80話
【バワンメラ先生がんばる】
隣で肩をすくめて見ているエルフ先生が、軽くため息をついた。この場で慌ててるのは、やはり校長ただ1人だけのようである。
その校長の肩を左手で押さえて、〔沈静化〕の精霊魔法を使用する。あっという間に、呆けた表情になる校長だ。そんな校長には目もくれずに、エルフ先生が子供サムカに空色の瞳を向ける。
「確かに、他に魔法を使う余裕がないみたいですね。ちなみに、光の精霊魔法の〔防御障壁〕では、敵の攻撃の魔力を再〔変換〕して、〔レーザー光線〕にして反撃に転用しますよ」
子供サムカがエルフ先生の指摘に素直にうなずく。
「なるほどな。こうして実際に体験しないと、分からぬ事もあるのだな」
同時に数発の光の矢が〔防御障壁〕を貫通して、サムカの体に命中して爆発した。その爆炎と煙をすぐに〔消去〕するサムカ。正確にサムカの心臓のあたりに命中していて、古代中東風の長袖シャツの胸元が大きく焼け落ちた。
サムカの体は、今は身長1メートルほどの子供サイズなので、露わになった胸板も薄く子供状態だ。それが爆発により大穴があいている。死者の体で血液は通っていないために、スプラッタ的な絵ではないのだが……それでもかなり痛々しく見える。
「あわわわっ! テ、テシュブ先生っ!? マ、マルマー先生に〔治療〕を……っ」
〔沈静化〕魔法によって半分眠っていたような顔だった校長が、正気に戻って全身の毛皮を逆立たせた。それを、再び問答無用で強制的に魔法で〔沈静化〕させるエルフ先生だ。またもや呆けた表情になった校長に、一応説明する。
「サムカ先生はアンデッドですから、法術〔治療〕は逆効果ですよ。痛みも制御できるはずですし、放置しておけば勝手に〔修復〕します」
子供サムカが胸に開いた大穴を眺めて、残念そうな顔をしている。痛くはない様子だ。
しかし、この間にもソーサラー先生が子供サムカの周囲を高速で旋回飛行しながら、毎秒10発の光の〔マジックミサイル〕を撃ち続けていた。今のサムカには、ソーサラー先生を目で追う余裕もない。
やがて諦めたのか、エルフ先生と校長に山吹色の視線を向けた。さらに1発が〔防御障壁〕を貫いて、サムカの右足先を焼いて炭にする。
「まあ、そうだがね。残念だが、〔修復〕前に炭になりそうだ。そうなると、スケルトン状態にまで劣化することになるかな」
どことなく楽しそうな口ぶりの子供サムカ。
ソーサラー先生も非常に楽しそうな顔をしている。
子供サムカの直上、上空10メートルの一点に飛び上がって、右手で「ビシッ」と指さした。ゴテゴテした首飾りとベルトが鈍い音を立てて互いにぶつかり合う。
「詠唱完了。食らえ!」
術式が空中で収束してソーサラー先生の右手の指先に集合し、それがまばゆい光を放った。紺色の瞳が大きく見開かれて鋭く輝く。髪留めが外れてどこかへ飛んで行ってしまったせいで、銀灰色の長髪が扇のように見事に広がった。頬から顎を覆う盗賊ひげに埋まっている口の端が、ニヤリと持ち上がる。
「スケルトンどころか、炭の粉にしてやるあああああっ」
……が。その1秒後に消し炭になったのは、ソーサラー先生だった。すぐに瞬間〔再生〕魔術が起動して復活するが、当然ながら衣服や装飾品までは〔再生〕できない。上空10メートルで、厳ついヒッピーのフルヌードが浮かんでいる。風呂にはキチンと入っているようだ。
「……はえ? 何が起きた?」
エルフ先生が顔を真っ赤にしながらライフル杖を向けて、何か喚いている。
それを抑えてなだめながらノーム先生がジト目気味で、上空で混乱している全裸男に説明する。この、どんな時でも解説を怠らない性分は、ノームならではだろう。
「ソーサラー魔術の〔テレポート〕魔術をテシュブ先生が使ったんだよ。テシュブ先生がシャドウを放って、君の攻撃目標をシャドウに誘導し、そのシャドウを〔テレポート〕で君の隣へ転送した。テシュブ先生は、闇の精霊魔法による自己の〔ステルス化〕をしてる」
口ヒゲを整えながら、解説を続ける。
「それで、君の全ての攻撃がシャドウに命中して、魔法場の〔干渉〕による大爆発に巻き込まれたんだよ。光と闇だ。〔防御障壁〕を全て消し飛ばして、君が消し炭になるくらいの威力はあるだろうさ」
体中にまとわりついた土埃や炭の粉を、子供サムカが長袖シャツに包まれた両手で「ポンポン」叩いて落としながら、ノーム先生の解説を肯定する。
「うむ、さすがだな。その通りだ。まあ、私も完全に自身を〔ステルス化〕はできなかったがね。数発ほど食らったか。こんな状態の私だが、一応は貴族だ。バワンメラ先生が、ここまで私の体を破壊できた事は誇っても良いぞ」
しかし、サムカの称賛はバワンメラ先生には届いていなかった。悲鳴を上げて、股間を両手で隠しながら、飛んで逃げていく。寄宿舎の方向だ。サムカが首をかしげながら見送る。
「不思議な態度だな。恥じる必要はないと思うのだが」
エルフ先生がライフル杖を構えて、逃げていく全裸男を撃ち落した。そして、彼を再度強制的に自動〔蘇生〕へ追い込みながら、ジト目をサムカに向ける。
「あなたね……もう少し、常識というものを勉強しなさい……って、あなたもかっ」
エルフ先生がライフル杖を子供サムカに向けた。
「ん?」
子供サムカが、首をかしげて両手を上げた。ほとんど全身が黒焦げで、焼け焦げた骨やら内臓やらが露出しているのだが……そういえば、袖以外の衣服が全て焼け落ちていた。
エルフ先生の腰まで伸びる、べっ甲色の髪が急速に逆立っていく。空色の瞳には、明らかな殺意が浮かんでいるようだ。不敵に口元を緩めている。
「いい度胸ね、このアンデッド。こんがり焼けていても、全裸は全裸よ。土でも何でも良いから、すぐに、その貧相な体を覆いなさいっ」
まあ、今は小さな子供状態の体なので、当然ながら筋肉もついておらず、骨も細い。
サムカが降参の印として、長そでシャツで包まれた両手を肩の上まで上げながら、シャドウを1体発生させた。そのシャドウに命じて、焼け焦げた自身の体へ、泥パックでもするかのように運動場の土を塗っていく。
その様子を見て、ノーム先生が背中を丸めて笑いを押し殺し始めた。校長は、まだ呆けた顔のままだ。サムカも、少しジト目になる。
「クーナ先生……これでは、何かの泥人形にしか思えぬのだが」
しかし、エルフ先生は杖の先をピタリとサムカに向けたままである。
「うるさい。後で、事務職員の作業服でも着なさい。しかし、本当にアンデッドって……こら! パリー!」
パリーが面白がって、何かサムカに向けて魔法をかけようとしているのを見て、慌てて取り押さえる。こちらも子供サムカと同様に、身長が130センチしかない子供体型なので、悪ガキどもが暴れている風景にしか見えない。
取り押さえているエルフ先生も、身長が145センチで少年のような体型なのだが、辛うじて警官の制服のおかげで、何とか先生の威厳を保っている。
そんな寸劇を見て楽しんでいるのは、当然ながら墓一味であった。特に、雲と中用務員は長い間孤独であったせいもあって、かなり楽しそうだ。墓と墓次郎が丁寧に解説を行っている。
子供サムカがシャドウに命じて全身を泥コーティングさせながら、錆色の短髪を左手でかいている。
「むう……この姿では、授業を行うのは難しいのではないか? どう見ても、これでは、ただの泥人形だろう。仕方がない、今回は熊人形に代理をさせるか」
……いや、それ以前に、泥で覆いきれずに体の所々から突き出ている、焼けた骨をどうにかすべきだろう。大穴は泥で埋めることができるが、飛び出している骨はどうしようもない。主に肋骨が多いようだ。髪も半分ほどは焼け落ちて、残った部分も、ちりちりパーマになっている。
そこへ、野太い声が地下階段の入口の1つから轟いた。この声はウィザード魔法力場術のタンカップ先生だ。すぐに、彼の姿が運動場に現れた。
「ふははははっ、待っていたぞ、この時を! さあ、食らえっ。俺様の最大火力の攻撃魔法だあああっ」
タンカップ先生が運動場に仁王立ちになり、豪快な笑い声と共に術式を解放した。身長185センチの筋骨隆々とした木彫りのような体を膨らませて、やや癖のある黒柿色の髪が天を向く。
マジックで描いたような太い一本眉毛の端が吊り上がり、タンクトップシャツと半ズボンが筋肉の盛り上がりに合わせて、パンパンに張っていく。スニーカー靴の周囲からは、魔法場の影響で炎が上がり始めた。周囲の空気も帯電し始める。
そして、小麦色の血色の良すぎる顔にはめ込まれた、鉄黒色の大きな目が「ギラリ」と光った。勝利を確信した目だ。
次の瞬間。タンカップ先生の体が消し炭になった。彼もまた、瞬時に自動〔再生〕するが、これもまた全裸だ。
エルフ先生がジト目のまま無言で、光の精霊魔法で狙撃する。コメントも警告もする気がない様子だ。
もんどりうって運動場に倒れるタンカップ先生。それでもまだ意識が残っているようで、口から泡を吐き出しながらも、エルフ先生に文句を言っている。
「ぐ、は。このエルフめ。なぜアンデッドの味方をするのだ。せっかく、俺様が習得した魔法を披露する絶好の機会だったというのにっ」
彼が全裸なので、丁寧に〔レーザー光線〕で撃ってタンカップ先生を黒焦げにしていくエルフ先生。漂ってくるのが思った以上に悪臭なせいもあり、ジト目のままで、ようやくコメントする。
「うるさい。私だけじゃないわよ」
マライタ先生が赤いモジャモジャヒゲを片手でいじりながら、白い歯を見せてガハハ笑いをした。今まで、熱心に撮影記録に勤しんでいたようだ。顔のそばに小さな空中ディスプレー画面を浮かべて、それで撮影を続けながら、説明してくれた。
「学校の保安警備システムが反応したんだよ。そんな大出力の攻撃魔法を使ったら、また騒ぎになるだろ。まあ、自動排除と魔法反射システムが無事に稼働していると確認できたから、ワシとしては助かったよ。カカクトゥア先生の攻撃支援も、しっかり行っているし」
そして、視線を子供サムカが立っていた場所に向けた。灰の山になっている。
「でもまあ、まだ完全に調整はできていないか。テシュブ先生まで攻撃してしまった。放課後にでも微調整するよ」
子供サムカだった灰の山の上にハグ人形が出現して、「ポフ」と舞い降りた。灰が派手に飛散する。
「サムカちん。灰になってしまった感想はどうだね。結構、フワフワしてるだろ」
(ハグ、お前な……いや、しかし、確かにそのような感覚だな。体の乗り換えに失敗した時というのは、このような感じなのかも知れぬなあ)
呑気にサムカ灰が〔念話〕で答える。灰になっても滅んでいないようだ。
「やれやれ……」と顔を左右に振りながらノーム先生が〔結界ビン〕を新たに1つ取り出して、サムカ灰を収集し始める。このままでは風に飛ばされてしまうし、何よりもハグ人形によって蹴散らされてしまいかねない。
(済まないね)とサムカ灰が〔念話〕でノーム先生に礼を述べて、エルフ先生にも話しかけた。
(校長は、この姿を見ると卒倒してしまう恐れがあるな。精神制御を、もうしばらく続けておいてくれないか)
エルフ先生がライフル杖を〔結界ビン〕の中に収納して、肩をすくめて同意した。パリーがなおもサムカ灰にトドメを刺そうと、何か魔法をかけようとしているのを再び押さえつける。
「仕方ありませんね」
「なかなかに面白い見世物でした。さて、そろそろ授業開始の時刻ですね。私たちも用務員の仕事に戻るとしましょうか」
墓が、ほっこりしている墓次郎と中、雲用務員に告げた。「そうですね」と同意する3人。姿が墓に似てきて、今や墓が4人いるような印象だ。4人兄弟と呼べるまでは揃っていないが、皆、見事なガニ股中年のゴマ塩頭髪オヤジである。揃いの作業服なので、見苦しさも4倍だ。
今のところは、中氏の、『顔を覆っている赤色と銀色のクシャクシャヒゲ』と、雲氏の、『黒と金色の縞が交互に入った狐耳』とで見分けがついている。墓次郎は墓をモデルにしているので、瓜二つだ。
しかし、獣人にとっては人間型は珍しいので、特に酷評はされていないようである。魔法使い先生や法術先生には、すこぶる不評ではあるが。
そんな墓一味がそのまま談笑しながら、地下への階段を降りていった。その途中で墓次郎が立ち止まり、エルフ先生たちに顔を向ける。日差しを受けてはいるがサムカと同じく、やはり全く血色は見られない。
「噴水岩が消えてしまいましたね。また後日、ゲームをしましょうか」
エルフ先生が即答で否定した。こちらは腰まで真っ直ぐに伸びる金髪が、日の光を浴びて発光しているように見える。
服装は無骨な機動警察の制服で、丈夫なブーツを履いているために、神々しさや可憐さが完全に相殺されているが。というよりも、今は大量の静電気を帯びているので、べっ甲色の髪があちらこちら四方八方へ跳ねている。そんな姿なので、さらに相殺具合が酷い。
「いいえ。そんな遊んでいる暇はありません。生徒たちが授業不足で留年したら、どうするんですか。今日だって、ソーサラー魔術と力場術の授業が、この後は自習になってしまったというのにっ」
墓次郎が軽く肩をすくめた。腰のベルトに引っかけている作業用グローブが弾みでヘロヘロと揺れる。
「その原因は、私ではないと思いますが。では、また……」
そう言って、スタスタと墓一味について階段を降りて行った。大きなため息をつくエルフ先生。
そんなやり取りには全く興味を示さないノーム先生が、サムカ灰を選別収集し終えてフタを閉めた。
「さて、テシュブ先生の授業ですが、この状態では無理でしょうなあ。灰になってるし」
(あの羊のせいではあるが、まあ……そうなるな。この状態では、魔力はさらに弱い。熊人形に授業を任せることにするしかないかな。アレは自律型だから、動作に支障は出ないはずだ)
サムカの〔念話〕が先生たちに届けられる。〔結界ビン〕の中から発しているせいなのか、声色が機械的になっている。
その〔結界ビン〕のフタの上に器用に着地したハグ人形が、口をパクパクさせた。
「それでは、ワシが代わりに先生をしてやろう。ちょっと教師に興味があってな、良い機会だわい」
思わず目が険しくなるエルフ先生とノーム先生、それにパリー先生であった。しかし、了承することにしたようだ。ノーム先生が銀色の口ヒゲの先を片手でいじりながら、サムカ灰が詰まっている〔結界ビン〕をハグ人形に渡す。本心では、あまり賛成ではないような表情だが。
「教育指導要綱に沿った内容にして下さいよ。我々も〔分身〕を送って授業を見学するので、大丈夫だと思いますが」
エルフ先生がノーム先生に固い表情でうなずく。静電気を帯び過ぎて四方八方に向いている金髪を、両手で束ねて整えている。
「今回は、羊とサムカ先生の2人とも、こうして灰になってしまいましたからね。これ以上の騒動は、ハグさんも望んではいないでしょう。召喚ナイフの普及という面からもですね」
パリーはまだ不満そうな表情をしているが、ここは我慢することにしたようだ。
「しかたがないな~。学校閉鎖になったら~つまらなくなるし~校長こんななってるし~」
今も校長は呆けた表情のままだ。「るるる~」とか何とか口ずさんでいる。
慌ててエルフ先生が校長に精神の精霊魔法をかけ始めた。さすがにコレは、校長として見た目がよろしくない。
ハグ人形が〔結界ビン〕を米粒サイズに〔縮小〕して、ぬいぐるみボディの隙間に押し込む。
「あー……まだこの人形の服にはポケットがついていなかったな。後でつけておくか。さて、では許可が得られたと判断しようかね。ふふふ、ついにワシも教師だぜ」
【ハグ先生】
「……と、いうことで、今日はワシが先生だ。残念だったな、サムカちんは灰になった」
ハグ人形が地下2階のサムカの教室の教壇の上で、15センチほどの小さなぬいぐるみの体を仁王立ちさせている。
今日は、ペル、レブン、ジャディ、ミンタ、ムンキンの出席だ。ラヤンは法術クラスなのだが授業の遅れがかなり深刻になっているので、選択科目に参加する余裕がないという事だった。またマルマー先生が、授業そっちのけで布教活動をしたらしい。サラパン羊の〔復活〕作業を素直に引き受けたのも、その負い目があるせいだろう。
「サラパン羊殿は、法術クラスで〔復活〕の実習素材として使われておるようだな。ではワシも見習って、この『サムカ灰』を使った〔復活〕実習でもするとしよう」
いつもであればジャディが大騒ぎするのであるが、さすがにハグ人形相手なので慎重になっている。
鳶色の羽毛で覆われた頭を胴体の中に引っ込めて、体を丸く膨らませている。学校のブレザー制服が届いたようで、今日はいつものツナギ作業服ではなかった。背中の翼と尾翼は、きちんと制服の外に出ているので、特注品という事なのだろう。何となく、借りてきた猫のようにも見える。
「殿に、もしものことが起きたら、いくらリッチーだからって容赦しねえぞ」
琥珀色の瞳をギラギラと燃やして、ジャディがハグ人形を睨みつけている。
そんなジャディを無視したハグ人形が〔結界ビン〕を取り出して、元の大きさに戻した。〔結界ビン〕の大きさがノームのラワット先生の手の平サイズだったので、ハグ人形の肩下くらいになる。早速ハグ人形が、〔結界ビン〕のフタに左腕を乗せて寄りかかった。
教室には、他にエルフとノーム先生の〔分身〕が控えている。軍と警察の講習生の2人もいるが、サムカとは違う先生になっているので、かなり緊張している。人形とはいえ最強クラスのアンデッドなので、当然の反応だろう。ジャディが〔ロスト〕攻撃を食らった事件も、報告書を通じて知っている。
ペルとレブンは灰になったサムカを見てオロオロしていた。
「あわわ……魔法場が本当にテシュブ先生のものだっ。灰になっちゃうなんてえ……」
ペルが黒い縞模様が走る頭をフラフラさせて、両耳を不規則にパタパタさせ、薄墨色の瞳をさらに白っぽくさせている。影まで薄くなっているようだ。
レブンも完全にマグロ頭に戻ってしまっていて、魚の口をパクパクさせている。いつもならば明るい深緑色の瞳も、今は抹茶色に濁ってしまっていた。
「だ、大丈夫なのですか!? アンデッドは『灰になると、復活できない』というのが一般的なのですが」
ジャディが全身の羽毛を逆立たせて席から立ち上がり、背中の翼と尾翼を大きく広げてハグ人形を威嚇してきた。琥珀色の瞳に殺気が宿っている。
「マ、マジかよっ。おい、リッチー! 殿を殺したら、刺し違えてでもテメエを殺すぞっ」
そんなジャディに、ムンキンが容赦なく〔エネルギードレイン〕魔法を撃ち込んだ。
「ぐは」と苦悶の声を上げて、床に倒れるジャディ。さすがに大魔法なのでムンキンも相当に疲れてしまったようだが、それでも行儀よく席に座ったままだ。床に転がっているジャディを見下ろす。
「こんな場所でやるなよ、バカ鳥。地下だぞここは。でもまあ本当に、精霊やアンデッド以外にも使えるんだな、この魔法って」
「ぐ、あ……トカゲ野郎、テメエ……ぐは」
力尽きて気絶状態になったジャディに、有無を言わせない視線を送るムンキンだ。すぐに視線を教壇の上で寛いでいるハグ人形に向ける。ムンキンの目にも、ジャディに負けないほどの殺気が込められている。
「やるなら、オレが相手だ。糞アンデッド」
ミンタも冷たい視線をハグ人形に向けながら、ムンキンに告げる。
「アタシも全面的に協力するわよ」
教室内が一触即発の雰囲気になったので、ノーム先生〔分身〕が「コホン」と1つ咳払いをした。エルフ先生〔分身〕は、既にミンタとムンキンに助力する気なので、火に油を注ぐだけに終わりそうだと判断したのだろう。
「えー……ハグ先生。それで、その灰からテシュブ先生を〔復活〕させることは可能なのですかな?」
ノーム先生〔分身〕の問いに、ハグ人形が胸を張って答えた。背丈が15センチしかない、奇抜でロックな服装をした人形が教壇の上に立っている様は、なかなかにユニークだ。
「教育指導要綱とやらには書かれていないがね。アンデッドの〔復活〕魔法は知っておいた方が、何かと便利だろ。今の生徒どもならば、それなりの魔法を使えるはずだ」
このハグ人形の言葉で、生徒たちの目の中に一斉に好奇心の光が宿った。床に転がっているままのジャディですら、琥珀色の瞳をキラキラさせている。早くも気絶状態から立ち直ってきている。
一方の先生の〔分身〕2人は、かなり微妙な表情だ。当然の反応だろう。彼らの世界でのアンデッドは、ほぼ例外なく犯罪組織の手駒だ。
それは、今やゴースト退治も仕事になっている、タカパ帝国の警察官や軍人も同様の様子である。彼らも微妙な面持ちで黙って聞いている。
そんな様々な反応を楽しんでいるハグ人形が、話を続けた。
「ワシやサムカちんにとっては日常的に使っている魔法なのでな、特にこれといった名称はついておらん。とりあえず、術式を表示させてみるぞ。魔法適性のない、そこの講習生どもと先生は〔防御障壁〕を最大に上げておけよ。ショック状態になって死んでは面倒だからな」
「ええっ!?」
慌てて魔法具を取り出し、作動させる受講生2人。
先生〔分身〕も、慌てて〔防御障壁〕を追加で数枚展開する。ミンタにはペルが、ムンキンにはレブンが席を立ってそばに寄り添う。ジャディに対しても、レブンが彼を引きずってムンキンと同じ追加〔防御障壁〕の中に入れた。
文句を言っているジャディをなだめながら、レブンが講習生2人と先生〔分身〕2人の展開術式を簡単に確認していく。対死霊術と闇の精霊魔法の〔防御障壁〕を、きちんと展開している。さらに足元には、緊急避難用の〔テレポート〕魔法陣が組まれていることも確認した。
レブンが冷静な声で、受講生2人に告げる。
「先生方もですが、受講生さん、もしも体調が悪化した場合は、速やかに〔テレポート〕して脱出して下さいね」
声もなく緊張したまま、何度もうなずく受講生たちだ。
レブンがペルと視線を交わして、準備が整ったことを確認する。ペルとレブンも足元に緊急避難用の〔テレポート〕魔法陣を起動している。
さらに万一に備えて、リボンも白い魔法の手袋に付いていることを確認した。このリボンは、装着者が死んだ場合にヒドラが冬眠している洞窟の入口まで、強制的に〔テレポート〕させる術式が組まれている。この教室は地下にあるので、もし落盤して生き埋めになってしまうと自動〔蘇生〕してもすぐにまた圧死してしまうからだ。
「現状では、このくらいの〔防御障壁〕の強度が上限かな、ペルさん」
「うん、そうだね。これ以上の強度にしちゃうと、かえってミンタちゃんやムンキン君が魔法酔いしてしまうと思う」
ペルのやや緊張した返事にレブンが同意して、顔を教壇の上のハグ人形に向けた。もう今は立派なセマン顔になっている。
「準備完了です。どうぞ、授業を進めて下さい、ハグ先生」
「うむ」とハグ人形の頭がうなずく。同時に、背後の黒板型〔ディスプレー〕画面に、死者の世界で使われている貴族の文字で術式が表示され始めた。
音が一瞬消えうせ、気温も下がり、教室内が暗く陰る。
闇魔法場の濃度が一気に上昇して、あっという間に2人の受講生の姿が〔テレポート〕されて消えた。先生〔分身〕2人が展開している〔防御障壁〕も、いきなり半分以上が破壊されてしまっている。
教室のロッカーや床、天井、それに机なども、闇魔法場の〔浸食〕を受けて粉を吹き始めた。〔風化〕が急速に始まっている。
教室を守るサムカの使い魔が、慌て気味で机などの〔修復〕を始めた。しかし、彼は強力な〔ステルス障壁〕を展開しているので、気配を〔察知〕できないが。ちなみにサムカ熊はロッカーの中に収納されている。
ハグ人形が肩をすくめて、〔結界ビン〕の中のサムカ灰にグチを漏らす。
「おいおい……術式を表示しただけで、この有様かね。よくもまあ、授業ができているなあ。さすがはサムカちん先生だな」
(いきなり死者の世界の魔法言語を出すなよ、ハグ。せめてウィザード語に翻訳してくれ。というか、私には散々に教育指導要綱を読めとか言っておいて、さては読んでいないな)
サムカ灰が〔念話〕でハグ人形に指摘する。図星だったようだ。腕組みをして口をパクパクさせているハグ人形だったが、渋々従う。
「よ、読んでいるわいっ。飛ばし読みしてるだけだ。最初のページとか読んでいて眠くなるからなっ。ええと、ウィザード語だったな、よし、ちょっと待ってろ。ワシほどのリッチーにかかれば、こんな翻訳などチョチョイのチョイですぐに済ませるぞ」
(いや、授業で使用する魔法言語の指定は、その最初のページに記載されているのだが……)と思わずツッコミを入れたくなるサムカ灰であったが、ここは我慢して、ハグ人形に授業を優先してもらう。
眠気の定義も含めて、このまま口論を続けていては、先生〔分身〕2人も緊急脱出する事態になりそうだ。代わりに、使い魔とシャドウに教室保護の指示をあれこれ飛ばしている。ただ、これも〔念話〕を使っているので、生徒たちには〔察知〕されていないようだが。
そうこうする内に、黒板型〔ディスプレー〕画面に表示されている禍々しい文字が、見慣れた分子モデル状に変わった。ウィザード文字だ。同時に、教室内を席巻していた強烈な闇の魔法場が消滅する。
天井や机も粉を吹かなくなり、明るさや気温も元に戻った。透明の使い魔が、ヒグマ顔でほっと安堵している。何とか、教室の維持は果たせたようである。
既にライフル杖をハグ人形に向けて、〔ロックオン〕まで終えていたエルフとノーム先生〔分身〕も、ほっとした表情になって杖を下ろした。
額を流れる冷や汗を警察の制服の袖で拭いながら、エルフ先生〔分身〕が、空色の瞳をハグ人形へ向ける。かなり怒っている。
「今回の授業は急きょ決まったことですから、ある程度までは大目に見ます。ですが、これ以上の騒動は許容できませんよ、ハグ先生」
ノーム先生〔分身〕も大きな三角帽子をぬいで、パタパタと団扇の代わりにして顔を扇いでいる。彼の冷や汗もかなりの量だ。
「左様。いくら僕とカカクトゥア先生とが〔分身〕でも、死んでしまうと、それなりに本体への負荷がかかりますからな。できれば我々を殺さずに、無事に授業を進めてもらいたいものですわい」
ミンタとムンキンは、〔防御障壁〕の中で守られていたので、キョトンとした表情をしている。
ミンタが金色の縞が走る頭の毛皮を右手で撫でながら、ペルに明るい栗色の瞳を向けた。尻尾は結構元気よく振られているので、ちょっとワクワクしているようだ。毛皮表面の巻き毛の数が、一気に倍ほど増えている。
「そんなに大変なことになっていたの? ペルちゃん。特に何も〔察知〕しなかったんだけど」
ペルが薄墨色の瞳を細めて、ぎこちなく微笑んだ。彼女にも特に疲れた様子は見られない。
「魔法適性が乏しい人には、ちょっときつかったかも。私は、狼バンパイアとかナウアケさん、墓さんの体験があるから、大丈夫だよ」
ムンキンもミンタと同じように、キョロキョロして首をかしげている。
「そうなのか? 僕も特別何も〔察知〕しなかったけどな」
レブンがセマン顔のままで、肩を軽くすくめて答える。彼も普段通りの様子だ。
「死霊術だからね。多分この中では、僕の〔防御障壁〕の中が一番居心地が良いと思うよ。机や床が〔風化〕しているから、かなりの濃度の闇魔法場が教室に充満していたんだけどね。何事も起きなかったから、使い魔さんに、感謝しないといけないかな」
ジャディはまだ床に這ったままで、あまり動けないようだがレブンに同意している。意地なのか尾翼が少しだけ広がる。
「そういうことだぜ、ムンキン。講習生どもの魔法具が緊急起動して、〔テレポート〕して脱出したくらいのヤバさだったってことだ。奴ら目障りだったから、いなくなってスッキリしたけどなっ」
そして、床に伏せていた顔を教壇へ向けて、琥珀色の瞳でハグ人形を睨んだ。黒板上を流れているウィザード文字の洪水をチラッと見たが、「フン」と鼻を鳴らしてジト目になる。まだ完全には読めないらしい。
「オイ、ハグ先生よお。そんな大量の術式、どうやって覚えるんだよ。今までオレ様が学んだ術式の量を超えるくらいあるぞ」
それにはペルとレブンも同意見だ。「うんうん」とうなずいている。〔結界ビン〕の中のサムカ灰には目は無いのだが、術式がもたらす魔法場は〔察知〕できるらしい。ハグ人形に指摘する。
(そうだな、ハグ。これでは術者への負担が大きすぎる。例え、術式を杖に導入、最適化しても、負荷が高すぎて誤作動を起こしかねないぞ)
エルフとノーム先生〔分身〕も、サムカ灰の意見に賛成のようだ。ライフル杖を肩に担いだまま、黙ってうなずいている。
黒板〔ディスプレー〕画面を埋め尽くして流れていくウィザード文字の洪水をハグ人形も見上げて、首をかたむけて腕組みをした。細い毛糸でできた長短それぞれの銀髪が、その動きに合わせてユラユラと揺れる。
「そうじゃな……直訳してしまったからな。では、負荷の高そうな術式は、切り離して外部読み込みにするか。となると、儀式魔法として組み直してみた方が良いだろうな。仕方がないが、それならば術者への負荷をかなり抑えられるだろ」
その案にサムカ灰も全面的に同意する。
(その方が良いだろうな。儀式化することで、術式のエラー発生も回避できるだろうし、使用する魔法場の量も節約できるはずだ)
「うむ」とハグ人形がうなずく。それだけで、黒板のウィザード文字の洪水がきれいさっぱり消えた。代わりに、15行ほどの暗号化された術式に再構成されている。
「これで良かろう。文字全てに外部術式の自動読み込み印をつけた。文字の組み合わせに応じても、印を割り当ててある。おかげで、この術式が丸ごと暗号文になってしまったが。まあ別に構わんだろ。その暗号文も更に圧縮した。時間結晶という状態だな。見た目の情報量はかなり小さくなっておるぞ」
金色の毛が交じる両耳をパタパタさせながら、ミンタが術式を見つめる。栗色の瞳が好奇心でキラキラしているのが丸分かりだ。
「そうね。こんな変な術式は初めて見るけど。文章としても成立していないし、文法も無視されてるし。でも、発音はできるから、私もこれで良いと思うわよ」
ムンキンがニヤニヤしてミンタに同意した。
「だな。直訳したものを、そのまま暗号化したからな。そりゃあ、こうなるだろ。でも、俺も嫌いじゃないぜ、こういう滅茶苦茶な術式。音読みすると、ポディフィブサウハフフィブクキュヲベズフィウグヴァシベヴィギレウィブダクスグヴィブヲチャウハッテ、という感じだから、まあ何とか発音できる。意味はないけどな」
ペルとレブンがようやく納得したようで、顔を見合わせる。
「そうかあ。直訳してたもんね。でも『儀式魔法』って、どこでもできるわけじゃないと思うんだけど。どこか適した場所を探さないといけないよね」
「そうだね、ペルさん。でも、汎用翻訳魔術の術式に即した直訳だから、術式自体はうまく機能すると思うよ。場所だけど、どこが良いかな。やはり地下が最適だと思う」
ジャディは口をパクパクさせながら、弱々しく背中の翼と尾翼をフルフル揺らしているのが精一杯のようだ。
琥珀色の目は爛々と凶悪な光を放っているので、多分、怒っているのだろう。それにしても、〔エネルギードレイン〕魔法を食らったというのに、驚異的な回復の速さである。
怒っているような顔をしているのは、エルフとノーム先生〔分身〕もだった。しかし、とりあえずハグ人形には警告をしたので、今は様子を見ることにしている。
ハグ人形もそれを了承しているのか、気楽な声色のままで話を続ける。教壇の上を左右に「ポテポテ」と器用に歩いている様は、服装や態度に目をつぶれば、それなりに先生らしく見える。
「アンデッドというのは、残留思念や思念体が本体だということは、もうサムカちんから聞いているはずだな。思念体というヤツは、半実体だから依代が必要だ。でないと、環境に希釈されて消滅してしまうことになる。そして依代としては、死体を使えばゾンビに、骨を使えばスケルトンに、器物を使えばゴーストになる。サムカちんの場合は、死体だな。ワシもそうだ」
このあたりの話は、既に生徒と先生たちも知っている基礎知識である。それをあえて話したのは、脱出した受講生2人が席に残した録音器への配慮のためだろう。電源ランプがまだ点いているので、壊れていないようだ。
ハグ人形も生徒と先生〔分身〕の反応と、知識の理解度を確認して、軽くうなずく。
「さて。残留思念や思念体だが、依代に最適化されて機能するようになっておる。つまり、ゾンビの残留思念をスケルトンやゴーストへ転用すると、誤作動を起こす恐れが高いということだな」
サムカ灰が入っている〔結界ビン〕をチラリと見る。
「余談だが、貴族も自身の依代である死体が経年劣化してしまい、別の死体に乗り換えることを100年おきに繰り返す。その乗り換え後に致命的なエラーを起こして失敗することがある。そうなった貴族は、そのまま消滅することになるな。ワシのようなリッチーは、体の乗り換えは行わないがね」
エルフとノーム先生〔分身〕とが、視線を交わして納得した。今は2人ともライフル杖ではなく簡易杖を手にしている。
ノーム先生〔分身〕が銀色のあごヒゲを片手でいじりながら、真面目な表情をハグ人形に向けた。
「ノーム世界のデータベースでは、『リッチーは骸骨の姿をしている』というのが基本的な共通認識だね。という事は、ハグさん本人は骨が本体なのかな? スケルトンの最上級の存在、という事かも」
エルフ先生〔分身〕もノーム先生〔分身〕の疑問に同調して、首をかしげている。こちらは、ジト目気味だが。
「でもその、体の乗り換えをしないということは……骨であったとしても、本体が風化して最終的には塵になって消滅すると思うのですが……何か対処法でもあるのですか?」
生徒たちも、同様な疑問を感じていたようで、一斉にハグ人形に視線を向けた。サムカ灰は黙っているままだ。
ハグ人形がセマン風のニヤニヤ笑いを浮かべる。
「古代語魔法になるからウィザード語での説明が難しいんだが、そうだな……『真空のエネルギーを物質化して肉体にしている』と言えば、当たらずとも遠からずだな。ワシの場合は、物質化自体がそれほど必要ではないので、正確には物質でもないんだが。まあ、『物質みたいな感じ~』ということで」
余計に訳が分からなくなるような説明だったが……ハグなので皆も期待はしていなかったようだ。
次にレブンが手を挙げて発言した。
「僕たちが以前に作成したゾンビですが、彼らの〔復活〕には使うことはできないのですね? 依代がもう消滅していますし、残留思念も希釈されて消滅しています」
ペルとジャディがレブンの顔を見て、すぐにハグ人形に視線を向けた。かなり真剣な眼差しだ。
それを快く感じているのか、ハグ人形がゆっくりとした動きで口をパクパクする。
「その通りだな。なくなったものは、もう使えない。〔ログ〕や残留思念などを保存していても、依代という物質が必要だ。情報だけでは無理だな。破片や灰でも構わないから、それがないと〔復活〕はできない。このサムカちんの灰のようにな」
教壇の上に置いている、サムカ灰が詰まったガラス製の〔結界ビン〕を「ポフ」と、ぬいぐるみの手で叩くハグ人形。
「少量の灰だけであっても、〔復活〕は可能だ。灰に死霊術場というエネルギーを与えて、物質化させれば良い。物質の情報をコピーして増やすだけだからな。もちろん、灰が多く残っていればいるだけ情報量が多くなるから、〔復活〕の精度も上がる。肉体が残っていれば更に良い。ぶっちゃけ灰が少ないと、元々バカなサムカちんが、さらにバカになって〔復活〕することになるってわけだな」
「なるほどー……」
素直に納得する先生〔分身〕と生徒たちであった。(ぐぬぬ……)と何か唸っている様子のサムカ灰である。ハグ人形がもう一度〔結界ビン〕を叩いた。今度は手ではなく足だったが。
「今のサムカちんは『灰』だからな。手も足もない。今のうちに文句を言っておくと良かろう。さて……」
ようやくハグ人形が授業に復帰するようだ。
「今回の〔復活〕魔法は、サムカちんの灰と、死者の世界でワシが保存してあるサムカちんの思念体情報を使う。サムカちんの思念体は、この灰に残っておる。なので、別に死者の世界の保存情報を使う必要はないんだが、まあ、念のためだな。情報を照合できると〔復活〕の精度が上がる。さらにバカにならずに済む」
ここぞとばかりに言いたい放題のハグ人形である。
サムカ灰もサジを投げたのか、反論せずに黙っている。さすがに先生〔分身〕と生徒たちも口元を緩めている。
そんな彼らに、ハグ人形が顔を向けた。
「オマエさん方が作成したアンデッドの場合は、そのアンデッドの体の一部と、保存用に残しておいた残留思念の情報を使うことだな。ただ、それだけでは魔力不足になるから、適当な死霊術場と残留思念を調達して追加すれば良かろう。元のアンデッドとは厳密には同じ個体ではなくなるが、まあ、自我がないので問題ないだろう」
「はい」と返事を返すのは、やはりレブンだ。ミンタとムンキンも素直にうなずいている。
サムカ灰が詰められた〔結界ビン〕にハグ人形が更に数発蹴りを入れてから、黒板型〔ディスプレー〕画面に顔を向ける。
「このウィザード語へ翻訳した術式だが……簡略化させているせいで、元の術式よりも発現する魔力が弱くなっておる。正直なところ、この術式を走らせるだけでは、サムカちんの〔復活〕は不完全なものに終わる。つまり大バカなサムカちんになってしまう。それではワシとしても都合が悪い」
(テシュブ先生は、よく我慢して黙っているなあ……)と半分感心している先生〔分身〕2人である。
ジャディも床に転がって唸っているままで、翼と尾翼を開いたり閉じたりするのが精一杯のようだ。(不幸中の幸いかな……)と視線を交わすペルとレブン。ここでジャディが暴れて、またハグ人形によって〔ロスト〕魔法をかけられると、大変面倒な事態になる。
そんなサムカ灰の反応を楽しんでいる様子のハグ人形が、もう1発蹴りを〔結界ビン〕に放った。ぬいぐるみの足なので「ポフン」と音がする。
「世界間のつながりの〔修正〕が、かなり進んできておる。死者の世界と獣人世界との連絡も強化されている。因果律の同期も容易になってきておるんだよ。なので、儀式魔法の形式をとる際には『最も適した場所』で執り行う方が、〔復活〕の精度と成功率が上がる。ここまでの理屈は分かるかね?」
レブンが明るい深緑色の瞳をキラリと輝かせて手を挙げる。
「はい。僕たちが使う魔法は弱いので、儀式魔法にして不足分を補うのですね。その不足分が最も小さくなる場所が、この世界のテシュブ先生の領地がある場所であること。その地下で執り行うべき……ということですよね、ハグ先生」
「おお」とジャディが納得する。ムンキンも密かに納得したようだ。
ミンタが興味深そうに栗色の瞳を輝かせてコメントする。
「なるほどね。世界っていうのは互いがつながるために、同じような環境に『収束する』性質があるのよね。でも、死者の世界と獣人世界の魔法場構成ってかなり異なるから、収束するには大きな制限があるのか。死者の世界の環境にできるだけ近い場所を選ぶってことね。それで、テシュブ先生の領地にあたる場所の地下ってことなのか。地下であれば、獣人世界の生命と光の精霊場が弱くなるし」
ペルもミンタに同意した。彼女も少し興奮気味のようで、薄墨色の瞳がキラキラしている。
「うん、そうだよね、ミンタちゃん。地下でも、土中だと大地の精霊の影響が強いから……洞窟が最適かな」
ここで瞳の色がやや曇った。黒毛交じりの尻尾も動きが止まる。
「……あ。でも、テシュブ先生の領地って平野部だ。洞窟はなさそう。私が闇の精霊魔法で、人工洞窟を掘るしかないかな」
「そうでもないぞ、ペル嬢ちゃん」
ノームのラワット先生〔分身〕が銀色の口ヒゲを片手でいじりながら、もう片方の手で簡易杖を振るって、大きめの〔空中ディスプレー〕画面を呼び出した。
そこには地形図が、地質図と共にレイヤー重ね合わせ状態で表示されている。早くも調査して、その結果を映像化したらしい。平野部の隣に丘陵地域があり、その一角が強調表示されている。
サムカ灰には目は付いていないのだが〔知覚〕することはできるようだ。地図を見て、すぐに理解した。
(ああ。この丘陵地は、我が悪友のステワ卿の領地だな)
ノーム先生〔分身〕がうなずく。
「左様。この地域は降水量が少ないから、死者の世界との類似性も高いのだろうね。このテシュブ先生の領地の隣に岩石質の丘陵地がある。この地域は昔は海の底だったからね、石灰岩が多く含まれている場所があるんだよ。そこでは洞窟が数多くできる。その中で、最もテシュブ先生の領地に近い洞窟が……これだな」
ちょっと自慢気味な口調になっているノーム先生〔分身〕だ。
エルフ先生〔分身〕が、軽いジト目になって隣のノーム先生〔分身〕の肩を肘で突く。
「ラワット先生……まだ獣人世界の地質調査をやってるのですね。まあ、この場所はタカパ帝国の版図外ですから、違法ではありませんけど……ああ、そうだ。私にも使えそうな情報がありますよ」
エルフ先生〔分身〕が死者の世界訪問時に収集した情報を呼び出して、この地図に投影する。サムカの旧居城の座標が現れた。
獣人世界にはドワーフが観測衛星を大量に飛ばしているのだが、あいにく今はマライタ先生がいないので利用できない。従って、表示されているのは森や民家などの情報が一切ない、シンプルな等高線と地質図だけのものだ。
「城からの直線距離は40キロというところかな。これなら生徒たちの魔力でも、この洞窟の一部をサムカ先生の旧城の地下座標へ〔テレポート〕できますね。儀式魔法に使う分だけの空間を〔テレポート〕するだけだから、数立方メートル程度で充分でしょう」
そして、教室の外から恐る恐るこちらを見ている、脱出していた2人の受講生の姿を見つけて、ハグ人形に聞いた。
「彼らの復帰も、今ならもう大丈夫だと思いますよ。この教室の魔法場も通常状態にまで戻りましたし」
無事に教室に帰って来て、席に戻る受講生2人。まだ緊張している様子だが、そこは現役の警官と軍人だ。ジャディのような見苦しい態度ではない。
ジャディも回復したようで、ぶつぶつ文句を言いながらも自身の席へ戻って座っている。
ハグ人形がノーム先生〔分身〕とエルフ先生〔分身〕の情報提供による地図を見て、満足そうにうなずく。
「うむ。できる限り、死者の世界のサムカちん居城跡に近い場所で、儀式魔法をすべきだからな。洞窟の一部を、居城の真下に〔テレポート〕するのは良い考えだ。では、ワシが先に現地まで〔テレポート〕するとしよう。〔テレポート〕魔術刻印を刻むので、オマエさん方は後で魔術刻印を目標にして〔テレポート〕してこい」
ノーム先生〔分身〕が簡易杖の先で自身の銀色の髪を突いて微笑む。
「そうしてくれると助かるわい。この場所には町も村もないから、〔テレポート〕魔術刻印そのものがない。〔飛行〕していくには、ちと遠すぎる。最寄りの町まで〔テレポート〕して、そこから超音速でぶっ飛ばしても、5分間ほどかかる距離だ。頼むよ、ハグ先生」
「では」とハグ人形が姿を消して〔テレポート〕した。すぐに、〔念話〕モードで(到着した)という知らせが届く。
(〔テレポート〕魔術刻印を刻んだぞ。いつでも来い)
さすがにリッチーだけあって、仕事が早い。サムカ灰はレブンが持つことになった。サムカ灰が、やや呆れた声色の〔念話〕でレブンにグチをこぼしている。
(いつもこれだけキビキビと働いてくれれば、ハグを高評価できるのだが……)
レブンはセマン顔のままで、一応ポーカーフェイスを貫くつもりのようだ。今は『ハグ先生』なので、敬意を払うべきだという立場なのだろう。〔結界ビン〕を慎重に制服ポケットの中に入れて、顔を上げた。
「では、僕たちも〔テレポート〕しましょう」
【獣人世界のサムカ領】
〔テレポート〕した先は、半砂漠の岩石だらけの丘陵地帯だった。
風もカラカラに乾いていて、砂塵が舞っている。上空には雲一つも見当たらず、砂塵のせいで空の色も白っぽい黄色だ。森どころか木が1本も生えていない。岩肌が露出して、風食でボロボロになっている大地には無数の亀裂が走っている。昼夜の温度差で割れたのだろう。
草も土埃で覆われていて、茶色っぽい。葉の形もサムカの領地でよく見られるようなテカテカと光った分厚い広葉ではなく、松葉のようなトゲだらけの葉だ。聞こえる音は、乾いた風の音と、砂塵が地面を漂っていく音、松葉状の硬い葉をすり抜ける風の音だけだった。
日中の炎天下ということもあり、生きて動いている生物の姿は全く見られない。ただ、ネズミやトカゲにヘビといった動物の巣穴は、そこかしこに点在しているが。
エルフ先生〔分身〕が不機嫌そうな表情になって〔防御障壁〕を更新する。土埃対策を追加している。
「サムカ先生の領地とは別世界ですね。こちらの方が死者の世界らしいかも」
サムカ灰が入った〔結界ビン〕は、レブンの手の中にある。外の様子は見えないはずなのだが、魔法場の様子で大よその状況は分かるようだ。サムカ灰も〔念話〕でつぶやいている。少々驚いているようで〔念話〕の波長が少し不安定になり、金属音のような音が時々混ざっている。
(獣人世界では、ここは極端に雨量が少ないようだな。それで草木が育たないのだろう)
レブンとペルが空を見上げると、雲のひとかけらも見当たらない。東と西の地平線には山脈が走っているはずだが、これも砂塵に覆われていて見えない。
ジャディが背中の翼と尾翼に乾燥対策の水の精霊魔法をかけて、琥珀色の瞳を厳しく光らせた。仕草が何となく猛禽の羽つくろいに似ている。
「そうッスね殿。遠くの山脈には森や雪もあるようッスけど、ここまで雨雲がやって来ないような気流ッスね」
(さすがは飛族だな……)と感心しているペルとレブンである。その視線に気がついたジャディが、照れ隠しに凶悪な顔で2人を睨みつけた。
そんな生徒たちの騒ぎを微笑ましく眺めていたノームのラワット先生〔分身〕の手元に、小さな〔空中ディスプレー〕画面が発生する。ノーム語で何かメッセージが表示されて、次の瞬間に立体型の地図が描かれていく。
ノーム先生〔分身〕も砂塵除けの〔防御障壁〕を展開しているのだが、それでも銀色のヒゲや髪が気になるようだ。ほとんど無意識の動きで片手で口元やあごのヒゲを触っている。
「……僕が使役する大地の精霊をつかって、詳細な測量結果が得られたよ。やはり、ここの真下にある洞窟が、テシュブ先生の居城があった座標に一番近いね」
そう言って、ノーム先生〔分身〕が測量データを全員の杖と〔共有〕する。すぐに皆の手元にそれぞれ小さな〔空中ディスプレー〕画面が発生して、この現地の観測状況とその解析表示が出た。もちろん、ノーム語ではなくウィザード語に自動翻訳されている。
レブンが解析によって表示された立体地図を見て、一点に印をつける。
「正確な洞窟の地図をありがとうございます、ラワット先生。これによると、ちょうど僕が印をつけた場所が儀式魔法を行うのに適しているように思います」
洞窟は地下水の浸食によってできているので、複雑な迷路のような構造になっている。しかも、土中深くなると水没しているようだ。水没していない洞窟部分では、レブンが示した場所が確かに最も広く、水平部分も多いように見える。
一方で、ジャディが面倒臭そうな表情になった。
「地下20メートルくらいか。土中は狭苦しくて苦手なんだよなあ。しかも、気温50度で酸素濃度も低いじゃねえか。二酸化炭素の濃度が結構高めだしよお……」
確かに、そのまま行っても、窒息して茹だって死んでしまうだけだ。しかしその程度の障害なら、生徒たちには何ら問題ではない。
ムンキンが半眼のままで、≪バシン≫と1回だけ尻尾で砂塵舞う地面を叩いた。
「何を言ってるんだよ、このバカ鳥は。〔防御障壁〕を展開すればそれで済む話だろうが。酸素不足は、地上から空気を〔防御障壁〕の中へ〔テレポート〕させておけば解決するだろ。窒息なんかしないぞ」
ぐぬぬ顔をするジャディの肩を、「ポンポン」と叩いて落ち着かせるのはレブンとペル。ほとんどの授業をサボっているジャディなので、知らない魔法も多いのだ。
ペルが遠慮しながらも、皆に提案する。
「ジャディ君は地上で待機してもらおうよ。〔テレポート〕魔術刻印の番人は必要だと思う。それに、儀式魔法で使う供物を集めてきても欲しいし。ハグ先生の授業内容は、後で全部、私がジャディ君に教えることにすればいいよね」
ノーム先生〔分身〕が銀色の口ヒゲを片手でいじりながら、微妙な表情になった。
「ううむ。その番人役は僕がやろうと考えていたんだが……まあ、確かに空中機動が得意なジャディ君に任せた方が適任かな」
エルフ先生〔分身〕も賛成する。髪に付いていた土埃は全て静電気操作で弾き落としていて、今はきれいな金髪だ。
「そうですね。ここはタカパ帝国の外ですから、盗賊などが跋扈している恐れがあります。警戒するに越したことはないでしょうね。私がジャディ君に付き添いますので、ラワット先生が引率して生徒たちを洞窟へ誘導して下さい。私の魔法適性では、アンデッドの〔復活〕作業に悪影響を及ぼす恐れがありますからね。後でラワット先生経由で、経験の〔共有〕をするだけで充分ですよ」
ノーム先生〔分身〕が同意したので、ハグ人形が空中に浮かんだままで手足をパタパタさせた。何かキメポーズを取ろうとして失敗したようだ。
「コホン……えー、それじゃあ地下に潜るとするかね。ワシは人形なので平気だが、オマエさん方は生きておる。〔防御障壁〕やら支援魔法やらを、しっかりとかけておくようにな」
ノーム先生の調査情報を元に、耐熱を強化した〔防御障壁〕の調整をジャディ以外が行う。さらに体温が〔防御障壁〕内部に蓄積すると良くないので、その排熱の術式調整もしていく。
呼吸用の空気を地上から〔テレポート〕して確保し、呼気中の二酸化炭素を代わりに地上へ〔テレポート〕して排出させる術式も調整する。
洞窟内部の気温が50度ということなので、そのまま洞窟壁や床に触れると〔防御障壁〕越しであっても素足の狐族や竜族は低温やけどを負ってしまう。その熱〔遮断〕と、万一のやけど負傷用の自動〔治療〕魔術を起動させた。法力サーバーの支援はサムカ灰があるので使えないため、ソーサラー魔術版の〔治療〕魔術にしている。低温やけどは気管や肺の中でも起こり得るので、その対処関連も整える。
最後にミンタが注意を促した。
「後は、落盤が起きて生き埋めになった場合に備えて、『リボン』の確認も忘れないでね」
このリボンは、装着者が死亡した場合に自動的に〔テレポート〕して、学校近くのヒドラの越冬用洞窟の入口まで飛ばしてくれる魔法具だ。細かい調整が面倒なので、〔テレポート〕先をここへ変更していない。
他には、洞窟内部は当然ながら真っ暗なので、照明用の〔オプション玉〕をいくつか起動させる。それと、酸素濃度が低い環境でも爆発や火災が起きる恐れがある。その起爆源となりそうな静電気や火花を出さないように、制服や毛皮に対処用の魔法をかける。特に毛皮から生じる静電気には要注意だ。
これで、マニュアル通りの前準備が完了した。
ノーム先生〔分身〕に続いて、エルフ先生〔分身〕も最終的な確認を行って、ハグ人形に空色の瞳を向けた。
「二重確認終了。これで何とかなるでしょう。私もジャディ君と連携して、地上で常時監視を行います。ラワット先生は〔分身〕ですから、万一死んでも問題ないですしね」
実際は、本体への『負のフィードバック』がかかるので、少なからずショックを受けて寝込んだりするのだが、ここは黙ってニコニコしているノームのラワット先生〔分身〕だ。
ハグ人形も薄々それを察しているようで、人形の頭を振り回すようにブンブンと縦に振った。声色に、やや愉快な波長を混ぜている。
「よかろう。では、行くぞ」
【供物集め】
地上では早速エルフ先生〔分身〕が生命の精霊魔法を使い始めた。この魔法で、砂漠の巣穴に潜んでいるトカゲやヘビ、ネズミの位置を〔特定〕し、続いて精神の精霊魔法を使って地上へ〔誘導〕する。
それを上空で旋回しながらジャディが風の精霊魔法で次々と捕えて、地下へ通じる〔テレポート〕魔法陣の中へ、投げ込んでいる。その数は既に100匹にもなっている。
ものの数分で規定量を供給できたようで、ほっとするエルフ先生〔分身〕。すぐに、その魔法陣の中から生贄にされた動物たちが返されてきた。エルフ先生がそのまま精神の精霊魔法を継続して、それぞれの巣穴に戻していく。
上空を旋回してその光景を見下ろしていたジャディが、やや不満そうな顔でエルフ先生〔分身〕に文句を言った。
「なあ、カカクトゥア先生よお。血や毛をちょっとしか取ってねえじゃねえか。生かして返さずに、殺してしまった方が、集める数も少なくて済んで楽だろ」
エルフ先生〔分身〕が最後のトカゲを巣穴に返しながら、ジト目になって上空のジャディを見上げる。
「あのね、ジャディ君。むやみな殺生はエルフはしないのよ。生命の精霊魔法を契約履行しているのだから、できるだけ生かすのは基本中の基本です。でないと、パリーの機嫌が悪くなるし」
しかし、ジャディは首をかしげるばかりだ。
「虫は喜んで殺して食ってるくせによ……まあいいや。とりあえず、これで『儀式魔法』ってえのが使えるようになったんだな」
エルフ先生〔分身〕が、肩をすくめながらうなずく。
「……そうね。エルフの私がアンデッドの手伝いをするようになるなんて、少し前までは想像もしていなかったけど。報告書に書いたら懲罰ものだわ」
エルフ先生〔分身〕が地面に空色の瞳を向ける。結構、砂塵混じりの熱風が強く吹いてきているのだが、〔防御障壁〕のせいか髪の先も動いていない。
「さて、と。サムカ先生が、無事に〔復活〕してくれるといいけど」
【地下洞窟】
地下では、ミンタとムンキンが辟易していた。洞窟内部は鍾乳石だらけの上に、さらに巨大な水晶の結晶の森まであったせいで、肝心の広場が埋まっていたからだ。
身長が1メートル弱しかない生徒たちですら、ほとんど身動きがとれないほど、大量の水晶と鍾乳石が密集している。
「もうちょっと待っててね。すぐに掃除するからっ」
ペルが広場を走り回って、邪魔な鍾乳石や水晶の結晶を次々に闇の精霊魔法で〔消去〕している。レブンもペルほどではないが闇の精霊魔法が使えるので、一緒になって掃除を手伝っていた。
ミンタとムンキンはこの魔法が苦手な上に、地下なので光の精霊魔法も満足に使えない。光の精霊場が乏しく、照明用の〔オプション玉〕に回した魔力で精一杯だ。また、木星からミュオン素粒子を〔テレポート〕させて、可視光線に〔変換〕しても良かったのだが……ハグ人形が難色を示したので却下となった。
「これから死霊術の儀式魔法を行うのに、対立する光の精霊場をここへ持ち込んでどうする。せっかく地下まで潜った意味がなくなるだろ、このバカ者ども」
まあ、確かにその通りなので、文句を言いながらも従うことにしたミンタとムンキンであった。ちなみに軍と警察からの受講生2人は、魔法具で〔防御障壁〕を展開して見学している。
彼らも、この地がタカパ帝国領の外なので慎重になっている様子だ。今は手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を出して、それを用いて撮影をしている。
そんな受講生2人をチラリと見てから、ハグ人形が文句を続けた。
「本来ならば、〔オプション玉〕による照明も邪魔なんだぞ。鬼火なんかの死霊術による照明が良いのだが、儀式魔法に使う魔力を減らすことになるからな」
「すいません、ハグ先生」と謝っているのはレブンとペルである。サムカ灰は微妙な立場にいるので、今はコメントを控えることにしているようだ。
間もなくして掃除が完了すると、大きな空間が洞窟内に確保できるようになった。それでも数メートル四方の広さだが。床をさらに滑らかにして、ペルが紺色のブレザー制服の袖で汗を拭く。
「ハグ先生。これで魔法陣を描きやすくなりましたか? もう少し、床面を平らにしましょうか?」
ハグ人形が「ポテ」と床に降りて数回「ピョンピョン」とジャンプし、ペルとレブンに顔を向けた。
「これで充分だ。では、魔法陣を描くぞ。ちょっと下がっておれ」
急いで生徒と講習生たちが洞窟の壁まで後ずさりして退く。
水晶や鍾乳石の破片が掃除されずに散乱したままの場所まで後退した時、術式が起動した。魔法陣が見事な手並みで、鏡のように滑らかになっている床面に整然と描かれていく。
これは〔テレポート〕魔術刻印と同じくウィザード語によるものなので、似たような形式だ。魔法陣そのものは物質ではないので、物理的な手法で簡単に消したり書き換えたりすることは難しい。
「死霊術はウィザード魔法の一種として登録されておるのでな。こうしてウィザード語が使える。もちろん、契約相手は死者の世界の主だ。ちなみに、こういった魔法陣は古代語魔法の一種だぞ。契約する魔神どもとの魔力通路だからな。なので、魔法陣ってのは丈夫なんだよ。さて。では供物を捧げるとしようかね」
魔法陣の真上にハグ人形が、いきなり血の玉と毛の玉を出現させた。2つともかなり大きい。直径1メートルちょっとはあるだろうか。
驚きながらも無口のままで撮影を続けている2人の講習生を横目で見ながら、レブンが唸った。
「ええと……ジャディ君が集めた小動物から採取したのでしたよね。結構大量に使うんですね、ハグ先生」
ハグ人形が、血と毛の玉をいくつかに分割して、それらを床の魔法陣のポイントにテキパキと配置しながら答える。
「まあな。死霊術場が、この世界は弱いのでね。エネルギーを物質化するには効率が悪い。かといって、この血と毛玉をそのままサムカちんの体の再構築に使うということではないぞ。拒絶反応が出るからな。この血と毛玉は、あくまで潜在魔力の一時保管庫としての依代だ」
配置していくと、次第に儀式らしい雰囲気が出てきた。
「ここに大量の生鮮果実や家畜があれば、それを使うんだが、ここにはないからな。ちょうど今は収穫の端境期であるそうだし、なおさらだ。サラパン同士の肉でも良かったのだが、サムカちんのせいで、灰になってしまったので使えぬな」
サムカ灰もコメントせずに黙っている。確かに、ハグ人形の指摘した通りだ。サラパン羊の体の有効利用という点では、この儀式用に使うのが最適だった。
ハグ人形が話を続ける。
「潜在魔力を魔法陣を介して顕在魔力に〔変換〕、それを〔物質化〕してサムカちんの体の再構成を行う。そういう手順だ。アンデッドの〔修復〕であれば死霊術場を〔物質変換〕するだけで充分だが、こういう〔復活〕作業では不足するのだよ」
思わずレブンがメモを制服のポケットから取り出しかけたが、思い直して止めた。記録は先程から受講生が丁寧に行っているので、後でデータをコピーしてもらえば大丈夫なはずだ。
「今は、テシュブ先生の〔復活〕が最優先ですよね。メモは我慢、我慢」
サムカ灰が詰まった〔結界ビン〕を、レブンがハグ人形に見せる。供物は全て必要量が、必要な場所に配置され終わっていた。血の玉や毛の玉は玉のままで、魔法陣の上に乗っている。かなり生臭くなってきている洞窟内だが、そこは〔防御障壁〕のおかげで緩和されているようだ。それでも、嗅覚が鋭い獣人族にとっては、不快な臭いであるようだが。
「ハグ先生、この灰を魔法陣の中央に置いて構いませんか?」
ハグ人形が口をパクパクさせながら、魔法陣の上空で数回仰向けに回転する。
「うむ。では、後はレブン君が1人でやってみな。ここまで充分な準備をしているから、成功するだろう」
レブンが「キリッ」としたセマン顔になって、明るい深緑色の瞳をハグ人形に向けた。
「はい! ハグ先生。では、テシュブ先生。始めますよ」
サムカのおっとりとした〔念話〕が生徒たち全員に届けられていく。
(うむ。やってみなさいレブン君)
慎重にレブンが、魔法陣の中央にサムカ灰を山にして置き、1つ深呼吸をする。同じように緊張しているのはペルだけだ。ミンタとムンキン、ノーム先生は目をキラキラさせて口元を緩めている。
レブンが簡易杖を掲げて開始を宣言した。
「〔テレポート〕開始」




