ……どこだよここ! 木星が見えねえじゃねえかよっ。〔テレポート〕失敗なんかしてるんじゃねえぞ、このクソ狐っ」
ペルもいきなりの無重力空間に入ったので、姿勢制御できずにクルクルと回転している。薄墨色の瞳が更に白っぽくなって、黒毛交じりの尻尾も見事に逆立ってしまっていた。
「わ、うわわわっ。体のバランスがっ……」
ペルもジャディも宇宙空間に出るのは、あまり経験がない。今回はサムカもおらず、自力で姿勢制御する必要があるのを失念していたようだ。
ミンタは慣れているのかクルクル回転せずに、少々呆れた目でジャディとペルを見つめている。
「地球と木星の間の距離が、どのくらいあると思ってるのよ。前回はひとっ飛びで木星へ到着できたけど、今回は無理なのよね。ほら、学校の保安警備システムが更新されたでしょ。あの時に、〔テレポート〕魔術刻印も消滅しちゃったのよ」
ジャディがフラフラしながらも姿勢制御を上手に行って、凶悪な顔をミンタに向けた。
「そういう事は、さっさと言え!」
ペルはまだ姿勢制御中で必死に手足をパタパタさせている。「アワアワ」言うばかりで、コメントをする余裕はなさそうだ。
ミンタが「フン」と鼻先のヒゲを振って、ジャディに明るい栗色の瞳を向ける。
「うるさいな。〔ログ〕で残ってたのは、クモ先生が使った古い魔術刻印だけだったのよ。だから、こうして面倒な修正作業をしているんでしょ。木星にある〔テレポート〕魔術刻印の座標が常時移動しているから、こうやって近づきながら、座標修正していく必要があるのよ。ついでに、宇宙空間にも慣れていきなさいよね。私も最近は木星へ〔テレポート〕していなかったから、座標修正が必要だし」
〔防御障壁〕の外にミンタが栗色の瞳を向けて、口を少し尖らせる。
「クモ先生が何もしていなかったから、こんな手間をかけることになってるんだけどね。ねえ、クモ先生」
真っ暗で真空の宇宙空間の一角から〔念話〕だけが届いた。クモ先生の姿は見えないままだ。
(授業ではないからな。君の趣味につきあうほど、我は酔狂ではないぞ。まあ、こうして監督はしているから、好きなようにやりなさい、ミンタ)
ペルがようやくクルクル回転を制御し始めながら、〔念話〕だけのクモ先生に挨拶した。
「古代語魔法の先生ですよね。こんにちは。歴史の授業以外では、見たことがないのよね。でも、おかげで少し安心しました」
ジャディはさすがに空中を飛ぶことに慣れているせいか、もうすっかり姿勢制御を完璧に行っている。背中の翼をきれいに畳みながら、琥珀色の瞳をギラつかせた。無重力状態なので、全身の羽毛が膨らんでいる。
「まったくだぜ。居るなら居るって言え。よし、姿勢が安定した。呼吸も支障なしだな。宇宙線の強度がちょっと強かったけど、これも対処完了だ」
雲用務員はジャディに抱えられたままでニコニコしている。
ミンタが〔防御障壁〕の状態を再確認して、ペルとジャディの健康状態検査を手早く済ませた。異常なしだ。
「さっきまで泡食って慌てていたくせに。じゃあ、もう数回ほど中継しながら〔テレポート〕して、木星へ向かうわよ」
さらに6回〔テレポート〕を繰り返すと、はるか彼方に赤い点のような木星が見えた。ミンタが小さくため息をつく。
「やれやれ。やっと着いたわね。古い魔術刻印の座標と全然違うじゃないの、もうっ。じゃあ、最後の〔テレポート〕をするわよ!」
次の瞬間。いきなり巨大な重力と、濃密な大気に包まれた場所へ出現した。
猛烈な暴風が吹き荒れ、塵や氷の破片が凶悪な速度で飛び交っている。青白い雷も、そこらじゅうに発生して轟音が凄まじい。木星の昼側に〔テレポート〕したようだ。足元も頭上も濃いガスで覆われていて、水中にいるような錯覚すら覚える。
ミンタが早速、ジャディと雲用務員を自身の〔防御障壁〕の中から弾き出して、〔念話〕を送った。
(凄い轟音だから、通常の会話は無理よ。〔念話〕を使いなさい、バカ鳥。じゃあ、頑張って。私たちは見物するから、せいぜい楽しませてちょうだい)
さらにジャディに、木星での現在座標の情報と、大気組成と気圧温度、重力加速度、周囲を飛び交っている雷の電圧と電流の情報などを、ひとまとめにして渡す。
ちょうど、木星の上層大気にいるようだ。地球の大気とはまるで組成が違うので、呼吸に使うことはできない。
ペルがジャディの〔防御障壁〕の調整を手伝おうとしたが、ミンタが制服の袖を引っ張って制止した。
「だめよ、ペルちゃん。ここからは、全て自力でしてもらわないと。もう、妖精契約の試験が始まっていると見ていいわ」
雲用務員の印象があっという間に変化して、荒々しくなってきている。この雷が走りまくる暴風の中であっても、平然として〔浮遊〕している。さすが地元民だ。
(そうですね。ジャディ君がここで死んだら、それまでの話ですかね)
ジャディが「うおおお!」とか何とか叫びながら、それでも1分ほどで〔防御障壁〕の調整を完了した。風の精霊魔法は得意だが、こういった〔防御障壁〕の調整は別の魔法系統なので苦手のようだ。
(よ、よし。これでもう大丈夫だぜっ)
ドヤ顔でハト胸を張るジャディに、ミンタがジト目のまま指摘する。隣のペルもオロオロしたままだ。
(おい、バカ鳥。呼気中の二酸化炭素を排出する術式が起動していないわよ。そのままじゃ中毒死するぞ、バカ鳥)
(ジャ、ジャディ君。ミンタちゃんの言う通りだよ。急いでその術式を走らせて。でないと、二酸化炭素中毒で気絶しちゃうよっ)
ペルの必死な呼びかけで、ジャディが慌てて〔防御障壁〕の再調整を済ませた。ほっとするペルである。一方のミンタはちょっと楽しめたようだ。ニコニコしながらジャディを褒めた。
(そうそう。あと30秒も対処が遅れていたら、オシマイだったわね。とりあえずは、その〔防御障壁〕で何とかなるわ。試験を始めても大丈夫よ)
どこまでも、上から目線の物言いのミンタである。
ジャディが当然のようにミンタに食って掛かろうとしたが、それを雲用務員が制止した。
(時間もないので始めましょうか、ジャディ君。木星の1日は10時間ほどしかありませんからね。夜になってしまうと、何かと不便でしょう)
ジャディは鳥目ではあるのだが、一応は夜間でも目は利く。それでも、暗くなると不利になることには変わりはないので、ここは素直に雲に従うジャディであった。
(おう、早く始めようぜ。オレ様の準備は、もう完璧だぞ)
確かに、数発の青白い雷を〔防御障壁〕で弾いているし、暴風にも流されていない。
ペルが小声で隣のミンタにささやいた。この2人は1つの〔防御障壁〕の中に一緒にいるので、通常の会話でも問題ない。
「さすがだね。もう順応しちゃった。今回は、木星の風の精霊が敵対的なのに」
「バカ鳥でも、飛族だけのことはあるわね。私よりも早く〔防御障壁〕の調整を終えるなんて、やるじゃないの」
しかし雲用務員はその場に浮かんでいるままだ。軽く手を振って、ジャディに告げる。
(いきなり私が相手してしまうと、手加減を誤って君を〔妖精化〕してしまう恐れがあります。まずは、私の代理として、下位の精霊と戦ってみて下さい。それで、妖精契約に必要な大よそのことが分かりますので)
ジャディが凶悪な笑みを浮かべて、背中の翼を大きく広げた。
(いいぜ。やってみろ)
【風の精霊魔法試験】
雲用務員が風の精霊魔法を使ったようで、氷の破片や塵混じりの暴風が穏やかになってきた。それでも風速は時速100キロ以上あるが。
青白い雷が縦横に走り回るガスの中から、何か10トントラックほどの大きさの物体が現れた。視界が暴風のせいで1キロほどしか利かないのだが、そのシルエットは容易に分かる。
(ミンタさんから頂いた生命の精霊場を活用してみました。クラゲ型をした疑似生命体ですが、風の精霊場を帯びていますよ。生命と精霊の中間という存在ですかね。精霊のままでは実体があやふやなので、木星の大気に溶け込んでしまう恐れがあります。これであれば戦いやすいでしょ、ジャディ君。私も評価しやすくなります)
確かに、木星の風の精霊と、地球の風の精霊とは精霊場が異なる。星が異なるので当然なのだが、精霊場が異なると〔探知〕が難しくなることが多い。
ミンタも同じ経験をしていたようで、隣のペルに注釈を入れた。
「そうなのよね。供物を捧げる前は、どんな精霊や妖精がいるのか私も〔察知〕できなかったもの。でも、こうやって一度でも姿を見たりすれば、後はもう大丈夫なんだけどね」
ペルも、サムカが以前の授業で、風の上位精霊の紹介をした際を思い出したようだ。
「そう言えばテシュブ先生が私たちに太陽風や銀河風の精霊を見せてくれた際も、調整をしてくれてた。やっぱり、色々と違うんだね」
そんな会話をしている間にも、風の下位精霊の姿が明らかになってきた。確かにこれはクラゲ型だ。
その割には触手や内臓らしきものは見当たらないが。半透明の椀型の体は、ほのかに赤く発光して、表面には静電気の火花がバチバチと散っている。
ジャディが翼と尾翼を大きく広げて攻撃態勢を完了し、その凶悪な顔で不敵に笑った。彼も周囲に10個の白く光る〔オプション玉〕を展開し、さらに半透明の黒いカラス型のシャドウを近くに控えさせている。
彼自身の〔防御障壁〕も複数枚の重層型になり、新型の杖を手にしていた。ダイヤ結晶が青く光って杖全体がぼんやりと白く輝き出している。
太陽光の強さは地球よりもかなり弱いのだが、その分、宇宙線が強くなっているのでそれで補っているようだ。ちょうどエックス線バーストの時期と重なっている事も有利に働いている。もちろん、この仕組みの詳細までは知る由もないジャディであるが。
(上等だ。じゃあ、遠慮なくぶっ潰してやるぜっ)
同時に、ジャディの〔防御障壁〕を包み込むように竜巻状の風が巻き上がった。雲用務員がちょっと驚いたような表情になる。今は、かなりワイルドな中年狐オヤジ顔に変わってきていた。そろそろ人間的な雰囲気もなくなりそうだ。
(ほう。これはこれは。ここは木星ですから、地球の風の精霊はいないのですが……ああ、そうか。ソーサラー魔術による風魔術ですね)
ミンタとペルが何か含んだような笑みを浮かべて、互いに無言で視線を交わしている。彼女たちはそのまま現状の〔防御障壁〕を展開している。
ジャディが直径10メートルにも達する大きな竜巻の中で、凶悪な笑みを浮かべた。ほとんど悪人顔だが、これが彼の照れ隠しである。
(ちょっと違うぜ。ソーサラー魔術とウィザード魔法力場術の両方だ。魔力サーバーは木星にないから、地球から回線を魔法で引っ張ってきてるけどな)
ミンタが補足解説する。ちょっとドヤ顔だ。
(私が木星で古代語魔法の練習をする際に、魔力回線を地球から引っ張ってきてるのよ。それを今、このバカ鳥が勝手に使ってるってわけ。まったく、回線泥棒だけは上手になったわね、バカ鳥のくせに。だから、1時間くらいは、この出力の魔法が継続して使えるわよ。ソーサラー魔術だと自前で魔力を用意するから、ここまで長時間使用できる魔術は使えないけどね)
ペルが両耳をパタパタさせた。3本の黒い縞模様が走る頭と紺色のブレザー制服のせいで、いつも以上に影が薄く見える。
(あ。そうか。この魔力回線の敷設のやり直しも、さっき行ったんだね。いくら木星と地球が離れてるっていっても、8回も細かく〔テレポート〕するなんてミンタちゃんらしくないなあ……と思ってたんだけど。そういう事だったのかあ)
ドヤ顔をペルにも向けるミンタだ。
(このバカ鳥は、私ほど成績優秀じゃないからね。丈夫な魔力回線を引く必要があったのよ)
ジャディがすかさず怒り出すが、無視するミンタだ。
ジャディも今は試験に集中しないと死んでしまいかねないので、短時間の罵声をミンタに叩きつけるだけで我慢したようである。
そんな3人の生徒たちの会話を聞いて、素直に「なるほど」と感心する雲用務員。
(私も勉強してみたくなりましたよ。ジャディ君が風の系統の魔法を使えないだろうと想定して、この下級精霊の術式を組んだのですが……使えるのであれば、制限を解除しても構わないですね。ジャディ君の得点に加点しましょう。では、準備はよろしいですね。始めましょうか)
雲用務員が嬉しそうな声で、配下の風の精霊に何か指示を出した。
クラゲ型の風の精霊が一回り大きくなり、ジャディと同じような竜巻を何本も体に巻き始めた。精霊の魔力も一気に上がって、それを〔察知〕したジャディの琥珀色の瞳がさらに凶悪な色を帯びる。全身の羽毛もさらに逆立ってきているようだ。
ミンタがニヤニヤ笑いながら、ジャディに忠告する。
(そのクラゲの魔力量、一気に10倍になってるぞお。即死しないように気をつけなさい。木星まで来て、バカ鳥の黒焼きを見てオシマイじゃ、割りに合わないわよ、私が)
ミンタの隣のペルは緊張のあまり、全身のフワフワ毛皮と尻尾が逆立っている。特に尻尾の毛皮が逆立って、まん丸になっている。薄墨色の瞳がさらに白っぽくなって、彼女の存在感自体がさらに薄まっているようだ。
(ジャディ君! 充分に気をつけてねっ)
期せずして女子生徒2人からの声援を受けたジャディが、視線を精霊から逸らさずに叫んだ。もちろん、周囲の暴風と雷の轟音でミンタとペルには音声は届かないが。
同時にジャディを包む竜巻が黒くなって、ジャディの姿が外から視認できなくなる。次の瞬間。竜巻の外に配置されていた10個の〔オプション玉〕が、一斉に光の〔マジックミサイル〕を発射した。
クラゲ型の風の精霊に光速のミサイルが全弾命中し、まばゆい閃光を放つ。精霊を包み込んでいた数本の竜巻が消されて、〔防御障壁〕に包まれたクラゲ型の精霊本体がはっきりと見えた。その本体が大きくえぐれて穴だらけにされている。
再び感心する雲用務員。狐顔をかしげて、黒と金色の縞が交互に入っている両耳を交互にパタパタさせている。
(ほう。竜巻状の風の〔防御障壁〕と、通常の〔防御障壁〕を貫通して本体に命中ですか。光の精霊魔法攻撃は防御できるはずだったのですが、これはいったい?)
ジャディが真っ黒い竜巻の中に留まりながら、〔オプション玉〕群を操って光の〔マジックミサイル〕を連射している。
それを見ながら、雲用務員がミンタに解説を求めた。ミンタがややドヤ顔になって答える。横のペルは苦笑しているが。
(あれは光の精霊魔法じゃないのよ。ソーサラー魔術の〔光線〕魔術だから、術式が全然違うわ。〔防御障壁〕が認識できないから素通りしちゃうのよ。光成分だけを認識して反射しても、あの魔術は光が自在に曲がるのよね。〔ロックオン〕されちゃうと、どんなに逸らしても光速のミサイルだから最終的には命中しちゃうってわけ)
よく見てみると、クラゲ型精霊の周囲の空間がぼんやりと白く発光している。〔防御障壁〕によって反射された光の〔マジックミサイル〕が、急反転して再び精霊に向かって飛んでいる軌跡だ。
反射するにしても、いつも180度正反対に反射できるわけではない。〔防御障壁〕にほぼ水平に飛び込んできた光を反射する際には、角度によっては〔防御障壁〕の内側に反射してしまう事になる。それはつまり、〔防御障壁〕の突破を意味する。後は、再び〔防御障壁〕内で光のマジックミサイルが曲がって、精霊本体へ衝突するだけだ。そして、実際そのようになっていた。
ミンタがドヤ顔のままで指摘する。鼻先のヒゲがピンと生意気に立っているので、ペルがさすがに袖を引っ張って注意しているが。
(ほら、私が解説している間にも、どんどん精霊さんが削られていくわよ。何か対処しなさい。ソーサラー魔術の魔力は、ウィザード魔法の魔力サーバーから〔変換〕して使っているから、まだまだ攻撃できるわよ)
かなり精悍なオッサン狐の姿に変わった雲用務員が、ミンタの説明と指摘に素直に感心している。
(なるほど。私は精霊魔法しか知りませんから、他の魔法体系の事を知る良い機会になりそうですね。今であれば、森の妖精のパリー氏が学校の先生までして関わっている理由も、何となく理解できますよ)
しかし、そんな会話をしている間にも、クラゲ型の風の精霊が元の5分の1以下にまで半透明の体を削られてしまった。
ジャディが猛烈な勢いで光の〔マジックミサイル〕の連射攻撃を続けながら、勝ち誇った顔で雲用務員にニヤリと笑いかける。しかし、ジャディ本人は真っ黒い竜巻の中に隠れているので、雲用務員からは彼の顔が見えないのだが。
(オレ様の勝ちになっちまうぞ。オマエには術式の〔解読〕をさせる時間を与えねえからな。〔防御障壁〕で防御なんかさせねえ。どうした、反撃もできねえのかよ)
雲用務員が少しだけジャディのような猛禽類の印象に変わっていく。
青白い雷が縦横に走り抜けて、その電光で彼の顔が青く照らされた。暴風は更に弱まってきているが、それでも風速は時速80キロ以下には下がらないようだ。
(〔精霊化〕や〔妖精化〕は除外していますので、他の精霊魔法を使うことにしましょうか。ジャディ君の魔力も大よそ分かりましたし)
一瞬で、クラゲ型の風の精霊がフルサイズにまで〔復元〕した。そればかりか、さらに一回り巨大化しているようにも見える。クラゲの体も半透明なままだが、より複雑な形状に成長していく。
内臓や体組織といったものは一切見当たらないままだが、模様が精霊語をアレンジしたかのような複雑性を増した。椀型のクラゲの頭部も、複数の複雑な椀を上下左右に重ねたようになる。
何よりもミンタとペルを驚かせたのは、その魔力量だ。
(うわ。さらに魔力が倍になった。天井知らずじゃないの)
ミンタが呆れた顔になって腕組みして片耳をパタパタさせた。隣でペルも同じような仕草をして、さらに黒毛交じりの尻尾をグルグル振り回している。
(森にいる風の精霊とは、もう別物だね、ミンタちゃん。ジャディ君、気をつけてね。魔力量がパリー先生並みに増えてるよっ)
黒い竜巻の中にいるジャディから、不敵な口調の〔念話〕が届いた。竜巻の周囲に配置されている〔オプション玉〕の数が、さらに10個ほど増える。視認も〔察知〕も難しいが、ペルだけはジャディがシャドウを1体放ったことを察した。ミンタや雲用務員は気づいていない様子だ。
(いくら魔力が増えたって、オレ様の攻撃を防御できなきゃ意味がねえよっ。攻撃量を倍にしてやるぜ!)
〔念話〕の途中で、早くもジャディが全ての〔オプション玉〕から光の〔マジックミサイル〕を一斉射出した。その数はいつの間にか30個になっている。光速のそれは、一瞬でクラゲ型の風の精霊に命中……したかに見えた。
クラゲは今度は全くの無傷だった。ミサイルは爆発もせず閃光も放たず、かき消されてしまった。
雲用務員が淡々とした口調で説明する。ジャディ風味の風貌に変わってきているようだ。
(魔法場と術式を、風で〔希釈〕しました。〔解読〕ができない術式でも、〔希釈〕してしまえば無効化できますからね)
同時にクラゲの姿が輪郭線を失ってぼやける。木星の大気を〔操作〕して、極端な密度差の大気層を多数、クラゲの周囲に展開したようだ。疑似的にレンズを何枚も周囲に張り巡らせたことになり、光が屈折したり曲げられたりして、クラゲの姿が蜃気楼のように揺らぐ。
しかし、ジャディの口調は全く変化していない。再び、巨大クラゲ蜃気楼が、大爆発を連鎖して起こし始めた。
(バカめ。可視光線を錯乱したって、エックス線や遠赤外線での測位には影響するかよっ。術式もエックス線領域に変えたぜ。これは〔希釈〕なんかできねえぞっ)
ミンタが「コホン」と軽く咳払いして、雲用務員に説明する。こういう役割は、意外に嫌いではない様子だ。金色の毛が交じる尻尾が優雅に振られている。
(ソーサラー魔術を、力場術に〔変換〕したのよ。力場術は精霊魔法とは別の術式で、光の波長を操ることができるから。波長が短くてエネルギーが高いエックス線は、この距離では〔希釈〕させることは不可能よ。木星の大気成分では、〔吸着〕や〔錯乱〕させるには不十分なのよね。ちなみに遠赤外線なんだけど、この条件では大して使えないわよ。あのバカ鳥はバカだから分かってないのよね、バカだから)
ペルも補足説明する。こちらはジャディの身を案じているので、ミンタほど快活な仕草をしていない。
(その蜃気楼を誘発する〔防御障壁〕を展開したせいです、雲用務員さん。可視光線を主に錯乱したり曲げたりする術式なので、その点を付けこまれたの。他の波長の光に対処できていませんよ)
もはや、どちらを応援しているのか、よく分からない状況になりつつあるが……素直に感心する雲用務員。
(なるほど。光というものは面白いですね。木星は太陽から結構離れていますから、盲点でした。私も、ソーサラー魔術や、力場術の授業を受講してみたくなりましたよ)
ミンタがドヤ顔になって微笑む。
(良い心がけね。じゃあ、私たちは1年生だけど、アンタの先輩になるわね。パシリ要員ができて嬉しいわ)
ペルがジト目になってミンタの制服の袖を引っ張りながら、雲用務員に軽く片手を振った。
(私やミンタちゃんは精霊魔法の専門クラスだから、正確には先輩じゃないよ。選択科目の授業で一緒になれると良いね)
どうも、和やかなムードで談笑が始まりそうな雰囲気だ。
反対に、黒い竜巻の中のジャディからは至って真面目な口調の〔念話〕が飛び込んできた。彼は戦闘中だ。
(へっ。仲良しごっこなんかできるかよ。どうだ! さすがに魔力がかなり削られただろっ)
雲用務員がミンタたちとのおしゃべりを止めて、黒い竜巻に顔を向ける。表情は相変わらず和やかなままだ。
(そうですね。これ以上の変身は無理でしょうかね。よく健闘していますから、得点を追加しておきましょう)
その時、ジャディの黒い竜巻の周囲に配置されている〔オプション玉〕の数が、一気に倍の60個になった。このまま畳みかけるつもりのようだ。次の瞬間。その60個ある砲台から、巨大な魔法場の発生が起きた。〔オプション玉〕の周囲の木星大気が、プラズマ化して青白い色に輝く。一種のオーロラだ。
同時に、クラゲ型の風の精霊を包んでいた全ての〔防御障壁〕が吹き飛んで消えた。クラゲもその姿を半壊してしまう。
ジャディの高らかな口調の〔念話〕が送られてくる。
(どうだ! もうこれでクラゲは丸腰だぜ)
クラゲがどんどん形を崩していくのを見ながら、ミンタが雲用務員に解説した。尻尾の振りが少し大きくなっている。
(今のは、エックス線レーザーね。指向性が非常に強いレーザーだから、木星の大気に触れても光が散乱しないのよ。だから、私たちのいる場所には光が届かないから見えないの。エックス線領域の光だから、基本的には見えないんだけどね。光の魔法場によって風の精霊場が吹き飛ばされて、ああなったのよ。〔防御障壁〕も全て消し飛んじゃったし、急いで対処しないと、すぐにクラゲ本体も消されてしまうわよ)
ペルが同じように尻尾を振りながら、ミンタに呆れた表情で微笑んでいる。
(もう。どちらの味方してるのよ、ミンタちゃん)
しかし、雲用務員は相変わらずの余裕たっぷりの顔と口調で答えた。先程よりもさらに少しだけ、猛禽類的な印象になっている。
(そうですね。予想以上に色々と学ぶことができましたよ。では、そろそろ反撃をするとしましょうか)
その一言でクラゲの崩壊が止まり、再形成が始まった。最初のサイズよりも半分程度まで小さくなっているが、まだクラゲのままだ。さすがにもう複雑な模様や形状ではなくなっているが。
同時に、ジャディが中に隠れている黒い竜巻が一撃で吹き飛んで消えた。あっけにとられた表情のジャディの姿が露わにされる。
何か叫んでいるジャディだが、周囲の雷鳴と暴風の轟音のせいで阻まれて聞こえない。〔念話〕を放つ余裕もなくなってしまったようだ。
雲用務員が穏やかな口調のままで宣告をした。
(では、私の風を受けてもらいましょうか、ジャディ君)
慌ててジャディが背中の翼を大きく羽ばたかせて、体をねじるように急旋回して回避運動をする。しかし、次の瞬間。文字通りの塵と水蒸気に〔分解〕されてしまった。羽1枚すらも残らない。
「げ……」となっているミンタである。雲用務員も、ようやく表情を曇らせた。
(あらら……加減を間違えてしまったか)
しかし、その次の瞬間。クラゲが〔闇玉〕に包まれて破片にされてしまった。破片がすぐに〔再生〕を始めようとしたが、それもあっという間に〔消去〕されてしまう。
(ふう。やべえ、やべえ。攻撃をまともに受けてたら死んでたな)
ジャディの〔念話〕が届く。数秒後に、何もない場所にジャディの姿が突然現れた。ようやく凶悪な表情のままながらも安堵して、羽毛で覆われた頭をかいている。
(ともかく。オレ様の勝ちだな!)
ミンタと雲用務員が揃ってキョトンとした顔をしている。代わりにペルが遠慮がちに種明かしを始めた。
(え、と……竜巻の中にいたのは、ジャディ君の〔分身〕だよ)
「なんと!」……とでも言ってそうな表情を浮かべる雲用務員とミンタ。ドヤ顔のジャディに代わって、さらにペルが解説する。
(ジャディ君本人はシャドウと一緒に竜巻の中から外に出て、シャドウのステルス偽装で隠れてたの。クラゲさんへの攻撃は、最後の場面で、光魔法から闇の精霊魔法へ切り替えてるよ。魔法場の特性が正反対だから、防御できなかったのね。〔闇玉〕っていう闇の精霊魔法を、風のソーサラー魔術で包んで弾丸状にして放ったってる。自動追尾もできるよ)
ドヤ顔が激しくなるジャディである。ペルが笑いを堪えながら、話を続けた。
(それで、クラゲさんを〔闇玉〕で浸食して破片にしてから、最後に〔エネルギードレイン〕魔法で再生用の魔力を奪ったのよ。こんなところかな? ジャディ君)
ジャディが今度は不機嫌そうな表情になって、琥珀色の瞳でペルを睨みつけた。その通りだったらしい。
(まったく、食えねえ奴だな。ペル)
ミンタもようやく理解したようで、ジト目気味になってジャディを見ている。尻尾の愉快な動きも、見事に完全停止してしまった。
(闇の精霊魔法か。本当にやっかいな魔法よね。私もかなり経験してるのに、それでもまだ完全に〔察知〕することができないんだもの)
一方の雲用務員は愉快そうに微笑んでいた。周囲を走り回っている雷もどこか同調しているように見える。
(木星のような暗い場所では、光の精霊場よりも、ありふれた魔法場ですけれどね。ですが私も風の妖精ですので、〔察知〕するのは苦手なんですよ。ジャディ君の作戦は見事でした。私の注意を、光の魔法場に向けることに成功しましたね。これも得点に追加しておきましょう)
そして、改めてジャディに微笑んだ。
(合格です。私と『妖精契約』を結ぶことにしましょう。さて、これからは『特約条項』なのですが、私と後日戦ってみますか? 貴方の頑張り次第で、より良い条件の契約にすることができますよ)
(へ?)
顔を見合わせているジャディとペル、それにミンタである。特約とは、本契約に付与するオプション契約の事だ。
雲用務員が狐頭をかいて解説してくれた。狐の毛皮と羽毛が、半々くらいの割合になっている。
(今の段階では、妖精契約の内容はミンタさんと結んだ内容よりも貴方に有利です。ミンタさんに命じられる場合よりも、倍くらいの魔力を私から取り出すことができますかね。ですが、本体である私と直接戦うことで、その戦果に応じて、より大きな魔力を私から引き出すことができますよ。そういう特約条項ですが、どうしますか?)
ほとんど反射的に、ジャディが背中の翼と尾翼を大きく広げて答えた。琥珀色の瞳が強烈な光を帯びている。
(もちろん受けるぜ! 風の上位精霊や妖精と契約できた飛族って、それだけで尊敬の対象だからよっ)
「また安請け合いして……」と、ジト目でジャディを見つめるのは、当然ながらペルである。一方のミンタは微妙な表情だ。雲用務員が更に少しだけ猛禽類的な姿になりながら、ジャディに微笑む。
(分かりました。では、明日の放課後に、私との試合をしましょう。ああ、そうですね。試合で使う予定の私の魔力を、事前に紹介しておきましょうか。では、少し距離をとって下さい)
言われるままに、ジャディたち3人が雲用務員から離れて数キロほど距離をとった。木星の大気に視界が閉ざされて、この距離ではもう雲用務員の姿は視認できない。それでも、風の精霊場を頼りに観測することは充分にできる。
念のために、3人が1つの大きな〔防御障壁〕の中に一緒に入る事にした。〔防御障壁〕も、ミンタの光の系統に加えて、ペルの闇の系統、それにジャディの風の系統のソーサラー魔術による〔防御障壁〕を、多層構造で展開している。この中では、距離も近いので通常の会話ができている。呼吸なども問題ない。
「ちょっと、用心し過ぎじゃねえのか?」
ジャディが凶悪な形相でペルとミンタを睨みつけた。さすがに今は、背中の翼と尾翼は小さく折り畳まれている。
ミンタがジト目になりながら、ジャディの琥珀色の瞳を睨み返した。しかし少しワクワクしているのか、尻尾の先がクリンと丸まってパサパサと小刻みにリズムを刻んで振られている。鼻先のヒゲ群も、勢いよくピンと張っているので丸分かりだ。
「そう? これでもまだ不安なんだけど。この巨大な木星を牛耳っている妖精なのよ」
ペルも完全にミンタと同意見だ。こちらは不安そうにフラフラと尻尾を揺らしているが。
「そうだよ、ジャディ君。いざとなれば、リボンを使う事態になるかもしれないよ。あ。魔法場が動き出した」
ペルが緊張した視線を木星の霞む大気の向こうへ向けた。ジャディとミンタも顔を同時に向ける。その表情が急速に驚愕に染まっていく。
ジャディが両目を枯草色にして、全身の羽毛を逆立てた。
「な……なんだよ、これ。マジか」
隣に浮かんでいるミンタも同じように、全身のフワフワ毛皮を足先から尻尾を含めて逆立てている。
「桁違いね……パリー先生よりも強力じゃないかしら」
ここで表情を変えて、いたずらっぽい視線をジャディに投げた。
「どうするの? 本当に特約条項を勝ち取るつもり? シャレにならないくらいの化け物が相手なんだけど」
ペルも緊張したまま、薄墨色の瞳をジャディに向ける。かなりペルの瞳の色が白っぽくなっている。
「魔力の量だけを単純比較すると、多分、月の『化け狐』に匹敵するかも……もしかすると、それ以上かな」
しかし、ジャディは凶悪な顔をさらに険しくしながら、背中の翼をぎこちなく広げてバサバサさせた。かなり邪魔な動きだが、とりあえず今は文句を控えるミンタとペルである。
「う、うるせえな。オレ様が、やると言ったら、そりゃ、やるに決まってるだろっ」
そして、すぐさまミンタとペルに頭を下げた。このあたりの割り切り方は、さすがである。
「頼む。ち、知恵を貸してくれ……このままじゃ、ヤバイ」
「だよねえ……」と、苦笑しながら顔を見合わせるペルとミンタであった。
【将校の避暑施設】
一方その頃。レブンたちは南の軍将校向けの避暑施設に〔テレポート〕をして、そこの管理人のクク・カチップ氏と話をしていた。彼は人魚族なので人型に変化していても、魚族のように顔が変形したりすることはない。それでも、かなり焦燥している様子は明らかだ。
身長は140センチあってエルフ先生と同じくらいの背丈だが、背中を丸めているので、実際よりも低く見える。灰紫色の癖が強い長髪を束ねていて、心労のせいか、その毛先があちらこちらに跳ねている。焦げ茶色の瞳にも、いつものような活気と傲慢さが見られない。
おかげで、新調された上品な渋い藍色のスーツが悪い意味で目だってしまっている。よく磨かれた黒の革靴も同様で、まさに借りてきた猫のような印象だ。
そんなカチップ管理人と一緒に、海岸へ向かって施設内を歩く。店は普段の通りに営業していて、道行く将校家族やその使用人たちも普段のままだ。緊張感は何も感じられない。
ラヤンが店先の特売品コーナーに目移りしているような状況である。商店街のメイン通りを一緒に歩いているので、ちょっとした観光気分になっているのかもしれない。
カチップが手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を浮かべて、3人の生徒の情報を確認しながら前を歩いていく。そのまま浜辺まで案内するつもりのようだ。
「レブン君、ムンキン君、それにラヤンさん……ですね。わざわざのお越し、ありがとうございます。魔法学校の生徒に頼むのは、我々大人としては申し訳ない気持ちですよ。警察や軍も、死霊術には全く詳しくないもので、実際お手上げ状態なのです」
恐縮しまくっているカチップに、レブンが折り目正しい態度で、まずは礼を述べた。
「僕たちにご相談して下さって感謝します。今の状況では、単に『死臭らしきものがする』という程度ですから、軍や警察も部隊を動かすまでには至らないのでしょうね。ここには周辺に大きな町もありませんし。調査でしたら、僕たちのような生徒でも役に立てるかもしれません。詳しい状況を説明して下さい」
ムンキンが商店街の中を歩きながら、「フン」と鼻で笑った。
「学校の警察や軍なら、ある程度の実戦経験があるんだけどな。情報の共有ができていないってことか。しかしまあ、死霊術ってのは体験しないと分からないからな。僕もそうだったし」
一方のラヤンはいつも以上に不機嫌な様子だ。先程とは打って変わって、少し神経質気味に半眼の紺色の瞳で用心深く周囲を睨みつけている。赤橙色で金属光沢を放つ尻尾の先も、細かい動きでせわしなく、あちらこちらを向いている。
「私の法術場が、この辺りからピリピリと反応しっ放しだわ。アンデッド臭いと言うのは本当みたいね。嫌な〔予感〕もする」
商店街を歩いている一般の狐族や竜族、それに少数の魚族が、ラヤンの言葉に首をかしげている。魔法適性がないので〔察知〕できないのだろう。
彼らは買い物の途中のようで、太刀魚や、サンゴ礁に多い平べったい魚などの食材や、ヨーグルトやチーズなどの乳製品、バタークッキーやチョコ菓子などを、使用人たちと一緒に買い込んでいた。
熱帯で周囲に町がないせいか、生鮮果物の種類はそれほど多くない。それでもリンゴやナシ、イチゴなどが、当たり前のように店先の冷蔵ショーケースの中に並んでいる。
学校ではこのような食材は、あまり見られない。ラヤンが衣類店の特売品コーナーで、ひとまとめにされている下着やシャツに寝間着を横目で見ながら話を続ける。
「海の方角から、嫌な〔予感〕が漂ってきてるわよ。ええと、カチップさん。法力場サーバーの増設って、もう済んでいるわよね。接続したいから、使用権を私にも渡しなさい」
カチップ管理人が振り向いてうなずく。すぐに手元に小さな〔空中ディスプレー〕を出して、片手で何か操作する。数秒もかからずに狐語でラヤンとの無線接続の開始を伝える表示が出た。
「はい。ただいま行いました。法力場サーバーや魔法場サーバーを教育研究省にお願いして設置したのですが……恥ずかしながら、私たちには魔法適性がありませんので使っておりませんでした。初めての本格稼働になりますね。軍や警察は魔法具のみの携帯でしたから、サーバーを使うことはなかったのですよ。それで、どうですか? 機能していますか?」
カチップ管理人の不安そうな問いかけに、無造作な表情で半眼のままうなずくラヤンである。尻尾の先は、相変わらず神経質な動きであちらこちらを向いているままだが。
「そうね、うん……設定にいくつか変な点があるけど、問題なく使えるかな。後で私の方から、修正事項をまとめて、アナタ宛に送るわね。こういうのは実際に稼働して、法術を使ってみないと分からない点もあるのよ。まあ、簡易型のサーバーだから、過負荷で爆発しても大した事故にはならないわ。その点は安心しなさい」
そして、紺色のジト目をレブンとムンキンにも向けた。
「ほら、アンタたちも。魔法場サーバーの起動確認をしておきなさいよ」
「ああ、そうでしたね。ラヤン先輩」
レブンが素直に従う。しかし、すぐに困ったような顔になった。手元の〔空中ディスプレー〕画面を前にして、戸惑っている。
「あれ? 確認作業って、どうするんだっけ」
ムンキンが一言だけラヤンに文句を言ってから、レブンに手を貸した。
「レブンじゃ魔法場サーバーの動作確認はちょっと大変だから、僕がやっておくよ。どれどれ、と……うん、やっぱり何点か修正しないといけないな。まあ、サーバーを全力稼働させなきゃ問題は起きないだろ」
ムンキンが商店街を歩きながら、手元の〔空中ディスプレー〕で手早く動作確認を済ませる。感心して見つめるレブンだ。
そろそろ商店街の出口に差し掛かってきた。その先には白い砂浜が広がっている。ここに来てムンキンもようやく死霊術場を〔察知〕したようで、一気に警戒モードになった。
「ん? かすかに臭っているな。微量だ。こんな軽度だったら、ここのサーバーは使わなくて構わないんじゃないか? サーバーの試運転もまだって事だし、今回は、杖の備蓄魔力だけを使えば充分だろ」
カチップが恐縮しながら頭をかく。人化しているので、今は完全に背の高いセマンの姿だ。灰紫色の癖が強い長髪を、浜風に備えて首の後ろで束ねる。
「そうして下さると助かります。前回の騒動では過負荷がかかって、結局ほぼ全壊になってしまいました。魔法場サーバー用に設計されていなかったシステムでしたから、壊れて当然だったのですが……この避暑施設の全システムが3日間ほど停止してしまいました。冷房ができなくなって、住民の方々から大変多くの苦情をいただいてしまいました。もう、そのような事態には陥らないと嬉しいですね」
そして、深刻な表情になって付け加えた。
「最寄りの港町にあった魔法場サーバーですが、前回の使用で爆発してしまいました。その後、かなり深刻な魔法場汚染の発生が確認されまして……今は、その港町には退避命令が出て無人です。汚染除去作業も、軍や警察の人手不足で行われておりませんので、復旧の目途も立っていない有様なのですよ」
レブンが腕を組んでカチップの話を聞きながら、「うう……」と唸っている。
「そうだったのですか。僕は魔法工学にはそれほど詳しくないので、そのような深刻な事態になっていたとは知りませんでした。確かに、サーバーの設定修正が完了するまでは、あまり使わない方が良さそうですね」
商店街を抜けて石畳のスロープを下り、潮騒がする白浜へ歩み出た。レブンがムンキンと視線を交わして頭をかく。
「ははは……海岸線の形が変わってしまってるね。湾内も深くなってるみたいだ。潮流も変わってしまったのか。砂浜の砂も、粗くなっているような気がするなあ。ミンタさん、やり過ぎだよ」
ムンキンもさすがに反論せずに呻いている。
「まあ、あれだけの広域〔殲滅〕魔法なんか使ったらな。この程度で済んで良かったくらいだ。港町のサーバーが爆発したのも納得だな。でもまあ、ここの魔法場汚染は基準値以下だ。この施設を廃棄する事態にはならなかったから、これで良しとすべきだな」
そして、カチップに濃藍色の瞳を向けた。ラヤンが何か意見を言おうと口を開いたが、ムンキンが機先を制してカチップに質問する。
「カチップ管理人さんの村は大丈夫だったのかい? 確か、この入り江のどこかにあっただろ」
カチップが手元の〔空中ディスプレー〕画面を操作しながら、ムンキンのぶしつけな質問に真面目な顔で答える。
「ええ。住居や倉庫がいくつか半壊した程度で済みましたよ。『魔法の範囲指定』と言うのですかね? そのおかげです。ですが、我々の村も緊急避難用の施設を丘の上に作りました。1ヶ月分の食料や医薬品などを、そこに集積させていますよ。森の中にはキジムナー族がいますからね、避難場所にはしていません。彼らはテロ事件のこともあって信用できませんから。この避暑施設の避難場所も、森の中から丘の上に作り直す予定です」
そもそも、人魚族がキジムナー族に厳しくしたことが、先日のテロと海賊襲撃の遠因なのだが……その点は指摘しないことにするムンキンとレブンであった。ラヤンに至っては「興味がほとんどない」というような顔をしている。
言われてみると、商店街や避暑施設ではキジムナー族の姿がかなり減っている印象だ。その分、木材製のゴーレムやアンドロイドが増えていて、それらが行動術式やプログラム制御に従って仕事をしている。
(マライタ先生や招造術のナジス先生たちが先日から忙しそうにどこかへ行き来していたのは、これの売り込みと設定や調整作業のためだったか……)と思うレブンたちであった。
そのような会話をしているうちに、白い砂浜の上に歩み出た。
さすがに熱帯の日差しを受けているので、砂が焼けている。レブンはスリッパを履いているのだが、竜族の2人は裸足だ。すぐに2センチほど浮き上がった。ついでに、強い熱帯の日差しをある程度遮断する〔防御障壁〕を展開する。
カチップは上品な革靴なので、焼けた砂の上でも平気だ。日差しだけは避けられないので、着ているスーツの内ポケットから、つば広の帽子を取り出して頭に被った。ついでにサングラスもかける。




