76話
【中性子星の妖精】
「ほう……これが中性子星かね」
サムカが足元で赤っぽく鈍く輝く小さな星を見下ろした。同時に〔防御障壁〕の強度を、手袋をした左手で触れて調節していく。かなり興味津々の様子である。
マライタ先生が言ったように、直径が30キロほどしかない。
そのくせ、重力は太陽とほぼ同じで、プラズマを帯びた青く光るガス雲をまとっている。ガス雲のさらに周囲には、星間物質である氷の欠片などが、ちぎれた輪のような形で幾重にも中性子星を取り囲んでいる。高速で回っているせいなのか、虹色になって見える。
ちぎれた輪の中に点々と見える大きな物体は、隕石や小惑星だろう。これらも中性子星による潮汐力のせいで砕けたり、再集合したりしているようだ。
〔防御障壁〕の中から見上げると、中性子星の周りを赤色矮星が衛星として、地球を回る月のように公転していた。といっても大きさは中性子星よりも遥かに巨大なのだが。
その赤色矮星が光を放っているので、それに中性子星が照らされている。中性子星の周囲を包むプラズマガスも盛んに雷を発していて、その赤と青の2つの光源が中性子星を不思議な色合いに染め上げている。
足元には宇宙船から放出されていた、降下ブイがある。その表面には〔テレポート〕魔術刻印が刻まれている。重力に引かれて、どんどん加速しながら中性子星へ落下していくサムカ一行である。今は秒速80キロというところだろうか。
マライタ先生が〔防御障壁〕の中から、サムカと一緒に中性子星を見下ろして瞳を輝かせている。
「強烈な重力傾斜で光の波長が引き伸ばされて、ちょいと赤く見えているな。まあ、それでも、太陽程度の質量しかない。安定しているから、重力制御の魔法で何とか着地できるだろ」
ノーム先生が反対に頭上を見上げる。
「衛星軌道上の宇宙船は、ずいぶんと離れた軌道を回っていたのだね。ちょうど、太陽と金星の距離くらいか。まあ、そのくらい離れていないと、エックス線やガンマ線ビームの直撃を食らうことになるのかな」
足元のプラズマガスに覆われた中性子星は、かなり高速で自転している。その北極と南極軸からは極太のビームを放射している。
やがて残り100キロ程度まで近寄っているのだが……星の直径が30キロほどしかないので、今ひとつ遠近感がつかみにくい。
足元を一緒に落下していた降下ブイがプラズマガスに焼かれて、溶けて蒸発して消えた。サムカの〔防御障壁〕は全くの無傷である。
マライタ先生がサムカにキラキラした瞳を向ける。
「魔術刻印は消滅してしまったけど、このまま降下してくれ。星の自転速度が秒速30回転と半端なく速いから、これに同期してくれよ。でないと、着地できずに弾き飛ばされてしまうからな」
サムカが興味深そうな表情でうなずく。
「今は星の上空10キロだな。自転との同期は済ませてあるから、このまま降下するとしよう。しかし、1日が1秒もない星というのは、初めてだよ」
ノーム先生が同意して、星の周囲を包む青く光るプラズマガスを見回した。中性子星の強力な電場に沿って、ガスが渦巻いている。
「左様、僕も初めてだな。ガスがなければ、目が回るような夜空だろう。ちょっと見てみたかったが、このガス濃度では無理だな」
その通り、物凄いプラズマガスの嵐だ。サムカの魔力でなければ無事では済まなかっただろう。太陽が直径30キロに圧縮されているので、嵐も非常に活発なものだ。
さすがにプロミネンスやフレアといった高熱のプラズマではないが、それでも破壊力は充分に強い。地球程度の星であれば、簡単に大気と海を吹き飛ばすことができるだろう。
その太陽並みの重力に引かれて、大量の隕石や小惑星がプラズマガスの中を高速で焼かれながら回っているのが確認できた。月のように公転して衛星となっているのではなく、渦に飲み込まれたように落下している。
ただ、その渦の角速度が速すぎるので、なかなか中性子星へ落下衝突しないだけだ。直径が30キロほどしかない小さな星なので、的が小さいというのも理由の1つだろう。
そんな大量の岩石の破片が、サムカの〔防御障壁〕に衝突していく。潮汐力による発熱で、ほとんど溶けている状態なので、雨粒のような印象だ。
サムカが今展開している〔防御障壁〕は、ぶつかった物を〔消去〕するようなタイプではなく、運動エネルギーをある程度奪って軌道を変えるという、〔エネルギードレイン〕仕様になっている。魔力の節約である。
なので、〔防御障壁〕に当たって遅くなり、軌道を変化させられた無数の岩の破片が、中性子星の重力に引かれて高度を下げていく。おかげで、サムカの〔防御障壁〕の後方には、筋状の空間が発生していた。その筋の中では、ガスも相対的に薄くなっているようだ。
「後ろの視界だけは良好になってきているなあ。そろそろ着地かい?」
呑気な声色でマライタ先生がサムカに聞く。中性子星の赤道付近に着地するつもりのようだ。北極と南極に近いと、ビームに焼かれてしまう。
ガスのせいで視界は相変わらず悪いが、中性子星の地面が見えてきた。サムカと地面との相対速度が急速に一致してきているので、ピントが合うように地面の様子が次第にはっきりと見えてきている。
ノーム先生が感嘆したような声で地面を見下ろした。
「本当に中性子だけでできている星なんだな。山も谷もない。丘すらないのか」
マライタ先生がニヤリと笑う。
「中性子星の定義は『95%以上が中性子で構成されている星』ってことだからな。お、そろそろ着地するか。減速してくれテシュブ先生。地面に激突してしまうぞ」
プラズマガスを突破したかと思った瞬間、中性子星の表面がすぐそこに迫ってきた。サムカが速度の調整を行う。〔重力制御〕魔法のおかげで、落下速度の調整も自在だ。
フワリと星の表面に〔浮遊〕する状態になった。そのままゆっくりと降下して、星に接地する。ハグの魔力支援を受けているおかげなのか、いつものフラフラ飛行ではなかった。見事なソフトランディングだ。
ハグ人形がドヤ顔をしてサムカを見つめるが、当然のように無視するサムカである。着地後、〔防御障壁〕を手で触りながら、やや険しい顔をしていたのだが……それもすぐに和らいだ。
「……うむ。中性子化も〔防御障壁〕で防御できた。だが、ハグの魔力支援を受けていても、それほど長い間は〔防御障壁〕を維持できない。仕事は手早く済ませてくれ」
マライタ先生とノーム先生、それにハグ人形まで加わって、中性子星の地面で嬉しそうにピョンピョン跳ねていたが、サムカの警告に素直に従うことにしたようだ。太陽並みの重力がかかっているハズなのだが……
ハグ人形を残して真面目な顔に戻る。
「そうだったな。では、ラワット先生、頼みますぞ」
「任されよう。大地の妖精がいるようだから、そいつを呼び出してみるか」
ノームのラワット先生が銀色の口ヒゲを片手で一撫でして、精霊語で星の地面に語りかけ始める。全員がサムカの〔防御障壁〕の中にいるのだが、呼びかけは星に届いたようだ。すぐに反応が返ってきた。
ほとんど全くデコボコがない赤っぽくツルツルした星の表面に、突如、泥の塊が湧き上がってきた。
泥の塊は、すぐにノーム先生程度の大きさになり……人型に形を変えていく。顔と見られるパーツには、ノームのラワット先生をコピーしたような目鼻が形成されていく。さすがにヒゲや髪まではコピーできないようだが、粘土で上手に作った、泥製のラワット人形が出来上がった。
その粘土人形の目が光を帯びて、口から精霊語を発する。
ノーム先生が申し訳なさそうに泥人形にウィザード語で答える。
「済まないね。精霊語で話ができるのは僕だけなんだ。ウィザード語にしても構わないかい? 言語パック情報を送るよ」
すぐに対応したようで、泥ラワット人形が今度は流暢なウィザード語で話し始めた。
「これでいいかね? ようこそ、我が星へ。中性子化されない客人は初めてだよ、歓迎しよう」
異星の妖精で人ではないのだが、それでも口調や素振りから、少なくとも敵意は抱いていない様子だ。ほっとするマライタ先生とノーム先生である。すぐにノーム先生がウィザード語で、星の妖精と交渉を開始した。
さすがに上位の妖精だけあって、相手の思考も先読みできるようだ。すぐに状況を理解してノーム先生と話を始める。
素直に感心しているマライタ先生とサムカ。マライタ先生が赤髪をクシャクシャと片手でかき混ぜながら、サムカに視線を向ける。
「なあ、テシュブ先生よ。この妖精殿だが、相当な魔力の持ち主なのか? 〔防御障壁〕の中で感じる重力がどんどん和らいでいるんだが」
サムカが〔防御障壁〕に手袋を外した素手の両手を当てて、強度を維持しながらうなずく。妖精が魔力支援をしてくれたのか、〔防御障壁〕が直径10メートル程度にまで巨大化している。その〔防御障壁〕の中に、当たり前のように入っている妖精だ。
「そうだな。恐らくはハグ本体と匹敵する魔力だろう。イモータルの一歩手前の状態とみて良いかもしれん」
ハグ人形もサムカの頭の上で何か泳ぎながら同意する。
「だな。ワシと同等か、魔法の種類によっては上回るだろうな。そもそも、この中性子星という存在自体が、因果律に若干触れているような存在だ。かなりの物理化学法則がここでは通用しない」
マライタ先生がようやく心底驚いたような表情になった。
「お、おう。そりゃあ、凄いな。観測せねばっ」
慌ててポケットから大量の機器類を取り出して起動させていく。
そんなことをしている間に、早くもノーム先生と星の妖精との話がまとまったようだ。ノーム先生が自身の姿の泥人形と話をしているので、少々不思議な印象を抱くサムカである。
しばらくしてノーム先生が、にこやかな笑みを浮かべた。
「『妖精契約』を結んでくれることになったよ。では、名をつけないとね。そうだな……ここは中性子星だから『中』氏で良いだろう。では供物として、タカパ帝国産のマンゴやオレンジの詰め合わせを捧げよう。どうぞ、お受け取りを。中氏」
そう言って、ノーム先生がポケットから〔結界ビン〕を1つ取り出し、ふたを開けて中身を解放した。本当にマンゴとオレンジの詰め合わせの木箱が数個ほど出現する。それを、恭しく妖精の中に捧げる。
サムカとマライタ先生が顔を見合わせている。言いたい事は互いに分かっているようだ。墓用務員もそうだが、かなり安直な命名方法である。分かりやすい名前ではあるが。
中は供物を受け取り、喜んでいる様子だ。果物と木箱はあっという間に中性子化して星の一部になってしまったが、泥人形の顔がさらに朗らかになっている。
ノーム先生に促されて、サムカとマライタ先生も中氏と妖精契約を結ぶことになった。
「こういう機会は、なかなかないからね。中氏も退屈を持て余しているようだし、外の世界と接点ができるのは良いことだよ」
ノーム先生が銀色のあごヒゲを指でつまみながら、小豆色の瞳を輝かせて2人を見つめる。中氏も、まんざらではない様子だ。
「そこの貴族も歓迎だ。死霊術や闇の精霊魔法、それに闇魔法も、我にとっては興味深いものだからな。ドワーフ君は魔力を持たないようだが、それはそれで興味深い。そこのリッチーとは魔力量が近いから、遠慮しておくことにしよう。これ以上、因果律崩壊を深めると、この星が世界から弾き出される恐れが出てくるのでね」
ハグ人形もその提案には全面的に賛成している。サムカの錆色の短髪の上で「ポンポン」跳ね飛びながら頭をグルグル回す。
「そうだな。それが賢明だろうな。魔力換算では、この星の重力が倍になるようなものだからな。まあ、その程度ではブラックホール化はしないが……居心地が変わることは確実だ。あの赤色矮星が落下してくることになるかも知れない」
そう言ってハグ人形が跳びはねながら、真上の分厚いプラズマガスで覆われた青く光る空を見上げる。そのガスを通じてぼんやりと赤色矮星が見える。何となく赤い朧月夜のような印象だ。しかし中性子星の自転速度が爆速なので、赤い流れ星みたいになっているが。
このプラズマガスもそこらじゅうで放電しているため、上空の空も全面で雷が撒き散らされている。
その中性子星の地平線の辺りで、巨大な爆発が起きた。まばゆい閃光が全員を照らす。
プラズマガスを介して爆音が響き、〔防御障壁〕が激しく波打っている。可視光線や紫外線の他に、エックス線を含む放射線が大量に放出されているようだ。アンデッドのみならず、生きている先生方の身にとっても即死レベルで有害な光である。
それへの対処を素早くサムカが行う横で、中氏が虫でも眺めるような視線をその閃光へ向けた。
「小惑星が落下して、我が星へ激突したのですよ。よく起きることです。すぐに中性子化して星に同化しますので、ご心配なく」
確かに不思議な光景になっていく。この星にはプラズマガスだけで大気がないので、地球でのような爆炎は起きない。閃光と爆音。それに続く、真っ赤に溶けた岩の破片の雨だけだ。高温によってガス化した一部の鉱物や有機物の雲も、瞬時に冷却されて雨に混じっていく。
……のだが、それもほんの数秒間しか存在できなかった。あっという間に太陽並みの重力に引かれて、地面に激突していく。今度は周辺に弾け飛ぶこともほとんどなく、真っ平らな中性子の大地に飲み込まれていった。それも、中性子化しながらなので、岩や溶岩の姿が瞬時に失せて中性子の塊になっていく。
ちょうど、水の精霊が使う〔精霊化〕に似ているとも言えるだろうか。肉体が水に〔変換〕されて、周囲の水に溶けて同化し混じっていくアレである。
ちなみに中性子星に大気がないのは、空気の構成分子が重力に引かれて大地と接触し、そのまま中性子になってしまっているからだ。
プラズマガスだけは巨大な電荷を持っているので、ガスの中で互いに静電気力で引かれあっている。そのため、普通の大気よりも幾分長い間だけ存在できている。ただ、これも最終的には重力に引かれて、星の一部になって中性子化する運命であることには変わりはない。
そのような、地球上ではありえない激烈な環境なので、〔防御障壁〕を張っているサムカも相当に負荷を感じているようだ。いつもにも増して無口で藍白色の能面顔になっている。
「うむむ……これはハグに助けてもらって正解だったな。私だけでは〔防御障壁〕の維持が難しい」
サムカが瞳を辛子色に濁らせて呻く。その錆色の短髪の上で、地球上の重力と同じように「ポインポイン」と跳ねているのはハグ人形だ。
「ワシも中性子星に立つような経験は今までない。なかなかに面白いな。遊びに来てよかったぞ」
ノーム先生に続いて、マライタ先生とサムカが中氏と妖精契約を結んだ。契約と言っても口約束なのだが、自身の体の一部を供物として妖精に捧げることで契約が結ばれる。かなり原始的な手法だが、それ故に汎用的でもある。今回は3人とも髪の毛を数本抜いて、それを妖精に捧げていた。
マライタ先生が本題に入る事にしたようだ。中氏にウィザード語で提案する。
「さて、中さん。既に概要は参考情報と共に渡してあるけど、ドラゴンに一泡吹かせる事ができるような武器の素材を探している。この星の表面物質を、50リットルほど採取して構わないかい? ワシらに使えるのは、『テトラ中性子共鳴構造』の物質だけだから、ふるいにかけて選別しないといけないけどな。残土は星に戻す。なので、正味10リットル程度にしかならないと思うが」
ノーム先生が言葉を継いだ。彼もマライタ先生と同じく、やや様子を伺うような目つきになっている。
「『テトラ中性子共鳴構造』の中性子は、かなり密度が高い。つまり、宇宙でも指折りの堅い物質だ。電荷を全く帯びていないから、加工次第ではゴム以上の靭性や弾性、自己回復性能を持たせることができる。だけど、桁違いに質量があるし、触れる物全てを中性子化して取り込んでしまう。即死級の放射線も常時放出している。我々生物が取り扱うには、非常に厄介な物質なんだ。アンデッドの人でも同じだけどね」
サムカが頭上のハグ人形と視線を交わして、軽く肩をすくめる。
「闇魔法場と違って、大地の属性になるからな。魔法場が〔吸着〕されて機能しなくなる。アンデッドを動かす思念体も〔吸着〕されてしまうから、ただの死体になってしまうな。ハグは恐らく大丈夫だろうが、私は一巻の終わりだろう」
ハグもサムカの頭の上で畳水泳しながら同意している。今は背泳もどきの動きだ。
「だろうな。貴族程度の魔力では抗えないな。そのまま永久封印だ。先生方、良かったな。サムカちんをやっつける方法ができたぞ」
しかしマライタ先生とノーム先生は特に反応もなく、視線を軽く合わせただけだった。今は、学術的な妄想で頭の中が一杯らしい。
ノーム先生が数秒間ほどの妄想を終えて我に返り、改めて中氏に顔を向けた。小豆色の瞳がキラキラと輝いている。
「そのままでは、僕らでは扱えない。この星の表面物質を僕たちでも加工したり持てたりできるように、中さんの助力を願えないだろうか」
ドワーフのマライタ先生が追加の願い事をする。
「中性子化はオンオフできるようにしてくれ。重力制御と放射線制御を頼みたい。なあに、ワシらに有害な重力場と放射線なんかを、中さんの星へ〔テレポート〕して戻してくれるようにしてくれれば良いよ。それなら因果律崩壊は起こさないはずだろ」
中氏の顔と姿が更に変化していく。3人の顔と体型を混ぜ合わせたような、微妙な姿になりつつあった。かなり残念な顔になってきている。
「……ふむ。それであれば、契約条項を新たに付け加えねばならぬ。貴君らの世界に、我の〔分身〕を送り込む必要があるな。〔テレポート〕とは、我が知っている場所のみで機能する魔法だ。無論、我は地球にとっては異物だ。地球の妖精や精霊にとっては排除対象になり得るだろう。従って、地球では我は一切何もしない。ただの旅行者だな。それでも構わないかね?」
サムカがそれを聞いて、少し落胆した表情になっている。
「そうか……そうだな。私もようやく、大地の精霊魔法を使うことができると内心期待していたのだが……まあ、そう簡単には上手くいかないものだな」
ハグ人形がサムカの前髪の先にぶら下がって、サムカの鼻先でプラーンプラーンと揺れる。かなりうざい。
「おや? サムカちんは、もう既に、地球の大地の妖精から〔加護〕を受けておるだろ。熊人形の爪がそうだぞ」
サムカがハグ人形をつかんで、再び頭の上に乗せながらジト目になる。
「あの爪は格闘専用の武器だ。魔法の杖のようなものではない。我が領地の農地や森林の土地改良に使える魔法ではないのだよ。あのような爪では畑を耕したり、森の下草を刈り払ったりする程度しか活用方法はない。クワや草刈り鎌と同じだよ。私が欲しいのは、土壌を作物ごとに最適化できるような魔法だ」
ハグ人形が口をパクパクさせながら、何か小言を言おうとしたが……諦めたようだ。
「オマエなあ……まあ、サムカちん『らしい』といえばそうか。中氏よ、地球では目立たないようにしておくことは、確かに有益だろうよ。森の妖精を筆頭に、『化け狐』や精霊どもがいて、こいつらは地球の一部だからな」
マライタ先生とノーム先生もかなり残念そうな顔をしている。しかしハグ人形の話を聞いて、ある程度は納得した様子だ。
「仕方ねえな。惑星間での『妖精大戦争』になったら、ドワーフ政府から大目玉を食らってしまう。じゃあ、学校や森の中にカメラなんかを、たくさん仕込んでおこう。〔分身〕を送っても活発に動けないんじゃ、情報収集する上で不便だからな。まあ、その程度の設置費用と運用費用なら、ドワーフ政府が出せるはずだ」
サムカとノーム先生が互いの顔を見合わせた。今回はマライタ先生の個人の趣味では、やらないようだ。それなりにドワーフ政府が興味を持っている……という状況なのだろう。
それはノーム政府も同様のようだ。ノームのラワット先生も素直に、中氏の提案を受け入れた。
「妥当な要求ですね。問題ないと思いますよ。では、私は地球に送った君の〔分身〕への魔法保護を請け負うことにしますよ。森の妖精や大地の妖精に対しては『気休め程度』にしかならないでしょうけれど、しないよりはマシなはずです」
中氏が笑みを浮かべた。早くも地球の生物の感情表現まで会得したようだ。
「感謝する。我は誕生以来、この星に居続けているのでね。『外の世界の様子を見てみたい』という欲求はある。良い暇つぶしの娯楽になるだろう」
どこかの木星の妖精と同じようなことを言っているのだが、それを知る者はまだいない。
ここで、申し訳なさそうにサムカが軽く手を挙げて発言した。
「済まないが、そろそろ私の〔防御障壁〕も限界だ。撤退しようと思うのだが」
中氏、マライタ先生、ノーム先生、ハグ人形が一斉に視線を交わして、そのままサムカに向ける。
「うむ、ご苦労だったな」
「おう、もう済んだぜ」
「そうですね、帰りましょう」
「ええ~。赤色矮星をぶっ壊して行こうぜ~」
最後のハグ人形の戯言には、耳を貸さず、サムカが山吹色の瞳を輝かせてうなずく。
星の表面に刻んだ〔テレポート〕魔術刻印を起動させる。無事に問題なく術式が走り始めたので安堵するサムカだ。
「では、中さん。地球でまた会おう」
【中性子星の衛星軌道】
〔テレポート〕した先は、先程のドワーフ製の宇宙探査船の船室だった。ほっと一息つくサムカである。
「ふう……〔防御障壁〕が壊れる前に帰還できて良かったよ。あと50秒ほどしか維持できなかったからね」
マライタ先生とノーム先生が、申し訳なさそうな表情でサムカを労わった。
「貴族の先生でも、かなり厳しいか。こりゃあ、ワシらドワーフだけだと、相当に用心しないといかんなあ」
「お疲れさまでした、テシュブ先生。目的は無事に果たすことができましたよ。ああ、でも、一応、念のために確認しておくか」
ノーム先生が服のポケットからガラス製の〔結界ビン〕を取り出して、フタを開ける。そのまま逆さまにして、手袋をした左手の手の平に内容物を落とす。白い泥状の物体がポトリと、ひとかけら落ちた。
数秒間ほど神妙な顔のまま、ノーム先生が手袋の上の白い泥を見つめていたが……やがて15枚もの〔空中ディスプレー〕画面が発生して、ノーム語で大量の情報を流し始める。
それらの情報を流し見して、ようやく笑みを浮かべるノーム先生である。手袋を外して、今度は素手で直接白い泥を触る。
「大したものだな。『テトラ中性子共鳴構造』だけを抽出したんだが、完璧に重力制御と放射線制御が施されているよ。見た目も触感も、ただの泥だ。水分は全く含まれていないけど。中性子化も初期設定では起きない設定だね。こうして直接触れても問題ないよ」
泥を掌の上から浮かべて、空中に〔浮遊〕させる。浮かんでいる白い泥に精霊語で何か命令した。特に何も変化は見られない。
「コホン」と軽く咳払いをしたノーム先生が、ポケットから別の〔結界ビン〕を取り出して、中から50センチほどの長さの水晶を呼び出す。それをゆっくりと泥に近づけながら、マライタ先生とサムカ、ハグ人形に説明した。
「この白い泥を大地の精霊魔法による〔中性子化〕ができる設定にした。空気以外の物質だけを認識するように調節している。この水晶は魔法具でね。現状では最も魔法場や術式を〔吸着〕〔固定〕する素材だよ。触れたら全て停止したり、機能不全を起こす。さて、この泥に対してはどうかな」
「ピタ」と水晶の先端が白い泥に接触した。
次の瞬間。水晶がまるで液体化したかのようになって、白い泥に吸い込まれて消滅してしまった。
水晶を持っていた手の状態を、注意深く確認するノーム先生。
「……対象物の自動識別機能も問題ないかな。僕の手ごと〔中性子化〕するような事態にはなっていない。吸い込まれる際に、本来ならば強力な放射線が出るはずなんだけど、それも制御できてる。これなら、剣に加工しても大丈夫かな。剣を持つ手ごと〔中性子化〕されちゃ、意味がないからね」
マライタ先生が苦笑しながら、ノーム先生の小さな肩を≪バンバン≫叩く。
「人体実験は、あまり感心しないぞ。だが、とりあえず剣に加工できそうな素材ってことは言えそうだな。ここまで来た甲斐があったぜ」
そして、視線を船外に向け、不敵な笑みを浮かべる。
「ここのように安定した中性子星ってのは、銀河の中でも少ないからな。だいたいが超新星爆発を起こした場所に居続けているから、ガスの嵐がすげえんだよ。亜光速まで加速してるガスもあるしな。ともかく、採掘の目処ができて良かったぜ。同じように考える連中も多いけど、ワシらが一番乗りってことだな」
「ん?」と、顔を見合わせて首をかしげるサムカとノーム先生。ハグ人形は口をパクパクさせながら空中遊泳を続けている。
その2人の様子を察したマライタ先生が、船内のディスプレー画面を10倍ほどに大きくした。そこに映し出されているのは、中性子星を公転する赤色矮星や、小惑星などの衛星とその軌道だ。そのいくつかの点にドワーフ語で何か注釈が付けられている。
「異星人の探査船だよ。中性子物質を欲しがる連中は、ワシらだけではないってことだな。ざっと見て、数種類の異星人文明がここに探査船を送り込んでいる。この他にも特殊なステルス偽装をしている連中がいるはずだが……ここの設備では、そこまで認識できてないな」
サムカがキョトンとした顔になる。
「異星人? 宇宙人ということかね? 本当にいるのか」
マライタ先生がややドヤ顔でガハハ笑いを浮かべて、サムカに黒褐色の瞳を向けた。かなり愉快そうだ。
「まあな。ワシらドワーフ政府が宇宙開発する理由の1つでもあるな。連中と交易して儲けるのさ。異星人には、当然ながら魔法適性なんてものはない。そこでワシらが魔法具を売りつけると、得意先になるんだよ」
そういう状況になれば、鉱物資源などは地球にある分だけでは到底足りない。
「魔法や魔術なんてファンタジーなことを実現した文明なんて、ワシら以外にはないからな。ちなみに売れ筋商品は、〔テレポート〕魔法具と、対光線兵器用の〔防御障壁〕発生具だ」
ノームのラワット先生がかなり興味津々な顔で、何事か考えている。サムカも感心した様子で腕組みをするばかりだ。
「さすがはドワーフだな。私も交易事業は行っているが、ここまでの規模ではない。ふむ、領内オーク自治都市の理事会に提案してみるか。1人、ドワーフの交易アドバイザーを置いても良いだろう」
ハグ人形はどうも不満そうな仕草をしている。空中遊泳を止めて、サムカの錆色の短髪の上に着地した。
「むう。交易相手という位置づけか。こやつら異星人どもがタカパ帝国へ攻め込んでくる恐れがあるならば、サクッと滅ぼしてやっても構わぬのだが」
マライタ先生がワープ器械に帰還先の座標を打ち込んで、愉快そうに目を細める。
「まあ、その時はその時さ。魔法が使えない連中だから、大して心配する必要はないと思うがね。さて、帰るとしようぜ。そろそろシーカ校長が怒り出す頃だ。ラワット先生はそろそろ、その中性子物質の泥を〔結界ビン〕に収めてくれよ」
【運動場】
ワープして戻った先は、学校の運動場の中央だった。早くもエルフ先生が校長を抱えて、ジト目の怒り顔でこちらへ〔飛行〕してくるのが見える。
その彼女の後ろには、やはりセマンのティンギ先生がいた。優雅にパイプをふかして、散歩のついでのような足取りでこちらへ歩いてきている。
それを見て、マライタ先生とノーム先生が顔を見合わせて眉をひそめている。やはり、セマンに隠し事をするのは難しいようだ。まだ授業時間中なので、運動場には生徒や、他の先生の姿は見当たらない。
サムカが手早く現在時刻を確認するために、手元に小さな〔空中ディスプレー〕画面を表示させた。
「〔召喚〕終了時刻まで、もう少しか。我が教え子の顔でも見てやりたいが……時間が足らぬな」
そして、ようやくここで自身の服が、かなり〔風化〕してボロボロになっていることに気がついた。銀糸刺繍の施された黒マントの裾や縫い目が、かなり疲れている。古代中東風の長袖シャツやズボンも古着のような見た目に変わっていた。なめし革の柔らかい乗馬用の靴も、表面がガサガサに毛羽立っている。
ガックリと肩を落とすサムカ。
「うむむ……〔防御障壁〕で遮断していたとはいえ、やはり放射線を浴びたようだな。エッケコにまた苦労をかけてしまうか。だが、まあ、次回以降は対処もできるだろう」
そして、2人の小人先生に忠告する。早くも手元に〔空中ディスプレー〕画面をいくつも出して、何か操作を始めている。
「君たちも、恐らく放射線被曝しているはずだ。すぐに健康〔診断〕をした方が良いだろう。それと……」
他にも何か言おうとしたサムカだったが、エルフ先生の怒声に遮られてしまった。
「そこの3人! 授業を放棄して、何を遊んでいるのですかっ。それでも先生ですか、あなたたち!」
サムカは今回の〔召喚〕では、授業の予定はなかったのだが、一まとめにされてしまったようだ。とりあえず、反論は控えることにしたサムカである。火の中に油を注ぎこむような行為は、今は控えた方が賢明だろう。
それよりも、15メートル後方でパイプをふかしながら優雅に歩いてくる、ティンギ先生の口元に注視する。「ザマァ♪」というような意味合いのつぶやきをしている。これで、(ティンギ先生からのタレ込みがエルフ先生の耳に入ったのだろう……)と予想がついた。
あっという間に運動場の中央まで飛んできたエルフ先生が、優雅に着地した。〔飛行〕魔術がかなり上手くなっている。
彼女の小脇に抱えられている校長は、顔のヒゲ全てを力なく垂れていた。さらに白毛交じりの尻尾も、地面に垂れたままで動いていない。
「すいません、先生方。カカクトゥア先生の精神の精霊魔法には、抗することができませんでした……」
どうやらエルフ先生が校長に詰め寄って、魔法で〔自白〕させたらしい。
ノーム先生が背中の襟に引っかけていた大きな三角帽子を頭にかぶる。次いで、銀色の口ヒゲと、あごヒゲを片手で撫でて整えながら校長を慰めた。
「エルフの〔精神干渉〕魔法は強力ですからな。まあ僕たちも、戻ってきたら全て話そうと思っていたところです。かえって好都合ですよ」
エルフ先生も意外に落ち着いている表情だ。丁寧に校長を地面に下して、大きく1つため息をつく。
「概要はシーカ校長先生から聞き出しました。ドラゴンに対抗する武器の素材採集のためですので、その行為自体を咎めることはしませんよ。授業を放棄して出かけた事が問題なだけです。まったく、シーカ校長先生がついていながら、ぶつぶつ……」
ドワーフのマライタ先生が手元の空中ディスプレー画面のコンソールを何か色々と操作しながら、大きな白い歯を見せて笑う。
「済まねえな。中性子星の衛星軌道にある船からの、降下タイミングが厳しくてな。あの〔召喚〕時期がちょうど良いタイミングだったんだよ。何せ自転速度が半端なく速い星だからよ。まあ、次回からは何時でも大丈夫だ。星の表面に〔テレポート〕魔術刻印を刻んだからな」
ノーム先生もポケットからガラス製の〔結界ビン〕を取り出して、エルフ先生と校長に見せた。さらにフタを開けて、中の泥状の中性子物質を自身の手の平に少し垂らして乗せる。
「この通り、目的の素材は得られたよ。あ。君たちは、まだ触れちゃ危険だ。〔中性子化〕されて取り込まれてしまうよ」
「おっと……」と1歩引くエルフ先生と校長であった。いつの間にかやって来ていたティンギ先生も、歩調を合わせて一緒に引いている。
ノーム先生が泥を〔結界ビン〕の中に戻し、手元の〔空中ディスプレー〕画面を操作しながらウインクする。かなり上機嫌だ。
「僕たちは、中性子星の大地の妖精『中さん』と妖精契約を結んでいるから平気だけどね。契約内容の1つに、中さんの〔分身〕をここへ呼ぶことになったのだが……僕の方のシステム調整は済んだよ、マライタ先生」
マライタ先生も操作を終えたようだ。空中ディスプレー画面にドワーフ語で何か表示が出た。
「おう。ワシも終わった。これで学校の保安警備システムから排除されることはないはずだ。『サムカ熊事件』みたいな事態だけは避けたいからな」
何も言えずに、ただ頭をかくサムカであった。そう言えば、校長を除く、ここに居る先生全員を切り刻んでいる。
間もなく、先ほど会ったばかりの中氏とそっくりの人影が、運動場に姿を現した。
エルフ先生が思わず吹き出しそうになって、それを必死で背を丸めて抑え込んでいる。校長は目が点になって棒立ち状態だ。ティンギ先生に至っては、盛大に笑い転げている。
そんな無礼な連中を無視してマライタ先生が、中〔分身〕の肩を≪バン≫と叩き歓迎する。
「ようこそ地球へ。『中』氏と呼べば良いのかい? こら、お前さん方、人の姿を見て笑うのは良くないぞ」
中〔分身〕は、やはりマライタ先生とノーム先生を適当に組み合わせたベースで、その上にサムカの要素をいくつか上乗せしている姿であった。かなり喜劇的な姿であるのは言うまでもない。
地球上ということもあり、更に姿と服装を調整していく中〔分身〕であったが、笑い転げている先生に対しては、特に不快に感じてはいない様子だ。
「構いませんよ。しかし、これが原子でできた世界ですか。ああ、電子もですね。重力が弱すぎて、もう少し調整に時間がかかりそうです」
思ったよりもかなり謙虚な言動に、面食らっているエルフ先生。「コホン」と咳払いをして、挨拶をする。
「ようこそ、中さん。私はエルフ世界出身のカタ‐クーナ‐カカクトゥア‐ロクと申します。以後、よろしく」
校長とティンギ先生が続いて歓迎の言葉と自己紹介を済ませる。
その間にも、中〔分身〕の姿がどんどん変化していき、自己紹介が終わる頃には、普通の華奢なドワーフのような姿に落ち着いた。
服装はノームがベースになったようだ。三角帽子と大きなブーツに手袋は控えめになっているが。サムカ成分は、髪の色と、黒いマント程度に収まっている。
マライタ先生がノーム先生と顔を見合わせて、満足そうにうなずいた。
「うむ。これで普通の痩せたドワーフと呼べる姿になったな。学校の保安警備システムをそろそろ再起動させても構わないかい?」
ノーム先生も中〔分身〕に促す。
「今は学校のシステムを停止させているからね。とりあえず、各種演算結果は『問題なし』という判定だ。このまま再起動させても大丈夫だろう」
その時、エルフ先生と校長が同時に申し出た。事情に詳しいエルフ先生が代表して話を続ける。
「すいません。もう1人、追加でお願いできますか。木星の風の妖精の〔分身〕なのですが。出てきても大丈夫よ。紹介しますね。木星の風の妖精の、雲さんの〔分身〕です」
返事がして、エルフ先生の隣に半透明な人型の姿が生じた。今度はマライタ先生とノーム先生が驚いた顔になっている。
エルフ先生が、ミンタたちが妖精契約を結んだことを話して説明する。マライタ先生が悔しそうな顔で、赤いモジャモジャヒゲを両手でかいた。
「そうかい。あの杖でも足りないってか。まあ、無事に強化できそうで良かったよ」
そして、すぐに空中ディスプレー画面を追加で発生させて、登録を始めていく。
「せっかくだから全システムの確認もするか。半日くらいはシステムを停止させることにするよ。熊騒動で緊急パッチを大量に組み込んだからな、術式間で衝突しているところが散見されてるんだよ」
ノーム先生も同じように手元の〔空中ディスプレー〕画面とにらめっこして、色々な操作を行いながら同意する。
「賛成だな。ちょうど魔力サーバーや法力サーバーも本格稼動したから、そのエラーの確認もしたいし。ああ、そうそう。雲さんも中さんも、その姿で固定する必要はないよ。自由に姿を変えてもらって良いからね。固有の魔法場や精霊場で、個人認証をするから」
「マジかよ」と驚いているドワーフのマライタ先生に、軽く微笑むノームのラワット先生。そしてエルフ先生に、チラリと小豆色の視線を投げかけた。
「ということで、カカクトゥア先生には、お客様の対応をお任せするよ」
サムカは既に気がついていたようで、両目を軽く閉じて肩をすくめている。エルフ先生がキョトンとした顔になったが、すぐに察したようだ。森の木々の陰に隠れて立っているパリーに、空色のジト目を向ける。
「パリー……まったく、あなたって子は」
パリーが素敵な笑顔で、森の中から運動場へ歩み入ってきた。
松葉色の澄んだ瞳が細められて、腰までゆったりと伸びた紅葉色の赤い髪が、冬のやや湿った風になびく。服装がよれよれの芋寝巻きでなければ、かなりの美少女といえるのだが……そこは問答無用で否定されている。サンダルは冬用に変わり、ふかふかしたコケに足がすっぽりと覆われている点は、さすが森の妖精というところだろうか。
「クーナあ~。挑戦者がいっぱいよ~」
その通り、森の木立の中から10余名もの屈強そうな挑戦者たちが姿を現した。狼族、牛族といった定番の他に、今回は猿顔や猫顔の原獣人族の勇者たちの姿も見える。彼らの服装が農作業中や狩猟中のそれであるのに、すぐに気がつくエルフ先生。
ジト目をさらに厳しくして、パリーに問いただす。
「学校の保安警備システムが停止するって〔予知〕できないでしょ、あなた。まさかティンギ先生……」
「キッ」と鋭い視線を、運動場で寛いでいるセマンのティンギ先生に投げかける。実に美味そうに紫煙を吐き出すティンギ先生。一応は真面目そうな表情を繕っているが、バレバレだ。
さらに、パリーがティンギ先生に向かってガッツポーズをしているのを見て、全てを理解する。本当に、このセマンは……
懲罰的な指導は後で行うことに決めて、エルフ先生が再びパリーに厳しい視線を向けた。
「パリー。仮にも今は先生でしょ、あなた。ここの酒飲み先生と一緒になって、授業をさぼってはいけないわよ」
指摘されたパリーが頬を膨らませて、ツンと横を向いた。体型が小学生のようなので、駄々をこねるガキにしか見えない。
「うるさいな~。だって、つまらないんだもん~。つまらない学校なんて~不要でしょ~。だったら~破壊してもいいよね~。でも、地下に潜ってるから壊しにくいのよ~。で、助っ人を〔召喚〕したの~偉いでしょ~褒めて褒めて~」
頭痛がしたのか、エルフ先生と校長が揃って頭を押さえて俯く。マライタ先生とノーム先生は「保安警備システムへの挑戦かっ」と、にわかにイキリ立ち始めた。こちらも放置しておくと暴走を開始しそうである。ニヤニヤしているのは当然ながらティンギ先生だ。
サムカは特に関心を持たない様子で、用務員室にいるはずの墓を〔念話〕で呼び出している。雲と中〔分身〕は、すっかり観光客だ。
〔召喚〕された挑戦者の面々も、森の中でぶつぶつ文句を言っている。農作業や狩猟中に、いきなりパリーに〔召喚〕させられたので、当然といえば当然の反応だ。
それでもエルフ先生に勝てば、その勇名が国じゅうに広がると信じているようで、戦闘態勢は万全だったりするが。パリーのアナウンスで勢いよく森の中から飛び出して、吼えたり、たくましい腕を振り回したりして、自己アピールを勝手に始めた。
パリーが松葉色の瞳をキラキラ輝かせて「ピョンピョン」跳ねる。
「見て見て~。選りすぐりの猛者ばかりよ~。さあ、野郎どもお~エルフなんかやっつけちゃえ~ついでに学校も破壊しちゃえ~森の妖精ニル・ヤシ・パリーの名において認めちゃう~」
「おおー!」と雄叫びを一斉に上げた10余名の挑戦者たちが、エルフ先生に向かって運動場の土を蹴立てて突進してきた。魔法具も装備しているようで、何枚か〔防御障壁〕を展開している者もいる。パリーから魔力支援を受けて、〔マジックミサイル〕などのソーサラー魔術の術式を走らせ始める者もいる。
「いい加減にしなさい!」
エルフ先生がキレ気味に告げて、そのまま巨大な竜巻を数本発生させた。あっという間に、挑戦者全員が竜巻に巻き込まれて上空へ吹き上げられる。
そのまま、エルフ先生が片手を≪ブン≫と振ると、竜巻の群れが森の上空へ浮き上がり……そのまま亜熱帯の森で覆われた地平線の向こうまで飛び去っていった。
残されたのはパリーただ1人だけであった。
サムカを始めとした先生と校長は『いつもの結末』に辟易しているだけで、特にコメントするつもりはない様子である。残念がっているティンギ先生と、面白いショーが見られて喜んでいる雲と中〔分身〕の2人が、今回の違う点だろうか。
墓用務員がこちらへテクテク歩いてやって来るのを、横目で見ながらサムカがパリーに教える。
「仕事というのは、楽しくない場面も往々にして起きやすいものだよ。後回しにすると、さらに面白くなくなるものだ」
苦虫を噛み潰したような「ぐぬぬ」顔をしているパリーにエルフ先生が歩み寄って、「ポカリ」と赤髪の頭を叩いた。
「そうですよ、パリー。授業の手助けは、私も協力するから遠慮しなくていいのよ。何のために、あなたと『精霊魔法契約』を結んでいると思っているの」
まだ、ふて腐れているパリーのウェーブがかった赤髪を両手でワシャワシャとかき混ぜながら、エルフ先生が雲と中〔分身〕に空色の瞳を向ける。
「確か、『妖精契約』って言ったわよね。風と大地か。私も契約してみようかな」
サムカが素直に同意した。
「それが良いだろうな。私のようなアンデッドとでも契約できるほどだ。エルフであればより効率的な運用ができるだろう」
「あ……」とエルフ先生とノーム先生が視線を交わして、苦笑した。エルフ先生が「コホン」と軽く咳払いをして、サムカに指摘する。
「『妖精契約』と『精霊魔法契約』とは別物ですよ。妖精個人と契約するのと、精霊界と契約するという違いがあります。魔力の供給量は、精霊界と契約している方が高いのですよ」
サムカにとっては闇魔法がメインなので、精霊魔法の体系についてはそれほど詳しくない。ジャディら生徒たちには大見得を切って教えていたが。
エルフのカカクトゥア先生が『精霊魔法契約』を交わしているのは、パリーだけである。パリーは生命の精霊魔法が得意な森の妖精だ。この妖精は生命の精霊魔法界の一員であるので、精霊魔法界との契約を結ぶことで、パリーを介して、この分野の精霊魔法を使うことができるようになる。
この場合、使用するのはパリー個人が有する魔力だけではなくて、精霊魔法界の魔力も含まれる。当然ながら、かなり強力な魔法を行使できるようになる。しかし魔法適性という条件があり、さらにエルフといえども生物であるので、耐えられる負荷には限りがある。
結果として、エルフ先生であってもパリーが使うような〔妖精化〕攻撃は使えない。
さらに、これまでの事例であった通りパリーを経由して得る魔力量が膨大なので、往々にして制御失敗が起きる。生命の精霊場を、風の精霊場や光の精霊場などへ〔変換〕する場合には、特に〔変換〕ミスが発生しやすい。
『妖精契約』は、妖精個人との契約だ。従って基本的に得られる魔力は小さい。エルフ先生も、最初はパリー個人との妖精契約からスタートしている。この場合は、契約した妖精の魔力を〔召喚〕すると説明した方が分かりやすいだろう。ウィザード魔法で、契約した魔神からその魔力を〔召喚〕して、魔法として具現化させることと同じだ。
契約した妖精と妖精とがケンカしていたりすると、どちらか一方か、もしくは両方の精霊魔法が使えなくなることも、ウィザード魔法と同様である。また、妖精のその時の気分によっても、大きく魔力が変動する。
そのために、下っ端の妖精と契約すると、不具合が多発するという欠点がある。その一方で、強力な上位妖精と契約を交わすと、競争相手が少ないので不具合も減ることになる。
今回のように、木星の風の妖精や、中性子星の大地の妖精ともなるとかなり強力で、魔力供給も安定するのだ。
「だけど、パリーとの精霊魔法契約ほどの魔力は引き出せないけれどね。私の体が耐え切れないし。大地の方も、魔法適性のあるノームのラワット先生には遠く及ばない程度でしょうね」
ノーム先生がちょっと上機嫌になって口ヒゲを触っている。エルフ先生が「クスリ」と微笑んで話を続けた。
「私の守護樹をここへ持ってくることができたら別ですけれどね。エルフの魔法って、基本的にはそれぞれの守護樹に大きく依存するものなの。私がここで大出力の魔法を使う場合には、魔力カプセルのお世話になってる事は、サムカ先生が見て知っている通りですよ」
(それでも、今のままでも充分に強いと思うのだが……)
内心でツッコミと入れるサムカであった。少なくともこの妖精契約によって、エルフ先生がさらにパワーアップするのは確実だろう。とりあえず、今は素直に聞く事にするサムカである。
「なるほどな。勉強になったよ。私の場合は、使うことが出来る魔法の種類が増えるだけでも嬉しいものだ。ネズミ駆除ですら、闇魔法の行使をためらうほどだからな。旋風による吹き飛ばしや、大地への飲み込み魔法が使えるようになれば、大いに助かる」
そして、ようやく到着した墓用務員に山吹色の瞳を向けた。
「墓よ。君の後輩ということになるのかな。我々では気がつかない事があると思う。よろしく指導してやってくれ」
墓が用務員服のままで、軽くお辞儀をした。相変わらずの、白髪が目立つゴマ塩頭で、ガニ股の冴えない太った中年オッサン姿である。アンデッドで食事をしないので体型は全く変化していないが、締まりの無い体はどうにかならないものだろうか。
唯一変わった点は、足元の古びたサンダルが更に擦り切れている事くらいだろう。その墓用務員が、ヘラヘラと愛想笑いを口元に浮かべた。
「私たちは、穏やかに暮らしたいのですがね。まあ、こうなっては仕方がないので、それなりに面倒は見ますよ」
ノーム先生とマライタ先生が、墓の登場で不機嫌になっているパリーをなだめている。そのパリーに、森と地下の教室や寄宿舎ロビーに、ステルス仕様の観測カメラを多数配置することを伝えた。その映像情報をパリーにも提供することを提案すると、パリーの機嫌が良くなってきた。遊びネタが増えたと理解しているのだろう。
「さて。そろそろ〔召喚〕時間が切れる。では、また明日」
そう言って、皆から数歩退いて離れたサムカの隣に、ティンギ先生が小走りで寄ってきた。小声で〔指向性会話〕魔法を使う。
「観測カメラの映像は、暇つぶしには良いでしょうね。今回は、どうもご苦労様でした。まだ、面白いことが起きる〔予感〕が膨らんできているので、今後も期待していますよ」
【オーク墓地の管理棟】
翌日の〔召喚〕は、定期〔召喚〕であった。
その時刻が来るまでの間、サムカは騎士シチイガと共に、管理棟の掃除と引越し作業を手分けして行っていた。この管理棟は、サムカ主従の新しい居場所である。オーク自治都市の外れにある墓地の中央に建てられており、周辺には人家や畜舎がなく静かな場所だ。
この掃除は埃まみれになる作業なので、鶏舎の巡回視察の際に着用するような、作業着にも似た丈夫で地味な服である。長袖長ズボンではあるが、肘や膝、腰周り、肩の生地が二重になって補強されている。
その生地もかなり磨耗していて、脱色も目立つが。靴も古びた革靴で、つま先やかかと部分が磨耗して革が毛羽立っている。
それらを覆うマントは、赤茶色の日焼けによる脱色が進んだ代物だ。手袋も軍手に似た使い捨てである。中性子星での衣服の〔風化〕もあって、着替え用の服が不足しているのも原因だが。
もちろん、旧城で使っていたアンデッド兵も掃除と引っ越し作業に加わっている。しかし、管理棟自体が大きくない建物なので、半数ほどは手持ち無沙汰でウロウロしているだけだ。
管理棟の掃除と荷物搬入が済んだアンデッド兵から順次外に出して、草むしりやオークの墓の掃除を命じていくサムカである。
そんな主の様子を見て、〔空中ディスプレー〕画面上では執事のエッケコが恐縮していた。彼の配下のオークの使用人たちと一緒に、アワアワしている。
「申し訳ありません、旦那様。領主様と騎士様に、このような下人作業をさせてしまい、この執事エッケコ、懺悔の極みでございます」
騎士シチイガは「そうだそうだ」とでも言いたげな雰囲気であったが、サムカは何とも思っていない様子だ。むしろ、掃除を楽しんでいるようにも見える。
年季の入った家具や執務机を、サムカが雑巾で拭いて答えた。
「気にするな、エッケコ。今は、自治都市の復旧作業の方が優先だと、指示を下しているぞ。我が領地は、オーク兵にとっての食料生産拠点の1つだ。空腹では満足な働きは望めぬよ。私はアンデッドなのであまり縁がないが、君たちは生きている。今回の被害で心的外傷を受けている者も多いはずだ。観察は怠らぬようにな。労働力の減少や質の低下も、食糧生産の阻害要因となるものだからな」
執事や配下の使用人たちも、今の服装は汚れても構わないものだ。実際に、服のあちこちが汚れているのが画面越しでもよく分かる。埃も相当なもののようで、防塵メガネやマスクの跡が、くっきりと豚顔に付いていた。全体的に服が黒く汚れている印象である。
一方、サムカと騎士シチイガの場合は〔防御障壁〕を展開しているので、汚れはほとんど付いていない。アンデッド兵は別だが。騎士シチイガが真っ黒に煤で汚れたゾンビ兵を数体見て、軽いジト目になった。
「我が主。アンデッド兵の洗浄作業も必要になりそうです。こう汚れてしまっていては、我が軍の威容にも影響しかねません」
サムカも掃除の手をいったん休めて、汚れまくったゾンビ兵たちを見つめる。
「そうだな。私が〔召喚〕されたら休憩してくれ。その際に、洗浄すれば良いだろう」
騎士シチイガが立礼をする。作業着なので、あまり騎士らしく見えないが。
「は。そのようにいたします」
執事が再び画面の向こうから訴えてきた。ちょっと泣きそうになっている。
「だ、旦那様。後は我々にお任せください。夜間は復旧作業をしませんので、管理棟の掃除と家具の搬入をいたします」
【魔法学校の上空】
間もなくしてサムカが〔召喚〕された。
……が、水蒸気の煙が晴れて見えた風景は、学校の上空700メートルの空中だった。自由落下を始めながら、サムカがため息をつく。
「やれやれ……あの羊め。いずれ再び仕出かすと思っていたが。まあ、今回は土中ではないだけ良しとするか」
重力制御の魔法を使って、落下地点を教員宿舎の出入り口付近に設定していく。しかし、ふと思い直し、設定を変更して、寄宿舎の屋上にした。落下の角度が少しだけ斜めに切り替わる。
(そういえば、ジャディ君の部屋には行ったことがなかったな)
落下地点の変更をすると、当のジャディがすぐにサムカを発見して地上から飛び上がってやってきた。さすが猛禽の目を持つ飛族だ。
「と、殿おおおおおおっ! 久しぶりっス。今日の授業を心待ちにしてたっスよおおおっ」
空中を落下しているサムカに器用にまとわりつきながら、涙目で訴えるジャディであった。サムカが落下速度を落とし始めながらジャディに話しかける。いつまでも自由落下を続けていては、寄宿舎屋上に大穴を開けてしまいかねない。
(やはり、〔飛行〕魔術の習得は必要だな……)と思うサムカ。ホウキは今朝組み上がったので、後は調整作業を行うだけになっていた。
「元気そうで何よりだ。魔力のバランスもより安定化してきているようだな。もうしばらく様子を見て大丈夫そうであれば、木星の風の妖精と契約を結んでも良いだろう。励めよ」
サムカの言葉に感極まった様子のジャディが、空中で≪ビシッ≫と敬礼をした。相変わらずの、警察と帝国軍方式の混ぜこぜ敬礼だが。
背中の両翼や尾翼も羽ばたかずにピンと張ったままになったが、それで落下するようなことには至っていない。飛行関連の魔法が充分に機能しているという証拠だ。
「了解っス、殿っ! このジャディ、絶対に雲と『妖精契約』を結んでみせるっスよっ」
この時点で、寄宿舎屋上が大きく迫ってきていて、距離も50メートルにまで接近している。しかし、かなり落下速度が落ちてきていたので、サムカの錆色の髪や、マントの裾も天を向いている状態ではなくなった。落下速度が落ち続けていて、今は秒速1メートル以下にまで緩やかになっている。
「うむ、良い返事だ。私は校長室に顔を出してから、教室に向かうとしよう。あの羊がまた〔召喚〕ミスを仕出かしたからな、一言文句を言った方がよかろう。ジャディ君は、先に教室へ向かってくれ」
ジャディが再び敬礼をして優雅に背中の両翼と尾翼をひるがえし、急降下ターンをしてサムカから離れた。
「了解っス、殿っ。では、教室でお待ちしてるっス」
ジャディの飛行を眺めながら、サムカが感心したように唸る。
「さすがは飛族だな。見事な飛びっぷりだ」
そのまま速度を落としながら、寄宿舎屋上へ「フワリ」と着地するサムカ。ちょっと加速度調整を誤ったのか、屋上の床にうまく着地できずに、また浮き上がってしまった。それを再調整して、今度こそしっかりと着地する。
「ふう……やはり飛行や風関係の魔法は思うようにいかないな。危うくまた空中へ舞い上がってしまうところだった」
赤茶色のマントの裾を整えて、腰ベルトに吊るしている長剣の鞘の位置を修正する。錆色の短髪もついでに手早く整えた。サムカ自身は寄宿舎屋上へ来るのが初めてだったので、周囲をキョロキョロと見回している。ここの生徒たちは真面目な者ばかりなのか、授業をさぼって屋上で遊んでいる者は見当たらない。
ジャディの部屋の入り口まで飛び上がって、部屋の中をのぞいてみる。部屋の扉は盛大に開け放たれているので、中の様子がよく見える。質素だが、かなり機能的な家具と、その配置であることにサムカが感心している。
(扉は常時開け放っているのか。外の様子を視覚で察知するには、その方が都合が良いのだろうな。ふむ、部屋のソファーやベッドにいながらでも、敵の襲撃に即応できるように配置しているのか。まあ、ここで敵と呼べそうな者はパリーとクーナ先生くらいだろうが……墓地管理棟の家具や、機材の配置で参考にできそうだな)
あまり長い間ジャディの部屋を観察するのも悪いので、早々に教員宿舎へ向かうことにするサムカだ。学校内まで来れば、どこも見知っている場所なので、〔テレポート〕魔術が使える。しかし、ここはあくまで〔飛行〕して移動することにしたサムカであった。少しでも〔飛行〕魔術に習熟しようというつもりだろう。
【校長室】
その教員宿舎内の校長室では、校長がサムカに平謝りをして出迎えた。
「す、すいませんでした、テシュブ先生。サラパン主事の体調管理には気をつけていたのですが、またもや〔召喚〕を失敗してしまいました。大丈夫でしたか?」
校長の隣では、ふて腐れた顔のサラパン羊が床をコロコロ転がっている。まだ〔召喚〕魔法陣も描かれたままで、供物も床に置かれたままなのだが、お構い無しに転がっていく。校長も羊も高級そうなスーツ姿なのだが、羊は構わずに床を転がっていく。
それを見下ろしながら、サムカが山吹色の瞳を細めた。
「いや。今回は土中ではなかったし、特に問題が起きたとは思っておらぬよ。学校の近くの座標であったしな。今までの騒動のせいで、授業が集中してしまっている状況では、錯誤も起こりやすくなるだろう」
恐縮している校長を差し置いて、サラパン羊が床を転がりながらサムカに同調してきた。
「まあ、私もこうして2日連続で〔召喚〕魔法を行使したわけですしな。こういうことも起きるでしょうよ」
校長とサムカが顔を見合わせて、肩を軽くすくめる。
すぐに校長が、廊下で待機していた事務職員たちを数名呼びつける。掃除道具完備で入室してきた事務職員たちが、サムカと羊に丁寧に挨拶をして、床掃除と供物の撤去を始めた。床を転がっている羊も上手に誘導して、掃除の邪魔にならないようにしているところはさすがだ。
羊のせいで床に散乱した供物も、きれいに回収している。
(獣人だけあって、空間把握能力が高いのだろうな……)と思うサムカである。彼らほど野生味を持たないオークでは、ここまで迅速かつ効率的な掃除はできない。
校長がサムカに、見本品詰め合わせの木箱を数箱ほど差し出した。
「これが今回の輸出見本品と試作品です。今は残念ながら冬季で湿度が高い時期ですので、生鮮果物の生産量が伸び悩んでおります。もうしばらくすれば天候が回復してくるのですが、それまでの間は、あまり確保できません」
サムカが木箱の中身を改めながら、鷹揚にうなずく。
「貴族の嗜好品扱いだからな、あまり気にする必要はあるまい。品薄であれば、それなりに高値になるだろう。我が領地の産品との競合も起こりにくくなるしな。それに、こういった食品は、タカパ帝国内の需要を満たすことを最優先すべきだ。死者の世界向けは、余りモノで充分だよ。隣の木箱は、衣類と靴かね」
校長が手元に〔空中ディスプレー〕画面を出して、内容を確認しながら肯定する。
「そうですね。全てタカパ帝国産です。貴族向けの試作品ですね。我々とは体型が異なりますから、型紙や靴の型も新規で作っているようです」
サムカが自身の履いている革靴のつま先を、コンコンと床に当てた。既にかなり劣化していて、つま先部分などがボロボロなのだがサムカは気に入っている様子である。
「総じて、魔力をほとんど帯びていない素材でできているな。我々貴族は、日常的に魔力を帯びた衣類や装飾品を身につけているものだが、こういう品もそれはそれで気楽で良いものだ。魔力を帯びている装飾品や衣類などと魔力〔干渉〕を起こす心配がない。我々貴族は、実はこういった物の組み合わせに悩むことが多くてね。〔干渉〕が強すぎると、せっかくの衣類や装飾品が破損したり磨耗したりするのだよ」
「へえ……」と素直に聞き入っている校長である。サムカが赤茶色の質素なマントの中に、全ての木箱を放り込んだ。やはり、瞬時に跡形もなく〔消滅〕している。サムカがマントの裾を整えて、校長に微笑んだ。
「うむ。確かに見本品と試作品を預かった」




