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74話

【寄宿舎のロビー】

 サムカがドラゴンと対峙していた頃。タカパ帝国の魔法学校の寄宿舎ロビーでは、大勢の生徒たちがグッタリとした雰囲気で談笑していた。ここでも夜になっていて、同じような満月を過ぎた月が、雲の多い夜空の隙間から黄色い光を差し込んでいる。


 このところの騒動で学校の授業が大幅に遅れてしまい、その臨時授業と補習、それにテストや実習などが詰め込まれていた。ほとんど日の出から日没までの授業になってしまっているので、生徒への負荷も相当なものだ。

 唯一元気なのは、気に入らない授業を全て欠席しているジャディくらいのものだ。


 ペルも例外に漏れず授業の嵐に疲れてフラフラになって、ロビーの隅で半分眠っている。そばにはレブンもいるが、彼もまた完全な魚顔になっている。顔色も水揚げされて数時間経過したような色合いだ。

「ペルさん、大丈夫? かなり疲れているようだけど」

 レブンが魚の口のままでペルに聞く。そう言うレブンも目が少々濁っているようだが。ペルに語りながら、気づいた。

「あ、いけない、いけない。死んでしまう」

 死霊術使いなので、あんまり疲れてしまうと自身が腐り始めてしまうようだ。なので、慌てて〔回復〕法術が入った〔結界ビン〕をポケットから出して、自身にかけて〔回復〕している。

「普段は、自動で法術が起動するようにしているんだけれどね。忙しくて忘れていたよ。あぶない、あぶない」


 ペルが無理に微笑んで、臭みが取れ始めたレブンを見上げた。少々濁っていた彼の目も、今は澄んだ色合いに戻っている。

 一方のペルは疲れた表情のままだ。口元や鼻先の細いヒゲは垂れたままで、両耳もだれている。頭の黒い縞模様がいつもよりも自己主張しているせいか、影の薄さが加速しているような見た目だ。ペルの姿に気がつかないで通り過ぎる生徒も、ちらほら出ている。


 今も、魔法工学のベルディリ級長と、幻導術のウースス級長に招造術のクレタ級長が、何事か不平不満を口にしながら通り過ぎていったのだが……この3人ともに全くペルに気がついていない。

 寂しく微笑んで3人の級長の背中を見送ったペルが、薄墨色の瞳をレブンに向けた。

「結構きついけど大丈夫だよ、レブン君。闇の精霊魔法を使う暇もないから、魔力バランス自体は良いかも。ミンタちゃんが私を呼んでたから、もう少しだけ頑張る。レブン君とジャディ君は、もう部屋に戻って休んだ方がいいよ」


 レブンの後ろには、半分以上眠っているジャディの姿があった。かすかに歯ぎしりの音を出している。鳥目なので夜は苦手なのだが、なぜか自分の部屋に戻らずにロビーにいる。

 彼も体中の鳶色の羽毛をゆっくりと膨らませたり、しぼませたりして、珍しく暴れもせずにウツラウツラしていたが、ペルの言葉にはすぐに反応した。琥珀色の鋭い瞳が「カッ」と見開かれてペルを睨みつける。

「うるせえよ。オレ様もミンタに呼ばれているんだよ。でなきゃ、とっくに巣に戻って寝ている」


 ペルとレブンが視線を交わす。ジャディはサムカとノーム先生の授業以外はろくに出ていないし、当然のように補習やテストにも参加していない。ミンタの性格上、ジャディの勉強をみるようなことは無いはずなので、さらに首をかしげる2人だった。

「ペルさん……これって、もしかすると……新たな揉め事に、首を突っ込む恐れがあるような気がする。ミンタさんが助力を求めるようなことって、相当やっかいな事なんじゃないかな」


 レブンの容赦ない危惧の指摘に、ペルとジャディも思わず納得しかけている。そこへミンタ本人からの〔念話〕が飛び込んできた。

(黙りなさいよ、そこのゾンビ魚。揉め事なんかじゃないわよ、安心しなさい。今回はレブン君が参加すると、命の保証ができないから呼ばないだけ。何も言わずにさっさと杖をペルちゃんに渡して部屋に帰りなさい)


「聞いていたのかよ!」と顔を見合わすレブンとジャディである。レブンもかなり授業の連続で疲れていたので、これ以上ミンタと口論する気力はなさそうだ。素直に杖をペルに渡した。

「命に関わるって……やはり揉め事じゃないか。後でカカクトゥア先生とラワット先生に、僕が告げ口しておくからね。いくら全科目修得済みで、精霊魔法の授業以外出る必要がないからって、君の暇潰しに付きあうほど僕たちはお人良しじゃないんだけどな」


 すかさずミンタから〔念話〕で反論が飛び込んできたが、同時にロビー内でリーパットが大声で演説を始めた。その大声のせいで、ミンタからの〔念話〕受信が邪魔されて途絶える。

「生徒どもよ! オマエらは将来、帝国を背負って立つ優秀な人材だ。これしきの授業増加で根を上げてどうするかっ。誇りある狐族は、この試練を乗り越えて当たり前なのだ。魚やトカゲどもとは違うことを見せつけてやれ!」

 リーパットが狐顔を紅潮させて腕をブンブン振り回し、ロビー内を早歩きで回りながら鼓舞している。

 彼の後ろには、50人のリーパット党員が気勢を上げてついて回っていた。側近のパランとチャパイの2人がリーパットの後ろにぴったりと寄り添って、拳を振り上げて生徒たちを叱咤しているのが見える。


 その様子を苦々しい表情で睨みつけているのは、元バントゥ党の級長3人である。竜族のウースス級長とクレタ級長が頭と尻尾のウロコを逆立てて抗議したが、すぐに狐族のベルディリ級長が肩を押さえて制止した。 

 竜族の級長2人に、諭すように小声で語り掛ける。

「ラグ君の願いを無駄にするつもりかい? 彼が自ら行うテロを『帝国に事前密告』するように、私たちに知らせた。そのおかげで私たちの家は取り潰されずに済んだんだよ。ここは耐え忍ぶ時だよ、ウースス級長、クレタ級長」

 呻くばかりの2人の級長である。そう諭しているベルディリ級長本人の瞳は、いつもの理知的な色合いではなかったが。


 代わりに吼えているのはムンキン党であった。狐族のバングナン・テパが、両耳と尻尾をピンを立てて褐色の瞳をギラギラさせている。

「うるせえ! 学校最下位の劣等生の癖に、偉そうに指図するなっ。演説かます暇があるなら、魔法の勉強でもやってろ! このバーカ」


 リーパットのザクロ色の瞳がギラリと光った。あっという間に尻尾が竹ホウキ状態になる。

「あ!? 貴様らが不甲斐ないから、こうして我が貴重な時間を割いて鼓舞してやっているのだぞ!」

 すぐに側近のパランとチャパイもリーパットに加勢して、バングナンと口論を始める。


 7人のアンデッド教徒は心底呆れた表情になって、ロビーから退出していった。スロコックの顔が呆れ果て過ぎたのか、魚に戻ってしまっている。

「バカ騒ぎに付き合って、我らまで寝不足を深刻化させる事はない。部屋に戻って睡眠をとるぞ」

 コントーニャも完全に同意の顔だ。彼女はリーパット党員のはずなのだが、スロコックの後にシレッと続いてさっさと部屋に戻っていく。

「そうそうー。もう眠いから、明日ねー」


 一方の法術専門クラスのスンティカン級長は、面倒臭そうな表情で鉄紺色の瞳を半閉じしている。そして、渋い柿色のウロコで覆われた尻尾を、床に≪バンバン≫叩きつけていた。

 かなりイライラしている表情なのだが、それでも他の竜族や狐族の法術専門クラスの生徒たちに、「部屋へ戻れ」と指示していく。最後にグチをラヤンに漏らした。

「まったく……乱闘を始めるならさっさとやれよな。こういう時の法術使いは、本当に貧乏くじだよ。なあ、ラヤンさん」

 ラヤンも同じように両目を閉じて、尻尾で床を≪バシバシ≫叩きながら激しく同意している。

「級長の言う通りですね。いつでもどこでも〔治療〕してもらえると思ったら大間違いだと、一度よく知らしめる必要があると思いますよ」


 そんな複数の騒音源に、凶悪な顔をさらに険しくするジャディである。

 鳶色の背中の翼と尾翼を大きく広げて威嚇の姿勢をとるのを、慌てて抱きついて鎮めるレブンとペルだ。レブンがジャディに小声で話しかける。

「リーパット先輩は赤点ばかりの学年最下位なんだから、ここは暖かく見守ってやろうよ。焦っているのは僕たちの比じゃないはずだ」

 ペルもレブンの言葉に思わず同意しながらも、ジャディに訴える。

「ジャディ君ほど自由な身分じゃないのよ。帝国の名家の子息なのに成績が最下位って、相当なストレスだと思うわっ。私だったら引きこもると思う」


 散々な言い方だが、ジャディにはそれで充分だったようだ。膨らんだ羽毛が通常状態に戻り、翼と尾翼も小さく畳まれる。そして、まだ抱きついている2人の級友を振り払って、「ゴホン」と大きく咳払いをした。

「まあ、学年最下位の奴が「頑張れっ」て言ってると思えばいいか。それで、ミンタよお。何をするつもりだよ。さっさと始めろクソが」


 ミンタからの〔念話〕が再開された。リーパット党とムンキン党の口論に邪魔されない術式に変えたようで、クリアに聞こえる。

(外の用務員室前に魔法陣を描いてあるから、そこへ来て。杖を忘れずにね)

 ジャディの顔が険しくなる。

「オイ。オレ様は夜目が利かないって知ってて言ってるのかよ。だったら、ぶっとばすぞ」


 ミンタからの返事はなかった。代わりにレブンがジャディの羽毛で覆われた肩を「ポン」と叩く。ジャディの服装は、制服ではなくてツナギの作業着だ。シャツを着ていないので、肩が露出している。

「必要になったら遠慮なくぶっとばして構わないよ。テシュブ先生からの事後承諾はもらっておくから。じゃあ、ペルさんの護衛をよろしく。今回は僕は行かない方が良さそうだしね、頼むよ」

 ここまで言われると、さすがのジャディも「フン」と鼻息を出すしかない。

「まあ実は、夜でも目が見えるけどな。昼間ほどじゃないってだけだ。じゃあ、行くぞペル」




【杖】

 用務員室には明かりが点いていなかった。それを見てペルが少し哀しげにジャディに微笑む。

「ゾンビさんたちには無理をさせちゃったな……もう、残留思念も消滅してるんだよね。存在していた証拠も何もなくなっちゃった」

 ジャディも用務員室を琥珀色の瞳で睨みつけた。尾翼が大きく広がる。

「記憶は残るぜ。オレ様は絶対に忘れねえ。それで充分だ」


 ペルが潤んでいた両目を拭いて、今度は明るく微笑んだ。薄くなっていた彼女の気配が復活する。

「そうだね。私も決して忘れない」

 そして、(ジャディ君がロスト魔法を怖がる理由の1つが、これなのかな……)とも思う。運動場の隅には慰霊碑も見えるので、用務員室の前から祈りを捧げる2人。


 そして、ミンタに言われた通りに杖を〔結界ビン〕から取り出して再確認する。ドワーフのマライタ先生が予備の杖を多く作ってくれているので、この集中授業の中でもなんとか勉強できていた。自身の杖の他に、レブンとジャディ、それにムンキンとラヤンの杖も1本ずつ預かっている。


 ちなみにムンキンは勉強疲れで寝込んでいる。そのせいで、今のムンキン党を抑える者がいなくなり、党員が暴走しがちになっていた。今もリーパット党との衝突が起きている。

 それを思い出して、ため息をつくペルであった。成績が悪い生徒ほど、今は元気だったりしている。

「……うん。杖の状態も良好みたい。でもこれ以上、杖を強化する事なんてできるのかな? マライタ先生もお手上げみたいなこと言ってたけど」

(地球では無理ってことだよ、ペルちゃん。じゃあ、そこの〔テレポート〕魔法陣に乗ってちょうだい。木星へ招待するわ)


「木星?」

 ミンタの浮き浮きした声色の〔念話〕に、顔を見合わせるペルとジャディ。2人にしてみれば、宇宙空間へ出るのは金星での初回実習以来だ。今の金星実習は学校から直接金星の大地へ〔テレポート〕している。とりあえず、宇宙空間用の〔防御障壁〕各種を準備してから魔法陣へ歩み入った。

 ジャディが琥珀色の目を輝かせながら文句を言う。

「宇宙へ行くなら、そうだと早く言えよ。オレ様も太陽風の精霊を、もう一度見たいと思ってたんだよ。金星じゃ、雲が分厚過ぎて見えないからな。そよ風だしよ。おいペル。準備する〔防御障壁〕はこれで良いんだよな」


 ペルが急いでジャディの〔防御障壁〕の術式を確認してうなずいた。

「うん。これで大丈夫だと思う。テシュブ先生の実習時と同じだし。どうかな? ミンタちゃん」


 サムカが宇宙へ連れて行った際は、2人とも〔テレポート〕魔術を修得できていない状態だった。他の魔法についても学んでいないものが多かったので、ほとんど全ての〔防御障壁〕をサムカが代行していた。

 今回は、それら全てを自前で準備して使用する必要がある。ただ今回はソーサラー魔術ではなくてウィザード魔法による「テレポート」魔法なので、それほど大きな負荷はかかっていない。魔力サーバーのおかげだ。


 30秒ほどかけて、ミンタも2人の〔防御障壁〕の術式を解析し終わった。〔念話〕が返ってきた。

(問題ないな。木星特有の磁気圏とかあるから、それに対する『パッチ』は私が用意するわね。こっちへ来てから適用すればいいから)


 念のために、自身とジャディの生体情報の最新版を、地下にある法力サーバーに問い合わせて確認する。これで万一、事故で死んでも学校で〔蘇生〕や〔復活〕ができる。

「じゃあ、行きましょうか。ジャディ君」

「おう」



 〔テレポート〕した先は、宇宙空間ではなかった。酸素のない大気がある。そして猛烈な嵐の最中だった。

 慌てて〔防御障壁〕を〔修正〕するペルとジャディ。大気成分が地球と全く違っているので、〔防御障壁〕の術式調整が大変だ。そして、急速に夕方になってきつつあった。視界がどんどん暗くなってくる。

 同時に地球の比ではない強烈な重力が2人にかかった。これにも慌てて術式の〔修正〕をかける2人。悲鳴を上げる余裕もない。


 何とか時速200キロに達する暴風と、強烈な重力の制御を終えてほっとする。大気といっても酸素はほとんど含まれていないので、呼吸用には使えない。その点では宇宙用の〔防御障壁〕で正解ではあった。呼吸用の酸素は、金星での実習用の〔結界ビン〕に詰め込んで持ってきているものを使用する。


 暴風に吹き飛ばされて流されていたのも何とか制御できるようになって、〔テレポート〕地点まで戻ってきた。ペルは〔飛行〕魔術が得意ではないので必死だ。15キロほど流されていたようである。

 そこにはドヤ顔で微笑むミンタの姿があった。背後に走る巨大な稲妻の群れが、異様に彼女に似合っている。

「ようこそ、木星へ。『パッチ』は不要だったようね」




【木星】

 ジャディが全身の羽毛を逆立てて声を荒げた。

「オ、オマエなあああっ! ここは宇宙じゃねえええええっ」

 背中の翼と尾翼を大きく広げて、風の精霊魔法をミンタに撃ち込む。しかし、あっけなく消された。「ならば!」と殴りかかろうと飛んでいくが、これもまた強引に軌道を曲げられて、その場でクルクル回るだけだ。


 ペルも涙目になったままでミンタに訴えた。彼女の方は、不思議とジャディよりも安定している。

「ミ、ミンタちゃんっ。ひどいよお」

 そのままペルがミンタに抱きついた。〔防御障壁〕が融合して1つになる。


 ミンタがニコニコ笑いながら、ペルのフワフワ毛皮の頭を「ポンポン」と叩く。

「ごめんごめん。でも、これで眠気は覚めたでしょ」

「うー……」と、涙目のままでミンタを睨むペル。しかし、すぐにキョロキョロと周囲を見渡した。

「あれ? ということは、ここって木星の中なの? 確か、木星には強力な妖精や精霊がいるから、立ち入るのは危険だって聞いたけど」


「鋭いわね」とニヤリと笑うミンタである。

「お供え物を捧げたのよ。それが気に入ったみたいでね。友達になったの」

 ペルがキョトンとした顔になった。ジャディがようやく制御を回復して、ミンタとペルのそばまでやってきて一息つく。疲れてしまい、ミンタを殴る余力は残っていない様子だ。

「って、オマエ。森の妖精を食わせたんだろ。オレ様のプルカターン支族の巣でも、とっくに知れ渡ってるぞ。どこの魔王だよオマエ」


「えええっ?」とひっくり返って驚いているペルに、ドヤ顔で微笑むミンタ。

「だって森の妖精って、事実上の不死でしょ。100年後に〔復活〕して、私たちの子孫がイジメられたら可哀そうじゃない。だったら有効利用しないとね」

 クモ先生は数年という判断をしていたようだが……


 その時、木星の大気が凝集してトカゲ型の雲になった。それが生き物のように動き出す。

「森の妖精は、なかなか良いものだな。いわば永久動力だ。それに生命の精霊場というものは、我が星に不足しているものだ。歓迎するぞ。今後も不要な森の妖精や精霊がいれば、どんどん提供してくれ。食ってやろう」

 立派で流暢な発音で、ウィザード語を話すトカゲ雲。


 それで、大よそのことを察したペルとジャディであった。気持ちを切り替えてミンタに聞く。

「ええと。自己紹介をした方が良いのかな、ミンタちゃん」

 ミンタがトカゲ雲と顔を見合わせたが、すぐにペルにうなずいた。

「そうね。一応紹介は済ませてあるけど……した方が互いに良いよね。こちらは、木星の風の妖精さん。名前は『雲さん』」

(何とも安直な名前の付け方だなあ……)と内心で苦笑するペルであった。が、それは顔にも声にも出さずに、礼儀正しく雲さんに会釈する。サムカの騎士や執事の所作を真似ている。

「初めまして、雲さん。私は狐族のペル・バンニャです。魔法適性が闇の精霊魔法ですので、お気に障るかもしれませんがご容赦下さい。隣は、飛族のジャディ・プルカターン。魔法適性は風の精霊魔法ですので、親しくしてくださると幸いです」


 ジャディも、ぎこちなく会釈をする。どう見ても『相手に因縁をつけるような脅し』を、上目遣いで仕掛けているようにしか見えないが。

「お、おう。頼むぜ。かなり上位の風の妖精でもあるようだな。すげえ奴だってことはオレにもすぐに分かるぞ」


 雲がトカゲ顔をニンマリとさせて笑みを浮かべた。大きさも、ペルとジャディに合わせて小さくなっていく。今は体長2メートルほどだ。尻尾部分を除けば、ほぼジャディの身長の130センチくらいになるだろうか。

 雲の状態から、どんどん本物のトカゲの姿に変わっていく。『雲さん』ではなくて『トカゲさん』と呼んだ方が当たっているかもしれない姿だ。ちなみにそのトカゲの姿は、ミンタが供物として差し出した森の妖精の姿でもある。

「地球の風の精霊や妖精と、我を比較する方が滑稽だが……まあ、太陽系では上位の妖精ではあるだろうな」

 確かに、木星は太陽系では最大のガス惑星である。大気の量でいえば、地球の比ではない。


 ミンタが「コホン」と咳払いをする。

「ペルちゃんとジャディ君の〔防御障壁〕の状態も安定したわね。じゃあ、始めるとしましょうか。杖を出して」

 ペルとジャディが顔を見合わせた。ペルがポケットから〔結界ビン〕を取り出す。

「ええと……ミンタちゃん。何をするの?」

「これだから、優等生って奴はよ。ちゃんと丁寧に説明しろやクソが」


 あっという間に夕闇に包まれていく木星の大気の中で、ミンタがにっこりと微笑んだ。背後の稲光のダンスがさらに派手になっている。

「杖の強化よ。ドワーフのマライタ先生の制作じゃあ、まだちょっと不足なのよね。予備の杖はたくさんあるけど、今のままじゃ、すぐに壊れて在庫が尽きてしまうわよ」


 実際、サムカが〔召喚〕された以降だけでも、何本の杖が壊れたかすぐには思い出せない。今後さらに生徒たちの魔力が上がると思えば、マライタ先生作の杖といえども『使い捨て』扱いになりそうだとペルとジャディも薄々感づいていた。


 ペルが〔結界ビン〕から杖を全部取り出して、ミンタに手渡す。

「確かマライタ先生は、「地球ではもう使える鉱物や土類はないだろう」って仰っていたような。かといって死者の世界の魔法具は、闇魔法に特化してて他の魔法が使いにくいみたいだし……だから、地球以外の星から素材を集めるというのは理解できるけれど」

 ペルが片耳をパタパタさせた。

「でも、木星ってガスだけでしょ? 鉱物って無いような気がするけど」


 雲が素直にうなずく。もうすっかり大トカゲの姿だ。時速200キロの暴風の中、無数の稲光に照らされているが平然としている。〔防御障壁〕も何も展開していないのだが、魔力だけで余裕のようだ。

「確かにな。一応、我が星のコアには金属も含まれているが……採掘するのは君たちでは無理だろう。大地の妖精の縄張りだからな。それに、金属の種類も地球と大差ないはずだぞ。太陽系の外の別の星で採取すべきだろうな」


 ペルも納得して、別の片方の耳をパタパタさせる。

「私もそう思う。地球よりも大きな岩石惑星を探した方が確実かも。でも、それって放射性元素になるはず。採取しても被曝しちゃうよ。魔法で抑えることもできるけど、その分だけ魔力を消費しちゃうことになるし」

 ジャディは「フンフン」と意味もなく首を縦横に振っている。尾翼も連動して動いているので、何かのダンスをしているように見えなくもない。


 ミンタのドヤ顔がひどくなった。尻尾までが上機嫌になってブンブン振り回され始めている。

「それ以外の手法ならどうかしら」

 ミンタがポケットから〔結界ビン〕を取り出して、中から泥状のものを取り出し、それを全員の杖の表面に塗りつけた。その作業をしながら話を続ける。

「今塗っているのは、普通のシリカよ。この後、魔法で結晶にするわね。さて、今回計画しているのは3つ。1つはコアに当たるダイヤモンド単結晶の改良。2つめはコアの補助装置の追加。3つめは魔法回路の基板素材の変更ね」

 そして、早くも退屈そうにあくびを始めたジャディにジト目視線を送った。

「地味な作業だから、君はもう好きに遊んでいいわよ。30分くらいで終わるから、それまでに戻ってくればいいわ。杖のテストをしてもらいたいだけだし」


 ジャディの琥珀色の瞳がキラリと輝いた。バサリと背中の鳶色の翼を大きく広げる。黒い風切り羽がピンと張った。

「お? いいのかよ。早く言えってんだ。じゃあ、ちょっと一回りしてくるぜっ」

 そう言い放つが早いか、夕闇に包まれていく木星の大気の中へ飛び出していった。


 無数の雷が走り、猛烈な暴風が吹き荒れているのだが……ジャディには問題ない様子だ。あっという間に、姿が夕闇に消えて見えなくなった。レブンからはペルを警護してくれと言われたはずだが、ミンタがいるので不要だと勝手に判断してしまったらしい。


 それを見送るトカゲ型の雲が微笑んでいる。

「ふむ。生き物がいるというのは、賑やかになって楽しいものだな。我が星では微生物しかいないから退屈なのだよ」

「微生物がいるんだっ」と驚いているペルとミンタである。

 感染するようなことはないはずだが、一応用心しておく必要がある。ジャディにもとりあえず〔念話〕で伝えるペル。


 木星の自転速度が速いせいで、すっかり夜になってしまった。この点では、自転速度が遅くて昼夜の時間が異常に長い金星とは全く逆だ。

 木星大気の上層部にいるので、星明りは何とか地球並みに見えているが……3つもの月明かりのせいで満天の星空と呼べるものではなかった。稲光の激しさも相変わらずで、さらに星空が見えにくくなる。


 ジャディから了解した旨の〔念話〕が返ってきたので、ミンタが作業を再開した。

「じゃあ、まずは杖のダイヤモンド単結晶コアの改良からするか」


 全員の杖からダイヤを抜き取り、手元に浮かべる。次いでポケットから〔結界ビン〕を1つ取り出して、フタを開けた。

 これらのダイヤ群は、全てドワーフのマライタ先生がアンドロイドに命じて作成させた量産品だ。結晶を大きくして成長させる時に、結晶格子に空白部分を作っている。

 炭素原子1兆個に対して1個から10個程度の割合だが、これによりダイヤの様々な場所から、同じ波長の光子を多数同時に発生させることができるようになる。演算コアが複数できることになるので、魔法の術式を多数同時に走らせることができるという仕組みだ。ダイヤなので原子の配列や格子の構造も均一なために、信号も安定化する。

「でも、これでもまだ不足なのよね。発光が弱いのよ。そこで、発光を強化することにしたの」


挿絵(By みてみん)


 ミンタが〔結界ビン〕の中から粉状のものを噴射して、ダイヤの結晶群にまぶした。次いで魔法を発動させて、粉をダイヤの中へ〔浸透〕させていく。

「ゲルマニウム原子などの粉よ。ダイヤの中のいくつかの炭素原子と入れ替えた。じゃあ、起動」


 いきなりダイヤ結晶群が青紫色のきれいな光を放ち始めた。かなり強く輝いている。ペルはその美しさに見とれてしまっている表情だ。尻尾がパタパタと振り回されている。

 青く輝くダイヤ結晶群を満足そうな表情で確認するミンタ。

「精霊場を光に〔変換〕しているのよ。ここでは風の精霊場ね。もちろん光の精霊場も使えるけど、ここでは地球ほど太陽光が強くないからね。他にも大地や水、炎に生命と精神の精霊場を、光に〔変換〕できるわよ。魔力サーバーや、法力サーバーからの魔力も光にできる。この術式は私の自信作ね」


 ドヤ顔で説明するミンタに、素直に称賛の言葉を贈るペル。

 精霊魔法以外の魔法全てを履修し終えていたミンタは、ペルたちが受けている補習や追加実習は不要なので受けていない。暇そうだったが、こんな事をしていたようだ。

「ちなみに、ゲルマニウムなどの原子は自転というかスピンしているんだけど、これ自体がエンジンの代わりになってる。だから、私たちが使う魔力をある程度は節約できるのよ」


 そして改めて、青く光るダイヤ群に簡易杖を向けて、術式の再確認を済ませた。問題ない様子だ。これで魔法の杖のコア部分の改良が終わった。


「じゃあ、2番目の強化項目を。補助発光装置と光の共振器の追加ね。ダイヤのコアが利用できなかった魔法場を、光に〔変換〕するわけ。ええと、あったあった。この酸化亜鉛を使うわよ」

 ミンタがポケットから酸化亜鉛の板を取り出す。これ自体は、化粧品の材料にもよく使われている一般的なものだ。紫外線や、青色光の発光材料としても使われる。

「これに私が〔レーザー光線〕を当てて、蒸発させて、ミクロンサイズの単結晶の真球を作るわね。ここで、ペルちゃんの手助けが必要になるわけ」


 ミンタが両耳をパタパタさせてペルを見た。ペルもここでようやく呼ばれた理由を理解したようだ。魔法工学が比較的得意なペルなので、木星で行う理由も納得する。


 酸化亜鉛は発光素子としては知られているのだが、実際には光の共振器といったものにしか使われていない。

 この場合では、ダイヤ単結晶から発せられた光を受けて、素子の内部に光を閉じ込めたり、より均一で一定の強度の光に整えたり、閉じ込めた光を増幅させて放ったり……ということになる。光の制御機能を行う部品だ。

 それはそれで有益なのだが……酸化亜鉛それ自身が不十分な発光しかしないために、魔法場の有効利用という面では不満が残る。


 原因は、酸化亜鉛の微細な単結晶を作成する際に、結晶が勝手に成長してしまうせいだ。複数の単結晶がごちゃごちゃに集まった多結晶状態になったり、原子がきちんと揃わずに不規則に並んでしまいガラス状になってしまうのである。

 つまり、普通に酸化亜鉛の単結晶を作成しようとすると、単結晶とガラスが乱雑に混じり合った状態になる。


 これでも光共振器としては使えるのだが、自身で効率的な発光を起こせない。そのために、光素子として作成する場合には、発光する原子や分子を『新たに導入』することになる。それでは意味がない。


 さて一方、木星の大気であるがヘリウムガスを含むことでも知られる。このヘリウムは1気圧の条件では、どんなに冷却しても氷にならない。

 しかし、ある条件を満たしてマイナス271度以下にすると、特殊な液体になる。超流動状態という、物質に対する摩擦力に相当する粘性が、無視できるほど小さくなる状態に変化するのだ。


 その液体ヘリウムの中で、酸化亜鉛にレーザー光線を当てて蒸発させ、微細な単結晶を作成するとどうなるか。ペルが首を傾けて、両耳を交互にパタパタさせながら腕組みして考えた。

「……重力制御して魔法で疑似的に無重力状態にすると、液体ヘリウムの中で、蒸発した酸化亜鉛の蒸気粒はすぐに液体になるよね。無重力だから、表面張力で微細な真球になって、液体ヘリウム中に満遍なく分散する」


「あ」と何かひらめいたようだ。両耳が同時にピンと立つ。

「真球は高温だから、液体ヘリウムが気化するよね。魔法で温度調整をすれば、真球の周囲だけ気化できる。真球をヘリウムガスが包むから、極低温の液体ヘリウムと直接接触しない。ゆっくりと冷やされるのか。あ。真球を包むヘリウムガスは、液体ヘリウムからの圧力を受けて、それを真球に伝えるよね。等方向から均一に圧力を受けるから、結晶が勝手に成長しなくなる。真球のまま単結晶になる……ということかな?」


 ペルの推論に、ニヤリと微笑むミンタであった。

「さすがね。私も同じ結論に達したわよ。まあ、実際に作ってみないと分からないけど、やってみる価値はあると思う。ペルちゃんには、氷の精霊魔法で液体ヘリウムの作成と、温度管理を、お願いしたいのよ。これはさすがの私でも無理なのよね」


 氷の精霊魔法は、闇の精霊魔法と親和性が高い。光と生命の精霊魔法が得意なミンタには、苦手な分野の魔法である。すぐに同意するペルだ。

「分かった。ほとんど絶対零度まで温度を下げる魔法だけど、この木星の夜の間なら、闇の精霊場も強いものね。多分できると思う」

 早速、2人で取り掛かった。トカゲ型の雲は興味深そうに見物している。


 ミンタが空間指定の〔結界〕魔術を使って、実験作業用の空間を作り出した。数メートル立方の正方形だ。その空間内は無重力に制御されて、周辺の木星大気から、ヘリウムガスだけが選別されて充填されていく。

 ペルが数分ほどかけて術式を完成させ、それを起動させた。実験空間のヘリウムがいきなり液体に変わった。

 体積が小さくなるので、空いた空間に追加のヘリウムガスがどんどん送り込まれて液化されていく。これは思いのほか早く進み、間もなくして、実験空間一杯に液体ヘリウムが満たされた。同時に極低温になる。


 その実験空間にミンタが酸化亜鉛の板を差し込む。

「じゃあ、いくわよ、ペルちゃん」

 ミンタがワクワクした表情で、栗色の瞳をペルに向けた。ペルも薄墨色の瞳を輝かせてうなずく。

「うん。やってみよう、ミンタちゃん」

 次の瞬間。酸化亜鉛の板が爆発して蒸発して消えた。爆音と振動が二人にも伝わってくる。


 やがて……実験空間の中に細かい塵のようなものが、霧のように発生してきた。ペルが液体ヘリウムをゆっくりと気体のヘリウムに戻していく。霧はそのまま残っている。


 ミンタが〔テレポート〕魔法で霧の一部を採取して、手元に出し、光の精霊魔法を使って構造解析を行った。小さな〔空中ディスプレー〕画面が出て、解析結果が映像と共に表示されていく。

 ちなみに、ミンタが展開している〔防御障壁〕の中なので、周辺の暴風や雷の影響は及んでいない。すぐに、満足そうな笑みを浮かべてペルに微笑んだ。

「成功ね。ガラス成分もないし、多結晶状態でもない。直径50ミクロンの真球単結晶になってるわ」


 ほっとするペル。彼女もミンタの〔防御障壁〕の中に入って、一緒に観察する。ほとんど頭がくっつきそうだが。肉眼では小さすぎて見えないので、〔空中ディスプレー〕上で拡大表示している。

「わあ。すごい、きれいな真球になってる」


 ペルの歓声にドヤ顔で応えるミンタである。2人の尻尾が見事にシンクロして左右に振られている。

 〔空中ディスプレー〕画面の表示では、球の表面まで酸化亜鉛の各原子の規則正しい配列が続いているとあった。それはこの真球の表面が、原子レベルで平坦で滑らかであるという意味でもある。


 ちょっとした宝石にも似た、ミクロの真球に微笑みあうミンタとペル。

「予想以上の出来ね。さすがペルちゃん」

 ミンタに褒められて、「えへへ」と照れているペル。そのペルも満足そうだ。


「ありがと、ミンタちゃん。この真球だったら、光の波長を変換したり、光で光の強度なんかを変化させたりもできそうだね。発光体と共振器の一体型ってところなのかな?」

 ミンタが大きくうなずく。

「そうね。これで、様々な魔法場を効率よく光に〔変換〕できるようになったわ。ついでに言うと、この真球ってツルツルだから、潤滑剤としても使えるわね。毒性もあまり高くないから、薬の運び役として使えるかも」


 さすがにペルがキョトンとした顔になった。

「え? 飲めるの? これ」

「当然。でも、がぶ飲みはできないわよ。亜鉛中毒になっちゃうからね」


 その後は、再び酸化亜鉛のマイクロ真球の作成を始めたのだが……手順が決まっているので、魔法で全自動処理をすることにしたミンタとペルであった。ちょっとした全自動の工場が稼働し始める。

「多分、これって地球では作成できそうにないみたいだし。今のうちに大量に作っておくわね」

 ミンタの考えに賛同するペルだ。

「そうだね、ミンタちゃん。薬にも使えそうなら、多い方が良いものね」


 トカゲ型の雲にも、おすそ分けするミンタとペルであった。

「ふむむ。我は風の妖精だからなあ……鉄砲玉にでも使ってみるかな。コアにいる大地の妖精にも半分ほど渡しておくか」

『鉄砲玉』と聞いて、首をかしげるペルとミンタである。ミクロの粒なので、当たったところでダメージを与えるようなものではないのだが。


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