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召喚ナイフの罰ゲーム  作者: あかあかや & Shivaji
魔法学校へようこそ
8/124

7話

【魔法学校の校長室】

<ボン>という音と煙と共に、校長室にサムカが現れた。かなり不機嫌な表情をしている。

 とりあえず、少し乱れていた髪を手で直しマントについている土埃を払った。今回は黒ではなく渋い黒茶色なので、それほど汚れは目立たない。馬の鞍も一緒についてきたので、これも急いで〔消去〕した。

 サムカが軽くため息をつく。

(新しく鞍を買わないといけないな……)

 愛馬はさすがに一緒に〔召喚〕されていないので、これについては安堵している。回数を経るごとに〔召喚〕範囲も正確になってきているようだ。今回は馬の鞍だけが一緒についてきただけだった。鞍は魔法場を帯びていて、校長らが触れると害を及ぼす恐れがあるので〔消去〕している。でなければ放置だったのだが。


「おお、成功だ、成功だ」

 喜んでいるのは、やはり校長とサラパン羊であったが、今回はもう一人の狐族がいた。発掘現場を指揮しているアイル部長だ。相変わらず野外作業ばかりなのだろう、秋だというのに毛皮の毛先が日焼けして退色している。


「全く……絶妙のタイミングで呼び出してくれるものだな」

 サムカが悪態をつきながら黒茶色の渋いマントを開けて、手に持っていた剣を鞘に納めた。剣の刀身から闇魔法場が漏れ出ていたので、少し慌て気味である。魔法場汚染には気をつけないといけない。


 初老狐の校長が白毛交じりの尻尾をパサパサと振りながら、嬉しそうな顔でサムカに聞いてきた。

「テシュブ先生。それでは今回は、あまり時差はありませんでしたか?」

 サムカが機械的に答えた。

「いや、今回は3時間8分のズレだった」

 山吹色の瞳が冷たく無機質に光る。

「本当に……ハグは何も対処していないようだな」


「基礎古代語魔法を使ってはみたんだが。やはり、効果は薄かったようだね。たかだか九次元程度の神代語ではこんなもんだ」

 いきなりハグの声がした。見ると校長の机の上に、高さ15センチ程の『ハグ人形』が置いてあり、それが動いてしゃべっている。


挿絵(By みてみん)


「どうかね? 可愛いだろう? 2日かけて自作したのだよ」

 ハグ人形がウインクの仕草をした。両目はただの黄色いボタンなので、瞬きなどはできないのだが……そこは察してくれということだろう。しかし、それに同意する者は少なくともこの校長室には誰もいないようだ。

 それに早くも気づいたのか、中身の綿が少々はみ出している右足をヒョイと上げて、黄色いボタンの目で見始めた。

「ん? 足をもう少し細長くするべきだったか?」

 右足をクルクル回しながら、ぬいぐるみの顔を校長に向ける。

「どう思うかね? シーカ校長」


 校長もさすがに口ごもった。それでも、愛想笑いを口元に浮かべて穏やかな声で対応するあたりは、さすが教育者と言えよう。

「ええ、そうですね……糸の太さを半分以下にしていれば、もっと見栄えがすると思いますよ」


 校長の親切丁寧な感想を横で聞いていたサラパン羊も、なぜかドヤ顔になっていた。上品なウールのスーツを毛皮の上から着ているので、パンパンに膨らんでいる。

「キラキラも足らないなあ。ヒラヒラもつけたらいいよ。あとペカペカも」

 とか何か言っている。


 しかし、ハグは本当に驚いたようで、人形がひっくり返って机の上でジタバタした。

「何と! キラヒラペカか」

 などと意味不明の事を喚いている人形だ。いつもの姿のハグがそのまま小さくなった状態なので、全くかわいくない。服や靴のセンスもオリジナルに忠実である。しかし、この悪ガキのような動きは何だ。

「もっと細い糸かね? おお。手芸も奥が深いものだな。指が針穴だらけになってしまうぞ」

 15センチの人形が、口をパクパクさせて頭を抱えている。かなり主人の感情と連動しているようだ。


 サムカがイライラした声で、机の上で平泳ぎしているハグ人形に向かって言った。

「話を、本題に戻したいのだがね、ハグ」

 ハグ人形が微妙に机の上を這い進んでいるのが余計にムカつく。黄色いジト目が険しくなっていくサムカだ。

「いくらなんでも3時間ものズレは、ありえないのではないかね?」


 バタフライ泳ぎに変えたハグ人形が、机の端でクイックターンしてサムカの方向へ畳水練ならぬ机上水練しながら泳ぎ戻ってきた。

「いや3時間で済んでいると、評価してほしいくらいだがね。サムカ卿」

 格好良く言っているつもりなのだろうが、ヒラメがビチビチもがいているようにしか見えない。

「世界間の関連付けを、ウィザード魔法に偽装した基礎古代語魔法で記述するわけだからね。裏技や抜け技も結構使っておるのだよ。これをしなければ10時間は違ってくるところだ」


 そう言って、あぐらを組んで机の上に座って2センチほど空中に浮いた。何となく、ヨガの先生のようにも見えなくはない。

「どうしても、時差を縮めたいかね? サムカ君」

 君付けされて、さらに不快な顔になったサムカが答える。

「無論だ」



 ハグ人形が口をパクパクさせた。

「では、もう一つ契約条項を増やそう」

「何だね?」

 機械的な声を出すサムカ。既に瞳の色が攻撃色を帯びつつある。

「召喚ナイフはサービス産業だからね。呼び出した側も快く思わねば、商売に影響するのだよ。そのしかめ面は、いけないなあ」

 ヨガを続けながらハグ人形がサムカを指差す。今は水魚のポーズを取っている。

「ウケを取らないとな。呼び出された時に何か芸をするという追加条項だ。「パパラパー」とでも叫んでみてはどうかね? どこかの魔族はそうしているようだぞ」


 その次の瞬間。サムカの抜き放った長剣が、校長の机ごとハグ人形を叩き潰していた。

 しかし、さすがにリッチーが作った人形だ。叩き潰されて綿のカタマリにされても、なおも人形の形を保っている。平然と直立して、腕らしき部分でサムカを指差した。

「呼ばれて、わき出て、パパラパーでも、い…」

 しかし、サムカが闇魔法をブチ当てたせいで、セリフを全部言えずに消滅してしまった。机も3分の2ほどが無くなってしまい、床も大きくえぐれてしまっている。


 ハグの声だけが校長室に響く。

「そうかね、追加条項は気に食わないかい?」

 サムカが剣を鞘に納めた。

「刺し違えてもな」

 もうハグを無視することに決めたようで、黄色く光る瞳のまま振り返って校長たちに告げた。

「さて、そろそろ授業開始の時刻だな。教室に向かうとしよう」


「は、はいいい」

 サムカとハグのケンカに恐れおののいて、壁際で腰を抜かしてへたり込んでいた校長が、安堵の笑顔を見せて答えた。両手で抱いていた自分の尻尾を離して、伏せていた両耳をおずおずと立てる。

 サラパン羊は目を輝かせて楽しんでいたようで、今度は壁に向かってシャドウボクシングぽいことをしている。が、元々が大きな毛玉状態な体な上に手足も短いので、全く迫力がない。

「パパラパー、パ、パパパパッ、パー」

 これも強烈に無視するサムカ。



「あっ、テシュブ先生! 少々お待ちをっ」

 考古学部長のアイル狐が慌てて立ち上がった。先ほどまで校長と一緒になってへたり込んで、自分の日焼けして少々脱色した尻尾を抱いていたのだが。若干パタパタ踊りを交えながらも、サムカが向かう扉の方へと駆け出し、彼を引き留める。

「古代遺跡の発掘現場から、このような物が出土したのですが……何だが分かりますか? 作業員が全員これを触った後に、ひどい倦怠感を訴えて寝込んでしまっているのです」


 そう言いながら、急いで魔法防護加工がなされた分厚い手袋をはめた。

 そして校長室の隅に置いていた木製のトングのような大きなピンセットを使い、袋から直径20センチ程の丸いガラス製の鏡を取り出す。それをサムカの前に差し出した。


 サムカが巡回用の手袋をしたままで、鏡を無造作に受け取る。

「うむ……魔法具かね?」

 すぐに藍白色の険しい顔がさらに険しくなった。黄色い瞳が険しい輝きを放ち、錆色の前髪が何本か跳ね上がった。渋い黒茶色のマントの生地表面に、幾筋かの静電気が走る。

「アンデッドが封印されているな。かなり強力な残留思念を使っている。魔法兵器だな」


 アイル部長が驚いて足をもつれさせて、よろめいた。なおもサムカが言葉を続ける。

「触れた者たちは間違いなく、生気を強引に奪われたのだろう。数日も養生すれば元気になるはずだ。封印が解かれて起動していれば、触った瞬間に死亡していただろうがね」

 鏡を手の上で回し、アイル部長に聞いた。徐々に落ち着いてきたのか、目の色が山吹色に戻ってきている。

「それで、これをどう処理すればいいのかね?」


 鏡がサムカの手の平の上で回り跳ねる様を、アイル部長が感心して見ながら答える。

「博物館で展示できるようにしたいのですが、無理でしょうか」

 サムカが鏡を手の内で転がすのを止めて、親指と人差し指でつまんだ。

「いったん起動させてから、エンジンである思念を弱めてしまえば可能だ。しかし兵器だぞ。展示したところで工芸品ではないからな。美術的価値などないから面白みはないと思うが」

 サムカが答えながら、鏡の裏を見る。

「裏面から魔法場を吸収して、上面から封印物を放出する構造か。ということは……」

 山吹色の瞳が鋭い輝きを放った。

「地雷だな。これは」


「ええっ」

 派手に驚くアイル部長と校長。危うく尻もちをつきそうになっている。両者の尻尾も毛皮が逆立ってしまい竹ホウキ状態だ。


「それで、ガラス鏡のような壊れやすい素材に封印したのも納得がつく。ガラスが破損した瞬間に起動するようになっているのだろう。よく割らずに発掘できたものだな。さすがは考古学者か」

 サムカが、ここでようやく微笑んだ。

「地雷であるから、博物館展示は無理だろう。破壊することを勧めるよ。死霊術場がない広い場所で破壊処理すれば大丈夫だ。鏡から充分に離れて、遠隔操作で物理的に破壊すれば良かろう」

 周囲をチラリと見回す。

「間違っても、私が〔召喚〕されたこの場所で破壊することは避けるようにな。私が持ち込んでしまった闇魔法場が、かなりまだ残留しているからね。起爆剤になってしまうのだよ」


 そう言って、鏡をアイル部長に返した。鼻の頭に冷や汗をかきながら、慎重に鏡を受け取るアイル部長。日焼けして色落ちしている両耳と、鼻先のヒゲが連動して細かく震えている。



 そこへ法術のマルマー先生が扉を法術で吹き飛ばして現れ、校長室に乱入してきた。

「何事ですかあああっ! シーカ校長おおおおっ」

 同じ校舎の1階に彼の法術教室があるので、動きが早い。校長室の床に散らばっていた扉の破片が、彼によって蹴散らされて転がっていく。そのせいで、ただでさえ土やゴミだらけの床が更にゴミだらけになってしまった。


「あわわっ」

 驚いたアイル部長が、鏡を床に落としてしまった。しかしサムカがすぐに〔浮遊〕魔術をかけたので、鏡は空中に浮かんだままだ。

 慌てて両手で鏡を抱きかかえるアイル部長。完全に竹ホウキ状態の、色落ちした尻尾がピリピリと震えている。


 法術のマルマー先生は、そんな事は感知しないという表情だ。相変わらずの派手な法衣をバタバタさせて、大股で校長室へ入り込んできた。そして、鏡の代わりにサムカの姿を認めるなり、桜色の顔を真っ赤にさせた。焦げ土色の黒い瞳をギラギラさせて睨みつけてくる。

「また貴様か、アンデッド! シーカ校長を餌食にしようとするとは、何と卑劣な死体だっ! 今度こそ成敗してくれるわっ」


 大声で喚きながら、不必要なほどに装飾やアクセサリーがついている大きな杖を振りかざし、臨戦態勢をとった。慌てて校長とアイル部長が身を挺して、サムカとマルマー先生との間に割って入って釈明を始める。


 そして……サムカが、ため息を2つほどつく間に――

「鏡ですと?」

 ようやく鎮まったマルマー先生が、首をひねって口にした。

「何という外道な魔法具なのか! 即刻破壊せねばなりませんぞ!」

 さらに声を張り上げて、またヒートアップしてきた。 

 瞬間湯沸かし器みたいだ。実際、白い桜色の顔は興奮でさらに赤く染まり、茅色で褐色の癖のある短髪までも逆立っている。焦げ土色の黒い瞳も興奮でギラギラして、ビームでも放ちそうな勢いだ。

「我が真教の破邪法術で、跡形もなく破壊して進ぜよう!」


 今度は、アイル部長と鏡の奪い合いを始めだした。無駄に大きな杖を持っていて大仰な法衣を着ているので、バサバサと衣が動いて騒がしい。何となく鶏のケンカのようにも見える。


 さすがにサムカも辛子色の目になって3度目のため息をついた。

「では、その鏡の破壊は法術先生に任せることにしよう。後はよろしく、マルマー法術先生。破壊は運動場で行うようにな。では、私はこれで失礼するよ」

 そう言い残して、1人でスタスタと校長室から出ていった。



 マルマー先生はちょうど専門クラスでの授業中だったのだろう。30人ほどの法術専門クラスの生徒たちが廊下に出てきていて、サムカを睨みつけている。杖の先をサムカへ向けている生徒も半数ほどいる。


 その中から、級長らしき3年生の制服を着た竜族の男子生徒がサムカの前に進み出てきた。

 渋い柿色のウロコで覆われた頭部が、興奮で逆立っている。制服の中でもウロコが膨らんでいるようで、白い長袖シャツの制服がパンパンになってきつつあった。鉄紺色の大きな瞳で、特にきつい視線をサムカへ飛ばしてくる。

「出たな、アンデッド。法術クラスがいつまでも黙っていると思うなよ。すぐにマルマー先生が貴様を〔浄化〕して灰にしてしまうからな!」

 彼の背後に集まっている法術専門クラスの生徒たちも静かに敵意を向けている。


 その中から、もう1人の竜族の女子生徒が前に出てきた。

 彼女も赤橙色のウロコが見事に逆立っていて、制服が膨らんでいる。その紺色の大きな瞳を半眼にしてサムカを睨みつけながら、級長の横に立った。

「スンティカン級長。アンデッドに攻撃しますか? 法術の準備はできています」


 級長がサムカを睨みつけながら、簡易杖を持った右手を横に伸ばして女子生徒を制した。

「いや、今は止めておこう。マルマー先生が手出ししない以上、生徒の我々が攻撃するのは暴挙に過ぎる」

 しかし、なおも尻尾を廊下に叩きつけて、サムカに威嚇する生徒たちだ。


 女子生徒が級長に反論する。法術専門クラスの生徒の総意という印象である。

「アンデッドというだけで、攻撃するには充分な理由だと思いますが、級長」

 級長が簡易杖を持った右手を下げて、簡易杖を腰ベルトのホルダーケースに突っ込んだ。

「曲がりなりにも、奴は学校の先生だ。攻撃するには、マルマー先生の許可が必要になる。ここで攻撃しても、ただの私闘になるだけだ。引け。ラヤン・パスティ2年生」


 さすがにここまで級長に言われると、従うほかない。渋々、ラヤンと呼ばれた女子生徒と他の法術専門クラスの生徒全員が、簡易杖を下げて腰のホルダーケースに戻した。

 スンティカン級長がサムカに告げる。

「我らはいつも監視しているからな。怪しい動きをすれば、即、マルマー先生と協力して貴様を灰にする。心しておけ」


 そんな凄みのある物言いに、軽く会釈を返すサムカであった。

「心しておくとしよう。では、私は授業の用意があるので、これで失礼するよ」

 そのままスタスタと廊下を歩いて去っていく。


 そんなサムカの後ろ姿に、激高した魚族と狐族の生徒が数名ほど反射的に簡易杖を向けた。

 が、ラヤンと呼ばれた竜族の2年生女子生徒が、彼らの前に立ちふさがる。

「スンティカン級長の言う通り、『今は』まだ時期尚早よ。奴を確実に破壊できる法術でないと、反撃を食らう恐れがあるわ」

 赤橙色で金属光沢を放つ細かいウロコをやや膨らませて、紺色の半眼で級長と一緒にサムカの後ろ姿を見送る。その竜族特有の丈夫な尻尾が、8ビートのリズムで廊下の床を叩いていた。級長と女子生徒との2人分なので、結構騒々しい。


 スンティカン級長も、この女子生徒のラヤン・パスティには一目置いているようである。不満そうな表情ながらも、すぐに尻尾叩きを止めた。

 そして、すぐに気持ちを切り替えたようだ。振り返って、法術専門クラスの生徒たちに向き合う。

「さて、我々は勉強あるのみだ。マルマー先生が戻る前に、教室へ戻るぞ」


 一番驚いているのは、ちょうど校長室から廊下へ退出してきたマルマー先生だったりしているが。危うく一戦起きていそうな雰囲気に、反省の色をその白い桜色の顔に浮かべている。

 生徒は信者でもある。神官でもあるマルマー先生にとってみれば、これは自身の軽率な行動が引き起こした事態だと思ったのかもしれない。まあそれも数秒間ほどで、サムカの後ろ姿を見て、いつも通りの怒り顔に戻ったが。

「そろそろ授業が始まるぞ。早く教室へ戻りなさい」




【西校舎2階のサムカの教室】

 サムカの教室は閑散としていた。

 ペルとレブンの他には、先日の丸裸にされた飛族が1人、開け放たれた窓枠をイス代わりにして座っているだけだ。さすがに赤褐色の羽毛も生えてきており、鳥肌はもう見えない。


 飛族は猛禽類に似た大きな羽が背中に生えている、人型の種族である。尾翼もあるので、厳密には人間ではないが。

 風の抵抗になるので、基本的に衣服や装飾品は身につけない者が多い。しかし、彼は前回もそうであったように、魔法処理された布製の作業服のようなタンクトップシャツと半ズボン姿だ。ベルトは締めておらず、吊ベルトを両肩にかけている。多分、彼いわく『鎧』なのだろう。学校の制服ではない。

 さらに帽子は被らず、靴も履いていない。半ズボンから伸びる足は、猛禽らしく鳶色の羽毛とウロコで覆われていて、つま先には鋭いカギ爪が伸びている。

 タンクトップ姿なので、肩から腕までが露わになっているのだが、やはり鳶色の羽毛に覆われている。両手は5本指の人間型なので、ペルたちのように魔法の手袋はつけていない。

 空の住人だけあって、眼光はサムカよりも鋭く凶悪な印象である。琥珀色の瞳には猛禽の威厳が満ち満ちている。もちろん、教科書やノートなどは一切持ってきていない。


 その3人しか生徒のいない様を見て、少し落胆するサムカであった。

「……うむ、やはり、な」

 辛子色の瞳がさらに曇る。

 一方、明るい笑顔で狐娘のペルが挨拶をしてきた。

「テシュブ先生っ、こんにちはっ」

 魚君のレブンもイスから立ち上がった。

「授業で使う用具や資料がありましたら、僕も手伝いますよ」


「テシュブ殿おおおおおっ」

 いきなり大音声を発して、飛族の男が窓枠から大きな羽をはばたかせて、教室を飛んで横切り、サムカの足元にひざまずいた。そして、号泣しながら窓ガラスをビリビリと震わせる大音声を上げ始める。

「自分も、今日より殿の授業を受けることにしたッス! あの闇魔術、最高にしびれましたああああっ」


 サムカがすぐに遮音強化の〔防御障壁〕を展開しながら、飛族の男に危害が及ばないように障壁を調節する。

「〔電撃〕ではないから、痺れは感じなかったと思うが」

 サムカが錆色の短髪をかいてペルとレブンを見た。2人とも顔をしかめて耳を塞いでいる。

「君は飛族だね。この魔法高等学校には参加していないと、シーカ校長から聞いたぞ」

 サムカが首をかしげた。黒茶色マントの中の長剣や装飾品がくぐもった小さな音を立て、錆色の前髪がわずかに揺れる。

「風の精霊魔法だけを専門的に極めるそうだと」


 飛族の男が琥珀色の凶悪な双眼をサムカに向けた。

「そんなこと、どうだっていいッス!」

 再び大音声を発した。胸を張りすぎて、のけ反り気味になって叫んでいる。彼の身長は130センチほどなので、180センチのサムカからすると暴れ盛りの子供のようにも見える。

「恥ずかしながら自分、今まで戦って負けたことなかったッス! あの殿の一撃で世界の広さを知りましたあああああっ。自分も殿のように強くなりたいッスうううううっ」

 再び号泣し始めた。眼光鋭い悪人顔なので、泣いても凶悪な面構えである。


「うわあ……」

 絶句するペルとレブン。ペルは鉛色のジト目になり、レブンは地蔵のような黒緑色の細目になって、表情が消えた。一方のサムカは、穏やかな山吹色の瞳を向けている。

「うむ。君の志は分かった。学ぶ意思のある者は、私は好ましく思う」

 サムカが飛族に手袋をしたままの手を差し伸べて、起き上がらせた。


「シーカ校長には、私から知らせておくことにしよう。ちなみに私はアンデッドだが、それでも構わないかね?」

 穏やかな声で飛族に確認するサムカだ。ペルとレブンが耳に両手を当てながら、顔を見合わせている。

 飛族の男が絶叫気味に声を張り上げた。

「アンデッドもワンテッドも関係ねえッス! 殿は殿ッス!」

 体が更に、限界まで反り返っている。ほとんどブリッジ状態だ。背中の大きな赤褐色の鳶色の翼と尾翼が床を掃く。ギターでも持たせればサマになったかもしれない。


 サムカが山吹色の目の光を和らげて、自己紹介した。

「その言い回しは、意味不明だが。よかろう。私はテシュブだ。1年間ついてきなさい」

 飛族の男が感激した感情をありありと全身で表現しながら、背筋をピンと伸ばした。

「了解ッス! 殿! 自分は飛族プルカターン支族のジャディ・プルカターンと言うッス! ジャディと呼び捨てて下さいッス!!」


 サムカが鷹揚にうなずく。

「うむ。どうやら君には、闇の精霊魔法と死霊術の適性もあるようだな。既に風の精霊魔法は、教育指導要綱の内容を超えているものを習得しているようだ。よろしい、使い分けには少々コツと慣れが必要だが、そこは努力しなさい」

 早くもサムカがジャディの魔法適性を〔診断〕したようで、それを穏やかな声で告げた。


「うおおおおおっ! やったあああっ! やるぞおおおっオレはやるぞおおおおっ」

 絶叫するジャディ。天井を見上げて咆哮する。ペルとレブンは、耳に指を詰めたまま顔をしかめている。

 近所迷惑も甚だしいが、幸い隣のエルフ先生とノーム先生はサムカの教室を攻撃する気は今の所なさそうだ。あの厳めしい姿のサムカの使い魔が、遮音か何かしてくれているおかげだろう。


 サムカも大して気にしていない様子で教壇に立った

「では、授業を始めよう。ペルさんとレブン君は良い機会なので、ジャディ君の声や風を遮断する〔防御障壁〕を構築しておきなさい。基礎的な闇の精霊魔法で足りるはずだから、宿題にしておくとしよう」

 すっかり機嫌は直ったようである。そして、ジャディの顔を見てから話し始めた。

「そういえばジャディ君。君の仲間は回復したかね? エルフのクーナ先生の射撃を何度か浴びたようだが」


 ジャディが咆哮を止めて、のけぞっていた上体を起こした。それでも背中の大きな羽がバサバサ動いているが。

「殿! お気遣い感謝ッス! 大丈夫ッスよ! 俺たちは丈夫ッスからっ。支族長はエルフに、ぞっこんになって腑抜けになっちまったッスけど、俺は殿一筋ッス!」

 ペルとレブンが顔を見合わせて、微妙な表情をしている。

(確かにカカクトゥア先生を、いきなり姐御認定してきたことには驚いたよ)

(そう言えば、支族長もジャディ君と同じように丸裸にされてたね、それが原因かな)

 などと、耳に指で栓をしたままで小声で話し合っているようだ。


 サムカはジャディからの大胆な告白も見事にスルーして、授業を始めた。

「先日の関連で進めたほうが良いだろう。闇の精霊魔法と風の精霊魔法について、講義と実習を行うことにしよう」

 ジャディが飛びつくような興奮した顔をしているのを確かめて、サムカが話を続ける。

「風とは、空気やガスといった、絶えず高速で動き回っている物質の塊だ。高速で動き回るには大きなエネルギーが要る。さて、何か分かるかね?」


 レブンが答える。

「気圧と温度差かな……嵐や竜巻、上昇気流とかの……ですか?」

 やっと静かになったので、耳から指を抜いて腕組みをして首をかしげている。

 隣の席のペルが片耳を数回パタパタさせた。まだ少々キーンと耳鳴りしているようだ。

「でも、それは局所的な現象だよ。この世界全体の風の精霊を満足させるような規模ではないと思う」

 ペルがレブンに反論して、レブンと同じ方向に首をかしげる。黒毛交じりの尻尾が、首と反対側に振られてバランスをとった。


 今度はジャディが背中の翼を畳みながら、ドヤ顔になった。

「ああ? 偏西風とかジェット気流が上空にはあるんだよ! そん中にスゲエ精霊がいるって話だぜ。そいつッスよねっ殿!」

 ジャディが得意気な顔で答えた。琥珀色の瞳に黄金色の光が宿っている。さらに、畳んだばかりの背中の大きな羽が、再び広げられてバサバサと騒がしく音を立てる。


 サムカが口元を少し緩めながら、手袋をした左手を軽く振った。いつの間にか白い事務用の手袋に替わっている。

「残念だが、それら全ては二次的な現象に過ぎない。ジャディ君も風の最上位精霊は見たことがないかね? ほとんど全ての精霊に言えることだが、精霊魔法の魔力の根源は最上位の精霊の力を拝借しているのだよ」


 ここでサムカが手元の小さな空中ディスプレーを横目で見て、修正した。カンペらしい。恐らくはノームのラワット先生によるものだろう。

「うむ……死者の世界には精霊が少ないので、正しくない言い方をしたようだ。精霊魔法の魔力の根源は、精霊と妖精の2種類あるようだな。まあ、今の時間は精霊に限っての話をしよう」


 ジャディがイスの上でのけ反る。

「風の妖精ッスよね。最上位の精霊も見た事ないッス。恐れ多いッスよお」

 背中の大きな翼と尾翼が非常に邪魔なようで、教室の床面を掃いている。

「全飛族の中でも最上位精霊を見た奴なんて、いないって話ッスよ」


 サムカが素直にうなずいた。

「ふむ、そうかね。ジャディ君たちが通常使用している精霊魔法は、最上位の精霊の力の切れ端程度しか利用できていないから、見る機会がないのかもしれないな」

 サムカが少しいたずらっぽい目をした。涼やかな山吹色の瞳がキラリと輝く。

「では、この世界を形作っている地球という惑星は、どうして太陽の回りを動いていると思うかね? 無論、万有引力と遠心力が働いているせいなのだが、それだけではない」

「まさか……」

 3名の生徒たちが顔を見合わせる。


 ペルが興奮した口調で反論する。上毛や口元、鼻先の極細ヒゲが全部ピンと揃ってサムカの方を向いた。

「でもっ、宇宙空間は真空だと聞いていますっ。風って空気がないと……」

 レブンも同じく興奮しているようで、深緑色の両目が魚のそれに戻っている。

 ジャディに至っては、その凶悪な琥珀色の瞳を見開いてサムカを睨みつけるように凝視している。今にも襲いかかりそうだ。生えてきたばかりの全身の褐色の小さな羽毛が逆立っているので、体が少し膨らんで見える。


 サムカが山吹色の光をたたえた瞳で微笑んだ。

「そうかな? では、実際に見てみることにしよう」

 そして、生徒たちを席から立たせて、サムカの横に並ばせた。

「〔防御障壁〕は前よりも強めにしてある。気分が悪くなるかもしれないが、我慢しなさい。短時間で済むからね。ジャディ君は背中の翼をあまり大きく広げないように」


 サムカと生徒たちを、1つの暗い〔防御障壁〕が包んだ。

「ここは教育指導要綱に沿って、ソーサラー魔術の〔テレポート〕魔術を使おう。この魔術は、事前に座標を刻んだ『魔術刻印』に向けて空間移動する魔術だ。記憶した場所でも良い」

 サムカが手元に小さな〔空中ディスプレー〕を発生させる。

「残念ながら私は新参者なので、この世界は詳しくない。よって、ハグから借り受けた魔術刻印を使うとしよう。まあ、大間違いな場所へ跳躍するような事にはならないはずだ。では、いくぞ」

 パチンと、サムカが指を鳴らすと、教室が視界から消えた。というよりも、何もかもが消えて真っ暗になった。


 代わりに足元に巨大な黒い星が広がっているのが見える。同じ足元には、〔テレポート〕魔術の術式を空間に刻んだ刻印があった。(学校からこの魔術刻印へ〔テレポート〕したんだな……)と理解する生徒3人である。


 キョロキョロしている3人の状態を、サムカが素早く確認した。特に問題は起きていないようだ。ほっとしたサムカが簡単に説明する。

「宇宙空間だ。足元に浮かんでいるのは地球だな。今は夜の側にいる」


 レブンが明るい深緑色の目を丸くして、あたりをキョロキョロと見回している。

「うわあ……これが〔テレポート〕魔術ですか」

 ペルとジャディも同じような挙動だ。サムカが首をかしげた。

「ん? 〔テレポート〕魔術は初めてかね? 空間転移をする魔法は他にもあるが、教育指導要綱で推奨しているのはコレだぞ」

 サムカが首をかしげたままで3人に聞いた。先日、エルフ先生が1年生はまだ履修していないと話していたのだが、忘れているようだ。


 ジャディが狭い結界の中で琥珀色の凶悪な瞳を見開いて、背中の大きな翼を広げてバサバサと羽ばたく。

「その通りッス! 殿おおおおっ! すげえ、すげえッスよ! うひょおおお」

 さすがに迷惑なので、サムカがジャディをなだめて落ち着かせた。が、まだ興奮は続いているようだ。全身を覆う羽毛が全て逆立ってジャディの体積が増量したままである。


 結界内の大風が収まり、ペルとレブンもようやく一息つけたようだ。レブンも完全に魚顔に戻ったままであるし、ペルの黒毛交じりの尻尾も斜め上45度の角度で毛皮が逆立って、竹ホウキ状態で固定されたままであるが。

 ペルが白っぽい瞳になりながらも、何とか口を開いてサムカに感想を述べた。

「は、初めてです。〔テレポート〕。こ、こんな感じで瞬間移動するんですね」


 サムカが軽く腕組みをした。(そう言えば、〔テレポート〕魔術を修得したのは、いつだったか……)

 彼の場合はソーサラー魔術ではなく、闇魔法の1つを普段使っている。簡単に説明すると、ベクトルを消滅させる事で空間転移を果たす魔法だ。貴族や騎士にとっては、闇魔法版の方が使いやすい。ただしサムカは、今はソーサラー魔術を使用している。

 数秒間ほど記憶をたどったが、思い起こせなかったので授業に戻る。

「さて、風を感じるかね?」


「いいえ。何も」

 ペルがすぐに答えた。レブンとジャディも興奮した表情で否定の仕草をする。特にレブンの顔が、ほとんど魚のそれに戻ってしまっている。黒マグロに似ているので、彼の本体はそれなのだろう。


 その時、黒い星の縁から強烈な太陽の光が湧き上がってきた。サムカが告げた。

「日の出だ」

 同時に〔防御障壁〕が軋み始め、それが加速度的に強くなってきた。サムカが展開しているのが闇の精霊魔法の障壁なので、光とは相性が悪いのである。


「地球から離れてみよう。どうなるかな?」

 すると、瞬く間に巨大な惑星が、黒から鮮やかな青色に変わりながら遠ざかっていった。同時に猛烈な風を〔防御障壁〕に受け、壁面が輝き出す。明らかに先ほどの光だけの時とは違う。


 サムカが穏やかな声で説明を始めた。

「太陽からの風だ。主に光を含めた電磁波と、プラズマ、放射線で構成されている」

 〔防御障壁〕を念のために確認する。問題なさそうだ。

「強烈なエネルギーの風だな。この風を受けて、我々の世界の風が誕生している。精霊を可視化してみよう」

 白い事務用の手袋を外して、素手で壁面に手をつけた。景色が一変する。

「わあああっ」

 一斉に驚愕の声が生徒たちから上がった。


 光とプラズマでできた巨大な龍とでも呼べる精霊が、宇宙空間を無数に泳いでいる。光る龍のサイズはまちまちだが、平均すると長さ数十キロはある。精霊なので生命ではないのだが立派な口があり、ズラリと鋭い牙が並んでいるのが見えた。


 サムカが補足説明する。

「これが風の上位精霊だ。何と呼ぶかは種族によっても魔法派閥によっても違うが、太陽風とでも呼ぼうか。ハグの話では、これが嵐の状態になると地球の大気も吹き飛ばされてしまうそうだ。惑星すら時に吹き飛ばしてしまうこともあるらしいな」

 言葉を失って、ただただ光る龍の群れの乱舞を見つめている3人の教え子たちだ。サムカが山吹色の瞳を細めた。

「これで理解できたと思うが、これだけの破壊的な大エネルギーを持つ精霊だ。魔力も巨大だな。我々が彼らを〔使役〕するのは相当に難しい。風自体は、地球の自転や地面や海面の温度差にも大きく影響を受けるがね」


 ペルが何か発見したようだ。薄墨色の瞳をキラキラさせてサムカに振り向いて、〔防御障壁〕の外を指さした。危うく壁面の外に白い魔法の手袋をした右手が出てしまいそうになり、慌てて手を中へ引っ込める。外は宇宙空間だ。今は太陽光が直接差しているので、光に当たるとすぐに100度以上に熱せられてしまう。

「テ、テシュブ先生。太陽風の精霊ですが、地球を避けているように見えます。これって、もしかして、地球の磁場が龍を弾いているせいですか?」


 サムカが困ったような表情で微笑みながら、軽く錆色の短髪をかいた。

「恐らくはそうだろうな。私はアンデッドなので、光や風の精霊についてはそれほど詳しくないのだよ。エルフのクーナ先生に後で聞いてみると良いだろう」

 本当の所は、精霊の相性によるものだ。風と水とは互いに反発しあうため、水の惑星である地球とも反発する。

 もちろん大地の精霊が関与する地磁気も関わるが、これは風の精霊としては大した障害ではない。そのため、オーロラとして地球の極地域に影響を与えている。ちなみに極地域では水ではなく氷が多いので、水の精霊場は弱い。


 エルフ先生と聞いて、露骨に凶悪な表情に変わるジャディだ。思わず背中の翼を広げかけて、慌てて畳む。

「オレは殿一筋ッスからね! あんな野蛮女、今度会ったらズタズタに斬り裂いてやるッスよ」

 ペルとレブンがジト目になって聞き流す。十中八九は、エルフ先生に返り討ちにされてズタズタにされる場面が、容易に思い浮かぶようだ。


 一方のサムカは何か思いついたらしい。山吹色の瞳を少し輝かせた。

「磁場で思いついたが、地球は見ての通り磁場でも太陽風から守られているな。では、磁場がないとどうなるか、ちょっと見てみようか」

 素直に同意する3人の生徒だ。サムカが再び「パチン」と指を鳴らした。それだけで風景が一変する。


 今度は、ガスで分厚く覆われた惑星が間近に見えている。太陽も近いようで、明るさも大きさも先程まで地球で見た時とは別物だ。雲を含めた大気層の色が鈍いオレンジ色に染まっている。

「金星だ。ハグも時々遊びに来ているようだな。座標の誤差がそれほどでもない」

 サムカが再び壁面に手を触れて調節しながら生徒たちに説明した。

「金星や火星には磁場がない。何よりも水がない。そのために、太陽風が直撃しているのが良く分かるだろう」


 ペルが薄墨色の瞳を輝かせながら、黒毛交じりの両耳と尻尾をパタパタ振っている。

「はい! 太陽風の精霊の白い龍が、大気に直接衝突しています。うわー……こんな感じになるんだあ」

 ジャディは背中の翼と尾翼を小さく畳んで、背中を丸めてしまっていた。ちょっと怖いらしい。声だけは元気なままだが。

「へ、へへん! 何てこと無いぜっ。いつか、コイツらを〔使役〕してやるッスよ、殿っ」

 ここでは光の龍がさらに巨大で、長さが100キロほどもある。それが、物凄い速度で太陽の方向から飛んできて、金星の大気に体当たりしていた。

 簡易計測したレブンが、口元を完全に魚に戻している。

「うひゃ……秒速350キロだよ。こんなのに襲われたら、ひとたまりもない」


 サムカが「コホン」と軽く咳払いをした。

「宇宙では見通しが良いから、慣れれば簡単に避ける事ができるぞ。さて、この金星だが……我々アンデッドにとっては意外に住みよい星なのだよ。太陽に近いが地上は暗い。自転速度が遅いから夜の時間が長い。何よりも生命や水がない。闇の精霊魔法や死霊術を実習する場としては、好都合だな」

 暗いとはいっても、日中は夕方くらいの明るさだが。それと硫酸の雨にも注意しないといけない。

「後日、君たちの魔力が上がってくれば、金星での実習もするとしよう。金星にも独自の精霊や妖精がいるので、攻撃魔法の的に使える。死者の世界の我が王国連合軍も、金星を利用しての実弾演習を多く行っているのだよ」


 思わずキョトンとしている3人の生徒たちだ。それでも、すぐにジャディが琥珀色の瞳をギラギラさせてサムカを睨みつけ、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。

「殿! このジャディ、やってやるッスよ! 金星楽しみッス」

 一方のペルとレブンは、完全に腰が引けてしまったようだ。力なく固い笑みを浮かべている。レブンが魚顔に戻りながら、サムカに応えた。

「は、はい……頑張ります」

 ペルに至っては、目を白黒させているばかりだ。


 そんな様々な反応を見たサムカが、山吹色の瞳を細めた。

「頑張ることだな。さて。この規模で実は中位精霊なのだよ。最上位精霊ではない。どうするかね? 見てみたいかね?」

 サムカが生徒たちに聞いた。再び〔防御障壁〕を手で触って状態を確認する。

「私も、相当注意する必要がある。ケガをするかもしれないぞ」


 生徒たちは顔を見合わせたが、すぐに意思決定したようだ。

「「「見てみたいです、先生。ケガには慣れてます」」ッス」

 3名とも同時にそう答えて、キラキラ光る瞳でサムカを見返した。サムカが山吹色をさらに深めた瞳で微笑む。

「うむ、よろしい」

 今更だが、〔防御障壁〕越しとはいえサムカは宇宙空間で太陽光をまともに浴びている。それでも何ともない様子だ。太陽越しに透けて見える錆色の髪が、渋くはあるが美しく輝いている。


「太陽風は、あの太陽から吹く風だ。では太陽とこの惑星はどこに所属しているかな? そう、銀河だ。銀河の中心からも風が吹いている。残念ながら、というか幸運にもというか、この太陽系にはその風が届いていない。いわば淀みになっている」

 理由は言わなかったが、これにも闇魔法が関わっているのだろうか。

「では、銀河からの風を体験してもらおうか。そのためには、この太陽から離れる必要がある。ではいくぞ」


 次の瞬間。

 途端に〔防御障壁〕が悲鳴を上げるように軋み出す。前も後ろも上も下も、全ての方向の宇宙空間が明るく輝く、大小様々な太陽で埋め尽くされている。先ほどまでとは全く違う風景の宇宙空間だ。とにかく明るい。

「銀河系の中心部に近い。ハグの魔術刻印を使ったが、相当長い間放置していたようだな。予定座標よりも100光年ほどずれたが……まあ、問題なかろう。うむ、私の〔防御障壁〕でも数分が限界だな。では、可視化してみよう。」

 サムカが壁面に手を当てる。


「きゃあああっ」

 ペルの悲鳴が上がった。瞳が白色になり、尻尾が逆立って後ろ60度の角度でピンと立ち上がった。

 レブンとジャディも息を飲んで絶句している。レブンの頭は、完全に黒マグロの青磁のような銀色のそれに戻っていた。ジャディも生えてきたばかりの全身の羽毛が逆立っている。


 先ほどの太陽風の龍がミミズに思える程の、巨大な光の龍の大群が現れて、それらが銀河系中心部の無数の太陽を飲み込まんという勢いで、暴れ狂って躍動していた。宇宙空間にガスが充満しているようで、そのガスも熱せられて発光している。

「銀河風だ。先程話した万有引力と遠心力などと共に、この風が銀河全ての星を動かしている。ここまで大規模な風になると、重力の波も含まれてくるようだな。私も、この最上位精霊には近寄ることはできない。できるのは、あのリッチーぐらいだろう」

 サムカが話す、その間にも〔防御障壁〕が崩壊していく。最外殻とその内側の障壁が崩れて消えた。

「むう……ここまでだな。私も死者の世界では、悪友に連れられて時々遊びにくるのだが……さすがに世界が異なると長時間の滞在は難しいか。では教室に戻ることにしよう」


 また、瞬間的に景色が転換して、教壇の上になった。サムカの教室に戻ってきたと分かる生徒3人だ。

 サムカが〔防御障壁〕を解除して生徒たちを席につかせる。生徒たちは、まだ(ボー……)としている。光速を超えた移動だったので当然といえば当然だろう。


「以上が、風の精霊だな。我々は、彼らの中の相当下位の精霊の力を使うことになるわけだ。他の精霊魔法に比べて、優しい、制御しやすいと誤解されているが、上位は全く別物ということを理解できたかな? 妖精については、また別の存在になる。まあ、パリー氏にでも聞くと良いだろう」

 精霊と、生命や精神との複合体が妖精である。ゆえに肉体や魂を有する。

 サムカが穏やかな声で話す。頭グルグル状態のまま、それでもうなずく生徒たち。


「先日の最初の授業で死霊術や闇の精霊魔法を見せたように、君たちも『見た』ことにより、今後はより風の精霊魔法を使いやすくなるだろう。『見た』ということは、ある程度の『関わりを得た』ということと同義だからね。魔法回路も基盤が強化されたはずだ」

 サムカが2呼吸ほど間をあけた。生徒たちの状態を確認して、問題はなさそうだと判断する。

「さて、本題だが……闇の精霊魔法を風の精霊魔法と共に使うということは、何を意味するか。これを説明しよう。一般には風の精霊魔法は、光の精霊魔法と親和性が高いとされている。太陽風や銀河風を見て、それはその通りなのだが……実は抜け道があるのだよ」


 サムカが教室の壁に掛けられている時計をチラリと確認して、本題に移った。時間はまだ充分に残っているようだ。通常、光速に迫るような高速で移動すると、時間が圧縮されて未来旅行――いわゆるタイムスリップをしてしまうのだが、そこは独自の物理化学法則が適用される魔法である。さすがに過去へ遡るようなことはしていないので、因果律崩壊までには至っていない。


「闇の精霊魔法は、消滅、無効化させることを主眼としている。一方、風の精霊魔法だが、欠点としては特定の方向へ集中して発動させることが難しい点だな。理由は先ほど見た、上位精霊の影響が大きい。太陽風にしろ銀河風にしろ、四方八方へ好きなように吹き渡っているからね」

 ジャディも今は大人しくなって、ペルとレブンに合わせて素直にうなずいていた。サムカが話を続ける。

「ではどうするか。闇の精霊魔法で包んでやるのが、方法の1つだ。そして1ヶ所だけ開放してやる。後は、風の精霊魔法を押し出してやればいい。では、やってみよう」


 サムカが生徒たちを教壇の上に呼んだ。

「私は前も述べたが、闇以外の精霊魔法は苦手にしている。そこで、これを使おう」

 サムカが教壇の引き出しから魔法具を3つ取り出した。ゴム袋を押して音を鳴らすクラクションだ。これも恐らく先日の雑貨市で、執事のエッケコが買ったものだろう。

「この中に、風の精霊魔法を封入してある。1つずつ持ちなさい」


 生徒たちが恐る恐る手に持つ。そんな生徒たちを見て、サムカが微笑んだ。

「封入されている間は危険はないよ。さて、これを君たちの闇の精霊魔法で包んでみなさい。魔力支援は私が行うから心配はない」

 言われるままに生徒たちが手の平にあるクラクションに集中する。すると……次第にクラクションが暗い影に包まれて見えなくなってきた。

「と、殿ーっ。こ、これが闇の精霊魔法ですかああああっ」

 早くも感激したジャディが、感激の雄叫びを上げる。


 サムカが遮音障壁の術式を調節しながら、ジャディの顔を見た。宿題のヒントとなるように、遮音障壁の術式を黒板型ディスプレー画面に自動記述している。ウィザード語なので有機高分子模型のような見た目だ。

「そうだったな、君は初めての体験であるかね。風の精霊魔法は、君には特に深く関わる分野だろう、よく注意して観察するように」

「了解ッス! 殿おっ」


 次にサムカがペルに顔を向けた。

「ペルさんは適性を強く持っているから、慣れてきたら他の生徒たちの補助をしてみなさい」

「はい、先生」

 さすがにペルの手の平のクラクションは、もう完全に闇の中に消えている。そして、レブンとジャディの手の平に交互に、ペルが自分の手の平をかざし始めた。


 3分程してレブンが、それから5分程してジャディが、大汗をかきながらも何とかペルのようにクラクションを闇の中に沈めた。サムカが褒めて、山吹色の瞳を細めながらペルに微笑む。

「うむ、上出来だ。ペルさんも、良い魔力支援をしたな」

「えへへ」

 と、照れるペル。両耳は伏せがちだが、黒毛交じりの尻尾がクルクルと回っている。


「今回は魔法具を使用したが、今後は実際に自分で風の精霊魔法を発動させて、それを自分で包んでみる練習をするように。ジャディ君、君が魔力支援してあげなさい」

 サムカが早速、追加課題を出したので緊張するペルとレブン。一方のジャディは胸を張っている。

「おう、ガッテンでえっ、殿!」

 大声をあげて、背中の大きな翼をバサリと広げた。巻き添えを食らって、両側の机とイスが翼に弾かれて横へ吹き飛ばされる。それを見てうなずくサムカ。吹き飛ばされた机やイスのことは心配していないようだ。


「さて」

 生徒たちが座っていた机の上に、サムカが無造作にガス状の残留思念を人数分置いた。やはり黒雲になって「ピロピリ」と内部放電をしている。

「これに風を当ててみなさい。闇の精霊魔法でクラクションを押しつぶすイメージだ」

「はい」

 3名の生徒たちが真剣な表情で、手の平のクラクションに意識を集中する。なかなか苦労しているようで、的の方向に風が吹き出していかない上に、出てくる風も弱々しい。


 それでも6分後に、まずペルが的に風を当てることに成功した。サムカが褒めてペルを励ます。

「うむ、良いコントロールだ。では、徐々に風を押し出す力を強くしていきなさい」

「はい!」

 ペルが何だか嬉しそうな顔をして、薄墨色の瞳を輝かせながら集中を深める。


 次いで、数分後にレブンが成功した。風が勢い良く的に当たり、残留思念の一部が大きく動いて光った。

「やったあ」

 喜ぶレブン。顔の半分以上が魚に戻っていて、ちょっと大変な表情になっているが。

「うむ、風に死霊術の波動も混ざっているな。上手に乗せた。では、風で的を包み込むイメージを強くして、風に乗せた死霊術であの残留思念を起動させてみなさい」

 同様にサムカが褒めて、指導する。

「はい、先生っ」

 レブンも明るい深緑色の瞳を輝かせて、さらに集中を深める。今はセマン顔を維持する余裕はなさそうだ。


 そして、数分後。

「うりゃああああっ」

 大声を発してジャディが叫んだ。同時に彼の手の平のクラクションが大きくへこんで、豪快な勢いで風が吹き出し、的を吹き飛ばした。

「や、やったぞおおおっ」

 雄叫びを上げるジャディ。

「さすがに風の扱いは上手だな。吹き出し口を闇の精霊魔法でどんどん細くさせて、同時に強くクラクションを押しつぶすようにしてみなさい。的を吹き飛ばすのではなく、穴を穿つイメージだな」

 サムカが褒めて、次の課題を与えた。

「よっしゃあああっ」

 大きな翼をバッサバッサさせて、俄然やる気になるジャディ。また数個の机とイスが吹き飛ばされた。


 こうして、サムカが魔力支援を続けながら生徒たちの実習を見守り続けて、さらに10分後。

 やはり最初にペルが、ムチのように風を操って、的である黒雲状の残留思念を縦横に切り刻んだ。たまらず残留思念が形を維持できなくなって、そのまま消滅する。

「はあ、はあ……ど、どうですか? 先生」


 疲労困憊ながらも、見事に技を習得して満足げなペルに、サムカも微笑む。

「うむ。上出来だ。低級なゴーストであれば、もう少し訓練すれば、滅することができるようになるだろう」

 ペルが驚いたような顔をする。

「め、滅するって。わ、私、世の中の役に立てるんですか?」


 サムカがペルに微笑んでうなずいた。

「ああ。『もう少し訓練すれば』の話だがね。今は私が魔力支援して、魔法具を使っている。これを全て自分で負担できるようになりなさい」

 ペルが泣き出しそうな顔で笑った。

「は、はいっ」


 続いて数分後にレブンが、残留思念を風で包んで動かすことに成功した。

 教室の天井や窓枠に「ポンポン」当たりながらも、ほぼレブンの思うように動かせているようだ。そして、死霊術場からの魔力供給が風の精霊魔法で遮断されたために、間もなくかき消されるように消滅した。先日のように鏡などの依代がないので、魔力消費が激しくなるためである。

「や、やったあ……」

 レブンも感動した面持ちでサムカを見る。完全に魚顔だが。サムカも微笑みを返した。

「うむ。よくやったな。ほぼ支配できたようだね。レブン君ももう少し訓練すれば、こういった悪さをしているゴーストを捕まえて死霊術場の外に誘導し、燃料切れによる消滅駆除をする事ができるようになるだろう」


「はい、先生っ」

 レブンも感極まったような顔で返事をして、そのまま床にへたり込んだ。相当疲れているようだ。頭だけでなく体全体も、あちこちが魚に戻っている。


 そして最後に、ジャディが雄叫びと共に、手の平から極細の針のような風をクラクションから吹き出させることに成功した。ほとんど弾丸のような威力だ。命中した残留思念のガス体は、見事に穿かれて消滅してしまった。それを見て、一層感激して吼えるジャディ。まだまだ元気そうだ。

「どうッスか! 殿おおおっ」

 サムカがうなずいて褒めた。

「うむ。上出来だ」

「うっしゃあああああっ」

 歓喜の雄叫びを上げるジャディに、サムカが補足する。

「ジャディ君は元々、風の精霊魔法を上手に使いこなしていたが、この方法を使えばピンポイントで強力な効果を得ることができるだろう。ケンカで使用しても構わないが、手加減しないと相手を文字通り撃ち抜くことにもなるから、気をつけるようにな」

 サムカの指摘を聞いて、ジャディが琥珀色の瞳を輝かせた。

「了解ッス! っていうか。ケンカなんかじゃあ、もったいなくて使えないッスよおおおっ」


 ジャディが感涙の極みにたちしたかのように、《バッサバッサ》と部屋の中を飛び回っている。もう、風圧で教室の備品が吹き飛ばされても、お構いなしだ。そしてそれを見上げるサムカも、まんざらでもない様子である。

「後は休憩とするか。ペルとレブンもかなり疲れただろう」


「い、いえ。大丈夫です……先生」

 ペルとレブンが同時に口を開いた。しかし、息が上がって苦しそうだ。その様子を見て、白い事務用の手袋で手を振るサムカ。

「いや、ここまでにしよう。集中力が不足したままでは効率的な習得はできないし、何よりも疲れたことで、魔法に変なクセがつきやすくなる。今は充分に休むことだ」


 サムカが諭したので、さすがに従うレブンとペル。そんな2人の肩を「ポンポン」と軽く叩いたサムカが、ジャディの顔を見た。

「ジャディ君は日頃から鍛えているから、まだ大丈夫かな? 授業の続きをするかね?」

「もっちろんッスよおおおっ、殿ーっ」

 《バッサバッサ》と羽ばたいて、元気を誇示するジャディ。本当に元気だ。


 その時、窓の向こうの校舎で悲鳴が上がった。校長や法術先生がいる東の校舎からのようだ。

 ここの西の校舎とは運動場を隔てて離れているが、それでもサムカが巨大な死霊術の発動を〔察知〕して顔を曇らせた。

「どうやら、あの地雷が起動したようだな……ということは、校長室で起爆させたのか。あれほど、するなと念を押したのだが」




【東校舎】

 サムカがジャディを連れて運動場に出た時には、既に運動場を挟んだ向こうに建つ東校舎は、その一角が崩壊していた。さらに連続して爆発音が響き、サムカがいる西校舎まで振動で震えている。せっかく改修が済んだばかりだというのに、あっけないものだ。


「……ふむ。〔探知〕してみたが、やはり校舎内で地雷を起動させたのか。無茶な事をする」

 サムカがジャディと一緒に運動場に歩み入って、東校舎へ向かう。すでにジャディは背中の鳶色の翼を「バサバサ」羽ばたかせていて、かなり興奮してきているようだ。尾翼も元気に開いたり閉じたりを繰り返している。

 サムカがジャディの羽毛で覆われた肩を、手袋をした右手で「ポンポン」叩いて落ち着かせる。ジャディの身長が130センチほどなので、50センチの差がある。ペルたちに対するほどではないが、少し腰をかがめるサムカだ。

「今から興奮していては、現場に着くまでに疲れてしまうぞ、ジャディ君。攻撃衝動を制御しなさい」


「はっ」とした表情でジャディがサムカを見た。凶悪そうな顔と琥珀色の目だが、見慣れるとサムカ以上に表情豊かである。

「そ、そうでしたあ! オレとしたことが」


 鋭く凶悪な眼光でサムカに返事をしたジャディが、すぐに深く深呼吸をした。瞬く間にジャディの周囲に巻き起こり始めていた旋風が消え去り、瞳の色も琥珀色のままだが落ち着いた色合いに戻っていく。

 逆立って膨らんでいた全身の羽毛も、元の平常状態になる。おかげでパンパンに膨らんでいたタンクトップシャツや半ズボンに余裕が生じた。


 見るからに動きやすくなったジャディの姿に、サムカが頬を緩める。

「うむ。さすがにケンカの場数を踏んでいるだけのことはあるな。良い精神制御だ」

「へへへ……殿に褒めてもらえるなんて光栄ッス」

 照れているジャディに、山吹色の瞳を向けて微笑んだサムカが振り返って、2階の窓から顔を出しているペルとレブンに声をかけた。先程からの爆音で、他の教室の生徒たちも窓から顔を出してきている。

「君たちは、そこで見学していなさい。まだ魔力が回復していないからね」

「はーい、テシュブ先生」


 残念そうな声で返事を返す教え子たちに軽くうなずいて、サムカが歩みを少し速めた。黒茶色のマントの裾が歩みに合わせてひるがえる。ガーゴイルの糞尿に触れても構わないような野外作業用なので、いつもの銀糸刺繍が裾に施された黒マントと比較すると、今ひとつ野暮ったい。いや、かなり野暮ったい。


 さらに大きな爆発が東校舎で起きて、校舎の一部が崩壊した。まだ距離が離れているのだが、地響きや轟音がサムカとジャディがいる場所まで及ぶ。


 その土煙の中から姿を現したのは、身長4メートルはありそうな巨人であった。体から大量の死霊術場を噴出して、たちまち巨体がガスで隠れて見えなくなる。その死霊術場のガスは、10秒半ほどで東校舎全体を包み込んでしまった。


 サムカが山吹色の瞳を少し輝かせて、感心したような表情になる。

「ほう……そこそこ強力な魔法場だな。さすがは巨人といったところか。では少し急ごうか、ジャディ君。あの濃度の死霊術場では一般生徒や先生方では抗しきれずに浸食されて、生気を奪われて昏倒してしまう恐れがある。潜在魔力ならば吸われても影響は出ないが、生気ともなれば別だ。後遺症が残る恐れもあるからね」

 ジャディが鳶色の翼を大きく広げて、タンクトップシャツの胸板を羽毛で膨らませた。尾翼も団扇のように上下にワサワサ動き始めている。

「は! 殿の命令なら、このジャディ、突撃してくるッスよ!」


 サムカがまんざらでもない表情で頬を緩め、ジャディの翼を手袋をした左手で抑えて制する。

「飛ぶのは、今は止めておこう。巨人が君を発見したら、例え飛行中であっても自動追尾式の迎撃魔法の格好の標的になる。歩きながら、闇の精霊魔法で〔防御障壁〕を前面に展開して進みなさい。〔ステルス障壁〕を使えるようになるまでは、むやみに飛ばず慎重に行動する事だ」


 ジャディが首をひねってサムカに質問してきた。琥珀色の瞳がクリクリ動いていて思ったよりも可愛い。

「殿。だったら、遠距離から魔法で仕留めりゃ良いんじゃないッスか」

 サムカが微妙な笑みを口元に浮かべた。山吹色の瞳がいたずらっぽく光る。

「普通ならば、その通りだ。私が君たちを撃ち落した時のようにね。しかし今回は難しいな。勇敢な先生たちが白兵戦を巨人ゾンビに仕掛けている最中だ。彼らに私たちの放った攻撃魔法が、流れ弾で当たる恐れがあるのだよ。特に風の精霊魔法は拡散しやすい性質を持つからね。今の君の魔力では、正確な〔ロックオン〕は難しいだろう」

 ジャディが凶悪な琥珀色の目でサムカを見返した。

「〔ロックオン〕……ッスか。覚えておくッス。しかし、法術先生が邪魔ッスね。っていうか無駄ッスよね」


 サムカが機械的に同意した。マルマー先生に配慮したのだろうが、それでも若干だけ口元が緩んでいる。

「まあな。しかし彼らは民間人だ。戦闘訓練を受けているわけではないし、クーナ先生のように警官出身でもない。個人の正義感に駆られて迷惑な行為をするのは、よくあることだよ。それに……」

 サムカの瞳が、少し意地悪い黄色の光を放った。

「今は授業中だ。勉強の時間だよ。場面想定は多様な方が良いだろう」


 素直に従うジャディである。彼がサムカに指導されながら、闇の精霊魔法の〔防御障壁〕を展開する。その状態を確認したサムカが、前方で暴れはじめた巨人の影を観察する。粉塵の中に隠れて詳しくは視認できないが、魔法攻撃をかなり受けているようだ。

「法術のマルマー先生による〔退魔〕法術に加えて、ソーサラー魔術の先生による〔破壊〕魔術か。残念だが、あまり効いていないようだな」


 やや速足で歩きながら、死霊術場に包まれた東校舎の状況を見て調べる。残留思念の黒いガスを加工したような魔法場の霧だ。ジャディがその黒い霧をまじまじと興味深く見ている。

「殿。これが死霊術場って奴ッスか。初めて見たッス」


 サムカがジャディに山吹色の瞳を向けて、軽く錆色の前髪をかいた。

「……そうか。ジャディ君も死霊術をまだそれほど体験していなかったか。すでに先の授業で扱ったので、魔法回路が体内にできているはずだ。これからは容易に〔察知〕や〔探知〕できるようになる」

 ジャディが尾翼をピコピコ上下させながら、凶悪な顔でニヤリと笑った。

「了解ッス、殿っ」


 サムカが視線を黒いガス状の死霊術場に覆われた東校舎に戻した。

「ふむ。さすがは魔法高校の生徒だな。死者は出ていないようだ。ただ、ほぼ全員が気絶して倒れている。生気は放出されると残留思念化するので、アンデッドの餌にされやすいのだよ。餌の残留思念を吸収したアンデッドは、その出力も上がる」

 淡々とアンデッドの生態と代謝について説明するサムカ。

「この世界では燃料となる死霊術場の濃度は低いから、それほど脅威にはならないだろう。現に地雷から起動したものの、死霊術場が不足していて稼働不全を起こしているしな。だが威力は見ての通りだ。放置すると、封じられていた巨人が暴れるというオマケ付きだな」

 のんびりとした声でサムカが分析をしながら、やや速足でジャディと一緒に向かっていく。


 すると背後の西校舎から、〔飛行〕魔術を使ってエルフ先生をはじめとした先生方が飛び出してきた。すぐにサムカとジャディを追い抜いて東校舎へ飛び去っていく。

 それを軽くため息をついて見送るサムカである。

「……やれやれ。これで我々も巨人に発見されてしまったかもしれないな。ジャディ君、もう少し〔防御障壁〕の出力を上げなさい。少々きついかもしれないが、難探知性をもう少し上げた障壁の術式を君に渡すとしよう。〔ステルス障壁〕と呼ばれているものだ。最適化は、後でやっておいてくれ」


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