79話
【夕方になって】
結局、夕方になってから執事のエッケコたちが大急ぎで走って戻ってきて、そのままサムカ主従とアンデッド兵たちを管理棟から追い出してしまった。
「旦那様と騎士殿は、お茶を飲んで寛いでいてくださいっ。『領主様や騎士殿が掃除した』という噂が広まれば、それだけでテシュブ家の家名に傷がつきかねませんっ」
であれば、自治都市の復興工事の指揮などをしない方が良いのだが、そこはサムカの命令に素直に従っている執事であった。
オークの使用人がすぐに茶を淹れて、茶菓子の新鮮マンゴの実と共に出してきた。ほとんど強制的に、管理棟前の庭に設けられた簡易喫茶テーブルの席に座らされて、ティーカップを持たされる主従である。
アンデッド兵たちを機能停止させ、置物状態に戻してからサムカが軽く肩をすくめる。とりあえず一口、紅茶をすする。さすがに急いで淹れたせいで、いつもよりも風味が弱い。茶葉のジャンピングが少し足りなかったようだ。
「家名と言うのであれば、農作業の巡回をしている時点で、既に噂になっていると思うがね」
騎士シチイガは無言でうなずくだけであった。
サムカと騎士シチイガが指揮をして、大勢のアンデッド兵が引っ越し作業と掃除を日中行っていたのであったが、その数時間かけて成し遂げた作業を、オークたちは30分もかからずに済ませてしまった。
あっという間に、墓場の倉庫だった管理棟が磨き上げられて塗装を新しく施され、窓やドアが新調されていく。老朽化して雨漏りしていた屋根も新たになった。崩れて隙間が目立っていた壁も、見事に直っていく。
管理棟の周辺も雑草が生えた荒れ地だったのが、石畳の床になっていく。ほとんど魔法のような変貌ぶりに、目を丸くして驚いているサムカ主従であった。
「これは驚いた。オークも立派な魔法使いではないか」
サムカの感嘆に若干、居心地が悪くなるのを感じる騎士シチイガである。そして彼なりにオークの能力を、改めて評価することにしたようだ。
「我が主が、オーク住民を大事になさる理由が更に深く理解できました。魔法を使えずとも、食事をしなくてはならなくとも、我らよりも優れている面があるのですね」
一方のサムカは、騎士シチイガの感想を聞いて錆色の短髪をかいている。横目で騎士シチイガを見て、口元を緩ませた。
「私も今の今まで、オークがこれほどの建築能力を有しているとは思っていなかったよ。私がオークを認めたきっかけは、このマンゴの栽培技術だったかな。うまいマンゴが欲しくて、オークに肩入れするようになっただけだ。だが、我が旧城や王城を建築したのはオークだしな。その後の魔法処理や補修は、騎士や貴族が行っているが、基礎建築はオークだ」
そんな会話を茶をすすりながらしていると、執事が汗を手拭いで拭きながら息を切らしてやって来た。まだ1時間も経過していない。
「お待たせいたしました、旦那様、騎士様。新居の中で、お寛ぎください」
【夜の管理棟】
夜になった。サムカが執務室で書類仕事を終え、背もたれのついたイスにかけながら背伸びをする。このイスは、騎士シチイガが城から運び出して無事だった物の1つだ。
新調されて塗装の残り香も新しい壁の向こうでは、騎士シチイガが武器の手入れを行なっているようだ。砥石で研ぐ衣擦れのような音と、水音が聞こえてくる。
サムカが執務室の中を見渡す。部屋の隅に簡易ベットがあり、その横に紅茶セットがある。戸棚や本棚も、ほぼ城から持ち出せていたので、紛失した本などは少なかった。
執務机の上には、ネット回線でつながれた巻物型の〔ディスプレー〕画面がある。その画面上では、召喚ナイフ契約者で構成された会員制のチャットが、リアルタイム表示で動いていた。文字は最も使用者数が多いウィザード語が使われているために、立体の分子模型が大量に表示されているようにも見える。
ドアのそばにはゾンビが3体直立していて、インテリアの一部になっていた。足元には、セマン製の防護シートが畳まれて置いてある。今は沐浴中なので、ゾンビたちにも魔力の蓄積をさせている。そのためシートを被せていない。
「ふむ。沐浴も充分できそうだな。やはり墓地に移って正解だったか」
城の中ほどではないが死霊術場が集まってくる場所なので、アンデッドにとっては居心地が良い。背伸びを終えたサムカが、手元の〔ディスプレー〕画面を何度か操作して……首をひねった。
「変だな。いつもであれば、メールを送ればすぐに返信がくるのだが。急用でもできたのか、ハグめ」
いつもであれば、不要な時でも勝手にサムカの部屋へ〔転移〕して遊びに来るのだが、今晩に限って音信不通だ。ちなみに、このアプリはメールではなくチャットである。
「……まあよいか。さて、残りの書類を片付けるとしよう」
【墓地の一角】
結局、ハグからは翌日の夜になって、ようやく返事がきた。「会って話をしよう」ということになり、サムカが軽くため息をつく。
「画面越しに話をすれば良かろうに……盗聴が気になる話なのかね」
この管理棟の中にハグが〔転移〕してくると、〔風化〕されて崩壊する恐れがある。それを危惧したサムカが、外に小走りで出る。そのまま走って、墓地の一角で周辺に墓石がない荒れ地まで行く。
「ふう。ここであれば良かろう。ハグ、出てきても構わないぞ」
すぐにハグ本人がニヤニヤしながら出現した。雲が多い夜空なのだが、さらに闇が濃くなり、気温も下がる。
「配慮感謝するよ。今後は、ここに出現すれば良いという事だな」
ハグは相変わらずの斬新なファッションのままで、空中にわずかに浮いている。
今回は、底が完全に抜けた革靴と、同じく底が完全にちぎれたスニーカー靴だ。長袖シャツと長ズボンは言うまでもなく数十年物の古着である。洗濯を断固として行わなかったのか、何かの油によって見事にコーティングされて風合いが出ている。これもオイルフィニッシュと言うのだろうか。
これまた見事なトラ刈りの銀髪と、象牙色の顔は、意外にもきちんと手入れしている。少なくとも垢汚れは見られない。
サムカよりも40センチほど背が低く、ほっそりした体型だ。しかしそれでも尋常ではない魔力のせいで、威厳みたいなものすら感じられる風貌となっている。
実際、魔力の低い者や、エルフのような相反する魔力を持つ者が今のハグの姿を見れば、それだけで即死などの被害を受けることには変わりはない。
地面から浮いているのも同じ理由で、触れてしまうと地面が魔法場汚染されるためだ。ここは墓地なので、火葬されているオークを、スケルトンにして甦らせてしまいかねない。
サムカがうなずく。こちらは常識的な古代中東風のシャツとズボン姿である。野外作業にも耐えるような、丈夫な生地で出来ている。
シャツやズボンには、多くのポケットがついていて、特に胸ポケットの下のものは、かなり大きな物も収納できる大きさだ。そして、当然のように何かごちゃごちゃと物が入っている。
地味だが実用本位のベルトには、いつもの長剣が吊るされていて、他にも雑多な宝石類や装飾品が取りつけられている。
今は乗馬や〔召喚〕とは無縁なので、柔らかい靴ではなく、普通の革のブーツだ。一応、草が生い茂る墓地の一角まで走って行くつもりだったせいだろう。雨模様ではないために、マントはまとっていない。草の実などがマントに付くと掃除が面倒、という理由だろう。ちなみに服と靴は、タカパ帝国産の試作品である。
それでも草の実などがズボンに付着していないかどうか確認するサムカだ。数個ほど付いていたので闇魔法で〔消去〕する。
「うむ、そうだな。この辺りまでは、ネズミやトカゲなども退治してあるから、連中をアンデッドにする心配も少ないだろう」
サムカが携帯用のポットをポケットから取り出して、大きさを元に戻した。ちょうど2人分の茶を淹れる事ができる量のポットだ。さらにポケットから簡易カップを2つ取り出して、ポットの茶を注ぎ入れる。
簡易カップは空中に浮かんでいるので、そのまま空中をスライド滑空して、ハグの手元へ渡った。サムカも簡易カップを手にして、ポットを再び小さくさせてからポケットの中に突っ込む。
とりあえず一口茶をすすってから、サムカがハグに話を促した。ハグは茶をすすらずに香りだけ楽しんでいる様子だったが、すぐに本題に入った。淡黄色の木蓮の花の色の瞳が怪しい光を帯び、水田の雑草のようにピョコンと長く伸びている銀髪が数本、愉快に揺れている。
「うむ。確かに、オマエさんの状態が妖精契約によって、少し変化してしまったな。今のオマエさんは、〔復元〕魔法を使ったせいで、木星の妖精と契約する『前』の状態だから、このままでは獣人世界で不都合が起きるだろう」
そう言って、ハグが指を1回だけ鳴らした。サムカの体に衝撃波が流れたが、特に異変は感じられない。ハグが瞳の色を穏やかにして、再び茶の香りをかぐ。気に入ったらしい。
「〔修正〕した。これでもう問題は起こらないだろう。死者の世界にも、あの中性子星があるのでね。そこと関連づけておいた。この世界では、あの星には妖精はいないが、まあ問題はないだろう」
今ひとつ、まだ実感がないサムカであったが、とりあえず礼を述べる。ハグも次の話題に移った。
「実はな、先程まで、その中性子星などへ調べ物をしに行っていたのだよ。獣人世界の墓所の連中が、何やら『対処する』とか何とか言っておっただろう? 古代語魔法を使うはずだからな、ワシにも興味がある」
「ああ、そのような事を言っていたな……」と思い出すサムカ。サムカにとっては無事に素材採集ができたので、それで関心も薄れてしまっていた。剣にするのは、ドワーフやノーム先生に任せてある。
「……確か、異星人文明がどうとか、という件だったか。墓所の連中のことだ、どうせ地球を丸ごと〔ステルス結界〕の中に入れたとか、そういう事だろう?」
ハグがニヤリと微笑んで、クルリと水平に回転し始めた。ティーカップから昇る湯気が緩やかに、ハグの自転に付きあう。
「そうであれば良かったのだがね。墓所の連中め、異星人ども数種族を壊滅させよったわい。合計で5000億人ほどおったのだが……半日で全員おバカさんだ」
「は?」となるサムカ。状況が理解できない。
ハグが等角速度で自転しながら再び茶の香りを楽しんで、呆れたような口調で話を続ける。
「正確には、『まだバカではない』な。ゆっくりと数年ほどかけてバカになる魔法だ。異星人の複数の文明は、それぞれ500光年程度の版図を持っているようだからな、いきなりバカになると、他の異星人から不審がられるとでも考えたのだろうさ。それでも、充分怪しいけれどな」
ハグが自身で調べてきた情報を、画像や映像、観測値と共にサムカに見せていく。それを見ながら、ようやくサムカも理解できてきた。眉間のしわが深くなっていく一方だが。
「……〔知能ドレイン〕魔法か。相手の知能を大幅に退化させる魔法だったな。その種族版か。既に宇宙旅行できるような知能は失われているようだな。これは現地での混乱が相当なものになるだろう」
ふと何か考えたようだが……すぐに首を振った。
「どうせ原始人化するのであれば、殺して、この死者の世界で引き取ることも考えたが……倫理上、良くないな。ナウアケが仕出かした事と、同じ轍を踏んでしまう」
ハグはまだクルクルと自転を続けている。紅茶の湯気を操って、自身の体にまとっているようだ。
「遺伝情報が我々とは別物だ。使い道はないだろうな。死霊術の効きも不安定化するだろうから、扱いにくいはずだ。まあ、異星人どもには申し訳ないが、対抗策はないし、知能回復も無理だ。そもそも魔法適性がないからな。どうしようもない」
サムカも険しい表情のまま、ハグに同意する。
「異星人の原始人化は、さすがにやり過ぎだ。だが、古代語魔法という訳のわからない術式では、私としても打つ手はないな」
ハグが回転速度を落として、紅茶が入ったカップをサムカに返した。もう、充分に香りを楽しんだらしい。
「〔バカ化〕といっても、脳機能が低下するような甘いものではないからな。ある意味で、時間を遡らせる魔法だ。この異星人どもの進化の歴史は知らぬが、ワシの見るところでは『火を知る以前の状態』にまで、一気に退行することになろう。脳機能だけでなく遺伝子の状態が退化する魔法だ」
小さくため息をつく。
「悔しいが、ワシでは無理だな。どんな遺伝子を持つ生物なのかよく分からない異星人を相手に、問答無用でバカにするような魔法は持ち合わせておらんよ。もしかすると、遺伝子を持たぬ異星人である可能性すらある」
小難しい話になってきたので、ややジト目気味になっているサムカであった。こんな話をするよりは、溜まっている仕事を片付けたいというのが本音である。が、そんなことを言うと、ハグの話に更に熱が入って、夜明けまで延々と話を聞く羽目になるのは目に見えている。
早めに話が終わるように希望しつつ、ハグに相づちをうち続けるサムカだ。ジト目のままだが。
「火を知る以前か。その段階となると、一般的な旧人の進化の時間に換算すると300万年ほどの文明退行になるか」
ハグが少し『話の腰を折られた』ような残念な表情になって、サムカにうなずく。ちょっと興が削がれてしまったらしい。
「ワシの見立てでは、もう少し短くて280万年というところだな。ただの獣にまで退行すると、そのまま絶滅する恐れがあるからな。手で握って使う石斧を使う程度の知能は残るはずだわい。文字や言語も失われるし、農業のような食料生産手段も失われる。術式をワシが解析した範囲内では、弓矢や槍すらも製作できない状況になりそうだ。当然ながら、地球のことを気にする余裕も能力もなくなるだろうな」
そしてもう一回、ゆっくりと自転して話を継いだ。
「ともあれ、実に興味深い古代語魔法だった。墓所が絡んでおるから、他のリッチーや魔神とは話せないのでな。田舎領主が相手とはいえ、話をすることができて気分がスッとしたわい」
サムカが微妙な表情で腕組みをしながら、ふと思った疑問を尋ねてみた。
「その〔知能ドレイン〕魔法だが、有効期間は280万年ということか。元の知能には戻りそうかね?」
ハグが、もう一回ゆっくりと自転して微笑む。
「正しく元の状態には戻らぬだろうが、同じ知能にまでは回復するだろうさ。サムカちんのような旧人に当てはめると、最初の200万年間は火を知らぬ原始人だな。知ってからは80万年かけて、劣化した遺伝子を改良しながら、脳構造や体組織を変えながら、ゆっくりと知能を回復させていくことになろう」
ハグはサムカとは違って別の人種であるので、憶測の多い言い方になっている。猿人が独自進化した人種とでも言おうか。
「最終的には、280万年後に農業を再発見すれば、後はあっという間だ。1万年もあれば、宇宙旅行できるまでに進化できるだろうさ。良い紅茶だったぞ、ごちそうさま」
サムカが、ハグから受け取っていたカップを傾け、ぬるくなった紅茶を地面にこぼして、それが地面に届く前に紅茶の液体を〔消去〕した。サムカも自身の紅茶を飲み干して、2つのカップを闇魔法で〔消去〕する。
ハグが使ったカップは魔法場汚染を受けているので、言わば、『呪いのカップ』と化してしまっているからだ。オークの使用人が誤って洗ったりしてしまうと、魔法場汚染を受けて倒れてしまう。サムカが使用したカップは、それほど汚染されていないのだが、ハグに付きあうことにしたのだろう。
「しかし、他にも異星人の文明は、銀河系の中にまだ多く存在しているのだろう? このような大事件ともなると、かえって注目を浴びそうな気がするのだが」
ハグが自転を完全に停止して、サムカに向き合う。
「『その時は、その時で考える』なのだろうな。まあ、〔知能ドレイン〕なんていう魔法は、魔法適性がない異星人たちには〔察知〕できないから、ただの奇病として恐れられるだけだろう。地球を含めたこの空間域は、要警戒として進入禁止扱いになるだろうな。誰も好き好んで種族ごとバカにはなりたくなかろう。ドワーフには気の毒だがね。魔法具の売り込み先を、市場ごと消されてしまったわけだ」
そして、声を低く小さくして、淡黄色の瞳を闇夜の中で細めて光らせた。
「……が、魔法世界の連中は別だ。獣人世界で、このような殲滅型の兵器級の魔法が使用されたことを、ドワーフを通じて遅かれ早かれ知ることになるだろう。犯人は誰だという話になる。当然ながら、獣人ではない。メイガスどもに怪しまれることになるだろうな。魔法場汚染の現場状況を分析すれば、先日の世界〔改変〕の実行犯とも、共通点があると分かってしまうだろう。面白いことになりそうだよ」
【縮小召喚】
<ポン!>と水蒸気の煙が運動場の一角で上がり、<パパラパー>という気楽なラッパ音がどこからか鳴った。サムカが定期〔召喚〕で獣人世界へ出現した。のであったが……
いつもの視野ではない。かなり低い位置からの視点になっている。
「ハグめ……何が、もう大丈夫だ」
水蒸気の煙が風に流されてすぐに消えると、そこは運動場の一角だった。寒波が来ているのか雲がほとんどない快晴で、亜熱帯ながらもやや弱々しい太陽が輝いている。地面にはいつもの〔召喚〕用の魔法陣が描かれ、供物が配置されている
着ている衣服がダブダブだ。黒マントや靴も大きすぎる。ベルトも体に巻きつくことができずに、ズボンと共に地面に落ちている。ベルトに吊るされていた長剣も鞘ごと地面に落ちて転がっている。白い手袋も大きすぎて、両手から脱げて地面に落下していた。
サムカが大きなため息をつく。
「身長が半分程度になったようだな。魔力は、それどころではない縮小度のようだが……100分の1以下か」
声までが変わってしまったので、さらにうんざりするサムカであった。声帯や喉の形が変化したのだろう、ほとんど、というかどうみても……
「子供だあっ。うわあああああっ、テシュブ先生っ! だ、だだだだ大丈夫ですかあっ!?」
校長が卒倒しそうになりながら、サムカに抱きついてきた。校長とほぼ同じ身長になっていることに、ここで気がつくサムカである。(なるほど、獣人族の視野や視界とは、こういうものか……)などと呑気に思いながらも、一応厳しい表情をつくる。
「存在できるという意味では大丈夫だ。だが、これでは魔力不足で授業を行うことは難しいな。そういう意味では大丈夫ではないと言えるだろう」
最初にサムカが〔召喚〕された際の魔力量と比較しても桁違いに少ない。(この魔力量は『騎士見習い』程度か……)とサムカが懐かしく思う。かれこれ、もう4000年も前の記憶だ。サムカが、おろおろして抱きついている校長に聞く。
「やはり、これはサラパン主事殿の仕業かね?」
かなり動転してパニック状態に陥っている校長だが、何とか涙目になりながらもうなずいた。白毛交じりの両耳がフルフルと揺れて、鼻先のヒゲも同じように震えている。
「は、はい。今回、不安がかなりありましたので、こうして野外での〔召喚〕に臨んだのですが……うわああああ」
サムカが周辺をキョロキョロすると、冬毛で丸々になったサラパン羊が、千鳥足で必死に逃げていく後ろ姿が見えた。距離は6メートルというところか。風に乗って、ウィスキーの香りがサムカに届く。
サムカが頬を緩め、それでも眉間のしわを更に深くする。
「まったく……いつか仕出かすとは予想していたが。サラパン君、ちょっと話がある。こちらへ来なさい」
サムカの足元の〔影〕が一直線に伸びて、それがサラパン羊の足元の影に接続した。
「ぐひっ……」
ブタを絞め殺したような声を上げたサラパン羊が地面に倒れる。そのまま〔影〕に引きずられるようにして、サムカと校長のいる場所へ転がりながら引き戻ってきた。既に声にならない悲鳴を上げ続けて、短い手足をバタバタさせているのだが……遠慮なく引き戻すサムカである。
運動場の隅には他に、エルフのカカクトゥア先生、ノームのラワット先生、ドワーフのマライタ先生、現地妖精のパリー先生、それに得体の知れない墓と墓次郎、雲と中用務員までが揃っていて、こちらへ駆けてきている。〔召喚〕時に何か起きると校長が危惧して、安全な距離をとらせていたのだろう。
既にエルフ先生以外は、サムカの姿を一目見て爆笑している。おかげで走って来る速度が、かなり落ちている。
エルフ先生だけはかなり必死の形相で、笑うこともなく全力疾走だ。
「サムカ先生っ! 殺してはいけませんよっ」
彼女は先生や用務員たちの中では先頭走者なのだが、〔飛行〕魔術を使う余裕もないみたいである。杖を〔結界ビン〕から出す余裕もない顔で、サムカの凶行を未然に防止しようと声をかけ続けている。
サムカが険しい表情を止めて、いつもの穏やかな表情になりながらエルフ先生に山吹色の瞳を向けて答えた。
「心配は無用だ。恐らく半分は、ハグのせいだろう。この羊さんだけのせいではないよ。ちょっと調べたいことがあるんだよ、クーナ先生」
そう言いつつもサラパン羊のフワフワした冬毛の頭を、素手の左手で「ガシッ」とワシづかみにするサムカであった。
もう、羊は微動だにできない様子で、さすがに恐怖の表情を明確に浮かべている。ただ、こういった経験自体が乏しいようで、壊れた人形のような動きでワタワタともがいているだけだ。ヘビに体半分飲み込まれたカエルの、最後の悪あがきにしか見えない。
校長も今回ばかりは、助け舟を出す予定はなさそうだ。サムカからようやく体を離して、こうなった経緯をサムカに話し始める。白毛交じりの両耳と尻尾が力なく垂れて、口元と鼻先のヒゲ全ても張りを失って垂れている。
「申し訳もありません、テシュブ先生。サラパン主事ですが、寝不足だったのです。大地の精霊と妖精による、魔法使い関連施設の倒壊事件についての事情聴収に呼ばれておりまして」
しかし、サムカの表情はまだ冷ややかなままだ。再度サラパン羊から漂ってくる酒の臭いをかいで、整った眉をひそめる。
「その割には、酒をかなり飲んでいるようだが」
サラパン羊が大汗をかき始めて、さらに見苦しくバタバタと短い手足を振り回して暴れ出した。そんな抵抗を易々と片手で抑えつけるサムカである。再び、豚を絞め殺したような声が運動場に響いた。
校長もさすがにサムカを止めることはせず、困ったような顔をしながら話を続ける。白毛交じりの尻尾が、心持ち活気を取り戻して動き始めたようだ。
「テシュブ先生が最初に〔召喚〕された、教育研究省の森の中の建物を覚えていますか? その地下では、石像処理した者たちの他に、各種魔法具の保管もしています。ドラゴンが関わっていた魔法具も、そこにありましたが、それはもう破壊されています」
それはサムカも知っている話だ。鷹揚にうなずいて校長の話を促す。羊は観念したのか暴れるのを止めて、グッタリとしている。半分気絶状態になっているせいもあるようだが。
「どうやら、他にもドラゴンの魔法がかけられた物があったようなのです。地下2階の魔法具倉庫の整理をその後行ったのですが、その際に30年物のウィスキーの樽が発見されました。ノームのラワット先生の診断で、古代語魔法がかけられている恐れがあるとなり、この学校へ移されたのです」
そこまで聞いてサムカも、その後どうなったのか大よそ想像できてしまった。
「酒か……」
校長も沈思しながらうなずく。
「はい……もちろん、マライタ先生やラワット先生、もちろんカカクトゥア先生も警戒しておりまして、テシュブ先生の〔召喚〕を待って処分するつもりでした。しかしながら仕事で疲れたサラパン主事が、酒の匂いに引き寄せられて、その……勝手に飲んでしまいまして。厳重に鍵をかけて保管していたのですが、なぜか突破されてしまいました」
サムカが抑えつけているサラパン羊のフワフワ毛皮頭に、指を改めて食い込ませる。その山吹色の瞳は、かなり呆れた辛子色に変わっていた。
「ハグや墓に聞くよりは、私に相談するべきではあるか。連中は騒ぎを大きくする才能に長けているからな。ついでにティンギ先生もだな。して、その酒を飲んだ者は、他にいるのかね?」
校長が首を振って否定する。着実に元気になってきているようだ。
「いえ。確認しましたが、サラパン主事以外の者は飲んでいません。それで、どうでしょうか。やはり、ドラゴン関連の魔法がかけられている酒ですか?」
校長に聞かれて、サムカが改めて羊の頭を片手でゴソゴソかき回す。冬毛の量が多いので、子供状態とはいえサムカの手首がスッポリと羊の毛皮の中に埋まっている。
数秒間ほどサムカが毛皮をかき回している間に、エルフ先生が到着した。さすがに息が上がっている。
「暴力はいけませんよ、サムカ先生っ」
サムカが穏やかに戻った山吹色の瞳を、エルフ先生に向けて挨拶をした。
「クーナ先生、良い天気だね。心配は無用だ。魔法の〔検知〕をしているだけだよ。ん、これか。やはりステルス偽装された術式だな」
そのまま、サムカが羊の頭の毛皮の中から手を引き出そうとした……が、その手が何かに引っかかったように止まった。再び、サムカの瞳が険しい光を帯びていく。
「むう……サラパン主事の脳組織に、かなり強く絡まってるな……引き出せないか」
サラパン羊は脂汗をダラダラ垂らして全身を硬直させている。汗を吸い込んだせいなのか、徐々に毛玉の体が縮んできたようだ。隣の校長とエルフ先生が、同時に深刻な表情に変わる。
「テシュブ先生。それは、どういうことでしょうか」
「サムカ先生。状況を説明して下さい。私やラワット先生では、闇の魔法には詳しくないのです」
半分まで引っ張り出した術式の糸を、サムカが器用に片手の指で弾いた。電子音のような不快な不協和音がする。そのたびにサラパン羊の全身に、電気が走ったかのような激しい痙攣が起きた。確かに、神経組織に魔法の術式が絡んでいるようだ。
「酒の成分というか、水分に術式を溶かし込んでいる。なので、この羊の脳漿の水分に混じっているな。『脳の一部になっている』と言えば分かりやすいか。こうなると、もう術式だけを摘出することは無理だ」
そして、術式の内容を〔解読〕した。
「古代語魔法の系統だから、半分も読み取れないが……魔法自体はドラゴンに情報を送信するカメラのようなものだな。情報収集と送信目的の術式だ。私がこの世界へ〔召喚〕されると、〔予知〕でもしたのだろう。30年前に、こうやって仕込んでおいたという事か」
エルフ先生が空色の瞳をジト目にしてサムカを見つめる。ようやくパリー先生やノーム先生、マライタ先生、それに墓の一味が到着した。すでに、かなり笑い疲れている。
彼らに軽く手を振ってから、エルフ先生が再びジト目をサムカに向けた。
「サムカ先生……いったい、どれほどの恨みを、そのドラゴンから買っているのですか」
色めき立つ到着者たち。ノーム先生が目をキラキラと輝かせながらエルフ先生に聞く。
「え? ドラゴン関連の話なんですかな? ぜひに聞きたいものですなっ」
軽く苦笑したエルフ先生が、到着したばかりの連中に簡単に説明する。
「そういう反応をすると思っていましたよ。サムカ先生の推測ですが……」
やはり皆、エルフ先生と同じような感想を持っているようだ。聞き終えた後も笑いながら、かなり呆れている。とりあえず、それは置いておいて校長がサムカに聞いた。
「それで、テシュブ先生。どうすれば良いと思いますか」
サムカが術式の糸を指から離して、サラパン羊の分厚い毛皮頭から手を引き抜く。今がチャーンスとばかりに羊が逃げ出そうとするが、サムカの〔影〕固定の闇魔法で動けない。
「……そうだな。要は、この術式を破壊すればいい。この羊の生体情報と血液サンプルは保存してあるのかね?」
校長が素直にうなずいた。エルフ先生とノーム先生の顔が、にわかに険しくなる。
サムカが事もなげに解決策を述べた。
「では、殺すか。灰にすれば、ドラゴンの術式でも憑りついたままではいられないだろう。その後、法術のマルマー先生にでも頼んで〔復活〕させれば、それで問題ないはずだ」
再び、豚を叩き殺す時の鳴き声のような音がサラパン羊の口から漏れた。必死でサムカから逃れようと、手足をバタバタさせているが……しっかりと地面に〔影〕によって縫いつけられているので動けない。
校長もサムカの提案を予想していたようだ。大きくため息をついただけだった。
エルフ先生とノーム先生も険しい表情のままだが、特にサムカに抗議をする様子は見られない。マライタ先生や、墓の一味、パリーに至っては、「好きにすればいいよ」という立場のようだ。むしろ、屠殺ができると喜んでいるような節も見られる。
ノーム先生が銀色の口ヒゲの先を片手の指でつまんで引っ張りながら、念のために学校の法力サーバーにアクセスする。そこでサラパン羊の生体情報と血液サンプルの最終更新日を再確認した。
「最新版ですな。自動更新機能があるから、1時間前の情報が最新だね。システム通りに1時間ごとに更新されている。まあ、問題なかろう。学校へ来て、酒を発見する前辺りの生体情報を使えば良い。その後3時間の記憶が欠落するくらいだ。精神〔治療〕も不要だろう」
エルフ先生も肩をすくめるだけだ。
「仕方ありませんね。私が使う光の精霊魔法では、恐らくひどい魔法場〔干渉〕が起きてしまうでしょうし。大爆発して死んでしまうよりは、周辺に被害が及ばない分だけマシでしょう。あっ。こらパリー。余計なことはしないのっ」
パリーがヘラヘラ笑いを満面に浮かべながら、羊の頭に触ろうとするのを、慌てて制止するエルフ先生。
パリーがまだ笑いながらエルフ先生に抗議する。ちなみに、パリーの服装は狐族用の事務服である。サンダルはコケで覆われているが。
「いいじゃなあい~。どうせ死ぬなら~派手な方がいいよ~。この学校ごと、爆発させる~」
相変わらずなパリーへの対応は、エルフ先生に一任するサムカたちであった。
サムカが地面に転がっている長剣を拾い上げて、鞘から刀身を引き抜く。途端に、刀身から冷気にも似た闇の魔法場が漏れ出てきた。
「念のために、皆、数メートルほど距離をとってくれ。では、さっさと殺すとしよう」
もう、声も出せない恐慌状態のサラパン羊が、一縷の望みをかけて校長や先生たちに哀れな目を向ける。が、皆さっさと距離を置いて退避してしまった。
口をパクパクさせている羊に、断りも何も入れず、無慈悲な剣が振り下ろされた。
毛玉が真っ二つに両断されて、斬り口から鮮血と体組織が噴き出す。しかしそれも一瞬の間だけだった。
次の瞬間には大量の水蒸気が湧き上がり、その白い煙と分離するかのように発生した灰が、運動場に降り積もって小さな山をつくっていく。
それを見たマライタ先生がガックリと肩を落とす。
「むう……どうせ屠殺するのであれば、さばいて血抜きをして、酒のツマミ用の燻製肉にでもしようかと思ったのだが。灰になってしまいおったか。まったく、どこまでも使えない羊だな」
ノーム先生も無言で同意している。エルフ先生と、校長先生は、さすがに呆れた表情を浮かべているが。
サムカが軽く首をかしげて、マライタ先生の文句を聞いている。
「ふむ。そういう処理方法もあるのか。我が騎士は、羊を肉骨粉にして肥料や魚の餌にすべきだと言っていたが……食事をする習慣が私にはないので、考えていなかったよ。次回からは、考慮する事にしよう。さて……」
墓と墓次郎がこの会話のメモを取り始めたので、サムカが話を本筋に戻す事にしたようだ。余計な騒動を巻き起こすネタを、墓たちに与えるべきではない。
サムカが水蒸気の煙の中に左手を突っ込んで、ドラゴンの術式をつかんだ。
「やはり、自爆機能がついていたか。では、〔消去〕しよう」
糸のような魔法の術式が、幻のように消滅する。サムカが長剣を右肩に担ぎ、1つため息をついて地面の灰の山を見下ろした。
「風で吹き飛ばないように集めてから、適当な〔結界ビン〕にでも詰めるか」
あっけない羊の最期と、灰の山となって変わり果てた姿に、エルフ先生も空色の瞳を軽く閉じた。
「そうですね。では、マルマー先生を呼びましょうか」
そして頬と目元を緩めながら、サムカの姿をチラリと見る。
「それと、体に合う衣服も用意しないといけないですね。子供向け……になるのかな」
子供サムカが自身の服装を再確認して、両手で剣を持ちながら鎬部分で右肩を「ポンポン」と叩く。今は身長が1メートルしかない。
今回はマントを身に着けてこなかったので、姿がよく見える。元は180センチあるので、今はほぼ半分の背丈だ。古代中東風の丈夫な長袖シャツも袖が長すぎて腕の長さが足りず、余った部分は、そのまま垂れている。シャツ自体も今の子供サムカには大きすぎて、シャツの裾が足のつま先まで覆ってしまっていた。
当然ながら、ズボンもベルトごと地面にずり落ちてしまっている。靴も大きすぎ、さらに靴下まで大きすぎて、今は完全な素足である。足元には腕輪や指輪、それにベルトに付けられていた各種装飾品がバラバラと散らばって落ちている有様だ。
「むう……そうだな。今日はタカパ帝国産の衣装を着ていたから、サイズ修正ができない。魔力を帯びている服であれば、簡単に縮小できるのだがね」
そして、地面に散乱している装飾品や宝石類を見下ろして、次に肩に担いでいる長剣の刀身をまじまじと見る。「ふう……」と1つため息をつく子供サムカ。小さくなったせいなのか、顔つきまで少年のようになっている。
「私の魔力量が大きく下がったから、身につけることは避けた方が良さそうだ。私よりも、この剣の方が魔力が高い有様だよ。これでは、闇の魔法場汚染を私が食らってしまう。ハグに預けるか。おい、ハグ。見ているのだろう? さっさと出てこい」
<パパラパー>とラッパ音がして、ハグ人形が子供サムカの錆色の短髪頭の上に落ちてきた。着地するのが面倒なのか、「ポテ」と頭から落ちる。
「ワシのせいじゃないぞ。術式の修正は完璧だったのだからなっ。〔召喚〕術者の羊の体調が悪かっただけだからなっ」
早くも、責任逃れを始めるハグ人形であった。
〔召喚〕術者と言っても魔力の弱い羊なので、基本的な術式の行使はハグが担当している。実質、古代語魔法に相当するような世界間の〔召喚〕魔法などを、一介の羊が行使できるはずもない。
しかし、今それをハグ人形に指摘して、険悪な状況を更に深刻にするのは無意味だろう。子供サムカと校長やエルフ先生たちもそう思っているので、特にハグ人形を非難したりはしていない。
子供サムカもハグ人形の言い訳に適当に相づちをうって、本題に入った。
「いかにも、いかにも。それで、ハグよ。私を元の姿へ戻すことはできそうかね? 無理であれば、私の装飾品や剣を〔召喚〕が終わるまでの間、預かってほしいのだが。いずれも、魔力を強く帯びている物ばかりだ。このままここに放置すると、運動場が闇魔法で汚染されてしまう。〔防御障壁〕で包もうにも、今の私では魔力が足りない」
〔結界ビン〕をいくつかポケットから出して、ハグ人形に投げて渡した。
「この中に封じておいてくれないか。今の私では、この魔法具や剣を封じるに必要な魔力すらない有様だ」
そして、エルフ先生とパリーを横目で見る。
「このままでは、彼らに私の財産が破壊されてしまいそうだしな。それは避けたい。結構、高価な物なのだよ」
「ふっふっふ……」と不敵な笑みを浮かべているのは、もちろんこの2人である。もう、破壊までの時間的な猶予は余り残っていないようだ。
ハグ人形が「やれやれ……」とでも言いたげな仕草をしながら、〔結界ビン〕のフタを全て開けた。
「仕方あるまいな。リッチーを小間使いにする貴族なぞ、オマエさんくらいのものだぞ。まったく……」
そう言ったかと思うと、次の瞬間。地面に転がっていた子供サムカの所持品と、肩に担いでいた長剣が消えた。同時に、「チャリン、チャリン」と、〔結界ビン〕の中に何か入った音がする。豚の貯金箱のような音だが。
「ワシが持つと、それはそれで魔法場汚染を与える恐れがあるな。執事殿にでも送りつけるとするか」
ハグ人形が〔結界ビン〕数個をジャグリングしてクルクル回している。子供サムカも異存はない様子で、素直にうなずいた。
「うむ。それが最善だろうな。そうしてくれ」
エルフ先生が手元の空中〔空中ディスプレー〕を使って、法術のマルマー先生を呼び出しているのを目に留めながら、子供サムカが校長に山吹色の瞳を向ける。
ちなみに『羊の灰』は、ノーム先生がせっせと魔法を使って〔収集〕して、不純物やゴミの〔選別除去〕をし、灰だけを小さな〔結界ビン〕の中へ移している。多少、風に流されてしまったようだが……羊族なのでまあ大丈夫だろう。
「では、シーカ校長。マルマー先生が応答するまでの間、雑談でもしようか。森の中にあった噴水岩だが、あれからどうなったのかね? 大地の精霊や妖精に食べ尽されたと聞いたのだが」
校長も、まず1つめの懸念事項が片付いたので表情に余裕が出てきていた。両耳と尻尾もかなり生気を取り戻してきている。
「はい。今朝、確認したのですが、噴水岩があった場所には、直径12メートル、深さ4メートルほどの穴があいておりました。魔法場汚染ですが、軍と警察のおかげで除染が完了しています。このまま放置しても構わないのですが、ラワット先生にお願いをして、地下水の妖精さまに池にしてもらう予定ですよ」
ノーム先生が銀色のあごヒゲを片手でつまみながら、子供サムカにウインクする。
「ほら、南の湖で知り合った地下水の妖精がいただろ。彼の友人がちょうど、噴水岩周辺の地下水を管理している妖精だったんだよ。もう話をつけて、了解も取りつけてある。これで、現場にまだ希少金属が残っていても、水で希釈されて無害化するよ」
「なるほど」と納得する子供サムカ。あの時は、ほとんど何の役にも立たなかった妖精だったが、こういう使い道もあるようだ。
校長が子供サムカに顔を向けて、やや慎重な口調で話を続けた。
「それからですね。帝都への大地の精霊襲撃事件の影響なのか、翌日、帝都上空にドラゴン型のゴーストが発生しまして……帝都の住民が多数、目撃して騒ぎになりました。幸いなことに特に被害も出ず、数分後にゴーストも消滅しています」
子供サムカが鷹揚にうなずく。子供状態なので、生意気なガキに見える。
「ドラゴンの『探し人』である私が、帝都にいなかったからだろう。それに、ゴーストであれば魔力も弱い。人口密集地である帝都では、死霊術場も微々たるものだ。すぐに魔力切れを起こすものだよ」
そう言った子供サムカが、ふと首をかしげた。そこら辺で浮かんでいるハグ人形に山吹色の視線を向ける。
「ハグ。小さくなった私だが、これも一種のエネルギードレイン状態だ。であれば、子供の姿になるとは思えないのだが。低エネルギー状態になれば、私の場合『ただのゾンビ』に戻るはずだぞ。どうして子供状態なんだ?」
ハグ人形が面倒臭そうに手足を空中でパタパタ動かした。
「バカだなあ、オマエさんは。醜いゾンビになったら、そこの先生どもから総攻撃を受けるだろ。騎士見習い程度の魔力だから、ゾンビと言うよりはリベナントの上位種ってとこになるが、それでもゴリラの出来損ないみたいな醜い姿だ。毒まみれだしな。そんな姿じゃ、召喚ナイフの宣伝には到底使えないわい。ワシの親切心に感謝しろよ、この田舎者」
「なるほど。ハグ様が面白がって、テシュブ先生の姿を子供状態にしたのですね……」と理解する校長である。先生たち、それに墓一味も同じような反応をしている。ただ実際の騎士見習いはゴリラ体型ではない。ちゃんとした人間型なのだが、人形のような印象だ。子供サムカも面倒に思っているのか特に指摘していない。
ドワーフのマライタ先生が、「そろそろ良いかな」と話を切り出してきた。
「おかげで、地震もすっかり収まった。地下の教室やサーバー施設にも、特に問題は出ていない。時間に余裕ができたから、中性子物質の加工に取り掛かることにしたぞ」
そう言いながら、マライタ先生がツナギ型の作業着の大きなポケットから〔結界ビン〕を取り出す。怪訝な表情になるエルフ先生。
「マライタ先生。研究は大切ですけど、大地の妖精や精霊に感づかれないようにお願いしますよ。次にまた騒動が起きれば、警官として見過ごすわけにはいきません。容赦なく撃ちますからね」
しかし、どうやらそれは杞憂だったようだ。隣でヘラヘラ笑っているパリーが小さく「ピョンピョン」跳ねながら、エルフ先生の背中に体当たりをする。
「大丈夫よ~。もう、魔法場は漏れ出してないもの~悔しいけど、完璧な措置だわ~」
マライタ先生が中用務員と肩を組んで、一緒にガハハ笑いをする。こうして見ると、下駄のような白い歯だけは中用務員はコピーしていない。
「そりゃあそうだ。じっくりと中用務員と調整したからな。魔法場やら放射線は全て、中性子星へ転送している。それで、テシュブ先生よ。どういった武器に加工すれば良いかね? やっぱり、いつも腰に吊り下げている長剣みたいな形状にするかい?」
マライタ先生が剣を見つめてから、子供サムカに視線を戻す。
「どうせなら、ワシやラワット先生も使えるような武器が望ましいんだがね。カカクトゥア先生や他の先生、最終的には警察や軍にも配備したいから、それも見据えて考えておいてくれ」
エルフ先生が首をかしげる。
「え? 私は大地の属性武器は、不得手ですよ。光か生命、風、水であれば問題ありませんが……」
ノーム先生がニコニコしながら指摘してきた。
「『地球外の物質』だということを、お忘れなく。地球の大地の精霊や妖精に敵視されているから、ちょっと魔法場を加工すると、『無属性』として疑似的に扱えるんだよ。誰でも使える。無属性の魔法適性もちの人が最も適しているけど、そんな適性もちは稀だ。しかも、この魔法場は中性子星へ全量転送しているから、使用者が魔法場汚染を受ける恐れも少ない」
エルフ先生の空色の目と、子供サムカの山吹色の目が、揃ってジト目になった。
「は? 何よ、その酷いご都合設定」
「恐れ入ったな。そんなカラクリがあるのかね。それならば、ドワーフ政府が欲しがる理由も理解できる」
マライタ先生が白い歯を見せて笑う。
「だから言っただろ? 『良い素材』だって。ワシらの側で『妖精契約』を結んで、それを『貸与』する形で使用者に提供すれば良いしな。『妖精契約の又貸し』ってやつだ。使用者が悪さをしたら、即、又貸しを終了してしまえば、中性子物質は瞬時に崩壊して消滅するからね。管理も楽なんだよ」
さすがは、商売人のドワーフである。しかし、その崩壊時に大量の放射線が出る事は黙っているが。
ちなみに無属性の鉱物は死者の世界に多かったりする。闇魔法場との親和性が高いためだ。
しかし貴族の魔法適性は無属性ではないため、無属性の鉱物を身に着けても魔力の吸収はそれほどできない。なので、貴族社会ではクズ鉱石という認識だ。サムカが知らないのも、こういう事情がある。
その子供サムカが目を点にしながらも、感心してうなずいた。
「うむ、そうだな。剣を振るうには技量が必要だ。槍が良いかもしれないかな。長いから、素人でも臆することなく使用できる。突きと叩きさえ練習しておけば、それなりに現場で使えるはずだ」
エルフ先生は違う意見のようである。両耳を軽く上下にパタパタ動かして提案した。
「飛び道具が良いでしょうね。有線型マジックミサイルとして使えるようにすれば、発射用の筒と、普通の追跡装置さえあれば使用に耐えるはずですよ。目標に命中してから、目標を〔中性子化〕して取り込んだ後、その貸与契約を終了すれば、中性子線を放って爆発するでしょう」
物騒な提案が2つも続いたので、「ギョッ」としている校長である。一方のマライタ先生は何やら考え事をしていたが、すぐにニッコリ笑ってうなずいた。
「じゃあ、その2つの案で考えてみるか。マジックミサイルの方が簡単かもな。既存のシステムに組み込むだけだし」
ノーム先生が一応、注意事項を述べる。
「貸与契約を確実に機能させることが前提だけどね」
そして今度は興味深い視線で、まじまじとサムカを見た。
「それはそうと、テシュブ先生。現在の魔力が『騎士見習い』程度だと仰っていたよね。それって、ペルさんと同等という意味ですかな?」
子供サムカが腕組みをして、空中を平泳ぎしているハグ人形と顔を見合わす。
「そう……なるかな。正確な魔力比較はしていないが、恐らくはそうだろう。私が闇魔法で、ペルさんが闇の精霊魔法だから、魔法場の種類は同じではないがね」
子供サムカの返答を聞いて、ノーム先生が確信に満ちた表情になった。
「であれば、今のテシュブ先生はカカクトゥア先生やパリー先生に対して、〔防御障壁〕の展開や調整をさほど気にせずに『接触』できるはずですぞ」
「あ」と同時に声を上げて、顔を見合わせる子供サムカとエルフ先生。
パリーは既に松葉色の瞳をキラキラに輝かせ始めている。ニコニコと素敵な笑顔を満面に浮かべて、両手を大きく広げて子供サムカに駆け寄ってきた。
「サムカちん~抱きしめてあげるう~」
「げ」と思わず唸った子供サムカであったが、今の魔力はパリーの方が圧倒的に上だ。あっけなく捕まって、がっしりと抱きしめられてしまった。身長も今はパリーの方が30センチも高い。
「!!!」
さすがに、思わず両目を固く閉じてしまった子供サムカとエルフ先生であったが……
パリーを含めた3人が、同時にキョトンとした顔になって、同じセリフを口にした。
「あれ?」
子供サムカが心底驚いた表情で、続けてつぶやく。
「な、何ともない……だと?」
エルフ先生も空色の瞳を大きく見開いたまま、口を半開きにしている。
「うそ……サムカ先生。〔防御障壁〕を展開しているんですか?」
子供サムカが首を振って否定した。
「していない。というか、張っていた〔防御障壁〕は全て、パリーに抱き潰された」
パリーがつまらなそうな顔をして、サムカから離れた。頬を膨らませて、ウェーブのかかった腰までの赤髪を揺らして「ピョンピョン」跳びはねている。
「どうして爆発しないのよ~。これじゃ、本当にペルちゃんと同じじゃないの~」
子供サムカが苦笑しながら、パリーの文句に同意する。
「一理あるな。いったん死ねば元に戻るかもしれぬ」
しかしそんな希望はハグ人形が即、否定してくれた。少し楽しそうでもある。
「ないな、それは。死者の世界から、この獣人世界へ移動中に、魔力を含めたエネルギーが『喪失』したのだよ、サムカちん。ワシが喪失分を補填しない限りは、〔復活〕しても子供のままだわい」
そして、ハグ人形が校長や先生たちからの視線を集めていることに気がついて、「プイ」とそっぽを向いた。まだ空中を〔浮遊〕しているので、体自体がクルリと惰性で回転している。
「補填はせぬぞ。そんな魔法を行使したら、そこのパリー先生や用務員どもから怒られるからな。この世界にはないエネルギーを無理やり呼び出して、物質化することになる。魔法場汚染も起こるし、ちょっとした因果律崩壊すらも起こる恐れがあるのだよ」
ガックリと肩を落とす子供サムカとエルフ先生であった。
本当に、肝心な時には役に立たないリッチーだ。一方のパリーと用務員たちは、なぜか勝ち誇ったようなドヤ顔をしている。
ノーム先生は腑に落ちたような表情だ。ポンと両手を合わせて「うんうん」とうなずいている。
「世界間移動の公式ゲートと違って、召喚ナイフ契約は、まだまだ修正しないといけないってことですな」
「ぐぬぬ……」と唸っているハグ人形である。
異世界ごとに因果律や物理化学法則、常識は微妙に異なる。だからこそ、それぞれの世界には、多様な亜人や獣人、魔法使いに貴族が存在している。
そのため、ただ単に異世界へ人や物が〔転移〕しても、微妙に異なる存在であるために、最終的には世界から弾き出されてしまう。サムカが〔召喚〕終了時に一緒に持ち帰るマンゴなどが、何もせずに放置すると、一定時間経過後に自動的に元の獣人世界へ戻ってしまうように。
それでは異世界間の人や物、サービスの流通はできない。そこで、古代語魔法を使ったゲートを経由することで、微妙な差異を〔修正〕している。エルフ先生やノーム先生たちが世界間移動ゲートを通って獣人世界へやって来る理由は、そのためである。そうでないと、マンゴのようにすぐに元の世界へ戻されてしまう。
召喚ナイフ契約は、そのゲートによる世界間移動を簡略化して、手軽に行えるようにする事が目的だ。しかし、やはり今回のような〔召喚〕失敗が起きてしまう場合もある。その損失分は、これまでリッチーのハグが補填していたようである。
ドワーフが行っている『空間の亀裂』を利用した世界間移動は、情報エネルギーを送り込んで、現地で物質化して自身のクローンを作り出す。本人が異世界へ出かけるわけではない。この学校にいるマライタ先生も、現地の獣人世界で作り出したクローンである。
召喚ナイフ契約では、サムカ本人が異世界へ移動する。その際にエネルギーの散逸が起きてしまい、〔召喚〕先では完全な状態でサムカが出現することはない。そのため、サムカが死者の世界へ戻った際に、損失の補填をハグがしていた……ということだろう。獣人世界で損失補填を行うと、ハグが言うようにパリーなどが怒ることになる。ハグが使う魔法のせいで、魔法場汚染が獣人世界で起きてしまうからだ。
そういう意味では、これまでサムカと一緒に死者の世界へ旅行した者は、全員が何らかの損失を被っていることになる。ただ、ハグほどのリッチーともなれば法術や精霊魔法も平気で使えるので、こっそりと損失補填をしていたのだが……そこは死者の世界の者として言いにくいのだろう。当然のように黙ってごまかしているハグである。
ハグ人形が照れ隠ししながらコメントする。
「正直なところ、ワシも子供サムカちんが無害化するとは予想しておらなかったわい。確かに、そこまで弱くなると誰が触れても問題ないだろう」
子供サムカが腕組みをして何か思案していたようだが、ハグ人形に山吹色の瞳を向ける。
「この『子供版』も使いようによっては悪くない……か。通常状態で〔召喚〕されると、闇の魔法場のせいで不都合が起きることがある。子供版を登録しておけば、無用な騒動を誘引せずに済むこともあるだろう。ハグ、この子供版の情報を保存しておいてくれないかね」
「あいよ」と二つ返事で了承するハグ人形である。
その、あまりの気楽さに呆れているエルフ先生と校長だ。
「もう少し、子供になったことを悲しんでも良いのですよ、サムカ先生。さすがにアンデッドですよね。現実主義というか何と言うか」
「テシュブ先生が仰られていた通り、アンデッドにとっては、肉体は本当にただの『入れ物』なのですねえ。興味深い価値観です」
子供サムカとハグ人形、それに墓と墓次郎が顔を見合わせた。確かに、言われてみればそうかもしれない。
パリーと雲、中用務員も、理解しているようだ。彼らも視線を合わせてニヤニヤしている。彼ら妖精も、似たような手法で実体化しているためだろう。死体や残留思念は使わないが。
【羊の灰】
そこへ、マルマー先生から連絡が入ってきた。校長と用務員を含めた、ここにいる全員の手元に小さな〔空中ディスプレー〕が発生する。
そこに映っているマルマー先生が、怒りを帯びた口調で文句を言ってきた。既に『羊の灰』が詰まった〔結界ビン〕を握りしめている。
「おい、テシュブ先生! 何だね、この汚い灰はっ」
マルマー先生はちょうど授業の準備中だったようで、地下の教室のロッカーが画面の端に映っている。服装は、いつもの豪華な法衣だ。生徒たちも、数名が周囲にいる。級長のバタル・スンティカン3年生が、渋い柿色のウロコで覆われた尻尾で床をバシバシ叩いている。
代わりにノームのラワット先生が、画面の向こうのマルマー先生に謝った。
「先ほど説明した通りだよ、マルマー先生。水に憑りついているドラゴンの魔法を〔分離〕〔解除〕するには、どうしても灰にする必要があってね。授業前で済まないけれど、その羊さんを〔復活〕してくれないかな。一応、教育研究省の主事殿だから、それなりの恩恵はあるはずだよ」
マルマー先生が画面の向こうで、大きくて派手な杖を大げさに振り回している。
「それはもう聞いておる。〔復活〕させること自体には、反対などせぬ。だが! 羊を殺害した犯人からの一言は、あってしかるべきだろ。ん? テシュブ先生」
子供サムカが反省した様子で、錆色の短髪を素手の左手でかいた。手が完全にシャツの袖の中に埋もれているので、悪ガキが謝っているようにしか見えないが。
「むう……確かにそうだな。私は死者だから、どうも思慮に欠けるところが多い。マルマー先生、手数をかけるがよろしく頼む」
しかし、マルマー先生の怒り顔は更に酷くなるばかりだ。桜色の顔色がどんどん赤くなっていく。
「何だ、貴様は。どこのガキだ。我はテシュブ先生と話があるのだ。ガキに用などない!」
肩を震わせて笑いをこらえ始める、ノーム先生やエルフ先生である。その横で、子供サムカがジト目になった。
「残念だが、そのテシュブ本人なのだよ。その灰が仕出かした〔召喚〕失敗で、この姿になっている」
数秒、キョトンとした顔で、焦げ土色の瞳をパチクリさせていたマルマー先生。そばにいるスンティカン級長ら生徒たちも、同じような表情をしている。
が、すぐにマルマー先生が短く切った茅色の髪を逆立てて、大笑いを始めた。
「ははははは! 〔召喚〕失敗かね! それで怒って、サラパン主事を灰にしたのか。なるほど、なるほど」
子供サムカが、「いや、そうではなくて、ドラゴンの術式の解除に……」と言いかけたが、それを聞くマルマー先生ではない。「キッ」と、聖職者らしい崇高な表情になり、《ビシリ》と杖の先をこちらへ向けた。
「天罰ですな。悔い改めよ、アンデッド」
しかし、本人はそれですっかり気分が良くなった様子である。ニコニコしながら灰を〔蘇生〕用の魔法陣の中央に乗せた。
「サラパン主事の〔復活〕処理は任せてもらおう。多少の記憶欠損と、下痢やアレルギー症状が起きるだけだ。心配は無用だ。今の我らには、法力サーバーがあるからなっ」
ほっとする子供サムカたち。そのマルマー先生が映っている画面の奥から、ティンギ先生がひょっこり顔を出した。
黒い青墨色の目が好奇心の光を強く放っていて、わし鼻も大きく自己主張を開始している。彼も教師らしいスーツ姿なのだが、足元は散歩用のスニーカー靴である。
「ほう! これは面白いねっ。早速、全校生徒と全先生に知らせないとっ。テシュブ先生が子供化して、魔力も弱くなってる、と記事を書……ぐはっ」
子供サムカの闇魔法の攻撃が、画面を通じてティンギ先生に命中した。全身を激しく痙攣させて、朽ちた棒のように法術教室の床に倒れるティンギ先生だが、それでも口元のニヤニヤは残っている。
「ざ、残念でした。もう、一斉送信しちゃった……ぐはっ」
追撃の闇魔法を食らって、口から泡を吹いて白目を剥くティンギ先生。もう、完全に失神してピクピク痙攣しているだけである。
子供サムカが険しい顔になって、素手の両手を見た。といっても、長そでシャツに埋まっているような、可愛らしい手だが。
「むう……やはり、相当に魔力が低くなっているか。一撃で黙らせることができないとは」
地下の教室へ降りる階段が運動場の数か所にあるのだが、そこから歓声や驚きの声などが聞こえ始めた。時すでに遅かったようである。サムカが子供化して魔力も弱くなったことが、皆に知れ渡ってしまったようだ。大きくため息をつく子供サムカである。
「まったく……あのセマンめ。余計なことしかしないな」
マルマー先生が笑いをこらえながら、羊の灰からの〔復活〕法術を開始した。法術なので、今の魔力の弱いサムカでは見るだけでも悪影響が出る。すぐにマルマー先生が映っている〔空中ディスプレー〕画面を消去した。
同時に、地下へ降りる階段の1つから、ソーサラー魔術のバワンメラ先生が〔飛行〕魔術で勢いよく飛び出てきた。
「ひゃっはああああああっ! アンデッド先生が弱ったって本当かよっ」
そして、すぐに運動場の一角に立つ子供サムカの姿を発見した。紺色の両目が大きく見開かれ、顔を覆う盗賊ヒゲから覗く大きな口が、ニンマリと歪む。たくましいボクサー型の腕を、子供サムカに向けて突き出した。
「本当かよっ! 本当にガキになってるじゃねえかっ」
全身を包むゴテゴテと派手な装飾品をガチャガチャと鳴らして、バワンメラ先生が子供サムカがいる場所へ高速飛行で向かってくる。さすがに運動場では超音速飛行をしない分別はあるようだが、それでもかなりの速度だ。
たくましいヒッピースタイルの巨漢の周囲に、いきなり百ほどの白い発光球が出現する。〔オプション玉〕である。
「弱った者は打つべし! 食らええっ」
バワンメラ先生の嬉しそうな掛け声と共に、〔オプション玉〕が一斉射撃を開始した。光魔術の〔マジックミサイル〕だが、エルフ先生が使う精霊魔法版とは違い〔ロックオン〕作業が不要だ。
撃ち放った光の矢が、独自に目標を捉えて〔ロックオン〕し、自動追尾する。しかも、光のくせに変幻自在に曲がる。光速の攻撃魔法なので、曲がって寄り道をしても、かかる時間はわずかなものだ。
なので、ほぼ同時に、子供サムカに360度の全方位から光のミサイルが襲い掛かった。当然ながら、子供サムカの近くにいる校長や他の先生たちには、1発も当たっていない。
子供サムカが自動で〔防御障壁〕を展開した。普段であれば、この程度の〔マジックミサイル〕は闇に飲まれて〔消滅〕するのであるが……今のサムカは魔力が弱い。いつもの〔防御障壁〕を形成維持する魔力はなかったので、ペルが使用する闇の精霊魔法版の〔防御障壁〕を使用する。
「ふむ……やはり、弱いか。全て防御できぬようだな。ペルさんの〔防御障壁〕強化も、そろそろ考えるとするか。この程度の無頼者の攻撃を防げぬようでは、私の教え子として宜しくない」
……などと子供サムカが20センチほど袖余りの腕を組んで、子供顔を険しくしてブツブツ言っている。既に15秒間も、バワンメラ先生の光速の〔マジックミサイル〕集中攻撃をまともに受け続けている。〔防御障壁〕で1発1発のミサイルを、闇の精霊魔法で〔消滅〕させる方式なので、反撃を行う余裕はなさそうだ。




