77話
【墓と雲と中】
部屋の掃除と供物の撤去は、もう終盤に差し掛かっていた。その迅速さに感心しながら、サムカが校長に顔を向ける。サラパン羊は、これまた効率よく校長室から排出されていった。丁寧なことに、羊毛や高級スーツについている汚れや埃も、事務職員たちがきれいに落としてくれている。
「ドワーフのマライタ先生やノームのラワット先生によると、大量の観測カメラを森の中や、学校各所に配置したそうだが。パリー先生からは何か文句は出ていないかね? 墓用務員だけでも不満そうだったから、異星の客人が2人もうろつくことになると心配でね」
校長がやや困ったような顔になって微笑む。掃除が終わったので事務職員たちを校長室から退室させ、替わりにその3人を入室させる。
墓用務員の姿を参考にしているのか、雲も中も、墓によく似た姿と服装になっていた。『3人兄弟』と言われても納得できそうな印象だ。
皆、冴えない中年オヤジで、サムカよりも頭一つほど身長が低い。筋肉がかなり脂肪に変換されている腹も少し垂れていて、両足は見事なガニ股。頭髪も揃って薄く、白髪が髪の半分以上を占めているゴマ塩頭だ。
土汚れが少々ついている作業服姿で、足元は擦り切れた中古のサンダル。ただ、顔はそれぞれ異なっている。
思わずジト目になって、その3人を出迎えるサムカであった。校長も失笑を口の端に残しながらも「コホン」と軽く咳払いをして話を始める。
「事情は聞いています。教育研究省からの認可も得ました。宇宙の妖精という存在は、省の上層部も薄々察知していたそうで、意外にすんなりと話が進みましたよ。省としては、地球外の情報を収集することにも関心があるようですからね。でなければ、テシュブ先生が銀河中心部や金星まで〔テレポート〕したり、クモ先生が古代語授業で木星まで行くなんて許可は下りませんし」
そして、肩を軽くすくめた。
「……まあ、本当のところは、軍や警察、他の省に対抗して、他国勢力との情報格差を広げておきたいという思惑でしょう。教育研究省の力の源は、その情報力ですからね。そういう内幕ですので、あまり気前良く我々に情報を提供しないでくださいね、お三方。情報格差が大きくなりすぎると、勢力の拮抗バランスが脆くなって不安定化しますから」
(そう言えば、まだ正式に省のトップや、帝国政府の宰相に会っていないな……)と思うサムカであった。(なるほど、そういう危惧が潜在的に存在するのか……)と何となく納得する。
(と、いうことは……私は故ナウアケよりも、軽く見られているという事でもあるな。まあ、別に構わないが)
実際は、校長や先生たちが定期報告で送る報告書の中に『サムカに関する項目』があり、そこでの評価が芳しくないということなのだが。
サムカは活躍もしているがナウアケと違い、かなりの頻度で騒動を起こしていては仕方がない。特に、最近の『サムカ熊騒動』がかなりの致命傷になっていた。省内や王宮内で暴れられては、たまったものではない。
簡単に言えば、『ブラックリストに乗っている、要警戒アンデッド』という評価に成り下がっていた。潜在的なテロ実行犯と、似たような立場である。
雲と中は上機嫌のようだ。ニコニコしながら校長の注文にうなずいている。一方の墓は、「秘匿して当然でしょう」とでも言わんばかりの雰囲気だ。
雲氏が用務員作業で少し土汚れのついている作業服の膝を「ポンポン」と叩いて、口を開いた。意外に落ち着いたオッサン声だ。顔は墓の顔をベースに、ミンタとペルのパーツを組み合わせたような印象である。つまり、中途半端な狐顔のオッサンだ。耳が完全に狐のそれで、黒と金色の縞が交互に入っている。
「森の中や学校施設に、ドワーフのマライタ先生が大量の観測カメラをステルス仕様で設置してくれました。これを眺めているだけで、充分に楽しめていますよ」
次いで、同じく墓の顔をベースにドワーフのマライタ先生とノームのラワット先生、それにサムカのパーツを組み合わせた印象の中氏が、口を開いた。こちらも落ち着いたオッサン声だ。ますます3人兄弟ぽくなっている。彼の場合は、ドワーフとノーム由来の赤色と銀色のヒゲが顔中を覆っているので、一番区別がつきやすい。
「行動範囲が、この学校内と周囲の森の中だけですが、それでも充分ですね。私の星には、生命はいませんから、驚きの連続ですよ」
「だよね~」と2人で意気投合し、肩を組んで何か歌い始めるオッサンどもである。
本体の性格とはかなり違うのはハグ人形で痛いほどよく経験しているので、サムカは特にコメントしていない。一応は用務員の人数が増えたので、喜ぶべき事なのだろう。視線を校長に戻した。
「先生や生徒の中には、歓迎しかねる者もいるだろう。シーカ校長。見ての通り、害を為す者ではないので、よろしく頼むよ」
校長が両耳を数回パタパタさせて了解する。
「省からの認可を得ていますから、大丈夫ですよ。警察沙汰にならない限りは、用務員の仕事を手伝ってもらいつつ、観光してもらいましょう」
ほっと一息つくサムカである。そして、もう一つの懸念事項を墓に伝えることにした。
「先生や校長から、簡単に聞いているだろうが、異星人文明との接触があった。それも複数だ。ドワーフのマライタ先生やノームのラワット先生によると、気にしないで良いという判断であったが、懸念は残る。連中が地球へ攻め込んで来る恐れは、完全には否定できないだろう」
9万光年も向こうの話だが、用心するに越した事はない。
「かといってハグが主張しているように、異星人文明を全て根絶やしにするのも気が引ける……というのが、私の率直な感想だ。何かしらの対策は講じておいた方が良いだろう」
墓がいつも通りのヘラヘラ笑いを顔に浮かべながら、気軽な仕草でうなずく。そして、校長に微笑みかけてから、サムカに顔を向けた。
「墓所も〔把握〕しましたよ。『対処』しておきますから、ご心配なく」
前回から、校長とアイル部長も墓所の存在を知る事を許されている。
墓が校長室いっぱいに、大きな〔空中ディスプレー〕画面を発生させた。銀河系の半分ほどがマッピングされている、かなり精密な立体地図だ。しかも、リアルタイム描写なのか、星々がそれぞれ動いている。
その一区画が拡大表示されて、色分けされた星団が映し出された。星と星をつなぐ宇宙航路と目される線も表示されていて、その線の上を無数の小さな点が動いている。宇宙船だろう。その拡大表示された区画が、他に6つピックアップされた。
「我々の魔法を使用していますので、術式の説明はしませんよ。この地図にはハグさんからの追加調査情報も加味していますが……我々の存在を察知した恐れのある異星人の文明は6つですね。それぞれが、800億ほどの人口を擁する多星間文明です。平均して十数個の星を支配していますね。生命形態は、もちろん地球とは別の、炭素系や珪素系の生物です」
6つの拡大表示ウィンドウの中に、それぞれの文明の代表的な生命の姿も表示された。確かに人間型や獣人型ではない。地球と全く同じ重力や大気組成、海洋の成分であるはずがないので、当然進化も異なる。
何とも表現しにくい姿ばかりだ。あえて例えると、カンブリア紀の生命が勝手に進化して、文明を持った姿ということになるだろうか。もちろん、これらの異星人とは遺伝子のレベルから全くの別物だ。一方でタンパク質や脂質は共通している種族はいる。
興味津々で画面を注視しているサムカと校長に、墓が面倒臭そうな声色に切り替えて話を続ける。顔のヘラヘラ笑いはまだ残っているので、ちょっと違和感が出ている。
「ドワーフ族の統合政府には申し訳ないのですが……我々の安眠を妨げる恐れのある者は、例外なく消えてもらうというのが、墓所の一貫した方針です。」
(相変わらずの墓だな……)と感じるサムカ。しかし、ここで墓が淡々とした表情を変えて、反省する素振りを見せた。
「我々もこの300万年間、眠り続けていました。このように銀河のあちこちで生命が発生して、それが文明を築き上げるまでに至っている事に気がつきませんでした。放置は良くないですね」
(墓も、見かけによらず、結構変化しているのかもしれないな……)と感じるサムカ。本音はまだ分からないが。墓が口調を少し柔らかく変えて、話を続ける。
「こちらの『対処』も適宜行うように、墓所でもシステムを考えることにしますよ。あ、もちろん歴史〔改変〕はしませんから、安心して下さいね」
ちなみに雲と中は、話自体には興味を抱かなかったらしい。「ふうん……」と聞き流すだけだ。校長も、墓の話を昔から知っているかのような態度で聞いている。サムカが感じた、墓の変化には気がついていない様子だ。(記憶と意識操作の魔法は凄いものだな……)と内心で思うサムカである。
そんな墓からは、闇魔法に似た魔法場の動きを感じる。サムカが軽くジト目になった。何か不穏な気配を墓から感じたのだが……特に何も指摘しない事にしたようだ。
「さて。そろそろ授業開始の時刻だな。教室へ向かうとしよう」
【運動場】
校長室から出て、教員宿舎の事務職員たちに軽く会釈しながら運動場へ出るサムカであった。今は授業と授業の間の移動時間なので、運動場にも数名の生徒たちがいる。
(恐らくは、地下が嫌いなパリー先生や、クーナ先生の選択科目だろうな……)とサムカが予想する。
やはり、最初に運動場へ姿を見せたのはパリー先生だった。生徒や先生から指摘を受け続けているおかげなのか、身だしなみが多少マシになって先生らしくなっている。とりあえず、枝毛と切れ毛だらけの赤髪の手入れは実行したようだ。
服装も10年以上も着続けているような寝間着もどきではなくなり、事務職員が着ているような制服になっている。校長が手配したのだろう。ただ、獣人の狐族は靴を履かずに裸足なので、パリー先生の足元はいつもの苔むしたサンダルであるが。
うす曇の天気で季節風も若干冷えるのだが、パリー先生の機嫌は良い。サムカにニヘラ笑いをしながら、手をヘロヘロと振っている。
「サムカちん、こんにちは~。盗撮って楽しいわね~。もう、クーナの弱み見つけまくりよ~」
なかなか物騒なことを仰っている森の妖精である。しかも、『盗撮』という単語まで習得してしまったようだ。
サムカが整った眉をひそめる。
(……森や学校へ配置したドワーフ製の観測カメラは、ステルス仕様か。意外だが、マライタ先生とも意気投合している様子だな)
エルフ先生の頭痛の種がまた増えたようで、内心で同情する。
「あまり表立って騒がぬようにな。私も、旧居城で散々な目に遭った経験があってね。余計な者たちを喜ばせることにもなる」
サムカが〔指向性会話〕魔法でパリー先生に一応忠告しておく。余計な者たちとはこの場合、悪友貴族のステワやハグのことであるが……エルフ先生にとってはパリー先生に相当するのだろうか。
パリー先生は理解しているのかしていないのか、あいまいなニヘラ笑いをしたままだ。
「最近は~森の妖精も落ち着いちゃってね~。学校へ攻め込んでくるような猛者がいないのよ~。つまんなかったけど~これで帳消しよん~」
先日の攻防では、多数の森の妖精から怒り成分を吹き飛ばしている。いわゆる『賢者状態』が今も続いているのだろう。
そう言ってから、パリー先生が集まってきた生徒たちの輪の中へ埋もれていく。非常識な妖精とはいえ、生命の精霊魔法の具現化ともいえる存在なので、獣人の生徒に人気がある。
サムカも特に何もコメントせずに歩みを進める。地下教室への階段は、あれから数ヶ所ほど増設されたようだ。
次に運動場へ〔飛行〕魔術で飛び出してきたのは、ソーサラー魔術のバワンメラ先生だった。服装はパリーと違って、あまり変化は見受けられないが、元々ヒッピースタイルだったので、装飾品だらけなのは変わらない。
ボクサー体型の筋肉質で躍動的な体には、ボロ切れのようなシャツとズボン。しかもズタズタに擦り切れているので、筋肉質の肌が丸見えだ。
それを覆うように、大量の首輪やベルト、肩掛けにキーホルダーのような物体がまとわりついている。腕輪や足首の輪も大量にあり、動くと「ガチャガチャ」音がしてうるさい。
その紺色の瞳は、退屈という光を強く発している。しかしサムカと目が合うと、焼けた飴色の顔を覆う盗賊ヒゲを緩ませて気さくな口調で挨拶してきた。
「よお、アンデッドの先生。ハグ人形から聞いたぜ。城をドラゴンに吹き飛ばされたんだってな。こんな授業なんか、さぼって城の再建とかやってろよ」
サムカが軽いジト目になる。ハグ人形は結構おしゃべり好きのようだ。
「城の再建は当面の間、諦めたよ。今は墓地の管理棟を仮住まいとしている。死霊術場が城以上に強いから、招待できないのが残念だがね。恐らく数分も滞在すれば、君も生きながらアンデッドになる」
この場合、生きている者を残留思念の依り代とするので、正確には〔アンデッド化〕ではないのだが……その点は説明しないサムカだ。実際は、ゴーストが鏡を依り代としたような状態になる。
そんなサムカの返事だったのだが、ソーサラー先生は見事に聞き流している。豪快な盗賊笑いを運動場に響かせて、運動場の上空で何度も宙返り飛行をし始めた。
「死者の世界がどんな場所かは、ティンギから聞いてる。つまらねえ場所みたいだから、頼まれても行かねえよ。こっちの世界の方が楽しいぜ。目障りなウィザード連中も、違法サーバーの件以降ちょっと大人しくなったしなっ」
(確かにウィザード魔法の先生方は、以前と比べると騒ぎを起こしていないな……)と思うサムカであった。
視界の隅にリーパット党とそのリーダーの姿を捉えたので話題を変える。大声で騒いで歩いているので、すぐに分かる。
「すまないがバワンメラ先生。ちょっとリーパット君を借りるよ。十分ほどしたら返すから」
ソーサラー先生の返事を待たずに、瞬間移動でリーパットの目の前に移動するサムカである。
「げ! な、何事だよ、糞アンデッド!」
かなり恐怖して全身の狐毛皮が見事に逆立ち、尻尾も竹ホウキのようになっているリーパットだ。口だけは相変わらず威勢がよいが。
そばにいた側近のパランとチャパイが血相を変えて、慌ててサムカとリーパットの間に割り入ろうとする。それを無造作に吹き飛ばすサムカ。ついでに軽く〔麻痺〕させたようで、2人とも運動場に転がったまま痙攣して口が利けなくなっている。
そんな側近と他の党員を放置して、サムカがリーパットに山吹色の視線を向けた。ほとんど反射的に命の危険を察したのか、≪びくっ≫と硬直するリーパット。
「あ、あがが。我を誰だと心得るかっ。ブルジュアン家の次男に狼藉を働くとどうなるか、アンデッドといえども知らぬわけはあるまいっ。オマエのような……」
必死の形相で抗議するリーパットの頭を、サムカが作業用手袋をした左手でワシづかみにする。
「ぴ」
硬直して涙目になるリーパットを放置して、数秒間ほどサムカが、狐の毛皮で包まれた頭をワシワシと握る。
「……あ、これか。かなり用心深く隠蔽処理されているな」
地面に転がって〔麻痺〕している2人の側近が、顔を真っ青にして口をパクパクさせている。声は出せないようだ。それは他の党員も同様のようで、アワアワして右往左往している。唯一、コントーニャだけは何か騒ぎが起きる事を期待しているのか、ウキウキした様子だが。
そこへ、エルフ先生の冷めた声がサムカに投げつけられた。
「サムカ先生、何をやっているんですか。返答次第によっては撃ちますよ」
ライフル杖を腰だめにして構えて、杖の先をサムカに〔ロックオン〕している。彼女の周囲に集まっている生徒たちも、おのおのの杖を取り出してサムカへ向け始めた。
そんなエルフ先生たちを横目で見たサムカが、リーパットの頭をワシワシしながら挨拶する。
「やあ、クーナ先生。元気そうで何よりだ。ドラゴンが彼に情報収集の魔法を仕掛けているのが、今わかったところだ。彼を通じて私の居場所を特定したらしい。まあ、今さら発見しても手遅れなのだが」
そして、リーパットの頭をワシワシしながら、エルフ先生と、興味本位で寄ってきたパリー先生とソーサラー先生に、簡単にドラゴンの襲撃の様子を話して説明した。
「……その際に、ドラゴンが調子に乗ったのか口を滑らせてね。そう言えばリーパット君の目の色が時節、赤くなっていたなと思い出したのだ。それで、こうして〔探知〕してみたら……やはり仕掛けられていた。という次第だよ」
エルフ先生はまだ怪訝な表情をしたまま、ライフル杖をサムカに〔ロックオン〕し続けている。
「私には、全く〔察知〕できませんでしたよ。精神支配の系統であれば、私のほうが専門ですが」
パリー先生も同意して、ニヤニヤしながらエルフ先生の側につく。
「そうね~。私も全く気づかなかったわよ~。気のせいじゃないの~?」
その隣のソーサラー先生は、意外にもサムカ側についた。ヒッピースタイルのボロボロ服を自慢げに見せつけながら、サムカの肩を「グワシ」とつかむ。紺色の瞳が愉快そうに細められている。
「そりゃあ、同じ生命の精霊魔法の系統だからな。上位魔法には、下っ端の魔法使いは気がつかないものさ。オレは別系統の魔術使いだから、気がついていたけどなっ。アンデッドの先生も、正反対の魔法系統だから〔探知〕が困難だったんだろうさ。カカクトゥア先生が、最初は残留思念や死霊術場を〔察知〕できなかったようにな」
ヒッピースタイルのくせに、なかなか鋭い指摘を繰り出してくるソーサラー先生だ。
エルフ先生がサムカとソーサラー先生を睨みつけてから、小さくため息をつく。そして、肩をすくめながらライフル杖を下した。反対に、べっ甲色の真っ直ぐな金髪が、急速に静電気を放ちながら逆立ってきている。
「バワンメラ先生……それって、最初から知っていて黙っていたんですか。サムカ先生よりも優先的に、あなたを撃たないといけないのかしら」
ソーサラー先生は豪快な盗賊笑いをして、たくましい肩を揺らしている。
「撃つなよ、この射撃狂め。オレが知ってるのは当然だろ。おかげでウィザード連中の魔力サーバーが総入れ替えになったし、法力サーバーも大被害だ。オレたちソーサラーは、サーバーなんか不要だからな、相対的に優位に立てた。こんなメリットがあるのに、わざわざ知らせるバカはいないだろ。エルフやノームも、それは同じ事なんじゃねえのかよ、ん?」
次の瞬間、エルフ先生に撃ち倒される、悪徳ヒッピーなソーサラー先生であった。ドヤ顔のままで運動場の土を噛んで、白目を剥いて気絶して痙攣している。絵に描いたような見事な悪役顔だ。
そんな彼を、成層圏の空のような冷たい空色の瞳で見下し、大きなため息をつくエルフ先生。
「まったく……後で、録音と共にソーサラー協会へ抗議しないといけないわね。でも言われてみると一連の騒動で、一番損害が小さかったのはソーサラーとドワーフか。私たちエルフとノームは、森の妖精から敵視されかかったほどの危機だったのだけどっ」
実際にはソーサラー魔術協会も、あの『ドラゴンゾンビもどき騒動』で、かなりの信用失墜を起こしているのだが。(それを加味しても、相対的な金銭的被害という面では小さいと言えるのかな……)と思うサムカである。
(多分、これにもセマンが暗躍して煽っていたのだろうな……)とも容易に想像する。しかし、確証が何もないので黙っていることにする。
「バワンメラ先生の始末は任せたよ、クーナ先生。ではまた後で」
リーパットが緊張と恐怖のあまり気絶して倒れてしまったので、「ひょい」とつまみあげて地下の教室へ向かうサムカ。そのサムカの足元に、紫外線の〔レーザー光線〕が撃ち込まれた。サムカの靴の前の地面が、光に〔分解〕されて小さな穴になる。
やむを得ず、歩みを一時停止するサムカの背中に向けて、エルフ先生の警告が投げかけられた。隣ではパリー先生が松葉色の瞳を期待に輝かせてワクワクして、「ピョンピョン」跳ねている。コントーニャもリーパット党の中で、同じように跳ねているのが見えた。
「ちょっと待ちなさい、サムカ先生。何を勝手に、生徒を連れ去ろうとしているのよ」
サムカがゆっくりと藍白色の白い顔を背後のエルフ先生に向ける。リーパットはもう完全に気絶して、グッタリしている。尻尾の先もピクリとも動かない。制服を着た狐を、狩猟した後のようだ。
「うむ……彼に仕掛けられている術式を破壊しようと思ってな。地下の教室で授業の一環として、生徒たちに見せようと思うのだが」
エルフ先生が再び大きなため息をついて、ライフル杖を肩に担いだ。
「まったく……これだからアンデッドは。生徒の人権というものを、もう少し尊重しなさい。特に、その彼は成績が悪いから自動〔蘇生〕もできないのよ。何か起きて死んだり、怪我をしたりしたら面倒なの。分かる?」
しかし、隣で満足そうに微笑んでいたパリー先生は、エルフ先生とは意見が異なるようだ。
「でも~術式の破壊をするなら~ここじゃなくて、地下の方がいいかも~。ここじゃ生命の精霊場が強いしね~」
サムカも「さも当然」のような口調で、エルフ先生に真面目に答える。
「パリー先生の言う通りだ。ここで術式破壊をすると誘爆を起こす恐れがある。地下で行えば生命の精霊場が弱いので、起きても小規模に留まるだろう。通常の〔治療〕魔法や法術で何とかできるはずだ」
それについては、エルフ先生も理解したようだ。ライフル杖で肩叩きして、渋々ながら認めることにする。
「……まあ、私もここでは一介の教師に過ぎませんし。駐留警察に知らせて警戒してもらうことにします。それで構いませんね?」
そう言ってから、手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を出して、時刻を確認する。
「あらら……もうこんな時間ですか。では、私は授業に向かいますね。くれぐれも騒動を起こさないようにお願いしますよ」
【地下階】
リーパット党員がクモの子を散らすように右往左往しながらサムカから逃げていく。コントーニャが非常に落胆した表情で、駆け去っていった。彼女の両脇には、まだ〔麻痺〕したままの側近パランとチャパイが抱えられている。
力場術を使って、体重を〔操作〕している状況だ。走っていく方向に重力ベクトルを合わせている魔法である。言い換えると、走る方向に落下しているとも言える。2人の〔治療〕のために、マルマー先生の所へ運ぶのだろう。
エルフ先生が教室へ向かうのを見送った後で、サムカがネズミをつかむようにリーパットを持ち上げた。
「さて。私もさっさとコレを済ませて、予定していた授業を進めないといけないな」
サムカに運ばれていくリーパットは、まだ気絶してグッタリしている。もし、彼が気絶していなかったら、配下の生徒たちが彼を見捨てて一目散に逃げ去っていく光景をみて、ショックを受けていたかもしれない。
エルフ先生の通報を受けて、すぐに学校の駐留警察署から数名の制服警官が駆けつけてきた。普段は顔見知りの仲であったりするが、今は仕事中なので厳しい態度でサムカに臨んでいる。
エルフ製の、対アンデッド用の無反動砲のような魔法具の筒先をサムカにピタリと向けて、サムカの〔防御障壁〕よりも内側に筒先を突っ込ませていた。サムカも常時展開している〔防御障壁〕の何枚かを停止して、警官に応えている。
「うむ。アンデッドに対しての警戒という面では、及第点だな。〔防御障壁〕の外から撃っても、アンデッドには届かない場合がある。こうして、〔防御障壁〕の中まで魔法具を突入させておくのは良い心がけだ」
まんざらでもない口調のサムカである。警官たちの手袋も格闘専用のものになっていて、薄い青色に発光しているのを確認する。
そのまま、階段を下りて地下階へ行くサムカ。さすがに今回は、一般生徒たちもサムカに群がってくることは遠慮している。廊下を進んで地下2階へ向かうサムカの後方数メートルの距離を保って、好奇心で輝く瞳をしながらついてくる。ただ、このところの集中授業の影響なのか、目の周りに黒いクマができている生徒が多いようだが。
「テシュブ先生。また随分と手荒い事を仕出かしてますな」
地下2階へ降りる階段の手前で、法術のマルマー先生が仁王立ちして立ちはだかった。白い桜色の顔が若干赤くなっていて、焦げ土色の黒い瞳がギラリと鋭い光を帯びている。豪勢な法衣と過剰な装飾が施された大きな杖は相変わらずだ。
彼の後ろには、コントーニャがほっとした表情で立っている。無事に2人を法術専門クラスまで運び終えたようだ。
彼女の後ろには、背を丸くしたウィザード魔法招造術のナジス先生がいる。リーパットの専門科目の担当教官である。いつもはヘラヘラ、ニヤニヤしているのだが、さすがに今は緊張で顔がこわばっている。
紺色の細目が微妙に揺らいでいて、あまり手入れをしていない褐色で焦げ土色の髪の先が、同調して震えている。
サムカが今一度、片手にぶら下げているリーパットの背中を見て、状態を確認する。特にこれといった変化は起きていないようだ。次に、立ちはだかる2人の先生に、山吹色の視線を向ける。
「ドラゴンにかけられた魔法の破壊をしないといけないのでね。私も城や町を破壊されたので、少々気が立っているようだ。持ち直すのも面倒だから、このまま運ぶことにするよ。心配であれば、君たちも一緒に教室まで同行するかね?」
(こうして2人の先生を並べてみると、法衣と白衣とは構造が良く似ているのだな……)と思うサムカであった。もちろん、そのような事は口にしないが。
リーパットの担任のナジス先生は緊張しているのか、鼻をすすり上げるばかりで声を出せない様子だ。コントーニャはさっさと離脱して、彼女の授業クラスへ走っていった。
ナジス先生の代わりにマルマー先生が、大きな杖で《ドン》と床を叩いて胸を張る。
「いえ。我らが一緒では、魔法場の〔干渉〕が起きる恐れがあります。ここから見送りますよ。ですが、リーパット君に危害が及ぶような事があれば、即座にテシュブ先生の排除を開始しますから、そのつもりで。ナジス先生からの魔法支援もありますので、今回ばかりは回避できませんよ」
そう言って、サムカに道をあけた。ナジス先生がマルマー先生の背中に顔をぶつけて、カエルが潰れた時のような声を上げる。しかしサムカとマルマー先生、警官たちは、今は空気を読んで反応しない事にしたようだ。
生徒の一部から、クスクスと含み笑いが上がっただけで済んだ。
「うむ。法術神官としては、随分と寛大な対応だな。感謝するよ」
サムカがマルマー先生に軽く礼を述べて、階段を下りていく。
地下2階の階段下では、ドワーフのマライタ先生とノームのラワット先生がニヤニヤ笑いを浮かべて待っていた。マライタ先生が白い下駄のような歯を見せて笑いかける。
「魔力サーバーと法力サーバー、それに学校の保安警備システムを一時停止した。これで余計な魔法場〔干渉〕は起きなくなるだろう。気兼ねなく魔法破壊とやらをやってくれ。あまり長時間停止していると、また森から余計な挑戦者がやって来るかもしれないからな、手早く済ませてくれると助かる。一応、元凶のパリー先生は懐柔しておいたぞ」
ノーム先生は、マライタ先生よりも緊張気味の様子だ。銀色の口ヒゲの先が微妙に震えている。
「手早く済ませて欲しいのは、僕も同意見だな。どうも、大地の精霊の動きが怪しい。システムが停止していると、何かと不都合になるからね。では、その生徒のことをよろしく頼むよ」
サムカが微笑んでうなずく。
「うむ、そのつもりだ。この地下であれば、問題なく術式を破壊できるだろう。ただでさえ、授業が押している状況なのに、こんな急用に巻き込んでしまい、すまないね」
ノーム先生が銀色のあごヒゲを片手でいじりながら、少しだけ同意する。
「リーパット君の成績がもっと良ければ、ここまでの手間は不要なんだけどね。彼の場合、自動〔蘇生〕法術の起動でも、エラー発生の心配があるんだよ。もちろん、〔蘇生〕に必要な生体情報や組織は保存しているけどね。できれば、死んでもらいたくないな」
まだ階段の辺りで集まってサムカとリーパットを見つめている生徒たちに、授業へ向かうように指示してからサムカが教室へ入った。数名の完全武装の警官に、無反動砲の筒先を至近距離で向けられている姿なので、連行されている犯罪者か何かのようにも見える。
【摘出】
「こんにちはっ。テシュブ先生っ」
いつもの元気の良い挨拶がペルから飛んできた。教室には、ペルとレブン、ジャディの他に、ミンタ、ムンキン、それにラヤンの姿があった。他にはエルフとノーム先生の〔分身〕、警察と軍からの受講者1名ずつだ。さすがにリーパットを持ち運んできたサムカの姿を見て、声もなく目を白黒させているようだが。
生徒たちの様子を素早く確認して、サムカが教壇の上に気絶したままのリーパットを無造作に置いた。まるで荷物扱いである。「ドサリ」と鈍い音がする。
「ドラゴンの情報収集魔法を食らった生徒だ。これから、この魔法の破壊を実習で見せようと思う」
サムカが手短に、これまでの経緯を生徒たちに話した。
ミンタがかなり興味を抱いている様子だ。両耳がピコピコと不自然なリズムで動いている。
「私も全然気がつかなかった。上位魔法か……なるほどね」
サムカが鷹揚にうなずく。リーパットの体の向きと位置がずれていたので、作業用の手袋をした両手で押して修正する。警官隊から筒を突きつけられている状態なので、動作も意図的にゆっくりしたものだ。
「上位魔法は、実はハグ人形やパリーが日常的に使っていたりするがね。これも、我々一般の者には〔察知〕しにくいものだ。さて、時間もないことだし、始めるとしようか」
サムカが手袋を両手共に外して、野良着の袖を肘まで捲り上げた。
「うは。まるでこれから狐の解体でもしそうな感じっスね、殿。オオワシ族に言わせると、狐や狐族って、あんまり美味しくないそうっスよ。雑食がいけないんだとか何とか」
ジャディが琥珀色の両目をキラキラと輝かせてコメントした。他の生徒たちがジャディから一斉に離れたので、ジャディが怒り出す。
「飛族は盗賊はしても、食ったりはしねえぞコラ!」
サムカが真面目な口調で説明を始めた。食事とは無縁なので、雑談として普通に聞き流したようである。
「あのドラゴンの魔法適性は、生命の精霊魔法だ。従って、ここのように地下深くの生命が少ない場所で、〔解除〕や〔破壊〕を行う。反対に、死霊術や闇の精霊魔法による魔法破壊においては、生命の精霊場や法術場が強い環境で行うことになるな。その点で、先の狼バンパイア襲撃時の君たちの行為は正しいものだった」
「えへへ~」と照れているペルとレブンに、ミンタとムンキンが肘で突いて、ちょっかいをかけている。
サムカも山吹色の瞳を細めて、話を続けた。
「今回の魔法は、〔探知〕されにくいようにステルス処理された術式を採用している。そのため、私も含めて、ほとんどの先生や生徒が気づかなかった。この場合、見分ける手がかりとなるのは、実はソーサラー魔術の術式だ。アンテナのようなものを、ステルス処理された術式の外に伸ばしているのだよ。ドラゴンからの指令までも弾いてしまうと意味がないからね。それが、この術式だ」
サムカがリーパットの頭から、糸のようなものを取り出した。実体がない糸状の術式だ。
レブンが明るい深緑色の瞳を輝かせてつぶやく。
「うわ。まるでスケルトンを操作する魔法の糸みたいですね、テシュブ先生」
サムカがうなずき、そのまま糸を引っ張った。リーパットの頭から、それ以上糸が出てこなくなる。
「そうだな。上位魔法と言えども、術式の一部はこうして認識できるものだ。しかも、ごく一般的なソーサラー魔術の術式であることが多い。さて。これを手がかりにして、上位魔法の『術式の想定』を行う。術式の〔解読〕は不可能だから、大まかな属性の推定だな。この場合は、生命の精霊魔法という情報だけで充分だ」
まだ気絶しているリーパットの頭から伸びている、糸のような術式をサムカがピンピンと指で爪弾く。
「対立する系統の魔法を使うと、簡単に〔破壊〕できるが、その場合、爆発などの激烈な反応が起きる。死霊術や闇の精霊魔法を使うとそうなるな。従って、ある程度親和性のある系統の魔法を使って術式を〔破壊〕する。この場合は、水や大地の系統だな。光や生命、法術は親和性が高すぎて良くない。風や炎、精神では相性が悪い。ウィザード魔法も基本的には魔神の魔力の借用だから、生命系統になるので避けるべきだ。ソーサラー魔術もだな」
ムンキンが首をかしげて質問した。もう、サムカを取り囲んでいる警官隊の姿は気にならないようだ。
「テシュブ先生。親和性が高すぎると、どんな不都合が発生するんですか?」
サムカが数回ほど糸を爪弾いてから答えた。結構気に入ったのかも知れない。
「上級魔法の場合は、下位の魔法を吸収したり無効化したりして、魔力を自動で取り込む機能がある。親和性が高すぎると、破壊しようと使った魔力が吸収されてしまうのだよ。それでは、上級魔法を破壊できなくなる。さらに、自爆機能がついている術式では、その爆弾がより強大になる」
「へえー……」と素直に感心している生徒たちだ。ミンタもこの手の話は初めてだったようで、悔しそうな顔をしながらも、手元の〔空中ディスプレー〕画面に〔記録〕を熱心に続けている。
サムカが少し自嘲気味になって、話を続ける。
「しかし、私はアンデッドなのでね。水や大地の系統の魔法は苦手だ。ここは類似する氷の精霊魔法を使うことにしよう。目的は、上級魔法の術式の停止だな。術式は魔法場があっても停止すると、自己崩壊を起こして消滅してしまう。もちろん、上級魔法が凍結系統であると逆効果だ。その場合は炎系統になるな」
そう言って、サムカが「ひょい」と糸を引っ張った。あっけなくゴチャゴチャした形状の術式が、リーパットの頭の中から引き出される。そして、次の瞬間。自己崩壊して砕けて消滅してしまった。
「おお……」と、低い声が、サムカを取り囲んで無反動砲型の魔法具を向けている警官隊から漏れた。すぐにサムカを警戒対象から解放して、ほっとした表情になる。
青く発光していた格闘戦用の手袋も、通常の状態に戻った。サムカは警官隊に振り向くことはしなかったが、それでも山吹色の瞳を細めている。
「説明を繰り返すことになるが……魔法破壊を行う場所に充満している、親和性の高い魔法場を排除する理由も、これで分かったと思う。取り出した瞬間に、外にそのような魔法場があると、魔力供給を受けて不意に起動する恐れがある。爆発などだな。だから、今回は生命の精霊場が乏しい地下で行ったわけだ」
まだ気絶しているリーパットを、教壇の上から下して床に寝かせる。そして、素手の左手の人差し指を彼の額につけた。
「これで終了だ。見たところ、外傷や精神障害は起こしていないようだな。では、彼に起きてもらうか。授業を受けてくれないと、赤点で留年みたいだからな。それ起きろ」
「うひゃあああああっ!」
リーパットが絶叫を上げて気絶から回復した。全身の毛皮が尻尾も含めて見事に逆立ち、ガタガタと震えている。両目からは涙がポロポロと零れ落ち、よだれや鼻水も大量だ。失禁もしたようだが、これはサムカが気を利かせて〔消去〕してくれたようだ。
大混乱状態のリーパットの頭を素手で「ポン」と叩く。
すると、嘘のように平常心に戻った。それでも何が起きたのか全く理解できていない様子で、キョロキョロと教室やサムカ、それに生徒たちの顔を見る。そんなリーパットに、サムカが穏やかな声をかけた。
「悪夢でも見ていたようだな。さて、寝ていないで授業へ向かいなさい。ソーサラー魔術の選択科目だろう」
エルフ先生〔分身〕が、笑いをこらえながらリーパットの体を支えて起き上がらせた。
「では、私が彼を送り届けますね。後で、私も彼の〔診断〕を行いますが……多分、もう大丈夫でしょう」
ノーム先生〔分身〕も穏やかな笑顔で口ヒゲを片手で撫でて、サムカに告げる。
「僕も、マライタ先生と、僕の本体に報告してくるよ。学校のシステムを再起動しないと、他の先生の授業にも支障が出るからね。それでは」
まだ少々混乱しているリーパットの手を引いて、エルフ先生〔分身〕が教室から出ていく。その後ろには警官隊もいて、サムカに敬礼をして教室から退室していった。次いで、ノーム先生も。
扉が閉じた瞬間、生徒たちから大きな安堵の息が一斉に漏れた。もちろん、サムカが無事だったということではなく、リーパットが無事だったことについての安堵である。サムカのような貴族相手では、あの程度の魔法具攻撃では大した傷を与えることはできないだろう……という生徒たちの一致した見解も大きい。一応、エルフ製の対アンデッド用の兵器ではあるのだが。
ムンキンが濃藍色の目を閉じて、肩の力を抜いた。
「今回のヒモ引っこ抜き作業は、見なかった事にした方が良いかもな」
ラヤンがようやく口を開いて同意する。多分、生徒の中で最も緊張していたのだろう。法術専門なので、〔蘇生〕法術が推奨できない相手の〔治療〕がどれほど危険なのかを理解している。さらに、彼女の場合はティンギ先生の占道術も同時に履修しているので、〔運〕の危うさも理解している。おかげで、ムンキン以上に紺色の目を閉じて、かなり深刻そうな顔になってしまった。
「そうね……あっけなく終了して、本当に良かったわ」
一方のミンタは、やや不満そうな表情だ。彼女も法術や占道術を修めているのだが、今回は知らない情報が多かったせいだろう。金色の縞がある頭と両耳を振って、尻尾で床を掃いている。
「氷の精霊魔法かあ……苦手なのよね、これ。ちょっと真面目に研究しようかな。杖の強化でも使ったし」
ジャディはよく理解できていなかったようだ。彼の場合はほとんどの授業をさぼっていて、まともに出席しているのはサムカの授業と、ノーム先生の授業くらいだから当然ではある。
そのジャディに、嫌な顔一つせずに親切丁寧に解説しているペルとレブンであった。それでも、今一つ理解できていないようであったが。
それは軍と警察からの受講生2人にとっても同様で、ジャディの隣に移動して、ペルとレブンの話をジャディと一緒になって聞いている。
学校の保安警備システムが再起動したのを、魔法場の変化でサムカが〔察知〕して山吹色の瞳をいたずらっぽく輝かせた。
「ペルさんとレブン君ほどではないが、何事も魔力のバランスだな。私は死んでいるので、あまり意味がないが、君たちには重要なことだ」
そして、教室の壁に掛けられている時計を見上げた。授業開始から、まだ数分だ。
「うむ。時間配分も、結構できるようになってきたかな。では、授業を続けよう」
【魔法場汚染】
間もなくして、エルフとノーム先生〔分身〕が教室へ戻ってきた。
「〔診断〕しました。リーパット君はもう大丈夫です。あの性格は生まれつきのものでしょうから、ドラゴン成分が消えても変わらないかも。むしろ、悪化するかもしれないわね」
エルフ先生〔分身〕の〔診断〕に、思わず、「ええー……」という低い声を上げる生徒たちであった。サムカも微妙な顔をしている。
「むう……もしかすると上級魔法の術式の取り出し時に、一緒に他の何かも引き抜いてしまったかな。まあ、元気であるなら、それで良かろう」
ノーム先生〔分身〕からも、システムの再起動が無事に済んだことを聞くサムカ。どちらかというと、この報告の方が嬉しかったようだ。
「うむ。私のせいで、これ以上の授業遅延が起きると心苦しい。ひとまずは、最小限の迷惑で済んでよかったよ」
サムカが改めて教壇に立って、生徒たちに山吹色の瞳を向けた。姿が野良着のようなものなので、まるで教師としての威厳が感じられない。
「今回は、魔法場の汚染について話をしよう。一応、教育指導要綱に沿った内容でもあるしな」
基本的に魔法という現象は、世界の物理化学法則に反したものだ。
そのため、魔法を使用した空間では、この世界の物理化学法則や常識が機能しにくくなる。それでもその異常空間は、通常は時間の経過と共に、周辺の正常な空間に希釈されて消滅する。
しかし、強力な魔法を使用した空間では希釈作用が追いつかずに、沼の淵のように長時間存在し続ける。その消滅までの期間は、行使された魔法の魔力に比例すると言ってもいい。
強力な魔法を使えば使うほど、その場所は文字通り、この世のものではなくなってくるのだ。
最悪の場合、完全に現行の物理化学法則が機能しなくなるので、その場に入った者は存在できなくなる。当然ながらそのような空間は、正常な世界とは相容れないので弾き出されてしまうことになる。
魔力の強いハグが時々、空間ごと消滅して、どこか別の世界へ飛ばされているのは、これまでの事件でみた通りだ。
ドラゴンのような絶対の不死という存在も、それ自体が物理化学法則や因果律に真っ向から反しているので、最終的には世界から弾き出されてしまう。そのため、ドラゴン族は専用の異世界に棲んでいる。
「現代の魔法は魔法場汚染を軽減するために、正常な物理化学法則や因果律に『表面上は』従っている。実際は、魔法が発生するから従っているわけではないのだがね」
ここまでは、魔法学校の生徒であれば誰でも知っている基礎知識だ。今回は軍と警察からの受講生がいるので、あえて説明するサムカである。
「魔法場汚染とは、魔法の残滓とも言える。見つけ次第、速やかに希釈したり、対立する系統の魔法をぶつけて消滅させることだ。その手順については、軍や警察でも訓練が行われていると思う」
受講生たち2人が力強くうなずく。授業は生徒優先なので、質問や発言などは極力控えるように言い渡されている。サムカ熊が代理で授業を行うようになってからは少し緩和されているが、サムカ本人が授業を行う際は、まだ無理のようだ。今回もうなずいただけで、発言や質問はしてこない。
「希釈では風や炎の精霊魔法がよく使用されるかな。他には大地の精霊魔法による〔吸着〕、水の精霊魔法による〔溶解〕もある」
どちらも大地や水と同化する事で効果を発揮する。
「ウィザード魔法やソーサラー魔術でも、精霊魔法に似た作用を持つ魔法を使うことが多いな。ただ、〔吸着〕や〔溶解〕は不得手なので、その代わりに〔結界〕へ〔封印〕したり、〔石化〕や〔樹脂化〕といった元素〔転換〕をする手法になる。法術については私は詳しくないが、基本原理は同じだ」
そして、一呼吸おいてから、やや口調を柔らかくした。
「私の場合は、低級アンデッドを作って、それに取り込ませることが多いな。死霊術場はかなり異質な魔法場だからね。爆発にまでは至らないが、対消滅に近い反応が起きる。まあ、手っ取り早く消したい場合は、闇の精霊魔法をぶつけるが」
ジャディは「フンフン」と意味もなくうなずいているので、ペルとレブンが小声で彼に説明している。ラヤンは法術専門クラスなのだが、ここではサムカに解説する気はない様子だ。目を閉じたまま黙って聞いている。
ムンキンだけが手を挙げて発言した。
「つまり、魔法場汚染の除染は、充分に『汚染源を調べてから対処しろ』ってことですよね。テシュブ先生。でも実際は現場周辺に退去命令を出しています。爆発対策も講じているので、対消滅のような爆発を起こしても大して問題にはならないと思いますが」
ミンタも無言で同意している。一方で、(確かにそうかも……)という顔をしているのは、ペルとレブンだ。
サムカが口調を再び厳しいものに戻して、ムンキンの疑問に答えた。
「場合によるだろうな。建物や洞窟の中では、崩落や落盤を起こしかねない。損害賠償額と復旧費用をできるだけ安く済ませるように対処する方が、何かと都合が良いはずだ。それと、魔法場汚染が非常に深刻な場合、激烈な反応になる恐れがある。町や山が吹き飛ぶような爆発もあり得るのだよ」
サムカが少し考えてから話を続ける。
「先日、避暑施設の砂浜で、遊びで行った爆発のようなものだな。燃料となる魔法場を供給すれば、魔法場汚染は強力な爆弾に変わる」
そして、黒板型〔ディスプレー〕に、サムカの居城跡である巨大なクレーター湖の空撮映像を出した。きれいな水で湖が満たされている。
「ドラゴンのブレス攻撃の跡だ。城ごと消滅して、その穴に水が湧き出ている。地下水脈とつながってしまったせいなのだが、この水は強力な生命の精霊場を帯びている。これも魔法場汚染の1つだな。君たちには有益ですらあるが、我々アンデッドには致命的な水だ。ゾンビやスケルトン、ゴースト程度であれば、瞬時に〔浄化〕されて灰になってしまうだろう」
「へえ……」と興味深く画像を注視しているのは、やはりレブンだ。すぐにサムカに手を挙げて質問してきた。
「テシュブ先生。ここまでの規模の魔法場汚染でしたら、因果律崩壊を起こして、死者の世界から弾き出されて消滅すると思うのですが。どうして、存在できているのでしょうか」
サムカが厳しい表情のままで目を閉じて、軽く腕組みをする。
「うむ……死者の世界の法則にも当然反しているのだが、どうやら死者の世界の主が面白がっているようでね。例外指定でもしたのか、世界から弾き出してくれない。困ったものだ」
そう言ってから、軽い口調になっていく。
「まあ、この原水のままでは厄介だが、希釈すればかなり使える。オーク住民にとっては有益だし、農作物や畜産にも有益だから、私としては微妙なところだな」
ちなみに主とは、死者の世界を創造した張本人の魔神ミトラ・マズドマイニュのことだ。放任主義の魔神で有名である。死霊術や闇の精霊魔法の使い手が少ないのも、この魔神が一切面倒を見てくれないせいである。面倒見の良い、ウィザード魔法の契約魔神たちとは大違いだ。
「この獣人世界の創造者も相当な怠け者だが、死者の世界に比べればまだマシだ。魔法場汚染の除染を心がけるようにな。君たちも知っている通り、魔法世界の引越しも魔法場汚染が原因だ。汚染された空間が蓄積して臨界に達し、ごっそり世界から弾き出されると、それだけで地震や天変地異が起きる。パリーが激怒することは必至だろうな。『化け狐』どもも大挙して押し寄せてくるはずだから、さらに面倒な事態になりかねない」
「それに、墓所の連中もだな」……と言外にサムカが生徒たちに伝える。
「うわー……」と、小声で唸って視線を交わす生徒たちだ。サムカが山吹色の瞳を若干細めて、話を続ける。
「今回、私とマライタ先生、ラワット先生とで、太陽系の外の星まで素材採集に行ってきた。この際に移動で使用したのは『空間の亀裂』だ。この亀裂も元々は、魔法場汚染によるものだな。ごく小規模な因果律崩壊といえる。この亀裂の中では通常の物理化学法則はあまり機能していないので、光速を超えた速度で移動ができる」
ペルが無言で「私も一緒に行きたかったですっ」とサムカに訴えているが、とりあえず無視するサムカ。
「もちろん、魔法を使って移動すると、さらに因果律崩壊を助長することになる。現状では、魔法ではない科学技術とやらの独壇場だな。私も詳しい仕組みは分からない」
ペルの薄墨色の瞳がキラキラと輝きだした。彼女は魔法工学が得意でもある。サムカが来る前までは、闇の精霊魔法以外の魔法はほぼ使えない状況だったので、必然的に魔法工学に傾注していたのだった。鼻先の細いヒゲが一斉にピンと張って、黒毛交じりの尻尾の先が活発にパサパサと揺れている。
「『ワープ』ですねっ。私も勉強しています。エネルギーを用いた空間の確率操作で、任意の空間の亀裂の発生を予測して利用します。〔テレポート〕と違って、魔術刻印や魔法陣が不要なのが大きな利点です」
ミンタはあまり良い印象を持っていないようだ。両耳を数回パタパタさせて、ペルに栗色のジト目視線を送る。
「あんまり期待はしないほうが良いわよ、ペルちゃん。エネルギー消費量が半端じゃないのよね。それに魔法じゃないから、ワープ中にミスしても修正できないのよ」
サムカが話を続ける。
「そのエネルギーだが、魔法場汚染も魔力エネルギーだ。従って、取り出して魔力へ再〔変換〕し、使う事も可能だ。だが、得られる魔力の質は非常に悪い。ごく単純な魔法の、魔力補助で使うべきだろう。魔法場汚染の魔力を頼りにして魔法を使うことは避けるべきだな。術式が機能しなくなったり、暴走したりしやすくなる」
そして、黒板の空撮映像を消して、ウィザード語で記述された魔法術式を表示した。ジャディ以外の生徒たちは全員が理解できるので、ジャディがちょっと驚いたような顔になっている。
サムカがジャディ向けに簡単な説明を行った。
「魔法場汚染のエネルギーを取り込み、魔力へ〔変換〕するための術式だ。これも一種のエネルギードレインになるかな。これは本物のエネルギードレイン魔法とは異なり、使用制限はない。緊急に魔力の補給が必要になった場合などに、使用すると良いだろう」
改めてジャディに念を押す。
「だが、先ほども言ったように、得られる魔力は低質だ。ごく基礎的な魔法にしか使えないだろう。その点は充分に留意するようにな。では、術式を渡そう。杖を出しなさい」
生徒たちと先生〔分身〕が揃って簡易杖を差し向けて、サムカからの術式を受け取り始めた。受講生2人には残念ながら魔法適性がないので、受け取りは無理だ。その代わりに、授業の記録を丹念にカメラで撮っている。
サムカが術式を送りながら、壁掛け時計を見る。まだ充分に時間が残っている。
「さて……次は何を講義しようかね。運動場へ出て、パリー先生のように実習でもするか」
その時、学校中に警報が鳴り響いた。黒板型〔ディスプレー〕にウィザード語と狐語で警告文が大きく表示されていく。それを一目見たノーム先生〔分身〕が1つため息をついて、銀色の垂れ眉の端を片手でかいた。
「やっぱり来たか」
次の瞬間、地鳴りがしたかと思うと《ズシン!》という強烈な縦揺れが起きた。教室の机とイスが一瞬浮き上がる。横揺れは起きないので、普通の地震ではない。
術式をまだ受信中の生徒と先生〔分身〕たちは、特に慌てた様子ではないが、受講生2人はちょっとしたパニック状態になってしまっている。
その2人を精神の精霊魔法で落ち着かせながら、ノーム先生が口ヒゲの先をつまんだ。エルフ先生〔分身〕は、今は受信に精一杯の様子だ。
「大地の精霊が襲い掛かってきたようですな。学校の保安警備システムを停止した時間が、ちょっと長かったかなあ。術式の取得後、とりあえず地上へ避難しましょうか。術式の杖への導入と、最適化は地上で行った方が安全でしょうな」
エルフ先生〔分身〕が、ジト目になってサムカを見た。
「結局、今回も授業はこれで中断ですね。まあ、生徒1人の〔治療〕の代償としては、仕方がないか」
【運動場】
地上へ〔テレポート〕するには大勢の生徒と先生が避難中なので、術式同士が〔干渉〕してしまう恐れが高い。そのため、面倒だが非常階段を上って運動場へ向かうサムカたちであった。
地下2階は、サムカたちが避難すると自動的に隔壁が下された。魔力サーバーなどの重要機械を保護するためである。
地下2階から上がってきたので、地上へ出たのはサムカたちが一番最後だった。
先生の〔分身〕は、速やかに本体の先生に吸い込まれて帰還する。それで、サムカの授業内容を瞬時に理解して、呆れているエルフ先生とノーム先生だ。既にライフル杖を〔結界ビン〕の中から取り出して、起動させて肩に担いでいる。
ノーム先生の隣では、級長のビジ・ニクマティが専門クラスの生徒たちをキビキビとまとめているのが見えた。いつでも攻撃魔法を撃てるように準備を完了している。ムンキンとミンタの姿に気がついて、ドヤ顔で手を振った。
「よお。やっと地上へ出てきたか。両方の精霊魔法専門クラスをまとめておいたぞ。さっさと来て、カカクトゥア先生クラスの指揮を取ってくれ。俺では60名を指揮するのは大変なんだよ」
エルフ先生はいつもの機動警察官の制服姿であったが、まるでこの襲撃を予想していたかのように、場の雰囲気に馴染んでいた。腰ベルトの簡易杖のホルダーケースの横には、いつもの草で編んだポーチが揺れている。
もちろん、彼女には〔予知〕魔法は使えないので偶然なのだが、(それにしても……)と思うサムカである。
ノーム先生の服装もいつもの大きな三角帽子に、ノーム特有のつま先が上に曲がった革のブーツ、大きな手袋に教師らしいスーツである。何やら手元に〔空中ディスプレー〕を出して操作していたが、それを終えて周囲に小豆色の瞳を向けた。
同時に、先生の手元からウィザード魔法幻導術の術式が無数に発生して、それらが一斉に生徒や先生たちに向けて飛んでいく。ノーム先生が、生徒と先生、それに校長やサラパン羊を加えた事務職員全員に、状況報告を一斉送信したのである。なお、魔法が使えない警察と軍には、別途に無線送信で知らせている。
「校内に何か、大地の精霊や妖精を惹きつける『何か』があったようですな。保安警備システムを一時停止していた際に、感づかれてしまったようだ。一体、何だろうね。マライタ先生」
ノーム先生が大きな三角帽子をしっかり被り直しながら、小豆色の瞳を輝かせる。
彼の隣にいて、手元の空中ディスプレー画面を色々と操作している最中のマライタ先生が、下駄のような白い歯を見せて、赤いクシャクシャ髪を無造作にかいた。
「ガハハ。地球外物質を持ち込んだのがばれたか。一応、〔結界ビン〕に入れていたんだけどな」
そして、避難してきた生徒と先生たちに混じって観光している、中氏に気がついた。
「あ。中氏のステルス処理を忘れておったわい。ついでに木星の雲氏も……だったな。システムに非排除登録しただけだった」
「はあ!? またオマエかっ。この赤い酒樽!」
怒声がウィザード先生たちとソーサラー先生、それに法術先生から上がった。
やはり、声が一番大きいのは、力場術のタンカップ・タージュ先生だ。相変わらずの筋骨隆々とした体をダイナミックに動かして、やや癖のある黒柿色の角刈り頭を更に逆立てている。冬だというのに小麦色に日焼けした顔を憤怒で満たして、鉄黒色のギョロ目も怒らせている。
ただ、今日は冬の季節風が吹いているせいか、脂ぎってテカテカしてはいない。それでも、タンクトップシャツに半ズボン、スニーカーという姿は、冬季というのに季節感皆無であるが。
「何度、失敗を繰り返すのかっ! これだから酒飲みのドワーフは信用できんのだっ」
彼の専門クラスのバングナン・テパ級長も暴れたい様子で、褐色の瞳をギラギラと光らせている。他の専門クラス生徒と一緒に、白い魔法の手袋をした両手を天に突き上げて同調してきた。
「そうだ、そうだ! 何回も何回もシステムを機能不全にするなっ」
すかさず同調するのは、ソーサラー魔術のテル・バワンメラ先生。彼もタンカップ先生に負けず劣らない立派な体躯の持ち主だが、過剰な装飾品に埋もれているので、季節感はそれなりに出している。無造作に後ろで束ねている、銀灰色の長髪の毛先が季節風に揺れている。
頬から顎を覆う盗賊ひげの毛先も、微妙に風になびいているようだ。紺色の大きな目で、マライタ先生を咎めるように睨みつけた。ただ、口元がかなり緩んでいるので、本気で怒っているようではなさそうだが。
「その通り! これはドワーフ政府に損害賠償をしてもらわないとなっ。この騒動続きで、オレの冬季ボーナスの査定が悪くなっているんだよね」
当然のように、彼の専門クラス生徒たちも一緒になって騒ぎ始めた。ボス的な存在だったラグがいなくなって、しばらくの間は大人しかったのだが……もうすっかり元通りだ。
ソーサラー先生の『損害賠償』という単語に触発されたのか、幻導術のウムニャ・プレシデ先生が、大仰な仕草でマライタ先生を非難し始めた。彼は情報管理や操作系統の魔法使いなので、マライタ先生の適当さが許せないのだろう。
今はそれに加えて、移動中に何かに引っ掛けてしまったのか、自慢のスーツの袖が破れてしまっていることも拍車をかける要因になっているようだ。同じく自慢の革靴も運動場の土埃にまみれて汚れてしまっている。ついでに、自身へ非難の火の粉がかかってこないようにしているのも間違いない。
ただ、普段大声を上げる習慣がないので、マライタ先生のいる場所まで彼の声が届いていないようだが。彼の細くて黒い深緑の瞳では怒っても目立たないし、吊り目なので角度によっては笑っているようにすら見えている。
先生の代わりになって、声を張り上げているのはウースス級長だった。露草色の瞳を怒りで燃えたたせて、橙色の少し荒いウロコで覆われた頭と尻尾を逆立てている。
「プレシデ先生に心労をかけるなよ、このドワーフ! 私まで心労で胃が痛くなるだろうがっ」
招造術のスカル・ナジス先生も紺色の細い青目をできるだけ大きく見開いて、マライタ先生に抗議したが……すぐに力尽きて、「ゴホゴホ」と咳き込んで背を丸めてしまった。白衣風のジャケットのせいで、余計に病人のように見える。
こちらも、代わりにクレタ級長が抗議し始めた。ウースス級長と同じく竜族なのだが、こちらは胃腸が丈夫なようだ。瑠璃色の瞳を同じように怒りでギラギラさせている。柿色の少し荒いウロコで覆われた尻尾を神経質そうに細かいビートで床に叩きつけているのだが、声は比較的落ち着いた口調だ。
「ナジス先生も連日の激務で疲れているのですよっ。1人のバカのせいで余計な作業が増えるのは、勘弁してもらいたいですね!」
しかしクレタ級長やウースス級長も、それ以上の非難は控えている。マライタ先生の専門クラスのベルディリ級長が、ジト目になって腕組みをしているせいだろう。どうも彼には頭が上がらないようである。
法術のマルマー先生はさすがに鍛えているだけあって、堂々としたものだ。豪華な法衣と巨大な杖を見せびらかしながら、風で少し乱れた茅色で癖のある短髪を、白い手袋をした片手で整える。焦げ土色の黒い瞳には、余裕のようなものも感じられる。そして、結構遠くまで通る声でマライタ先生に告げた。
「心配は無用ですぞ、マライタ先生。我が真教の法力サーバーが稼動していますからな。我々の身の安全は保証されたも同然ですぞ」
実際は、〔妖精化〕や〔精霊化〕攻撃には全くの無力なのだが……そこには言及しないマルマー先生である。とりあえず、こういうセリフを言いたかっただけだろう。
一方で微妙な表情をしているのはスンティカン級長であった。マルマー先生の大言壮語はいつもの事なのだが、今回はシステムダウンまで関わっているので面倒に感じている様子である。何も言わずに鉄紺色の両目を閉じて、腕組みをして地味に床をパンパンと尻尾で叩いている。
他にはティンギ先生もいたが、彼は要領よく怒声を切り上げて今はニヤニヤ笑ってパイプを吹かしている。
級長でアンデッド教徒のスロコックも、何か起こりそうな予感にウキウキしているようだ。とりあえず、習得したばかりのゴースト生成の死霊術を発動させて、〔結界ビン〕の中から自作のゴーストを呼び出す。しかし、瓶から出た瞬間、術式エラーが生じて自己崩壊してしまった。まだ完全な習得には至っていないようだ。ガックリと勝手に肩を落として悔しがっている。
古代魔法のクモ先生は、例によって行方不明である。彼の場合は、学校がどうなろうと全く気にしていないようだ。
生徒たちも不満の声を方々から上げているが、リーパットがまだ放心状態なので一致団結して非難する雰囲気ではない。
代わりに、取り巻きのチャパイ・ロマが狐顔を厳しくして尻尾を振り回しながら、マライタ先生を非難しているが……賛同者はいない。すぐに同じ取り巻きのパラン・ディラランに肩を叩かれて、意気消沈してしまった。コントーニャは、党員の最後尾あたりで、ヘラヘラ笑いをしているだけだ。
そうこうしている間に、ノーム先生の手元で稼動している〔空中ディスプレー〕画面がノーム語で多量の表示をし始めた。それを流し読みした先生が、ウィザード語に自動翻訳をしてから再び一斉送信する。
「索敵結果が出たよ。やはり、大地の精霊と妖精ですな。精霊の方は地下60メートルの深さで、この学校を取り囲むように全方位から接近中だ。平均距離は150キロほどかな」
これらは普通の大地の精霊なので、ノーム先生でも〔操作〕できる。そのノーム先生の表情が険しくなった。
「妖精と大深度地下の精霊も多数いるね。こいつらは、学校の真下から地上へ向けて迫ってきている。本隊らしき群れは、この真下100キロというところかな」
ノームの違法施設を襲撃してきた連中の仲間だろう。
「どちらの群れも、一直線にこの学校へ向かって土中を高速移動中だ。うん、なかなか良い〔探知〕感度になってる。前回までは、直前になってしか〔察知〕できなかったからねえ」
確かに接近中なのだろう。地震の回数と頻度が、徐々に多くなってきている。しかし、もうある程度は慣れてしまったのか、それほど大きな騒ぎにはなっていない。
反対に、運動場へ駆けつけてきた軍と警察の部隊の面々の方がカチカチに緊張しているほどだ。この手の戦闘訓練をあまり実施していないので仕方がない。




