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75話

【作業続行】

 ともあれ、最後の3つめの作業に取り掛かることにしたミンタであった。

「ダイヤ単結晶と、この酸化亜鉛のツルツル単結晶で、かなり強力な光を扱えるようになったわね。これなら、予想通りの電場を発生できそう」


 ドワーフのマライタ先生が作成してくれた杖は、ダイヤ単結晶から発した光を、杖の受信器で受けて光を電気に〔変換〕する。電気は様々な魔法や法術に、効率よく〔変換〕して使うことができるからだ。また、電気なので電池に蓄えることもできる。

 魔法の術式は、この電子の流れに乗せて走らせている。ペルたちが使っている杖でも、問題なく死霊術や闇の精霊魔法が発動できる。もちろん、〔変換〕効率は他の魔法に比べると非常に悪いものではあるが。

 一方で、サムカやハグや墓用務員が使うような魔法では、電子は邪魔になる。そのために、電子機械や無線通信に支障が出て、結果として機械オンチばかりになってしまう。闇魔法と、死霊術や闇の精霊魔法とが異なる理由の1つでもある。


 さて、一般的には金属に光を照射すると、金属の原子や電子が、光から運動エネルギーを得て動きやすくなる。その結果、その金属の温度が高くなって熱くなり、最終的には金属が溶けてしまう。

 気体であれば、エルフ先生が言っていたようにレーザー冷却という手法で冷やすことができるのだが、固体である金属では適用できない。


 ちなみに、レーザー冷却とは、気体中の原子や分子の運動方向に対して、逆方向の光を照射すると、ドップラー効果によって原子や分子の平均速度が落ちて、温度が下がることを利用したものだ。一気に絶対零度付近まで冷却することができる。


 金属では、電場を印加すると電子が加速され、電場の向きを反転させると電子も追随して向きを変えるという性質がある。

 この時、電子が追いつけないほど素早く電場の向きを反転し続けると、電子が止まる。金属の種類によって大きく異なるのだが、大よそ千兆分の数秒ほどの短い間隔で、電場の向きを反転させることで起きる。


 そうすると、電子や原子が動かなくなり、氷のような見た目になる。動かないので、金属の温度が光の照射で上がることも起きなくなり、原子が動かないので金属が壊れる恐れもなくなる。

 その結果、金属に極めて大きな電場を印加できるのである。実に1センチ当たり1億ボルト以上もの電場の印加が可能だ。当然ながら、大出力の魔法術式をそれに乗せることができる。動かなくなった電子と原子に大きな電場というエネルギーが乗る。大出力の魔力を杖に乗せる事が可能になるのだ。後は、魔法回路に魔力を流してやればいい。


 ただ、理論上はそうなのであるが、実際にはなかなか上手くいかない。マライタ先生の作成した杖でも結局、大出力の魔法には耐えることができず壊れている。

 そのため、今回ミンタが音頭をとって、杖の強化に乗り出したという訳である。


 なお、ここでいう『金属』とは、単に鉄や銅などに留まらない。電荷が動ける状態の物質全般を指す。電気が通るのであれば、陶器でもガラスでも、金属という範疇になる。

 一方で、電荷が秩序化して動けない状態の物質全般を『絶縁体』と呼ぶ。例え鉄であっても電気が通らなくなれば、それは金属ではなく絶縁体ということになる。

 さらに言えば、物質中には常時大量の電子がひしめき合っている。電子が自由に動こうとする『運動エネルギー』と、電子が互いに反発し合って動けなくなる『クーロン反発エネルギー』のどちらかが強いかによって、電気が流れる『金属』状態と、電気が流れない『絶縁体』状態に分かれる。 

 これは相対的な関係で決まるので、理論通りに事が進みにくいのだ。


 しかしこの杖のように巨大な電場が印加されると、ツェナー破壊やフロッケ状態という現象が発生して、状況が一変する。

『ツェナー破壊』は、絶縁体が突然に金属状態に変化する現象だ。


挿絵(By みてみん)


 絶縁体では原子核に電子がしっかりと捕えられていて、電子は自由に動くことはできない。だから電気が流れないのだが、『電子が脱出できるエネルギー値』は存在する。しかし通常では、原子内で電子が動いているエネルギー値と、脱出できるエネルギー値とは重なり合わない。

 ところが、巨大な電場が印加されると『空間が歪められて』しまい、互いに近づいてくる。そして、電子が持つ『揺らぎの範囲内』にまで距離が近づくと、『トンネル効果』によって飛び出してしまう。つまり、電子が自由に動き回るようになってしまい、金属化する。


 似たような例を挙げると、雷の発生のようなものだろうか。空気は絶縁体なのだが、巨大な電場が発生することで、突然電気が通りやすくなって金属化する。そしてその道筋に沿って電気の流れである雷が発生する、という現象に似ているといえる。

 こうして、電場を操作することで、絶縁体を金属状態に、思うままにオンオフさせることができるようになる。魔法の術式も同様だ。


『フロッケ状態』はさらに奇妙な現象で、電子が光をまとって通常の性質から『逸脱』する。電子間の反発力と引力とが逆転したり、超電導状態が起きたりする。通常であれば、熱が発生して自己破壊を起こし、フロッケ状態が消失するのだが、熱が発生しないと継続することができる。


 この2つの現象によって、電子が動かなくなった金属が超電導状態に一変して、強力な魔法回路となる。ミンタの狙いはそこにあった。

「うん。予想以上にダイヤと酸化亜鉛からの光を、受信部で電気に〔変換〕できているわね。熱も出ていないし、電気から魔力への〔変換〕も効率が良くなってる。杖にかかる負荷がかなり減ったはずね」

 ミンタが上機嫌で自身の杖の性能確認をしている。

 ペルも確認してみたが、さすがに闇の精霊魔法の特性だけあって、ミンタほど劇的な性能向上は起きていない。

「でも、私の杖もかなり改善できたかな。ジャディ君とレブン君の杖も良い感じだよ」


 ペルがミンタに小声で聞いてみた。

「……ねえ、ミンタちゃん。レブン君を呼ばなかったのって、やっぱり雲さんが気になるから?」

 ミンタが杖に塗っていたシリカに魔法をかけながらうなずく。

「死霊術ということもあるけど、水の精霊に親しいのがちょっとね。森の妖精を食べるくらいだから、レブン君を『食べ物』と認識しちゃうかもしれないのよ。ムンキン君とラヤン先輩を呼ばなかったのも同じ理由。竜族も水に慣れ親しんでいるでしょ」


 雲が含み笑いをして答えた。聞こえていたようだ。

「そうだな。我が星には水の精霊場も乏しい。『取り込みたい』という気持ちは確かにある。呼ばないで正解だっただろうな。うっかり弾みで間違って食ってしまうかもしれぬ。だが、次回からは呼んでも構わぬぞ。君たちの体内水分で、我が学習できたのでな」

「やっぱりそうか」と顔を見合わせるミンタとペルであった。


 ミンタが全員分の杖をまとめて並べていく。シリカのペイントは、すっかり杖に浸透して馴染んでいた。

「それじゃあ、最後の仕上げ。シリカは『シリセン』に魔法で〔変換〕してる。魔法回路をこのシリセンで完全に置き換えた。もう少し様子を見てから、試験運用しましょう」


 魔法の術式を走らせる魔法回路は、杖の全体に渡って網目のように張り巡らされている。

 ダイヤ単結晶と酸化亜鉛から発した光が、杖の受信部で電気に〔変換〕され、その一部は、そのまま杖の中の電池に蓄えられる。電気は魔法で魔力に〔変換〕されて、この魔法回路を走り回っている。電気に魔力を乗せたままでは、杖の持ち主が感電してしまうためだ。


 魔法回路に使われる代表的な素材は、炭素原子が蜂の巣状になって平面構造になっているグラフェンだ。しかし、グラフェンには電荷をかけて、その電界中で電子を操作することが難しいという難点がある。それは魔力でも同様だ。高速化にも大きな制限がある。

 一方で、シリカ原子を同様の構造にしたシリセンには、この難点がない。さらに特筆すべき点としては、電子の一部であるパイ電子の、『見かけ上の質量がゼロ』になることだろう。電子がシリセンの表面限定ながらも光速で移動できる。その状態は、『2次元ディラックコーン電子状態』と呼ばれている。


挿絵(By みてみん)


 ただ、グラフェンと異なり、シリセンはその構造上デコボコしている。そのためにグラフェンのように多層構造を構築しにくい。また、デコボコなので力がかかると局所的に応力がかかり、破壊されやすい。壊れやすい杖で実装することは現実的ではないのだ。


「でも、この杖だったら温度も上がらないし。刀剣のように杖で叩くなんて事はしないから、それほど大きな強度は必要ないはず。普通に使う分には、大丈夫だと思うわよ」

 ミンタが杖の最終検査を終えて、ドヤ顔でペルに微笑む。


 その頃にはジャディも散歩から戻ってきていて、出来上がった自身の杖を手に上機嫌になっていた。しかしすぐに険しい顔になって、ミンタに食ってかかる。

「オイ。魔法の発動までに、時間がかかり過ぎるぞ。こんなノロノロしてたら使えねえぞコラ。何とかしろや」

 ペルも首をかしげて、片耳をパタパタさせながらジャディに同意する。

「うーん……そうだよね。術式の走る速度が、なぜか落ちちゃってる。大出力の魔法は使いやすくなったけど」


 しかしミンタはドヤ顔のままだ。トカゲ型の雲を呼びつけて胸を張った。

「それはそうよ。ペルちゃんたちは3人とも闇の因子が強いんだから。この杖のシステムって基本的に、光の精霊場を電気にして魔力に〔変換〕するから、そこからさらに〔変換〕されることになるもの。当然遅くなるわね。でも、そんなことは想定済みよ。何のために木星に来たと思っているのよ」


 ミンタが全ての杖を回収して、それを雲に手渡す。

「木星は地球よりも太陽から遠いの。それはつまり、より闇の因子が強いということ。あ。もういいわよ。杖に触れてくれただけで充分だから」

 すぐに杖を雲から回収する。そのまま杖をペルとジャディに返す。

「どう?」


 杖を受け取ったペルとジャディの表情が驚愕の色に変わった。

 ジャディが背中の翼を派手にバサバサさせて、ツナギ作業服から見える全身の羽毛を膨らませる。琥珀色の瞳がキラキラと輝いている。

「す、すげえっ! さっきと別物じゃねえかよっ」


 すぐさまジャディが杖を振って、風の精霊魔法を発動させた。

 闇の精霊魔法を帯びた風の〔マジックミサイル〕や、雷を帯びたドリル型の〔旋風〕が、50発以上も真っ暗な宇宙空間へ向けて飛んでいった。それを見送ったジャディが不敵な笑みを浮かべる。

「おう。反応速度が上がったぜ。これならストレスなく魔法を使えるぞ。やるじゃねえかよ、ミンタ」

「当然!」とばかりにドヤ顔になるミンタである。


 ペルも杖の先に〔闇玉〕を数個発生させて、満足そうに微笑んだ。さすがにジャディのように魔法をぶっ放したりはしていない。

「うん。私の杖も良い感じになった。雲さんに杖を触ってもらったのは、杖の構成物質や回路なんかを闇の因子側にするためね。マライタ先生が大深度地下の鉱物や土類を、私の杖に多めに使ってくれたのと同じ仕組みかな」


 ミンタがにっこりと微笑んでペルにうなずいた。

「その通り。でもちょっと違うのよね。それだと私やムンキン君、それにラヤン先輩にとっては不都合になるもの。私たちには闇の因子は、少ない方が良いのよ」

 ペルが「あっ」と声を上げて両耳をピンと立てた。

「『量子的な重ね合わせ』をしたのね。なるほどー」


 イメージとしては、量子コンピュータの仕組みを参考にすると良いかもしれない。2進法で演算する場合、オンとオフの2つの値を用いているのだが、量子演算の場合は、オンとオフの間の曖昧な値も使用できる。

 この場合は、闇の因子が強い杖と弱い杖の、中間の状態にしていることになる。使用者によって、自在に闇の因子が強い状態の杖にすることもできるし、反対に弱い状態の杖にすることもできる。

 ただ、そのままだと不安定になるので、木星の妖精に紐づけて安定化させている。そのために、杖を先程触れさせたというわけだ。雲との〔共有〕ということになる。雲がこの世界に安定して存在しているので、そのおこぼれに預かっていると言えば良いだろうか。


 ジャディには当然ながら理解できないのだが、気にしていない様子だ。

 何か雄叫びを上げながら、木星大気の中を飛び回って、宇宙空間へ向けて魔法を乱射している。ミンタとペルも、ジャディに説明する気はなさそうである。


 ミンタが現在時刻を手元の〔空中ディスプレー〕画面で確認する。

「予定通りに終わったわね。さすが私。じゃあ、『オプション案件』に入るわよ。ジャディ君、そろそろ戻って来なさい」

 嬉々とした顔で戻ってきたジャディに、ミンタが栗色の瞳を向ける。雲のトカゲボディに再び手をかけている。

 すでに木星の地平線も闇に飲まれて真っ暗になり、稲光でミンタの顔が時節、青白く照らされている。時速200キロに達する暴風も相変わらずだ。

「雲さんと『妖精契約』を結ぶつもりはあるかしら? 私はもう結んだわよ」




【サムカの居城跡】

 臨時〔召喚〕の日になった。死者の世界では、サムカが悪友貴族のステワと並んでクレーター湖のほとりに立って眺めていた。対岸までは2キロほどある。


 サムカは〔召喚〕に備えて、いつもの古代中東風の長袖シャツとズボンに、なめし革の柔らかい乗馬用の靴を履いて、銀糸刺繍が施された黒マントを羽織っている。腰ベルトには、やはり無骨な長剣が吊るされていた。


 一方のステワは、サムカよりも数倍派手で高級そうな装いだ。何も知らない人が見れば、ステワとその従者1人としか思えないだろう。肩上までの癖のある鉄錆色の短髪を冬の湿った風になびかせて、ステワが蜜柑色の瞳を好奇心で輝かせている。

「ははは。これはまたスッキリと城が消え去ったな。サムカ卿も、とうとう『宿無し』の身の上か。また近隣諸国の間で有名になれるな。良かった良かった」


 サムカが岸辺に立ち、対岸を眺めながら難しい表情で呻いている。宿無しと指摘されたのが堪えたようだ。彼の錆色の短髪もステワと同じように、水面を吹き渡る風になびいている。

「……まあ、農業生産や畜産用の飲料水の水源としては、かなり使えるだろう。あのドラゴンの魔法適性は生命の精霊魔法だからな。この池の水は、どうやら地下水脈につながっているようでね。このままでは池から溢れ出てくるから、近いうちに排水路を設けるつもりだよ。最寄りの河川に接続して、池の余剰水を排出するさ」

 そして、思い出したかのように隣のステワに指摘した。

「我々アンデッドが触れると、〔浄化〕されるから注意しろよ。間違っても泳がない事だ」


 慌ててステワが空中へ浮き上がった。高級そうな革靴をパタパタ振って、靴底についた土を振り落とす。

「ばっ……馬鹿ものっ。そういう事は最初に言えっ。高価な靴なんだぞ」

 蜜柑色の瞳が混乱のせいで、濁った色合いに変わっている。一方のサムカの乗馬用の革靴は無傷であった。土がついているどころか、クレーター湖の水が足元を洗っているのだが。

 その足元を見下ろしながら、サムカが目を細める。

「タカパ帝国製の靴は大丈夫だな。全く魔法場を帯びていない製品というのも、なかなかに興味深いものだ。ちょっとした〔防御障壁〕になる」


 生命の精霊場を強く帯びた水は、ステワが履いているような闇の魔法場を帯びている靴と接触すると反応してしまう。普通は爆発や発火といった反応だ。事実、ステワの靴底からは、白煙がうっすらと立ち昇っている。

 しかし、サムカが履いているような魔法を帯びていない靴とは反応しない。だが、サムカが体から発している闇の魔法場による〔浸食〕は受けてしまうので、長く靴を履き続けることは無理だ。ボロボロに〔風化〕してしまう。ハグの場合よりは、かなり弱い〔浸食〕ではあるが。


 とりあえずサムカも空中に浮かび上がることにする。靴の縫い目から湖の水が染み込んできては大変だ。10センチほど浮き上がって、空中で大きくふらついた。隣のステワも似たような挙動をしている。

「おっとっと……〔浮遊〕魔術はどうも苦手だな。ステワよ。ふらついて、湖の方向へ迷い出るなよ」


 ステワが手足をバタバタ振り回して、姿勢制御を苦労しながらしている。何とか湖へ流れていく事は回避できているようだ。サムカも湖から距離を取りつつ離れる。錆色の短髪をかいて、小さくため息をついた。

「魔法のホウキの組み立ては、今日中に終えておく方が良いな。さて……」

 サムカが空中に浮かびながらステワの手を取り引っ張って、左岸に視線を移していく。


 左岸にはオーク自治都市の建物が数棟ほどあり、見事に半壊して湖の波に洗われている。ドラゴンが作ったクレーターは、自治都市の一部も飲み込んで破壊していた。

 ドラゴンのブレス攻撃が爆発を伴う種類のものではなかったおかげで、クレーター湖に飲み込まれた部分だけがゴッソリと破壊されている。他の建物はほぼ無傷だ。

 ブレス攻撃による衝撃波が自治都市内を走り抜けていたが、これに対してもそれほど大きな被害は出ていない。生物に対しては別であったが。


 既に瓦礫の撤去が終了していて、40名ほどのオークがゴーレムやスケルトン、ゾンビと共に復旧工事を行っている。その現場指揮をしている執事が、サムカたちの元へ小走りでやって来るのが見えた。


 湖畔から充分に距離を置いたので地面に降り立った2人の貴族が、執事に手を振り返す。サムカが黒マントの中から、小袋に入った金貨を取り出した。

「当面は、無人となった自治都市内の建物に住まうことになるか。執務をする上では、あの半壊した建物を借りても構わないのだが……」

 サムカが腕組みをしながら、波打ち際に建っているオーク自治都市の3階建ての建物を見つめる。確かに半壊していて、外壁がかなり崩れ落ちていた。


 そんなサムカを、横でニヤニヤしながら見つめるステワである。靴底が無事だったので安堵している様子だ。

「生命の精霊場が充満している場所に住むつもりか、サムカ卿は。沐浴もできないぞ」

 悪友に指摘されて、「ぐぬぬ……」と山吹色の瞳を濁らせるサムカ。

「確かにな。となると、やはり定石の通りにするか。オーク住民の墓地が町外れにある。そこの管理棟にでも移り住むとしよう」


 ステワが満足そうな笑みを満面に浮かべて同意する。

「それが妥当だろうな。せいぜい墓掃除を怠らないようにすることだ。サムカ卿の魔力だと、墓に埋葬された遺灰でも『うっかり』アンデッドになる恐れがあるからな。墓場に棲みついているネズミやトカゲなども、『うっかり』アンデッドになりかねない。城とは違って開放的な環境だからな、用心することだ」

 サムカがため息を1つついて肩をすくめる。

「ステワ卿の言う通りだな。用心することにしよう。オークの墓守には、申し訳ないが別の仕事を斡旋するよ」

 ステワがニヤニヤ笑いながら、サムカの肩をポンと叩く。

「『墓守貴族』の誕生に立ち会えて光栄だよ。しかもオークのな」


「当方も光栄ですぜ、旦那」

 いつの間にか、すぐそばにセマンの警備隊長が立っていた。サムカたちを黒い紺青色のよく動く瞳で見上げている。服装はいつもの警備会社の服装だ。黒紅色で癖が強い短髪の先が風に揺れている。


 ステワが驚いたような顔になって、警備隊長を見下ろした。

「本当に気配がないな。これでは、貴族といえどもセマンを捕まえるのは至難の技だ。ステルス部隊さえいなければ、私の城でも雇いたいところだよ。ただ、サムカ卿の城と違って、私の城には重要な書類やら情報やらがあるのでね。そこが難しいところだ」


 隊長が片目を閉じてニヤリとしながら、大きなわし鼻の頭を軽く指でかく。

「警備の本体が、そのステルス部隊でね。そいつを置けない契約は結べないんだよな」

 そして、両目を開けてサムカを見上げる。

「旦那。警備契約の対象だった城が消えちまったんで、当方としては撤退するしかない。お別れの挨拶にきた」


 サムカが山吹色の瞳をいったん閉じてから開き、隊長に向かいあう。

「……そうなるな。君の部隊では死傷者は出なかったかね? 〔回復〕や〔蘇生〕魔法はかけてやれないが、心的外傷であれば、記憶の〔消去〕などの処置をすることはできるぞ」

 隊長がにっこり笑って、左手を振った。

「ご心配なく、旦那。全員、無事ですぜ。むしろ、会社としては『ドラゴンによる攻撃が記録できた』って大喜びってところで」


 それには大いに同意するステワである。蜜柑色の瞳を閉じて、何度もうなずく。

「そうだな。王国連合軍の貴族どもも、調査にやって来るだろう。死者の世界でドラゴン出現とか、久しく起きなかった事件だ。ちょっとした観光地に、なるかも知れないな」


 その予測には、表情を険しくさせるサムカであった。貴族がワラワラやって来ると、必然的に対応しなくてはならなくなる。

 そのようなサムカの表情を愉快そうに見上げていたセマンの警備隊長が、1枚の書類をサムカに提出した。

「契約終了の通知でさ。もちろん、新たな警備契約は歓迎なんで、よろしく御贔屓に」

 そのまま、さっさと背を向けて去っていく。数歩も歩くと、その隊長の姿が消えた。同時に気配も全く失せてしまう。


 改めて感心しながら、その背中を見送ったサムカだ。受け取った書類を長袖シャツの胸ポケットに入れる。

「墓の管理棟の警備ではなあ……城が再建するまでは無理だろうなあ」

 ステワもニヤニヤしながら、肩をすくませる。。

「我々貴族としても、見栄というものはあるしな。せいぜい立派な城を再建することだ、サムカ卿。警備会社が警備するに値するような城にな。間違ってもオークの墓の物置小屋ではないぞ」



 警備隊長と入れ替わるように、執事が息を切らせてやって来た。

「旦那様、ステワ・エア様。わざわざのお運び、恐縮でございます。警備会社の撤退の件は、残念でございました」


 サムカがやや険しい表情になって軽く腕組みをした。

「仕方あるまい。このブレス攻撃を目にしては、撤退するのは正しい判断だよ。それよりも……」

 サムカが執事の肩をポンと叩いた。今の服装は執事服ではなく、作業に耐えることができるような丈夫な野良着である。既に結構な土汚れが付着しているのだが、サムカはお構いなく手袋をした手で触れている。 

 横でステワが、やや呆れた笑顔で見守っている。特にコメントする気はない様子だ。


 恐縮している執事にサムカが申し訳なさそうな口調で話を続けて、金貨が入った小袋を手渡した。

「オーク住民の死者の葬儀費用と見舞い金だ。私も葬列に参加したいのは山々だが、領地持ちの貴族では、そうもいかぬ。これで我慢してくれ。次に気にかかるのは被災者の精神面だが、継続して経過観察を続けてくれ。急性の心的外傷は〔治療〕してあるが、数日後に発症する場合もあるそうだからな」


 執事が片膝を深く曲げて、禿げ頭を伏せて立礼をした。小袋を両手で大事そうに抱えている。

「もったいないお言葉でございます、旦那様。経過観察の期間は、数週間ほど取ると致しましょう。このような狼藉を働いたドラゴンに懲罰が下されれば、我らの留飲も多少は下がるものでございますが……」

 サムカがステワと視線を交わして、再び執事の肩に手を乗せる。

「国王陛下とハグを通じて、ドラゴン世界への抗議は済ませてある。だが、くだんのドラゴンはどこかへ逃亡して行方不明なのだ。しかし、指名手配済みだから、再度襲来するような事にはならないはずだ」


 サムカの説明にステワが補足説明する。

「何せイモータルだからなあ。『絶対の不死』だ。それこそ、ブラックホールにでも放り込んで〔封印〕しないと、どうしようもない。もしくは元素〔転換〕させて石や樹脂にするか。その準備中に逃げ出したようでね。今頃はどこかマイナーな異世界か、世界と世界の狭間あたりに潜んでいるのだろうよ」

 魔法が使えないオークの執事には、よく理解できない説明であったが、素直に頭を下げた。

「手を尽くしてくださり、もったいなく存じます。それだけでも、我々にとっては嬉しいことでございますよ、旦那様、エア領主様」


 ステワがキラリと蜜柑色の瞳を輝かせて、執事に教える。

「まあ、悪い事ばかりではないさ。このクレーター湖は、今後の農作物の収穫や家畜生産に有益になるだろうからな」

 しかし、執事は恐縮したままで肩をすくめるだけだった。

「長期的には、そうなるでございましょう。ですが短期的には、かなりの損失になります。酒造所が壊滅いたしましたし、養鶏場などの被害も大きいのでございます。家畜総数の約2割が喪失しております故。それに、この湖の水を飲んだ住人や家畜が寝込んでおります。作物に散布すると枯れるようですし。なかなかに面倒な事態かと」


 酒造所の醸造タンクや熟成タンクが、ドラゴンの攻撃と共鳴してしまったようで、発酵や熟成用の微生物が暴走し、タンクが破裂してしまったのだった。生命の精霊場を操るドラゴンであったので、生命に対する被害が大きくなるのだ。他の被害も同様の理由である。似たような事はパリーの暴走時でも、〔妖精化〕という現象で起きている。


 先程まで楽観視していたサムカが、執事の報告に少なからずショックを受けてしまった。

「そ、そうなのかね? 生命の精霊場が強い水だから、君たちには有益ではないかと思っていたのだが……」


 一方で、穀物庫や冷凍冷蔵庫での被害は軽微だった。

 液体を収めたタンクではなかったので、倉庫容器が破裂するようなことは起きず、せいぜいカビの発生程度で終わっている。カビは既に毒素も含めて、サムカと騎士シチイガの手によって〔消去〕されていた。

 家畜舎は、悪臭問題と家畜が発する生命の精霊場の問題で、城から最も遠い区画にあった。そのおかげもあって、ドラゴンの攻撃からも遠くなり、結果として生存率が高くなっている。しかし、その後の飲料水問題で、バタバタと家畜が倒れてしまったそうだ。死んではいないようだが。


 一通りの報告を聞いたサムカが大きく肩を落として、隣のステワの肩に手を回す。

「現状では、喜んでいるのは清掃獣だけか。倒壊した家屋の瓦礫をかなり廃棄処分したようだからな」

 サムカが少し自嘲気味にステワに話す。魔族の襲撃事件も近隣諸国の間に知れ渡っていて、師匠のテスカトリポカ右将軍からの、お見舞い半分、からかい半分の手紙を、ステワから受け取ったばかりだ。


 執事が頭を上げて、サムカに杏子色の瞳を向けた。

「旦那様。幸い、貿易の収益が、来週の初めに口座へ入金される見込みでございます。それを担保に、復旧工事の融資と、作業員への見舞金を、ピグチェン・ウベルリ様から受けることができます。商契約の書類もほぼ全て無事でございますし、これによる損失もないものと」

 サムカが錆色の短髪を片手でかく。

「うむむ。ピグチェン卿への手紙も新たに書かねばならぬな。我が領では、一時的に失業者も出るであろうから、その臨時仕事の斡旋要望も……だな」


 ステワがニヤニヤしてサムカの黒マントをポンと叩く。

「良かったな、サムカ卿。御前試合のサンドバック役を引き受けて正解だったじゃないか」


 御前試合自体は右将軍が言っていた通りの余興扱いだったので、特に混乱や事件も起きずに終わった。ただ、ステワやピグチェン、それに師匠の技の見栄えを良くするための練習台として、サムカが数回ほど相手をしていたのだった。

 サムカも固い笑みを口元に浮かべた。(不思議な因果だな……)と思う。


 その後、執事から復旧現場の最新報告を受けて、指示をいくつか下した。家を失ったオーク住民もいるので、彼らへの仮設住居の手配や、食事などのサービス関連に集中している。

「かしこまりました。旦那様。では、私は再び現場へ戻ります」

 執事が深々とサムカとステワに礼をして、現場へまた駆け戻っていった。


 執事の後ろ姿を見送りながら、ステワが懐中時計を懐から取り出して時間を確認した。ついでにもう一度、靴底の状態も確認する。

「〔召喚〕まで、まだ少し時間があるな。どうだい、私の領地の森で狩りでもするかね? ちょうど、流れのマンティコラが数頭やって来ているようでね」


 サムカもとりあえずの仕事を終えたので、素直に同意する。騎士シチイガにいくつか指示を〔念話〕で送ってから、山吹色の瞳を細めた。

「そうだな。槍は手入れの最中だから使えないが、まあ、この剣だけでも楽しめるだろう」


 騎士シチイガが城から急いで武器や魔法具などを〔転移〕でまとめて避難させたので、互いに魔法場の〔干渉〕が起きて、傷がついてしまったのだった。今は責任をとって、騎士シチイガ自ら武器や魔法具の〔修復〕作業を行っている。


 ステワが残念そうな顔になる。〔転移〕魔法陣を、自身とサムカの足元にそれぞれ出現させた。

「サムカの騎士にも会って、冷かしてみようかと考えて来たのだが……あいにくと忙しいようだな。また次回に持ち越すことにするか。ああ、そうそう。私の誕生パーティも間もなくだ。サムカ卿が〔召喚〕を終えて戻るまでには、公式の招待状を届けるよ」




【ステワ卿の領地】

 エア領主のステワは、サムカと違い農業や畜産といった産業には関心が薄い。

 彼の領地は街道の要所に位置することもあって、ファラク王国連合内でも有名な物流拠点である。サムカの領地と同じく、乾燥した亜熱帯の大森林に覆われており、生物も多い。しかしながら農業に適した平地に乏しく、大地も岩石質だ。地下水の水脈もこの岩石質の大地のせいで弱いため、飲料水や清掃で使う水資源も乏しい。


 ステワに言わせると――

「私の大地の不毛さのおかげで、サムカ卿の大地へ水が回り込んで豊潤な大地になっているのだ。感謝しろよ」

 ……という事になるそうだ。しかし、森の規模はサムカの領地よりも大きいので、あまり説得力はない。単に、開墾するのを怠けただけだろう。


 岩石質の領地の利点は、街道の敷設が容易だという事だ。岩を砕いて街道の基礎を整えれば、あとはセメントやアスファルトのような材料を用いて、丈夫な道路が出来上がる。地盤が堅古で地下水が少ないので、メンテナンスも容易だ。


 同様に、建築物を建てる際でも基礎工事が楽になる。そのため、巨大な倉庫や車庫が彼の領地に集中することになった。

 ステワの領地では、倉庫や車庫の貸し出し手数料だけで領地経営ができてしまう。となれば、なおさら手間暇かかる開墾は、する気にならなくなるのも道理だろう。結果として、ちょくちょくサムカの所へ遊びに来るような始末になっている。


 広大な森が、ほぼ手つかずで放置されている……ということは裏返せば、『魔族の巣』にもなっている事でもある。近くに広大な農地と家畜を有する土地があれば、そこへ略奪に向かいたくなるのは、魔族でなくとも自然な流れだろう。

 しかし、サムカもステワもこの広大で乾いた森をどうにかしようとは考えていない。焼き払うことも当然可能なのだが、そうしてしまうとワニなどを狩る楽しみがなくなってしまう。


「因果なものだな、まったく……おっとっと」

 サムカが錆色の短髪をかきながら、ステワ領の広大な森の上空をフラフラと〔浮遊〕していく。隣ではステワもフラフラと浮かんでいる。

 2人とも槍や弓などは持っていないし、それどころか従者も連れていない。しかも、風にかなり流されているようだ。


挿絵(By みてみん)


「狩りは『貴族のたしなみ』だからな。それも基礎中の基礎のたしなみだ。っとっとっと」

 ステワがニヤニヤしながら、意味もなく胸を張る。彼はサムカと違い、長剣も携えていない。完全に手ぶらだ。サムカが腰に両手を当てて、とりあえず同意する。2人ともにゆっくりと風下へ流されている。


 その流されていく方向にはステワの居城があって、森の中から塔部分が何本か見えていた。サムカの旧居城の10倍くらいの大きさだろうか。周辺には倉庫と思しき巨大な建物が10棟余りあって、その屋根が森の木々の間から見える。


 ステワが先程から自身の使い魔やシャドウからの哨戒報告を受けていたが、すぐに獲物の位置をつかんだようだ。サムカに蜜柑色の瞳を向け、再び自身とサムカの足元の空間に〔転移〕魔法陣をそれぞれ出現させる。

「それじゃあ始めるか。私は手ぶらなので、見物を決め込むことにするよ。存分に狩ってくれたまえ、テシュブ家の当主殿」

 サムカが腰のベルトに吊るしている長剣を音もなく抜き放ち、銀糸刺繍の施された黒マントを背中に回して、剣を肩に担ぐ。

「まあ、マンティコラだしな」

 そのまま、〔転移〕した。


 次の瞬間。サムカとステワが森の中に出現する。その目の前、数メートル先に獲物がいた。すぐに反応して、その凶悪な顔を向けてくる。口元は血まみれだ。

 ステワが放っていたと見られる数匹のコウモリ型魔族が捕えられていて、既に体の半分以上を食べられてしまっていた。残骸が森の腐葉土の上にばら撒かれている。シャドウも数体ほどやられてしまったようで、周囲の大木に爆発の跡が生々しく残っていた。


 マンティコラの姿は、赤い毛皮のライオン型の胴体に、凶悪な形相の猿顔。長い尾はサソリ型で、先端に鋭い剣のような毒針がついている。猿顔を大きく引き裂いたような巨大な口には、三重になった櫛型の歯がズラリと並んでいるのが見える。

 尾を除いた胴体の長さは3メートルほど。尾の長さは5メートル弱にもなるだろうか。その尾を森の中で優雅に振り回しながら、マンティコラが赤黒い瞳をサムカに向けた。

「貴族か。我と戦うか」

 流暢なオーク語でサムカに話しかけてくる。同時にマンティコラの周囲に、30個もの〔オプション玉〕が一斉に発生した。目には見えないが〔防御障壁〕を幾重にも展開したようである。更に〔影〕をいくつも走らせてサムカとステワを捕えようとしたが……これは失敗に終わったようだ。


 サムカが長剣を右肩に担いだままで、地面に降り立つ。乾いた岩がちの地面に堆積していた、落ち葉や小枝などが一斉に舞い上がった。それらが空中で塵になっていく。サムカの魔力に当てられたのだろう。その場所が一気に塵になって〔風化〕していく。

「……ふむ。通常のマンティコラか。小物ゆえ見逃しても構わぬが、その場合、この森から出て行ってもらう事になる。私としては100年後ぐらいに再会した方が、狩りを楽しめると思うのだが……どうかね?」


 マンティコラの赤黒い瞳が凶暴な光を帯びた。しかし同時に〔オプション玉〕が全て消滅する。さらに〔防御障壁〕も全て破壊されてしまった。

 驚愕の表情を浮かべる猿顔のマンティコラに、サムカが穏やかな声のままで話を続ける。剣はまだ肩に担いだままだ。

「君では、私には勝てないよ。このまま逃げるのであれば、追撃はしないと約束するが。どうするかね?」


 しかし、マンティコラは口をさらに裂いて笑みを浮かべるだけだ。

「笑止。我に勝てる貴族など居らぬわ!」

 叫ぶや否や、金属質のけたたましい笑い声を上げて、サムカに飛びかかっていく。頭上からはサムカの長剣とほぼ同じ刃渡りの毒針が、〔テレポート〕して振り下ろされた。土中からは水晶の弾丸が、30発も湧き上がって放たれる。


 それを苦もなく全て回避するサムカ。毒針と水晶弾丸にまとわりつく衝撃波もサムカに届くことはなく、直前でかき消されて、黒マントの銀糸刺繍のついた裾を揺らすこともできなかった。


 そして、サムカの真横5メートルの所に生えている、胸高あたりでの直径が2メートルある大木を袈裟切りに両断した。


 絶叫が大木の幹から上がった。

 両断面から血吹雪が舞い上がり、臓物や筋肉組織、それに骨の破片が森の中に撒き散らされていく。返す刀で、追いすがって襲ってきているマンティコラの猿首を刎ね飛ばす。一瞬遅れて〔テレポート〕してきた毒針を、長剣で受け止めもせずにカウンターで斬りつけ、その衝撃波で粉砕した。


 まだ空中を飛んでいる猿頭と、断末魔の痙攣を始めたマンティコラの胴体を、〔闇玉〕を放ってごっそり〔消去〕する。残った破片が赤い毛皮ごと爆発したが……大きな火球に成長する前にサムカが連続して放った小さい〔闇玉〕に飲まれて〔消滅〕した。爆音だけが森の中に轟く。


 長剣を鞘に納めて、黒マントを元に戻すサムカ。返り血などの汚れは1滴も衣服に付いていなかった。既に、細かい破片しか残っていないマンティコラに山吹色の瞳を向ける。残念そうな表情だ。

「……だから言っただろう。実体のある〔分身〕魔術で私を襲って、本体は木に〔擬態〕。毒針を〔テレポート〕しての死角から襲い掛かるという算段だったのだろうが……浅はかだったな」

 そして、寛いだ表情で見物していたステワに顔を向けた。

「森への被害は、できるだけ抑えたつもりだが。許容範囲かね?」


 ステワがニヤリと笑う。

「ここには森の妖精はいないからな。文句を言う奴はいないよ。この辺りの〔ログ〕は押さえてあるから、後で気が向いたら〔修復〕しておくさ」

 そして、懐中時計を再び取り出して時刻を確認する。

「うむ。そろそろ時間だな。少しは気分転換になったかい? サムカ卿」


 サムカが山吹色の瞳を細めて微笑む。同時に<パパラパー>といういつものラッパ音がどこかで鳴った。

「まあな。では行ってくるとするか」

 そのまま、水蒸気の煙が<ポン>と立ち昇って、サムカの姿がかき消された。さすがに今はもう、周辺を巻き込んでの〔召喚〕は起きていない。


 ステワも軽く背伸びをして、森の上空を見上げる。

「……さて。私も仕事でもするか。サムカ卿が貿易を成功させたせいで、物流がにわかに活気づいて困る」




【校長室】

「おお。成功だ、成功だ」

 〔召喚〕先は今回も教員宿舎内の校長室だった。水蒸気がすぐに晴れて視界が利くようになり、部屋の中を見回すサムカである。

 今回の校長室には、校長と羊の他に、ドワーフのマライタ先生、ノームのラワット先生の姿があった。2人とも完全に野外作業用の野良着である。(先生の姿よりも、こちらの方がはるかに似合っているな……)と思うサムカであったが、口には出さない。


 サラパン羊が2人の先生から何か包みをもらって、眠そうな顔でそのまま校長室から退出していった。中身は詮索するまでもないだろう。一応、サラパン羊がサムカにも手を振ってドアを閉めた。

「んじゃあ、私はこれで。〔召喚〕時間はいつもの通りだから、ごゆっくり」

 冬毛がより一層伸びているせいか、前回見た時よりも羊の体が一回り程大きく膨らんでいるような気がする。


 それについても、特にコメントするつもりはない様子で、サムカが校長に顔を向けた。

「シーカ校長。先日の〔召喚〕では、せっかくの発掘物を全て失ってしまった。それなりに装飾も施されていた刀剣類だったのだが、申し訳ない事をした。アイル部長にもそう伝えておいてくれないか」


 実際は、それほど装飾と呼べるような装飾は施されていなかったのだが……サムカの気持ちだろう。校長が残念がりながらも了承する。そして、白毛が交じる頭を軽く手でかいて両耳を数回ほどパタパタさせた。

「お気遣いありがとうございます。ですが発掘物よりも、先生方の安全が最優先ですよ。何かの罠の一部だったと、カカクトゥア先生とラワット先生から伺っていますので、お気になさらず」


 そして、校長室に掃除用のアンドロイドを数体入室させた。一目でドワーフ製だと分かる、酒樽に丸太の手足が生えたかのような姿だ。すぐにアンドロイドたちが〔召喚〕魔法陣の掃除を始め、供物の撤去を行う。

「今回の〔召喚〕は、教育研究省とは関わりがありません。ドワーフとノーム政府からの要請ですので、掃除も彼らにやってもらいます。私はあまり乗り気ではないのですが」


 マライタ先生が、隣に立っているノーム先生と苦笑気味に視線を交わす。煉瓦色のクチャクチャに癖の強い赤髪を、無骨な両手でワシャワシャとかき混ぜながら愛想笑いを浮かべている。頑丈そうな手袋をしているので、余計に髪が四方八方に向かってしまった。

「そんな堅い事言うなよ。きちんと政府間を通じて、話は通してあるんだからよ」


 マライタ先生がサムカに顔を向けて、下駄のような白い歯を見せる。

「多分、〔召喚〕時間いっぱい使うことになる。何か用事があるなら、今のうちに片付けておいてくれ」


「うむ」とサムカが生徒たちあてにメールを打ち始めた。

 今は授業時間中なので、会って話をすることは避けるべきだろう。先日のリベナント騒動ではサムカが調整を間違えたせいで、危うく死者が出る寸前になってしまった。その謝罪文を送信するサムカであった。一応は貴族の署名つきなので、このメールでも公式文書となる。


 次いで、サムカ熊の術式修正が、きちんと機能しているかどうかを確認する。熊人形は校長室には来ておらず、今は教室のロッカーの中に収納されているのだが通信回線はつながっている。

「……うむ。問題なさそうだな。これ以上、熊人形が暴走したり、生徒の保護を怠たる事は避けなくてはならん」


 マライタ先生が黒褐色の瞳を輝かせて、サムカの黒マントの上から背中を≪バン≫と叩いた。サムカの〔防御障壁〕は排除機能の例外措置を、マライタ先生はじめ生徒や先生たちに設定しているので何も起きない。ただ、まだエルフ先生やパリーのような、強烈で異質な存在に対しては不十分なままだが。

「まあ、オレやラワット先生、それにカカクトゥア先生も、熊人形に安全装置を取り付けているから、これまでのような大暴れや無視はできないさ」


 ちなみに、今も通常の授業が予定よりも遅れているので、その補習授業や実習が優先されている。サムカの担当する授業は選択科目扱いにされているので、かなりの時間はロッカーの中で待機だ。


 間もなくして、教え子たちからメールの返信が届き始めた。それらを読んで恐縮している様子のサムカである。それらを一通り読み終えてから、サムカが山吹色の瞳をマライタ先生とノーム先生へ向けた。

「待たせたな。用事は済んだよ。それで、どんな手伝いをすれば良いのかな」




【ドワーフ政府の野望】

 アンドロイドたちによる校長室の掃除と片付けが終了したので、彼らを外の廊下へ退出させるマライタ先生。

 次いでポケットの中をごそごそ探して、発信機のような手の平サイズの器械を3つ取り出した。それをノーム先生とサムカに手渡して、機能の確認を手早く済ませる。

「ワシは魔法が使えないからな。ちょっと面倒だが、我慢してくれ。よし、いけるな」


 そして、興味深そうに器械を見つめている校長に顔を向けて、クチャクチャな赤髪を再び両手でかく。さらに髪型が独特になっていく。

「シーカ校長には、気分を害する話になるんだが……まあ、我慢して聞いてくれ」


 校長が怪訝な表情になって、首と片耳をかしげる。しかし特に何も言わないので、マライタ先生が話を続ける。

「武器の強化に必要な素材探しの件なんだがね……やはり地球では見つからないようだ。地球のコアまで掘って探せばあるかもしれないけどな。それはちょっと面倒だし、地球に何か起こす恐れもある」

 マライタ先生が更に髪をかく。

「テシュブ先生が金星で実習しているのに乗じて、ワシも金星の地質調査を軽くやってみたんだが……現地の妖精や精霊に見つかって妨害されてしまった。かなり凶暴だな。それで次に、他の太陽系惑星も当たってみた……んだが、やはり見つからなかった。地球よりも大きな岩石惑星は太陽系にはないからな、当然と言えば当然の結果なんだが」


 校長の表情に険しさが見えてきた。色々と問い正したい内容の話だったようだ。

「……それはつまり、この『獣人世界の太陽系』ということですよね」


 マライタ先生が半分開き直った笑顔を見せて、ニッカリと下駄のような白い歯を見せる。

「金星については、ドワーフ政府がめげずに無人調査隊を送り込むそうだがね。こいつはタカパ帝国も乗り気だそうだから、調査を続けると思うぞ。どうも金星の妖精や精霊を激怒させているみたいだが、まあ気にせずともよかろう」


 サムカがようやく、「あ」と口を開いた。ノーム先生に至っては肩を少し震わせて、笑いを堪えているようにも見える。この2人もそれだけで他に何も言わない。

 マライタ先生が完全に開き直った表情になり話を続ける。

「実は、以前はタカパ帝国にも秘密で、この獣人世界の『宇宙探査』をちょっとやってたんだよ。幸い、ドワーフ世界と獣人世界の宇宙構造が、ほぼ同じだったんでね、ドワーフ世界の星域資源地図を参考にできた」


 さすがにサムカもジト目気味になってきた。

「なるほど……『宇宙1つ分の資源を確保する』ことが、ドワーフ政府の目的だったか」

 特にこれ以上の批判や非難をするでもなく、普通に納得する。

「今までの警戒システムの無料構築や、魔力サーバーの設置と調整、校舎の無料補修なども、それが目当てであれば取るに足らないサービスだ。もしかすると死者の世界でも、どこかの貴族や王国に取り入って同じような事をしているのかもしれないな」


 サムカのつぶやきに、マライタ先生が赤いゲジゲジ眉を上下させる。

「宇宙1つ分の資源だからな。そりゃあ、タカパ帝国には大盤振る舞いするさ。だが、死者の世界についてはワシは知らないぞ」


 素直に信用するサムカである。

「ふむ。そうなのかね。まあ、死者の世界で採掘していれば、魔族やオーク王国が活気づくだろうからな。まだ手付かずなのだろうね」

 ここでサムカが小さく咳払いをした。

「ああ、すまん。話が脇道に逸れてしまったか。マライタ先生、本筋の話を進めてくれ」


 マライタ先生が白い歯を見せた。

「おう。それで、太陽系の外ではあるんだが、同じ天の川銀河の中にある『中性子星』が素材採掘場として最有力……という推論に至ったんだよ。近隣の星では一番近くて安定している星だ。だけどな、普通の手段では採掘できない。そこで、テシュブ先生とラワット先生の助けを求めた……って次第だ」


 ノームのラワット先生が銀色の口ヒゲを片手でつまみながら、興味深そうに小豆色の瞳を輝かせる。

「……なるほど。中性子だけで構成されている星だからなあ。星に降り立った瞬間、我々の体も強制的に中性子にされて、星の一部にされてしまうね。しかし僕を呼んだという事は、その星には精霊か妖精が棲んでいるということかい?」

 ドワーフのマライタ先生が下駄のような白い歯を見せっぱなしで笑う。

「その可能性がかなり高い。安定しているって言っただろ。その手の連中が棲んでいるから……と考えた。いるとすれば大地の精霊か妖精だ。彼らと交渉して、星の表面物質を少し分けてもらうという計画だ」


「なるほど」と納得するノーム先生とサムカ、それに校長である。正確に理解できているのは、ノームのラワット先生だけのようだが。


 〔エネルギードレイン〕魔法でも使う中性子だが、原子の構成要素の1つである。原子は中性子と、プラスに帯電している陽子、マイナスに帯電している電子から構成されている。

 巨大な重力がかかると、原子が押し潰されて、陽子と電子が強制的に『結合』してしまう。結合後は中性子として振る舞うことになる。

 こうして中性子だけの物質になってしまうのだが、電気的な反発力が中性子にはないので、重力に従ってそのまま集まっていく。それが大量に集まって星になったのが中性子星だ。


 今回ドワーフのマライタ先生が見つけた中性子星は、直径が30キロほど。太陽くらいの星が押し潰されてできたものだ。質量も太陽とほぼ同じで、密度が非常に高いので、宇宙でもかなり堅く丈夫な素材ということになる。


 ノーム先生がこのような簡単な説明を校長とサムカにする。あまり理解していない様子に少し落胆したようだが、気を取り直して疑問点をドワーフのマライタ先生に投げかけた。

「だが、中性子物質は4つの中性子が互いに共鳴してまとまっている『テトラ中性子共鳴構造』でないと使えないぞ。最低でも3つが共鳴している必要がある。それ以外の中性子物質は、地球上では瞬時に分解して消滅してしまうはずだ。それに、強烈な放射線も放っている。我々が触れることは不可能だと思うのだが」


 そう言いながら、答えに自力で達したようだ。小豆色の瞳を点にして、両手を「ポン」と叩くノーム先生である。

「……そうか。中性子星の精霊か妖精と契約して、我々が扱えるように『便宜を図ってもらう』のか」


 ニッコリと笑うドワーフのマライタ先生。赤いクシャクシャ髪とヒゲがワサワサと一緒に揺れている。

「察しが良くて助かるよ。テシュブ先生の熊人形が、大深度地下の妖精と『妖精契約』しただろ。あれと原理上は同じだ」

 そして、そのままの笑顔でサムカの顔を見る。

「テシュブ先生には、我々が交渉できるように魔力支援を頼みたいんだ。冷たい太陽の表面に立つようなものだから、重力が半端ない。放射線も即死強度だ。空気もないしね。ワシらが中性子化されるのも防いでもらわないといけない」


 サムカの顔が曇った。腕組みをして、両目を軽く閉じる。

「うむむ……〔召喚〕された状態の身では、使用できる魔力は大きく制限される。私だけでは負担できないかも知れないな」

 そのサムカの錆色の短髪頭に「ポテ」とハグ人形が落ちてきて、あぐらをかいて着地した。

「面白そうなことをしているじゃないか。ワシもまぜろ」


 どうやら、これで準備は整ったようである。マライタ先生とノーム先生の笑顔が弾けた。森の中の酒樽を手入れにしに行く時のような、素晴らしい笑顔になっている。


 校長もハグ人形の登場で説得を諦めたようだ。ジト目ながらも軽く微笑んで、両耳をパタパタと数回動かす。

「……仕方がありませんね。ハグ様が同行するのであれば、まず、安全は確保できたと見るべきでしょうし。それでも、くれぐれも無茶はしないでくださいね。これ以上、学校の授業時間割を組み替えるのは、誰にとっても喜ばしい事ではありません。特にラワット先生、くれぐれも無茶は控えてください」


 これ以上授業が遅れてしまうと、生徒への補習や実習授業の負荷が限界に達する恐れがある。既に、リーパット党のような下位成績の生徒たちには深刻な問題だ。履修不足による『留年』も現実味を帯びかねない。


 ドワーフのマライタ先生がニコニコしながら、ハグ人形に手の平サイズの器械を手渡そうとする。それを口をパクパクさせながら断るハグ人形だ。

「サムカちんが先に〔転移〕してくれればいい。あ。闇魔法じゃなくてウィザード魔法の〔テレポート〕を使うのか。どちらにせよ、ワシはサムカちんの後から追いかけるよ。多分、ワシの魔力だと、その器械が浸食されて動かなくなるはずだからな」


 マライタ先生とノーム先生が顔を見合わせて首をかしげる。

「ハグ人形自体には魔力はないはずだけどな。ただの人形を空間転移させるだけだから、この器械でも問題ないと思うんだが。うさん臭い〔テレポート〕魔術や魔法なんかは使わないぞ」

「左様。あったとしてもテシュブ先生の魔力に対応できているから、機能すると思うけど」


 それに対しては、サムカが代わりに答えた。

「ハグ人形自体は魔力のない人形なんだが、〔操作〕しているのは異世界にいるハグ本人だ。人形の位置座標がいきなり変わると、見失う恐れがあるのだよ。そうなると、人形は動かなくなってしまう。その間に我々に何か起きた場合、対処できない。私が先にウィザード魔法で〔テレポート〕しておけば『移動先の座標』が分かるから、見失う恐れはなくなるのだよ」

 ハグ人形がサムカの頭の上で、「ポインポイン」跳ね飛びながら肯定する。

「まあ、そんなところだ。時空間に関わる魔法だからな、ちょっとした事で因果律にも触れてしまうんだよ。一緒に〔テレポート〕してしまうと、下手をすると因果律崩壊を起こしてしまって、オマエさんら全員が〔ロスト〕してしまう」


 再び顔を見合わせるマライタ先生とノーム先生。校長もキョトンとした顔だ。それでも、とりあえずは『良くないことが起きる恐れがある』という事は察した様子である。

 器械を自身のポケットの中に戻すマライタ先生。

「それじゃあ、先に転移するか。繰り返すが、魔法なんか使わないぞ。ハグさんは現地集合ってことで良いんだな」

 そして、校長に白い歯を見せた。

「んじゃ、行ってくるぜ。とりあえず数歩ほど後ろに下がってくれ。巻き込む恐れはないが、一応な」


 校長がその通りに後ろへ下がって校長机の後ろに立ったのを確認し、手の平サイズの器械を起動させる。

 次の瞬間。静電気が校長室を包んで3人の姿が消えた。



 部屋に残された校長とハグ人形は、揃って全身の毛皮と毛糸が逆立ってしまっていた。ジト目になって、それでも文句を言うこともなく毛並みを整える校長である。ついでにハグ人形の毛糸束にもブラシをかける。

「用事を早く済ませて戻ってきて下さいね、ハグ様」


 ブラッシングを終えたハグ人形が手足をブンブン振り回して、大きくうなずいた。以前の縫いつけであれば頭が吹っ飛んでしまいそうな勢いだが、しっかりと胴体にくっついている。

「空間の亀裂を辿る方式での、空間移動というのは興味深いな。ドワーフに言わせると『ワープ』というらしいが。ワシもできるだけ早く戻るつもりだ。ん。座標が分かった。じゃあ、後で会おう」


 ハグ人形も姿を消した。これは闇魔法による〔転移〕なので、静電気は発生しない。その代わりに校長室が一瞬だけ暗く陰ったが。

「ふう……」と一息つく校長である。

「本当に、これ以上の問題は起こさないで下さいよ」




【中性子星の人工衛星】

 ハグ人形が〔転移〕した先は、重力のある部屋の中だった。キョロキョロと周囲を見回して、頭をひねっている。

「ん? 宇宙空間ではないな。どこだここは。む。太陽から9万光年も離れておるではないか。まあ、確かにそれでも天の川銀河の中ではあるが」

 サムカとノーム先生も到着したばかりなので、ハグ人形と同じ疑問を抱いているような顔をしている。


 マライタ先生がガハハ笑いをして、部屋の壁を≪バン≫と叩いた。

「我がドワーフ政府が作った、深宇宙探査船の中だよ。ワシらに先立って、目的の中性子星の衛星軌道にワープさせておいた。ここで降下準備をしておこう。テシュブ先生にも現場の状況を知ってもらった方が良いだろうしな」


 サムカが納得して腕組みしている。空調が効いているようで、黒マントの裾がゆったりと揺れている。

「まあ、そうしてくれると、〔防御障壁〕の調整ができて助かるが……深宇宙探査船かね。かなり本気で資源採掘しようとしているのだな」

 ノーム先生も銀色のあごヒゲを片手で捻りながら、垂れ眉を上下させた。三角帽子は、背中の襟に引っかけている。

「しかも、有人仕様か。移住も視野に入れてるだろ」


 マライタ先生がガハハ笑いを続けながら機器類の操作をしていく。この中性子星の観測を始めた。

「移住というか『バカンス先』みたいだけどな。ワシらドワーフ世界では、銀河系内は開拓し尽してしまっていて、秘境ツアーみたいなのができないんだよ。そうだな、『プライベートビーチみたいな場所がない』って言えばいいか。魔法世界やノーム、エルフ世界でも、こっそりやってるみたいだぞ」


 ノーム先生がジト目になった。

「おいおい……それって完全に獣人世界への侵略行為なんだが。しかも僕のノーム世界でもやっているのかい? 今の話は聞かなかったことにしておくよ」

 サムカとハグ人形も、ノーム先生に従うことにしたようだ。とりあえず今は、中性子星の環境情報を詳細に調べることが先決である。


 それには、もうしばらくの間、時間がかかるということなのでマライタ先生が雑談を続けることになった。

 手の平サイズの器械は、ワープ用のものだった。『ワープ』は空間の亀裂を伝って、任意の座標へ瞬間移動する科学技術である。空間の亀裂それ自体は、絶えず発生と消滅を繰り返しているのだが、確率操作によって意図する亀裂を選択して利用している。


 本来ならば、情報エネルギーをワープ先へ送って実体化させれば安全なのだが、この手法はかなりのエネルギーと費用を要する。マライタ先生が有する装備や設備では、不足するので使えないのだ。

 従って、より安価で手軽な『本人によるワープ』という手段を採用している。これなら、本人の移動なので情報化と実体化の手間が不要になる。他にも、異世界の住人であるサムカやノーム先生を情報化するのが、面倒だったという事もあるようだが。



 ほどなくして、観測を一通り終えたマライタ先生が、サムカに顔を向けた。

「先行して、中性子星に〔テレポート〕魔術刻印を刻んだ降下ブイを放ってある。そろそろ、ちょうどいい空間座標へ達する頃だ。テシュブ先生、準備は良いかい?」

 サムカが〔テレポート〕魔術の刻印情報を受け取ってうなずく。

「うむ。私も環境情報の処理を終えたところだ。やはり、私だけでは無理だったな。ハグの助力が得られて良かったよ。では、向かうとするか」


 サムカが〔防御障壁〕を発生させて、その中にマライタ先生とノーム先生を招き入れた。ハグ人形は既にサムカの頭の上に座っている。

 2人の先生に特に問題が起きていないことを確認して、サムカが〔テレポート〕魔術を発動させる。次の瞬間、サムカたちの姿が消えた。


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